META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 近江飛龍劇団
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2023-12-27

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《「紺屋高尾」、座長「一人五役」の名舞台》

【近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成22年3月公演・浅草木馬館〉                                                                         芝居の外題は「紺屋高尾」。浪曲の名文句「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来ると言う、嘘と嘘との色里で、恥もかまわず身分までよう打ち明けてくんなました・・・」(篠田實)どおりの筋書で、主要な登場人物は紺屋職人・久造(笑川美佳)、吉原の花魁・高尾太夫(近江春之介)、久造の兄(浪花三之介)、久造の叔父(近江大輔)といったところだが、今日の舞台では座長・近江飛龍が「五役」こなすとのこと。その他にいったいどんな「役割」があるのだろうか、と興味津々で来場した次第である。さてこの芝居、もう一人大切な登場人物が存在する。その人物次第で出来栄えの成否が決まってしまうほどの役柄だが、やはり思惑通り、それを演じたのは近江飛龍、当然至極の配役で納得した。その人物とは「鼻欠けおかつ」。1年前に結婚を約束した久造に「心変わり」がないかどうかを試すために叔父が「派遣した」淫売婦(お菰さん)で、高尾太夫とが似ても似つかぬ容貌、という設定である。では残りの「四役」、その一は、恋煩いの久造を診断する医者、それも金髪・洋装の外人医、片言の日本語で久造を診ようとして、いきなり鼻っ柱をへし折られるというような「やりとり」が何とも可笑しく、秀逸であった。その二は遊郭三浦屋の女主人(出っ歯)、その三は三浦屋の女中(タンザニア出身)、その四は久造の恋仇(お大尽)といった按配で、いずれも「喜劇仕立て」、文字通り「千変万化」する風情が、どちらかといえば単純な筋書に「活気の色」を添えていた。まさに飛龍演劇の「面目躍如」といった景色であったが、極め付きは「鼻欠けおかつ」と久造の「絡み」、今日の舞台では遊女もどきの「おかつ」に加え「禿」(小寅丸?)というオマケ付で、その容貌といい、仕種といい、台詞回しといい、抱腹絶倒場面の連続であった。それにしても、笑川美佳が演じる「久造」の風情は絶品で、私が敬愛する「鹿島順一劇団」座長・鹿島順一に「優るとも劣らない」出来栄えであった、と私は思う。加えて、飛龍座長の「五役」も逸品、通常なら「ちょい役」で、筋を「つなぐだけの」役割なのだが、座長が演じると「主役級」の存在感が現出する。その分だけ「見どころ」が「あちこち」に点在するということになって、舞台の彩りを倍増する仕掛け、見事な演出に脱帽した。なるほど、さすがわ近江飛龍、これまで私が見聞した「紺屋高尾」の舞台の中ではピカイチであったと確信しつつ帰路についた。
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2023-11-10

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《「女の一生」は、笑川美佳の「独断的」独壇場》

近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成21年5月公演・横浜三吉演芸場〉  芝居の外題は「女の一生」。私はこの演目と「ほぼ」同じ内容の芝居を、他に3本見聞している。①「噂の女」(鹿島順一劇団・主演春日舞子、共演鹿島順一)、 ②「追われる女」(劇団翔龍・座長春川ふじお・主演澤村うさぎ、共演春川ふじお)、③「お千代物語」(劇団春陽座・主演沢田ひろし)であった。筋書きは、弟の病気治療代を捻出するために「身売り」をした姉が、久しぶりに帰宅することから生じる波紋、姉の「商売」を「汚らわしい」と差別(村八分に)する村人たちの中で、揺れ動く弟夫婦と姉、父親の葛藤を描いた物語だが、それぞれの劇団によって、登場人物のどこに「力点を置くか」が微妙に「ずれている」ところが、大変おもしろい。どの芝居も、主演は「女」(お千代)だが、助演をどうするか、言い換えれば、座長がどの役を演じるかで、舞台の景色は一変する。「噂の女」「追われる女」は、座長が「マンちゃん」「クニやん」、つまり「お千代」の幼友達で「ちょっと足りない」キャラクター、「お千代物語」「女の一生」は「お千代」の父親役であった。前者の場合は、主演と助演が「同格」、村八分の被害者が「賤業者」と「障害者」、ともに手を携えて「明るく」「したたかに」生きていこうという風情の中、ぱっと花が咲いて閉幕という段取り。後者の場合は、あくまで「お千代」(賤業者)中心、「みんな貧乏のせいや、そんな世の中が悪いんや」といった空気が濃厚で、やがては配偶者になる「障害者」のインパクトが薄れがち・・・。どちらかといえば「お涙ちょうだい」的な雰囲気が漂う。どちらを「是」とするか、それは観客の「お好み次第」というところであろう。  ところで今日の舞台、前述の通り、座長・近江飛龍は愛妻・笑川美佳(「お千代」役)の「父親」役、その「存在感」を示そうにも、(役柄からいってその)術がない。相手役、副座長・近江春之介の「ボウちゃん」役は、誰が考えても力不足とった按配で、つまるところは笑川美佳の「独断的」独壇場、一人芝居の「長台詞」はよいとしても、その間、座長、弟夫婦(近江大輔・近江みぞれ)の「棒立ち」姿は、「芸がない」。「星影のワルツ」をバック(BGM)にした節劇で、弟夫婦の「改心」は描出できたにしても、いったい「いつ」、お千代の「どこ」の台詞で「改心」したのかは不明のまま、「説得力不足」の誹りは免れられまい。ということで、まだまだ「近江飛龍劇団」、(この芝居においては)「鹿島順一劇団」には「遠く及ばない」ことを改めて「再確認」しながら帰途についた次第である。
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2023-11-08

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《芝居「浮世人情比べ》

近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成20年5月公演・横浜三吉演芸場〉  昨年、浅草木馬館、十条演芸場で見聞済み。ほぼ半年ぶりに舞台を観て驚いた。座長だと思っていた役者が、実は別の役者(しかも誰だかわからない)、女優ナンバーワン・笑川美佳だと思っていた役者が、実は近江みぞれ、というように、劇団員ひとりひとりの「実力」が「見違えるほど」「大幅に」向上していたのである。この劇団は、(おそらく)昨年の十条・篠原演芸場公演以来、(小規模な劇場では)役者のワイヤレスマイクを使用していない。そのことが、どれだけ舞台の景色・風情を「魅力的」にすることか、また役者の「実力」を向上させることか、今や、芝居の「セリフ回し」において、この劇団の右にでるものはない。芝居の外題は「浮世人情比べ」。ある家の玄関先で娘(近江なぎさ)が縫い物をしている。村の娘たち(近江しぐれ・近江あらし)がさらに縫い物の注文にやってきた。快く引き受ける娘。そこに娘の兄夫婦(男優・不明、女優・近江みぞれ)が炭焼きの仕事を終えて帰宅。二人は娘の針仕事を見ながら「早く、お嫁にいったら」と勧めるが・・・。そこへ、京都の大店の若旦那(座長)が使用人・菊二郎(橘小虎丸)と一緒に通りかかった。若旦那、世間知らずの、わがまま放題、女の衣装をまとい、顔は白塗り、まさに「滅茶苦茶」の風体、見ているだけで吹き出してしまう。私は炭焼きの夫が座長、妻が笑川美佳だと思いこんでいるので、この若旦那(を演じている役者)が誰なのかわからない。使用人は橘小虎丸だとすぐにわかった。若旦那、「のどが渇いた」というので、使用人が水をもらいに玄関先へ、その時、娘と目があったかどうかはわからない。娘の様子を目ざとく見つけたのは、水を飲み終わった若旦那の方だった。「おい、菊二郎。あの娘、めちゃくちゃ可愛い。わいの嫁さんにする。おまえ話つけてこい」「そんな・・・。急に言われても」「おまえは家の使用人、もし話つけられんようなら、劇団クビや!」と言い残して、若旦那退場。私はその時、「鹿島順一劇団」の十八番「浜松情話」を思い出していた。筋書が酷似している。また、あの舞台が観られるのかと心躍った。一人残された使用人、しかたなく炭焼き夫婦と話をつける。炭焼き夫婦、「お金持ちと貧乏人、身分が違います」と渋ったが、何とか説得に成功、証拠の紙入れを渡して「祝言」の日取りまでこぎつけた。  二景は、祝言当日の大店。大旦那(男優・不明)、若旦那、威儀を正して(あるいはドタバタの景色で)待ち受けるが、花嫁はなかなかやってこない。大女将(轟純平)はなぜか(馬鹿旦那のところに嫁が来てくれるなんて、奇跡だと思ったのか)パニック状態、その興奮を治めようと呼んだ主治医(近江大和)、女中衆(近江しぐれ・近江あらし)と追いつ追われつのドタバタ景色で笑わせる。どうやら、炭焼き夫婦・妹(花嫁)がやってきた。待ちこがれた大旦那と若旦那、「どうぞこちらへ」と席を勧める。「はい」と言って歩きだす娘、案の定、その歩き方は大きくバランスを欠いていた。驚愕する若旦那、「えっ?なんや、その姿!知らなかった。そんな娘はお断り。おとっつあん、ことわってえな!」馬鹿旦那には馬鹿親爺、「もし、そのような娘さん、うちの嫁にはもらえません。お引き取り下さい」とつっぱねる。そればかりか、執拗に祝言を勧める使用人・菊二郎にまで八つ当たり、「世間知らずの若旦那を助けなければならないお前が、こんなドジを踏むなんて、おまえもクビだ」。あきれかえった炭焼き夫婦、こんなところに長居は無用、「さあ、帰ろう」と言ったとき、「待ってください、お兄さん・お姉さん」、平伏したのは菊二郎、「こんなことになったのは私の責任、どうか妹さんを私の嫁に下さい」と哀願した。その顔をまじまじと見つめた炭焼き、「よっしゃ、あんたさんの目と涙に嘘はない。妹をお預けしましょう。どうぞ幸せにしてやってください」。妹に「どうだ?菊二郎さと一緒になるか?」と問いかける。妹にっこりと「ハイ」。思わず寄り添う二人、そして静かに歩き出す。「?????」「あれっ?」再び驚愕する若旦那、大旦那。「ちゃんと、ふつうに歩いている。さっきの様子は嘘だったのか・・・」  「へっ、へっ、へっ・・・。悪いと思ったが一芝居打たせてもらいましたよ」とうそぶく炭焼きの夫。「金」や「体裁」(見栄え)よりもっと「大切なもの」がある、それが見えない奴のところになんて、大事な妹をやれるもんか、ざまあみやがれ、再びパニック状態の大女将登場、それを追いかける主治医、女中衆、若旦那、大旦那のドタバタ景色で幕となった。 さて、若旦那を演じたのは座長だとわかった(途中までまったく分からなかった、幕が下りても半信半疑だった。口上の姿で確認できた)が、炭焼きの夫を演じたのは誰だろうか。大旦那を演じたのは誰だろうか、今もって「謎」である。それが、役者の「実力」だと、私は思う。  いずれにせよ、この劇団の「変化」(へんげ)は、半端ではない。その要因の一つとして、ワイヤレスマイク使用の廃止という英断があることは間違いない。それを一つのステップとして、さらに「音響効果」(特にボリュームの調整)の工夫を重ねれば、「珠玉の舞台」の連続となるだろう。
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2023-07-10

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《「新月桂川」・マイク不要の芝居は超一級》

【近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成21年5月公演・横浜三吉演芸場〉                                       この劇団を見聞するのは1年ぶり、今日は「春之介祭り」と銘打った興行で、副座長・近江春之介が「座長」を務める。芝居の外題は「新月桂川」。桂川一家の若い衆二人(兄貴分新吉・近江春之介、弟分銀次・近江大輔)が男修行の旅から帰ってきた。二人とも親分(浪花三之介)の娘(座長・近江飛龍)に惚れている。帰ったら「お嬢さんと夫婦になって跡目を継ぐ」のも二人の夢、そのことになると兄弟分とはいえ「譲れない」。肝腎の娘は、銀次が「好き」、腕の方は新吉が上、親分は、背中合わせの一家・まむしの権太、権次(橘小寅丸二役・好演)のどちらでもいいから「首を取ってきた方に娘を与え、二代目を継がせる」とのこと、二人は勇んでまむし一家に殴り込み、目的通り、権太の首を挙げたのは、やはり新吉。銀次は土下座して新吉に、「頼む。その首を譲ってくれ!実を言えば、旅に出る前から、オレとお嬢さんはデキていたんだ」。「なんだって?・・・」ちっとも知らなかった新吉、激高して銀次を斬ろうとするが、そのたびに「ギンジサーン!」という娘の声が聞こえてきて、刀を下ろせない。つまるところ、自分を追いかけてつきまとう鳥追い女(轟純平・好演)と「一計を案じて」、嫁も跡目も弟分に譲る、というお話。
 芝居の出来栄えは「一級品」、「存在感のある」座長を筆頭に「役者(脇役)が揃っている」。とりわけ、今回は、浪花三之介という「大御所」の舞台を見聞できたのは、望外の幸せであった。この劇団、芝居の中では「マイク」を使わない。そのことが、どれほど舞台の景色・風情を「美しく」「艶やかに」することか。どれほど、観客との「呼吸」を合わせやすくすることか、どれほど役者一人一人の「実力」(演技力)を高めることか。
おそらく、140以上ある劇団の中で、「マイクを使わない」のはこの劇団以外にないのではあるまいか。(一時、「恋川純弥劇団」もそうだったが、今月の木馬座公演では使っている)劇場によっては、「宴会の余興」「ホテルのショー」並に扱われている大衆演劇の実情を考えれば、「やむを得ない」ことかもしれない。役者の声帯を守るためには「当然」かもしれない。にもかかわらず、あえて、「肉声の芝居」にこだわるからこそ、「近江飛龍劇団」は素晴らしいのだ、と私は思う。
 前回もそうであったが、久しぶりに見聞する舞台、そのたびごとに役者の「実力」アップ、座長の存在感が「倍増」する、「いつものように幕が開かない」ところに、この劇団の特長がある、ことを再確認した次第である。
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2023-07-08

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《芝居「昭和の男」は、「極め付き」!》

【近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍〈平成22年3月公演・浅草木馬館〉                                                                         夜の部、芝居の外題は「昭和の男」。数年前、私は同じ劇場、同じ劇団で「大阪の人」という芝居を見聞した。たいそう面白く「抱腹絶倒の舞台」であったことは記憶していたが、その詳細は思い出せなかった。何とか再見したいものと念じていたが、なんと、今回その願いが叶えられようとは・・・。第一部ミニショーの幕を引きながら座長の一言、「昼のお客様は一般のお客様、夜のお客様はマニアの方々、そのために力を溜めておきました」だと!。自分がマニアの一人に数えられたことを心底から光栄に思う。さて筋書は、まさに「昭和の男」・八角常次郎(座長・近江飛龍)の物語。昭和の侠客・常次郎は懲役18年の刑を終え、懐かしい一家に帰ってきたが、一家は「建設会社」に衣替え、かつての親分(浪花三之介)は「社長」、身内(近江大輔、轟純平、近江大和)の面々も「社員」という身分(洋服姿)に納まっていた。常次郎はといえば、角刈りに着流しの風情でまさに「昭和の侠客」然、そのコントラストが、えもいわれぬ面白さを引き出す。加えて、常次郎の顔貌、仕種一つ一つが「大げさ」(事大主義的)で、笑わずにはいられない。会社は平成の不況を迎えて、社員に給料も払えない様子。社員の大和が社長の三之介にしつこく催促する「絡み」も絶品。そこへ、正体不明の「ざあます女」(笑川美佳)が娘(近江なぎさ)を連れてやって来る。娘と社長の息子(近江春之介)は婚約中。とはいえ、それは形ばかりで、社長と「ざあます女」ともに相手の財産を狙ってという魂胆だが、この「ざあます女」と「社長」の「絡み」も絶品で、セリフ回しの一つ一つが「笑い」を誘う。女「それでなくても、しゃべりすぎと怒られてザーマスのよ」(と言ったかどうかは定かではないが)社長「誰に?」女「(笑いをこらえながら)あの大きな顔の男(実は夫・近江飛龍)に!」と退場する景色は天下一品であった。娘の誕生パーティーに息子が赴く、それに付き添うのが常次郎、「ざあます女」の用心棒(橘小寅丸)との再会で、元ヤクザ同士の抗争が再燃、息子は用心棒に刺殺され社長のもとに運び込まれた。常次郎がその「仇を討つ」という筋書で、本来なら「現代任侠(人情)劇」だったはずだが、その空気を常次郎がぶち壊す。後見・三之助も思わず噴き出して首を振る。「何処までが芝居なのか、ヒトが真面目にやろうとしているのに・・・」というぼやきの風情がそのまま「絵になってしまう」のだから面白い。この劇団、どちらかと言えば「主役の独壇場」に終始しがちだが、この芝居は、さにあらず、登場人物全員が「随所で光っている」。文字通り「極め付き」の演目として守り続けなければならない、と私は思う。座長の言によれば「4か月ぶりに舞台にのせた」とのこと、その見聞に与れたことは望外の幸せであった。
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2023-06-26

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《東京公演、“トップスター”近江飛龍の「油断」》

【近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成23年9月公演・浅草木馬館〉
私は、初日の芝居「新月桂川」を皮切りに、「武士道くずれ」「無法松の一生」「悲恋夫婦橋」の舞台を見聞、今日の外題は「紺屋高尾」ということである。いずれも、劇場は「大入り」の活況を呈していた。、今や、「近江飛龍劇団」は、人気・実力ともに「一と言って二と下らない」までに成長・発展した、と言っても過言ではないかも知れない。12月には、大阪新歌舞伎座で細川たかし・神野美伽の師走特別公演に「参加」、来年の3月には国立文楽劇場での「特別公演」が決まっている。案内パンフレットのキャッチフレーズは「大衆演劇界のトップスター!、ここに君臨!」、芝居の外題は「忠臣蔵外伝・血闘!弔い武士」(脚本・浪花三之介、演出・近江飛龍)、特別出演・松方弘樹とのことで、文字通り「飛ぶ鳥を落とすが如き」勢いが感じられるのだが・・・。「しかし」である。舞台の景色は「今一歩」、劇団本来の精彩を欠いていた、と私は思う。その理由①、芝居の中で役者がピンマイクを使っていた。ハウリングが生じることもしばしばで、著しく舞台の音響効果を損ねてしまった。②開演時刻になっても「幕が開けられない」ことがあった。これらは明らかに、座長・近江飛龍の「油断」である。「近江飛龍劇団」の真骨頂について、私は以下のように書いたことがある。〈芝居の出来栄えは「一級品」、「存在感のある」座長を筆頭に「役者(脇役)が揃っている」。とりわけ、今回は、浪花三之介という「大御所」の舞台を見聞できたのは、望外の幸せであった。この劇団、芝居の中では「マイク」を使わない。そのことが、どれほど舞台の景色・風情を「美しく」「艶やかに」することか。どれほど、観客との「呼吸」を合わせやすくすることか、どれほど役者一人一人の「実力」(演技力)を高めることか。おそらく、140以上ある劇団の中で、「マイクを使わない」のはこの劇団以外にないのではあるまいか。(一時、「恋川純弥劇団」もそうだったが、今月の木馬座公演では使っている)劇場によっては、「宴会の余興」「ホテルのショー」並に扱われている大衆演劇の実情を考えれば、「やむを得ない」ことかもしれない。役者の声帯を守るためには「当然」かもしれない。にもかかわらず、あえて、「肉声の芝居」にこだわるからこそ、「近江飛龍劇団」は素晴らしいのだ、と私は思う。前回もそうであったが、久しぶりに見聞する舞台、そのたびごとに役者の「実力」アップ、座長の存在感が「倍増」する、「いつものように幕が開かない」ところに、この劇団の特長がある、ことを再確認した次第である〉(平成21年5月公演・芝居「新月桂川」・横浜三吉演芸場)
今回の舞台、「いつものように幕が開かない」とはいえ、その内実は「2年前」には遠く及ばず、浪花三之介を筆頭に、役者の「実力」が「空回り」という惨状を呈してしまった。
「武士道くずれ」では、時代に取り残されてしまった武人の悲哀、「無法松の一生」では、「女嫌いの男の胸に秘める面影」、「悲恋夫婦橋」では初々しく溌剌とした検事の風情を描出することがが「不可欠」だが、なぜか、座長・近江飛龍の演技は「浮き足だって」落ち着きがない。「紺屋高尾」では、芝居の役柄(一人五役)よりも、「役者(スター)飛龍」の魅力を先行させようとする「焦り」(油断?)が目立って「興ざめ」であった。芝居の真髄は、いうまでもなく「チームワーク」(呼吸の妙)、わずかに橘小寅丸の「控えめ」な演技が光ってはいたとはいえ・・・。大衆演劇に「トップスター」はいらない。細川たかし、神野美伽、松方弘樹、等々の「人気」よりも、近江飛龍をはじめとした「旅役者」の「実力」の方が、はるかに「格上」であることを私は確信している。メジャーを目指すことは自由だが、「油断」は「大敵」である、しばらくはこの劇団の舞台を見聞することはないだろう。大舞台での健闘を祈りたい。合掌。
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2023-06-25

劇団素描・「近江飛龍劇団」・《芝居「新月桂川」の出来栄えは?》

【近江飛龍劇団】(座長・近江飛龍)〈平成23年9月公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は「新月桂川」。私はこの芝居を今から2年余り前(平成21年5月)、横浜三吉演芸場で見聞している。以下は、その時の感想である。〈この劇団を見聞するのは1年ぶり、今日は「春之介祭り」と銘打った興行で、副座長・近江春之介が「座長」を務める。芝居の外題は「新月桂川」。桂川一家の若い衆二人(兄貴分安太郎・近江春之介、弟分銀次・近江大輔)が男修行の旅から帰ってきた。二人とも親分(浪花三之介)の娘(座長・近江飛龍)に惚れている。帰ったら「お嬢さんと夫婦になって跡目を継ぐ」のも二人の夢、そのことになると兄弟分とはいえ「譲れない」。肝腎の娘は、銀次が「好き」、腕の方は安太郎が上、親分は、背中合わせの一家・まむしの権太、権次(橘小寅丸二役・好演)のどちらでもいいから「首を取ってきた方に娘を与え、二代目を継がせる」とのこと、二人は勇んでまむし一家に殴り込み、目的通り、権太の首を挙げたのは、やはり安太郎。銀次は土下座して新吉に、「頼む。その首を譲ってくれ!実を言えば、旅に出る前から、オレとお嬢さんはデキていたんだ」。「なんだって?・・・」ちっとも知らなかった新吉、激高して銀次を斬ろうとするが、そのたびに「ギンジサーン!」という娘の声が聞こえてきて、刀を下ろせない。つまるところ、自分を追いかけてつきまとう鳥追い女(轟純平・好演)と「一計を案じて」、嫁も跡目も弟分に譲る、というお話。
 芝居の出来栄えは「一級品」、「存在感のある」座長を筆頭に「役者(脇役)が揃っている」。とりわけ、今回は、浪花三之介という「大御所」の舞台を見聞できたのは、望外の幸せであった。この劇団、芝居の中では「マイク」を使わない。そのことが、どれほど舞台の景色・風情を「美しく」「艶やかに」することか。どれほど、観客との「呼吸」を合わせやすくすることか、どれほど役者一人一人の「実力」(演技力)を高めることか。
おそらく、140以上ある劇団の中で、「マイクを使わない」のはこの劇団以外にないのではあるまいか。(一時、「恋川純弥劇団」もそうだったが、今月の木馬座公演では使っている)劇場によっては、「宴会の余興」「ホテルのショー」並に扱われている大衆演劇の実情を考えれば、「やむを得ない」ことかもしれない。役者の声帯を守るためには「当然」かもしれない。にもかかわらず、あえて、「肉声の芝居」にこだわるからこそ、「近江飛龍劇団」は素晴らしいのだ、と私は思う。前回もそうであったが、久しぶりに見聞する舞台、そのたびごとに役者の「実力」アップ、座長の存在感が「倍増」する、「いつものように幕が開かない」ところに、この劇団の特長がある、ことを再確認した次第である〉。
さて、今日の舞台、兄貴分安太郎に座長・近江飛龍、弟分銀次に橘小寅丸、桂川一家親分に浪花三之介、その娘に近江春之介、まむしの権太・権次に近江大輔、鳥追い女に笑川美佳という配役で、前回よりは「真っ当」(本来の姿)であったが、その出来栄えは「今一歩」であった、と私は思う。その理由①、舞台に「集音マイク」を設置、その結果、役者の口跡(肉声)が「濁った」こと、大詰めではよもやの「ハウリング」もあって、せっかくの景色が損なわれてしまった。その理由②、娘役(近江春之介)の風情が座長・近江飛龍に及ばない。その理由③、まむしの権太・権次(二役・近江大輔)の風情が橘小寅丸に及ばない。この芝居の眼目は、何と言っても千鳥の安太郎の「恋心」、命を賭けても欲しかった娘の「魅力」をどのように描出するか、また、敵役・まむしの権太が権次(双生児)に入れ替わる「変化(へんげ)の妙」をどのように演出するか、あたりだと思われるが、今日の娘は「淡白」すぎた。今日の権次は「強烈」すぎた。だとすれば、銀次に近江春之介、娘に笑川美佳、権太・権次に橘小寅丸、鳥追い女に轟純平を配したなら・・・、などと身勝手な想像をしながら帰路についたのであった。
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