META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 三河家劇団
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2023-11-28

劇団素描・「三河家劇団」・《芝居「恋の新橋」、座長渾身の力作》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年10月公演・大宮健康センター湯の郷〉                                                                      昼の部、芝居の外題は「恋の新橋」。新橋の売れっ子芸者(三河家諒)に「助けられた」二人の男、一人は江戸で屈指の大店・伊勢屋の若旦那(美河寛)、もう一人は、顔の左半面に大きな痣のある風来坊(座長・三河家桃太郎)。二人とも、芸者の「温かさ」が忘れられず、身請けして所帯を持ちたい、そのためには金がいる、手っ取り早く稼げるのはここしかないと、足尾銅山にやってきた。(実を言えば、この二人、全く同じ売れっ子芸者に惚れた恋仇だったのだが・・・)、若旦那(親から「芸者如きを嫁にはできない」と勘当された身)、入山はしたものの「体力不足」で働けない。小頭(京華太郎)にしごかれ、いじめ抜かれているところを、風来坊が助けるという筋書。二人とも、「惚れた女のために命を賭けて金稼ぎ」、身分は違うが「似たもの同士」、とりわけ風来坊が若旦那に「同情的」で、なぜかこれまで自分が稼いだ金まで与えて、若旦那を「脱走」させた。時は流れて一年後(時代は明治)、今では(晴れて)夫婦になった若旦那と芸者の「店」に、風来坊がやってくる。相変わらず風采・うだつはあがらない様子だが、金だけは持っている。偶然にも「恋いこがれた芸者」に再会、「これで所帯がもてる」と「舞い上が」ったが、なぜか、また偶然にも若旦那が「同席」、「まあいいや、よいことは重なるもんだ」と勝手に合点したが、とどのつまり、芸者からは、「あたしには、れっきとした亭主がいるんだ。あんたのような化け物七分、人間三分の男に用はない」と「本当の愛想ずかし」をくらって逆上、「お前だけは・・・、と信じていたものを、よくもバカにしやがったな、許せねえ、殺してやる」、芸者も芸者、「ああ、殺せるもんなら殺すがいい、あたしゃあ惚れた男(若旦那)のためなら、命は惜しくない」、必死で止めに入った若旦那の姿を見て、風来坊、(一呼吸あって)、「やあ、すまねえ。人違い、人違い。俺の惚れてた女は、こんな女じゃなかった」と、泣く泣く退散・・・、なんとも「やるせない」幕切れであった。とはいえ、その「やるせなさ」こそが、この芝居の眼目であるとすれば、座長(風来坊)渾身の力作、最高の出来栄えであった、と私は思う。夜の部、芝居の外題は「故郷の兄」。大衆演劇の定番で、二組の「兄妹」が、ヤクザ渡世の「因果」で「仇同士」になるが、「おまえ(配偶者)にとっての兄さんなら、私にとっても兄さんだ」といった「人情」描出で終幕となる。レギュラーメンバーの美河賢太郎、奥村武仁がが水前寺清子の舞台公演を応援(出張)のため不在、役者不足の中、本来なら「妹、または弟の嫁」役を演じてしかるべき、座長の妹・三河家諒が、肥桶をかついで登場する老百姓の「ちょい役」に回ったのは、立派、若手・美河小桃、美河志乃に「活躍(修業)の場」を与えようとする座長の(さわやかで、清々しい)方針が、伝わってくる。事実、(劇団では)まだ新人(?)とおぼしき京華太郎などは、昼の部「一人二役」、夜の部「仇役」で大活躍、何よりも「のびのび」とした舞台姿が頼もしい。
 夜の部、芝居では「ちょい役」の三河家諒、歌謡。舞踊ショーでは、歌唱「東京宵待草」、舞踊「涙の酒」(立ち役)、「ホテルみなとや」(女形)と、大サービス。歌唱は、まさに「大衆演劇風」(役者でなければ唄えない芸風)で天下一品。小林真弓(小林劇団)、都ゆかり(都若丸劇団)と「肩を並べる」出来栄えであった。加えて、彼女の舞踊も斯界の至宝、立ち役では南條隆、都城太郎、見海堂駿、鹿島順一らに継ぐ「実力」、女形では「一と言って二と降らない(右に出る者はいない)」舞姿であると、私は確信する。
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2023-11-27

劇団素描・「三河家劇団」・《芝居「天保水滸伝」の舞台模様》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年9月公演・岩瀬城総合娯楽センター〉
ここの劇場は、JR水戸線・友部駅と小山駅の中間、岩瀬駅から徒歩約30分、小高い山の上に建っている。「岩瀬城」といっても、かつての城跡ではない。土地の有力者が、地域住民のために「建立」した、「福利厚生施設」なのであろう。したがって、観客のほとんどは、地区自治会、老人会、婦人会の「団体」が「慰労」目途にやって来る。彼らは、劇場から差し向けれらた送迎バスで、おそらく10時前後に来場、直ちに、ビール、ジュースで乾杯、カラオケ・歓談を中心とした「宴」を展開するという「段取り」である。加えて、11時から食事までの1時間、さらに正午の1時過ぎから3時半頃まで「芝居」や「歌謡・無糖ショー」も(余興として)「楽しもう」という魂胆に違いない。その結果、純粋に「大衆演劇観劇」を目途にした「個人客」は、いつでも少数派で、団体客の「酔歌」や「歓声」(場合によっては怒声)に「付き合わされる」といった「憂き目」を覚悟しなければならない。それでも、この劇場に赴こうとする「個人客」がいるということは、その時の「公演劇団」によほどの魅力があるから・・・、ということになるだろう。今日の客席も、団体客約60人に対して個人客8人という「割合」であった。芝居の外題は「天保水滸伝」より、前狂言(11時~12時)は「笹川の花会」、切り狂言は「国定忠治・山形屋の場」であった。その出来栄えは「相変わらず」、「お見事」と言う他はなかったが、《大衆演劇の舞台(出来栄え)は、「劇場次第」「客次第」》という私自身の「言い様」(造語)に従えば、「客筋の反応」が「いまいち」で、役者との「呼吸」が噛み合わない。加えて、「団体客」に「リピーター」は望めないためか、劇団の面々も「やや力抜け」気味であったことは否めない。三河家諒、三河賢太郎の「姿」も「見えず終い」だったので、誠に「残念無念」、ポッカリと穴の開いた「寂しさ」を感じた次第である。でもそれは、「三河家劇団」に限ったことではなく、休演無しの「長丁場」のなかでは、「いわば当然のなりゆき」である、と私は思う。もともと「余興扱い」の「団体客」なんぞに、無駄なエネルギーを使う必要はない。来月の公演(「大宮健康センターゆの郷」)を楽しみに、帰路についた。



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2023-09-15

劇団素描・「三河家劇団」・《「同じ芝居を何度見ても飽きない」予感が的中》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                    今月、この劇団の見聞は5回目である。1回目の時「しばらくは、この劇団の舞台を見続けることになるだろう」と綴ったが、「同じ芝居を何度観ても飽きないのではないか」という予感もしていた。その予感が、まさに的中した。今日のプログラムは、前回(3日前・8月19日)と「ほぼ同じ」、芝居の外題は、昼の部「赤垣源藏徳利の別れ」、夜の部「三下旅鴉」であった。通常なら、「ナーンダ、また同じ芝居を観るのか、損しちゃった!」と思うところだが、この劇団の舞台は、さにあらず、前回の舞台とは「全く異なる」景色・風情が描出され、さすがは「五代目桃太郎、今、新時代の扉を開く・・・。」という看板に偽りはなかった。まず、「赤垣源藏徳利の別れ」。前回、主役の美河寛について〈もともとが「二枚目」、しかも「健全・明朗・開放的」な芸風なので、一見、豪放磊落、しかしどこか「陰」(仇討ちという秘め事のある)源藏を演じるには「やや荷が重いか」・・・。〉などと無礼なことを書いてしまったことを反省する。今日の舞台は、まさに「上品な豪放磊落」しかし、「どこか憂いを秘めた」表情が、一見、純粋無垢、素朴でありながら、どこか「茶目っけ」「おきゃん」な風情を漂わせる奥女中役・三河家諒との「絡み」の中で、絶妙なコントラストを映し出す。えもいわれぬ「艶やかで華やかな」舞台が感動的であった、さらに、今回は、もう一景追加、極月十四日の真夜中、山鹿流の陣太鼓に起こされた兄・塩山伊佐衛門 (座長・三河家桃太郎)が、「討ち入り、間違いなし」と確信、はたして「その中に源藏ありや、なしや?」、従臣(老僕常平?・奥村武仁)を赴かせて確かめようとする。「もし加わっていたならば、玄関前で大声で言上せよ」「はい、わかりました」行こうとするのを呼びとめて「もし、源藏が居なかったその時は・・・」「その時は?」「誰にも知らせず、小声でワシにそっと知らせてくれ」という「やりとり」が、なんとも「粋」で「清々しく」、舞台に「華」を添えていたと思う。ことほどさように、同じ外題の芝居であっても、「三河家劇団」の舞台は、私を厭きさせない。続いて「三下旅鴉」。前回の感想。〈三下時代の三太郎が、三年後、どのような(侠気の)「男」になって登場するか、所作、表情、口跡などを通してその風情が「大化け」(劇的な変化)することを期待していたのだが・・・。あの駒形茂兵衛は「十年後」であったが、三太郎は「三年後」、見違えるまでとは言えないまでも、「今一歩」の「変身」を描出することができたなら・・・、そこらあたりが、京華太郎の「今後の課題」と言えようか。〉今日の舞台、京華太郎はその課題を見事に克服、すばらしい出来栄えであった、と私は思う。前半の「三枚目」、相手役との「絡み」、客との「呼吸」もピッタリで、表情・所作にも「魂が入った」感じ、三年後、男修業を終えた「凛々しい」股旅姿は、申し分なく「絵になっていた」。そのことを喜ぶ長兵衛親分(座長)の風情も格別で、思わず私の目頭も熱くなってしまった。病に倒れ、二代目(美河賢太郎)や、その連れ合い(三河家諒)に「虐められ」ながらも、したたかに「抵抗する」、その仕草、表情、口跡で「客を笑わせる」技こそ「実力派座長の勲章」、前回は割愛されていた、その「技」を堪能できただけでも、望外の幸せであった。
 舞踊ショー、京華太郎、前回とは演目を変えて「瞼の母?」(唄・三波春夫)。駒形茂兵衛のみならず、番場の忠太郎にも挑戦しようとする「覇気」が素晴らしい。加えて、三河家諒の「命」(唄・五木ひろし)、珠玉の名品として「至芸の殿堂入り」(永久保存)をさせたいほどの出来栄えであった。




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2023-09-11

劇団素描・「三河家劇団」・《主役に若手登用は「実力」の証(あかし)》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                  芝居の外題は、昼の部「三下旅鴉」。仏一家の三下・三太郎(京華太郎)が(落ち目の)親分・長兵衛(座長・三河家桃太郎)の仇敵、(飛ぶ鳥を落とす勢いの)川向こうの親分(奥村武仁)を「弾みで」討ち取ったまではよかったが、仏一家の跡目をねらう代貸・重吉(美河賢太郎)の企みで凶状旅に出立、三年の月日が流れた。今では、一家親分の座はは長兵衛から重吉に移り、三太郎の一子は病死、女房(三河家諒)は重吉の「もの」になっているという変わりようで、まさに「栄枯盛衰」を絵に描いたような舞台であった。落ちぶれた長兵衛親分、「頼みの綱は三太郎の帰還」と「山をあげている」ところに、案の定、三下の三太郎、三年ぶりに、「男修業」を終えて帰宅した。以後は、お決まりの復讐劇、重吉と女房を相手に「親分の敵討ち」「愛児の敵討ち」「間男成敗」を「颯爽と」果たして終幕となった。この芝居の主役は、言うまでもなく三下・三太郎、まだ若手の京華太郎が、「精一杯」(渾身の)力をふりしぼった「演技」が清々しく、さらに彼を見守る座長はじめ、先輩座員連の「温かさ」も加わって、「新鮮な空気いっぱい」が漂う舞台であった。(実力のある劇団ほど、主役のチャンスは座員全員に平等に保障されている)三下時代の三太郎が、三年後、どのような(侠気の)「男」になって登場するか、所作、表情、口跡などを通してその風情が「大化け」(劇的な変化)することを期待していたのだが・・・。あの駒形茂兵衛は「十年後」であったが、三太郎は「三年後」、見違えるまでとは言えないまでも、「今一歩」の「変身」を描出することができたなら・・・、そこらあたりが、京華太郎の「今後の課題」と言えようか。
夜の部、芝居の外題は「赤垣源蔵徳利の別れ」、三波春夫の歌謡浪曲を背景にした「節劇」の風情で、主役の赤垣源蔵に美河寛、兄・塩山家の奥女中に三河家諒という配役、ここでも座長は終幕まで登場しなかった。(主役の座を中堅・美河寛に譲っている)とは言え、舞台の出来映えは珠玉の名品、一編の「短編小説」を観るような感じで、「お多福」然とした奥女中役の三河家諒は「さすが!」の一言に尽きる。主役の美河寛、もともとが「二枚目」、しかも「健全・明朗・開放的」な芸風なので、一見、豪放磊落、しかしどこか「陰」(仇討ちという秘め事)のある源蔵を演じるのには、「やや荷が重い」か・・・。しかし、お世話になった兄を思い、羽織を相手に別離を惜しむ心情は、「十二分に」伝わってくる。水準以上の出来映えであった、と私は思う。
 舞踊ショー、京華太郎の「一本刀土俵入り」(唄・島津亜矢)は、昼の部芝居の「三下旅鴉」の舞踊版、あらためて股旅姿の「おさらい・復習」に取り組もうとする意気込みが感じられて、頼もしかった。三橋美智也、二葉百合子の「音曲」にも挑戦してもらいたいと、私は勝手に思う。三河家諒の「長良川艶歌」(唄・五木ひろし)はまさに国宝級、斯界の「財産」「至宝」として永久保存したい気持ちでいっぱいだった。私は以前、「舞踊ショー」について以下のような雑文を綴ったが、その思い、その期待どおりの舞台が展開されていることに、深い感銘を受けた次第である。〈踊りの曲にはほとんど泥臭い「演歌」が使われているが、聞くだけでは取るに足らないと思われている流行歌でも、実力のある役者の踊りに使われると、たちまち名曲に変身してしまうほどである。大衆演劇の愛好家はこの舞踊ショーを最も重要視しているが、それは役者の踊りを見ながら、この「演歌」の変身を期待しているためである〉三河家諒の舞踊によって、(背景に流れる)流行歌手の「歌唱」は、いっそうの輝きを増し、たちまち名曲に変身してしまうことは間違いない、と私は確信する。




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2023-07-14

劇団素描・「三河家劇団」・《「マリア観音」は屈指の名舞台(離れ業)》

三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                                                         芝居の外題は「マリア観音」、大衆演劇の名作である。配役は、父・阿部豊後守と母・お蔦(元芸妓・蔦吉)二役が座長・三河家桃太郎、その息子・霞の半次郎に三河家諒、その仲間(巾着斬り)たちに美河賢太郎、美河寛、京華太郎、目明かしの藤造に奥村武仁という面々であった。阿部豊後守がまだ部屋住みの時代、芸者・蔦吉と恋に落ちて駆け落ち、長屋での生活を始め、一子・半次郎をもうけたが、家督の問題が生じて「生き別れ」・・・。十数年後に再会したときは、父は出世して奉行、一方、息子は「やさぐれて」大罪人。お互いが父子であると知ったとき、母は責任を感じて自死、父子ともに絶望して「合い果てる」といった、なんとも「悲しい運命の物語」である。「マリア観音」とは、(それを信仰すれば)「死んだ者なら生き返る、別れた者なら再び巡り会える」という隠れキリシタンの偶像(象徴)に他ならないが、「生き別れ」になった妻子に「一目会いたい」と独身生活を続ける父・阿部豊後守の「思い」が染みこんだ代物。それを盗んだ仲間たちを斬殺してまで「取り戻そう」とした息子・半次郎の「心根」も反映されているという具合で、座長・三河家桃太郎の言葉によれば、「このお芝居は、物語自体が鉄板だと思います」(『演劇グラフ』vol92・2009②「みかわやいずむ」)ということになる。舞台の出来栄えは、その悲劇的・絶望的な気配にもかかわらず、景色・風情は、あくまでも「艶やか・華やか」然、「大江戸の絵巻物」を観るようで、まさに看板通り「商業演劇にひけをとらない」どころか、大歌舞伎、大劇場の「退屈な舞台」など「足元にも及ばない」ほどであったと、私は思う。この劇団の役者は、座長を筆頭に、「ほんのちょい役」、若手、はしたに至るまで、「芝居とは何か」を熟知している。つねに、舞台の人物全員で「どのような景色を醸し出すか」(絵を描くか)というテーマが念頭にあり、一挙一動、一頭足に「無駄がない」(意味がある)ことが特長である。さればこそ、開幕と同時に、文字通り「錦絵」のような景色が、「絵巻物」のように展開していくのだろう。とりわけ、今日の舞台では(と言ってもいつものことであろうが)、阿部豊後守とお蔦の二役を座長が「演じ分ける」という「離れ業」は《お見事!》の一語に尽きる。顔を合わせることなく「思い合う」二人の人物を、一人の役者が演じるのは「至難の業」、それを、いとも平然と(淡々と)演じきってしまう五代目・三河家桃太郎の「実力」は半端ではない。再び、座長の言葉。「お蔦を演じた時、僕がお蔦を演じていたのではなくて、そこにお蔦がいたと思ってもらいたいですね。それと僕はお芝居には『想像力』が大切だと考えています。役者も想像しながら演じないといけないし、観ているお客様に想像をさせなきゃいけない・・・。」(前出書)おっしゃるとおり、今日の舞台では、阿部豊後守、お蔦、半次郎の「姿」「形」を通して、その「三者三様の思い」が「ひしひしと、こちらの胸に伝わってきたのである。まさに「想像力の産物」であろう、と心から納得した。観客数は、いつもより多め(七、八十名?)、その人たち「マリア観音」を観るために遠方から駆けつけたに違いない。とはいえ「大入り満員・札止め」などという「野暮な事態」には陥らせない(客の「入り」など歯牙にもかけない)、その裁量もまた「三河家劇団」の「実力」(余裕)のうちではないだろうか。
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2023-07-13

劇団素描・「三河家劇団」・《座長・桃太郎の「役者魂」と妹・諒の「実力」》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                                                         この劇場は、関東にありながら「東京大衆演劇劇場協会」所属の劇団以外の劇団、例えば「劇団朱雀」、例えば「橘菊太郎劇団」、例えば「南條隆とスーパー兄弟」の如く、集客能力の高い劇団を招致する、という特徴がある。その時は、客が殺到、連日「大入り満員」の様相を呈するが、普段の状態に戻ると(それ以外の劇団の時には)、客足は激減する。劇場としては、経営を維持するために(かどうかは定かではないが)、入場料金を改定(昼の部は食事付きに拘束、客席での飲食物提供時間を限定)したところ、すこぶる評判が悪く、なお一層、客足が遠のく結果となってしまったようである。現在は、入場料金を「従来通り」に再改訂したが、客足は伸びることなく「従来通り」(昼の部50人未満、夜の部20人未満)に推移しているようである。ただ一点、変わったことは、夜の部が「舞踊ショーのみ」(夜6時から1時間程度)となったことである。「客席の人数よりも、舞台の役者の方が多い」なんて「様にならない」と関係者が判断したかどうかはともかく、今後の見通しとしては「先細り」の感は否めない。そんな時、健気にも「夜の部も芝居をやります」を宣言・実行しているのが「三河家劇団」なのである。なんと雄々しく、天晴れな「役者魂」であろうか。あらためて「劇団紹介」を見ると、以下の通りであった。〈プロフィール 三河家劇団 所属はフリー。現在の「三河家劇団」としての創立は平成10(1998)年だが、初代・三河家桃太郎は明治後期からという大変歴史のある劇団。モットーは「ひとつひとつ、一言一言を大切に心を込めて演じること」。五代目・三河家桃太郎と妹・三河家諒による、一流の商業演劇にも引けを取らない演技力と、わかりやすさが共存したお芝居が特徴。 三河家桃太郎 昭和44(1969)年3月2日生まれ。福岡県出身。血液型AB型。「三河家劇団」座長。曾祖父の代からの役者家系で、3歳で初舞台を踏む。ダイナミックかつ情感豊かに演じ上げる力量には定評がある。平成17(2005)年12月14・15日に東京・日本橋劇場で行われた襲名披露公演をもって、それまでの「三河家恵介」を改め、「五代目・三河家桃太郎」を襲名。また、同劇団の三河家諒は妹に当たる」〉。またキャッチフレーズは、〈五代目桃太郎、三河家新時代の扉を今・・・。芝居の上手さと、観客を感動させる力量ではつとに知られた「三河家劇団」。「五代目・三河家桃太郎」を襲名し、さらなる芝居道を追い求める座長と、見事な演技力で舞台を彩る妹・三河家諒を中心に今、新たなる三河家の歴史が幕を開ける・・・。〉であった。実際に舞台を見聞した感想も「紹介通り」「キャッチフレーズ通り」で、芝居、舞踊ともども「超一級」の出来栄えであった。その「至芸」を観客の数(時としては劇団員の総勢より少ない)にかかわりなく、惜しげもなく「披露」し続ける姿勢に脱帽する他はない。芝居の外題は、昼の部「へちまの花」。夜の部「吉良の仁吉・仁吉しぐれ」。いずれも大衆演劇の定番、筋書は省略するが。前者では、機織り上手の田舎娘・およねに扮した三河家諒の風情が「絶品」、後者では、若手・美河賢太郎、三河家小桃に主役(仁吉とその恋女房・菊)を譲り、ベテラン陣は脇を固めるという配役(座長の采配)は「お見事」、まさに実力・余裕のある劇団の「技」を観た思いがして、いたく感動した次第である。
舞踊ショー、女優・三河家諒の「女形舞踊」は、斯界・数ある男優陣の「女形舞踊」の《原型》(お手本)といった雰囲気で、素晴らしい。「男優の女形は、女以上に女っぽい」などとはよく言われることだが、彼女の「女形」、さすがは女優、その風格・品格において男優の及ぶところではない。加えて、座長の「口上」も絶品、いわゆる「世情のアラ」(例えば天候不良、例えば大原麗子、例えば酒井法子、例えば腰痛、例えば東洋医学等々)を肴に、彼自身が傾けるユニークな蘊蓄、その飄々・淡々とした語り口は、めったにお目にかかれない代物である。
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2023-06-12

劇団素描・「三河家劇団」・《佐倉で本格的「実力」を披露》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・湯ぱらだいす佐倉〉                                                                         この劇団の舞台は、昨年、九十九里太陽の里で見聞したが、劇場の雰囲気が騒々しく、芝居、舞踊ショーともに印象に残る特記事項はなかった。今回、劇場の観客数は二、三十人と少なめであったが、芝居の筋書きといい、登場人物といい、舞台の景色といい、まず第一に感じたことは「基礎・基本」を踏まえた「しっかりした芝居」ができる」劇団だということである。立ち位置、姿勢、目線、所作、口跡等々、どれ一つとっても、役者の呼吸が合っているのである。外題は「兄弟分」、月並みなタイトルで「時代人情剣劇」と銘打っていたが、その内容はもっと「深刻」で、「シリアス」、重厚な心理劇を観ているようで、「娯楽」「絵空事」的な風情とは無縁であったことに驚いた。「悪人」(敵役)が登場しない芝居なのである。上田屋一家には時次郎(美河賢太郎)、孫次郎(美河寛)という兄弟分がいた。その時次郎には、相思相愛の芸者・お吉(三河家諒)がおり、末は所帯を持とうと約束までしていたがのだが・・・。なぜか、今は「男やもめ」の親分(芸名不詳の男優・好演)の目にとまり、「後添い」にという話がまとまってしまった。通常なら、親分の「横恋慕」「ごり押し」で、子分の時次郎から、愛人・お吉を「取りあげる」という筋書きだが、この親分(柄は悪いが)、そんな野暮なことはしない。子分一人一人に、「意見」「感想」を求め、肝腎の時次郎からも「同意」を得たうえでの再婚なのであった。事の真相は、時次郎とお吉の他は、誰も知らない。悲劇は半年後、お吉が「出産」した時から始まった。「十月十日で子が生まれるのは世間の常識。半年でおれの子が生まれるわけがない。いったい誰の子だ!」と、親分はお吉に迫るが、頑として口を割らない。「怒り」「嫉妬」「心労」からか、親分は「日にち毎日、酒浸り」、誰が悪いわけでもない、すべてが運命のいたずらか。強いて言うなら「やくざ稼業の義理立て」か。いずれにせよ、結末は、「親子三人、川の字の生活」を夢見た時次郎・お吉「御両人の死」で終わらざるを得ない「不条理さ」が「えもいわれぬ景色」を醸し出して「チョン」となった。お見事!、生きていることの「空しさ」、「無情さ」、加えて「情死」の「愛しさ」「美しさ」を、これほどまでに描出できた舞台を、大衆演劇で見聞できるなんて望外の幸せであった。後でわかったことだが、この芝居に座長は登場しなかった。なるほど、座員だけで、これだけの芝居をやってのけてしまうなんて、半端な実力ではない。
 舞踊ショーで見せた、座長の立ち役(織田信長)はお見事、とりわけ腰に携えた「大刀」の扱いは「天下一品」、本身の名刀かと見間違うほどの出来映えであった。加えて、座長の妹・三河家諒の「筏流し」「哀愁列車」もお見事!。珠玉の舞台として私の脳裏に深く刻まれた次第である。
 夜の部、芝居の外題は「浅間の喜太郎」。大衆演劇の定番だが、親不孝してヤクザになった喜太郎(美河賢太郎)と、その母親(三河家諒)が「親子名乗り」をするまでの、経緯を(軽演劇風・喜劇仕立て)「忠実・誠実に」描出した舞台で、たいそう面白かった。観客数は二十人弱、しかし、頑固婆に扮した三河家諒の「一挙一動」に、大きな笑い声が沸き上がるといった雰囲気で、役者同士の呼吸もピッタリ、素晴らしい出来映えであったと私は思う。この劇場、今年から夜の部は「舞踊ショーのみ」となっていたが、「三河家劇団」は芝居を復活するとのこと、あくまでも大衆演劇の「本道」(観客の数に関わりなく、やるべきこと〈お客様の求めに応じること〉は「きっちりやる」という)を歩もうとする姿勢がすがすがしく、感動的であった。しばらくは、この劇団の舞台を見続けることになるだろう。
哀愁列車/おさげと花と地蔵さんと/おさらば東京哀愁列車/おさげと花と地蔵さんと/おさらば東京
(2003/08/06)
三橋美智也

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2023-04-09

劇団素描・「三河家劇団」・《芝居「会津の小鉄」座長の《離れ業》と「特別出演」大導寺たかしの「舞姿」》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成26年2月公演・島田蓬莱座〉
蓬莱座は、JR東海道線藤枝の一つ先(下り)、六合駅で下車、東海道(国道1号)に沿って島田方面に向かい、御仮屋の交差点を越えたところにある。多分(去年)、三軒長屋風の2階建て店舗を「劇場」に改装したのだろう、収容人数50人ほどの瀟洒な佇まいであった。オーナーは、元役者の大導寺たかし、しかも、今日は舞台に「特別出演」するとのこと、まだ彼の舞台姿を拝見していない私にしてみれば「何はおいても」という一念で馳せ参じた次第である。芝居の外題は「浪花遊侠伝・若き日の会津の小鉄と名張屋新蔵」。座長・三河家桃太郎が、小鉄の女房・お吉と名張屋新蔵の二役、会津の小鉄に京華太朗、その兄貴分といろはの幸太郎二役を奥村武仁、新蔵の娘に美河こもも(?)、お吉を訪れた髪結いに甘田千恵子といった配役であったが、見所は、座長二役の「離れ業」、いずれも小鉄のために「死んでいく」役柄だが、お吉は小鉄の「侠気」を奮えたたせ、新蔵は、そのお吉に殉じようとして・・・、といった「心模様」を座長一人で描出してしまう、という「至芸」に私の涙は止まらなかった。惜しむらくは、それに対する小鉄の風情、いずれは幕末の京都を取り仕切るほどの大親分になるという、その「片鱗」を見せてほしかったのだが、まだ京華太朗は発展途上、今後の精進に期待したい。さて、第2部グランドショーでは、いよいよ「特別出演」大導寺たかし、登場。「立ち」は「転がる石」、「女形」は瀬川瑛子の「曲名不詳」であったが、いずれ菖蒲か杜若、どこか哀愁を漂わせ、華麗にかつ可憐に舞う舞台姿は、筆舌に尽くしがたい。とりわけ、女形舞踊は片岡梅之助、故・東雲長次郎と肩を並べる一品で、斯界の「至宝」と言っても過言ではないだろう。桃太郎座長、歌唱の後のトークでいわく「私が最も得意とするのは芝居、次は歌・・、三番目が踊り?かな」、その意味がようやく呑み込めたのであった。幕間には「三河家桃太郎誕生日公演『一本刀土俵入り』・舞踊歌謡ショー」のDVDが売り出されていたのですぐさま購入、やっぱり大雪の一夜が明け、交通機関が混乱する中を、はるばるやってきた甲斐があった、今日もまた大きな元気に「お土産」まで頂いて、心ウキウキ帰路に就くことができた。感謝。
浪花しぐれ「桂春団冶」/会津の小鉄浪花しぐれ「桂春団冶」/会津の小鉄
(2005/12/07)
京山幸枝若

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