META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団朱光
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2024-02-23

劇団素描・「劇団朱光」・《「年の瀬」の舞台模様》

2014年12月24日(水) 晴
 今年も「年の瀬」、「劇団朱光」が小岩湯宴ランドで(恒例の)公演を行っている。今月は、芝居「義賊の金市」「留八しぐれ」「瞼の母」「女小僧花吹雪」「芸者の誠」などの舞台を見聞したが、いずれも「今一歩」の出来映えで、心底から「納得!」というわけにはいかなかった。では、その「一歩」、何が足りないのか、どうすれば次の「一歩」へ踏み出せるのか。鍵を握っているのは、朱里光、水澤拓也、水橋光司、水越大翔ら「若手陣」らの台頭・活躍である、と私は思う。この劇団の特長は、それぞれの芝居で座長・水葉朱光、副座長・水廣勇太、水城舞坂錦、花形・水谷研太郞らが「主役」を交替することで、おのがじし、かけがえのない「個性」(魅力)を発揮、また中堅・潮見栄次が「目立たない」ことによって「目立つ」という「いぶし銀」の輝きを見せている点にあるのだが、彼らの「実力」を(より一層)際立たせるためには、「端役」の存在・活躍が不可欠であろう。女優・朱里光は、健気にも座長・水葉朱光に随行、懸命な舞台を務めているが、まだ彼女の魅力(実力)を十二分に発揮するまでには「今一歩」か。加えて、拓也、光司、大翔の男優連中も、いわば「足踏み」状態が続いている。とりわけ「女小僧花吹雪」「芸者の誠」の舞台では、座長・水葉朱光が「余興の場」を提供、彼ら一人一人に「一発芸」を演じさせたが、結果は「今一歩」、観客からの「大喝采」を得るには至らなかった。誠に残念である。「役者の命は舞台」、「オレの出番はきっと来る」という気持ちで、今後ますますの精進を期待する。一方、座長、副座長、花形らの「精進」ぶりや如何? まず、花形の水谷研太郎、「留八しぐれ」では、主役の「嬬恋宿の留八」、恋に破れた怨念をはらし、地獄に墜ちていく男の風情は壮絶の極み、文字通り「全身全霊」の舞台姿であった。続いて副座長の水廣勇太、天保六歌仙(「義賊の金市」)の金子市之丞、「瞼の母」の番場の忠太郎では、世間からはみ出た「男」の哀愁を渾身で描出、また「女小僧花吹雪」での「つっころばし」(浪速の若旦那)も、なよなよとエキセントリックで魅力的、いちだんと「気合いが入った」舞台姿であったと、私は思う。さらには副座長・水城舞坂錦、「瞼の母」では 売笑婦・おとら、忠太郎を狙う素浪人の二役、「留八しぐれ」では追分三五郎、「芸者の誠」では侍・安部俊三・・といった役柄を「多種多様に」に演じ分ける「達者振り」は相変わらずであった。極め付きは座長・水葉朱光、「女小僧花吹雪」の《変化》(へんげ)はお見事、一般には「女形」を演じる男優の魅力で勝負するが、この舞台は「真逆」、女優が「立ち役」(盗賊)に変化する妙を存分に楽しめた。また「留八しぐれ」では留八の姉役、弟の悲恋地獄に先立って自刃する景色も(一瞬の)屏風絵のように鮮やかであった。私が「劇団朱光」の舞台を初めて観たのは平成20年5月(立川大衆劇場)であったが、以来6年7カ月、劇団は着実にホップ・ステップの道を歩んできた。残るは「ジャンプ!」、そのためには《若手陣》の飛躍・台頭が何よりも「不可欠」だと思うのだが・・・。
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2024-01-30

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「一本刀土俵入り」の配役と音曲》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「一本刀土俵入り」。主なる配役は、駒形茂兵衛に座長・水葉朱光、安孫子屋の酌婦お蔦に舞坂錦、その夫・辰三郎に水廣勇太、舟戸の弥八に水谷研太郎、波一里儀十に潮美栄次、利根川べり渡し船船頭に責任者・梅沢洋二朗という面々であった。この芝居の眼目は、世間の薄情な人々の中に咲いた一輪の花(有情)の描出である。母に捨てられ、酌婦に身を持ち崩した「あばずれ女」が、親方に見放された一文無しの相撲取りに「情け」をかける、十年後、横綱になり損ねた相撲取りがその「御恩返し」をするという筋書きで、昭和生まれの世代にとっては、たまらなく魅力的な物語である。見所は、第一に、酌婦お蔦の風情、明日への望みもなく、その日その日を酒浸りで暮らす「あばずれ女」が、垣間見せた瞬時の「情け」である。有り金すべてばかりか、商売道具の櫛、簪まで茂兵衛に与えてしまう「無欲」な景色がたまらない。第二は、その「情け」を、遠慮しいしい受け入れる茂兵衛の風情、「いいよ、いいよ、そんなにもらわなくても・・・」と言いながら、泣き崩れる。彼もまた「無欲」なのである。二人を結び付けるのは、持たざる者同士の「有情」、その絆こそが物語の眼目に違いない。第三は、十年後の景色、まさに世は無常、今では一児の母、堅気になったお蔦、夢破れて「こんな姿に成り果てた」茂兵衛のコントラストが、一際鮮やかに舞台模様を彩るのである。そんなわけで、鍵を握るの(登場人物のキーパースン)はお蔦、今日の舞台では舞坂錦が演じていたが、彼の芸風はあくまで「楷書」風、まして男優の彼には「荷が重すぎた」、と私は思う。やはり、お蔦は女優、座長・水葉朱光が「はまり役」ではないだろうか。私が身勝手に配役するなら、お蔦・水葉朱光(又は朱里光)、茂兵衛・水谷研太郎(又は水葉朱光、又は舞坂錦)、辰三郎・水廣勇太、舟戸の弥八・潮美栄次、波一里儀十・舞坂錦(又は水嶋隼斗)、船頭・梅沢洋二朗に加えて舞坂錦、といった按配になるのだが・・・。さらに言えば、舞台に流れる「音曲」、越中おわら節は、静かに、静かに・・・。「節劇」の語りには二葉百合子が不可欠ではないだろうか。とりわけ、一景から二景への幕間に、「利根の堤の秋草を 破れ草鞋で踏みしめる 駒形茂兵衛のふところに 残るお蔦のはなむけが 男心を温めて 何時か秋去り冬も行き、めぐる春秋夢の間に、十年過ぎたが 番付に駒形茂兵衛の名は見えず お蔦の噂も何処へやら 春の大利根今日もまた 昔変わらぬ花筏」の一節が流れたなら・・・。そして、大詰めは「逢えて嬉しい 瞼の人は つらい連れ持つ女房雁 飛んで行かんせ どの空なりと、これがやくざの せめて白刃の仁義沙汰」で締めくくる。誠に僭越至極な感想で、申し訳ない限りだが、「新国劇」亡き今、あの島田正吾、香川桂子(外崎恵美子)の舞台に迫り、それを超えることができるのは、大衆演劇の劇団(とりわけ、躍進めざましい「劇団朱光」)を措いて他にない、と私は確信しているのである。
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2024-01-29

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「質屋の娘」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成25年12月公演・小岩湯宴ランド〉
この12月私は、芝居「かげろう笠」「雨の他人舟」「一本刀土俵入り」「へちまの花」「瞼の母」などの舞台を見聞したが、2年前に比べて「大きな変化」は見られなかった。むしろ、これまでの「チームワーク」(呼吸)が、ともすれば乱れ気味で、いわゆる「中だるみ」もしくは「マンネリ」「油断」が感じられた。それというのも、花形・舞坂錦が副座長に昇進、名も水城舞坂錦と改まったが、やや「力みすぎ」、「立て板に水」のセリフ回しが目立ちすぎて(私にとっては)食傷気味、加えて一座の重鎮・梅沢洋二朗が(大門力也が客演のため)休演状態、さらにまた若手男優・水澤拓也、水橋光司、水越大翔らに大きな変化がみられず足踏み状態、といった事情があるからであろう。とはいえ、千秋楽前夜の今日の舞台は、その「中だるみ」を吹き飛ばすような、見事な出来映えであった。芝居の外題は、御存知「質屋の娘」。配役は「質福」の娘・おふく(26歳)に座長・水葉朱光、その兄(28歳)に水城舞坂錦、番頭に潮美栄次、手代・新二郎(25歳)に水廣勇太、
おふくの身の回りを世話する女中・おさよに朱里光、おさよの兄(高崎在の水呑百姓)吾作に水谷研太郎といった面々で、申し分ない。筋書きは単純、年頃になったおふくが「お婿さんがほしい」と言い出した。相手は手代の新二郎、しかし新二郎には「末を言い交わした」おさよがいた、おふくは「泣く泣く」その縁談をあきらめるというお話である。しかし、見所は随所に散りばめられていた。まず第一は、娘・おふくの風情。幼いとき階段から落ち、頭を打って「育ちそびれてしまった」。頭には(質倉にある)簪を「生け花のように」さしまくって登場、兄に咎められて簪を抜き去ると、スッキリしたが、その様子を兄がしみじみと見て「ずいぶん淋しくなっちゃった」といった呼吸は絶品、「綺麗」というよりは「可愛い」という評価がピッタリの舞台姿であった。第二は、番頭・潮美栄次の存在、彼の芸風はどちらかと言えば「地味」で「不器用」、脇役・仇役に徹し「いてもいなくてもよい」存在感がたまらなく魅力的である。おさよの兄・吾作が帳場の金(五両)を盗もうとするのを見咎め捕縛する。馬乗りになって吾作を打擲する様子が「絵になっていた」。第三は店主・水城舞坂錦と手代新二郎・水廣勇太の「絡み」、新二郎、店主の縁談話にのりかかるが相手がおふくと知って「卒倒」する、店主と手代では立場が違う、自分の本心も聞いてもらえずにやむなく承諾する。そこにやってきたおふくに迫られ、辟易とする場面は抱腹絶倒の場面であった。第四は、その新二郎とおふくの「絡み」、新二郎おふくに向かって「私とおさよはメオトの約束をしています」。おふく「いいよ、おさよとメオトになりなさい。アタシは新二郎とフーフになるのだから」「違うんです。メオトとフーフはことばは違うけど意味は同じなんです」「フーン、だったら三人でフーフになろう」といったやりとりが何とも魅力的であった。その他にも、店主が吾作の名前を「何回も」呼びまちがえる場面、おさよが新二郎に裏切られて嘆き悲しみ店を去る場面等々、見所は満載であったが、「極め付き」は大詰め、店主の兄とおふくの「絡み」、店を去って行ったおさよを追おうとする新二郎に、おふくは花嫁衣装と支度金まで贈呈、それでも新二郎が恋しいと泣きじゃくる。(その様子を陰で見ていた)兄に向かっておふくが言う。「アタシ、バカだから、新二郎は行ってしまった」。兄、きっぱりと「おまえはバカじゃない!好きな相手に着物やお金を上げてしまうなんて、利口な人にはできないということだ」おふく「?・・・、じゃあやっぱりバカなんだ」というオチも添えられで、舞台は愁嘆場。「どんなに苦いオクチュリでも飲むから、バカを治して」と懇願するおふく、「バカはイヤ、バカはイヤ、バカはイヤなんだよー」と泣きじゃくる妹に、なすすべもなく立ち尽くして慟哭する兄、そのままふたりがシルエットになって終演となった。「育ちそびれた人物」の姿を(多くの)観客は見たくない。なぜなら、実生活の中では、その姿に「夢」を感じないからである。にもかかわらず、「育ちそびれた」風情の中に、(観客の)「共感」を呼び起こし、「人権尊重」を語りかけようとする座長・水葉朱光の「演技」は冴えわたっていた。役者にとってそれは「至難の業」、初めは目を背けていた観客が、次第に惹きこまれ、その姿に「夢」と「輝き」を感じられるようになるか否かが問われるからである。事実、これまで笑い転げていた観客(私)の感性は、きれいに洗い清められ、あふれ出る涙を抑えることができなかった。
 今日の舞台は、あの「人間」(「劇団竜之介」)、「春木の女」(「鹿島順一劇団」)に匹敵する、斯界屈指の名作であった、と私は思う。感謝。
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2024-01-25

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「かげろう笠」・雌伏三年、大きく開け「大輪の花」》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉                                                      私はこの劇団の舞台を、今から3年半余り前(平成20年5月)、東京・立川大衆劇場至誠座最終公演)で見聞している。以後も、数回、柏健康センターみのりの湯あたりで見聞したおぼえはあるが、特記すべき内容はなかった。だがしかし、今回は違う。文字通り「雌伏三年」、これまでの精進が一気に「花開いた」感じがする。座長・水葉朱光は26歳(?)の女優、「水葉」の水は、若水照代の「水」、葉は、若葉しげるの「葉」ということで、芸風は、あくまで関東風、その「いいところ」(軽妙・洒脱・粋の良さ)が、舞台のあちこちに散りばめられていたのであった。芝居の外題は「かげろう笠」。箱根の山中で盗賊に襲われていた盲目の侍(花形。水廣勇太・好演)を救った、女賭博師・かげろうのお勝(座長・水葉朱光)、「これからも気をつけなすって」と立ち去ろうとするのを、「待て!女」と侍が呼びとめる。「女?私にだってれっきとした名前があるんです」「名前はなんと?」「かげろうのお勝ですよ」「カツか」「いえ、トンカツではありません、おカツです!」「それで、これからどちらへ参られる?」「江戸ですよ」「江戸か。ワシも江戸へ参るつもりじゃ、連れて行け」、その横柄さと、あきれかえるお勝つの風情が、何とも(漫才のように)軽妙で、たいそう面白かった。侍、大金の入った豪華な財布をお勝に与え、再度依頼したが、「もし、お侍さん、私がこれを持ってトンズラしたらどうします?」「トン・ズラ?・・・とは何か」「ズラカルことですよ」「ズラ・カルとは何か」「逃げることですよ」「ああ、逐電のことか」「チクデン?駅伝ならわかりますけど」といったやりとりでダメを押し、二人は江戸へ向かうことになった。行き先は、お勝の弟・髪結新三(舞阪錦)の家。お勝と新三は、当分の間、侍の面倒を見ることに・・・。やって来たのが、お勝のイカサマで大損をした博打打ち・猫目の六蔵(潮美英次)、眼科医玄庵の弟子・弥八(水谷研太郎)といった面々で、盲目の侍を中心に、お勝、新三らとの「絡み合い」も、呼吸は絶妙、久しぶりに「関東風旅芝居」の醍醐味を満喫した次第である。筋書きは、侍とお勝つは「惹かれ合い」、相思相愛の縁談が成立、新三とお勝の協力で侍の目が治る、そこに現れたのが侍を探していた当家の家老・近藤某(後見・梅沢洋二朗)、実を言えば、盲目の侍は尾張大納言・万太郎某という「お殿様」であったのだ、かくて「お殿様」と「賭博師」の縁談はあえなく破談、お勝、泣く泣く「万ちゃん」を見送る愁嘆場へと進んだが、大詰め、帰路に就きながら、お殿様曰く「オイ、近藤。もし途中で、ワシがトン・ズラするかも知れんぞ!」。その景色は、あくまでカラッと爽やかで、痛快感あふれる舞台模様であった。座長・水葉朱光の容貌はやや太め、斯界の大御所・若水照代とは風情を異にするが、総帥・若葉しげるの雰囲気は着実に継承している。「見た目」の特徴を活かして、「三枚目」の芸風に徹すれば、より充実した「大輪の花」を咲かせることが出るだろう。従う座員も、二十代の「イケメン」揃い、劇団は今や「旬」、大きく羽ばたけるチャンスが到来したことは間違いない。今後ますますの発展を期待する。
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2024-01-24

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「お吉物語」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「お吉物語」。配役は、明烏お吉に座長・水葉朱光、船大工鶴松に水谷研太郎、大工棟梁に梅沢洋二朗、総領事ハリスと鶴松の母二役が舞坂錦、下田奉行に花形・水廣勇太、居酒屋亭主に潮美栄次・・・、といった面々で、まさに「適材適所」、その結果、たいそう見応えのある「名舞台」に仕上がっていた、と私は思う。「お吉物語」は、あくまで悲劇だが、そのことを踏まえて、お吉と鶴丸が再会、結ばれるまでのハッピーエンドにした「粋な計らい」が心憎い。私はこれまでに「劇団菊」(座長。菊千鶴)、「満劇団」(座長・大日向皐扇)の舞台を見聞しているが、(幕切れ後の)「後味の良さ」では群を抜いていた。明烏お吉、水葉朱光の景色は、まだ菊千鶴、大日向皐扇に及ばないとはいえ、表情・所作・口跡が醸し出す「やるせない」風情(心象表現)は、他を凌駕している。とりわけ、「一言一言」をとぎれとぎれい、噛みしめるように言う、彼女独特の口跡(口調)は、お吉の心情を、いっそう鮮やかに(艶やかに)描出する。文字通り「当たり役」の至芸である、と私は見た。加えて、脇役陣も充実している。アメリカ総領事ハリスと鶴松の母(二役)を演じた舞坂錦の「達者さ・器用さ」(実力)も半端ではない。鶴松曰く、「俺はハリスが憎くてたまらねえ。ところで、おっかあ、おめえ近頃、ハリスに似てこねえか?」、母親、一瞬、舞坂錦の素顔を垣間見せる。また、唐人とさげすまれ傷ついたお吉を温かく迎えながら、「あのね、ハリスさん死んじゃったの」と言われたとき、思わず「ずっこける」姿は絶品、ことの他「絵になる」場面であった。仇役(下田奉行)に回った花形・水廣勇太、「お上のなされよう」に翻弄され、心揺れ動く鶴松役の水谷研太郎、お吉と鶴松を優しく取り持つ棟梁の梅沢洋二朗らも、おのがじし「個性」十二分に発揮した「名舞台」であった。水葉朱光という女優、初舞台は11歳(不二浪劇団)、若葉劇団での修行を経て17歳で座長になった由、体型は「天童よしみ」然、容貌は「浅香光代」で、決して「美形」とは言い難い(御無礼をお許し下さい)が、(魅力的な)「日本の女」を演じさせたら、天下一品、右に出るものはいないのではあるまいか。「健気」「おきゃん」「鉄火」「母性」等々、多種多様な「女性像」を演出し続けてほしいと願いつつ、今日もまた「美味しい料理を賞味した」気分で帰路に就くことができた。感謝。
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2023-12-18

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「美賊の顔役」の舞台模様》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成24年10月公演・新潟古町演芸場〉
芝居の外題は「天保六歌仙・美賊の顔役」。主なる配役は、河内山宗俊・水城舞阪錦、金子市之丞・水廣勇太、片岡直次郎・水谷研太郞、暗闇の丑松・水嶋隼斗、直次郎の母・水葉朱光、伊達家屋敷の主人・梅沢洋二朗といった面々。筋書きは直次郎が(親孝行のために)「一国一城の主に出世した」というデタラメの手紙を大阪の母に送ったが、間の悪いことに、その母が江戸にやってくるとのこと、なんとかその場を繕うために、河内山、金子市、丑松たちが「一芝居」うつ、というお話である。「俺たちには母は居ない、直次郎の母を借りて、親孝行の真似事をしよう」という金子市の提案に、河内山、丑松が「渋々」応じる、伊達家の屋敷は今、主人が留守、そこに巣くっている乞食連中を「家来」に見立てて、直次郎の母を迎えるが、母は、初めからお見通し・・・、といった筋書きで、眼目はアウトロー同士の「友情」であろうか。自分たちはお縄にかかって死罪は免れない。しかし直次郎だけには親孝行をしてもらいたい。母と一緒に大阪に逃げろ、という金子市の言葉に逡巡する直次郎。一方、母親は「仲間と一緒に死になさい」と追い返す・・・、といったあたりが芝居の見せ場だったのかもしれないが、出来映えは「今一歩」であった、と私は思う。その理由1、金子市の「友情」ばかりが目立ちすぎ、河内山、丑松が、直次郎をどう思っているのか、はっきりしない。はたして、この4人は「切っても切れない」間柄なのだろうか。その結果、理由2、母親の「仲間と一緒に死になさい」という言葉に、重みが感じられなかった。理由3、伊達家主人と金子市の絡みも同様、侍同士が感じ合う「侠気」の風情が不十分・・・。もしかして、ここは新潟、しかも昼の部は「特選狂言・明治一代女」だったとすれば、夜の部は「息抜き」「気抜き」「手抜き」があったか、(おそらく)フルメンバーが芝居の舞台に登場していただけに、何とも残念な結果であった。それにしても、外題の「美賊」とはなんぞや?「顔役」とは誰のこと?そんな疑問が生じたまま帰路に就いた次第である。
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2023-11-02

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「下町の灯」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成26年5月公演・みのりの湯柏健康センター〉
芝居の外題は「下町の灯」。筋書きはきわめて単純、18年間後家を通しているおかつ(38歳)の一人娘が大店の若旦那とめでたく祝言をあげることになったが、若旦那の兄の店主から「難癖」をつけられ縁談は破談、その難癖とは、おかつが文字の読み書きができない、それでは店の信用にかかわる、店主として私は容認できない、ということであった。「ただし、あなたが文字の読み書きができるようになったら、縁談は復活します」ということで、おかつは一念発起、長屋の貧乏浪人に「手習い」に赴くというお話。幕があがるとそこは貧乏長屋、独り貧乏浪人(副座長・水廣勇太)が、尾羽うち枯らした風情で墨を刷っている。かたわらにはボロボロに骨の折れた番傘がひとつ、畳もボロボロ、壁も薄汚れて今にも崩れ落ちそうといった景色が、浪人の日常生活を如実に物語っている。どうやら、傘の修繕や長屋の子どもたちに「読み書き」を教えて生計を立てている様子、そこに「ごめんよ」と言って訪れたのが長屋の大家(副座長・水城舞坂錦)、お決まりの店賃の催促がはじまった。「もうしばらく待ってもらいたい」「しばらく、しばらくで1年が過ぎた。店賃は溜まりたまって一両になりましたよ」「そうか、まだ一両か」と応じる浪人の風情が飄然として、たまらなく魅力的であった。結局は、「今日の暮れ六つまでに支払う」ことで合意、帰ろうとする大家を呼び止めて、浪人いわく「ちと、頼みがある」、「何ですか?」「金を貸してもらいたい」「いかほど?」「二両ほど」、大家は(観客も)あきれて、開いた口がふさがらない。「一両の店賃も払えないのに、貸すことは断じてできません」「わしは子どもたちに字を教えている。そのために金がかかるのだ。もし貸してくれれば、おまえの評判はうなぎのぼりだ。まちがいない!」大家、その言葉を真に受けて「そうですか、私の評判があがるのなら二両お貸ししましょう。しかしこれはこれ、店賃の方は暮れ六つまでにお願いしますよ」。二両を手にした浪人、「待て、その一両、今払うぞ」「え?今ですか、払って頂けるなら早いほうがいい」、浪人一両を渡してまたいわく「待て、わしはいくら借りていた?」「二両ですよ」「そうか、今一両返したから、もう一両、あわせて二両、返すぞ!これで金の貸し借りはなしということだ」「・・・?」と煙に巻く浪人と、巻かれる大家の「やりとり」は抱腹絶倒、まさに関東喜劇の真髄を満喫できた次第である。大家が退場すると、いよいよ、おかつ(座長・水葉朱光)泥酔状態で登場、「私は18年後家を通してきた。お侍さんも独身、どう?一緒にならない」と言い寄るが「イヤ、断る!飲んだくれの女などまっぴらゴメンだ」、そうこうするうちに、おかつ、吐き気を催して「オエッ」、「オエッ」が止まらない。あわてて丼を持って来る浪人とのドタバタの「やりとり」も絶品、私の(笑いの)涙は止まらなかった。二景は、回想場面、一人娘(朱里光?)と若旦那(花形・水谷研太郎)の祝言にやってきたおかつに向かって、理不尽に縁談破談を告げる店主(潮見栄次)の風情も鮮やかで、「悲劇」模様が添えられる。とりわけ、「私を女手ひとつで育ててくれたお母さんが大事、若旦那との縁談は諦めます」と泣き崩れる一人娘の景色も見事であった。おかつ、「よし、文字の読み書きを習って、おまえがめでたく祝言できるよう、母ちゃんがんばるよ」という言葉を残して、舞台は大詰め(三景)へ。・・・というわけで「私に字を教えておくんなさい」。浪人いわく「そのためには条件がある。一に酒を断つこと、二に色気をぬくこと」。かくて、おかつの「手習い」が始まったが、そのやりとりも格別、「井戸のイ」「ロバのド」から「惚れたのホ」「屁のへ」に至るまで抱腹絶倒場面の連続であった。久しぶりに「極上」の人情喜劇を見聞できたことは望外の幸せであったが、それにしても「喜劇」ほどむずかしいものはない。ともすれば、「笑いを取りにいくあまり」楽屋ネタや下ネタを連発して自滅するのがオチだが、さすがは「劇団朱光」、実力者揃いの役者連を「適材適所」に配置して、それぞれが精一杯「真面目に」演じ通す。その舞台模様は群を抜いていた。座長・水葉朱光の後家姿は、どこか師・若葉しげるの「空気」も仄見えて、たいそう魅力的であった。今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができた。感謝。
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2023-08-27

劇団素描・「劇団朱光」・《「天竜しぶき笠」・立川大衆劇場至誠座最終公演》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成20年5月公演・東京・立川大衆劇場・至誠座〉
「演劇グラフ」の案内を見ると、立川大衆劇場の来月は「休演予定」とある。私はこれまで4回そこを訪れたが、観客数が10人を超えることはなかった。とうとう小屋をたたむことになったのか、そう思うと、「もう一度、今のうちに、観ておかなくては・・・」という気持ちで、矢も盾もたまらず、立川に向かう。今日は、ゴールデンウィークの真っ最中、昼間の公演なら「大入りかも知れない」、という微かな期待を込めて入場する。なるほど、観客数はいつもより多い。しかし、「大入り」にはほど遠く、開演直前で20名、おそらく、十条(篠原演芸場)や、浅草(木馬館)は「大入り」だろう。川崎(大島劇場)や横浜(三吉演芸場)はどうだろうか、そんなことを考えながら、開演を待った。公演は「劇団朱光」(座長・水葉朱光・女優)。芝居の外題は「天竜しぶき笠」、大衆演劇の定番。親孝行で働き者だった倅(若手リーダー・舞阪にしき)が、土地に流れてきた「博奕打ち」と一緒に出て行ってしまった、その倅を待ち続ける老父と娘(男優の芸名不詳・女優・朱里光)、その許嫁(副座長・水樹新之介)。たまたま、老父が助けた「流れ者」(座長・水葉朱光)にその話をすると、流れ者、助けていただいた御礼に「必ず息子さんを探し出し連れて帰ります。一年、待ってやっておくんなさい」と約束した。一年後、流れ者がやってきた。しかし、倅の姿はなく、持ってきたのは「倅の遺髪」と「二十両」だけ。「倅さんは人手にかかって亡くなりました。手にかけたのは、あっしでござんす。出入りの喧嘩場で仇同士として出会いました。恨みっこなしの一騎打ち、時の運であっしが生き残りましたが、倅さんとわかったのはその後、この二十両を届けてくれと頼まれました。知らぬこととは言いながら、何とお詫びをしてよいやら、どうぞ恨みを晴らしておくんなさい」とドスを老父に手渡す。老父、「よくも、うちの倅を・・・!」と刀を振り上げるが、下ろせない。「では、おらが代わりに・・・」とドスを振り上げる義弟も制止する。その様子を感じ取った流れ者、もうこれまでと自刃した。 
 流れ者の手にかかって死ぬ倅、自刃して死ぬ流れ者、両者に共通する「断末魔」の「愁嘆場」が、「迫真の演技」で「お見事」。全体として「しっとり」とした「落ち着いた」景色の舞台が特長であった。
 座長の口上によれば、案の定、「立川大衆劇場は今月限りで廃業」とのこと、座長は、福生市の出身、幼い頃からこの劇場に通って育ったそうである。師匠は、若葉しげる、なるほど「しっとり」「おちついた」風情も「迫真の演技」も、「師匠ゆずり」の「たまもの」だったのだ。
 私が初めて大衆演劇を見聞したのは「千住寿劇場」、そこでも観客数が十名を超えることは少なかった。(「山口正夫劇団」は「大入り」だったが・・・)劇場というよりは、「芝居小屋」という雰囲気が強かったが、「立川大衆劇場」「川崎大島劇場」は、今もまだその雰囲気を残している。観客数が少ないということも、その雰囲気の一つなのだが、それでは経営が成り立たないことはよくわかる。また一つ、「芝居小屋」(大衆演劇を支え続けた礎・灯火)が消えようとしている。実に「侘びしい」ことである。
芝居小屋と寄席の近代―「遊芸」から「文化」へ芝居小屋と寄席の近代―「遊芸」から「文化」へ
(2006/09/22)
倉田 喜弘

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2023-08-23

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「雨の他人舟」は斯界屈指の名作》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「雨の他人舟」。幕が上がると、そこは金沢の浜(横浜~平塚間)。おりしも雷鳴轟く時化の海を見やりながら、一人の男(水谷研太郎)・が「おせん!おせん!」と叫びつつ登場。名前は五郎蔵、26歳との由。続いて登場した網元(潮美栄次)に向かって曰く、「おい、網元、この嵐を早く止めろ」「そんなむちゃな」「俺の大事なおせんちゃんが海に潜っているんだ、何かあったらどうするんだ」「おせんちゃんはお前の何なんだ」「俺が26年間、思い続けている大切な人だ」「気の毒だが、嵐はどうにもならねえ」などという間に、幸い嵐はおさまった。五郎蔵は、おせんを探しに退場。入れ替わりにやってきたのが3人のヤクザ者(水澤拓也、水嶋隼斗、水咲鷹洋)、「このあたりに宿はねえか、無ければお前の家に泊まらせろ」と、網元に迫った。「そんなことはできません」と言えば、殴るけるの乱暴三昧・・・、助けに入ったのが浜の長老・源爺(舞阪錦)、たちまち3人をねじ伏せる。その強さにとてもかなわないと思ったか、3人のヤクザ者、かしこまって一人ずつ名を名乗る。ところが、二人目のヤクザ、「あっしの名前は・・・」と言ったきり絶句、一人目に助けを求める。一人目、小声で「デンシチ」と教えれば、二人目は、恥ずかしそうに「あっしの名前はデンシチと申します」。源爺、あきれて「おい、その真ん中!自分の名前を忘れてどうする!」。三人、恐れ入って退場するが、その引き際に二人目のヤクザ、yもう一度、源爺に向かって、今度はきっぱり「あっしの名前はデンシチと申します」とだめを押す。この3人は、まだチョイ役の新人、舞台の大筋にかかわりのない場面と思われがちだが、とんでもない。芝居全体の眼目を暗示する重要な役割を担っていたのであった。やがて、五郎蔵、再び叫び声を上げながら再登場。「大変だ!おせんちゃんが、変なものを拾ってきた!」。さて、ようやく主役・素潜りの海女・おせん(座長・水葉朱光)登場、見れば、男(花形・水廣勇太)を抱きかかえている。どうやら、海の中で溺れていたらしい。源爺が介抱、水を吐かせると、気がついた。一同、「どうしたんだ、お前さんは誰なんだ、名前は?」などなど尋ねるが、男、きょとんとして、応えられない。頭を抱えて「私はいったい誰なんだ・・・、思い出せない」と呻吟するうちに一景は幕となった。そうか、あの新人ヤクザの「トチリ」(名前忘れ)は、この場面の伏線であったのか。私は、その舞台演出の見事さに、度肝を抜かれてしまったのである。続いて二景は一年後、助けられた男は、今では浜吉と命名されて、おせんの夫に・・・。浜でもお似合いの夫婦だと評判になっている。面白くないのは五郎蔵、どうにかしてやりたいが、「どうにもならないのが男女の仲」と、源爺に諭されている。海で働くおせんのために、家事一切は浜吉の仕事、とりわけ「お茶を入れる」技に秀でていた。五郎蔵、男前でも仕事でも「浜吉にはかなわねえ」とあきらめたか・・・。今は今だが(愛し合って幸せだけど)、どうしても浜吉の過去を知りたい(浜の衆と)おせん。過去には全く無頓着な浜吉との対照が(観客・私にとっては、これからどうなるだろうという)趣深い景色を醸し出す。しかし、幸せはいつまでも続かなかった。浜に訪れたのは一人の老人(梅沢洋二朗)、聞けば、江戸で米茶を商う大店・伊豆屋の大番頭で、1年前、仕入れの途中で行方知れずになった御主人様を訪ね歩いているとのこと、おせんと、居合わせた源爺、「そんな人はここにはおりません」と断るが、大番頭「この浜で見かけた人がいる。旦那様はいるはずだ、一目合わせてください」と押し問答、騒ぎを聞きつけて奥から出てきた浜吉とばったり鉢合わせとなった。「あつ!やっぱり旦那様だ!」と縋りつくのを、浜吉「誰ですか、あなたのことなんか知りません」。大番頭、外に待たせておいた奥様・とよ(朱里光)とお嬢様・おみつ(朱里渚)を招きいれ、対p面すれば、おみつ「お父様」と言ったきり、泣きじゃくる。とよ「旦那様、探し続けておりました」。しかし、浜吉は思い出せない。「あなたたち誰ですか?私には覚えが無い、帰ってください」と突き放す。おせんもまた「何を証拠にそんなことを・・・」と立ち向かうが、その表情は、だんだんと氷のように固まって「もしかして・・・、来るべきときが来てしまったか・・・」という気配。(その無言の演技が素晴らしかった)とよもまた、表情の力が抜けて、断念「そうですか、お父様は思い出してはくださいません。あきらめて江戸に帰りましょう」、その途端に、娘のおみつ、おせんに突進して「ドロボウ!私のお父様を返して!」と手を上げる。呆然と見つめる浜吉に向かっても「お父様、私と一緒に帰って」と必死に取りすがるが、無反応な父親の様子に耐えられず、客席に向かって「お父様は、本当に思い出せないんだ」と号泣するする姿は、まさに子役(の演技)の鏡、最高の風情であった。観客一同、(拍手も忘れて)水を打ったように静まり返る。一同が去った後、おせんの心は決まった。浜吉は江戸の大店・伊豆屋の旦那様に間違いない。「そのことを、どうしても思い出させなければ・・・」、呼び寄せた五郎蔵に耳打ち、浜吉を連れ出してを時化の海の中に突き落とす。1年前と同様に、それを助けあげたおせん、水を吐かせた源爺、見守る五郎蔵の前で、浜吉は自分の名前を思い出した。「そうだ、私は伊豆屋の清太郎、女房はおとよ、娘はおみつ。おせんさん、あなたの御恩は忘れない。でも、あなたの名前は(私の妻として)人別帳に載っていない。私は江戸に帰らなければならないのだ」という言葉を残して、そそくさと退場。残されたのはおせん、源爺、そして五郎蔵・・・。男たち曰く「どうして、こんなことしたんだ。何もしなければ、今までどおり幸せな暮らしを続けられたのに・・・」女曰く「私はねえ、何もかもわかった上で、浜吉に愛してほしかったの・・・」。こらえきれず、後姿で嗚咽する名優・水葉朱光を覆うように、あの音曲「他人船」(歌・三船和子)が流れ出す。「ああ、この黒髪の先までが、あなたを愛していたものを 引き離す引き離す・・・」という一節が、ひときわ舞台模様を彩る中、この名作は終演となったのである。けだし、「男と女の物語」、眼目は「無常」という余韻を残して・・・。
 今日の舞台、私の(独断と偏見による)感想を述べれば、大衆演劇界屈指の「名作」であった。3年前に比べて「劇団朱光」の実力・魅力が「おお化け」(大成長・大躍進)したことは間違いない。その要因(源泉)は何だろうか。一に、後見(座長の祖父)・梅沢洋二朗の経験・伝統を踏まえた教育力・指導力であろう。二に、その薫陶を素直に受け続けた座員一同の学習力であろう。三に、座長・水葉朱光を筆頭にした「熱意」と「サービス精神」であろう。四に、つねに努力・精進を怠らない「劇団」の謙虚さであろう。今月初日、座長が口上で曰く、「私たちにとって、浅草木馬館、十条篠原演芸場、そしてここ、小岩湯宴ランドの舞台にのることが夢でした。今、その夢が叶えられて、こんなにうれしいことはありません」。そのうれしい気持ちが、直接、観客に伝わるのである。舞台は「水物」、その成否は、ひとえに役者と観客の「呼吸」に因ると思われるが、(役者の)「演じる喜び」と((観客の)「観る喜び」が重なったとき、名作(名舞台)が誕生する、と私は確信する。終演後の「送り出し」は、座長を筆頭にほぼ全員が1階玄関 まで、その後、各階を回って「ありがとうございました」と、感謝の言葉を述べる。その姿は、「客に媚びる」代物とは無縁、館内全域が爽やかな空気で洗われるような心地がする。今後、ますますの発展を祈りたい。
三船 和子:他人船三船 和子:他人船
(2010/03/10)
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