META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 2023年08月
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2023-08-31

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「忠治御用旅・雪の信濃路」は、まだ発展途上》

新国劇 極付 国定忠治 [DVD]新国劇 極付 国定忠治 [DVD]
(2008/11/21)
辰巳柳太郎、島田正吾 他

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【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成24年2月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「忠治御用旅・雪の信濃路」。私はこの芝居を、今から3年余り前(平成20年12月)に行田温泉もさく座で見聞している。当時の感想は以下の通りであった。〈赤城の山を追われた国定忠治(座長・鹿島順一)が、雪の信濃路を逃げていく。あまりの寒さに、思わず立ち寄った一件の居酒屋、そこの亭主はかつての子分(春大吉)、その女房(春日舞子)の兄(蛇々丸)は十手持ち、忠治を捕縛する役目を負っていた。兄と対抗する女衒の十手持ち(花道あきら)、土地のごろつき(梅之枝健)女衒の子分たち(三代目・虎順、赤銅誠)が必死に忠治を追いかけるが、「貫禄」が違う。その筋書き・台本通りに、座長・鹿島順一の舞台姿は「日本一」、一つ一つの所作、口跡は「珠玉」の「至芸」、とりわけ、御用旅の疲れにやつれた風情が、一子分との出会いで一変、しかしその子分が女房持ちと知るやいなや、すぐさま立ち去ろうとする「侠気」、ごろつき殺しの疑いをかけれれた子分の窮地を救うために「百姓姿」(三枚目)に豹変する「洒脱」、さらには、もう逃げ切れぬとさとったとき、兄の十手持ちの前に両手を差し出す「諦念」の風情を「ものの見事に」描出できるのである。加えて、子分、その女房、その兄との「絡み合い」は、心に染み渡る「人情芝居」そのもの、剣劇と人情劇(時には喜劇も)を同時に楽しむことができる「逸品」であった。十手持ちの蛇々丸が忠治の座長を「それとなく」「逃げのびさせる」やりとりは、「勧進帳」の「富樫」にも似て、大衆演劇の「至宝」と評しても過言ではない、と私は思う〉。さて、今日の舞台、配役は大きく様変わりして、国定忠治に座長・三代目鹿島順一、居酒屋の亭主に花道あきら、その女房に幼紅葉、女房の兄に甲斐文太、女衒の十手持ちに梅之枝健、その子分に壬剣天音、春日舞子、土地のごろつきに赤胴誠という面々であった。舞台模様の有為転変は「世の常」とは言いながら、その出来映えは(残念にも)「前回」には及ばなかった。蛇々丸に変わった甲斐文太の風情が「出色」であることは当然、老優・梅之枝健の健闘にも不満はなかったが、三代目鹿島順一は「貫禄不足」、花道あきらは「若さ不足」、幼紅葉は「艶不足」、赤胴誠は「汚れ不足」、春日舞子は「役不足」といった按配で、名舞台にしあげるまでには、多くの課題が山積している、と私は思う。例えば、三代目鹿島順一、登場しただけで「国定忠治」を窺わせる風情(姿・形・身のこなし)が、まだ感じられない。雪の信濃路を逃げ回り、ようやく暖を得られた、「憔悴と安堵」が入り交じった表情をどのように描出するか、居酒屋の亭主(かつての子分)に女房がいるとわかった瞬間、その場を立ち去ろうとする「侠気」(潔さ)、「三枚目」の百姓姿が、泣く子も黙る(本来の)「長脇差し」(国定忠治)に一変する「凄み」等々、見せ場、見所をどのように演出するか。そのお手本は、父・甲斐文太の舞台姿、本人の口上によれば「先生の国定忠治は、僕の目に焼き付いています」とのこと、さればこそ、いつの日か必ず、(父を超えた)「恩返し」の舞台を拝見できるであろう、と私は確信している。蛇足を加えれば、居酒屋の女房が幼紅葉なら、亭主は赤胴誠、女衒の十手持ちに花道あきら、土地のごろつきに梅之枝健といった配役の方が自然ではないだろうか、などと余計なことを考えてしまった。今日の舞台は、まだまだ「発展途上」、将来を楽しみに帰路に就いたのであった。



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