META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 宝海劇団
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2024-01-26

劇団素描・「宝海劇団」・《夜の部・舞踊ショーは、観客三人の「夢舞台」》

【宝海劇団】(座長・宝海竜也)〈平成24年1月公演・佐倉湯ぱらだいす)
七草、成人の日も終わって、平日の舞台、その時にこそ劇団の「真価」が問われるのだ、と私は思う。案の定、昼の部でも観客は15人ほど、加えて、今日の舞台では役者も欠けていた。若座長・宝海紫虎、時代の寵児・宝海大空、ベテラン女優・宝海真紀、負傷中の城津果沙がいない。それでも、大衆演劇は「幕を開ける」のである。芝居の外題は、小さすぎて聞こえない。筋書きは、御存知「忠治山形屋」と瓜二つ。娘・お花(海原歌奈?)を加納屋親分(座長・宝海竜也)に身売りさせた百姓の老父(山下和夫)、三十両を懐に帰路に就いたが、地獄峠の山道で山賊(実は加納屋子分・久太郎)・宝海太陽・他に金を奪い取られた。老父、絶望して身投げをしようとしているのを助けたのが、大前田若親分(宝海大地)。若親分、加納屋に乗り込んで、金を奪い返し、お花を救い出すという筋書きであった。それぞれの役者が「精一杯」つとめていたが、まだ「呼吸」の面白さを描出するには至らず、見せ場は、大詰め、山中でみせる若親分と加納屋一家の立ち回り、一瞬にして三人を切り倒す宝海大地の「太刀さばき」であったろうか。それはそれでよい。「一生懸命に舞台を務める」、その心意気、気配だけで、私たちは元気をもらえるのだから。
さて、二部の舞踊ショーからが面白かった。山下和夫、歌唱の2コーラスを歌い終えると、「みなさん、今日は大空くんがいなくてすみません。でもみんなで一生懸命がんばります」(拍手)遠慮がちに「夜の部も観ていただけますか」最前列の女性客「観るよ」「えっ?大空くんは夜も出ませんよ」「大空くんがいなくたって、観るよ」。その言葉を聞いて、一瞬、山下和夫の全身に「電気が走った」。(ように私には思われた)。「えっ?大空くんがいなくても、ですか」と言って、楽屋の袖に顔を向ける。もしかして、そこに座長・宝海竜也が居たのかもしれない。その後、山下和夫、「さざんかの宿」を熱唱、続いてのラストショーで舞台は大団円となった。さて、夜の部開演は6時、はたして何人の観客が居残るだろうか。大浴場で入浴・休憩後、喫煙所でタバコを吸っていると、館内放送が流れた。「午後6時から5階・湯ぱら劇場で宝海劇団によるお芝居・舞踊ショーが行われます。どうぞ皆様お誘い合わせの上御来場ください」。本当にそうだろうか。5時45分頃、興味津々で劇場に行ってみると、案の定、観客は二人しか居ない。200人は優に収容できる客席の最前列に、件の女性客とその「つれあい」とおぼしき男性が、食事接待の従業員となにやら話をしている。三人は、私の気配を察したか、こちらを振り向いた。私も、近づいて「今日は本当にやるんですか」と問いかけると、従業員、「苦渋に満ちた表情で」答えられない。男性客が「そう!、やるか、やらないか。決断の時ですよ。もし、やらなければこの劇団は終わり、正念場、正念場・・・。とにかく、座って待ちましょうよ」。というわけで、観客の三人、固唾を飲んでその成り行きを見守ることとなった。時刻は、まもなく6時に・・・、その時、幕の袖から(静かに)座長登場、「今日は、ありがとうございます。こんなことはめったにないんですが。10年近く座長を務めておりますが、今日は2回目です。以前はお客様が二人、それでも幕を開けましたが、舞踊ショーの途中で帰ってしまいました。今日も幕を開けますが、お芝居は勘弁してください。舞踊ショーで精一杯がんばりますので、どうか途中でお帰りにならないようにお願いいたします」。男性客、大きく頷いて「結構、結構、やる方も辛いでしょうが、観る方も辛いんだ。がんばって、お願いしますよ」。おっしゃるとおり、観る方も辛いのだ。「男も辛いし女も辛い 男と女はなお辛い」という謳い文句そのままに、舞台は開幕する。幕が上がると同時に、三人の(割れるような)拍手を受け、座長・宝海竜也を筆頭に、大地、太陽、蘭丸らが、珠玉の妙技を披露する。たった三人の客を前に演じる「やるせなさ」「こっぱずかしさ(?)」も加わってか、まさに「今、ここだけでしか描出できない」(魅力的な)舞台模様が展開したのであった。太陽の舞台、男性客が声をかけた。「太陽!」、しばらくして小声で「何歳?」と尋ねると、太陽もまた踊りながら小声で、(つぶやくように)「25です」という「やりとり」が何とも面白かった。昼の部では見せなかった「バック転」もサービスして退場。蘭丸は蘭丸で舞台を降り、男性客に視線を合わせて微笑みかける。その可憐な風情も絶品であった。加えて、子役のちょろQ靖龍、舞台狭しと跳んだりはねたり踊りまくる中で、(その弟とおぼしき)赤児まで(幕の陰からハイハイで)登場、「相舞踊」よろしく大人用の扇子を掲げたり、振り回したりする様は、これぞ大衆演劇の「極意・真髄」といった按配で、誠に「有り難い」稀有な風景であった。やがて1時間ほどの舞台は(三人には惜しまれつつも)終演となったが、件の男性客曰く「いやあ、感動した。素晴らしかった。こんな《夢舞台》初めてだ」。けだし名言、大衆演劇は「たった三人の客」のためにだって幕を開けるのである。その心意気に心底から感動、今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができたのであった。感謝。
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2023-08-20

劇団素描・「宝海劇団」・《若座長・宝海大空を筆頭に座員一同は「足踏み状態」》

【宝海劇団】(総座長・宝海竜也)〈平成25年8月公演・湯ぱらだいす佐倉〉
私がこの劇団の舞台を観たのは、ほぼ1年7月前(平成24年1月)、所も同じ、ここ「湯ぱら劇場」であった。芝居の外題は「清水港に来た男(?)」。清水港にやって来た追分三五郎(花形・宝海大地)と森の石松(若座長・宝海大空)が、次郎長(総座長・宝海竜也)の兄貴分・赤羽の藤造(座長・早乙女紫虎)の悪行〈銭湯亀の湯の娘・お花(宝海蘭丸)を拐かす〉を見咎めて救い出し、藤造を成敗、めでたく次郎長の子分になるという筋書きで、見所は、①三五郎と石松の兄弟仁義、②藤造の三枚目振り、②次郎長の侠気、といったあたりと思われるが、その出来映えは、昨年の「吉五郎懺悔」には遠く及ばなかった。なぜだろうか。私の独断と偏見によれば、その要因は偏に「座員の稽古不足」。芝居の真髄は、役者相互の「呼吸」「間の取り合い」にあると思われるが、今日の舞台は、その「間」が乱れがち、全体を引き締めるピリッとした緊張感が感じられなかった。言い換えれば、適材適所に配された一人一人の役者に「ここ一番!」という「迫真の演技」が見当たらない。さもありなん、今や若座長・宝海大空は時代の寵児、あちらこちらから引っ張りだこの状態では、しっかりと腰を据えた稽古など望むべくもない。かくて、彼自身を筆頭に、座員の面々も「足踏み状態」か、前回に比べて「大きな進歩」はなかった、と私は思う。当時、私は宝海大空について、〈彼はまだ弱冠16歳、にもかかわらず父・宝海竜也と「五分に渡り合って」母親との「親子名乗り」を遂げさせようとする。口跡といい、表情(目線)といい、姿といい、申し分なく、「ちゃらんぽらん」だった若造が、瞬時にして、兄思い母思いの青年に「変化」(へんげ)する様を、迫真の演技で描出する。なるほど、彼は今やマスコミの人気者、時代の寵児、「宝海劇団」に出演する機会も減りつつあるようだが、その人気は、確固とした「実力」によって培われたものであることを、心底から納得した次第である〉と綴った。また、(当時の)座長・宝海竜也について、〈座長・宝海竜也は、劇団ホームページ座員紹介の詳細で、「今、勉強していることは? 人の使い方」と記しているが、「宝海劇団」は文字通り「宝の(海ならぬ)山」で、人材に事欠かない。「人の使い方」イコール「人の活かし方」、それぞれが自信を持って、のびのびと自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にすれば、さらなる発展・成長が期待できる。そのことを念じつつ帰路に就いた次第である〉とも綴ったのだが・・・。残念ながら、この1年7月、「自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にしてきたとは思えない。「宝海劇団」の中から生まれた宝海大空という「宝」(逸材)はまだ「蕾」、それを大輪の花に開かせるのもまた「宝海劇団」の中でしかあり得ないと、私は確信している。しかし、本日の宝海大空は、芝居でも舞踊(女形の艶やかさは相変わらずであったが)でも、どこか精彩を欠き、(心身の)疲れが感じ取れた。彼本来の「思い切り」「歯切れよさ」、登場しただけで辺りをパッと輝かせる「冴え」(魅力)が感じられなかった。斯界の名曲「夢芝居」(詞曲・小椋桂、唄・梅澤富美男)でも、以下のように警告しているぞよ大空くん!「けいこ不足を 幕は待たない、恋はいつでも初舞台」。今しばらく、花が開くまで「宝海劇団」の中でがんばれ!、などと身勝手な想いを抱きつつ、帰路に就いたのであった。
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2023-04-03

劇団素描・「宝海劇団」・《芝居「吉五郎懺悔」の名舞台・宝海大空の魅力》

【宝海劇団】(座長・宝海竜也)〈平成24年1月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
芝居の外題は「吉五郎懺悔」。配役は、木鼠吉五郎に座長・宝海竜也、茶店の老婆(実は吉五郎の母)に宝海真紀、老婆の息子・新吉に宝海大空、十手持ち親分に若座長・早乙女紫虎。本来なら、吉五郎に早乙女紫虎、十手持ち親分に座長・宝海竜也というあたりが順当・妥当だと思われるが・・・、そうか、今日の舞台、人物も筋書きも余計なものは省けるだけ省き、吉五郎と母の出会い、義弟・新吉との「絡み」に焦点を絞り、座長みずからが吉五郎の演じ方を、若座長に伝授する魂胆か・・・。お尋ね者の盗賊・木鼠吉五郎は生みの親を訪ねる道中、立ち寄った茶店の老婆がお目当ての人、その人に息子がおり、十手持ちの役人だとやら、それでは「親子名乗り」もできない。せめて、息子のお縄にかかって「親孝行」させようという吉五郎の「心象」描出が、芝居の眼目である。座長・宝海竜也扮する吉五郎は、どこか「中谷一郎」然、すばしっこく身軽に「非道を重ねてきた」風情が、鮮やかであった。加えて、間抜けな役人(実は吉五郎の義弟)に扮した宝海大空も素晴らしかった。彼はまだ弱冠16歳、にもかかわらず父・宝海竜也と「五分に渡り合って」母親との「親子名乗り」を遂げさせようとする。口跡といい、表情(目線)といい、姿といい、申し分なく、「ちゃらんぽらん」だった若造が、瞬時にして、兄思い母思いの青年に「変化」(へんげ)する様を、迫真の演技で描出する。なるほど、彼は今やマスコミの人気者、時代の寵児、「宝海劇団」に出演する機会も減りつつあるようだが、その人気は、確固とした「実力」によって培われたものであることを、心底から納得した次第である。その「証し」は、第二部・舞踊ショーにおいても遺憾なく発揮されていた。個人舞踊立ち役の「黒田の武士」は、先輩格・三代目鹿島順一(「鹿島順一劇団」座長)に勝るとも劣らない出来映えであった。さらに女形舞踊「独り寝の子守歌」も絶品、その清純な色香は、あのスーパー兄弟(龍美麗・南條影虎)を凌いでいたかもしれない。私が「宝海劇団」の舞台を初めて観たのは三、四年前、当時の宝海大空は12、3歳で、ほとんど記憶に残っていない。だとすれば、以後の彼の成長はめざましく、それが劇団発展の原動力になったことは間違いないだろう。事実、兄・早乙女紫虎、宝海大地、宝海太陽、宝海蘭丸、山下和夫といった座員の面々も、それぞれの個性が輝いて魅力的、紫虎、大地の扇子使い、太陽の「バック転」はお見事!、それに蘭丸の可憐さと和夫の「歌声」が加わって、舞踊ショーは百花繚乱、居眠りをしている暇などなかった、のであった。座長・宝海竜也は、劇団ホームページ座員紹介の詳細で、「今、勉強していることは? 人の使い方」と記しているが、「宝海劇団」は文字通り「宝の(海ならぬ)山」で、人材に事欠かない。「人の使い方」イコール「人の活かし方」、それぞれが自信を持って、のびのびと自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にすれば、さらなる発展・成長が期待できる。そのことを念じつつ帰路に就いた次第である。
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