META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い
2ntブログ
QLOOKアクセス解析
2024-01-30

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「一本刀土俵入り」の配役と音曲》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「一本刀土俵入り」。主なる配役は、駒形茂兵衛に座長・水葉朱光、安孫子屋の酌婦お蔦に舞坂錦、その夫・辰三郎に水廣勇太、舟戸の弥八に水谷研太郎、波一里儀十に潮美栄次、利根川べり渡し船船頭に責任者・梅沢洋二朗という面々であった。この芝居の眼目は、世間の薄情な人々の中に咲いた一輪の花(有情)の描出である。母に捨てられ、酌婦に身を持ち崩した「あばずれ女」が、親方に見放された一文無しの相撲取りに「情け」をかける、十年後、横綱になり損ねた相撲取りがその「御恩返し」をするという筋書きで、昭和生まれの世代にとっては、たまらなく魅力的な物語である。見所は、第一に、酌婦お蔦の風情、明日への望みもなく、その日その日を酒浸りで暮らす「あばずれ女」が、垣間見せた瞬時の「情け」である。有り金すべてばかりか、商売道具の櫛、簪まで茂兵衛に与えてしまう「無欲」な景色がたまらない。第二は、その「情け」を、遠慮しいしい受け入れる茂兵衛の風情、「いいよ、いいよ、そんなにもらわなくても・・・」と言いながら、泣き崩れる。彼もまた「無欲」なのである。二人を結び付けるのは、持たざる者同士の「有情」、その絆こそが物語の眼目に違いない。第三は、十年後の景色、まさに世は無常、今では一児の母、堅気になったお蔦、夢破れて「こんな姿に成り果てた」茂兵衛のコントラストが、一際鮮やかに舞台模様を彩るのである。そんなわけで、鍵を握るの(登場人物のキーパースン)はお蔦、今日の舞台では舞坂錦が演じていたが、彼の芸風はあくまで「楷書」風、まして男優の彼には「荷が重すぎた」、と私は思う。やはり、お蔦は女優、座長・水葉朱光が「はまり役」ではないだろうか。私が身勝手に配役するなら、お蔦・水葉朱光(又は朱里光)、茂兵衛・水谷研太郎(又は水葉朱光、又は舞坂錦)、辰三郎・水廣勇太、舟戸の弥八・潮美栄次、波一里儀十・舞坂錦(又は水嶋隼斗)、船頭・梅沢洋二朗に加えて舞坂錦、といった按配になるのだが・・・。さらに言えば、舞台に流れる「音曲」、越中おわら節は、静かに、静かに・・・。「節劇」の語りには二葉百合子が不可欠ではないだろうか。とりわけ、一景から二景への幕間に、「利根の堤の秋草を 破れ草鞋で踏みしめる 駒形茂兵衛のふところに 残るお蔦のはなむけが 男心を温めて 何時か秋去り冬も行き、めぐる春秋夢の間に、十年過ぎたが 番付に駒形茂兵衛の名は見えず お蔦の噂も何処へやら 春の大利根今日もまた 昔変わらぬ花筏」の一節が流れたなら・・・。そして、大詰めは「逢えて嬉しい 瞼の人は つらい連れ持つ女房雁 飛んで行かんせ どの空なりと、これがやくざの せめて白刃の仁義沙汰」で締めくくる。誠に僭越至極な感想で、申し訳ない限りだが、「新国劇」亡き今、あの島田正吾、香川桂子(外崎恵美子)の舞台に迫り、それを超えることができるのは、大衆演劇の劇団(とりわけ、躍進めざましい「劇団朱光」)を措いて他にない、と私は確信しているのである。
二葉百合子 浪曲の魅力(1)二葉百合子 浪曲の魅力(1)
(2007/10/10)
二葉百合子

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1







2024-01-29

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「質屋の娘」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成25年12月公演・小岩湯宴ランド〉
この12月私は、芝居「かげろう笠」「雨の他人舟」「一本刀土俵入り」「へちまの花」「瞼の母」などの舞台を見聞したが、2年前に比べて「大きな変化」は見られなかった。むしろ、これまでの「チームワーク」(呼吸)が、ともすれば乱れ気味で、いわゆる「中だるみ」もしくは「マンネリ」「油断」が感じられた。それというのも、花形・舞坂錦が副座長に昇進、名も水城舞坂錦と改まったが、やや「力みすぎ」、「立て板に水」のセリフ回しが目立ちすぎて(私にとっては)食傷気味、加えて一座の重鎮・梅沢洋二朗が(大門力也が客演のため)休演状態、さらにまた若手男優・水澤拓也、水橋光司、水越大翔らに大きな変化がみられず足踏み状態、といった事情があるからであろう。とはいえ、千秋楽前夜の今日の舞台は、その「中だるみ」を吹き飛ばすような、見事な出来映えであった。芝居の外題は、御存知「質屋の娘」。配役は「質福」の娘・おふく(26歳)に座長・水葉朱光、その兄(28歳)に水城舞坂錦、番頭に潮美栄次、手代・新二郎(25歳)に水廣勇太、
おふくの身の回りを世話する女中・おさよに朱里光、おさよの兄(高崎在の水呑百姓)吾作に水谷研太郎といった面々で、申し分ない。筋書きは単純、年頃になったおふくが「お婿さんがほしい」と言い出した。相手は手代の新二郎、しかし新二郎には「末を言い交わした」おさよがいた、おふくは「泣く泣く」その縁談をあきらめるというお話である。しかし、見所は随所に散りばめられていた。まず第一は、娘・おふくの風情。幼いとき階段から落ち、頭を打って「育ちそびれてしまった」。頭には(質倉にある)簪を「生け花のように」さしまくって登場、兄に咎められて簪を抜き去ると、スッキリしたが、その様子を兄がしみじみと見て「ずいぶん淋しくなっちゃった」といった呼吸は絶品、「綺麗」というよりは「可愛い」という評価がピッタリの舞台姿であった。第二は、番頭・潮美栄次の存在、彼の芸風はどちらかと言えば「地味」で「不器用」、脇役・仇役に徹し「いてもいなくてもよい」存在感がたまらなく魅力的である。おさよの兄・吾作が帳場の金(五両)を盗もうとするのを見咎め捕縛する。馬乗りになって吾作を打擲する様子が「絵になっていた」。第三は店主・水城舞坂錦と手代新二郎・水廣勇太の「絡み」、新二郎、店主の縁談話にのりかかるが相手がおふくと知って「卒倒」する、店主と手代では立場が違う、自分の本心も聞いてもらえずにやむなく承諾する。そこにやってきたおふくに迫られ、辟易とする場面は抱腹絶倒の場面であった。第四は、その新二郎とおふくの「絡み」、新二郎おふくに向かって「私とおさよはメオトの約束をしています」。おふく「いいよ、おさよとメオトになりなさい。アタシは新二郎とフーフになるのだから」「違うんです。メオトとフーフはことばは違うけど意味は同じなんです」「フーン、だったら三人でフーフになろう」といったやりとりが何とも魅力的であった。その他にも、店主が吾作の名前を「何回も」呼びまちがえる場面、おさよが新二郎に裏切られて嘆き悲しみ店を去る場面等々、見所は満載であったが、「極め付き」は大詰め、店主の兄とおふくの「絡み」、店を去って行ったおさよを追おうとする新二郎に、おふくは花嫁衣装と支度金まで贈呈、それでも新二郎が恋しいと泣きじゃくる。(その様子を陰で見ていた)兄に向かっておふくが言う。「アタシ、バカだから、新二郎は行ってしまった」。兄、きっぱりと「おまえはバカじゃない!好きな相手に着物やお金を上げてしまうなんて、利口な人にはできないということだ」おふく「?・・・、じゃあやっぱりバカなんだ」というオチも添えられで、舞台は愁嘆場。「どんなに苦いオクチュリでも飲むから、バカを治して」と懇願するおふく、「バカはイヤ、バカはイヤ、バカはイヤなんだよー」と泣きじゃくる妹に、なすすべもなく立ち尽くして慟哭する兄、そのままふたりがシルエットになって終演となった。「育ちそびれた人物」の姿を(多くの)観客は見たくない。なぜなら、実生活の中では、その姿に「夢」を感じないからである。にもかかわらず、「育ちそびれた」風情の中に、(観客の)「共感」を呼び起こし、「人権尊重」を語りかけようとする座長・水葉朱光の「演技」は冴えわたっていた。役者にとってそれは「至難の業」、初めは目を背けていた観客が、次第に惹きこまれ、その姿に「夢」と「輝き」を感じられるようになるか否かが問われるからである。事実、これまで笑い転げていた観客(私)の感性は、きれいに洗い清められ、あふれ出る涙を抑えることができなかった。
 今日の舞台は、あの「人間」(「劇団竜之介」)、「春木の女」(「鹿島順一劇団」)に匹敵する、斯界屈指の名作であった、と私は思う。感謝。
花嫁 木目込み人形 完成品花嫁 木目込み人形 完成品
()
有限会社ウイン21

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1



2024-01-28

劇団素描・「劇団花月」・《なか座公演は「がんばっぺ!茨城」》

【劇団花月】(座長・一條洋子)〈平成23年12月公演・なか健康センターなか座〉
この劇場は、常磐線水戸駅から水郡線に乗り換えて約15分、上菅谷駅で下車、徒歩5分のところにある。通常は入館料1785円、観劇料525円のところ、震災後のリニューアル「お客様大感謝祭」(がんばっぺ!茨城)ということで、観劇料は無料であった。(近隣市町村の住民は入館料も700円)。館内は広く清潔で、浴室には「絹の湯」「壺の湯」「北投の湯」「炭酸の湯」「白湯」「サウナ」「塩サウナ」「水風呂」「ジャグジー」等々、多種多様な湯舟が揃っている。また劇場・なか座は「飲み食い処」とは別のところに設けられているので、何よりも舞台に集中できる点が優れていると思った。他に、テレビルーム、仮眠室(深夜割増料金1050円)、個室(宿泊料2名まで5250円)、岩盤浴(525円)、整骨院、ボディケア、アカスリ、エステティック、カットサロン、大食堂、パスタ&ピッツア店等々の付帯施設も揃っており、文字通り「至れり尽くせり」の環境であった。さて、肝心の「劇団花月」は九州の劇団、名前は聞いていたが、私にとっては初見聞。座員は、総責任者・一條ひろし、座長・一條洋子、二代目座長・一條ゆかり、花形・一條こま、座長の母・星てる美、男優・十條みのる、四川魁、不動明、子役・なむ・・・、といった面々である。芝居の外題は「激動を生きる男・鼠小僧」(?)。幼いとき、親に捨てられた鼠小僧次郎吉(座長・一條洋子)が、捕り手に追われながら逃げ込んだ「縄のれん」(居酒屋)の女主人(星てる美)が実の母、種違いの弟・新吉(一條こま・女優17歳)は十手持ちという筋書きは大衆演劇の定番である。この3人に絡むのが、次郎吉を慕う女泥棒(一二代目座長・一條ゆかり)、十手持ち親分の十條みのる、偽鼠小僧の四川魁、辻占売りのなむ、と役者は揃っていたが、その舞台模様は、やはり「九州風」。どちらかと言えば、「せりふ回し」に偏りがちの演出で、表情、所作の景色は「今一歩」という感があった。座長・一條洋子の風貌は「浅香光代」然、貫禄十分で申し分ないのだが、「立ち役」二枚目の青臭さ(色香)、恨み続けた親との出会いから、心が「懺悔」に変わっていく気配が、物足りない。しかし、それはあくまで私の「偏見と独断」、たった1回の見聞で断定することはできない。「唄と踊りのグランドショー」で、総責任者・一條ひろし、颯爽と登場。破門状を手にして、侠客の「侘びしさと」「憤り」を見事に描出、「ああ、芝居の舞台姿を一目拝みたかった」と、思わず溜息がもれた。不動明の歌唱は「街のサンドイッチマン」から「上海帰りのリル」へ、「明日はお立ちか」で締めくくる。今ではレコードでしか耳にできない「珠玉の逸品」を、それ以上の肉声で鑑賞できたことは望外の幸せであった。加えて、ラストの三人(一條洋子、ゆかり、こま)花魁ショー、まさに豪華絢爛、一人分の衣装は数百万、合計すれば「家一軒が建つ」そうな・・・。今日もまた、大きな元気(がんばっぺ!茨城)を頂いて帰路に就いた次第である。
演歌名曲コレクション(4)?番場の忠太郎?演歌名曲コレクション(4)?番場の忠太郎?
(2004/09/01)
氷川きよし

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-27

劇団素描・「劇団千章」・《芝居「瞼の母」&「質屋の娘」》

【劇団千章】(座長・市川良二)〈平成24年9月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団には、かつて六代目・市川千太郎が居た。市川智二郞も居た。白龍も居た。しかし、諸般の事情(詳細は全く不明)により、彼らの姿はすでに無く、代わりに、沢村新之介が居る。(これまた何故か、特別出演の)中村英次郎(元「劇団翔龍」)が居る。梅乃井秀男(元「劇団花凜」)も居る。劇団の模様は、文字通り「有為転変」、まさに「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて留まるところ無し」(方丈記)といった風情そのものなのである。これまでの座長・市川千太郎に代わって、兄の市川良二が座長を務めているものの、それは「無理」というものである。良二の「持ち味」は、あくまで千太郎の相手役、その「脇役」に徹してこそ、「いぶし銀」のような輝きを発揮することができたのに・・・、といったあたりが常連・贔屓筋の評判ではないだろうか。さて、芝居の外題は昼の部「瞼の母」、夜の部「質屋の娘」。どちらも大衆演劇の「定番」、とりわけ「瞼の母」の主役・番場の忠太郎は「立ち役」の魅力が勝負所、千太郎よりも良二の方が「適役」ではないだろうか・・・、などと思いつつ幕開けを待った。配役は、忠太郎に市川良二、その母・おはまに市川千章、妹・おとせに市川誠、おはまに無心に来た夜鷹に梅乃井秀男、素盲の金五郎に中村英次郎といった陣容で、まず申し分はないのだが、相互の「呼吸」が今一歩、まだ練り上げられた景色として「結実化」するまでには時間がかかるだろう。芸達者なそれぞれが、それぞれに芝居をしている感は否めない。それもそのはず、今月公演の演目は「日替わり」で1日2本、およそ60本の芝居を「演じ通す」のだから。すべてが「ぶっつけ本番」、その懸命さには頭を垂れる他はない。夜の部「質屋の娘」、主役はもとより美貌の娘・おふく、○○期の病気がもとで「魯鈍気味」、その「あどけない」(無垢な)風情を、どのように描出するか。彼女を育む父親・中村英次郎の景色は絶品、市川良二の「女形」も悪くはなかったが、千太郎には及ばなかった。良二は良二、千太郎は千太郎、それぞれの「かけがえ」は代えることができないのである。というわけで、「劇団千章」は、かつての「市川千太郎劇団」ではない。六代続いた伝統の行方はいずこへ・・・、一抹の寂しさを噛みしめつつ帰路の就いたのであった。
瞼の母―長谷川伸傑作選瞼の母―長谷川伸傑作選
(2008/05)
長谷川 伸

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-26

劇団素描・「宝海劇団」・《夜の部・舞踊ショーは、観客三人の「夢舞台」》

【宝海劇団】(座長・宝海竜也)〈平成24年1月公演・佐倉湯ぱらだいす)
七草、成人の日も終わって、平日の舞台、その時にこそ劇団の「真価」が問われるのだ、と私は思う。案の定、昼の部でも観客は15人ほど、加えて、今日の舞台では役者も欠けていた。若座長・宝海紫虎、時代の寵児・宝海大空、ベテラン女優・宝海真紀、負傷中の城津果沙がいない。それでも、大衆演劇は「幕を開ける」のである。芝居の外題は、小さすぎて聞こえない。筋書きは、御存知「忠治山形屋」と瓜二つ。娘・お花(海原歌奈?)を加納屋親分(座長・宝海竜也)に身売りさせた百姓の老父(山下和夫)、三十両を懐に帰路に就いたが、地獄峠の山道で山賊(実は加納屋子分・久太郎)・宝海太陽・他に金を奪い取られた。老父、絶望して身投げをしようとしているのを助けたのが、大前田若親分(宝海大地)。若親分、加納屋に乗り込んで、金を奪い返し、お花を救い出すという筋書きであった。それぞれの役者が「精一杯」つとめていたが、まだ「呼吸」の面白さを描出するには至らず、見せ場は、大詰め、山中でみせる若親分と加納屋一家の立ち回り、一瞬にして三人を切り倒す宝海大地の「太刀さばき」であったろうか。それはそれでよい。「一生懸命に舞台を務める」、その心意気、気配だけで、私たちは元気をもらえるのだから。
さて、二部の舞踊ショーからが面白かった。山下和夫、歌唱の2コーラスを歌い終えると、「みなさん、今日は大空くんがいなくてすみません。でもみんなで一生懸命がんばります」(拍手)遠慮がちに「夜の部も観ていただけますか」最前列の女性客「観るよ」「えっ?大空くんは夜も出ませんよ」「大空くんがいなくたって、観るよ」。その言葉を聞いて、一瞬、山下和夫の全身に「電気が走った」。(ように私には思われた)。「えっ?大空くんがいなくても、ですか」と言って、楽屋の袖に顔を向ける。もしかして、そこに座長・宝海竜也が居たのかもしれない。その後、山下和夫、「さざんかの宿」を熱唱、続いてのラストショーで舞台は大団円となった。さて、夜の部開演は6時、はたして何人の観客が居残るだろうか。大浴場で入浴・休憩後、喫煙所でタバコを吸っていると、館内放送が流れた。「午後6時から5階・湯ぱら劇場で宝海劇団によるお芝居・舞踊ショーが行われます。どうぞ皆様お誘い合わせの上御来場ください」。本当にそうだろうか。5時45分頃、興味津々で劇場に行ってみると、案の定、観客は二人しか居ない。200人は優に収容できる客席の最前列に、件の女性客とその「つれあい」とおぼしき男性が、食事接待の従業員となにやら話をしている。三人は、私の気配を察したか、こちらを振り向いた。私も、近づいて「今日は本当にやるんですか」と問いかけると、従業員、「苦渋に満ちた表情で」答えられない。男性客が「そう!、やるか、やらないか。決断の時ですよ。もし、やらなければこの劇団は終わり、正念場、正念場・・・。とにかく、座って待ちましょうよ」。というわけで、観客の三人、固唾を飲んでその成り行きを見守ることとなった。時刻は、まもなく6時に・・・、その時、幕の袖から(静かに)座長登場、「今日は、ありがとうございます。こんなことはめったにないんですが。10年近く座長を務めておりますが、今日は2回目です。以前はお客様が二人、それでも幕を開けましたが、舞踊ショーの途中で帰ってしまいました。今日も幕を開けますが、お芝居は勘弁してください。舞踊ショーで精一杯がんばりますので、どうか途中でお帰りにならないようにお願いいたします」。男性客、大きく頷いて「結構、結構、やる方も辛いでしょうが、観る方も辛いんだ。がんばって、お願いしますよ」。おっしゃるとおり、観る方も辛いのだ。「男も辛いし女も辛い 男と女はなお辛い」という謳い文句そのままに、舞台は開幕する。幕が上がると同時に、三人の(割れるような)拍手を受け、座長・宝海竜也を筆頭に、大地、太陽、蘭丸らが、珠玉の妙技を披露する。たった三人の客を前に演じる「やるせなさ」「こっぱずかしさ(?)」も加わってか、まさに「今、ここだけでしか描出できない」(魅力的な)舞台模様が展開したのであった。太陽の舞台、男性客が声をかけた。「太陽!」、しばらくして小声で「何歳?」と尋ねると、太陽もまた踊りながら小声で、(つぶやくように)「25です」という「やりとり」が何とも面白かった。昼の部では見せなかった「バック転」もサービスして退場。蘭丸は蘭丸で舞台を降り、男性客に視線を合わせて微笑みかける。その可憐な風情も絶品であった。加えて、子役のちょろQ靖龍、舞台狭しと跳んだりはねたり踊りまくる中で、(その弟とおぼしき)赤児まで(幕の陰からハイハイで)登場、「相舞踊」よろしく大人用の扇子を掲げたり、振り回したりする様は、これぞ大衆演劇の「極意・真髄」といった按配で、誠に「有り難い」稀有な風景であった。やがて1時間ほどの舞台は(三人には惜しまれつつも)終演となったが、件の男性客曰く「いやあ、感動した。素晴らしかった。こんな《夢舞台》初めてだ」。けだし名言、大衆演劇は「たった三人の客」のためにだって幕を開けるのである。その心意気に心底から感動、今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができたのであった。感謝。
さざんかの宿/目ン無い千鳥さざんかの宿/目ン無い千鳥
(2003/10/22)
大川栄策

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-25

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「かげろう笠」・雌伏三年、大きく開け「大輪の花」》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉                                                      私はこの劇団の舞台を、今から3年半余り前(平成20年5月)、東京・立川大衆劇場至誠座最終公演)で見聞している。以後も、数回、柏健康センターみのりの湯あたりで見聞したおぼえはあるが、特記すべき内容はなかった。だがしかし、今回は違う。文字通り「雌伏三年」、これまでの精進が一気に「花開いた」感じがする。座長・水葉朱光は26歳(?)の女優、「水葉」の水は、若水照代の「水」、葉は、若葉しげるの「葉」ということで、芸風は、あくまで関東風、その「いいところ」(軽妙・洒脱・粋の良さ)が、舞台のあちこちに散りばめられていたのであった。芝居の外題は「かげろう笠」。箱根の山中で盗賊に襲われていた盲目の侍(花形。水廣勇太・好演)を救った、女賭博師・かげろうのお勝(座長・水葉朱光)、「これからも気をつけなすって」と立ち去ろうとするのを、「待て!女」と侍が呼びとめる。「女?私にだってれっきとした名前があるんです」「名前はなんと?」「かげろうのお勝ですよ」「カツか」「いえ、トンカツではありません、おカツです!」「それで、これからどちらへ参られる?」「江戸ですよ」「江戸か。ワシも江戸へ参るつもりじゃ、連れて行け」、その横柄さと、あきれかえるお勝つの風情が、何とも(漫才のように)軽妙で、たいそう面白かった。侍、大金の入った豪華な財布をお勝に与え、再度依頼したが、「もし、お侍さん、私がこれを持ってトンズラしたらどうします?」「トン・ズラ?・・・とは何か」「ズラカルことですよ」「ズラ・カルとは何か」「逃げることですよ」「ああ、逐電のことか」「チクデン?駅伝ならわかりますけど」といったやりとりでダメを押し、二人は江戸へ向かうことになった。行き先は、お勝の弟・髪結新三(舞阪錦)の家。お勝と新三は、当分の間、侍の面倒を見ることに・・・。やって来たのが、お勝のイカサマで大損をした博打打ち・猫目の六蔵(潮美英次)、眼科医玄庵の弟子・弥八(水谷研太郎)といった面々で、盲目の侍を中心に、お勝、新三らとの「絡み合い」も、呼吸は絶妙、久しぶりに「関東風旅芝居」の醍醐味を満喫した次第である。筋書きは、侍とお勝つは「惹かれ合い」、相思相愛の縁談が成立、新三とお勝の協力で侍の目が治る、そこに現れたのが侍を探していた当家の家老・近藤某(後見・梅沢洋二朗)、実を言えば、盲目の侍は尾張大納言・万太郎某という「お殿様」であったのだ、かくて「お殿様」と「賭博師」の縁談はあえなく破談、お勝、泣く泣く「万ちゃん」を見送る愁嘆場へと進んだが、大詰め、帰路に就きながら、お殿様曰く「オイ、近藤。もし途中で、ワシがトン・ズラするかも知れんぞ!」。その景色は、あくまでカラッと爽やかで、痛快感あふれる舞台模様であった。座長・水葉朱光の容貌はやや太め、斯界の大御所・若水照代とは風情を異にするが、総帥・若葉しげるの雰囲気は着実に継承している。「見た目」の特徴を活かして、「三枚目」の芸風に徹すれば、より充実した「大輪の花」を咲かせることが出るだろう。従う座員も、二十代の「イケメン」揃い、劇団は今や「旬」、大きく羽ばたけるチャンスが到来したことは間違いない。今後ますますの発展を期待する。
江戸の文化(4)浪曲/講談/普化尺八江戸の文化(4)浪曲/講談/普化尺八
(2003/02/21)
伝統、野坂恵子 他

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-24

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「お吉物語」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「お吉物語」。配役は、明烏お吉に座長・水葉朱光、船大工鶴松に水谷研太郎、大工棟梁に梅沢洋二朗、総領事ハリスと鶴松の母二役が舞坂錦、下田奉行に花形・水廣勇太、居酒屋亭主に潮美栄次・・・、といった面々で、まさに「適材適所」、その結果、たいそう見応えのある「名舞台」に仕上がっていた、と私は思う。「お吉物語」は、あくまで悲劇だが、そのことを踏まえて、お吉と鶴丸が再会、結ばれるまでのハッピーエンドにした「粋な計らい」が心憎い。私はこれまでに「劇団菊」(座長。菊千鶴)、「満劇団」(座長・大日向皐扇)の舞台を見聞しているが、(幕切れ後の)「後味の良さ」では群を抜いていた。明烏お吉、水葉朱光の景色は、まだ菊千鶴、大日向皐扇に及ばないとはいえ、表情・所作・口跡が醸し出す「やるせない」風情(心象表現)は、他を凌駕している。とりわけ、「一言一言」をとぎれとぎれい、噛みしめるように言う、彼女独特の口跡(口調)は、お吉の心情を、いっそう鮮やかに(艶やかに)描出する。文字通り「当たり役」の至芸である、と私は見た。加えて、脇役陣も充実している。アメリカ総領事ハリスと鶴松の母(二役)を演じた舞坂錦の「達者さ・器用さ」(実力)も半端ではない。鶴松曰く、「俺はハリスが憎くてたまらねえ。ところで、おっかあ、おめえ近頃、ハリスに似てこねえか?」、母親、一瞬、舞坂錦の素顔を垣間見せる。また、唐人とさげすまれ傷ついたお吉を温かく迎えながら、「あのね、ハリスさん死んじゃったの」と言われたとき、思わず「ずっこける」姿は絶品、ことの他「絵になる」場面であった。仇役(下田奉行)に回った花形・水廣勇太、「お上のなされよう」に翻弄され、心揺れ動く鶴松役の水谷研太郎、お吉と鶴松を優しく取り持つ棟梁の梅沢洋二朗らも、おのがじし「個性」十二分に発揮した「名舞台」であった。水葉朱光という女優、初舞台は11歳(不二浪劇団)、若葉劇団での修行を経て17歳で座長になった由、体型は「天童よしみ」然、容貌は「浅香光代」で、決して「美形」とは言い難い(御無礼をお許し下さい)が、(魅力的な)「日本の女」を演じさせたら、天下一品、右に出るものはいないのではあるまいか。「健気」「おきゃん」「鉄火」「母性」等々、多種多様な「女性像」を演出し続けてほしいと願いつつ、今日もまた「美味しい料理を賞味した」気分で帰路に就くことができた。感謝。
唐人お吉物語唐人お吉物語
(2006/10)
竹岡 範男

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン



2024-01-23

劇団素描・「劇団竜之助」・《名人・大川龍昇の「至芸」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉
 10月公演の後半(16日から26日まで)、座長の長兄である大川龍昇が応援に来た。大川龍昇は父である初代・大川竜之助から二代目座長を受け継ぎ、それを三代目・現座長に譲って、現在は末弟の椿裕二とともに「劇団大川」を率いている。応援の初日、座長は龍昇に芝居出演を依頼したが、「自分のできる芝居はない」と拒絶し、木馬館での初舞台(?)は舞踊のみとなった。演目は「悲しい酒」をあんこにした「独り寝の子守歌」(唄・美空ひばり)の女形舞踊と、立ち役、「度胸千両入り」の「無法松の一生」(唄・村田英雄)。なるほど、応援の初日、龍昇が「自分のできる芝居はない」と断った理由がよくわかった。この二つの舞踊は、二本の芝居に匹敵する出来映え、「歌は三分間のドラマ」というが、まさに龍昇の「一人舞台」(独壇場)、私自身は当日の芝居「宝子供」を含めて三本の芝居を見聞したような「充実感」を味わうことができたのである。龍昇は、まず一人で舞台に立つことによって、木馬館の客層・客筋を「観察」したのだろう。名人とはこのような役者のことを言うのだと、私は思う。女形舞踊、「独り寝の子守歌」ワンコーラス目は「やや無表情に」「淡々と」、あんこの「悲しい酒」で「思い入れたっぷり」に、美空ひばりを「彷彿とさせる」景色で、ラスト「独り寝の子守歌」に戻ったとたんに、別人(例えば加藤登紀子)のイメージで、かすかな笑みを浮かべながら踊る風情は、どこか杉村春子もどきで、ただものではない「実力」を感じさせるのに十分であった。打ってかわって「無法松の一生」は、どこまでも男臭く、〈泣くな、嘆くな男じゃないか、どうせ実らぬ恋じゃもの〉という村田英雄の「説得」を全身に受けて、ふっと力を抜く風情が、たまらなく魅力的ではあった。
 私が初めて大川龍昇を観たのは、大阪・オーエス劇場。演目は、女形舞踊で「お吉物語」(唄・天津羽衣?)であったが、その時の雰囲気、大阪の空気を「そのまま」運んできたような舞台で、「元気をもらう」だけでなく「思わず嬉しくなってしまう」という(おまけの)土産(大入りの「プロマイド入りティッシュ」など遠く及ばない)までもらって、帰路につくことができたのである。万歳。
お吉物語/黒船哀歌お吉物語/黒船哀歌
(2005/12/07)
天津羽衣

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-22

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「人生花舞台」は娯楽の真髄》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年9月公演・石和温泉スパランドホテル内藤〉                                                                     午後6時から、石和温泉・スパランドホテル内藤で大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。ほぼ半年ぶりに観る「鹿島劇団」の舞台は、「相変わらず」天下一品であった。今日の外題は「人生花舞台」、当代随一の花形役者(春大吉)と、その父(座長・鹿島順一)の物語、前回の感想では、春大吉に対して「やや荷が重かった」と評したが、今回は違う。花形役者の「魅力」を十二分に発揮した「舞踊」(特に顔の表情が爽やかであった)で「合格」、春大吉の精進に敬意を表したい。数ある大衆演劇の劇団の中で、「鹿島順一劇団」の「実力」は「日本一」、それを信じて疑わない私にとっては、舞台を観られただけで「至上の幸せ」、間違いなく「生きる喜び」「元気」をもらうことができるのだ。本来、「娯楽」とはそのようなものでなければならない、と私は思う。「鹿島劇団」のどこがそんなに素晴らしいのか。役者一人一人が舞台の上から、芝居を通して、舞踊を通して、私たちに「全身で」呼びかけているように感じる。「今日も来てくれてありがとう。私たちは力の限り頑張ります。だから、皆さん、元気を出してください。みなさんも頑張ってください」そのようなメッセージが次から次へと伝わってくる。私たちが生きているのは、何のためか。それは「他人を元気にさせるため」である。そのことも、私は信じて疑わない。少なくとも、私にとって「鹿島劇団」は「元気の源」であり、その舞台を観ることで「生きるエネルギー」を補給していることは確かである。今日の芝居、1時間の予定が50分で終わってしまった。座長の話によれば、「芝居を短くすることは、私の特技です。いつかなんぞは、1時間の芝居を30分で終わらせてしまいました。なぜって、誰もその芝居を観ていなかったから・・・。へっへっへ(笑)、誰からも苦情なんか来ませんでした。そんなもんですよ。はっはっはっ・・・。「芝居は長すぎるよりも、短い方が《綺麗》に仕上がります」おっしゃるとおり、今日の「人生花舞台」、私が「短すぎる」とわかったのは幕が下りてから30分後であった。とはいえ、これはあくまで私事、誰にでも通用する話ではないのかもしれない。

人生花舞台人生花舞台
(2005/02/23)
本多綾乃

商品詳細を見る





にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1




2024-01-21

劇団素描・「若葉劇団」・《「お母さんのお弁当箱」と「瞼の母」》

【若葉劇団】(座長・愛洋之介)〈平成20年9月公演・大宮健康センターゆの郷〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 若葉劇団 昭和30(1955)年創立の老舗劇団。役者の本分である芝居を大切にしており、レパートリーは名作狂言、現代劇、新派と幅広いが、中でもオリジナルの芝居が売り物、平成16(2004〉年に総師・若葉しげるが座長を退き、現在は愛洋之介座長が劇団を引っ張っている。座長 愛洋之介 昭和47(1972)年4月8日生まれ。神奈川県出身。血液型不明。どことなく甘さを残した渋みのあるルックスで、芝居は二枚目を演じることが多いが、その剣さばきや舞踊の見事さでも人気を集める。総師・若葉しげる 昭和14(1939)年3月30日生まれ。大阪府出身。血液型A型。6歳で初舞台を踏み、16歳で「劇団わかば」を旗揚げ。寺山修司作品への参加、テレビ出演などで全国的に有名に。特に女形の芝居・舞踊を得意とする。平成16(2004)年10月、東京・浅草公会堂での記念公演をもって座長を退く〉とある。またキャッチフレーズは、〈芝居の名門が今、新たなる船出。名優・若葉しげるとともに歩んできた「若葉劇団」。若葉しげる総師、愛洋之介座長を中心に新メンバーも加わり、今、新たなる航海へ乗り出す。伝統に培われた絶品の芝居力で、さらなる感動を心に運ぶために・・・。〉であった。
 私が初めて大衆演劇を見たのは昭和46年8月、場所は東京千住の寿劇場、まさに「劇団わかば」の公演であった。(当時の若葉しげるは32歳、現在は68歳なので)以来、36年が経過したことになる。若葉弘太郎、若葉みのる(後の若葉愛)といった親族中心の座員で、座長が「女形」という特徴があった。離合集散の激しい斯界で、よく「頑張り」その「暖簾を守り通した」ことに敬意を表したい。
 芝居の外題は、昼の部「お母さんのお弁当箱」、広島の原爆で死んだ子を追想する母親の物語(若葉しげるの一人芝居)で、総師「渾身」の舞台であった。芝居の眼目は、言うまでもなく「反戦平和」、水を打ったように見入る客席の風情は、日本の大衆がいかに「戦争嫌い」かを、証拠立てる「あかし」になったのではないだろうか。この演目は、おそらく総師の「オリジナル」作品、舞踊の「夢千代日記」と並んで、斯界の「名作」に数え挙げられなければならない、と私は思う。夜の部、芝居の外題は「瞼の母」、何と、総師・若葉しげるが「番場の忠太郎」を演じるとあって、客席は「ダブルの大入り」、たいそう盛り上がったが、総師本人の口上にもあったように、「役者の賞味期限は短い」、親子ほど年齢の違う役者が、反対の「親子役」を演じることには無理があった。加えて、総師の真骨頂はかわいらしい「女形」、「渡世人」「遊び人」「股旅姿」は似合わない。もともと、配役に「無理」があったのだが、「ころんでもただでは起きない」のが大衆演劇、その「無理」「不釣り合い」を見事に払拭し、「喜劇・瞼の母」に塗り変えてしまったのが、座長・愛洋之介と一心座座長・若葉隆之介の「絡み」であった。料亭・水熊に出入りするヤクザ(若葉隆之介)と、その一家の用心棒(愛洋之介)が、忠太郎を「闇討ち」にしようとするのだが、忠太郎を待ち受けるまでの用心棒の様子が、何とも可笑しい。「体調不良」で「便意」をもよおす風情はともかく、「早く始末を付けて帰りたい」という「やる気のなさ」や、「忠太郎って、大きい奴?強そう?」「そうだよな、強いに決まってるよな」などと言うセリフが、総師の舞台姿と対照的で、実に「鮮やか」であった。いよいよ、終幕、忠太郎登場、意外な姿に「驚く」用心棒、用心棒の反応に、また笑いをこらえる総師、そのやりとりが「絶妙」で、まさに「名作狂言」を「オリジナル」化(パロディー化)した「名舞台」であった、と私は思う。
 昼の部、舞踊ショーで踊った、若葉ショウタの「河内音頭」(唄・小野由起子?)、北は北海道、南は沖縄までの民謡舞踊・流行歌が盛り込まれており、途中から拍手が沸き上がるほどの「熱演」で、印象に残る「逸品」であった。
絵本 まっ黒なおべんとう絵本 まっ黒なおべんとう
(1995/04)
児玉 辰春

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-20

劇団素描・「藤間智太郎劇団」・《相舞踊「お島千太郎」の名舞台》

【藤間智太郎劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成26年9月公演・島田蓬莱座〉
今日はシルバーウィークの2日目、さだめし充実した舞台が展開されるだろうと期待して来場したのだが・・・。芝居の演目は「長崎物語」?、「大人の童話」?、「源吉渡し」?、しかし残念にも、演じられたのは平凡な任侠芝居であった。対立する一家同士の男・女(座長・藤間智太郎と藤間あおい)は幼友達、久しぶりに神社の境内で再会、一言二言、会話を交わしたが、その様子を見咎めた女の身内(藤間歩)が、女の亭主(橘夫美若)に告げ口する。「兄貴のおかみさんは間男しております。相手は○○一家の、○○○」。亭主、激高して男の成敗に向かったが、もののはずみで「返り討ち」。かくて女は、「亭主の仇」と男を追いかけるという筋書きだが、すべては女に横恋慕する身内の「奸計」に因る結果・・・。つまるところ、中学3年生の息子(藤間歩)が、母親(藤間あおい)に横恋慕、他人(橘夫美若)を使って、父親(藤間智太郎)への仇討ちをけしかけるという舞台裏の人間模様が仄見えて、どこか「無理」があった。とはいえ、「佐吉子守唄」の名舞台では、同様の役回りを見事にこなしていたのだから、今ひとつ、「気が入らなかった」のは何故?。もしかして、祖父・藤間新太郎、従兄弟・藤こうたの欠場が響いたか・・・。いずれにせよ、舞台は水物、こんな日もあるのが「大衆演劇」なのだろう。それかあらぬか、芝居の外題が何であったか、一向に思い出せない。一方、舞踊ショーの舞台は見応えがあった。藤間歩の「女形」は天下一品、姿・形の「美しさ」は見飽きることはない。加えて、圧巻は松竹町子と藤間あおいの相舞踊「お島千太郎」(唄・美空ひばり)、たった3分間の舞台であったが、1時間の芝居以上に「感動的」であった。「花は咲いても他国の春は どこか淋しい山や川 旅の役者と流れる雲は 風の吹きよで泣けもする 渡り鳥さえ一緒に飛べる 連れがなければ辛かろに 口でけなして心でほめて お島千太郎旅すがた 人の心と草鞋の紐は 解くも結ぶも胸次第 苦労分けあう旅空夜空 月も見とれる夫婦笠」(詞・石本美由紀、曲・古賀政男)という名曲に込められた「山や川」「流れる雲」「旅空夜空」の「月」の景色が、二人の舞姿を通して、まざまざと浮かんでくる。また、文字通り、旅の役者の淋しさ、辛さ、苦労を分けあう夫婦の心情も綯い交ぜにされて、筆舌に尽くしがたい風情であった。どこまでも清々しく、それでいて色香ただようお島、彼女に優しく寄り添い、しっかりと手を握る千太郎の(どこか淋しげな)表情は浮世絵のように鮮やかであった。この姑にしてこの嫁あり、そのたしかな絆に励まされて、私もまた「旅空夜空」の余生を重ねる他はないことを実感、思わず落涙した次第である。
新蛇姫様 お島千太郎 [DVD]新蛇姫様 お島千太郎 [DVD]
(2005/06/21)
美空ひばり、林与一 他

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-19

劇団素描・「南條隆一座とスーパー兄弟」・《芝居「花街の母・パートⅡ」》

【南條隆一座とスーパー兄弟】(総帥・南條隆、座長・龍美麗、南條影虎)〈平成23年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
芝居の外題は「花街の母・パートⅡ」。主演は、総帥・南條隆の妻女でスーパー兄弟の母・大路にしき、彼女は関東の有力劇団「章劇」の座長・澤村章太郎の姉ということで貫禄十分、酸いも甘いもかみ分けた「うば桜」役にはうってつけ、まさに「はまり役」であった。本人の弁では今年48歳、花街の母の名前は「奴」、向島の花屋という店で働いている由。家には、娘夫婦が乳飲み子と共に住んでいる。この娘も母親譲りの「男勝り」な性格で、家事一切は夫(南條勇希)まかせ・・・。
ある時、娘が行き倒れの若者(座長・龍美麗)を連れてきた。25歳のイケメンで、聞けば、大阪・料理屋の坊ちゃんで、名前はヒデトシと言う。様子を見れば、激しい腹痛の態、「奴」はヒデトシに一目惚れ(?)、すぐさま医者を呼びにやる。出てきた、この医者の風情が絶品で、医療器具はレジ袋の中、「どれ、口を開けてごらん」と言って取り出した舌圧子は、よくみれば中華そば屋のレンゲ・・・、糸電話もどきの聴診器で診察する様子等などの場面は、抱腹絶倒の連続で、まことに見応えがあった。ところで、この医者を演じたのは誰であったか。もしかして、特別出演の筑紫桃太郎?さて、「奴」の介抱が実り、ヒデトシは順調に回復、それかあらぬか、「奴」を嫁にもらいたいなどと言い出した。さすがに「奴」とまどって、「私の歳、いくつだと思っているの」「23歳でしょ」「もっと上、もっと上」「では怒らないでください、・・・29歳ですか」「怒らない、怒らない、もっと上!」では30、35、40、45、46、47・・・と、小刻みにつり上げてい「奴」とヒデトシの(実は親子の)やりとりが何とも面白かった。つまるところは48歳、それでもヒデトシは動じない。「ぜひ、私と結婚してください」、「奴」も抗えず「それもそうね、愛があれば年の差なんてないもの。24の娘を二人もらったと思ってね」。かくて、両者の縁談は成立したかにみえたが、周囲の者は大反対。「つりあわない」「うまくいくはずがない」等、押し問答の最中に、「奴」、にわかの腹痛でバッタリと倒れ込む。医者の見立てによれば「胃ガンの末期」・・・。場面は一転して愁嘆場へと変わり、「奴」泣く泣く縁談をあきらめた・・・、と思いきや、大詰めで、件の医者、自分につなげた点滴の台車を押して再登場、その容器はペットボトルといった按配で、笑いが止まらない。何を言い出すかと思えば「いやあ、すまない。奴さんの病気は胃ガンではなかった、ただの胃拡張!」、といった落ちがついて舞台は大団円。世の中思うに任せず、そのせつない「うば桜」の風情が、ひときわ鮮やかな幕切れであった。さて、この劇団、達者な役者が揃いすぎて、名前と顔が一致しない。誰が誰やら・・・、などと思ううち、舞踊ショーに颯爽と登場したのは、あの名女優・南京弥(前「南條光貴劇団」)であった。思わぬ宝物を見つけた心地して、心うきうき帰路に就いた次第である。
花街の母/しのび恋花街の母/しのび恋
(2003/10/22)
金田たつえ

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1








2024-01-18

幕間閑話・「藤間劇団」の《魅力》

松竹新喜劇 藤山寛美 DVD-BOX 十八番箱 (おはこ箱) 1松竹新喜劇 藤山寛美 DVD-BOX 十八番箱 (おはこ箱) 1
(2005/12/23)
藤山寛美、渋谷天外(二代目) 他

商品詳細を見る
私が初めて「藤間劇団」(座長・藤間智太郎)の舞台を見聞したのは、1年半前(平成22年5月)、大阪梅南座、芝居の外題は「源吉渡し」。観客数は20人程であったが、何とも味わい深い舞台模様で、文字通り「極上の逸品」、ぜひ(この劇団の舞台を)「見極めたい」と思いつつ劇場を後にしたのであった。以来、機会に恵まれなかったが、このたび幸運にも、関東(佐倉湯ぱらだいす)での1ヶ月公演が実現、思う存分、その名舞台を堪能できた次第である。見聞した芝居は、件の「源吉渡し」を筆頭に、「天竜筏流し」「佐吉子守唄」「伊太郎笠」「稲葉小僧新吉」「白磯情話」などの時代劇、「羽衣情話」「長崎物語」「大人の童話」「大阪ぎらい物語」などの現代劇 、いずれも、眼目は「親子」「兄弟」「隣人」同士の(人情味あふれる)「人間模様」の描出にあると思われるが、それらが見事に結実化した舞台の連続で、大いに満足させていただいた。座員の面々は、責任者の初代藤間新太郎、令夫人の松竹町子、息子の座長・藤間智太郎、嫁(?)の藤間あおい、孫の三代目藤間あゆむ、といったファミリーに加えて、女優・星空ひかる、藤くるみ、若手・藤こうた、客演の橘文若が参加する。初代藤間新太郎の芸風は、一見「木石」の態を装いながら、内に秘めた「温情」「洒脱」「侠気」がじわじわと滲み出てくるという按配で、誠に魅力的である。特に、その「立ち居」は錦絵の様、口跡は、あくまでも「清純」で、聞き心地よく、斯界屈指の名優であることは間違いない。続いて、松竹町子。「達者」という言葉は、彼女のためにあるようだ。爺や、仇役、侠客、遊び人、商人などの「立ち役」はもとより、女将、鳥追い女、芸者などの(艶やかな)「女形」から、その他大勢の「斬られ役」に至るまで、何でもござれ、といった芸風で、文字通り「全身全霊」の演技を展開する。それを見事に継承しているのが藤間あおい。やや大柄な風貌を利しての「立ち役」(仇役)から、乳飲み子を抱く女房役、可憐な娘役まで「達者に」こなす。その凜として、清楚な景色は「絵に描いたように」魅力的である。さて、座長の藤間智太郎、当年とって33歳との由、「形を崩さずに」誠心誠意、舞台に取り組む姿勢が立派である。
旅鴉、盗賊、罪人、板前、漁師、阿呆役などなど、これまた「達者に」演じ分ける。加えて、「長崎物語」のお春(母親)役、「白磯情話」の銀次(女装)役はお見事!、どこか三枚目の空気も漂って、出色の出来映えであった、と私は思う。以上四人の「達人」に、三代目藤間あゆむの初々しさ、橘文若の「個性」、星空ひかるの「女っぽさ」が加わるのだから、舞台模様は充実するばかりであろう。さらに言えば、新人(?)藤くるみ、藤こうたの「存在」も見逃せない。芝居では、ほんのちょい役、舞踊ショーでも組舞踊に登場する程度だが、精一杯、全力で舞台に取り組もうとする「気迫」(表情・所作)が素晴らしい。その姿が、他の役者を活かしているのである。今はまだ修行中(?)、しかし、この劇団にいるかぎり(努力精進を重ねる限り)、「出番はきっと来る」ことを、私は信じて疑わない。「藤間劇団」の魅力は、何といっても「誠心誠意」、いつでも、どこでも「決して手を抜かない」(油断しない)、(座員の)集中力・結集力にあるのではないだろうか。舞台には、つねに役者相互の(立ち回りのような)「緊迫感」が漂っている。「阿吽の呼吸」と言おうか、「切磋琢磨」と言おうか、「しのぎを削る」と言おうか・・・。今月の関東公演、初めての劇場お目見えとあって、観客数は毎回「数十人」ほどであったかもしれない。時には「十数人」のこともあった。にもかかわらず、舞台の景色は「極上」の「超一級品」、私が最も敬愛する「鹿島順一劇団」、芝居巧者の「三河家桃太郎劇団」「劇団京弥」、成長著しい「劇団天華」らに匹敵する輝きを感じたのであった。また、舞踊ショーの途中で行われる座長の口上も聞き逃せない。毎度毎度紹介(宣伝)するのは、次月(「南條隆とスーパー兄弟」)、次次月(「宝海劇団」)に来演する劇団のことばかり、千秋楽前日には、「来月の劇団は、遠く九州からやって来ます。チラッと耳にした話では、初日の公演は、夜の部からになるかもしれないと言うことです。どうか、フロントで確かめてから御来場下さい」という念の入りようで、まず自分のことより「仲間うち(当劇場、他の劇団)を大切にする」誠実さ(爽やかさ)に、私は深い感銘を受けた次第である。今後ますますの活躍、発展を祈りたい。(2011.11.29)



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-17

劇団素描・「劇団夢舞倶羅」・《大座長・高峰調士の「存在感」とラドン温泉の「効果」》

【劇団夢舞倶羅】(座長・高峰調士)〈平成21年11月公演・千代田ラドン温泉センター〉                                 前回の見聞では、大座長・高峰調士(前・南條時宏)の出演が、舞踊ショーのラスト前、個人舞踊(年輪・唄北島三郎)のみだったので、たいそうさびしい思いをしたが、今回は芝居の敵役・丸子一家の親分(外題「安倍川の血煙」)、舞踊ショーでも①組舞踊(さんさしぐれ)、②相舞踊(お初・唄島津亜矢、共演・南條なほみ)、③個人舞踊(音曲は失念)と「出ずっぱり」の大サービスといった感じで、おおいに満足した。大座長は当年とって67歳、「長谷川正二郎劇団」出身とやらで、劇団の芸風は「関東風」、芝居も舞踊も「あっさり味」が特長である。昔(昭和40年代)、千住寿劇場で観たころの「雰囲気」が、そこはかとなく漂っていた。とりわけ、相舞踊「お初」は、曽根崎心中が題材、(練るに練り上げられた)67歳の徳兵衛、30歳代の(脂ののりきった)お初が醸し出す、情死行の「色香」は格別、関西風では観られない「粋な舞台」に、私の涙は止まらなかった。そうなんだ、これなんだ、これこそが「関東風」の《至芸》なんだ。観客は二十名そこそこ、でも舞台は燦然と輝いているのである。
 大座長・高峰調士の「存在」が、いかに大きく重たいものであるかを、改めて「思い知らされた」次第であったが、劇団の推進は、松平涼、その長男・松平龍昇(副座長)、中堅・浮世しのぶ、女優・南條なほみらの「頑張り」に託されている。皆、それぞれに「よい味」を出しているので、あとはチームワーク次第というところであろうか。若手の松平龍昇は、元気いっぱい、精一杯の舞台を務めているが「やや力が入りすぎ」、もっと力を抜いて緩急・メリハリの表情を描出できれば、と思うのだが・・・。
 さて、千代田ラドン温泉センターは、ただの健康ランド、スーパー銭湯ではない。悪性腫瘍(癌)をはじめ、様々な「難病」に効くラジウム岩盤浴の施設を備えている。同様の施設としては、(東日本では)秋田・玉川温泉、福島(三春)・やすらぎ霊泉が有名だが、私は、「ここが一番」だと思う。玉川温泉もやすらぎ霊泉も、「西洋医学」で見離された難病患者で「ごったがえしている」のが実情、いずれも「商魂たくましく」「医は算術」といった景色がほのみえる。しかし、ここ千代田ラドン温泉センターは「別格」である。1回の入館料(1500円)だけで、ラジウム岩盤浴、ラドン温泉は(午前10時から午後10時まで)「入り放題」、岩盤浴場も、①男女兼用(温度低め)、②男女兼用(温度高め)、③女性専用(温度高め)と「至れり尽くせり」で、各室が満員になることは、まずない。入浴客(湯治客)は、何の気兼ねもなく「ゆっくりと」「思う存分」治療に専念できる、といった仕掛けで、そのうえ「大衆演劇」の「元気」がもらえるとすれば、難病患者にとっては、まさに「この世の天国」、「桃源郷」そのものだと断言できるのである。
 ちなみに、案内パンフレットには、以下のような説明書きも載せられている。〈「放射線ホルミシスという考え方」 地球上の生き物は、植物であれ、動物であれ、太古の昔から自然放射線を浴びて進化してきました。つまり、自然放射線に適応し、それを体によいものとして受けとめ、うまくつきあってきたのです。ある研究では、自然放射線をまったく遮断した環境のなかでは、生き物は生きていけないという報告もあります。「たくさんの量だと生物に害を及ぼす放射線が、ごく微量ならば、逆に、生物に有益な効果をもたらす」●微量放射線は、“免疫の司令塔”ヘルパーT細胞を活性化する。●細胞のガン化も防いでくれるというP53遺伝子も活性化する。●万病の元凶・活性酸素を抑える酵素を増加させる。●細胞膜を若返らせ、アンチエイジング効果も期待できる〉 
 もはや信じる他はない、と私は思う。
毎日天然ラドン温泉&岩盤浴パワー!体の芯から暖め健康に!【桐箱入りラドンボール1kg】毎日天然ラドン温泉&岩盤浴パワー!体の芯から暖め健康に!【桐箱入りラドンボール1kg】
()
暖かホルミ

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-15

劇団素描・「劇団花凜」・《芝居「女小僧花吹雪」の名舞台》

【劇団花凜】(総座長・梅乃井秀男)〈平成22年11月公演・柏健康センターみのりの湯〉
この劇団は結成されてまだ二年に満たない。これまでの「梅乃井秀男劇団」と「山口覚劇団」が合併して誕生したとのことである。一座の面々は、総座長・梅乃井秀男、その弟、座長・梅乃井けん字、座長・山口一見、若手・梅乃井みき、後見・山口さとる、といった顔ぶれである。芸風は「関東風」、歯切れの良さ、あっさり味、軽妙・洒脱な舞台模様が特長だと思われる。芝居の外題は「女小僧花吹雪」。仇役の侍(座長・山口一見)に金と愛人をだまし取られ、身投げをしようする大阪の若旦那(座長・梅乃井けん字)。そこに通りかかったのが女小僧(総座長・梅乃井秀男)に助けられるという、痛快人情剣劇で、その出来栄えは天下一品。たいそう面白かった。どちらかといえば「女形系」の「梅乃井劇団」と、「立ち役系」の「山口劇団」が、互いに「いいとこ取り」をした結果とでもいえようか。これまで足りなかった部分を補い合う風情で、見応えのある舞台に仕上がっていた、と思う。とりわけ敵役・山口一見のコミカルな所作・口跡は秀逸、それに従う子分連中(若手俳優陣)との呼吸もピッタリで、かつての「ドリフターズ」もどき、の景色を存分に楽しむことができた。加えて、梅乃井秀男扮する「女装盗賊」の色香、元締め・後見・山口さとるの貫禄、二枚目・梅乃井けん字の「浪花気質」、愛人役(芸名不詳・女優)の「あばずれ加減」等々、見所が随所に散りばめられ、まさに適材適所、二座合体の成果が十二分に発揮された舞台であった。舞踊ショーでは、梅乃井みきの個人舞踊が出色、子役から思春期に移り変わった様子が、なんとも頼もしく清々しい。舞台姿は、名優・三河屋諒にも匹敵する風情で、将来が楽しみである。また一つ、見極めなければならない劇団に出会えたようだ。こころウキウキ、胸躍らせて帰路に就くことができたのであった。
御存じ弁天小僧御存じ弁天小僧
(2011/04/19)
美空ひばり

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-14

劇団素描・「剣戟はる駒座」〈倭組〉・《芝居「やくざ巡礼」の舞台模様》

【剣戟はる駒座】《倭組》(座長・不動倭)〈平成25年11月公演・千代田ラドン温泉センター〉
劇団のパンフレットによれば〈2013年9月より一座刷新の為、二座構成に改成した剣戟はる駒座。津川竜を総座長、勝龍治を総裁とし、二座の指導・育成に当たります。津川鵣汀・不動倭がそれぞれの座長に、津川しぶき・津川隼がそれぞれの副座長に昇格します。二座が二劇場それぞれ独立した形で公演する事により益々パワーアップする剣戟はる駒座にご期待下さい!〉ということである。なるほど、そうだったのか。だとすれば、これは単なる「暖簾分け」ではない。いわば鵣汀組が「本店」、倭組は「支店」ということ、「剣戟はる駒座」が「益々パワーアップ」を図れるかどうか、固唾を呑んで観劇しなければなるまい。芝居の外題は「やくざ巡礼」。兄貴分の佐太郎(勝小虎)の留守中に、その女房・おみね(芸名不詳・女優)を「物にしよう」とつけ狙う親分(ゲスト出演・ビリケン)と衝突、はずみで親分を刺殺してしまった富蔵(座長・不動倭)の物語である。子分たち(勝彪華・他)から「間男」の濡れ衣を着せられて、凶状旅に出ようとする富蔵に向かって、おみねが懇願する。「どうか私と倅の新吉(芸名不詳・子役)も連れて行っておくんなさい」。「それはできねえ」といったんは断ったが、よくよく考えれば大切な兄貴の女房と息子、守ってやれるのは自分しか居ないと、同行を承諾した。以後は、どこか「沓掛時次郎」の景色も添えられて、女、子連れの難行苦行が続く。終には、立ち寄った宿でおみねは病死・・・。やむなく富蔵は新吉の旅支度を整えて、祖父母宅への一人旅に送り出す。新吉を演じた子役、手甲・脚絆の巡礼姿になったとき、目にいっぱい涙をためての名演技、富蔵も涙、客席も涙、涙、涙・・・。「お見事!」という他はない。やがて、子分たちから「間男」の話を聞かされて、佐太郎が駆けつける。問答無用で斬りつけたが、富蔵は自刃。「こうでもしなければ、兄貴は俺の話を信じてくれないだろう」。佐太郎「すまねえ」と悔やんだが後の祭り、立ち戻った新吉を抱きしめながら、富蔵は絶命する、といった筋書きで、さすがは「剣戟はる駒座」、その名に恥じない名舞台であった、と私は思う。役者一同は、今回も「ピンマイク」を使わない。棒立ちの脇役は皆無、それぞれが、自分の役割を「表情」「所作」で精一杯果たしている。倭組、支店とは言え、今後の益々のパワーアップは間違いないだろう。とはいうものの、不動倭、勝小虎の魅力は、あくまで本店の中で輝くことができることも忘れてはなるまい。これまで、不動倭には晃大洋、勝小虎には津川竜という、力強い「後ろ盾」があったのだ。観客(私)は双方の「阿吽の呼吸」「絶妙のコントラスト」を楽しむことができたのに・・・といった「一抹の不安・淋しさ・無念さ」を払拭できないこともまた事実なのである。「動」の倭、「静」の小虎、合わせて「侠」「剛」「朴」は倭、「粋」「爽」「艶」は小虎といった分担が功を奏し、その曼荼羅模様が楽しめたら、などと身勝手な思いを抱きながら帰路に就いた次第である。今後の精進・活躍に期待する。
巡礼巡礼
(2009/08/28)
橋本 治

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-13

劇団素描・「劇団春」・《芝居「一姫二太郎三カボチャ」と「つり忍」》

【劇団春】(座長・二代目姫川竜之助)〈平成22年11月公演・小岩湯宴ランド〉
午後1時30分から、小岩湯宴ランドで大衆演劇観劇。「劇団春」(座長・二代目姫川竜之助)。この劇団は、九州屈指の人気劇団「劇団花車」(座長・姫京之助)、初代姫川竜之助が後見を務める「劇団光栄座」(座長・滝夢之助)とは、座長同士が(異母?)兄弟という間柄。座員も花形・姫風蘭丸、若手リーダー・姫川寿賀、若手・姫川丸斗、姫春之助、姫川家紋、姫川結叶、女優・姫川小代美、姫川世季、姫川鈴蘭、姫川未来、姫川咲、姫川寧々、姫川流生、子役・竜虎、姫風凜、姫風芽衣、姫風杏、といった大所帯で、その舞台模様はまことに賑々しく、活気溢れる景色の連続であった。芝居の外題は、昼の部「一姫二太郎三カボチャ」。藤山寛美率いる松竹新喜劇「もどき」の現代劇で、母(姫川小代美)の還暦祝に集まった兄弟愛の物語。長男一郎(姫風蘭丸)、三男三郎(姫春之助)は出世して都会生活、長女(姫川寿賀)も大金持ちに嫁いで、羽振りの良さを自慢し合う。その様子が庶民の生活とは「雲泥の差」、その荒唐無稽な「よた話」が何とも面白かった。一方、次男二郎(座長・二代目姫川竜之助)は、未だに百姓暮らし、金満生活とは無縁の風情だが、実は父親の遺産(農地と貯金)をしっかりと守っており、長男一郎の借金を肩代わりして、めでたしめでたし、というお話である。座長の舞台姿は、兄・姫京之助そっくりで、さすがは「貫禄十分」。花形・姫風蘭丸、若手リーダー・姫川寿賀、若手・姫川春之助の演技も「歯切れ良く」、まさに大所帯ならではのチームワークが見事であった。加えて、一郎の借金を取り立てに来たサラ金業者(姫川丸斗)の風情も格別で、舞台を引き締めるのに十分であった、と思う。夜の部、芝居の外題は「つり忍」。大店のぼんぼんで勘当された若旦那・定次郎(座長)と、その愛妻・おはん(姫川寿賀)の純愛物語。聞けば、山本周五郎原作とやら・・・。筋書は以下の通りである。〈江戸の下町に住むおはんと定次郎は評判のおしどり夫婦。定次郎は大店の息子だが遊びが度をこし、おまけに芸者だったおはんと結婚したため勘当されている。だが、定次郎は所帯を持ってからは性格が変って働き者になった。ある日、定次郎のるすに兄の佐太郎がおはんを訪ね「家業をつがせたいから弟と別れてくれ」と切出した。《’66.04.19朝日新聞朝刊番組欄より》〉舞台は江戸の下町、その風情を九州の劇団が醸し出すことは容易ではあるまいに・・・。でも出来栄えは秀逸、とりわけおはんを演じた若手リーダー・姫川寿賀が描出する「色香」と「憂愁」は一幅の屏風絵のように艶やかであった。どちらかと言えば「豪放」「絢爛」な九州の芸風のなかで、浪花風、江戸前の「人情」描写に取り組もうとする座員一同の姿に、深い感銘をおぼえた次第である。
山本周五郎全集〈第26巻〉釣忍・ほたる放生 (1982年)山本周五郎全集〈第26巻〉釣忍・ほたる放生 (1982年)
(1982/04)
山本 周五郎

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-12

劇団素描・「劇団新」・《若手台頭の「名舞台」二つ》

【劇団新】(座長・龍新)〈平成25年11月公演・みのりの湯柏健康センター〉
昼の部、芝居の外題は「竹とんぼ」。幼少の頃、父親に作ってもらった竹とんぼを髪に挿しながら、その父を探し続ける旅人(龍錦・16歳)の物語である。ある茶店で土地の与太者(秋よう子)に襲われた娘(千明ありさ)を助け、その娘の一家に草鞋をぬいだ旅人、娘に見初められてしまったが、一家の代貸し(座長・龍新)や、その子分(千明みな美・好演)は面白くない。いずれは、親分(指導後見・龍児)を除けて跡目を継ごうと企む代貸しと旅人の「対決」が見所だと思われるが、私は(舞台に色を添える脇役として登場した)一家の三下役・豆太(小龍優・13歳)の「達者振り」に舌を巻いてしまった。芸達者が揃う座員連中に混じって、一歩も引けを取らない「堂々とした」舞台度胸は、ただものではない。(ベテランの)下女役・おなべ(千明あず美)との「色模様」も格別、さらに言えば、娘に焦がれたが、けんもほろろに振られまくる子分役、千明みな美の風情もたまらなく魅力的・・・、要するにこの舞台、筋書きの本筋以上に、脇役陣の「見所」満載といった景色で閉幕となった。夜の部、芝居の外題は「三人出世」。故郷の河内を出て一旗揚げようと江戸に向かった、若者三人の物語である。誰が一番出世をするか、三年後に日本橋で落ち合おうと約束して別れたが、「生き馬の目を抜く」ような江戸で身を立てることは容易ではない。三人とも、食い扶持にありつけず「身投げをしよう」と覚悟したが、その時、助けてくれた人の「差異」によってその後の運命は一変する。島やん(千明将人)は大金持ちに助けられ今では立派な「高利貸し」、(愚図の)友やん(龍児)は、温情豊かな親分(秋よう子)に助けられ今では(頼りない)「十手持ち」、不運だったのは定やん(座長・龍新)、大泥棒に助けられ今では「怪盗定吉」と手配書がまわる「追われの身」。三者三様の運命が「絡み合い」、大詰めの「涙」に結実化する展開はお見事、これこそ大衆演劇の「真髄」、関東人情芝居の醍醐味を十分に堪能することができた。この舞台もまた見所満載、龍児演じる友やんと、秋よう子演じる親分の(コミカルな)「絡み」は絶品、とりわけ、ドジで間抜けな友やんの風情と、その頭を叩きながらたしなめる親分の呼吸もピッタリで、抱腹絶倒場面の連続であった。「追われの身」定やんの景色も秀逸、身をやつした黒装束の中に、生来の侠気、温情も秘められ、文字通り「悲運のスター」の気配が散りばめられる。また、島やんは、(これまでの)ベテラン・立花智鶴に代わって若手・千明将人?(確証はない)、「幸運」の上に胡座をかいている傲慢さ、友やんの諫言を聞きながら次第に力が脱け、「改心」(反省)して土下座をするまでの「一瞬・一瞬の」の表情・所作が素晴らしい。思わず「あの役者さんは誰、この劇団にあんな人いたっけ?」と心中で呟いてしまった。
 かくて、これからの「劇団新」は《若手台頭》の最盛期、従来にも増して数々の「名舞台」が演じられるだろう、と確信しながら帰路に就いた次第である。感謝。
竹とんぼ竹とんぼ
(1998/05/21)
堀内孝雄

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-11

劇団素描・「座KANSAI」・《関東公演「再挑戦」、着実な一歩》

【座KANSAI】(座長・金沢つよし)・〈平成23年11月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団の舞台はほぼ2年前に、浅草木馬館で見聞済み。その時は、関東初公演(?)だったか・・・。客との呼吸が「今一息」合わず、いわば「不入り」状態であった。座長曰く「まだまだ私自身の力不足。勉強して出直して参ります」。したがって、今回の関東公演は、座長にとって「再挑戦」(リベンジ)の舞台であるに違いない。金沢つよしという座長は、誠実・真面目そのものといった風情で、前回とは一味違った舞台模様を描出していた、と私は思う。芝居の外題は、昼の部「下郎の首」、夜の部「雪と墨」。いずれも大衆演劇の定番だが、この座長の演出は「お決まり」ではなかった。「下郎の首」は、赤穂藩士・侍(座長・金沢つよし)と旗本大名(金沢けいすけ)が旅先で対立、そのきっかけを作ってしまった下郎(金沢じゅん)が自害して首を差し出す。赤穂藩士がそれを抱いて旗本大名に仇討ちをする、という筋書きだが、今回の舞台では、なぜか藩士と旗本が「和解」してしまう。「泣きを見た」(損をした)のは下郎一人だけ、しかも、旗本が下郎の首を見て「忠義の極み」と褒めちぎる結末は、何とも異色・ユニークで面白かった。「意地の張り合い」で犠牲になった下郎の悲劇を通して、「虚妄」な武家社会を糾弾することが眼目かもしれない。そういえば、夜の部の芝居「雪と墨」の結末も異色であった。筋書きは定番。町人から武士に成り上がった兄(座長・金沢つよし)と、大工職人のまま貧乏を続ける弟(金沢じゅん)が対立・葛藤する物語である。兄弟の母親(責任者・鶴浩二)は、兄のもとに身を寄せているが、「日にち毎日」その嫁(虹心しぐれ?・好演)に「いびられ通し」。夫の兄は、それを見ても何もできない。嫁と実家のおかげで武士になれたからだ。とうとう、自分の身を守るために母親を追い出してしまった。見かねた弟が母親を引き取って、つつましく暮らしているのに、兄と嫁の言動は収まらない。それを見た兄の上司・奉行(金沢けいすけ)が一計を案じた。弟を兄より格上の侍に引き立てる。その披露目の席で兄と弟の立場は逆転、弟は兄から被った「仕打ち」を再現する。今度は、兄が弟に「ひれ伏す」羽目となった。通常なら、ここで弟が「兄貴!いったいどうしてしまったんだ。昔はお袋思い、弟思いの兄貴だったのに・・・」と優しく諫め、兄、嫁ともに「改心」、一同めでたしめでたしの「大団円」となる段取りになるはずだが・・・。この劇団の兄嫁は一向に改心せず、「さあ帰りましょう、とんだ赤恥をかかされました。私の実家に戻って、新しい仕官の口を探せばよいのです」と言い放つや、瞑目している兄を引きずっていこうという気配。それには、たまらず兄、立ち上がって嫁を見据えると「一刀両断」に斬り捨てた。仰天する母と弟の前で、兄自身もまた(敢然と)切腹、共に相果てるという「衝撃的な」愁嘆場で幕となった。どこまでも誠実・真面目な風情の座長・金沢つよしが演じる「仇役」の景色も絶品で、客席に向かってみせる「葛藤の表情」が一際鮮やかであった。ここにも、暗に「武家社会」の「驕慢さ」を糾弾しようとする劇団独自の眼目が仄見える。かくて、「座KANSAI」は、関東公演「再挑戦」の第一歩を、着実に踏み出したように、私は感じる。頑張れ!
新東宝傑作コレクション 下郎の首 デジタルニューマスター版 [DVD]新東宝傑作コレクション 下郎の首 デジタルニューマスター版 [DVD]
(2007/02/24)
田崎潤、片山明彦 他

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-09

劇団素描・「藤間劇団」・《芝居「長崎物語」は、大衆演劇の「真髄」》

【藤間劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成23年11月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
相変わらず、この劇場の客席は閑散としている。土曜日の昼だというのに観客数は20人弱・・・。夜の部ともなれば10人以下になることもしばしばだとか。この前などは、開演時刻になっても4人しかいない。急遽、芝居はとりやめ、舞踊ショーだけになってしまった。観客(常連)の多くは、「原因は、劇場の方にある」と思っている。要するに、劇場が「客を集める努力をしていないからだ」ということ、事実、今日も私が入場券をフロントで手渡そうとしたとき、従業員の女性は「電話をかけながら」ロッカーキーを差し出す始末で、「いらっしゃいませ」の一言もなかった。加えて、そのロッカーキーは「女性用」ときている。なるほど、常連客が怒るのも、もっともな話である。にもかかわらず、舞台の上は別世界、今日もまた「藤間劇団」極上の芝居を二つ、(幸運にも)堪能できたのである。昼の部の外題は「馬喰一代」。馬市で自分の育てた馬が三十両で売れた馬喰(座長・藤間智太郎)から、土地の親分(初代藤間新太郎)が、その売上金ばかりか恋女房(藤間あおい)までも騙し取るというお話。その方法は、常道のイカサマ博打、壷を振ったのが馬喰の親友(橘文若)という設定で、この四人の「絡み」は絶妙の呼吸で、寸分の隙もない見事な舞台模様であった。圧巻は、初代藤間新太郎の「悪役」振り、「御祝儀博打」と言いながら、はじめは五両、次は二十五両、最後は女房まで奪い取ろうとする、その手口の鮮やかさ(あくどさ)はお見事、さすがは初代、永年の舞台経験で鍛え上げた風格、貫禄に、私は惚れ惚れとしてしまった。さればこそ、馬喰の軽率さ、親友の悔恨、恋女房の哀れさが、いっそう際立つのである。役者の台詞回しではなく、表情、所作、絡みだけで「悲劇」を描出する、極上の芝居に仕上がっていた、と私は思う。夜の部の外題は「長崎物語」。幕が上がると、けたたましい女の悲鳴、札付きのワル、上海の虎(藤間あおい)が、長襦袢姿の娘(藤間くるみ)を拉致しようと追いかけてきた。助けに入ったのが着流しの遊び人(松竹町子)。「いったいこの娘さんをどうしようとするんです」「上海に売り飛ばすんだ!」「へええ、この娘(と、まじまじと顔を見つめながら)、売れるんですか」「若けりゃあ売れるんだよ、顔は少々不細工でも」といったやり取りがなんとも面白かった。遊び人、娘をかばって立ち回ったが、多勢に無勢、虎の仲間に絡めとられ、海に投げ込まれてしまった。そこに表われたのが朴歯を履いた書生(藤間あゆむ)、「待ちたまえ、その娘さんをどうするのだ」虎「いろんな奴が出てきやがる。娘は上海に売り飛ばすんだ」「人身売買は法律で禁止されている。やめたまえ」「・・・何?」などという絡みも魅力的、同様に立ち回りとなったが、今度は書生が優勢、虎、ピストルを持ち出したが、それを奪い取ると娘を連れて花道へ、振り向きざまに一発発射、虎はあえなく崩れ落ちた。虎を演じた藤間あおい、姑(?)松竹町子同様に、「立ち役」を、なんなりとこなす。娘役、女房役、老け役、「立ち役」二枚目、敵役、何でもござれの名優である。札付きのワル・虎においても、その歯切れのよい風情がたいそう魅力的であった。舞台は替わって、ここは長崎の料亭「海賊亭」。件の書生、娘を連れてやってくる。「ただいま、お母さん、今、帰りました」。出てきたのは女主人・お春(座長・藤間智太郎)。座長の女形姿を芝居で観るのは初めてであったが、今日の役どころにはピッタリで、たちまち、その艶姿に魅せられてしまった。聞けば、娘の窮地を救った由、「いいことをしなすった。このお菓子をたべて、一休みしなさい」「ありがとう。おかあさんの手作りですね」「ちがうわよ、コンビニで買ったのよ」という絡みが笑いを誘う。「おかあさん、この娘さんに着物を貸してあげてください」「いいわよ」「おかあさん、地味でない着物がありますか」「まあ、失礼な、なんなら花魁の衣装、出してきましょうか」などと言いながら一同退場。やってきたのが、鳥打帽の警吏(橘文若)、どうやら海賊亭の常連らしい。「ごめんください、お春さん」出てきたお春「まあ、タチバナサン!まだお店は開いていませんよ」「いえ、今日は違うんです。息子さんに聞きたいことがあってきました。メリケン波止場で殺人があり、息子さんが逃げていったという話があるんです」「あらそうですか、息子はまだ帰っていませんよ」。入れ替わりにやってきたのが、どこかの女中頭(星空ひかる)、「大蔵卿・種島某(初代藤間新太郎)の使いで来ました。大蔵卿が息子さんに会いたい由・・・」。実を言えば、件の書生はお春の「拾い子」、大蔵卿が妾腹の実子であったのだ。お春「今さら、そんな話は聞けません」と追い返すが、よく考えれば、息子は殺人犯、書生に真相を明かした上、「お父様に助けてもらいなさい」と因果を含める。書生は泣く泣く大蔵卿のもとへ参上、「親子名乗り」を果たしたが、そこへやってきたのが警吏、「息子さんを殺人容疑で逮捕します」。書生「お父さん、助けてください」と縋ったが、大蔵卿、冷淡にも「人殺しの息子など、見たくもない。さっさと連れて行け」さっき「親子名乗り」で抱き閉めてくれた父親が、手のひらを返すような仕打ちに書生は激昂したが、万事休す、あわれな曳かれ身となった。大詰めは、メリケン波止場、書生を見送るお春と娘、「お母さん、罪を償って帰ってきたら、家に入れてくれますか」「もちろんですとも、私は育ての親、あんな薄情なお父さんとは違います」などと言葉を交わしているところに、序幕の遊び人、ふらりと登場する。「警吏さん、その書生さんは犯人じゃあありませんぜ」「・・・?、では、だれが犯人だというのか」「あっしですよ。上海の虎の傷を見ましたか?たしか、背中にあったはずですよ。あっしが海から這い上がり、後ろから撃ったんだ」一同は唖然、収まらないのはお春、「いいかげんにしないか、タチバナサン!」といって警吏を突き飛ばす。その様子は痛快の極致、わずか二十人弱だが観客の拍手は鳴り止まなかった。警吏に手錠をはめられながら遊び人曰く、「タチバナサン、手錠をはめるの慣れていませんね。いつもはめられる方だから・・・」という「落ち」も添えられて、めでたしめでたし、極上の舞台は大団円を迎えたのであった。この芝居、座長・藤間智太郎のお春を筆頭に、上海の虎の藤間あおい、遊び人の松竹町子、書生の藤間あゆむ、大蔵卿の初代藤間新太郎、女中の星空ひかる、娘の藤くるみ、虎の部下・藤こうたに至るまで(主役から端役まで)、全員が文字通り「適材適所」、オールスターで輝いていた。まさに「極上」の芝居が、人知れず、閑散とした劇場の中で展開されている。それが「大衆演劇」の宿命(真髄)なのかもしれない、と思いつつ、季節外れの驟雨の中帰路についた次第である。
メリケン波止場メリケン波止場
(2003/12)
かどもと みのる

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-08

劇団素描・「橘小竜丸劇団」・《芝居「お島子守唄」の舞台模様》

【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸、橘龍丸)〈平成24年11月公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は「お島子守唄」。若座長・橘龍丸が、女形で主演するとあって、期待は増すばかり、第一部のミニショーから客席は盛り上がっていた。幕開けから橘龍丸登場、股旅物の個人舞踊(「母恋鴉」?)、続いて橘小龍丸の「洋舞もどき」、さらに客演の桂木小祐司・松川翔也の「相舞踊」へ、極め付きは小龍丸の歌唱「恋月夜」まで添えられて、たいそう充実した舞台であった。客席最後部には、ケバいおばちゃん連中が陣取り、「座長!」「タツマル!」などと、威勢のいいかけ声が飛び交う・・・。さて、第二部は、お目当ての芝居「お島子守唄」。しかし、これがいけなかった。主演の龍丸いわく、「今日は女形の芝居を観ていただきましたが、なんとも胃がもたれるお芝居で・・・、明日はスカッとするお芝居ですから・・・」。その「胃がもたれる」筋書きは以下の通りである。〈ある大店の娘・おさきが行方不明、女将が手代、女中に探させている。やがて、おさき登場、聞けば、妹のおみよを探していたとのこと。おみよは先妻の子で腹違い、○○期の病気が元で「口がきけない」。後妻の女将は、連れ子のおさきを溺愛、おみよを「日常的に虐待」している。そんなとき、十年前に島送りになり「死んだ」と思われていた、先妻のお島(座長・橘龍丸)が帰ってきた。旦那(座長・橘小龍丸)と対面、旦那は、しどろもどろで、経緯を説明するのだが、お島は納得しない。「憎いのは後妻の女将と、その娘・おさき、恨みを晴らしてやる!」と、思ったかどうかは不明だが、寝静まったおさきの寝所に闖入、殺害に及んだ。と、思いきや、そこに居たのは娘のおみよだった。ああ、万事休す。おみよの亡骸を抱いて自刃する〉。といった、なんともやりきれない結末で、大入りの客席は静まりかえってしまった。閉幕後、明るくなった客席で、件のケバいおばちゃん連中を見やると、皆一様に「眠っている」。その光景の方が、私には面白かった。喫煙所に行くと、席をゆずりながら別の女性客が私に声かけた。「男の人でも、今のお芝居、泣けますか」、泣ける泣ける、なんでこんな芝居を観てしまったんだろう、といった自分のふがいなさを恨むほかはなかった。第三部は「女形大会」、といっても男優は、小龍丸、龍丸、つばさしかいないではないか・・・、先ほどの「胃もたれ」が災いしてか、十分には楽しめなかった。芝居に出番がなかった小祐司、翔也の「上達ぶり」が、せめてもの救いであったか・・・。とはいうものの、小竜丸、龍丸の「女形」は絶品、「ほどほどの」元気を頂いて帰路に就いた次第である。ああ、シンド!
女形フォトガイド「大衆演劇」女形フォトガイド「大衆演劇」
(2008/02)
尾形 隆夫、橘 大五郎 他

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-07

劇団素描・「藤間劇団」・《芝居「大人の童話」の名舞台》

【藤間劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成23年11月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
昨日は休前日だというのに、夜の部の公演は「観客不足」(観客は私一人)のため中止となった。いわば「幻の舞台」になってしまったわけだが、今日は、ぜひともその「幻の舞台」を観たいという思いでやって来た。昨日、昼の部、劇団極め付き「源吉渡し」の舞台を見聞できたことは、望外の幸せであった。その舞台模様は、昨年5月・大阪梅南座と同様に、斯界屈指の出来映えであった、と私は思う。にもかかわらず、それを見聞した観客はわずか十人余り、加えて、夜の部公演が中止とあっては、ここ「佐倉の地」の文化程度(の低さ?高さ?)を嘆くしかない。千葉県民、佐倉市民には、この劇団の(舞台の)素晴らしさを感受する鑑賞眼が「致命的に」不足しているのである。まあ、そんなことはどうでもよい。今日の芝居、外題は「大人の童話」、なるほど、私の予感どおり「幻の舞台」に匹敵する「超一級品」の舞台模様であった。幕が上がると、そこは、ある居酒屋の店内、女将・おしま(藤間あおい)が、父(初代藤間新太郎)と息子金一(三代目藤間あゆむ)の帰りを待っている。「二人ともどこに行ったんだろう?早く帰ればいいのに・・・」など言ううちに、やがて二人が帰ってきた。「おじいちゃん、バットとグローブ買ってよ」「そのうちに買ってやるよ」、おしまの父(金一の祖父)曰く「運動具店まで行ったが、バットとグローブで4800円だって、わしの懐には2000円しかなかった、ずいぶんと物価が上がったもんだ。ところで福三さん(おしまの夫)はどこへ行った?」おしま応えて、「トンカツ屋の小泉さんの所へ行ったわ、いつもの通り、夫婦げんかの仲裁よ」。そこに慌ただしく飛び込んできたのが旧知のお米(星空ひかる・好演)。「大変、大変!滝沢さんが倒れて危篤状態だって・・・。奥様の話だと、おしまさんと金坊に一目会いたいんだそうよ」思わず顔を見合わせるおしまと父・・・。実を言えば、おしまは滝沢という御大尽の元妾、息子の金一はその御落胤だったのである。その真相を知っているのは、おしまとその父、お米夫婦というところか。おしまはすぐにでも駆けつけたい素振り、はじめは渋っていた父も「これが最後だ。福三さんを一生愛し続けると約束できるなら、一人で死に水をとってこい」と許した。お米、「善は急げ」とタクシーを呼びに出て行った「でも、福三さんに何と言い訳しよう?」「お米さんとコンコン様参りに行ったとでも言えばよい」ヨシキタと、おしま、外出の衣装に着替えて出てきたが、間の悪いことに夫の福三(座長・藤間智太郎)が、トンカツ屋の小泉(橘文若)を連れて帰ってきた。おしま、平静を装って「お前さん、どうだった?」「どうもこうもない、いつものことさ。なあ、小泉さん」小泉曰く「皆さん、聞いてくださいよ。私と家内が歩いていると、家内のやつ、男をつかまえて話し出した。聞けば、学校時代のクラスメートだって言うんです。許せますか?」「小泉さんと出会う前の友達じゃあないか。二人で映画でも楽しんでおいで、くらい言ったってどうということはない。・・・なあ、おしま?」おしま、返事に窮して「・・・、お父さん、どう思いますか」、父も窮して「・・・まあ、いいんじゃないの」といった絡み具合が絶妙。はたして、福三が、おしまと滝沢の結びつきを知ったとき、「出会う前のこと」と許してくれるだろうか、何も知らない福三の鷹揚な言動に半ば胸をなでおろし、半ば怖れをいだくおしまと父の気配は、文字通り「迫真の演技」で、たいそう面白かった。結局、おしま、外出を思いとどまったが、間の悪いことに、お米の亭主(松竹町子)がやって来る。髪はボサボサ、分厚い眼鏡をかけた、風采の上がらぬ風情が何とも魅力的で、「迎えの車が来たぜ」など言ってみたが相手にされず、何が何だかわからないうちに追い返されてしまった。かくて、一件は落着し、福三と金一はキャッチボールをしに外出、おしまと父、やれやれと胸をなで下ろしている所に、お米夫婦が、またまた、あわてて飛び込んでくる。「大変、大変!滝沢さんが遺言で、金坊に3000万円贈るだって・・・」父「そんな金もらうわけにはいかない」、おしまも同様に断ったが、お米曰く「もったいない!もらえばいいじゃない。お父さんが宝くじに当たった、とでも言うのよ」父「そんな嘘はつけない」と渋ったが、金はいくらあっても邪魔にはならない、という誘惑には勝てなかったか、片棒を担ぐ羽目になってしまった。帰ってきた福三、一同が揃っているのを訝っていると、新聞を手にした父、お米にせっつかれながら「当たった、当たった」、福三「何?当たった?それは大変だ」と言いながら洗面器を持ってくる。父の新聞をひったくって洗面器に敷きながら、背中をさすり始めた。父「何をするんだ」福三「当たったんでしょう。早く吐きなさい。食あたりは怖いんだ」父(新聞を取り戻して)「違う違う。宝くじに当たったんだ!3000万円!」福三「えっ!どれどれどこに」と新聞紙をのぞき込む。父「おれが当たったと言うんだから間違いない。さあ貰いに行こう」と、おしま、お米を連れて逃げるように外出。なぜか、残されたのがお米の亭主、福三に呼びとめられ、何かと思えば「まあ一杯、祝い酒といきましょう。何せ3000万円の宝くじに当たったのだから・・・」亭主、断るわけにもいかず、一杯、二杯と飲み干すうちに、「しかし、たいしたもんだ。3000万円の宝くじを遺産に残すなんて」と、口走った。福三「今、何て言った?遺産?」と問い詰める。亭主、しどろもどろに言い訳をしていたが、「本当のことを言え!」と福三に一喝されるや、真相を暴露、そのままバッタリとテーブルに俯してピクリとも動かない。やがて駆け込んできたお米に叩き起こされ、こけつまろびつ、引っ込む景色は「天下一品」、抱腹絶倒の名場面であった。さて、舞台は大詰め、すべてを知った福三、「家を出る」と決意するが、金一に「行かないで、お父さん」と泣いて縋られては抗えない。「・・・わかった。もう出て行くなんて言わないよ。お前は俺の子だもの・・・」生みの親より育ての親、その胸中は「納得」だが、女房おしまと舅にだまされ続けた心の傷をどう癒す・・・、幸か不幸か、3000万円の小切手を手にして帰った舅に向かって一言、「滝沢銀行からおろしてきたんだろう?」。その寂しげな(座長・藤間智太郎の)風情は珠玉の「逸品」、今日もまた、極上の舞台を堪能できたことに感謝したい。座長の話では、この芝居、「松竹新喜劇」の演目だとの由、ではいったい藤山寛美の役どころや如何?、そうだ、あのお米の亭主に違いない、などと勝手な想像をめぐらしつつ帰路に就いた次第である。
枝雀落語大全(1)枝雀落語大全(1)
(2000/04/26)
桂枝雀

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-06

劇団素描・「劇団荒城」・《座長・荒城真吾の「真骨頂」と「課題」》

【劇団荒城】(座長・荒城真吾)〈平成21年11月公演・柏健康センターみのりの湯〉

 この劇団の特長は、普段は「月並み」「水準並み」の舞台に終始しているのに、ある時「突如として」(突然、炎のごとく)、珠玉の舞台、国宝級の至芸を描出できるという「実力」を兼ね備えているという点であろうか。(これは私の邪推、ゲスの勘ぐりだが)、その日の舞台は、座長の「気分次第」というように思えて仕方がない。「やれば出来るのに・・・」という思いを何度したことか。極言すれば、その日の舞台を良くするのも悪くするのも「座長次第」、まさに座長の権力は絶対、と言う空気が濃厚なのである。そんなことは、どこの劇団にも当てはまるに違いない。ただ、そのことがあまりにも「顕著に」ということは、つねに「裏表のない」正直な劇団だとも言えそうである。  とまれ、今日の舞台(芝居)は、文字通り「突然、炎のごとく」といった出来映えで、たいそう面白かった。芝居の外題は「富くじ千両旅」。三年の年季奉公を終えた若者・新吉(大隅和也)が、江戸から故郷・小諸に帰る道、とある船着き場で、道中姿の旅鴉(姫乃まさかず)と巡り合う。旅鴉が人なつっこく、新吉に話しかけるが、どこか「うわの空」、それもそのはず、新吉の腹巻きには「富籤千両の当たりくじ」が納められていたのだ。当初は旅鴉を「敬遠」しがちだった新吉だったが、徐々に「気心も知り合った」という風情で真相を明かす。あわてたのは旅鴉、「そんな話を滅多に口にしてはいけねえよ。俺には関係にけれど・・・」といった「やりとり」が、何とも清々しく「絵になっていた」。やがて船が到着、二人は乗り込もうと上手に退場、それを追いかけるように三人の遊び人(姫川豊、姫乃ゆうま、荒城蘭太郎)と、一人の素浪人(座長・荒城真吾)が通り過ぎて幕。実を言えば、この素浪人、私は最後まで誰が演じているのか判然としなかった。多分、座長だろう、座長の他にはいないはずだと思いながら、それでも「本当に座長だろうか?」という思いが強かった。なぜなら、その素浪人、一言で言えばあまりにも「かっこ悪い」(無様な)容貌だったかたである。顔はノーメイクに近く、立ち居振る舞いは、どこか「ぎこちなく」、着物もほこりだらけ、といった風情で、全く見栄えがしない。でも、その姿こそが「舞台気色」のポイント、なくてはならない存在なのである。いうまでもなく、素浪人は「仇役」、新吉の当たりくじを奪い取ろうと江戸から尾行してきたのだ。遊び人三人と結託の相談が成立、いよいよ「新吉殺し」の迷場面、通常なら「単なる愁嘆場」だが、今日の舞台はさにあらず、素浪人の「殺しぶり」が「堂に入っていた」。二回ほど、「素手で」切り倒し、「まだ、斬っちゃあいない」と言いながら、最後は「抱きかかえて刺し殺す」、殺した後でも「頭の皮、剥いでやろうか」などと息を切らせて叫ぶ姿が、何とも「おかしく」、凄惨さを感じさせない(喜劇的な)演出が素晴らしかった。悪は悪、殺しは殺し、でも所詮は「遊びの世界」(絵空事)といった「割り切り方」が、なんとも「かっこよく」、そこらあたりが、座長、「劇団荒城」の魅力なのだということを、あらためて納得・得心した次第である。 
 私が初めて「劇団荒城」の舞台を見聞したのは、川崎・大島劇場、当時は「座長不在時」(膝負傷・治療中)で、勘太郎を中心に姫川豊、光條真、大隅和也、姫乃まさかず、荒城蘭太郎、月乃助らが芝居(多分、外題は「浮草物語」)、舞踊(荒城蘭太郎の面おどり「麦畑」は今も私の脳裏に焼き付いている)に「熱気ある舞台」を務めていた。この劇団、文字通り「役者は揃っている」。あとは、座長の「采配・按配」次第、みずからは「後方支援」で、今日のような「汚れ役」「仇役」「三枚目」に徹し、座員各自の「実力」「魅力」「持ち味」(個性)をどこまで「輝かせることができるか」、そのことが今後の課題である、と私は思う。
松竹新喜劇 藤山寛美 大当たり高津の冨くじ [DVD]松竹新喜劇 藤山寛美 大当たり高津の冨くじ [DVD]
(2006/03/30)
藤山寛美、酒井光子 他

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2024-01-05

劇団素描・「劇団夢舞倶羅」・《芝居「仇討ち二十年」と観客たち》

【劇団夢舞倶羅】(大座長・高峰調士)〈平成21年11月公演・千代田ラドン温泉センター〉

午後0時30分から、千代田ラドン温泉センターで大衆演劇観劇。「劇団夢舞倶羅(げきだんゆめまくら)」(座長・高峰調士)。今日の観客は、団体客二グループで占められていた。その一は「老人会」、その二は「グループホーム」(老人介護入所施設)とのこと、双方を比べると、なるほど同じ高齢者でも「ずいぶん違うな」という感想を持った。その一は、斯界客筋の「常連」、例によって、てんでにビール、日本酒等を傾けながら、時には「かけ声」、時には「歓談」を展開、場の雰囲気を「盛り上げたり」「水差したり」といった見慣れた景色で、特記事項はないのだが、その二の方は「一変」、たいそう興味深かった。
高齢者男女の間間に、若い男女が「ジャージ・エプロン姿」で配置され、つねに彼らを「看視」「看護」している。舞台前方には、比較的元気で「独り座り」「独歩」が可能な高齢者、後方には「独歩不能」「座位」にも支えが必要、ともすれば「居眠りがち」といった方々が「集められ」といった様子で、(「直感的」に想起したのだが)私自身が一時期関わった昔の職場、肢体不自由・知的障害養護学校の景色と「瓜二つ」であった。前方で一人の男性が何度も立ち上がる、そのたびに中年女性が赴き「座らせる」、座椅子から「移動」しようとしてずり落ちた女性を、元の位置に戻しながら、「叱責」する。おそらく、中年女性は施設職員の要職にあるのだろう。それにしても、人間、「できないという憂き目」にあうと、どんな仕打ちをされるかわからない、という状況を前にして思わず背筋が寒くなった次第である。
 さて、芝居の外題は「仇討ち二十年」。ある一家の若い衆・千太郎(若座長・松平龍昇)は7歳の時、親分(松平涼)の娘(南條麻耶)を助けようとして「頭を打ち」、今は「バカ千」と綽名されるような障害者になってしまった。というのは「真っ赤な嘘」、実は千太郎、父親の敵(浮世しのぶ)を討つために「芝居をしていた」という筋書で、大衆演劇の定番、出来栄えは「水準並」というところであった。この劇団、従来は「劇団研究座魁」という看板で、座長・高峰長士とは、元・「南條時宏」であった。南條時宏といえば「若き役者を育てる名伯楽」(「演劇グラフ」vol74・2007.8)と呼ばれた実力者、今回、芸名、劇団名を改めた動機は何だろうか。今回の舞台、舞踊ショー最後で黒紋付き袴姿で北島三郎・「年輪?」を踊ったが、往年の風情は健在、芝居での勇姿も拝みたかった。加えて、女優・南條なほみの舞踊に「成長の跡」が感じられ、また新メンバー(?)妓弾紅音の「そこはかとない色香」も劇団の財産として大切にしてもらいたい、と思いつつ岩盤浴場に向かった。
遺恨あり 明治十三年 最後の仇討 [DVD]遺恨あり 明治十三年 最後の仇討 [DVD]
(2011/06/15)
藤原竜也、松下奈緒 他

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-04

劇団素描・「劇団章劇」・《澤村蓮座長昇進後、芝居「新月桂川」の舞台模様》

【劇団章劇】(座長・澤村蓮)〈平成27年11月公演・みのりの湯柏健康センター〉
 澤村蓮(33歳)が座長に昇進後、初めての見聞である。澤村章太郎はじめ、瀬川伸太郎、梅乃井秀男、大門力也といった実力者も加わって、見応えのある舞台を展開していた。芝居の外題は「新月桂川」。桂川一家の若い衆、千鳥の安太郎(座長・澤村蓮)と銀次(澤村雄大?)は三年三月の男修行の旅を終えて一家に戻る途中、「誰が初めに挨拶をするか」で言い争い、「相撲で決着をつけよう」としているところに、飛びだして来たのは鳥追い女のお里(梅乃井秀男)、どうやら安太郎に岡惚れしてつきまとっている様子。二人とも「邪魔するな!」と追い払って一家に帰りついたのだが・・・。親分(大門力也)の表情が冴えない。聞けば、川向一家の用心棒(流星?)がやって来て、「縄張りを四分六で渡せ、さもなければ、娘のお花(澤村ダイヤ?)を親分(瀬川伸太郎)の嫁によこせ」という、ごり押しの無理難題、きっぱりと断ったが、「では左封じの喧嘩状が届くことを覚悟してもらいたい」と言い残して帰って行った。「そうでしたか!では、あっしたちが成敗してめえりやす」と安太郎たちは奮い立った。親分、欣然として「そうか、やってくれるか。では川向の親分・権次か用心棒の首を取ってきた方に、娘のお花を添えて跡目を譲ろう」「わかりました、必ず首をとって来ます」と飛び出そうとすれば、「銀次さん、待って」とお花が紅襷を差し出した。安太郎「・・・?、オレには?」しかし、差し出されたのは親分からの荒縄だったとは・・・。二景は安太郎、銀次と用心棒の立ち回り、銀次の分が悪く危ないところを安太郎が一太刀浴びせ、首尾よく用心棒の首を挙げることができた。大喜びの安太郎「これでお嬢さんと添い遂げ、二代目も継げる!」と思ったが、銀次「待ってくれ兄貴!その首をオレに譲ってくれ」「そんなことはできねえ」「実は、オレとお嬢さんは、とうの昔から、デキていたんだ」「何だって?」驚愕した安太郎、思わず全身の力が脱けてしまったが、憤りが湧いてきた。「何でそれを早く言わなかったんだ!、オレとお前の兄弟分もこれきっり、アバよ。オレは祝い酒でも飲んでから一家に帰るぜ」と退場した。その場に立ち尽くす銀次、やがて「銀次さーん」と叫びながら出てきたのはお花、「どうだった?どっちが首を取ったの」「・・・安太郎の兄貴だ・・・」「えっ、それじゃあ、アタシはどうなるの」「兄貴と一緒になってくれ」「嫌よ、嫌々。あんな人、ゲジゲジ虫よりダイッキライ!、あんな人と一緒になるくらいなら死んだ方がましよ」。二人は悄然として退場したが、その後に安太郎再登場。今の場面を目撃していたか、お花の気持ちを知って進退窮まった。そこに件の鳥追女・お里も再登場「安さん、アタシと一緒になっておくれよ」としつこくつきまとう。安太郎「・・・、もうお嬢さんのことはあきらめよう」と心に決めた。「じゃあ、オレの頼みを聞いてくれ」、その頼みとは、安太郎とお里はすでに夫婦仲、それを親分の前で「演じてもらいたい」、「わかった」「じゃあ、これは頼み賃だ」と安太郎が差し出す小判を「いらないよ、そんなもの・・・」と言いながら、ちゃっかり受け取る様子が、何とも魅力的であった。舞台は大詰め、安太郎とお里の「芝居」が功を奏して親分は激怒、いったんは安太郎を絶縁するが、それも「芝居」、「安太郎、お花のために身を引いてくれてありがとうよ」感謝の手を合わせているところに川向一家・権次が殴り込み、親分は落命する。急を知って立ち戻った安太郎、権次を成敗して、めでたく銀次に二代目とお花を譲った。「それじゃあ、オレはまた旅に出るぜ」、銀次「何から何までありがとう、兄貴、おめえ寂しくねえかい」と送り出せば、飛びだして来たのはお里、「寂しくなんかありゃあしないよ!アタシがいるんだから。さあ、行こ行こ」と安太郎にすがりつく、という場面で幕は下りた。
 この芝居の見どころは、登場人物の「絡み具合」、一に安太郎と銀次、二に親分と安太郎が醸し出す、男同士(「侠気」)の人間模様、三に銀次とお花、四に安太郎とお里が彩る、男女の色模様である。それに仇役・権次、権太(双子の兄弟・二役)という滑稽模様が加われば申し分のない名舞台に仕上がるのだが・・・。本日の舞台では、お里役、梅乃井秀男の風情が秀逸、コケティッシュな「色香」が際立っていた。安太郎の風情も爽やかで好感がもてたが、銀次とお花の「色模様」は不発に終わった、と私は思う。お花は、安太郎が恋い焦がれる清純、かつ、おきゃんなマドンナであり、お里以上の「魅力」を放たなければならない。「近江飛龍劇団」では、座長・近江飛龍が、みずからお花役を「買って出て」、その手本を示したこともあるほどだから。もし、座長・澤村蓮がお花に回り、安太郎が澤村雄大、銀次が澤村ダイヤという配役であったなら・・・、などと、またまた突拍子もない、身勝手なことを考えてしまった。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2024-01-03

劇団素描・「おおみ劇団」・《芝居「母恋鴉」と「紺屋高尾」(DVD)》

【おおみ劇団】(座長・おおみ悠)〈平成20年11月公演・信州大勝館〉                                         昨日に引き続き、午後1時から信州大勝館で大衆演劇観劇。「おおみ劇団」(座長・おおみ悠)。昨日は夜の部で観客は10人程度、今日は昼の部、しかも土曜日とあってさぞかし多くの観光客が詰めかけると思いきや、なんと今日もまた10人程度(正確には13人)、わびしい限りではある。芝居の外題は「母恋鴉」、筋書は「瞼の母」の兄弟版、番場の忠太郎ではなく、ナントカの新太郎(座長・おおみ悠)が白木の骨箱(亡弟)を胸に下げて、生みの親(大川町子)を訪ねてくる。妹(おおみ美梨)との「絡み」も「瞼の母」とほぼ同じ、腕はめっぽう強いが、甘ったれで、たよりなげなヤクザの風情を、おおみ悠は「艶やかに」演じていた。二葉百合子の歌謡浪曲をBGMに使いながら、本筋の「瞼の母」を展開したら、さぞかし「天下一品」の名舞台を作り出すことができるだろう、などという思いを巡らせた。大川町子の口上では、明日は特別狂言「紺屋高尾」を演るとのこと、そのDVD(平成20年10月公演・新潟・三条東映)も販売しているとのこと、明日までは滞在できないので、さっそく購入、舞踊ショーを観て帰路についた。  帰宅後、DVDの「紺屋高尾」視聴。筋書は「鹿島順一劇団」の台本とほぼ同じ。配役は、座長・「紺屋・久蔵」、おおみ美梨・「高尾」、大川町子・久蔵の母、近江ケンタロウ・久蔵の叔父、そこまでは誰もが納得できる。問題は、「鼻欠けおかつ」を誰が演じるか。鹿島劇団では名優・蛇々丸、「劇団武る」では座長・三条すすむ、「南條隆とスーパー兄弟」では龍美麗というように、「実力者」「人気者」の 「はまり役」(腕の見せどころ)だからである。DVDの画面を観て驚いた。な、な、なんと、まだ12歳前後の、おおみだるまが演じているではないか。景色は悪くない。とはいえ、その「あわれで」しかも「コミカルな」風情を描出するには「荷が重すぎ」た。要は、この芝居の眼目が奈辺にあるか、という「解釈」の問題(違い)であろう。「鼻欠けおかつ」という存在が、「ほんのちょい役」であるか、それとも「高尾太夫」に次ぐ重要人物であるか、久蔵の心底を測る「リトマス試験紙」としては、なくてはならぬ存在だと、私は思うのだが・・・。将来、劇団を背負って立つおおみだるま、ではある。今のうちから経験を積むことも大切、その意向は痛いほどわかるが、当面は花形・三花れい、または大川町子あたりが「お手本」を示す段階ではないだろうか。  座長の久蔵、美梨の高尾が「絵になっていた」だけに、「鼻欠けおかつ」の「存在感」で「舞台」の空気を「重厚」かつ「洒脱」にできたなら、何処に出してもおかしくない作品になったであろう。
二葉百合子歌謡曲全集 NKCD-7281~6二葉百合子歌謡曲全集 NKCD-7281~6
()
株式会社メディカルソニック

商品詳細を見る
にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村  blogram投票ボタン
観劇 ブログランキングへ ブログランキングNo.1 ブログランキングNO1
2024-01-02

劇団素描・「藤間劇団」・《芝居「佐吉子守唄」の名舞台》

【藤間劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成23年11月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
私はこの劇団の舞台を昨年5月、大阪梅南座で見聞している。以下は、その時の感想(の一部)である。〈インターネットでは〈藤間劇団 1985年に初代座長・藤間新太郎(現太夫元〉が旗上げ。まじめに一生懸命にをモットーに劇団全員が力を合わせて、日々の舞台を勤めている。2005年5月に新太郎太夫元の長男・智太郎が座長を襲名した〉と紹介されている。その文言に偽りはなく、太夫元の上品で誠実な芸風が座員一人一人に染みわたり、今日のような舞台模様を創出できたのだ、と私は思う。舞踊ショーでも見所は多く、子役・藤間あゆむの「人生劇場」「酒供養」(女形)、太夫元の「細雪」(女形)「よされ三味線」(立ち役)、松竹町子の「恋の酒」(立ち役)、座長の「女形」が強く印象に残った。座員は他に、小町さくら、アイザワ・マコト(いずれも女優)らの若手がいる。いずれも「個性的」で、のびのびと「舞台を勤めている」様子が窺われ、劇団の魅力を倍増させている。今日の舞台を見聞できたことは私にとっては大きな収穫、はるばる大阪まで遠征した甲斐があった、というものである。加えて、劇場の雰囲気も最高、手作りのおでんを賞味できたことは望外の幸せであった。ぜひ明日も来たい(前売り券を買いたい)と思ったが、すでに予定は「決定済み」、後ろ髪引かれる思いで帰路についた次第である〉。以来ほぼ2年近く「後ろ髪を引かれ」続けたわけだが、今回ようやくその舞台を再見できるようになった次第である。これまでに、芝居「稲葉小僧新吉」「天竜筏流し」「佐吉子守唄」の舞台を見聞したが、やはり期待通り、充実した珠玉の名舞台が展開されていた。「稲葉小僧新吉」では、三代目藤間あゆむが、小娘役の女形で大活躍、まだ12歳とは思えぬほどの達者ぶりに舌を巻いた。「天竜筏流し」では、草津一家親分(太夫元・藤間新太郎)の悪役ぶりが何とも魅力的、とりわけ山主に扮した松竹町子との絡みが絶妙で、まさに夫婦ならではの呼吸、「味」(わい)がたまらなかった。さて、極め付きは「佐吉子守唄」。ある一家に草鞋を脱いだ旅鴉・佐吉(座長・藤間智太郎)の物語である。佐吉には妹・おみよ(星空ひかる)も同行、そのおみよが一家の若親分(藤間あおい・好演)と「いい仲」に・・・。お腹の中には若親分の子どもまでも宿してしまった。若親分は父親の親分(橘文若)に「添わせてほしい」と懇願するが、応えは「断じて否!」。やむなく若親分、おみよを連れて一家を出ようとするが、親分「そうはさせねえ」と刀を抜いた。仲に入ったのが子分の銀次(藤間あゆむ・好演)。「どうでしょう、若親分。1年間、男修行の旅に出ては・・・、おみよさんは一家で面倒みますから」。若親分、その言葉を真に受けて旅修行に出立、見送った子分と親分は顔を見合わせてニヤリ、おみよの面倒をみる気などさらさら無かった。旅鴉の佐吉、妹の面倒を見てと親分に頼んだがケンモホロロ、やむなく一家を出て長屋にわび住まいしながら、若親分の帰りを待つことになった。1年後、おみよにはめでたく男児が誕生。佐吉は乳飲み子をあやしながら、乳をもらいに外出。おみよ、独りになったところへ件の親分、子分がやって来た。「今すぐ、この土地から出て行ってもらいたい」「若親分が戻るまでは、出て行くわけにはいきません」「それが困るのだ、せがれとお前を添わせるわけにはいかねえ」などと揉み合ううち、親分、思わず脇差しを抜いて、おみよに斬り付けた。親分一味はあわてて遁走。戻ってきた佐吉、手傷を負ったおみよの姿に驚いた。「親分にやられた。私はくやし。その子を若親分が抱いてくれる姿を見たかったのに・・・」と言い残して、おみよは絶命。佐吉、敢然と赤児を抱いて仇討ちへ向かう。出くわした街道筋で、難なく親分を成敗した。以後は若親分を探しての子連れ旅へ・・・。舞台は三景、ここは山間の峠茶屋、やってきたのが男修行を終えた若親分が茶を飲んでいると、旅姿で通りかかったのは子分の銀次、聞けば「親分が佐吉にやられた」と言う。若親分、激高して佐吉を追いかけに退場。残った銀次はなぜか、茶屋の中へ・・・。入れ替わりに、佐吉、赤児を抱いて登場、茶屋の中から飛び出してきた銀次との一騎打ちに。と、そこに、おみよと瓜二つの娘が出てきて曰く「その赤ちゃん、私が預かります。存分に勝負しなさい」、赤児を抱いて立ち去った。あっけにとられる佐吉。「あれはいったい誰なんだ!」銀次との勝負どころではなかったか。実を言えば、この娘は川向こう一家親分・仙右衛門(太夫元・藤間新太郎)の一人娘・おゆき(星空ひかる・二役)であった。四景は仙右衛門宅。草鞋を脱いだ佐吉に一目惚れ、赤児と一緒に添わせてほしいと、父・仙右衛門に頼み込んだ。「そんなわけにはいかねえ」と突っぱねたが「じゃあ、池に身を投げる」とごねられ、「もし話がつかなければ腹を切る」約束までさせられた。仙右衛門、佐吉を呼んで曰く「うちの娘と一緒になってはくれまいか」、佐吉が「そういうわけにはめえりません」と固辞すれば、「そうですかい!では・・・」と言いながら、おもむろに羽織を脱ぎ捨てると、脇差しを抜き手ぬぐいを巻いて切腹の構え、驚いた佐吉、「待っておくんなせい、何をなさるんで!」、仙右衛門、平然として「娘と約束したんだ。もしこの話がつかなければ腹を切ると」。その飄然とした姿が何とも魅力的であった。佐吉、やむなくおゆきとの縁談を受諾。「妹とそっくりの娘を嫁に・・・」と思い悩む暇もなく、乗り込んできたのが若親分。「親父の仇討ちだ、勝負しろ!」。佐吉、「わかった」と一言、一立ち回りのあと、若親分の腕をねじ伏せて曰く「お前さん、人を斬ったことがあるか!」、若親分、応えられずにいるうち、佐吉は、自分の刀を投げ捨てる。「人を斬るのは、こうするんだ!」と言うなり、若親分の刀を自分の腹に突き立てた。佐吉の「すべきこと」は、妹・おみよの遺児を若親分に抱かせることだけ、もとより自分の命など惜しくはない。苦しい息の元で経緯を語る佐吉の話を聞いて、若親分は銀次を成敗、ようやくわが子を抱き上げることができたのであった。「その姿を一目、妹に見せたかった」という思いを胸に、佐吉、最後の力を振り絞って、赤児をあやす。舞台には二葉百合子の名曲「佐吉子守唄」も添えられて、悲しくも温かな幕切れであった。お見事!「一級品の芝居」は健在であった。それにしても、ここの劇場、観客は昼も夜も二十人程度、極上の名舞台を満喫するには「侘びしすぎる」が、座員一同が誠実・懸命に舞台を務める姿は感動的である。心底から拍手を贈りたい。
二葉百合子歌謡曲全集 NKCD-7281~6二葉百合子歌謡曲全集 NKCD-7281~6
()
株式会社メディカルソニック

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-31

劇団素描・「劇団美鳳」・《芝居「マリア観音」&「子持ちやくざ」の舞台模様》

【劇団美鳳】(総座長・紫鳳友也)〈平成27年11月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は名作「マリア観音」。この名作が名舞台に仕上がるには必須の条件がある。その条件とは、一に主役・霞の半次郎の初々しさ、二に父・阿部豊後守の風格、三に母・お蔦の隠された色香、その魅力が三つ巴となって終局の名場面に結実化していくのだが・・。筋書きは、長崎で知り合った阿部豊後守とお蔦、しかし諸般の事情で豊後守は江戸へ、後を追ったお蔦の胎内には半次郎が宿っていた、やがて16年の月日が流れたが、豊後守はお蔦のことが忘れられず、未だに独身、御禁制のマリア観音を隠し持ち、「再会」を祈っている。お蔦は貧しい長屋暮らし、倅の半次郎は「父なし子」の負い目から「やさぐれて」スリの仲間へ、ある時、運命のいたずらか、半次郎は豊後守の懐から印籠を掠め取った。それをお蔦に見咎められ、自分の父が豊後守であることを明かされた。「自分にはお父っつあんがいたんだ。しかも、そのお父っつあんから盗んでしまったのか」。悔恨と慕情が入り混じり、半次郎は家を飛び出していく。「何てことを!。奉行に出世したあなたの子どもが盗人だなんて・・・・私は育て方を間違えました」。お蔦は自刃する。半次郎、何も知らずにスリの仲間に合流すると、兄貴分「今、これを豊後守の家から盗んできた」とマリア観音を披露した。「これは御禁制の品、豊後守を窮地に追い込める宝物だ」と喜ぶ連中を、半次郎は斬殺し、マリア観音を豊後守に届けるというお話である。
 本日の舞台、配役は父・豊後守に総座長・紫鳳友也、母・(お蔦改め)こよしに扇さとし、肝腎の半次郎は一條静香?、それとも一條明日香?、半次郎をやさしく見守る十手持ち親分(豊後守配下)・銀次に座長・一城進悟、スリの兄貴分・城秀人、という面々であった。名舞台に仕上がる必須の条件の一、霞の半次郎の風情はやや生硬だが、精一杯の熱演で好感が持てた。二の豊後守は、「武家」としての貫禄は不足気味、三の母・こよしに至っては「艶」不足が目立って興ざめな結果に終わってしまった、と私は思う。やはり、半次郎の母は「女優」が担うべきであろう。例えば、一條静香ならと誰しも思うはずだが、それが叶わなかったとすれば、半次郎を演じたのは静香だったのか・・・・?、など「判然としないまま」幕は下りてしまった。扇さとしという役者は、大月瑠也、春川ふじお、を兄弟に持つ実力者、以前に見聞した「瞼の母」の舞台でも、お浜役を「演じさせられて」(損をしていた)が、まだ兄・大月瑠也の「域」にまでは達していない、ということである。
 夜の部・芝居の外題は「子持ちやくざ」。こちらは関東風・痛快剣劇の「典型」で、親分を闇討ちされた仏一家の通夜に忍び込んだ旅鴉(総座長・紫鳳友也)が、空腹の余り、供えられた陰膳を掻っ込んでいるところを子分衆に見つかり、打擲されていたが姐さん(一條静香)の温情で許されたそのうえに、羽織までプレゼントされる。折しも、川向こう一家の殴り込みで、現場は大混乱、旅鴉あわてて羽織を持って逃げだそうとしたが、手にしていたのは一家の仁代目を継ぐべき赤児(抱き人形)であった、というお話。二景は数年後(四,五年?)、旅鴉は「子持ちやくざ」として、赤児を立派に育てている。仏一家は、凋落、今では病身の姐さんを、魚屋になって稼ぐ子分一人(芸名不詳の男優・好演)が養っていた。売れ残った魚を買い取ってくれる料理屋の老爺(座長・一城進吾)も居て、一家は細々と存続していたが、そこにやってきたのが件の旅鴉、「あの時の恩返し」と、川向こう一家(親分は扇さとし)を一網打尽、仏一家二代目(子役・四郎?)を姐さんに返上する。しかし、二代目(子役)いわく「ちがう、ちがう、あの人はおっ母ちゃんじゃない。生みの親より育ての親!おいらの親は、お父っちゃん、おめえだよ」と泣き崩れた。旅鴉「そんな聞きわけのねえ、お前は大嫌いだ。オレはお前のお父っちやんでなんかありゃあしねえ、近寄るな!」と(泣く泣く)制すれば、「そうか、じゃあこの家に残るから、おいらを嫌いだなんて言わないで・・・」と哀願する姿はお見事!大詰めは、去って行く旅鴉に向かって「ちゃーん、ちゃーん、ちゃーーん」という声が谺する。そのリフレインを掻き消すように、縞のカッパを回し負い、キッと体を固くして旅鴉の姿は花道に消えた。昼の部「マリア観音」の感動は不発に終わったが、その不満を取り戻すには十分な名舞台であった、と私は思う。大昔、浅草木馬館の常連(観音温泉の踊りの先生)が呟いた一言、「子どもが一番うまいや」という声が、また聞こえてきた。「子は宝」という至言は、今もまだ斯界では輝いているのである。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-30

劇団素描・「森川劇団」・《三代目森川長二郎、絶品の「三枚目」》

【森川劇団】(座長・森川凜太郎)〈平成20年11月公演・浅草木馬館〉
 前回、私はこの劇団について以下のように書いた。〈役者の「個性」が「味」として定着しており、その場その場に応じて、いかようにもその「味」を生かすことができる「有力者」の集団である。座長を中心に、しかし、場合によっては「脇役だけでも」芝居ができるという「強み」(伝統)が、私には感じられた。舞踊ショーで見せた、森川竜二の女形「北の蛍」(唄・森進一)は絶品、「至芸」の域に達している。その他、全員の舞台も「水準以上」、壺にはまれば(結束が結実化すれば)、最高水準の「芝居」「舞踊」が実現できるだろう〉今回の舞台、芝居の外題は「兄妹星」(昼の部)と「浮浪者の母」(夜の部)、いずれも「涙と笑いの人情芝居」だが、どちらかといえば「兄妹星」は悲劇、「浮浪者の母」は喜劇調で、両者は私が感じていたとおり、役者の「個性」(味)が活かされた(壺にはまった)最高水準の「出来栄え」であった。中でも出色だったのは、森川竹之介、「兄妹星」では、盗賊一味の「ちょい役」だったが、そのメーキャップ、立ち姿、所作、口跡が、なんとも「魅力的」(個性的)で、舞台の景色を際だたせるのに十分であった。一方、「浮浪者の母」では、心優しい慈母の「女形」、その風情が堂に入っていて、頼もしい。ともすれば、座長の「脇役」として「見落とされがち」な立場に感じられたが、とんでもない、彼こそ「いぶし銀のように」光り輝く存在であることを、今さらながら思い知らされた次第である。劇団のキャッチフレーズには〈二枚目 三枚目、女形、脇役、老け役。すべてをオールマイティにこなせる役者を目標に、全員があらゆる役を演じ分けて見せてくれます〉とあるが、その言辞に偽りはなかった。舞台に立つ役者全員が個性的な「実力者」であり、それぞれの役割を「のびのびと」しかも「確実に」果たしていることが素晴らしい。二枚目でありながら、ふっととぼける竜二、憎めない敵役の竜馬、生一本な風情を醸し出す梅之介、艶やかで、可愛らしい女優陣、そこに芸達者の竹之介、と座長(時としては凜太郎)が加わるのだから、まさに「盤石の態勢」といえるだろう。三代目・森川長二郎の「切り札」は「汚れ役」「三枚目」、「浮浪者の母」では「藤山寛美もどき」の風情で「子持ち浮浪者」役を見事に演じきった。とりわけ、「母親」役(竹之介)との「絡み具合」、「赤子人形」の扱い方は「絶品」で、斯界の「喜劇役者」としては屈指の実力者である、と私は思う。
 敵役の竜馬、三枚目の座長の「二枚看板で」「勝負を賭ける」、背後には「花も実もある」脇役陣が揃って控えているのだから「心配御無用、いつでもどこでも、老舗劇団 の本領を発揮してもらいたい、と念じつつ帰路についた。
松竹新喜劇 藤山寛美 愚兄愚弟 [DVD]松竹新喜劇 藤山寛美 愚兄愚弟 [DVD]
(2006/01/28)
藤山寛美、小島秀哉 他

商品詳細を見る




日本直販オンライン
QVCジャパン
にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ



2023-12-29

劇団素描・「劇団翔龍」・《芝居「瞼の母」は極め付き、日本一の名舞台》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成20年11月公演・小岩湯宴ランド〉
 夜の部、芝居の外題は「瞼の母」。この舞台は、「演劇グラフ」(2008.6)で詳しく紹介されている。それによると、配役は〈番場の忠太郎(春川ふじお)、水熊のおはま、半次郎の母おむら二役(中村英次郎)、素盲の金五朗(大月瑠也)、水熊の娘・お登世、半次郎の妹・おぬい二役(澤村うさぎ)、金町の半次郎、洗い方・藤八二役(藤美匠)、宮の七五朗(翔あきら)、板前・善三郎(大月聖也)、夜鷹・おとら(秋川美保)〉。筋書は〈笹川繁蔵親分の仇を討つために、飯岡助五郎親分を襲った忠太郎と半次郎だったが、半次郎がけがを負ってしまい逆に二人は追われる身に・・・。半次郎を実家まで運んだ忠太郎は、飯岡一家からの追っ手を斬る。半次郎の母の優しさに触れた忠太郎は、半次郎と兄弟分の盃を水にして、生き別れた母を捜す旅に出るのだった。忠太郎は、水熊屋の前で出会った夜鷹のおとらから、水熊屋の女主人・おはまの話を聞き、店を訪ねる。忠太郎は、おはまに自分の境遇を話し、自分の実の母ではないかと問うが、おはまは知らぬと言うばかり。あげくのはてに、水熊屋の身代を狙っているのでは、と忠太郎を侮辱する。忠太郎がその場を後にしようとした時、お登世が戻り忠太郎と顔を合わせる。忠太郎が去った後、自分の兄だということに気がついたお登世は、おはまを諭し忠太郎を追いかけるのだったが・・・〉ということであった。     
 この芝居には三組の「母子」と二組の「兄妹」が登場する。①番場の忠太郎と母おはま、、妹お登世、②金町の半次郎と母おむら、妹おぬい、③夜鷹おとらと亡き息子、である。
三者三様の「母子関係」が、組紐のように「もつれ合い」「絡まり合って」えもいわれぬ「人間模様」を描出するところに、芝居の「眼目」があると思われるが、その景色、その風情を、「劇団翔龍」は見事に具現化したのである。まさに、大衆演劇屈指の「名舞台」、と言っても過言ではないだろう。
 主人公・番場の忠太郎は、五歳の時に生き別れになった母・おはまに、どうしても逢いたい。その気持ちは、弟分・金町の半次郎の母、妹の様子を見聞してから、いっそう高まった。自分の母もあのように「優しい」だろう、もし、妹がいたのなら、あのように自分を慕ってくれるだろう。つまり②の関係、が①の「モデル」であるはずだったが・・・。さらに、忠太郎は③の関係にも「思い」馳せる。亡き息子の気持ちになって夜鷹おとらを「人間扱い」、心の底から元気づける。忠太郎は「優しい」、でも「どこか頼りない」、そして「甘ったれ」、言い換えれば「根っからの悪ではない」「母性本能をくすぐる」といった風情を、座長・春川ふじおは「自家薬籠中」の「至芸」として演じきった、と私は思う。加えて、脇役陣も光り輝いていた。筆頭は、おむら・おはまの二役を演じた後見・中村英次郎、百姓婆姿の(大地のような)「優しさ」、江戸一番の料理屋を取り仕切る女将の「艶やかさ」を見事に演じ分け、忠太郎との「絡み」では、その所作、表情、口跡で「もう、立派に親子名乗りをしているのではないか」という風情を醸し出す。応えて、忠太郎もまた、(母と言い出せぬおはまの気持ちを察して)「こんなヤクザにだれがしたんでぃ」と叫ぶ一瞬は、まさに「珠玉の名画」、私の脳裏から消えることはないだろう。
私は、以前、「瞼の母」について以下の雑文を綴った。〈二葉百合子の歌謡浪曲「瞼の母」「一本刀土俵入り」と、島津亜弥の歌謡劇場「瞼の母」「一本刀土俵入り」のCDを購入、双方を聴き比べた。規準になるのは、いうまでもなく、在りし日の「新国劇」、辰巳柳太郎・島田正吾、初瀬乙羽、香川桂子、外崎恵美子らの舞台であるが、やはり「貫禄」が違う。昨今の大衆演劇界では、安直に島津亜弥を多用しているが、さもありなん、二葉百合子の歌謡浪曲と「対等」もしくは「超える」舞台をつくることは「至難の業」だからである。(舞踊ショーで、美空ひばりの歌唱と「対等」もしくは「超える」舞台が「至難の業」であることと同様である。「柔」「人生一路」「おまえに惚れた」などの「情感ゼロの曲、「愛燦燦」「川の流れのように」など「洋舞曲」はともかく、「花と龍」「哀愁出船」「港町十三番地」「越後獅子の唄」などの風情・景色を描出できる役者は少ない)「瞼の母といえば、「軒下三寸借り受けまして、申し上げます、おっ母さん・・・」という「あの唄」がすぐに連想され、その原型は二葉百合子の歌謡浪曲にあると思い込んでいたのだが、それは大間違い、二葉には「瞼、瞼とじれば、会えてたものを、せめてひと目と 故郷を捨てた。あすはいずこへ、飛ぶのやら。月の峠で アア おっ母さん。泣くは番場の忠太郎」という珠玉の名曲があったのだ。「あの唄」は、杉良太郎、中村美津子、島津亜弥など「並の歌手」なら誰でも唄える代物でしかないことを発見した次第である。なるほど、二葉の「名曲」を唄いこなすことも「至難の業」であろう〉
 さて、今回の舞台音楽(BGM)は、杉良太郎の「瞼の母」であったが、舞台の出来栄え、役者の実力からいって、杉良太郎では「力不足」(役不足の反対)、今こそ、二葉百合子の登場が不可欠ではないだろうか。ちなみに、終幕場面、杉良太郎の歌唱(作詞・坂口ふみ緒)は「逢わなきゃよかった 泣かずにすんだ これが浮世と いうものか 水熊横町は 遠灯り 縞の合羽に 縞の合羽に 雪が散る おっ母さん」である。一方、二葉百合子の歌唱(脚色・室町京之介)は、「一人 一人ぼっちと 泣いたりするか、俺にゃいるんだ 瞼の母が。孝行息子で 手を引いて お連れしますぜ アア おっ母さん 旅の鴉で あの世まで」であった。どちらが好きか、どちらを選ぶかは自由であるが、座長・春川ふじおの「実力」からすれば、後者の「心象表現」まで十分可能だと、私は見た。
二葉百合子 浪曲の魅力(1)二葉百合子 浪曲の魅力(1)
(2007/10/10)
二葉百合子

商品詳細を見る




日本直販オンライン
QVCジャパン
にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-28

劇団素描・「紅劇団」《芝居「河内の野郎花」&「長脇差と草鞋と三度笠」の舞台模様》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は「河内の野郎花」。幕が上がると、そこはある料亭の宴会場。三期連続当選を果たした村会議員(会長・紅あきら)の祝賀会が行われていた。万歳三唱の音頭をとるのは土地の侠客・八尾の広吉(後見・見城たかし)、子分衆三人を率いている。「それにしても、お前ら、柄悪いな。おい、そこのお前、なんちゅう名前や」「へえ、チャイニーズ・ドラゴン言いますねん」「わては動物園ゴリラ」「同じくタンザニア」といった村会議員とのやりとりが、初々しく魅力的であった。女将(大倉扇雀)の計らいで芸者・このみ(紅このみ)が酌に来た。村会議員、スケベ根性丸出しで、一同を退去させ、このみと二人きり・・・。「わしの妾になってくれないか」と言い寄るが「嫌です」の一点張りに遭い、たまらず実力行使に出たが、反対に突き倒される。その騒ぎに飛び出してきた広吉親分と子分たち、このみを拘束して連れ去ろうとしたのだが、すっくと現れたのは女将の長男・大介(総座長・紅大介)、たちまち子分衆を蹴散らかし、広吉親分に斬りつけた。どうやら、このみとは「いい仲」だったらしい。正当防衛とはいえ罪は罪、いさぎよく自首して刑務所へ。しかし、それから三年?、あるいは五年?、刑期を終えて家に戻ると、このみは大介の弟・秀吉(紅秀吉)と「いい仲に」・・・、といった筋書きで、何ともやるせない結末であった。見どころは、河内界隈の人間模様、大阪ヤクザの柄の悪さ・滑稽さといったところであろうか。主題曲は「泣いてチンピラ」(歌、詞。曲・永渕剛)、「・・・花の都に憧れて 飛んで来た逸れ鳥 のがれのがれて 破れた襖にもたれて 流す涙をひとつなめた ああ 友情愛情人情 何かが足りねえ・・・」という文句に添えて、大介幕切れに一言、「長生きしいや!」で引っ込む姿は「絵になっていた」。
 夜の部・芝居の外題は「長脇差しと草鞋と三度笠」。筋書きは武家物の「槍供養」と同工異曲、ヤクザ物の「長ドス仁義」と瓜二つの代物で、赤穂一家、三下の六助(総座長・紅大介)が兄貴分(座長・紅秀吉)とともに袈裟吉親分(紅大介・二役)の姐さん(紅ちあき)に随行、その途中で親分から預かった大事な守り刀を、吉良一家、権助親分(後見・見城たかし)に騙し取られてしまう、というお話。仇役を演じた、名優・見城たかしの「憎々しさ」「あくどさ」は天下一品、また姐さん役の紅ちあきの「女っぽさ(姐御肌)」も格別で、たいそう見応えのある舞台に仕上がっていた、と私は思う。権助親分、姐さんの額を割った後「あの三下の生首を持ってこい。さすりゃあ刀を返してやる」、その言葉を奥で聞いていた六助、姐さんと「盃は水」、兄貴に因縁を付けて「わざと」斬られる。「俺は自分で死ぬ根性なんてありゃあしない。だから兄貴に斬って貰ったんだ」。「これは旅の土産に買った花かんざし、故郷で待っているお今ぼうに渡してやっておくんなさい」と言い終わると息絶える愁嘆場は、たいそう鮮やかであった。終演後、喫煙所での女性客の話。「友だちに“芝居きちがい”が居るので連れてきた。一番前の席で泣き通しだったよ。この劇団の芝居は本当にうまい」。やがて自分も涙をこらえられなかったらしく、「・・・思い出しちゃった」と言いながら、その場を去って行った。(たしかに、二役の紅大介、自分の生首を愛しそうに抱きしめ、花道を去って行く姿は涙を誘う場面であった)。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-27

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《「紺屋高尾」、座長「一人五役」の名舞台》

【近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成22年3月公演・浅草木馬館〉                                                                         芝居の外題は「紺屋高尾」。浪曲の名文句「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来ると言う、嘘と嘘との色里で、恥もかまわず身分までよう打ち明けてくんなました・・・」(篠田實)どおりの筋書で、主要な登場人物は紺屋職人・久造(笑川美佳)、吉原の花魁・高尾太夫(近江春之介)、久造の兄(浪花三之介)、久造の叔父(近江大輔)といったところだが、今日の舞台では座長・近江飛龍が「五役」こなすとのこと。その他にいったいどんな「役割」があるのだろうか、と興味津々で来場した次第である。さてこの芝居、もう一人大切な登場人物が存在する。その人物次第で出来栄えの成否が決まってしまうほどの役柄だが、やはり思惑通り、それを演じたのは近江飛龍、当然至極の配役で納得した。その人物とは「鼻欠けおかつ」。1年前に結婚を約束した久造に「心変わり」がないかどうかを試すために叔父が「派遣した」淫売婦(お菰さん)で、高尾太夫とが似ても似つかぬ容貌、という設定である。では残りの「四役」、その一は、恋煩いの久造を診断する医者、それも金髪・洋装の外人医、片言の日本語で久造を診ようとして、いきなり鼻っ柱をへし折られるというような「やりとり」が何とも可笑しく、秀逸であった。その二は遊郭三浦屋の女主人(出っ歯)、その三は三浦屋の女中(タンザニア出身)、その四は久造の恋仇(お大尽)といった按配で、いずれも「喜劇仕立て」、文字通り「千変万化」する風情が、どちらかといえば単純な筋書に「活気の色」を添えていた。まさに飛龍演劇の「面目躍如」といった景色であったが、極め付きは「鼻欠けおかつ」と久造の「絡み」、今日の舞台では遊女もどきの「おかつ」に加え「禿」(小寅丸?)というオマケ付で、その容貌といい、仕種といい、台詞回しといい、抱腹絶倒場面の連続であった。それにしても、笑川美佳が演じる「久造」の風情は絶品で、私が敬愛する「鹿島順一劇団」座長・鹿島順一に「優るとも劣らない」出来栄えであった、と私は思う。加えて、飛龍座長の「五役」も逸品、通常なら「ちょい役」で、筋を「つなぐだけの」役割なのだが、座長が演じると「主役級」の存在感が現出する。その分だけ「見どころ」が「あちこち」に点在するということになって、舞台の彩りを倍増する仕掛け、見事な演出に脱帽した。なるほど、さすがわ近江飛龍、これまで私が見聞した「紺屋高尾」の舞台の中ではピカイチであったと確信しつつ帰路についた。
松竹新喜劇 藤山寛美 紺屋と高尾 [DVD]松竹新喜劇 藤山寛美 紺屋と高尾 [DVD]
(2006/02/25)
藤山寛美、酒井光子 他

商品詳細を見る
日本直販オンライン QVCジャパン にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村  blogram投票ボタン
観劇 ブログランキングへ
2023-12-26

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「網走番外地」&「相撲甚句」の舞台模様》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は「網走番外地」。「春に春に追われし 花も散る 酒ひけ酒ひけ 酒暮れてどうせおいらの行く先は その名も網走番外地」(詞・タカオ・カンベ)という音曲が流れるうちに幕は開いた。そこは、山田組一家の小頭・新吉(総座長・紅大介)の家。やってきたのが山田組三代目組長(後見・見城たかし)、子分衆を引き連れて「清太が帰ってきているだろう、ここへ出せ」。応対に出た新吉の母(大倉扇雀)と嫁のおとき(紅ちあき?)、「まだ家には来ておりません」「そんなはずはない。家捜し、しろ」・・・。清太(紅あきら)とは、二代目組長を殺害して「懲役五年」、網走刑務所で服役していたが、刑期を終えて出所した、三代目の仇であり、その妹がおときという筋書きであった。 
 やがて、新吉が泥酔状態で帰宅、母やおときに向かって乱暴三昧、お決まりの愁嘆場。そこへ清太も登場して三つ巴、四つ巴の葛藤が展開されるが、どだい、親分殺しの妹を嫁にしている新吉が、依然として「小頭」の地位にあり、しかも配下の組員から蔑まれていることを苦に、酒浸りで母や嫁に「当たり散らす」という設定に無理があった、と私は思う。会長・紅あきらの「ムショ帰り」の風情が格別であっただけに、残念無念な舞台模様であった。夜の部、芝居の外題は「相撲甚句」。御存知「一本刀土俵入り」の音曲で幕は上がったが、筋書きは別物。結城一家の親分が六十一・賀の祝いを機会に、跡目を譲ろうとしている。候補者は駒蔵(後見・見城たかし)と銀次(座長・紅秀吉)だが、親分の娘お蔦が選んだのは銀次。駒蔵、潔く引き下がったが内心は面白くない。未練がましくお蔦に言い寄る場面を、親分に見咎められ、殺害する。二景で登場したのは二人の相撲取り、一人は「ダメの山」(紅なるみ?確証はない)、もう一人は四股名不詳(総座長・紅大介)、まさか駒形茂兵衛とは言えないだろう。相撲では見込みがないと言われ、国に帰る道、路用に金を掏られたものやら、落としたものやら、もうこれまでと大川に身を投げようとするときに、お蔦に助けられたという筋書きで、三景・大詰めは十年後、いっぱしのヤクザに変身した総座長・紅大介がお蔦の「敵討ち」(恩返し)をするというお話であった。この芝居の眼目は、外題にある通り「相撲甚句」、その歌声の鮮やかさにあると思われるが、紅大介には「やや荷が重かった」。もし、会長・紅あきらが大介に替わり、大介が「ダメの山」を演じたら、舞台の景色は大きく変わっていただろう、結城一家親分、駒蔵、お蔦の風情が格別だっただけに、またまた残念な結果に終わってしまった、などと身勝手なことを考えながら、帰路に就いた次第である。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-25

劇団素描・「劇団正道」・《芝居「子別れ月夜」の舞台模様》

【劇団正道】(座長・司大樹)〈平成25年10月公演・内藤スパランド〉
座長・司大樹は弱冠18歳、父・司伸次郎、母・舞小雪(44歳)、長姉(副座長)・司春香(24歳)、次姉・司春奈(22歳)、弟・司正樹(7歳)といったファミリーに加えて、従兄弟の大沢裕二(22歳)、司裕二郎、梅千恭兵、大沢あきのといった座員で構成されている。舞台袖には「司一門」という暖簾がかかっていたので、九州の劇団であることは間違いあるまい。芝居の外題は「子別れ月夜」。博打に手を染めた弟・良蔵(座長・司大樹)の借金がきっかけで、取り立てに来たヤクザ(司裕二郎)の子分(大沢裕二)を手にかけてしまった姉・おとく(副座長・司春香)、おとくの息子(司正樹)を世話する母(司春奈・好演)との「絡み」(島流しになった姉が、8年後、病にかかり島を抜け、親子の対面をする場面)が中心で、要するに、親子・姉弟の「情愛」を眼目にした物語であったが、役者の面々はまだ「若手」、九州人情劇の「こってり」とした景色を描出するまでには、相応の時間がかかりそうではあった。とはいえ、ちょい役(居酒屋の娘)で出た母・舞小雪、仇役・司裕二郎の風情は「格別」、久しぶりに九州旅芝居の舞台模様を堪能できた次第である。副座長・司春香の口上によれば、父・司伸次郎は交通事故のため、まだ舞台に復帰できない、妹・司春奈は今回の公演後「お嫁入り」のため退団とやら・・・。まさに、世は有為転変、「人間万事塞翁が馬」だが、座長はまだ「蕾」、姉、弟、従兄弟連中との「結束」で、必ずや父母の伝統を受け継ぎ、大輪の花を開くことができるであろう、と私は確信している。終演後、劇場後部の喫煙所で煙草を吸っていると、高齢の男性客が寄ってきて曰く、「もうすぐ11月で、今年も終わり。月日の経つのは早いもんだね。あっという間に来年だ。それを6回繰り返せばオリンピック。この前は50年前、あの時の東京オリンピックはすごかった。私は集団就職で会社勤めの1年目、社長は2日間、会社を休業にしてオリンピックを観たもんだ。当時のラーメンはたしか50円だったなあ。今度のオリンピックはすごいよ。何せ技術の進歩がすごい。あれから50年も経っているんだから、どんなオリンピックになるのやら。一生のうちで2回もオリンピックが観られるなんて幸せだ。ウン。」この御仁、どうみても私と同年配、話を合わせれば終わりそうにない。「どこから来たの?」などと尋ねられたが、「ちょっと寄っただけです」などと適当な相づちを打って、早々に帰路の送迎バスに乗り込む他はなかった。私が7年後、「まだ生きている」とはどうしても思えない。一方「劇団正道」は、まさに旬!、真っ盛り!であることも間違いないであろう。
完全復刻アサヒグラフ 東京オリンピック完全復刻アサヒグラフ 東京オリンピック
(2013/10/16)
週刊朝日編集部

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-24

劇団素描・「松丸家劇団」・《芝居「あひるの子」の舞台模様》

【松丸家劇団】(座長・松丸家小弁太)〈平成26年10月公演・大宮健康センターゆの郷〉
芝居の外題は「あひるの子」。特別出演している「鹿島劇団」責任者・甲斐文太の「当たり役」、外題を見ただけで「鹿島劇団」の(珠玉の)舞台模様が、まざまざと浮かんでくる。子会社の社員夫婦と一人娘・君ちゃん、社員宅の2階に間借りしている若夫婦、親会社の社長、社員宅を点検で訪れる電気会社の社員、といった登場人物が繰り広げる社会人情喜劇である。今日は君ちゃんの18回目の誕生日、社員の夫は君ちゃんの好物・あひるの肉(北京ダック)を買ってお祝いしようと早々に帰宅した。そこに君ちゃんが一着100万円もする振袖姿で、社長さんともども現れる。聞けば、社長さんからのプレゼント、加えて装飾品まで買ってくれるとのこと、社員の妻、恐縮して「そこまでは・・・」と固辞するが、夫「いいじゃないか、社長さんは大金持ち。有難く頂戴すれば」と妻をせっつく。「せっかくだから、奥さんにも宝飾品をプレゼントしましょう」ということで、社長と君ちゃん妻の3人は連れだってデパートへ・・・。それを見送った間借り人若夫婦の夫、(大家の)社員に向かっていわく「おかしい、あの3人はまるで親子の風情・・・、あなたは奥さんといつ結婚したの?」「18年前の4月だけど・・」「君ちゃんが生まれたのは?」「その年の11月だよ」「そこだ!およそ人間の子どもというものは十月十日の潮満ちて、道来る潮とともどもにお産平の紐解けてオギャアと生まれてくるのが、これすなわち人間の子、七月児(ナナツキゴ)は育っても八月児(ヤツキゴ)は育ターン物」と絶叫する。この物語は、要するに、社長(あひる)の子(君ちゃん)を、お人好しの社員(ニワトリ)が、それとも知らずに18年間育てたという事実、知っているのは社長と自分の妻だけ、しかし人一倍やきもち焼きの間借り人(第三者)が「真実を見ぬく」という筋書きであり、その「絶叫」こそが一番の見所である、と私は思う。
 今日の配役は、社員夫婦に咲田せいじろう・松丸家美寿々、間借り人の若夫婦に座長・松丸家小弁太・松丸家光姫(?)、君ちゃんに松丸家ちょうちょ、社長に特別出演・甲斐文太、その他大勢といった面々であったが、その舞台模様は「今一歩」、「鹿島劇団」には及ばなかった。その理由1、主役の咲田せいじろう、「波平」然とした鬘をかぶっても、根っからのお人好し、人情味(ぬくもり)の描出には至らなかった。課題は「顔の表情」と「間」のとり方か。姿・形、所作を見ただけで「好人物」だとわかる風情がほしい。その理由2、間借り人役の座長・松丸家小弁太、エキセントリックな悋気の景色は垣間見えたが、「力が入りすぎ」。肩の力を抜いて、口跡の強弱(メリハリ)を工夫することが課題であろう。主役が甲斐文太、咲田せいじろうが社長役にまわれば、まったく別の舞台が展開されたに違いない、などと身勝手なことを考えてしまった。
 歌謡・舞踊ショーの逸品は、甲斐文太の「弥太郎笠」、これまでの着流しに替えて今日は股旅姿、長ドスに添えられた黄色い菊の花が一際あざやかに映え、男の色香ただよう舞姿は「国宝級」、さらには松丸家美寿々の舞に添えられた歌声「なには情話」(?)、その艶やかさもまた格別であった。この舞台を見聞できただけで望外の幸せ、今日もまた大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
プレミアム北京ダックローストセット 北京ダック1羽プレミアム北京ダックローストセット 北京ダック1羽
()
イーストゲート

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-23

劇団素描・「小林劇団」・《芝居「植木屋松五郎」の舞台模様》

【小林劇団】(座長・小林真)〈平成25年10月公演・湯ぱらだいす佐倉〉
私がこの劇団の舞台を、前回見聞したのは平成23年1月、今から1年8か月前であった。その時の感想は以下の通りである。〈私がこの劇団を初めて見聞したのは、3年ほど前であったろうか、今は閉鎖されている浅草大勝館の舞台であった。父(太夫元)・小林隆次郎、母(リーダー)・小林真弓、長男(座長)・小林真、次男・小林直行(副座長)、三男(花形)・小林正利、長女・小林真佐美らで構成する家族中心の劇団である。どちらかと言えば「歌謡・舞踊ショー」が「売り」の劇団で、座長・小林真の女形舞踊、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊、リーダー・小林真弓の歌唱が印象に残っていた。とりわけ小林真弓の「歌声」は抜群、たしか誕生日公演(?)には20曲ほど歌い続けたように思う。その後、奈良やまと座でも見聞、今回は3回目ということになる。芝居の外題は「弁天小僧菊之助・温泉の一夜」。なるほど、月日の経つのは早いもの、舞台の出来栄えは以前とは見違えるほど、座長・小林真が思わず芝居の中でつぶやいた一言、「兄弟だけで芝居ができちゃった・・・」、おっしゃるとおり、座長自身は「浪花の若旦那」、その愛人は小林真佐美、敵役・海賊の首領が副座長・小林直行、主役・弁天小僧に花形・小林正利、海賊の子分、座員・小林聡志、小林翼といった配役で、太夫元、リーダーの出番はない。兄弟妹が、それぞれの役柄を「初々しく」演じ分けた舞台模様は「お見事!」であった。長男・座長には「ゆとり」と「色気」、次男・直行には「渋さ」と「剽軽」、三男・正利と妹には「変身の妙」が感じ取れる、家族劇団ならではの景色であった、と私は思う。とりわけ、真佐美の成長は著しい。若旦那の愛人を演じる「純情可憐」な風情が、海賊の情婦になり果て、いっぱしの「すべた女郎」に変化(へんげ)する様相が何とも痛快で清々しかった。舞踊ショー、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊(「関の弥太っぺ」「人生劇場」)、リーダー・小林真弓の歌唱二曲は相変わらずの「一級品」、加えて、座員・小林翼、やや太めの図体を「絵」にしてみせる個人舞踊も魅力的であった。演目も洋舞は控えめ、あくまで従来の「艶歌」風を中心とした「歌謡・舞踊ショー」の景色は、今もなお「健在」。大きな元気を頂いて帰路に就くことができた次第である。〉だがしかし、三男・正利は、それから4か月後、20歳の若さで夭折してしまった。まさに「世は無常(無情)」、しかし劇団は、今なお彼のタベストリーを劇場に掲げ続け、「いつものように幕を開ける」のだ。芝居の外題は「植木屋松五郎」。幼時に両親を亡くした兄妹の物語である。兄・松五郎(座長・小林真)は、かつて、妹・志津(小林真佐美)を手籠めにしようとした相手を殺傷、島送りとなって十数年・・・。志津はその後、材木問屋の大店・山城屋の若旦那に見初められ、今では夫婦(めおと)の仲になっている。そこの大女将(リーダー小林真弓)にもたいそう気に入られ、幸せな毎日を送っていたのだが・・・。そんな折り、刑期を終えた松五郎が、島から帰ってきた。二人は山城屋の店先で再会、大喜びの志津は「お店のみんなに会って!」と紹介しようとするが、松五郎「こんな姿でまだ会うわけにはいかない。いずれ堅気の立派な姿になってから・・・」と立ち去ろうとする。志津、呼び止めて「じゃあ、これを持って行って」と財布を手渡した。松五郎「そんなものをもらうわけにはいかない」と固辞したが、「このお金は私がこつこつと働いて貯めたもの、お店のお金ではありません」という言葉を聞いて、ありがたく頂戴、退場した。この様子を見ていた、松五郎の旧友(小林翼たち)、山城屋出入りの植木職人になりすまして、志津には島帰りの兄が居ることを大女将に告知する。大女将、寝耳に水と驚いて、「志津に騙された」と怒り出す。その様子が何とも強烈、エキセントリックで、御贔屓筋は抱腹絶倒、私もまた大いに楽しませていただいた。さすがはリーダー小林真弓、三男を失った傷心を乗りこえて、日々の舞台に精進する姿に、私の涙は止まらない。やがて、大女将「今すぐ、この家を出て行きなさい。あなたが出て行かなければ私が出て行きます」その剣幕に若旦那も逆らえず、「お母さんの気持ちが収まるまで・・・。必ず迎えに行くから待っていておくれ」。志津「お母様の体が心配。お薬は御厨だなの引き出しに入っていますからね」などと言い残して去ろうとする時、やって来たのは松五郎、大女将を呼び出して土下座、「どうか、妹をこの家に置いてやって下さい。私は志津と兄妹の縁を切ります」しかし、頑として応じない大女将。以後の展開は定番、業を煮やした松五郎、堪忍袋の緒を切って、大女将と若旦那に諫言、妹とともに立ち去ろうとするのを、若旦那、大女将が「待って下さい」と改心、九州人情劇の典型的な景色で大団円となったが、そのきめの細かさにおいては屈指の舞台模様であった、と私は思う。二部の、歌謡・舞踊ショーでも見所は満載、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊「一本刀土俵入り」、リーダー・小林真弓の歌唱「無法松の一生」は斯界の「至宝」、加えて座長・小林真の女形舞踊「天城越え」も冒頭、末尾の「面踊り」が際だって秀逸、それは亡弟・小林正利の代演であったかもしれない。さらに言えば、長女・小林真佐美もまた、前回にもまして「一段と成長」、芝居に踊りに「女優」としての色香、妖艶さ、コケティッシュな魅力を輝かせ始めている。惜しむらくは、副座長・小林直行が九州座長大会出演のため不在、(あの)いぶし銀のような舞台姿を拝見できなかったことは残念だったが、この劇団の誰もが、花形の夭折胸に秘め、懸命に精進している姿は感動的で頼もしい。今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができたのであった。
古城/一本刀土俵入り/武田節古城/一本刀土俵入り/武田節
(2003/08/06)
三橋美智也

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-22

劇団素描・「劇団天華」・《芝居「源助地蔵」の名舞台》

【劇団天華】(座長・澤村千夜)〈平成23年10月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「源助地蔵」。堤防工事を請け負った侍(座長・澤村千夜)と、その家に出入りする植木職人・源助(副座長・澤村神龍)の物語である。源吉には女房(澤村ゆう華)との間に第一子・源太郎(抱き人形)が生まれたばかり、長屋の一同が集まってお祝いをしている。赤ん坊を皆で抱き回す風情が、なんとも滑稽でたいそう面白かった。皆が帰った後、源吉が、浮かない顔で帰宅する。御主人の様子が、いつもと変わって沈み込んでいるとのこと、何もなければよいがと話し合った後、奥に引っ込んで食事となった。そこにやってきたのが件の侍、足取りも重かったが、意を決して源吉宅の戸を叩く。応対に出た女房とは旧知の間柄と見え、親しく言葉を交わし合うが、時々、客席から笑いが起こる。(どうやら、侍役の座長と女房役の澤村ゆう華は実の夫婦らしいが、確証はない)生まれたばかりの源太郎を侍が「抱きたい」と所望、抱き方をあれこれと女房から教えてもらう様子もまた滑稽で、一段と絵になる場面であった。やがて、源吉も登場、侍と二人だけの話になる。侍曰く「堤防工事が相次ぐ事故で順調に進まない。占い師に見てもらうと、子年の人柱を立てることが肝要とのこと。当藩には子年の侍は皆無、ついては、子年のおまえにぜひとも人柱になってもらいたい」。源吉、仰天して「あっしには女房、子どもがおります。そればかりは・・・」と断るが、「そうであろうな。では、私はこの場で腹を切る」という侍を前にしては、どうしても断り切ることができなかった。かくて、恋しい女房、子どもと別れ、御主人のために人柱となって死んでいく。筋書きとしては単純、また、誰一人として悪人は登場しないのに、結果としては善良な「無辜の民」が犠牲になる「不条理さ」、が鮮やかに描出されていた。役者一人一人の心優しき「ぬくもり」が、その悲しい景色をいっそう際だたせる、超一級品の人情芝居に仕上がっていた、と私は思う。発展途上であった「劇団」が、今、間違いなく「大化け」(大成長)したことは間違いない。斯界の名人・喜多川志保の「参加」にも関わる結果であろうか・・・、などと思いを巡らしつつ、飛田のオーエス劇場に向かった。
仏像ワールドの特選仏像 地蔵菩薩 (厨子入)仏像ワールドの特選仏像 地蔵菩薩 (厨子入)
()
MORITA

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-21

幕間閑話・季節は冬、頑張れ「劇団・火の車」!

インターネットに「0481.jpからのお知らせ」という記事が載っている。その内容は以下の通りであった。〈皆様こんにちは。いよいよ年末も差し迫って参りました。 皆様、いかがお過ごしでしょうか。年末商戦の真っ直中に選挙があり、北朝鮮はミサイルを発射すると云っているし、勘三郎さんは亡くなってしまった。なんか、世の中の歯車が狂っています。そんな中、劇団の公演先も一つずつ閉館していく今日この頃、大衆演劇界も冬を迎えています。需要と供給のバランスが崩れて来ています。公演先が減る一方で、劇団数は増えずとも現状維持の状況。当然に、休演する劇団が出てきます。休演を避けるための安売りをしたのでは、出演料のバランスまで崩れて劇団経営が成り立たなくなってしまう。数ある劇団の中でも、各公演先に引っ張りだこの劇団は一割程度。各、興業社は頭を痛めています。劇団も、人気を得て話題となるようより一層努力し、興行師も将来を見据えて劇団を育て、公演先を一つでも多く開拓していく努力をしなければなりません。ひと昔前のように、待っているだけの時代はとうに終わっているのです。そう感じて、0481.jpを起ち上げました。0481.jpがあることによって少しでも大衆演劇が話題となり、新しい公演先が一つでも増え活性化のお役に立てれば幸いと思っております。0481.jpをご利用の皆様、大衆演劇を利用したイベントをどうぞ企画してください。0481.jpのTOPページにある「お問い合わせ」から連絡をください。または、下記まで連絡をお願いいたします。〉(以下略)
(2012.12.8)。
 私が、大衆演劇を初めて観たのは、昭和46年(1971年)。爾来40余年が経過したことになる。この間、若葉しげる、深水志津夫、旗丈司、松川友司郎、五月直次郎、見海堂駿、辻野光男、梅沢武生、金井保、長谷川正二郎、若水照代、大日向満、大導寺はじめ、見城たかし、東千之介、辻野耕輔、山口正夫、里見要次郎、沢村千代丸らの時代を経て、都若丸、市川千太郎、小泉たつみ、近江飛龍、姫京之助、筑紫桃太郎、南條隆、樋口次郎、三河家桃太郎、桜京之介、寿美英二、かつき夢二、龍千明、松丸家小弁太、春川ふじお、荒城真吾、玄海竜二、沢竜二、大川竜之助、藤間智太郎、鹿島順一・・・(数え上げればきりがない)らの舞台を見聞してきた。筆者いわく〈大衆演劇界も冬を迎えています。需要と供給のバランスが崩れて来ています。公演先が減る一方で、劇団数は増えずとも現状維持の状況。当然に、休演する劇団が出てきます。休演を避けるための安売りをしたのでは、出演料のバランスまで崩れて劇団経営が成り立たなくなってしまう。数ある劇団の中でも、各公演先に引っ張りだこの劇団は一割程度〉。おっしゃる通り!だがしかし、私の独断と偏見によれば、大衆演劇界は、つねに「冬」でなければ意味がない。〈冬枯れの野べとわが身を思ひせば燃えても春を待たましものを(伊勢・古今791)〉という古謡もあるではないか。
 今、全国各地では「恒例」の座長大会が行われている。例えば、①九州演劇協会 定例座長大会■開催日時2012年12月7日(金)■場所 ユーユー・カイカン■料金指定S席8,000円指定A席6,500円指定B席5,000円※当日券は+500円、②おぐら座 定例座長大会■開催日時2012年12月10日(月)■場所おぐら座■料金S席 8,000円 A席7,000円昼夜S+S席14,000円昼夜S+A席13,000円昼夜A+A席12,000円、③澤村心座長襲名5周年・澤村かずま座長襲名座長大会■開催日時2012年12月14日(金)■場所 新開地劇場■料金前売指定7.000円当日8,000円自由6,000円、④和・一信会 友情特別公演■開催日時2012年12月14日(金)■場所羅い舞座 京橋劇場 ■料金前売指定3,000円 当日指定 3,500円、⑤同魂会年末座長大会■開催日時2012年12月14日(金)■場所博多新劇座 ■料金A席6,500円B席6,000円C席5,50円・・・。  いずれも、入場料金は「通常」の、2~5倍以上、もはや「大衆」(私)の「入る幕」はないのである。「需要と供給」のバランスが「価格」で決まる(保たれる)のは経済の常識、金満家の客筋ばかり当てにすれば、需要が減るのは当然であろう。「大衆演劇」の神髄は《低料金で「もどき」の芸が観られること》、今日もまた、20名そこそこの観客を相手に、渾身の力を振り絞って「芸道に精進する」劇団がある。そしてまた、そうした劇団を引っ張る(稀有な)「公演先」(芝居小屋)も、(わずかながらに)あることを、私は信じて疑わない。たしかに、今は「冬」、しかし、多くの先達が蒔かれた(珠玉の)種は、したたかに芽生え、「冬牡丹」(個人舞踊)のような名花を咲かせているのだ。がんばれ大衆演劇!そして、劇団「火の車」!
(2012.12.14)
大衆演劇お作法 (ぴあ伝統芸能入門シリーズ)大衆演劇お作法 (ぴあ伝統芸能入門シリーズ)
(2004/03)
不明

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-20

劇団素描・「梅澤武生劇団」・《芝居「団五郎囃子」の舞台模様》

【梅澤武生劇団】(座長・梅澤武生)〈昭和58年3月公演・浅草木馬館〉
 「終活」をしていたら、押し入れの中から古いカセットテープが15本出てきた。タイトルを見ると、いずれも「トミオ」「浅草」「十条」などと記されている。日付けは、昭和57年から59年にかけて、「梅澤武生劇団」が芝居小屋で興行していた頃の舞台模様が収録されていた。聞いていると往時の景色が、まざまざと蘇ってくる。その中に、「恐怖の3回公演」(朝・昼・晩)という1本があった。劇場は浅草木馬館、日時は記されていない。プログラムは、①楽団ショー、②芝居、③舞踊ショー、④バラエティーという4本立てであった。楽団ショーのトップは、梅澤富美男の「魔界のチャンプ」、以下、梅澤大介の「可愛いおまえ」「氷雨」、竹澤隆子の「舟唄」、梅澤修の「津軽じょんがら流れ唄」、梅澤富美男の「演歌みたいな別れでも」「夢芝居」と続き、最後は座長・梅澤武生の「役者音頭」で締めくくる。どの歌声も「旅役者の魂」が込められており、プロの流行歌手では描出できない「空気」が漂う。時折「いい声だね」「上手いよ!」などという観客の声も聞かれ、また司会の梅澤修が舞台上から、満員で入りきれない客席を整理する様子も収録されており、臨場感あふれる内容であった。芝居の外題は「団十郎囃子」。ある村の庄屋(板東多喜之助?、梅澤智也?)の息子・政二郞(市川吉丸?)が貧農の娘・お千代(役者不詳)に恋をする。政二郞は修業のため江戸に出向くことになり、帰ってきたらお千代と所帯をもつ縁談が、土地の大親分(梅澤富美男)の仲立ちで成立したのだったが・・・。江戸への壮行会の席で、酒に酔った政二郞が、けんちん鍋をひっくりかえしてお千代に大火傷を負わせてしまう。それでも貧農の兄(梅澤修)とお千代、政二郞が帰ってきたら約束どおり祝言をあげられると信じていた。しかし1年後、政二郎は江戸で知り合った芸者・小雪(辻野耕輔)を連れて立ち戻り、所帯を持ちたいという。そこで(親ばかの)庄屋、金の力で、お千代との「縁談破談」を大親分に依頼。大親分、はじめは「そんなことができるわけはない」「このおれを誰だと思う。おわっと!・・・三十六ケ村の大親分だわさ!」と強弁していたが、金をつかまされると途端に「やらせてもらおうじゃねえか」と変身する様子がなんとも面白い。この大親分、甚だ頼りない。庄屋、政二郞と連れだって貧農宅を訪れたが、なかなか破談の話を切り出せない。その「ちんぷんかんぷん」な風情がたまらなく魅力的であった。やむなく庄屋が直接談判する羽目に・・・。貧農の兄、「約束が違う」と抗ったが、庄屋は5両の手切れ金を放り投げて「縁談破談」は成立した。兄「四百四病の病より貧ほどせつねえものはない」と嘆くうち、お千代の姿が見えなくなった。女房(長島勇次)が書き置きを見つけ出し、読めば「身投げをする」とのこと、あわてて四方八方手を尽くしたが見つからない。悲嘆にくれていたが、やがて妙齢の女、お千代を伴って登場。「底なし沼で身を投げようとしているところを止まらせ、連れてきました」由、だがしかし、この女こそ、兄妹の仇敵、芸者・小雪であったとは・・・。兄から事情を知った小雪、庄屋に立ち戻り祝言をあげたが、以後は「長襦袢姿」で酒浸りの日々を繰り返す。庄屋は頭を抱え、再び大親分に「縁談破談」を依頼した。大親分「おまえさん、出てくるたんびにオレに縁談破談を頼みやがる」とぼやいたが、またまた金をつかまされて、小雪の前へ。「おわっと!・・・三十六ケ村の大親分だわさ」と迫ったが、所詮は田舎のヤクザ、江戸の芸者には刃が立たない。「いいようにあしらわれる」様子は抱腹絶倒場面の連続であった。やがて、小雪が江戸から呼び寄せた真打ち、歌舞伎役者・団十郎(座長・梅澤武生)登場、二人で「いい男」「いい女」の嘘芝居を見せつけ、呆れ果てた庄屋から、まんまと手切れ金100両を頂戴する。政二郞、「お前、私をだましたな」と詰め寄ったが「だましたのは、あなたの方。言い交わした娘さんがいたじゃないか。頂いた絞りの羽織はお返しします。新しい花嫁御寮に着せておやんなさい」。折しも流れてくる「さざんかの宿」の音曲に、芸者・小雪の「侠気」も加わって、たいそう
鮮やかな幕切れであった。舞踊ショー・バラエティー、は、「吉良の仁吉」(市川吉丸・竹澤隆子)、「花と竜・美空ひばり」(子役、吉丸・隆子の息子と娘、芸名失念)、「恋花道」(梅澤武生・梅澤富美男)、「母恋子守唄」(梅澤修?)、「他人酒」(辻野耕輔)、「恋みれん」(梅澤富美男)、「夜の新宿しのび逢い」(板東多喜之助)、「夢芝居」(梅澤富美男)等々、まさに「てんこ盛り」の内容で、飽きることはなかった。最後に観客の一言、「楽しかったね」でテープは終了している。
 時は今、平成26年・・・。ほぼ30年前(昭和50年代末期)の舞台模様であったが、それが昨日のことのように思い出されて、私の涙は止まらない。(2014.9.19)



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-19

劇団素描・「劇団竜之助」・《座長、命がけの東京公演・「天竜筏流し」》

【劇団竜之助】(座長・大川龍之助)<平成20年10月公演・浅草木馬館〉
 座長曰く「私たちの劇団は、東京公演は初めてです。私は、今回の東京公演に命を賭けています」。なるほど、私の観劇は今日で4回目だが、その気迫、意気込みは、十分に伝わってくる。思わず、「座長、待ってました日本一! 大統領!」と声をかけたくなるような舞台の連続であった。身長は160センチ台と小柄だが、その分「芸で勝負しよう」という本人の言葉どおり、三代目座長・大川竜之助の「実力」に並ぶ役者は、(そうたやすくは)見つからない。年上である兄三人も、そのことを認めているからこそ、跡目を継がせているのではないだろうか。私が見聞したのは、長兄の大川龍昇と末兄の椿裕二。龍昇の舞踊「お吉物語」は珠玉の名品として、今でも私の目に焼き付いているのだが・・・。
 さて、三代目・大川竜之助が、命を賭けて闘うべき相手は、彼自身が当然見抜いているとおり、「関東の観客」である。座長の推測によれば、関東の客は、①「古いもの」(古典・時代物)が好き、②本格的な立ち回りが好き、とのことである。そういう面もあるかもしれない。私の推測によれば、(関東の客は)①しつこいのが嫌い、②悪ふざけが嫌い、③長ったらしいのが嫌い、④明るいのが好き、⑤面白いのが好き、ということになるだろうか。今日の舞台、芝居の外題は「天竜筏流し」、対立する二つの一家、徳田金兵衛(座長)と亀甲組二代目(大川史音)の「絡み合い」が主たる筋書。敵役に扮した座長が、どこまでも「柄悪く」「憎々しげに」「えげつなく」、二代目とその子分(大川竜馬)を「いじめ通す」ところが見どころ、しかし、そのままでは終わらない。終盤の「入札場面」では双方の金力が逆転、史音と座長の立場も逆転する(その助力をする大川マリアの風情が秀逸)経緯が、実に面白かった。さきほど「柄悪く」「憎々しげに」「えげつなく」「いじめ通した」座長が、全く同じ手口で「いじめ返される」段取り、風情が、客の思惑通りに展開、これまでたまっていた「重苦しい」「胸のつかえ」が吹っ飛んだところで終幕となった。関東風(「梅沢劇団」風)なら、敵役の「改心」が加わるが、そんなことはお構いなし、座長も鮮やかに斬られてチョン、という結末も悪くはない。芝居の眼目は「因果応報」(勧善懲悪)、悪いことをすれば、必ず自分もひどい目に遭うという、単純な道徳だが、関東の客は、④明るく、⑤面白いということで、この芝居に「合格点」を与えるのではないだろうか。
 歌謡、舞踊の数々も「名品揃い」で「お見事!」という他はないが、さらに言えば「静と動」「明と暗」「和と洋」「緩と急」等、コントラストを効かせたプログラム編成をすることが肝要、「さすりゃあ、座長を筆頭に各座員の〈魅力〉が倍増するに違いは、ありゃあしない」のである。 
 最後に、まとめ(蛇足)の一言。座長が命を賭けて闘う相手は「お客様」。一人でも多くの「お客様」をゲットするために大切なことは何か。(「大入り」「不入り」にかかわらず)今、目の前にいる「お客様」を満足させることである。たった一人でもいい、舞台を観に来てくれた「お客様」のために「命を賭ける」(全力を尽くす)ことである
唄くらべ民謡競演 第14集唄くらべ民謡競演 第14集
(2010/05/25)
オリエント専属民謡会

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1





2023-12-18

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「美賊の顔役」の舞台模様》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成24年10月公演・新潟古町演芸場〉
芝居の外題は「天保六歌仙・美賊の顔役」。主なる配役は、河内山宗俊・水城舞阪錦、金子市之丞・水廣勇太、片岡直次郎・水谷研太郞、暗闇の丑松・水嶋隼斗、直次郎の母・水葉朱光、伊達家屋敷の主人・梅沢洋二朗といった面々。筋書きは直次郎が(親孝行のために)「一国一城の主に出世した」というデタラメの手紙を大阪の母に送ったが、間の悪いことに、その母が江戸にやってくるとのこと、なんとかその場を繕うために、河内山、金子市、丑松たちが「一芝居」うつ、というお話である。「俺たちには母は居ない、直次郎の母を借りて、親孝行の真似事をしよう」という金子市の提案に、河内山、丑松が「渋々」応じる、伊達家の屋敷は今、主人が留守、そこに巣くっている乞食連中を「家来」に見立てて、直次郎の母を迎えるが、母は、初めからお見通し・・・、といった筋書きで、眼目はアウトロー同士の「友情」であろうか。自分たちはお縄にかかって死罪は免れない。しかし直次郎だけには親孝行をしてもらいたい。母と一緒に大阪に逃げろ、という金子市の言葉に逡巡する直次郎。一方、母親は「仲間と一緒に死になさい」と追い返す・・・、といったあたりが芝居の見せ場だったのかもしれないが、出来映えは「今一歩」であった、と私は思う。その理由1、金子市の「友情」ばかりが目立ちすぎ、河内山、丑松が、直次郎をどう思っているのか、はっきりしない。はたして、この4人は「切っても切れない」間柄なのだろうか。その結果、理由2、母親の「仲間と一緒に死になさい」という言葉に、重みが感じられなかった。理由3、伊達家主人と金子市の絡みも同様、侍同士が感じ合う「侠気」の風情が不十分・・・。もしかして、ここは新潟、しかも昼の部は「特選狂言・明治一代女」だったとすれば、夜の部は「息抜き」「気抜き」「手抜き」があったか、(おそらく)フルメンバーが芝居の舞台に登場していただけに、何とも残念な結果であった。それにしても、外題の「美賊」とはなんぞや?「顔役」とは誰のこと?そんな疑問が生じたまま帰路に就いた次第である。
贋作 天保六花撰 (講談社文庫)贋作 天保六花撰 (講談社文庫)
(2000/06/15)
北原 亞以子

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-16

劇団素描・「劇団紅」・《芝居「吉良の仁吉」の音曲模様》

【劇団紅】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 この劇団の特長は、人情劇、人間模様の描出にある。総座長・紅大介の魅力はどちらかといえば「女形」、立ち役でも、どちらかといえば「つっころばし」または藤山寛美もどきの「三枚目」の風情が格別だと、私は思う。武張った侍芝居、侠気の極道芝居となると、やや迫力不足の感は否めない。本日、芝居の外題は、御存知「吉良の仁吉」。あまりにも有名な任侠劇だけに、はたしてどのような舞台模様になるか、興味津々で開幕を待った。配役は吉良の仁吉に総座長・紅大介、その恋女房・お菊に紅このみ、神戸の長吉に紅新太郎(?確証はない)、それとも紅秀吉(?)、次郎長一家・桶屋鬼吉に紅悠介、小政に紅めぐみ(?確証はない)、安濃徳次郎に大倉扇雀、その食客・角井門之助に後見・見城たかし、といった面々でまず申し分ない。だが開幕前の一瞬、不安がよぎった。この芝居に必要不可欠な音曲・「吉良の仁吉」(歌・美ち奴、詞・萩原四郎、曲・山下五郎)が流れるかどうか。それが叶わなくても、せめて「任侠吉良港」(歌・島津亜矢、詞・曲・村沢良介)ぐらいは・・・、と思ううちに幕は開いたのだが、ナナ、ナント!、流れてきたのは「ひまわりの約束」(歌、詞、曲・秦基博)であったとは、思わず私は瞑目して頭を垂れた。やんぬるかな、「どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに 自分より悲しむから つらいのかどうかわからなくなるよ ガラクタだったはずの今日が ふたりなら宝物になる そばにいたいよ君のために出来ることが僕にあるかな いつも君に ずっと君に笑っていてほしくて ひまわりのような まっすぐな その優しさを 温もりを全部 これからは僕も届けていきたい・・・」と言われても、《君》は「お菊」、断じて「ひまわり」ではないのである。以後の「芝居」の展開に瑕疵はなく、ことのほか見事な出来映えだっただけに、誠に残念である。ちなみに、必須の音曲「吉良の仁吉」、(原曲・美ち奴の音源が「音質不良」なら杉良太郎のカバー曲もあるではないか)は以下の通り。「海道名物数あれど 三河音頭に打ち太鼓 ちょいと太田の仁吉どん 後ろ姿の粋なこと 吉良の港はおぼろ月 泣けば乱れる黒髪の 赤い手柄も痛ましや お菊十八恋女房 引くに引かれぬ意地の道 止めてくれるな名がすたる いやな渡世の一本刀 辛い別離をなぜきらぬ 嫁と呼ばれてまだ三月 ほんに儚い夢のあと 行かせともなや荒神山へ 行けば血の雨涙雨」。また、次善の「任侠吉良港」だって以下の通り。「雨にあじさい風にはすすき 俺にゃ似合いの裏街道 赤い夕映えこの胸に 抱いてやりたい花一輪 合わす両手にほろりと涙 お菊十八 お菊十八恋女房 なるになれねえ渡世じゃないか 意地と情けの板ばさみ 別れ盃交わす夜は そっと心で詫びている 行かにゃならない荒神山へ 男涙の 男涙の離縁状 惚れたお菊に背中を向けて 野菊片手に散り急ぐ 夫婦暮らしも束の間の たった三月の恋女房 義理を通した白刃の舞に 波もざわめく 波もざわめく吉良港」。この芝居の眼目は「行かせともなや荒神山へ」というお菊の心情と「行かにゃならない荒神山へ」という仁吉の心意気が綯い交ぜにされた、男女の「不条理」なのだ。もし、これらの音曲が一幕各景の其処此処に挿入されていたなら、国宝級の名舞台になっていたに違いない。それにしても、紅このみの恋女房、「ひまわりの約束」をしたばっかりに「ガラクタのイモ姉ちゃんになってしまったか・・・」などと、身勝手、不謹慎な妄想・偏見を抱きつつ、帰路に就いた次第である。ゴメンナサイ。(無礼をお許しください) 



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-15

劇団素描・「新川劇団」・《芝居「原爆の子」、眼目は「反戦平和」》

【新川劇団】(座長・新川博也)〈平成22年10月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「原爆の子」。開幕直後の舞台背景には、昭和20年8月6日、広島に原爆が投下されたニュース写真が映し出され、登場するのは、血だらけ傷だらけ、衣服はボロボロ、立っているのがやっと、といった「この世のものとは思えない」被爆者ばかり、といった景色で、その切迫した状況が見事に描出されていた、と思う。およそ大衆演劇の風情とはかけ離れた舞台からスタートしたが、案ずるには及ばず、二景の場面は、それから19年経った広島、とある芝居小屋の木戸口に移り変わる。被爆直後、行方不明になってしまった息子を探し続けている父親(座長・新川博也)が登場、木戸口に掲げられた一座のポスターに眼をとめた。座長の顔写真を食い入るように見つめた後、「息子によく似ている。息子に間違いない」と確信、木戸銭を払おうとするが10円足りない。木戸番の親父(川乃洋二郎?)と「まけてくれ」「いや、まけられない」と揉めているところに、売店のお茶子(新野正己?)が助け船、10円補って、二人は芝居小屋の客席へ・・・。上手に退場したが、いつのまにか、湯宴ランドの客席後方から再登場。「えーと、どこの席がいいかな・・・」などと言いながら、物色し始めた。たちまち、客席全体が芝居の舞台に早変わり、観客一同も登場人物にされてしまう、といった趣向がたいそう奇抜で面白かった。舞台では劇中劇の「グランドショー」が開幕、組舞踊「元禄花見踊り」(新川博之、峰そのえ、他)の出来栄えは、ひときわ艶やかであった。個人舞踊は、座長(副座長・新川笑也)の「肥後の駒下駄」、ひと踊りが終わるやいなや、客席から父親が舞台に駆け上がる。「そうだ、おまえは息子、私の息子に違いない!」といって座長に取りすがった。一同唖然としてショーは中断、しばし父親の「子別れ話」に座員・観客ともども聞き入る羽目に相成った。その話が終わると、またまた客席から、誰やら大声をあげて舞台に駆け上がる。「お父さん!あなたの息子は私です!」。本当の息子(副座長新川笑也・二役)は客席の方にいたのだった。加えて、息子の嫁も乳飲み子を抱えて客席から登場、被爆者の親子が19年ぶりに無事再会を果たして、大団円となる筋書であった。芝居の眼目は、「原爆がもたらした悲劇」の描出、根底には、庶民の視点から見た「反戦感情」が根強く、根深く流れていることは確実で、表面的なイデオロギーをはるかに超える説得力があった、と私は思う。大衆演劇が眼目とする「義理人情」「勧善懲悪」「滅私奉公」「長幼の序」「人権尊重」といった徳目に、あらためて「反戦平和」の感情を加えなければならないことを肝銘して、帰路に就くことができたのであった。感謝。
原爆の子 [DVD]原爆の子 [DVD]
(2001/07/10)
乙羽信子、滝沢修 他

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-14

劇団素描・「劇団新」〈芝居「悪党」&龍児の絶唱「ひばりの佐渡情話」〉

【劇団新】(座長・龍新)〈平成27年10月公演・新潟古町演芸場〉
 新潟市万代島「ぴあバンダイ」の「佐渡回転寿司・弁慶」で昼食後、観光循環バス(朱鷺メッセ先回りコース)に乗車、朱鷺メッセ、歴史博物館、北前船の時代館、北方文化博物館分館、安吾風の館、マリンピア日本海、新津記念館、白山神社を巡り、東堀通六番町で下車、「古町演芸場」に向かう。午後1時から昨日に引き続き大衆演劇観劇。「劇団新」(座長・龍新)。今日は、飛鳥光輝の「17歳誕生日公演」とあって贔屓筋の賑々しい空気が漂っていたが、特別な趣向はなく、いつも通りのプログラムで始まった。芝居の外題は「悪党」。「劇団朱光」(座長・水葉朱光)が演じる芝居「天保六歌仙・美賊の顔役」と同じ内容であった。しかも、私は今から丁度4年前(平成23年10月)、ここ古町演芸場でその演目を見聞していた。今日の舞台の配役は、河内山宗俊に指導後見・龍児、金子市之丞に座長・龍新、暗闇の丑松に龍錦、片岡直次郎に飛鳥光輝、直次郎の母親に秋よう子、伊達家の姫君に龍小優、腰元に千明ありさ、お菰連中に立花智鶴、飛鳥ななという面々である。筋書きは単純。直次郎が大阪在住の母に「一国一城の主になった」と嘘の手紙を書く。真に受けて喜んだ母、その様子を一目見ようと江戸に上ってきたのだが・・・。「どうしよう、嘘がばれてしまう」とあわてる直次郎に、金子市がいわく「親が居るのはお前だけ、みんなで親孝行の真似事をしてやるから安心しろ」。かくて空き家同然の伊達家の屋敷を舞台に、一同が珍奇な「侍芝居」を演じるという次第。空き家に住み着いていたお菰連中を腰元に、直次郎は若君、河内山は家老、金子市、丑松は家来衆になりすまし、母を招き入れささやかな宴を催した。しかし、母と直次郎が席を外すと,現れたのは屋敷の主、伊達家の姫君!「これはいったいどういうことじゃ」と訝れば、平伏して事の次第を申し上げる金子市と河内山、その場は収まったが、たちまち屋敷は町方衆に取り囲まれてしまった。やむなく直次郎と母を大阪に逃れさせ、自分たちは切り死にする覚悟を決めたのだが・・・。母親、金子市に向かって「日本橋で待っています。必ず見送りに来て下さい」という言葉が気になったか、囲みを破って日本橋に駆けつけた。母親、「ありがとうございました。直次郎の嘘話は、初めからわかっていました。直次郎のために命を懸けて下さるお仲間の温情を思えば、直次郎を連れて帰るわけにはまいりません。どうか、皆様と一緒に死なせてやってください」と懇願して退去した。やがて追っ手が迫り、キッとして立ち向かう金子市と直次郎、その「だんまり」のまま閉幕となった。この芝居の眼目は、アウトロー同士の絆と親子の情愛、その絡み合いをどのように描出するか、といったあたりだと思われるが、それは難業である。「劇団朱光」の舞台と比べれば、母親役の水葉朱光よりは秋よう子の方が「上」、河内山の風情は水城舞坂錦より龍児の方が「上」、金子市の水廣勇太、龍新は「同等」、丑松は水嶋隼斗より龍錦が「上」、肝心の直次郎は、水谷研太郎より飛鳥光輝が「下」といった按配で、甲乙はつけがたい。しかし、「劇団朱光」には登場しなかった伊達家の姫君、龍小優の凜とした「立ち姿」は絶品、むさくるしい「野郎劇」の中では、一際あでやかな光彩を放っていた、と私は思う。
 第二部、グランドショーでは、指導後見・龍児の歌唱「ひばりの佐渡情話」が圧巻、その風貌(55歳)とは対照的なファルセット(裏声)が「えもいわれぬ」情感を醸し出す。私は平成20年以降、7年間に亘ってこの劇団の舞台を見聞し続けているが、龍児の歌唱がこれほどまでに鮮やか、巧みであることを知らなかった。なるほど、旅役者の実力は半端ではない。また、いつ、どこで、誰が、このような「至芸」を披露してくれるかわからない。大衆演劇の「不可思議」な魅力はどこまでも続く・・・、などと思いながら帰路の新幹線に乗り込んだのであった。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-13

劇団素描・「劇団新」・《芝居「地獄の祝言」の舞台模様》

【劇団新】(座長・龍新)〈平成27年10月公演・古町演芸場〉
私が最後にこの劇団の舞台を見聞したのは2年前(平成25年11月)である。当時の座員であった千明みな美、千明将人の姿はなく、新たに飛鳥光輝、飛鳥奈夏(奈→菜?)という名札が加わっていた。芝居の外題は「地獄の祝言」。一家親分の妹(千明ありさ)に見初められた新入りの子分A(座長・龍新)、親分(秋よう子)から妹の縁談話をもちかけられ、いったんは断ったが、「たっての頼み」ということで承諾した。その様子を窺っていた一家の兄貴分B(飛鳥光輝)は面白くない。一家の乗っ取りを企んでいる用心棒の侍(龍錦)に奸計を耳打ちされて実行に及んだ。ややあって、一家はたちまち火の海、駆けつけた子分A、兄貴分C(指導後見・龍児)が止めるのも聞かずに、その中へ飛び込んだ。ようやく婚約者の妹を助け出したが、顔面には大きなヤケド・・・。その事件を境に、子分Aの縁談話はプッツリと立ち消えてしまった。絶望した子分Aは、妹(龍小優)の心配をよそに酒浸りの日々を送っていたが、そこへ兄貴分Cが正装して訪れた。「祝言の話を持ってきた」。「そうか!やっぱりお嬢さんは待っていてくれたのか」と小躍りするAにむかって、Cいわく「祝言の相手はお前ではない。Bだ!}「何だって?」激高するAを諫めて「くやしいだろうが我慢しろ。これから祝言の席に出向いて挨拶をするんだ」「嫌だ!嫌だ!」。・・・・、しかし、大恩ある親分のためAは堪えて宴席に赴いた。待っていたのは「何しに来た!ここはお前のような化け物のくるところではない。とっとと消え失せろ」という親分の罵声だったとは。子分A、たまらず親分に斬りかかろうとしたがCに止められ、一時は我慢した。帰り際には再び一同の哄笑・罵声浴びせられ、やむなく帰路に就いたが胸中は収まらない。独り、とって返すとB、親分、子分衆を次々にめった斬り、とどめは花嫁を刺殺して自分も腹を突く。まさに「地獄の祝言」の景色そのままに閉幕となった。この芝居の眼目は「愛の不条理」、愛する女に裏切られた男の、「どうしようもない淋しさ」の描出にあると思われるが、そのためには男を狂わせる女の妖艶さが不可欠、花嫁姿の千明ありさには、まだ「荷が重すぎた」かもしれない。座長・龍新の演技が真に迫れば迫るほど、「空回り」の感があったように、私には思えた。また、仇役子分Bの飛鳥光輝もまだ入団まもない17歳とあっては、まだ「迫力不足」、恋敵の「憎々しさ」の描出までには相当の時間が必要であろう。指導後見・龍児の口上では、「100点満点とすれば今日の出来映えは2点です」とのこと、今後の精進を期待したい。また、千明みな美は「寿退団」し、まもなく男児をもうけた由、御同慶の至りである。グッドラック!
 明日は、飛鳥光輝の「誕生日公演」とやら、「もう一回、観てみようか」、かすかな期待を込めながら帰路に就いた次第である。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


2023-12-12

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「瞼の母」、会長・紅あきらの「油断」》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は、大衆演劇の定番「瞼の母」。この芝居をどのように演じるか、それで「劇団の実力が決まる」と、私は思っている。開幕まで時間があったので、私は配役を考えた。番場の忠太郎・紅大介、水熊のお浜・紅あきら、お登世・紅このみ、夜鷹おとら・大倉扇雀、素盲金五郎・見城たかし、板前・紅秀吉、素浪人用心棒・紅悠介。そして主題曲は「瞼の母」(京山幸枝若、島津亜矢、杉良太郎、中村美律子)又は浪曲(二葉百合子、中村富士夫)・・・。しかし、その予想は見事に外れたのである。開演前のアナウンス「紅あきら主演・・・」そうだったのか。では、お浜は誰がやる・・・?などと思ううちに幕が開いた。一景は料亭・水熊の店先。今しも夜鷹・おとらが店内に入ろうとしてつまみ出された。つまみ出した板前は、後見・見城たかし、おとらは大倉扇雀・・・。被り物を取ったおとらの顔を見て板前「ややっ、お前は夜鷹のおとら!」「ふん、そう言うところをみると、お前さん、私の客だったんだね」「バ、バ、バカを言うな」というやりとりが魅力的だった。さすがはベテラン同士!「こんな汚ねえ婆に用はない、とっとと消え失せろ」と突き飛ばそうとすれば、「待て!」と言って、番場の忠太郎の会長・紅あきら颯爽と登場。「おばあさん、怪我はなかったかい」「ハイ、ありがとうございました」と語り合う。歳のこと、倅のこと、故郷のことを聞き出すうちに、忠太郎は水熊の女将が江州出身であることを突き止めた。「久しぶりに人間扱いされた。これから倅の墓参りにまいります」と感謝するおとらに忠太郎は小判を与え、「そんな商売から身を洗って、これからはのり商いでもはじめなせえ」と優しく送り出した。「ありがとうございます」と何度も頭を下げながら退場するおとらの姿は絶品、この絡みを見聞できただけでも望外の幸せであった。私がこれまでに観たおとらの中では群を抜いた舞台姿であったと思う。それにしても、この大倉扇雀という役者はただものではない。女将、女親分、老婆はもとより、侠客、侍、老爺などの立ち役までも、「声音を変えて」見事にこなす。あの名人・喜多川志保に勝るとも劣らない実力の持ち主であることを、私は思い知らされたのであって。(さぞかし、舞踊ショー舞姿も艶やかであろう)そのおとらを見送った後、忠太郎、逡巡しながらも意を決して水熊屋に飛び込んで行ったのだが・・・。二景の景色を見て、私の力は一気に脱けてしまった。何と、何と、お浜を演じるのは総座長・紅大介であったとは!、・・・それはないでしょう。大介が「精一杯」お浜を演じていただけに、このミス・キャストは残念でならない。どう考えても、父親が息子に向かって「おっかさん!」と叫ぶ姿は不自然である。それを「芸の力」で補うのが役者の宿命(真髄)であったとしても、もし忠太郎を演じるのが秀吉であったなら、私は十分にうなずける。しかし、紅あきらは同魂会会長を務める大御所である。貫禄が違うのである。紅あきらが「おっかさん!」と言って胸を借りられるのは大倉扇雀をおいて他にはあるまいに。かくて、本日の舞台は、紅あきらの「独断的」独壇場、「一人芝居」に終わってしまった、と私は思う。いうまでもなく、芝居は一人ではできない。その一人を支える相手役との呼吸、さらには脇役陣とのチームワークが不可欠なのである。紅あきらの演技力がどれだけ素晴らしいものであったとしても、一人だけでは「空回り」、その素晴らしさが半減してしまうのである。本日の主題曲も、私の予想に大きく反して「百年の恋」(歌・三浦和人、詞・伊藤薫、曲・三浦和人)であった。詠っていわく「もしもできるものなら ふる雨になり あなたの眠りにつく 窓に流れてみたい 思うだけで切ない あなたのことは・・・」。そう言われても、この舞台の「あなた」は母親であって「恋人」ではないのである。配役のミス・キャスト同様に、「性愛」と「母性愛」を混同したミス・マッチとしか私には思えない。この選曲もまた、会長・紅あきらの「独断」によるものかもしれない。「独断」はリーダーとしての魅力を存分に発揮することも多いが、時として「油断」につながる虞もあるので、くれぐれも御注意を!、などと身勝手なことを考えてしまった。
 第二部・舞踊ショー、大倉扇雀の舞姿を一目拝みたかったが、出番はなかった。



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-11

劇団素描・「松丸家劇団」・《芝居「関取千両幟」の名舞台》

【松丸家劇団】(座長・松丸家小弁太)〈平成26年9月公演・みかわ温泉海遊亭〉
芝居の外題は「関取千両幟」。浪花の関取・稲川(座長・松丸家小弁太)が江戸に遠征、初日から白星を重ねているが、いっこうに御贔屓がつかない。たまたま出会ったお菰(松丸家翔?)から「贔屓になってやろう」と言われ、稲川は快諾する。稲川に従う弟子二人(咲田せいじろう、松丸家ちょうちょ)は「お菰を贔屓にするなんて」と呆れたが、そこにやって来たのがお菰姿の新門辰五郎(客演・甲斐文太)、半身不随のヨイヨイの風情、悪臭紛々のまま部屋に上がり込む。稲川「ありがとうごんす」と歓待すれば、薄汚れた袋の中から腐った酒を取り出して「贔屓のしるし、一杯飲んでくれ」と勧めた。弟子たち「そんなもん、やめなはれ」と制止するが、その手を振り払って一気に飲み干す。「いい飲みっぷりや、弟子たちにも・・・」、弟子たち固辞するが、稲川に「飲まんかい!」と一喝されて、渋々飲み干した。お菰「酒には肴がいる。これも・・・」と言って取り出したのは腐ったうどん。そこに「○○○の力」(実はウコンの力)を塗して勧める。稲川、ありがたく頂戴して弟子たちへ。「もうがまんできない」と抗ったが、またまた稲川の一喝、「殺生や。これ以上する(虐める)と、テレビに出まっせ。そこのお菰さん、あんたが一番、責任がある。ケーサツが来たらどうするんや」。お菰、甲斐文太に返って「わしゃ、逃げる」と言ったやりとりが、何とも面白かった。弟子たち、「オエッ、オエッ」を繰り返しながら、ようやく食べ終わり、お菰は大満足、時折、新門辰五郎の風情を垣間見せながら退場していった。大詰めは、侠客姿に着替えた甲斐文太、芸者衆、子分衆を従えて再登場、「稲川関、さっきはあんたの心を試したが、乞食衆までも大切に思う気性が気に入った。これからは、あっしが贔屓になりましょう」、ということで大団円となった。私はこの演目を「鹿島順一劇団」の舞台で、たびたび見聞してきたが、今日の舞台、稲川役で登場した松丸家小弁太の景色は、甲斐文太(二代目・鹿島順一)と見紛うほど、では、新門辰五郎は誰がやる?、小弁太に違いないと思っていたが、なななんと、稀代の名優・甲斐文太であったとは・・・。役者の実力は「酔態」「病態」をどのように演じるかで決まるが、甲斐文太の「ヨイヨイ姿」は、他の追随を許さない。(他に、大川竜之助、蛇々丸らが居ることはたしかだが・・・)「木曽節三度笠」「里恋峠」「一羽の鴉」などで見せる老爺の「病態」を見聞すれば、一目瞭然であろう。(その甲斐文太の薫陶を受けて)小弁太の颯爽とした艶姿は申し分なく、さらに加えて、剽軽な弟子子役を演じた、松丸家ちょうちょの舞台姿も魅力的であった。「三枚目」の素質十分、今後ますますの成長が期待される。(ということで、)武者修行を重ねる「鹿島順一劇団」の面々が、「里見八犬士」のように散らばって、件の「松丸家劇団」(甲斐文太、幼紅葉)、あるは「近江飛龍劇団」(三代目・鹿島順一、壬剣天音)、あるは「浪花劇団」(花道あきら)、あるは「かつき夢二劇団」(菊章吾)等々で、活躍・躍進を続けていることを確信、今日もまた大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
新門の辰五郎新門の辰五郎
(2002/01/23)
三門二郎

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-10

劇団素描・「劇団天華」・《名人・喜多川志保の参加で、志高く開いた大輪の花》

【劇団天華】(座長・澤村千夜)〈平成23年10月公演・大阪・梅南座〉
 斯界の名人・喜多川志保が大阪にいる。「劇団天華」(座長・澤村千夜)の舞台に乗っている。その雄姿(艶姿)を一目仰ぎたいという思いで梅南座にやってきた。到着時刻は午後4時30分。しかし、劇場の気配は閑散としている。受付窓口は無人、看板のライトも点いていない。だが、入り口の扉は開け放たれ、客席には人影も見える。かまわずに入ってみると、三人の高齢者が椅子に座っている。その一人(女性)に「今日、お芝居は?」と尋ねると、「椅子に座っておられれば、そのうちお金集めに来るさかい・・・」とのこと。それにしても「あと30分というのに、客が三人とは・・・。本当に幕が開くのだろうか」という不安が高まった。時刻はまもなく5時、いっこうに変化がない。しかし、それを過ぎると、一人ふたりと客が現れ、十人ほどになった。「そうか、開演は5時半か」と思い直し、元気が出てきた。結局、客の数二十人弱で、5時半に開幕。第一部・ミニショー、お目当ての喜多川志保は(当然のことながら)登場しなかった。第二部・芝居の外題は「恋の大川囃子」。江戸大店の奉公人たちが、(仮祝言を直前にして姿を消した)お嬢様を捜し回っている。そこに大店の女主人が正装して登場。やった!喜多川志保だ!聞けば「今日は、これから一人娘の仮祝言。相手は浪花大店の若旦那、先代の主人同士が、約束した許婚だ」という。一同が退場した後の大川端、件の一人娘(澤村ゆう華)が手代(澤村悠介)と「道行き」の風情で登場。「この世で添えぬのなら、いっそあの世で」と、お決まりの心中沙汰・・・。手代曰く「首を吊って死にましょう」、娘「イヤよ!涎を流して死ぬなんて」「では、毒を飲みましょう」「イヤよ!そんな苦いクスリ」といった「今風」のやりとりが何とも面白かった。手代「では、川に身を投げましょう」、娘、ようやく応じて「それならいいわ。でも深さはどれくらい?浅かったら死ねないじゃない」「それもそうですね。では測ってみましょう」と言いつつ、手代が石を川に投げ込んだ。その途端、返ってきたのは「イテーッ!」という男の叫び声。川端に留めてあった屋形船の酔客に当たったらしい。実は、この男、娘の許婚、浪花の若旦那(座長・澤村千夜)であった、という筋書きで、たいそう充実した出来映えであった。私は、この劇団の舞台を2年前(平成21年5月)、埼玉の「ゆうパークおごせ」で見聞している。当時は、旗揚げして1年、「初々しさ」「志の高さ」が感じられても、まだ「発展途上」の段階にあったと思われるが、文字通り「雌伏三年」、今では、来月新規開場される大阪高槻・千鳥劇場の柿落としを任せられるまでに「成長」したのであった。その大きな原動力となったのが、他ならぬ名女優・喜多川志保の「参加」であったことは間違いあるまい。彼女が登場しただけで、座員の表情はキリリと引き締まり、役者ひとりひとりに魂が吹き込まれた感じがするのである。座員は、座長・澤村千夜を筆頭に、副座長・澤村神龍、花形・澤村丞弥、若手・澤村悠介、澤村龍太郎、澤村大雅、澤村ソウマ・・・等々、いずれもその個性を十分に発揮している。今日の舞台、浪花の若旦那に扮した座長が、大店の奉公人に扮した若手の面々と一人ずつ「面談」、アドリブの突っ込みで各自の個性を引きだそうとする演出はお見事、役者と観客を結び付ける心憎い気配りであった。加えて、許嫁と手代のために、芸妓(副座長・澤村神龍)と連んで一芝居打つ、座長の風情もさわやかで「侠気」十分、ことのほか「絵になっていた」と、私は思う。2年前、〈旗揚げしてまだ1年、発展途上の「初々しさ」を生かして(日々の稽古に励めば)必ずや美しい華に結実化するだろう〉と、私は書いたのだが、その期待(予想)は見事に的中)、うれしさの気持ちいっぱいで前売り券を購入、帰路についた次第である。
おしどり囃子 [DVD]おしどり囃子 [DVD]
(2005/06/21)
美空ひばり、大川橋蔵 他

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-09

劇団素描・「劇団竜之助」・《竜之助変化・渾身の「芸」、迫真の「技」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉                                      昨日に引き続き2回目。芝居の外題は「人間」。両親に死別した姉弟(大川マリア・大川竜之助)の話である。弟の名前は「万ちゃん」、生まれつき体が不自由、言葉もはっきり話せない様子、姉は懸命に働いて弟の面倒を見ようとしたが、いつしか「人身売買」に手を貸す羽目に・・・。この弟さえいなかったら、まともな生活ができたのにと思うと、憎さ百倍、何かにつけて「万ちゃん」を、たたいたり、けったり、どやしたりという毎日が続いていた。その日も、知り合いから「売り飛ばすのに、手頃な若者を見つけた」という話、姉は若者をみて、さっそく「人買い業者」(暴力団)に話をつける。一部始終を見ていた「万ちゃん」、姉が出かけた隙を見て、若者を逃がしてしまうという話。私は、同じ筋書きの芝居を、「長谷川武弥劇団」が演じるのを観た。そこでは、兄(姉ではなかった)が長谷川武弥、弟を愛京花という配役だったと思う。弟が「障害者らしい」気配ではあったが、今日の舞台ほど「鮮烈」な景色ではなかったと思う。そこらあたりが、大川竜之助の「実力」、ただものの役者ではないことの「証」であろう。「体が不自由」「言葉もはっきりしない」風情を、「所作」と「表情」「視線」だけで描出する「至芸」であることは間違いない。大切なことは、当初、あまりにもリアルなその容貌に静まりかえった客席が、次第次第に「溶きほぐれ」、万ちゃんの「数少ない」セリフ、迫真の一挙一動に同化(共感・感動)するプロセスなのだ。その結果、ぼろ切れのようにみじめに見えた「万ちゃん」の不自由な肢体が、徐々に光を帯び、輝きはじめ、終幕、姉の「改心」後からは、「そうだ、おれたちは人間だもの、二人の体には血が流れているから・・・」という歌詞(音楽)をバックに、愛の炎を「美しく」燃えたぎらせたように思えた。勧善懲悪、義理人情、家族愛を超えた「人権尊重」という眼目、それも大衆演劇の中で最も貴重な「眼目」が、ダイヤモンドのように輝いていた舞台であった。座長を筆頭に、精進を重ね、このような舞台を作り上げた「劇団一同」に敬服・脱帽する。 
舞踊ショーでは雰囲気を「艶やかさ」に一転、中でも、美空ひばりの男唄(残侠子守唄)、島津亜矢の女唄(お梶)、井上陽水の「リバーサイトホテル」を踊り分けた、三者三様の舞姿、ラストの寸劇「極道の妻たち」の「姐さん」(岩下志麻もどき)ぶりは、まさに大衆演劇界の「無形文化財」、「至芸中の至芸」といっても過言ではないだろう。「雪之丞変化」ならぬ「竜之助変化」の世界を満喫した次第である。
極道の妻たち [DVD]極道の妻たち [DVD]
(2002/07/21)
岩下志麻、かたせ梨乃 他

商品詳細を見る

日本直販オンライン
QVCジャパン



にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1

2023-12-08

劇団素描・「都若丸劇団」・《キラキラ輝く太陽の申し子》

【都若丸劇団】(座長・都若丸)〈平成20年10月公演・横浜三吉演芸場〉
 この劇団は1年半前(平成19年4月公演)、十条篠原演芸場で見聞している。それまで、約20年間、大衆演劇から遠ざかっていたのだが、この劇団の舞台を観てから、テレビ娯楽との絶縁を決意し、大衆演劇の至芸に浸る毎日が始まった、という次第である。都若丸は、私のライフワークにとって、まさに「起死回生の救世主」といっても過言ではない。「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 都若丸劇団 関西大衆演劇親交会所属。祖父の初代・都城太郎、父の二代目・都城太郎を経て、平成12(2000〉年に長男である都若丸が座長襲名。若さとさわやかさ、明るさで抜群の人気を誇る劇団。若手メンバーの著しい成長にも注目が集まっている。座長 都若丸 昭和55(1980)年4月9日生まれ。岡山県出身。血液型O型。平成12(2000)年、20歳で座長となる。大衆演劇の舞台以外に、本名の「トキオ」でミュージシャンとしても活躍。幅広い年齢層のファンの支持を集める人気座長〉とある。また、キャッチフレーズは〈キラキラ輝く・・・まさに太陽の申し子。女性よりも女性らしい女形の美しさと、さわやかな立ち役、そして得意の三枚目。舞台の上でキラキラと輝く、まさに太陽の申し子である座長・都若丸を中心に、いつも明るく華やかなステージを繰り広げる。とにかく観覧するだけで元気が出る、都若丸劇団の公演をお楽しみください〉であった。今日の舞台も、キャッチフレーズ通り、芝居(外題・「関東嵐」)では、「二枚目」から「三枚目」、そして「二枚目」に変化(へんげ)する主役、舞踊では華麗な「女形」(「うち、歌が好きやねん」・唄・天童よしみ?)と、さわやかな「立ち役」(「赤垣源藏」歌謡浪曲・唄・三波春夫)を、堂々と披露した。斯界において「キラキラ輝く、太陽の申し子」であることは間違いないだろう。さらに、「若手メンバーの著しい成長」も見逃せない。とりわけ、副座長・都剛、若手・都舞斗の「成長」には、目を見張るものがあった。都剛は、どちらかといえば「真面目で生一本」的な芸風であったが、「所作」や「表情」で芝居ができる「余裕」(貫禄)が出てきた。加えて、爽やかな華(色気)を漂わせる風情も表れてきたように感じる。その証拠に、今日の芝居では、座長の敵役として「堂々と渡り合い」、決して見劣りはしなかった。本来なら都城太郎が演じる「役柄」を、立派に果たすことができるようになったということである。都舞斗は、都星矢の弟、前回は衣装・化粧、舞台に「乗る」程度の「実力」だったが、今回は違う。オープニングショーでは「単独」で、グランドショーでは「相舞踊」で、一曲、「艶やかに」踊り通すことができるようになったのだ。しかも、他の役者に比べて見劣りすることはない。1年半で「水準並み」、その精進に敬意を表したい。舞踊では、都城太郎が「ピカイチ」、都ゆかり、城月ひかるの「実力」も相変わらずであった。
大衆演劇お作法 (ぴあ伝統芸能入門シリーズ)大衆演劇お作法 (ぴあ伝統芸能入門シリーズ)
(2004/03)
不明

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1



スポンサードリンク


プロフィール

e184125

Author:e184125
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
ブログランキングNO1
ブログランキングNO1