META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団荒城
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2024-02-06

劇団素描・「劇団荒城」・《芝居「お蝶供養」》

【劇団荒城】(平成20年4月公演・十条篠原演芸場)
 小屋の表看板、本日の演目を見ると、夜の部「お蝶供養」と出ていた。清水の次郎長外伝に違いない。あまり気が進まなかったが、まあ「急ぐ旅でもなし」、観て行くことにした。芝居は、案の定、座長の次郎長、光城真の大政、荒城勘太郎の小政、という配役の物語。次郎長の女房・お蝶(芸名不詳の女優)と四人で旅(尾張路)を続けていたが、お蝶は病身、路銀も尽きてしまった。次郎長は、昔面倒を見たホゲタの久六に助力を頼む(小政を通じて)が、拒絶される。久六は、元相撲取り、次郎長の島に興行に来て失敗、その後始末で大変世話になった。しかし、今は黒駒の勝三の身内になっていたのだ。一方、難渋している次郎長たちを目ざとく見つけ、声をかけてきた百姓(姫川豊)があった。次郎長、その顔を見るなり「おまえはユタカ!(役者の芸名・役柄の名は「松」なのに)ユタカじゃあないか!?」と言って笑わせる。「お前は役者だったが、そうか、今では百姓をやっているのか」松も昔、一宿一飯の世話になっていたのだ。「貧乏百姓で何にもできないが、どうぞ、あっしのうちに泊まってください」、宿代もない次郎長たちにとっては「渡りに舟」、というよりは「地獄で仏」、まさに「情けは人のためならず」を地でいく筋書きであった。しかし、松には金がない。仕方なく仏壇を質入れしようとすると、どこからともなく亡父の声、「俺の家をどこにもってくつもりだ」、声ばかりか亡霊の姿になって現れた。こういうことは毎度のことらしく、松も動じることなく、事情を説明する。「なるほど、恩返しならしょうがあんめい。でも松、くれぐれも『流す』なよ!」と言いつつ「箪笥の中に」退場した。お蝶は松の家で病死、最後の別れを惜しむ次郎長は「現代風」で「ヒューマン・ドラマ」然。以後は、黒駒の勝三に見捨てられた久六に「おとしまえ」をつけて、終幕。一瞬のうちに二太刀浴びせた、座長の「居合いもどき」は、「お見事」。この芝居の眼目は、「人は様々、たった一回の情けを恩義に感じて、それに報いようとする人もいれば、大恩を仇にして返す人もいる。よーく、その人たちの生き様を見ておけ」という次郎長の話の中にあることはたしかだが、「押しつけがましくない」演出がよかった。
 芝居に比べて、舞踊ショーは「単調」、座長の「面踊り」は「絶品」だったが、後が続かない。舞踊ショーの「眼目」は、「音楽の視覚化」にあるが、同時に「歌詞の芝居化」(節劇づくり)という側面も忘れてはいけない、と私は思う。各役者は、一部の芝居では、決められた「役柄」を「決められたように」演じなければならないが、二部の舞踊ショーでは、自由に「役柄」を選び、曲に合わせて「一人芝居」を演じることができる。つまり、役者一人一人が、その個性を生かして「舞台を独占できる」場なのである。単に、男優が「女」に「変身」するだけ(いわゆる「女形大会」)では、客は満足しない。そこにドラマが必要なのである。例えば、大川龍昇の「お吉物語」、南條影虎の「夢千代日記」、そして、荒城蘭太郎の「麦畑」(面踊り)のように・・・。
 芝居同様に、「舞踊ショー」の内容を見直し、一貫したテーマ、組舞踊による節劇などなど、その充実を図ることが「劇団荒城」の課題だと思われる。
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2024-01-06

劇団素描・「劇団荒城」・《座長・荒城真吾の「真骨頂」と「課題」》

【劇団荒城】(座長・荒城真吾)〈平成21年11月公演・柏健康センターみのりの湯〉

 この劇団の特長は、普段は「月並み」「水準並み」の舞台に終始しているのに、ある時「突如として」(突然、炎のごとく)、珠玉の舞台、国宝級の至芸を描出できるという「実力」を兼ね備えているという点であろうか。(これは私の邪推、ゲスの勘ぐりだが)、その日の舞台は、座長の「気分次第」というように思えて仕方がない。「やれば出来るのに・・・」という思いを何度したことか。極言すれば、その日の舞台を良くするのも悪くするのも「座長次第」、まさに座長の権力は絶対、と言う空気が濃厚なのである。そんなことは、どこの劇団にも当てはまるに違いない。ただ、そのことがあまりにも「顕著に」ということは、つねに「裏表のない」正直な劇団だとも言えそうである。  とまれ、今日の舞台(芝居)は、文字通り「突然、炎のごとく」といった出来映えで、たいそう面白かった。芝居の外題は「富くじ千両旅」。三年の年季奉公を終えた若者・新吉(大隅和也)が、江戸から故郷・小諸に帰る道、とある船着き場で、道中姿の旅鴉(姫乃まさかず)と巡り合う。旅鴉が人なつっこく、新吉に話しかけるが、どこか「うわの空」、それもそのはず、新吉の腹巻きには「富籤千両の当たりくじ」が納められていたのだ。当初は旅鴉を「敬遠」しがちだった新吉だったが、徐々に「気心も知り合った」という風情で真相を明かす。あわてたのは旅鴉、「そんな話を滅多に口にしてはいけねえよ。俺には関係にけれど・・・」といった「やりとり」が、何とも清々しく「絵になっていた」。やがて船が到着、二人は乗り込もうと上手に退場、それを追いかけるように三人の遊び人(姫川豊、姫乃ゆうま、荒城蘭太郎)と、一人の素浪人(座長・荒城真吾)が通り過ぎて幕。実を言えば、この素浪人、私は最後まで誰が演じているのか判然としなかった。多分、座長だろう、座長の他にはいないはずだと思いながら、それでも「本当に座長だろうか?」という思いが強かった。なぜなら、その素浪人、一言で言えばあまりにも「かっこ悪い」(無様な)容貌だったかたである。顔はノーメイクに近く、立ち居振る舞いは、どこか「ぎこちなく」、着物もほこりだらけ、といった風情で、全く見栄えがしない。でも、その姿こそが「舞台気色」のポイント、なくてはならない存在なのである。いうまでもなく、素浪人は「仇役」、新吉の当たりくじを奪い取ろうと江戸から尾行してきたのだ。遊び人三人と結託の相談が成立、いよいよ「新吉殺し」の迷場面、通常なら「単なる愁嘆場」だが、今日の舞台はさにあらず、素浪人の「殺しぶり」が「堂に入っていた」。二回ほど、「素手で」切り倒し、「まだ、斬っちゃあいない」と言いながら、最後は「抱きかかえて刺し殺す」、殺した後でも「頭の皮、剥いでやろうか」などと息を切らせて叫ぶ姿が、何とも「おかしく」、凄惨さを感じさせない(喜劇的な)演出が素晴らしかった。悪は悪、殺しは殺し、でも所詮は「遊びの世界」(絵空事)といった「割り切り方」が、なんとも「かっこよく」、そこらあたりが、座長、「劇団荒城」の魅力なのだということを、あらためて納得・得心した次第である。 
 私が初めて「劇団荒城」の舞台を見聞したのは、川崎・大島劇場、当時は「座長不在時」(膝負傷・治療中)で、勘太郎を中心に姫川豊、光條真、大隅和也、姫乃まさかず、荒城蘭太郎、月乃助らが芝居(多分、外題は「浮草物語」)、舞踊(荒城蘭太郎の面おどり「麦畑」は今も私の脳裏に焼き付いている)に「熱気ある舞台」を務めていた。この劇団、文字通り「役者は揃っている」。あとは、座長の「采配・按配」次第、みずからは「後方支援」で、今日のような「汚れ役」「仇役」「三枚目」に徹し、座員各自の「実力」「魅力」「持ち味」(個性)をどこまで「輝かせることができるか」、そのことが今後の課題である、と私は思う。
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2023-10-05

劇団素描・「劇団荒城」・《芝居「遊侠三代」の舞台模様は、脱「大衆演劇」》

【劇団荒城】(総座長・荒城真吾)・〈平成25年1月公演・小岩湯宴ランド〉
今日の舞台は、なぜか第一部が「舞踊・歌謡ショー」で、第二部が芝居「遊侠三代」であった。最近、私は、ほとんど「舞踊ショー」の類いは観ないことにしている。なぜなら、どの劇団も、けたたましい音響で、ディスコ・ダンス風の「洋舞」を「和装」のまま演じる。そのことを求めている客筋が居るかぎり、当然至極で、責める気など毛頭「ありはしない」が、私にとっては、どの舞台も「皆同じ」、金太郎飴のようで興趣がわかないからである。しかし、「劇団荒城」の(今日の)舞台は違っていた。「劇団華月}座長・華月照司の「女形」、若座長・荒城勘太郎の「女形」、総座長・荒城真吾の「女形」、いずれ菖蒲か杜若、それぞれが、それぞれに、男優ならではの「妖艶さ」(色香)を醸し出し、見応えのある景色の連続であった。加えて、子役・荒城月之助の「お祭りマンボ」、おかめとひょっとこの面を、見事に操って踊る姿が、たいそう魅力的であった。極め付きは、ラストショー「白鷺の城」(氷川きよし)の組舞踊。背景に映し出された天守閣をバックに、すっくと立つ、総座長・荒城真吾の(兜・鎧・具足で身を固めた)「武者姿」が、一際鮮やかで、思わず息をのむ「景色・風情」であった。さて、第二部は、いよいよ芝居「遊侠三代」。筋書きは単純、幼い頃、離ればなれになった兄弟が、十数年後に再会したときは「敵同士」。兄(荒城真吾)は弟を探しながらの旅鴉、一宿一飯の義理で、(これも兄を探すために一家を構えている)弟(荒城勘太郎)と「対決」しなければならない。親分を死なせるわけにはいかないと、一足早く駆けつけた弟の子分(大隅和也)は、健気にも兄に挑みかかるが、歯が立たない。一刀のもとに斬り倒され、「これで、義理をはたしておくんなさい。あっしを親分の身代わりに・・・」と言いつつ絶命した。そこに駆けつけた弟、子分の敵と旅鴉に立ち向かうが、鎬を削るうち、お互いは「兄弟」であることを確認、兄、喜びの余り「ふっと気を揺るめたか」、弟を抱きしめようとした瞬間、弟の一閃に斃れた。遊侠渡世にとって大切なのは「義理」、自分のために命を捨てた子分に報いることが、親分(弟)の「使命」なのだ、でもそのために、最愛の兄を殺さなければならないとは・・・、という「不条理さ」の描出が、この芝居の「眼目」であろう。それにしても、今日の舞台「凝り凝っていた」。冒頭の場面は、幼い日の回想場面から始まる。一人中央で後ろを向く親分・川北長次(荒城勘太郎)、煙幕の中で、往時の弟(荒城月之助?)と兄(荒城蘭太郎?)が、手を振りながら別れて行く。同じ舞台に、同一人物が二人登場しているという趣向は秀逸である。それはまた、大詰め、兄の亡骸を抱きしめて弟が慟哭する場面でも再現される。また、音響、照明、小道具(血糊)、煙幕などなど、ありとあらゆる手段を駆使して、その「不条理さ」に迫ろうとする、総座長・荒城真吾の「演出」(魂胆)が、見事に「結実化」された舞台であった、と私は思う。(私の)偏見と邪推によれば、総座長・荒城真吾は、従来の「大衆演劇らしさ」(芝居の臭さ)がよほど「お嫌い」なのだろう。なんとか、そこから脱け出して「新しい大衆演劇」を創り出そうとしている。役者相互の「セリフ回し」はテレビドラマ調(筋書きを補うセリフは皆無)、音響(音曲)・舞台画面は「新劇風」で効果満点、加えて、一瞬の居合抜きで四、五人を斬り倒す「殺陣」も添えられてお見事。だとすれば、残るは、役者一人一人の「実力」と、相互の「呼吸合わせ」あたりが、今後の課題になるかもしれない。さらに、(私の身勝手な)蛇足を加えれば、大詰め、兄の亡骸を抱きしめて慟哭する弟、同時に回想として登場する幼き日の兄弟、その二人(実は四人)に「しんしんと」降り積もる雪、雪、また雪、雪、雪の中、往時の兄弟が消え去ろうとする時、音もなく緞帳が降りて、舞台は「ジ・エンド」といった幕切れの方が、「臭さ」からの脱却を図れたのでははなかろうか。(時間も15分短縮された)。しかし、そんなことはどうでもよい。ここにきて、なるほど今日の芝居を「第二部」に持ってきたわけが分かった。これから、舞台の「雪掻き」をしなければならないのだから、「舞踊ショー」の準備(化粧・衣装)ができようはずがない。納得、納得、御苦労様、そして、今日もまた素晴らしい舞台をありがとう、と心中、手を合わせながら帰路に就いた次第である。感謝。
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2023-07-28

劇団素描・「劇団荒城」・《芝居「め組の○○」》

【劇団荒城】(座長・荒城真吾)〈平成20年4月公演・十条篠原演芸場〉                                         この劇団は、昨年、川崎大島劇場で見聞済み。当時、座長は入院治療中のため不在だったが、若手役者が団結して、重厚な芝居(「浮草物語」)に挑戦していた。舞踊では荒城蘭太郎、芝居では光城真が目立っていた。
「劇団紹介」によれば、「劇団荒城 九州演劇協会所属 昭和22(1947)年4月、初代・荒城月太郎が創立。主に九州で活躍していたが、現座長・荒城真吾が三代目となってから、特に関東方面での評価が高まり、平成16(2004)年8月、念願の大阪初公演を果たす。 座長 荒城真吾 昭和49(1974)年8月12日生まれ。福岡県出身。血液型O型。初舞台4歳。平成15(2003)年2月座長就任。新生『劇団荒城』のより一層の飛躍を目指し、土台作りに情熱を傾けている」とある。またキャッチフレーズは「古典も新作も。本格派の芝居が一番の売りです。座長・荒城真吾と、脇を固める一人一人の個性を生かした舞踊と芝居。役の人物がそこに生きているような血の通った芝居、それが荒城流です。座長・荒城真吾の華、劇団員すべてのエネルギーがぶつかり合い、火花を散らし、大きなうねりとなって、迫力の舞台を作り上げています」とある。
今回は、復帰した座長の作・演出による特選狂言「め組の○○」(○○は失念)を観ることが出来たが、まさにキャッチフレーズ通り、「本格派の芝居」を堪能できた。大衆演劇の「伝統」を踏まえながら、「人情劇」を超えた「ヒューマン・ドラマ」を目指しているように感じた。筋書きは単純・明快、病母の薬代を稼ごうとスリの仲間に入った若者・清治(荒城勘太郎)を、火消し・め組の頭・新門辰五郎(座長)が更生させるという話。清治の「病母譚」は「真っ赤な嘘」という筋書きが通常だが、今回は「真実」、また、自分を救ってくれた辰五郎に「感動」する清治の表情に、すがすがしさを感じた。「血の通った芝居」を目指す座長の真摯な姿勢が窺われる。新入りの清治を取り巻く「若い衆」との「かかわり」、辰五郎の娘(うば桜)の風情、小頭が跡目を継げなかった「くやしさ」と葛藤等々、多彩な場面の連続で、「脇を固める一人一人の個性を生かした芝居」「役の人物がそこに生きているような」「荒城流」の芝居を満喫することができた。
舞踊ショーで、荒城蘭太郎の「至芸」を期待したが、今は「子供」から「大人」への過渡期、果敢に「立ち役」の本格的舞踊に挑戦する段階なのであろう。今後の成果に期待したい。
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2023-04-14

劇団素描「劇団荒城」・《「芝居の日」、荒城真吾・照師兄弟のリアリズム》

【劇団荒城】(座長・荒城真吾)〈平成26年1月公演・小岩湯宴ランド〉
今日は中日(前半)の千秋楽とあって「芝居の日」とやら、昼・夜とも第一部が舞踊・歌謡ショー、第二部が芝居という構成であった。おまけに、芝居の外題も示されていない。そこで、私が勝手に作ると昼の部、芝居の外題は「国定忠治の裏舞台」。要するに、大衆演劇の、ある劇団が「国定忠治」を舞台にかける際に生じた「内輪もめ」の物語である。幕が上がると、そこは楽屋裏、今しも座長(荒城和也?)が今度、舞台にかける公演の話をしている。外題は「国定忠治」、「今回の忠治は(花形?)コージ(座長・荒城真吾)にやってもらう!山形屋は副座長だ」。しかし、それを聞いた副座長(後見・荒城照師)が黙っていない。「忠治は、副座長のオレでしょう。コージなんかじゃ客が呼べない」、しかし座長は聞き入れない。「これは、太夫元(姫川豊)が決めたことだ」。もめているところに太夫元もやってきた。副座長、腹の虫がおさまらず太夫元にも食ってかかったが、「つけあがるな、役者は思い上がってはいけない。今回は、山形屋(仇役)に回って、コージを助けてやれ」とたしなめられた。「わかりました」といえばこの芝居は終わりだが、そうは問屋が卸さない。副座長、夜中に太夫元の部屋に闖入し、扼殺する。それを目撃した若手役者(荒城勘太郎)をなかば恫喝して懐柔する。コージは忠治の大役は荷が重すぎると思ったか、太夫元の部屋にやって来たが、待っていたのは太夫元の亡骸、そばに副座長のライターが落ちていた。以後は「お決まり」の敵討ち、芝居の稽古中に、コージが副座長を刺殺(実は、瀕死の重傷を負わせて)して大詰めへ、といった筋書きであった。見所は二つ、一つは後見・荒城照師の「悪逆非道」の風情・・・。自分が主役をはれない腹いせに太夫元を殺害するなど、常識では考えられない。いわば「人非人」(人でなし)の典型だが、その異常さを「体全体」を使って描出する。とりわけ、タオルに水を浸して太夫元の枕元に忍び寄り、静寂のうちに息の根をとめるまでの「一部始終」はリアリズムの極致といった迫真の演技で、まさに「殺しの美学」とでもいえようか。二つは、スッピンのコージが「国定忠治」に変身するまでの化粧・衣装(着付け)の景色、客はいつもは見られない舞台裏の模様を20分あまりにわたって満喫することができた。(とはいえ、長すぎた・・・)夜の部、芝居の外題は、清水次郎長伝より(再び私の命名によれば)「異本・お蝶供養」。旅先で、次郎長(座長・荒城真吾)の女房・お蝶(芸名不詳・姫乃純子?)は病死、保下田の久六(姫川祐馬)のところに金(お蝶の治療代)を借りに行った森の石松(荒城勘太郎)は、50両調達してもらったのに、「貸してくれなかった」ということにして久六を斬殺する。次郎長は石松を信じて「金毘羅代参」を託したが、久六の子分(芸名不詳・蒼城莉也?)の証言で「事実」が発覚・・・。実を言えば、石松には馴染みの女郎・おみつ(芸名不詳・葉山みな?)がおり、身請けして所帯をもつために100両という大金が必要だったのだ、というお話。石松に裏切られた次郎長は、大政(後見・荒城照師)、小政(荒城和也?)とともに「事実」を解明、(「金毘羅代参」で奉納を頼んだ)お蝶の簪を付けていたおみつ、石松が懇意にしていた小松村七五郎、その女房お民まで次々と斬殺、大詰めは閻魔堂、都鳥一家とともに石松を「騙し討ち」にかけたが、その都鳥一家が「騙し討ち」にしたことにして、一家連中も成敗する。石松が断末魔の中でおみつの亡霊に出会う場面は秀逸であった。最後の舞台に残ったのは、次郎長、大政、小政の三人だけ・・・、次郎長、天を仰いで「お蝶、仇は討ったぞ。成仏してくれ!」と絶叫、聞こえてくれるのは虎造節「次郎長親分、こわい人」のリフレイン、真っ暗な闇の中、大政が「何が街道一の親分だ・・・、俺たちは所詮ヤクザだ」という呟きで終演となった。ごもっとも、お蝶が死んだのは病のため、誰かに殺されたわけではない。にもかかわらず、「仇は討った」だと?次郎長のショックは石松の裏切り、それが(次郎長の)平常心を狂わせたというリアリズムが「異本・お蝶供養」の眼目かもしれない。いずれにせよ、今日の舞台も「脱!大衆演劇}をめざす「劇団荒城」の健在振り(進化)が窺われて、たいそう面白かった。感謝。
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