META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団翔龍
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2024-02-09

劇団素描「劇団翔龍」・《中村英次郎、大月瑠也の「存在」と「魅力」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年8月公演・蟹洗温泉・蟹座〉                                        芝居の外題は、昼の部「三下談義」、夜の部「幻お銀」。いずれも、大衆演劇には「よくあるお話」で、前者は「仁義間違い」をして斬られてしまった朋輩(藤美匠)の敵討ちをしようとして、返り討ちに遭ってしまう三下奴(座長・春川ふじお)の物語。二人は、ともに大阪・河内の貧農出身で、江戸の親分(中村英次郎)、代貸(藤川雷矢)のもとで「三下修業中」、仁義の稽古をしてたが、やって来たのが国定忠治(大月瑠也)という筋書で、何と仇役が国定忠治、終幕では三下奴に忠治をはじめ、「一同が」謝罪するという設定。「強いばかりが男じゃない・・・」といった眼目が「ほの見えて」、「綺麗な」結末となったが、何と言っても大月瑠也の「実力」には舌を巻く。合羽に三度笠の姿で登場、舞台に立っただけで(言うまでもなく無言で)「ああ、国定忠治だ」と納得させてしまう空気を醸し出す。加えて、強い者(女房、忠治)にはめっぽう弱い親分を演じた中村英次郎の「魅力」も見逃せない。主役は、春川ふじお、藤美匠、見どころはその「三下同志」の「絡み」だが、同時に脇役の「実力」「魅力」を楽しめるという趣向で、まさに「一度食べて二度おいしい」という舞台であった。そのことは、夜の部「幻お銀」についても言えること、主役は幻お銀・澤村うさぎで、眼目は「身代わり孝行」物語だが、本筋以上に面白いのが、盲目の母(中村英次郎)や土地の悪親分(大月瑠也)の「言動」で、とりわけ大月が「二十年前の出来事」を子分役(実は十四歳の息子・大月聖也)に問い質す場面は、「楽屋ネタ」も絡んで抱腹絶倒の連続であった。ことほど左様に、「劇団翔龍」の舞台には、中村英次郎、大月瑠也の「存在」は不可欠であり、その魅力を味わえるだけで大満足なのだが、さらに欲を言えば、花形・藤川雷矢、澤村うさぎの「大化け」、若手・翔あきら、大月聖也の「大活躍」も期待したい。どの劇団にとっても大切なことは、「飛躍」「発展」「変化」し続けようとする姿勢であり、その途上にある劇団ほど、若手、はした役者が光り輝いているものなのだ、と(つくづく最近)私は思うようになった。
脇役の美学脇役の美学
(1996/09)
田山 力哉

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2024-02-07

劇団素描・「劇団翔龍」・《みずきななみ、大月聖也の「成長」と翔あきらの「存在価値」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年12月公演・つくば湯ーワールド〉

今月公演の見聞は3回目だが、ずっと花形・澤村うさぎの姿が見えない。一説には新型インフルエンザ罹患、一説には劇団離脱、ゲスの勘ぐりなら「駆け落ち」等々、様々な憶測が飛び交うと思いきや、舞台も客席も冷静そのもので落ち着き払った気配、はたして今、うさぎは何処?とはいうものの、ピンチヒッター(?)を務める新人女優・みずきななみの「初々しさ」が、たいそう魅力的で、「うさぎより《絵》になるじゃん」といった声があちこちで聞かれるかどうかは不明だが、少なくとも私一人はそう感じている次第である。
澤村うさぎと言えば、知る人ぞ知る、生粋の旅役者(の娘)、ななみ如きの「駆け出し」とは、文字通り「役者(格・貫禄)が違う」はずだが、トーシローの私にしてみれば、ななみの「風情」「品格」の方が上。例えば、秋川ミホ、藤美匠、大月聖也、ななみ(四人)の組舞踊で、目立つのは聖也とななみ、ミホと匠は(いかにも旅役者といった風情で舞台経験の重さは感じられるとはいえ)、今さら「新しい何か」を期待することができないのである。それはうさぎも同様、「場数を踏んだ達者さ」だけでは客を惹きつけることは出来ない。今日はどんな姿を見せてくれるだろうか、という未知への期待に応えられるかどうかが、役者修業に「終わりはない」所以である、と私は確信する。そんなわけで、私の独断・偏見によれば、澤村うさぎの休演は、新人・みずきななみが「立派に」補強していると断言できる。ただ、実力者・中村英次郎、大月瑠也の「調子」があがらない。なぜか、どこか「力が抜けたまま」なのである。そのことが、うさぎの動静と連動しているのか、無関係なのかはわからない。芝居の外題は「返し仁義」。《瞼の母》ならぬ《瞼の父》といった眼目で、父を捜し求める旅鴉に座長・春川ふじお、今はある一家の使用人に身をやつしている父に後見・中村英次郎、一家の若親分に花形・藤川雷矢、その女房に新人女優・みずきななみ、一家の三下に藤美匠、仇役・一家の代貸しに大月瑠也、その子分達が大月聖也、翔あきら、といった配役で申し分ないのだが、どこか舞台の景色に「冴え」がみられない。やはり、澤村うさぎの欠場が影響しているのだろうか。ところで、私が注目するのは、「端役者」の翔あきら、いつものことながら、芝居は「その他大勢」の「切られ役」、たまに「台詞」を言おうものなら、「お前は黙っていろ、調子が狂う」などと座長からいじめられる。舞踊の出番も組舞踊、定位置は右端と決まっている。しかも、年齢は28歳、この道10年の経験という。大切なことは、彼の「存在価値」である。この劇団で果たしている彼の役割は、とりたてて「彼でなければならない」というものではないかもしれない。だがしかし、劇団は間違いなく、「彼のような存在」を必要としているのである。端役者は「脇役」にも及ばない。でも「主役」「脇役」にとって必要不可欠な存在であることを、彼の舞台姿は物語っている。彼が「居る」から、彼以外の役者が「際だつ」のである。だとすれば、すでに、今でも、翔あきらは「輝いている」(立派にその役割を果たしている)のである。その結果、大月聖也、みずきななみといった若手の「初々しさ」「瑞々しさ」が際だちつつあるのではあるまいか。舞踊ショー、ななみの個人舞踊「上から読んでも下から読んでも《世の中バカなのよ》」、中村英次郎の至芸「薩摩の女」(唄・北島三郎)を思い浮かべつつ、「義理ある人に背を向けて・・・」などと口ずさみながら、帰路についた次第である。
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(2003/09/25)
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2023-12-29

劇団素描・「劇団翔龍」・《芝居「瞼の母」は極め付き、日本一の名舞台》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成20年11月公演・小岩湯宴ランド〉
 夜の部、芝居の外題は「瞼の母」。この舞台は、「演劇グラフ」(2008.6)で詳しく紹介されている。それによると、配役は〈番場の忠太郎(春川ふじお)、水熊のおはま、半次郎の母おむら二役(中村英次郎)、素盲の金五朗(大月瑠也)、水熊の娘・お登世、半次郎の妹・おぬい二役(澤村うさぎ)、金町の半次郎、洗い方・藤八二役(藤美匠)、宮の七五朗(翔あきら)、板前・善三郎(大月聖也)、夜鷹・おとら(秋川美保)〉。筋書は〈笹川繁蔵親分の仇を討つために、飯岡助五郎親分を襲った忠太郎と半次郎だったが、半次郎がけがを負ってしまい逆に二人は追われる身に・・・。半次郎を実家まで運んだ忠太郎は、飯岡一家からの追っ手を斬る。半次郎の母の優しさに触れた忠太郎は、半次郎と兄弟分の盃を水にして、生き別れた母を捜す旅に出るのだった。忠太郎は、水熊屋の前で出会った夜鷹のおとらから、水熊屋の女主人・おはまの話を聞き、店を訪ねる。忠太郎は、おはまに自分の境遇を話し、自分の実の母ではないかと問うが、おはまは知らぬと言うばかり。あげくのはてに、水熊屋の身代を狙っているのでは、と忠太郎を侮辱する。忠太郎がその場を後にしようとした時、お登世が戻り忠太郎と顔を合わせる。忠太郎が去った後、自分の兄だということに気がついたお登世は、おはまを諭し忠太郎を追いかけるのだったが・・・〉ということであった。     
 この芝居には三組の「母子」と二組の「兄妹」が登場する。①番場の忠太郎と母おはま、、妹お登世、②金町の半次郎と母おむら、妹おぬい、③夜鷹おとらと亡き息子、である。
三者三様の「母子関係」が、組紐のように「もつれ合い」「絡まり合って」えもいわれぬ「人間模様」を描出するところに、芝居の「眼目」があると思われるが、その景色、その風情を、「劇団翔龍」は見事に具現化したのである。まさに、大衆演劇屈指の「名舞台」、と言っても過言ではないだろう。
 主人公・番場の忠太郎は、五歳の時に生き別れになった母・おはまに、どうしても逢いたい。その気持ちは、弟分・金町の半次郎の母、妹の様子を見聞してから、いっそう高まった。自分の母もあのように「優しい」だろう、もし、妹がいたのなら、あのように自分を慕ってくれるだろう。つまり②の関係、が①の「モデル」であるはずだったが・・・。さらに、忠太郎は③の関係にも「思い」馳せる。亡き息子の気持ちになって夜鷹おとらを「人間扱い」、心の底から元気づける。忠太郎は「優しい」、でも「どこか頼りない」、そして「甘ったれ」、言い換えれば「根っからの悪ではない」「母性本能をくすぐる」といった風情を、座長・春川ふじおは「自家薬籠中」の「至芸」として演じきった、と私は思う。加えて、脇役陣も光り輝いていた。筆頭は、おむら・おはまの二役を演じた後見・中村英次郎、百姓婆姿の(大地のような)「優しさ」、江戸一番の料理屋を取り仕切る女将の「艶やかさ」を見事に演じ分け、忠太郎との「絡み」では、その所作、表情、口跡で「もう、立派に親子名乗りをしているのではないか」という風情を醸し出す。応えて、忠太郎もまた、(母と言い出せぬおはまの気持ちを察して)「こんなヤクザにだれがしたんでぃ」と叫ぶ一瞬は、まさに「珠玉の名画」、私の脳裏から消えることはないだろう。
私は、以前、「瞼の母」について以下の雑文を綴った。〈二葉百合子の歌謡浪曲「瞼の母」「一本刀土俵入り」と、島津亜弥の歌謡劇場「瞼の母」「一本刀土俵入り」のCDを購入、双方を聴き比べた。規準になるのは、いうまでもなく、在りし日の「新国劇」、辰巳柳太郎・島田正吾、初瀬乙羽、香川桂子、外崎恵美子らの舞台であるが、やはり「貫禄」が違う。昨今の大衆演劇界では、安直に島津亜弥を多用しているが、さもありなん、二葉百合子の歌謡浪曲と「対等」もしくは「超える」舞台をつくることは「至難の業」だからである。(舞踊ショーで、美空ひばりの歌唱と「対等」もしくは「超える」舞台が「至難の業」であることと同様である。「柔」「人生一路」「おまえに惚れた」などの「情感ゼロの曲、「愛燦燦」「川の流れのように」など「洋舞曲」はともかく、「花と龍」「哀愁出船」「港町十三番地」「越後獅子の唄」などの風情・景色を描出できる役者は少ない)「瞼の母といえば、「軒下三寸借り受けまして、申し上げます、おっ母さん・・・」という「あの唄」がすぐに連想され、その原型は二葉百合子の歌謡浪曲にあると思い込んでいたのだが、それは大間違い、二葉には「瞼、瞼とじれば、会えてたものを、せめてひと目と 故郷を捨てた。あすはいずこへ、飛ぶのやら。月の峠で アア おっ母さん。泣くは番場の忠太郎」という珠玉の名曲があったのだ。「あの唄」は、杉良太郎、中村美津子、島津亜弥など「並の歌手」なら誰でも唄える代物でしかないことを発見した次第である。なるほど、二葉の「名曲」を唄いこなすことも「至難の業」であろう〉
 さて、今回の舞台音楽(BGM)は、杉良太郎の「瞼の母」であったが、舞台の出来栄え、役者の実力からいって、杉良太郎では「力不足」(役不足の反対)、今こそ、二葉百合子の登場が不可欠ではないだろうか。ちなみに、終幕場面、杉良太郎の歌唱(作詞・坂口ふみ緒)は「逢わなきゃよかった 泣かずにすんだ これが浮世と いうものか 水熊横町は 遠灯り 縞の合羽に 縞の合羽に 雪が散る おっ母さん」である。一方、二葉百合子の歌唱(脚色・室町京之介)は、「一人 一人ぼっちと 泣いたりするか、俺にゃいるんだ 瞼の母が。孝行息子で 手を引いて お連れしますぜ アア おっ母さん 旅の鴉で あの世まで」であった。どちらが好きか、どちらを選ぶかは自由であるが、座長・春川ふじおの「実力」からすれば、後者の「心象表現」まで十分可能だと、私は見た。
二葉百合子 浪曲の魅力(1)二葉百合子 浪曲の魅力(1)
(2007/10/10)
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2023-09-23

劇団素描・「劇団翔龍」・《芝居「帰ってきた兄弟」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年1月公演・川越三光ホテル小江戸座〉                                                                         芝居の外題は「帰ってきた兄弟」。落ちぶれた一家の親分A(中村英次郎)の家に、近頃では飛ぶ鳥を落とす勢いの、新興一家・親分B(大月瑠也)がやって来て、「縄張りをゆずれ」と強要する。親分A「とんでもねえ、オレには昔、里子に出した息子がいるんだ、縄張りはその子に譲る」親分B「寝言をほざくな。暮れ六まで待ってやる。そのときまでよくかんがえておくんだな」。このAとBの抗争が筋書の中心と思いきや、話の眼目は別の所にあった。やがて、親分Aが里子に出していた息子(藤川雷矢)が「男修行」を終えて帰宅、跡目をつごう、ということに。そのためには女房役が必要、「決めた人でもあるか?」とたずねるAに、息子は「ない」と答える。「ではどうだ、わしが見つけておいた娘に会ってみないか。ひと目見て気に入ったらそう言ってくれ。添わせてやる。ただし、一度気に入ったら、断ることはできない、どうだ・・・?会うか?」「どんな娘?」「たいそう無口で、おとなしい娘だ」「そうか、会う、会う、会わせてくれ」「よし!」ということで娘1(水木菜々実)登場。容姿端麗、視線を合わせると「黙って会釈」した。息子いっぺんで気に入り「親父さん、よろしくお頼み申します」「そうか、そうか、それでは決まり、めでたいことだ。じゃあ、二人で仲睦まじいところを見せてくれ」、「よしきた」息子、欣然として娘に近寄った途端、「ア!・・・アアアア・・・ア?」という声と仕草、ナンノコッチャ?、息子、驚愕して飛び退き、Aに「親父さん、あの娘、口がきけないんか?」A、大きく肯き「そういうことだ」息子、「そんな馬鹿な!、どうしてそれを早く言ってくれなかったんだ」「言っただろう。無口でおとなしい娘だって」「無口すぎるよ!」息子、抵抗したが「いやなら勘当だ!」というAの決意に押されてやむなく同意。そこへ、もう一人の息子(春川ふじお)登場。先刻の息子の兄だという。Aとのやりとりは弟の時と同様、わしが見つけておいた娘に会ってみないか、兄「どんな娘?」A「少々、跳ねっ返りなところがある」兄「跳ねっ返り?いいね、いいね、跳ねっ返りな娘は大好きだ!」「じゃあ、会ってみるか」「おねげえします」かくて、娘2(澤村うさぎ)登場。容姿端麗、視線を合わせると、ニッコリ微笑んで「よろしくお願いします」。兄もまたっぺんで気に入り「親父さん、よろしくお頼み申します」「そうか、そうか、それでは決まり、めでたいことだ。じゃあ、二人で仲睦まじいところを見せてくれ」「よしきた」兄、欣然として娘2の手を取り、歩き出した瞬間、「山が見えたり、隠れたり・・・」、娘2の歩調は大ききバランスを欠いて(跛行)いたのだ。兄の反応も弟同様、「どうしてそれを早く言ってくれなかったんだ」「言っただろう、少々、跳ねっ返りなところがあるって」「足が跳ねっ返るとは思わなかった・・・」兄も抵抗したが、Aの「いやなら勘当だ!」で、やむなく同意。やがて、時は暮れ六つ、新興一家・親分Bがやって来た。縄張りをよこせ、やらぬとお決まりの押し問答、帰ってきた兄弟の活躍で、親分B、その子分は全滅・・・。めでたし、めでたしで終わろうとするところ、兄弟は合議する。「お前の女房候補は、無口だって?」「兄貴の女房候補は、跳ねっ返りだって?」「そっちの方がいい」「とりかえっこしないか?」「いいね、いいね」と合意が成立。親分A、娘1・2も同意して、縁談成立。兄「まずお前から、仲睦まじいところを、親父さんに見せてやれ」とそそのかす。弟、何も知らずに「よしきた!」と、娘2の手を取り歩き出す。さぞかし驚くだろうと思いきや、何の障りもない、歩く姿は「百合の花」の態、呆気にとられる兄の様子が何とも可笑しい。続いて弟、「じゃあ、兄貴、あの娘にあいさつしてくんな」「いいとも・・・、どうぞよろしくお願いいたします」娘1、鈴を鳴らすような声で「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と応えたのに、弟もたまげた。兄弟、思わずAに向かって、「親父さん、これは一体どういうことだ?!」と抗議するが、反対に「人を見かけで判断するなんて言語道断!」と一喝されるた。兄弟、おのれの浅はかさを悔い改め、再び娘を交換、「元のさやに治まろうとしたが」、今度は娘も黙っていない。「掃除・洗濯・炊事・子育て」すべて賄うなら「お嫁さんになってやってもいいわよ!」、兄弟、敢えなく尻に敷かれて「幕」・・・、という経緯であった。「人を見かけで判断してはいけない」という眼目はよく理解できる。しかし、その「見かけ」が実は「見せかけ」に過ぎなかったという筋書では、説得力に欠けるのではないだろうか。「鹿島順一劇団」十八番の「浜松情話」でも、跛行する娘が登場するが、その娘を見初めた若親分は、跛行そのものを「慈しみ見つめながら」、娘の父に向かって「必要なら、私が杖になりましょう」と言い放つのである。眼目は一つ「人を見かけで判断してはいけない」だが、その感性の質において「帰ってきた兄弟」と「浜松情話」の間には「大きな隔たり」がるように、私は感じる。
帰ってきたツバメの兄弟帰ってきたツバメの兄弟
(2007/10/25)
山崎 鈴佳

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2023-08-03

劇団素描・「劇団翔龍」・《初日公演、芝居「闇の大江戸」の舞台模様》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成26年6月公演・小岩湯宴ランド〉
初日公演、夜の部芝居の外題は「闇の大江戸」。義賊とうたわれた怪盗小僧(座長・春川ふじお)が、お縄になって島流し、しかし奉行・佐々木某(藤美匠)の温情によって御赦免になり江戸へ戻ってきた。江戸にはまだ怪盗の一味(大同美津雄ら)が残っていたが、怪盗小僧は恋女房(秋川美保)と息子(抱き人形)のため足を洗って堅気になろうとする。しかし、かつて怪盗小僧に大恥をかかされた十手持ち親分(獅童礼斗)は、それを許さない。子分(藤川雷矢)らと、濡れ衣を着せて召し捕ろうとつけ狙う、といったお話だったが、見どころは、その筋書き以外のところにあった。昔、怪盗に助けられ、今では大店を構えるまでに出世した伊勢屋の主人(山口覚)とその女房(大原千栄子)、互いに「トモカズさん」「モモエちゃん」と呼び合う可愛らしい風情と、威風堂々・貫禄十分の大ベテランがそれを演じるコントラストが、たまらなく魅力的であった。今日は、奉公人たちに休暇を与え、二人きり水入らずで酒を飲んでいる。興が乗り「久しぶりに相舞踊でも踊ろうか、モモエちゃん」「いいですね、踊りましょうトモカズさん」。二人は立ち上がって、庭に降り、年季の入った超一級の相舞踊を披露する。曲目は、五木ひろしの「おしどり」(作詞・石坂まさを、作曲・弦哲也)、詠っていわく「人は生まれて誰かに出逢い 愛を分けあうこの人生の 二人で一つの命なら 小さなくらしに花咲かそ これからはこれからは おしどりのようにお前一人を抱きしめて生きてゆく」。踊りはいつのまにか、大原千栄子が「立ち役」、山口覚が「女形」に・・・。その舞台模様はまさに「国宝級」、これまでの有為転変、波瀾万丈の「役者人生」が、一幅の屏風絵のように凝縮されて、お見事であった。部屋に戻った二人、「トモカズさんは歌もお上手、ひとつ歌ってくださいな」「そうだね、じゃあモモエちゃんのために歌おうか・・・、ポッポッポ、鳩ポッポ・・・」そこに闖入してきたのが十手持ち親分。「怪盗小僧が戻ってきた。もしこの家に立ち寄ったらどうするか」「怪盗小僧は命の恩人、お匿いいたします」「そんなことをしたらお前も同罪、百たたきにしてやる、命の保証はないぞ」伊勢屋夫婦、思案して「恩と命、どちらが大切かといえば、やっぱり命。わかりました。怪盗小僧が来ましたらお知らせいたします」といった物言いに夫婦の本音が現れ、真実味がこもっていた。「ならば、気づかれないようにその歌を歌って知らせろ」などと言って立ち去った。案の定、怪盗小僧がやって来た。「しばらく匿ってもらいたい」、主人、一も二もなく同意して酒を勧める。女房が主人に、早く歌を歌いなさいと「せっつく」仕草も(打算的で)可愛らしい。主人、口ごもりながら「ポッポッポ・・・」と歌い出したが、怪盗小僧いわく「あなたの歌には心がこもっていない。もっと背筋を伸ばして、腹から声を出さないと・・・、私が手本を見せましょう」。かくて座長・春川ふじおの「朗朗たる」歌声が劇場いっぱいに響き渡った。他愛もない童謡と思うなかれ、文字通りお手本、観客一同からは割れるような拍手が湧き上がる、といった按配で、この芝居の眼目は「望外の演出」。山口覚、大原千栄子、春川ふじおといった「実力者」が醸し出す「えもいわれぬ」「温かい」空気に包まれて幸せ一杯、ルンルン気分で帰路に就いたのであった。
VHSビデオ 歌と踊り 舞踊おさらい振付ビデオ [第7巻] 1.おしどり 2.霧の出船(カセットテープ付)VHSビデオ 歌と踊り 舞踊おさらい振付ビデオ [第7巻] 1.おしどり 2.霧の出船(カセットテープ付)
(2006/11/14)
吉野都茂恵

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2023-06-07

劇団素描・「劇団翔龍」・《芝居・「追われる女」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成20年8月公演・柏健康センターみのりの湯〉                                   この劇団は、昨年、同じ劇場で見聞済み。全体的に「あっさりとした」「淡泊な」芸風で、誠実で温かな座長の雰囲気が印象に残っていた。また、超ベテラン・見城たかしの至芸(女形舞踊「哀愁海峡」(唄・扇ひろ子)を観ることができたのも、その時であった。ただ、集客力は「今一歩」という感じで、桟敷の座布団(空席)が目立つという風であった。ところが、今回はどうだろう。明日が千秋楽、これまで昼の部はパーフェクトの「大入り」だったそうである。
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 劇団翔龍 東京大衆演劇劇場協会所属。平成15(2003〉年9月旗揚げ。平成17(2005)年10月の新潟古町演芸場(新潟県)公演より春川ふじおが座長となり、全く新たな劇団として再出発した。春川ふじお座長を中心に芸達者なベテランと力をつけてきた若手たちが、新しい「劇団翔龍」のカラーで観客を魅了してくれる。座長 春川ふじお 昭和46(1971)年6月23日生まれ。大阪府出身。血液型B型。10歳の時に「藤美劇団」にて初舞台。一時舞台から離れるも、昭和62(1987)年、「桑田劇団」の旗揚げと同時に復帰、「桑田ふじお」として人気を博す。平成17(2005)年10月、「劇団翔龍」の座長「春川ふじお」となる。「ふじおちゃん」と気軽に声をかけられる、親しみやすく明るいキャラクターだが、三枚目からシリアスな役まで幅広い役柄をこなす実力派でもある〉とある。また、キャッチフレーズは、〈大衆演劇界の雄を目指して羽ばたけ!! 平成17(2005〉年10月に春川ふじお新座長となり全く新たな劇団として生まれ変わった「劇団翔龍」。持ち味の明るさ、元気さで一座を引っ張る春川ふじお座長を中心に、力をつけてきた「劇団翔龍」が、あなたをめくるめく夢舞台へといざなう〉であった。座員は後見・中村英次郎、女優・秋川ミホ、大月瑠也 藤美匠、花形・澤村うさぎ、藤川雷矢らがいる。   
 昼の部、「大入り」のため、客席はすし詰め状態、観劇を断念する。夜の部、芝居の外題は「追われる女」、「鹿島順一劇団」が演じた「噂の女」とほぼ同じ筋書きであった。以下は、その舞台の「素描」である。                       

 〈夜の部の芝居は「噂の女」。主演・春日舞子、共演・鹿島順一。配役は、「噂の女」(お千代)、その父(蛇々丸)、弟(花道あきら)、弟の嫁(春大吉)、嫁の父(梅乃枝健)、お千代の幼友達・まんちゃん(座長・鹿島順一)、村人A(三代目・虎順)、B(金太郎)、C(赤胴誠・新人)、D(生田あつみ)という面々である。時代は、明治以後、五百円が、今の百万円程度であった頃だろうか。ある村に、「噂の女」が帰ってくる。まんちゃんは「駅まで迎えに行こう」と、村人を誘うが、誰も応じない。「お千代は、十年前、村に来た旅役者と出奔し、その後、東京・浅草の淫売屋で女郎をしているというではないか。そんな不潔な女とは関わりたくない」と言う。まんちゃん「そんなことは関係ない。みんな同じこの村の仲間ではないか」村人「とんでもない。そんな女に関わるなら、お前は村八分だ」まんちゃん「村八分、結構!もともと、俺なんかは村では余計物、俺は一人でもお千代タンを迎えに行くぞ」、村人「勝手にしろ。お前はいくつになっても、足りんやっちゃ、この大馬鹿もの!」  
 やがて汽笛の響きと共に汽車が到着、まんちゃんはお千代の荷物を持って大喜び、一足先に、お千代の父宅に持参する。やがて、東京暮らしですっかり垢抜けたお千代も帰宅、父はお千代が好きだった「揚げ豆腐」を買いに出て行った。後に残ったのは、まんちゃんとお千代の二人きり、まぶしい太陽でも見るようにまんちゃんが言う。「お千代タン、よう帰ってきてくれたなあ。オレ、ずうっと待っていたんだ」「どうして?」「だって、ずっと前から、オレ、お千代タンのこと好きだったんだもん。」「あんた、あたしが浅草でどんな商売しているか知ってるの?」「知ってるよ。男さんを喜ばす仕事だろ。みんなは、汚い、穢らわしいと言うけど、オレはそう思わない。お千代タンは、人を騙したり、傷つけたりしていない。人を喜ばす大切な仕事をしていると思うとる」「ほんとにそう思うの?」「ああ、本当だ。できれば、お千代タンと一緒に暮らしたいんだ、キーミーハ、コーコーローノ、ツーマダーカラ・・・」思わず絶句するお千代。よく見ると泣いている。「アンタ、泣イイテンノネ、オレまた何か、まずいこと言っちゃったんかな?」「そうじゃないのよ、嬉しくて涙が止まらないの」「フーン?」しばらく沈黙、意を決したようにお千代「まんちゃん!あたし、まんちゃんのお嫁さんになる!」動転するまんちゃん「何だって?今、なんて言った?」「あたし、まんちゃんのお嫁さんにしてくれる?」「そうか、オレのお嫁さんになってくれるんか。へーえ、言ってみるもんだなあ」かくて、二人の婚約は成立した。そうとなったら善は急げだ。こんな村などおさらばして、東京へ行こう。まんちゃんは小躍りして旅支度のため退場。そこへ父、帰宅、弟夫婦も野良仕事から戻ってきた。しかし、二人の表情は固い。土産を手渡そうとするお千代に弟は言い放つ。「姉ちゃん、何で帰ってきたのや。村の人たちはみんな言ってる。あんな穢らわしい女を村に入れることはできない。もし居続けるようなことがあったら村八分や。おれたち村八分になってしまうんや。姉ちゃん、それでもいいのか。はよう、この家から出て行ってくれ!」父が激高した。「お前、姉ちゃんに向かって何てことを言うんだ」弟も反駁。「隠居の身で大きな口たたくな。今はおれこそが、家の大黒柱、それに姉ちゃんは十年前、おれが病気で苦しんでいたとき、旅役者と駆け落ちしたんじゃないか!」「何だって、もういっぺん言ってみろ」「ああ何度でも言ってやる。姉ちゃんはおれたちを見捨てて、淫売女になり果てたんだ。そんな女をこの家に置いとくわけにはいかない」「よーし、お前がそこまで言うんなら、わしも黙っているわけにはいかない!」必死で止めようとするお千代を制して、父も言う。「おまえが病気の時、姉ちゃんが出て行ったのはなあ、お前が町の病院で治してもらうお金のためや。姉ちゃんは、自分の身を売ってお前の治療代を作ったんだぞ!、病気が治ったのは姉ちゃんのおかげ、それを今まで黙っていたのは、お前を心配させないためや」「・・・・」絶句する弟、「何だって!何で、今頃そんなこと言い出すんや。もう遅いわい」そこへ、弟嫁の父、登場。「やあ、お千代さん。よう帰ってきたなあ・・・。サチヨ(嫁)、もうお姉さんに御挨拶はすんだのか?」だが、その場の様子がおかしい。一同の沈痛な表情を見とって自分も沈痛になった。「やあ、困った、困った。実に困った」、「何が?」と問いかける弟に「実はな、ある人の借金の保証人になったばっかりに、五百円という大金を負わされてしまったんだ。何とかならないだろうか?」「えっ?五百円?そんなこと言われたって、見ての通りの貧乏暮らし、そんな金どこを探したってあるはずがない」弱気になる弟に、隠居の父がつっかかる。「お前、さっきなんてほざいた。この家の大黒柱じゃあなかったんか」やりとりを黙って聞いていたお千代が口を開いた。「おじさん。五百円でいいの?ここに持っているから、これを使って。これまで、身を粉にして貯めたお金よ。家に帰ってみんなの役に立てればと思って持ってきたの。私が使ったってどうせ『死に金』、おじさん達に役立ててもらえば『生きたお金』になるじゃないの」一同、呆然、弟夫婦は土下座して声が出ない。肩が小刻みに震えている。お千代、キッとして「もう、いいの。このまま浅草に帰るわ。また、あそこでもい一回、頑張って生きていこうと思います」、「待ってださい」と引き止める弟夫婦、その両手をやさしく握りながら、「あっ、そうだ!忘れていた。お父さん、あたし好きな人ができたの。あたしその人のお嫁さんになるの!」一同、驚愕。「えっ?誰の?」お千代、涼やかに、「まんちゃんよ!」すっかり、旅支度を整えたまんちゃん、踊るように再登場、舞台も客席も、笑顔の花が咲き乱れる。まんちゃん「まあ、そういうことで、お父上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」弟嫁の父、そっとお千代に近づき「やあ、めでたい、めでたい、そういうことなら、これは私からのお祝いだ」さっきの五百円を手渡そうとする。「だって、おじさん!これは借金の返済に使うお金・・・」「なあに、心配ご無用。さっきの話は私の作り話、一芝居打ったのさ!」舞台に流れ出す、前川清の「噂の女」、まんちゃんとお千代、花道で颯爽と見得を切る。さっと振りかざした相合い傘の骨はボロボロ、破れガサがことのほか「絵」になる幕切れであった。「襤褸は着てても、心は錦、どんな花より綺麗だぜ、若いときゃ二度ない、どんとやれ、男なら、人のやれないことをやれ」、まんちゃんの心中を察して、私の心も洗われた。
 大衆演劇に共通する眼目は、「勧善懲悪」「義理人情」だが、もう一つ「人権尊重」という主題が秘められていることを見落としてはならない。「村八分」という差別観に敢然と立ち向った「まんちゃん」(余計者・与太郎)とお千代(賤業者)の行く末は?、それを決めるのは、他ならぬ私たち一人ひとりなのではないだろうか。

 ということで、「追われる女」(「噂の女」)は、大衆演劇の「名作」といっても過言ではない。「劇団翔龍」では、「追われる女・千代」(澤村うさぎ)、その父(大月瑠也)、弟(藤川雷矢)、その嫁(秋川ミホ)、村人(藤美匠・他)、庄屋(中村英次郎)、千代の幼なじみ・クニやん(座長・春川ふじお)という配役であった。それぞれが、きちんと、誠実にその役割を果たしていたので、「名作」にふさわしい「引き締まった」舞台となった。座長演じるクニやんの風情は、どちらかというと「藤山寛美もどき」、メイクは「地味」、所作と口跡だけで、人物のキャラクター(与太郎)を描出する「実力」は「さすが」「お見事」という他はない。終幕直前、江戸に旅立つ千代とクニやんの「相合い傘」が観られると思いきや、別々に客席を通って退場したのは何のため?ちょっぴり心残りな幕切れであった。
 とはいえ、私がこの名作を観たのは、(数ある劇団の中で)「劇団翔龍」と「鹿島順一劇団」の二つだけ、しかも、それを(舞台裏があわただしい)千秋楽前夜の舞台にかけた、春川座長はじめ劇団員の誠実で真摯な姿勢に脱帽する。
 舞踊ショー、座長の「浜千鳥情話」(唄・金沢明子)は、珠玉の逸品。「至芸」にまで高めてもらいたい、と思った。
<COLEZO!TWIN>金沢明子<COLEZO!TWIN>金沢明子
(2005/12/16)
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2023-05-20

劇団素描・「劇団翔龍」・《芝居「嘘つきお源」・舞台模様は乱調》(平成24年6月公演・小岩湯宴ランド)

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成24年6月公演・小岩湯宴ランド〉                                            芝居の外題は「嘘つきお源」。私がこの劇団の極め付き名狂言「瞼の母」を見聞したのは、平成20年11月、しかも当地・小岩湯宴ランド(湯宴座)の舞台であった。以来、3年余りが経過したが、その舞台模様はまさに「有為転変」、大きく様変わりしたように思われる。座長・春川ふじおの「脇」をしっかりと固めていた中村英次郎、大月瑠也はすでに無く、若手として初々しい華やかさを添えていた大月聖也、みずきななみらもどこへ行ったやら・・・。替わって、若手美津雄、元「新演美座」座長・獅童礼斗(前・小林志津華)、関東の大御所・大門力也も加わったが、今ひとつパットしない。役者相互の「呼吸」にメリハリ(締まり)が感じられず、「冗長」に過ぎるのだ。舞台の上で、役者がそれぞれ「個人芸」を披露している、といった感じで、そのために(見せどころを保障するために)どんどん時間が過ぎていく。通常なら1時間で終わる芝居が30分も引き延ばされる。しかも、各自の「個人芸」といったところで、たかが知れているとすれば、つきあわされる観客(私)は、疲れがたまる一方といった按配であった。芝居の筋書きは、寸借詐欺師のお源(座長・春川ふじお)と弟分(美津雄)が、お人好しの十手持ち(獅童礼斗)とうどん屋(藤川雷矢)から金品を騙し取ることに「しつこく」(延々と)終始・・・、ただそれだけのお話で、「何が何だか分からない」うちに閉幕。私にしてみれば、(あの劇団が!)変われば変わるもの、「舞台模様は乱調」と断じたいところだが、「美は乱調にあり」という言葉もあるように、その「個人芸」のバラバラ感が素晴らしいと感じる贔屓筋、好事家も多数「おいでまします」気配におののきつつ、早々にその場(客席)を辞去した次第である。くわばら、くわばら・・・。
美は乱調にあり美は乱調にあり
(2010/05/21)
瀬戸内 寂聴

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