2024-01-08
劇団素描・「橘小竜丸劇団」・《芝居「お島子守唄」の舞台模様》
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸、橘龍丸)〈平成24年11月公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は「お島子守唄」。若座長・橘龍丸が、女形で主演するとあって、期待は増すばかり、第一部のミニショーから客席は盛り上がっていた。幕開けから橘龍丸登場、股旅物の個人舞踊(「母恋鴉」?)、続いて橘小龍丸の「洋舞もどき」、さらに客演の桂木小祐司・松川翔也の「相舞踊」へ、極め付きは小龍丸の歌唱「恋月夜」まで添えられて、たいそう充実した舞台であった。客席最後部には、ケバいおばちゃん連中が陣取り、「座長!」「タツマル!」などと、威勢のいいかけ声が飛び交う・・・。さて、第二部は、お目当ての芝居「お島子守唄」。しかし、これがいけなかった。主演の龍丸いわく、「今日は女形の芝居を観ていただきましたが、なんとも胃がもたれるお芝居で・・・、明日はスカッとするお芝居ですから・・・」。その「胃がもたれる」筋書きは以下の通りである。〈ある大店の娘・おさきが行方不明、女将が手代、女中に探させている。やがて、おさき登場、聞けば、妹のおみよを探していたとのこと。おみよは先妻の子で腹違い、○○期の病気が元で「口がきけない」。後妻の女将は、連れ子のおさきを溺愛、おみよを「日常的に虐待」している。そんなとき、十年前に島送りになり「死んだ」と思われていた、先妻のお島(座長・橘龍丸)が帰ってきた。旦那(座長・橘小龍丸)と対面、旦那は、しどろもどろで、経緯を説明するのだが、お島は納得しない。「憎いのは後妻の女将と、その娘・おさき、恨みを晴らしてやる!」と、思ったかどうかは不明だが、寝静まったおさきの寝所に闖入、殺害に及んだ。と、思いきや、そこに居たのは娘のおみよだった。ああ、万事休す。おみよの亡骸を抱いて自刃する〉。といった、なんともやりきれない結末で、大入りの客席は静まりかえってしまった。閉幕後、明るくなった客席で、件のケバいおばちゃん連中を見やると、皆一様に「眠っている」。その光景の方が、私には面白かった。喫煙所に行くと、席をゆずりながら別の女性客が私に声かけた。「男の人でも、今のお芝居、泣けますか」、泣ける泣ける、なんでこんな芝居を観てしまったんだろう、といった自分のふがいなさを恨むほかはなかった。第三部は「女形大会」、といっても男優は、小龍丸、龍丸、つばさしかいないではないか・・・、先ほどの「胃もたれ」が災いしてか、十分には楽しめなかった。芝居に出番がなかった小祐司、翔也の「上達ぶり」が、せめてもの救いであったか・・・。とはいうものの、小竜丸、龍丸の「女形」は絶品、「ほどほどの」元気を頂いて帰路に就いた次第である。ああ、シンド!
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芝居の外題は「お島子守唄」。若座長・橘龍丸が、女形で主演するとあって、期待は増すばかり、第一部のミニショーから客席は盛り上がっていた。幕開けから橘龍丸登場、股旅物の個人舞踊(「母恋鴉」?)、続いて橘小龍丸の「洋舞もどき」、さらに客演の桂木小祐司・松川翔也の「相舞踊」へ、極め付きは小龍丸の歌唱「恋月夜」まで添えられて、たいそう充実した舞台であった。客席最後部には、ケバいおばちゃん連中が陣取り、「座長!」「タツマル!」などと、威勢のいいかけ声が飛び交う・・・。さて、第二部は、お目当ての芝居「お島子守唄」。しかし、これがいけなかった。主演の龍丸いわく、「今日は女形の芝居を観ていただきましたが、なんとも胃がもたれるお芝居で・・・、明日はスカッとするお芝居ですから・・・」。その「胃がもたれる」筋書きは以下の通りである。〈ある大店の娘・おさきが行方不明、女将が手代、女中に探させている。やがて、おさき登場、聞けば、妹のおみよを探していたとのこと。おみよは先妻の子で腹違い、○○期の病気が元で「口がきけない」。後妻の女将は、連れ子のおさきを溺愛、おみよを「日常的に虐待」している。そんなとき、十年前に島送りになり「死んだ」と思われていた、先妻のお島(座長・橘龍丸)が帰ってきた。旦那(座長・橘小龍丸)と対面、旦那は、しどろもどろで、経緯を説明するのだが、お島は納得しない。「憎いのは後妻の女将と、その娘・おさき、恨みを晴らしてやる!」と、思ったかどうかは不明だが、寝静まったおさきの寝所に闖入、殺害に及んだ。と、思いきや、そこに居たのは娘のおみよだった。ああ、万事休す。おみよの亡骸を抱いて自刃する〉。といった、なんともやりきれない結末で、大入りの客席は静まりかえってしまった。閉幕後、明るくなった客席で、件のケバいおばちゃん連中を見やると、皆一様に「眠っている」。その光景の方が、私には面白かった。喫煙所に行くと、席をゆずりながら別の女性客が私に声かけた。「男の人でも、今のお芝居、泣けますか」、泣ける泣ける、なんでこんな芝居を観てしまったんだろう、といった自分のふがいなさを恨むほかはなかった。第三部は「女形大会」、といっても男優は、小龍丸、龍丸、つばさしかいないではないか・・・、先ほどの「胃もたれ」が災いしてか、十分には楽しめなかった。芝居に出番がなかった小祐司、翔也の「上達ぶり」が、せめてもの救いであったか・・・。とはいうものの、小竜丸、龍丸の「女形」は絶品、「ほどほどの」元気を頂いて帰路に就いた次第である。ああ、シンド!
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2023-10-18
劇団素描・「橘小竜丸劇団」・《芝居「ドタバタ近衛家大騒動」・役者模様の様変わり》
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸)〈平成23年4月公演・みのりの湯柏健康センター〉
芝居の外題は「ドタバタ近衛家大騒動」。由緒ある武門の近衛家当主(橘龍丸)は、腹心の部下(橘鈴丸)が自分の妹(橘龍丸・二役)と恋仲になったので、二人を追放、今は断絶状態になっている。部下はやむなく妹と駆け落ち、ある一家(親分・座長橘小竜丸)の用心棒になっている。妹との間に一子をもうけたが、体調がすぐれず、盲目状態。実を言えば、親分が妹に横恋慕、用心棒に少しずつ「薬」(毒)を盛っていたのだ。親分、用心棒の留守中に、妹に言い寄るがケンモホロロにあしらわれ、手籠めにしようと揉み合ううちに、妹を斬殺。加えて、用心棒まで消そうとしたのだが、その間に割って入ったの一家に草鞋を脱いでいる旅鴉(橘龍丸・三役)、事の真相を用心棒に打ち明けて用心棒に協力、親分一味を討ち果たす、という物語である。この芝居の「見せ所」は、いうまでもなく、二代目座長・橘龍丸の「早変わり・三変化」、一は純情可憐な貞女、二は気っ風のいい旅鴉、三は名門当主の殿様、をどのように演じ分けるか、その「妙」を、とくと御覧あれ、といったところで、熱狂的な贔屓筋には「たまらない」場面の連続であったに違いない。だがしかし、橘龍丸は弱冠二十歳、贔屓筋と言ってもコスプレ風情のコギャル連中ばかり、といった按配で、立ち枯れ爺の私にしてみれば、いささか興ざめな舞台であった。とりわけ、近衛家当主の殿様役に至っては、志村けんもどきの「バカ殿」然、テレビ娯楽の雰囲気が漂い、おもわず眼と耳をふさいで堪える他はなかったが・・・。この劇団も、今や旧から新への世代交代期、超ベテランだった名女優・喜多川シホの姿は今はなく、わずかに志賀某という老優を残すだけと相成ったか・・・。とはいえ、その「人気」「集客能力」は抜群、座長・橘小竜丸の「女形舞踊」は「えもいわれぬ」風情で、その舞台姿が天下一品であることは間違いない。二代目座長・橘龍丸の「洋舞」もお見事、ということであれば、特に言うことはない。ただ、役者模様の様変わりはいかんともしがたく、くれぐれもコギャル連中の「人気」に溺れることなく(テレビ娯楽の空気に汚されることなく)、斯界の伝統を継承・発展されることを念じつつ、帰路に就いた次第である。
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芝居の外題は「ドタバタ近衛家大騒動」。由緒ある武門の近衛家当主(橘龍丸)は、腹心の部下(橘鈴丸)が自分の妹(橘龍丸・二役)と恋仲になったので、二人を追放、今は断絶状態になっている。部下はやむなく妹と駆け落ち、ある一家(親分・座長橘小竜丸)の用心棒になっている。妹との間に一子をもうけたが、体調がすぐれず、盲目状態。実を言えば、親分が妹に横恋慕、用心棒に少しずつ「薬」(毒)を盛っていたのだ。親分、用心棒の留守中に、妹に言い寄るがケンモホロロにあしらわれ、手籠めにしようと揉み合ううちに、妹を斬殺。加えて、用心棒まで消そうとしたのだが、その間に割って入ったの一家に草鞋を脱いでいる旅鴉(橘龍丸・三役)、事の真相を用心棒に打ち明けて用心棒に協力、親分一味を討ち果たす、という物語である。この芝居の「見せ所」は、いうまでもなく、二代目座長・橘龍丸の「早変わり・三変化」、一は純情可憐な貞女、二は気っ風のいい旅鴉、三は名門当主の殿様、をどのように演じ分けるか、その「妙」を、とくと御覧あれ、といったところで、熱狂的な贔屓筋には「たまらない」場面の連続であったに違いない。だがしかし、橘龍丸は弱冠二十歳、贔屓筋と言ってもコスプレ風情のコギャル連中ばかり、といった按配で、立ち枯れ爺の私にしてみれば、いささか興ざめな舞台であった。とりわけ、近衛家当主の殿様役に至っては、志村けんもどきの「バカ殿」然、テレビ娯楽の雰囲気が漂い、おもわず眼と耳をふさいで堪える他はなかったが・・・。この劇団も、今や旧から新への世代交代期、超ベテランだった名女優・喜多川シホの姿は今はなく、わずかに志賀某という老優を残すだけと相成ったか・・・。とはいえ、その「人気」「集客能力」は抜群、座長・橘小竜丸の「女形舞踊」は「えもいわれぬ」風情で、その舞台姿が天下一品であることは間違いない。二代目座長・橘龍丸の「洋舞」もお見事、ということであれば、特に言うことはない。ただ、役者模様の様変わりはいかんともしがたく、くれぐれもコギャル連中の「人気」に溺れることなく(テレビ娯楽の空気に汚されることなく)、斯界の伝統を継承・発展されることを念じつつ、帰路に就いた次第である。
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2023-08-15
劇団素描・「橘小龍丸劇団」・《「弁天小僧・温泉の一夜」》
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸)〈平成20年8月公演・川崎大島劇場〉
日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。
「劇団紹介」によれば〈プロフィール 橘小竜丸劇団 平成13(2001〉年10月1日に旗揚げ。フリーで活動していたが、平成16(2004)年6月に九州演劇協会所属となる。ディスコダンスの全国大会で優勝した経歴を持つ座長が、得意とするダンスをアレンジした洋舞には定評がある。若々しい舞台が魅力。座長 橘小竜丸 昭和34(1959)年10月1日生まれ。宮崎県出身。血液型B型。役者の家に生まれ、5歳の時、大阪の浪速クラブにて初舞台を踏む。しばらくは役者の道から遠のくが、20代後半に「紀伊国屋章太郎劇団」(現・劇団紀伊国屋)に入団。約8年間の修行を経て、平成13(2001)年10月1日に劇団旗揚げ。若座長 橘龍丸 平成3(1991)年4月21日生まれ。福井県出身。血液型B型。父である橘小竜丸座長が劇団を旗揚げするのをきっかけに、10歳で初舞台を踏む。線の細い中性的な立ち役と、はかなげな女形が魅力。舞踊では演歌から洋楽にまで幅広いジャンルに挑戦し、成長著しい役者である〉とある。また、キャッチフレーズは、〈魅せる舞台で観客を虜に・・・。オリジナリティにこだわり頂点を目指す。座員一丸となり、幻想的な舞台を繰り広げる、「橘小竜丸劇団」の舞台世界をお楽しみ下さい〉であった。
芝居の外題は「弁天小僧・温泉の一夜」。筋書きは、大衆演劇の定番。浪花の若旦那(橘愁斗?・好演)が敵役の親分(座長)に騙されて、金百両、馴染みの芸者(橘ユリ?)まで掠め取られ、身投げをしようとしたところを、弁天小僧(若座長・橘龍丸)に助けられ、敵討ち(間男成敗)をするという話だが、女形で登場した橘龍丸の「艶姿」、「口跡」が、何ともいえぬ「可愛らしい」風情で、観客を魅了する。男に変身する「一瞬」も「お見事」という他はなかった。鹿島虎順、恋川純、南條影虎とは同世代、将来の大衆演劇界を背負って立つ役者に成長することは間違いない。この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川シホの「博多恋人形」(唄・牧村三枝子)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう。
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日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。
「劇団紹介」によれば〈プロフィール 橘小竜丸劇団 平成13(2001〉年10月1日に旗揚げ。フリーで活動していたが、平成16(2004)年6月に九州演劇協会所属となる。ディスコダンスの全国大会で優勝した経歴を持つ座長が、得意とするダンスをアレンジした洋舞には定評がある。若々しい舞台が魅力。座長 橘小竜丸 昭和34(1959)年10月1日生まれ。宮崎県出身。血液型B型。役者の家に生まれ、5歳の時、大阪の浪速クラブにて初舞台を踏む。しばらくは役者の道から遠のくが、20代後半に「紀伊国屋章太郎劇団」(現・劇団紀伊国屋)に入団。約8年間の修行を経て、平成13(2001)年10月1日に劇団旗揚げ。若座長 橘龍丸 平成3(1991)年4月21日生まれ。福井県出身。血液型B型。父である橘小竜丸座長が劇団を旗揚げするのをきっかけに、10歳で初舞台を踏む。線の細い中性的な立ち役と、はかなげな女形が魅力。舞踊では演歌から洋楽にまで幅広いジャンルに挑戦し、成長著しい役者である〉とある。また、キャッチフレーズは、〈魅せる舞台で観客を虜に・・・。オリジナリティにこだわり頂点を目指す。座員一丸となり、幻想的な舞台を繰り広げる、「橘小竜丸劇団」の舞台世界をお楽しみ下さい〉であった。
芝居の外題は「弁天小僧・温泉の一夜」。筋書きは、大衆演劇の定番。浪花の若旦那(橘愁斗?・好演)が敵役の親分(座長)に騙されて、金百両、馴染みの芸者(橘ユリ?)まで掠め取られ、身投げをしようとしたところを、弁天小僧(若座長・橘龍丸)に助けられ、敵討ち(間男成敗)をするという話だが、女形で登場した橘龍丸の「艶姿」、「口跡」が、何ともいえぬ「可愛らしい」風情で、観客を魅了する。男に変身する「一瞬」も「お見事」という他はなかった。鹿島虎順、恋川純、南條影虎とは同世代、将来の大衆演劇界を背負って立つ役者に成長することは間違いない。この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川シホの「博多恋人形」(唄・牧村三枝子)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう。
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2023-07-30
劇団素描・「橘小龍丸劇団」・《芝居「上州土産百両首」の舞台模様》
【橘小龍丸劇団】(座長・橘鈴丸)〈平成28年1月公演・安田温泉かわら座〉
芝居の外題は「上州土産百両首」。この劇団から橘龍丸が抜けて、男優は後見座長の橘小龍丸(龍丸、鈴丸の実父)と若手の橘亮之丞だけとなった。そこで、桜木英二、花道あきらといったベテラン男優を招いて公演を続けているようだ。私は前回の見聞(平成27年5月)で〈橘龍丸のぬけた「橘小竜丸劇団」は、今まさに「心機一転」、「蒔き直し」を図る時代に入ったようだ。かつて(7年前には)綺羅星のごとく居並んでいた老優、松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの「実力」と若手役者の新鮮な息吹が「渾然一体」となった名舞台の数々が思い出されて、「夢よもう一度」と念じつつ帰路に就いた次第である。桜木英二、桜木八重子、花道あきららの「胸を借りて」、若手連中よ、がんばれ!〉と綴ったが、はたして今回の舞台模様は如何に・・・?
配役はスリの蛾次郎に座長・橘鈴丸、その兄貴分・正太郎に橘小龍丸、仇役の三次に花道あきら、蛾次郎の面倒を見る親分に桜木英二といった面々であった。それぞれが、誠心誠意、精一杯の演技を展開し、出来映えは「悪くはなかった」が、今一歩の「メリハリ」「迫力」が感じられなかった。それというのも、「若手連中よ、がんばれ!」という私の期待が大きすぎたためかもしれない。しかし、この芝居の眼目が、純粋無垢な蛾次郎という青年と、それに共感して「足を洗った」正太郎の《兄弟愛》だとすれば、思い切って蛾次郎には若手の橘亮之丞または若手女優の誰かを登用すべきではなかったか。それを受け止める正太郎に座長・橘鈴丸、三次は後見の橘小龍丸または桜木英二、温情の親分に花道あきらまたは橘小龍丸といった配役が実現したとき、私の夢が叶うことになるのである。いずれにせよ、看板役者・橘龍丸が抜けてほぼ一年、若手連中の奮起・台頭が望まれる舞台模様であった。
変わって第二部の舞踊ショー。桜木八重子の「カラスの女房」、桜木英二の「大阪恋唄」、橘小龍丸の歌声「津軽恋女」に加えて絶品の女形舞踊(曲名不詳)を見聞できたことは望外の幸せ、伝統的な「至芸」まだここにあり、という思いを強くして、岩盤浴に向かった次第である。
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芝居の外題は「上州土産百両首」。この劇団から橘龍丸が抜けて、男優は後見座長の橘小龍丸(龍丸、鈴丸の実父)と若手の橘亮之丞だけとなった。そこで、桜木英二、花道あきらといったベテラン男優を招いて公演を続けているようだ。私は前回の見聞(平成27年5月)で〈橘龍丸のぬけた「橘小竜丸劇団」は、今まさに「心機一転」、「蒔き直し」を図る時代に入ったようだ。かつて(7年前には)綺羅星のごとく居並んでいた老優、松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの「実力」と若手役者の新鮮な息吹が「渾然一体」となった名舞台の数々が思い出されて、「夢よもう一度」と念じつつ帰路に就いた次第である。桜木英二、桜木八重子、花道あきららの「胸を借りて」、若手連中よ、がんばれ!〉と綴ったが、はたして今回の舞台模様は如何に・・・?
配役はスリの蛾次郎に座長・橘鈴丸、その兄貴分・正太郎に橘小龍丸、仇役の三次に花道あきら、蛾次郎の面倒を見る親分に桜木英二といった面々であった。それぞれが、誠心誠意、精一杯の演技を展開し、出来映えは「悪くはなかった」が、今一歩の「メリハリ」「迫力」が感じられなかった。それというのも、「若手連中よ、がんばれ!」という私の期待が大きすぎたためかもしれない。しかし、この芝居の眼目が、純粋無垢な蛾次郎という青年と、それに共感して「足を洗った」正太郎の《兄弟愛》だとすれば、思い切って蛾次郎には若手の橘亮之丞または若手女優の誰かを登用すべきではなかったか。それを受け止める正太郎に座長・橘鈴丸、三次は後見の橘小龍丸または桜木英二、温情の親分に花道あきらまたは橘小龍丸といった配役が実現したとき、私の夢が叶うことになるのである。いずれにせよ、看板役者・橘龍丸が抜けてほぼ一年、若手連中の奮起・台頭が望まれる舞台模様であった。
変わって第二部の舞踊ショー。桜木八重子の「カラスの女房」、桜木英二の「大阪恋唄」、橘小龍丸の歌声「津軽恋女」に加えて絶品の女形舞踊(曲名不詳)を見聞できたことは望外の幸せ、伝統的な「至芸」まだここにあり、という思いを強くして、岩盤浴に向かった次第である。
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2023-05-30
劇団素描・「橘小竜丸劇団」《芝居「喜太郎街道」で、悪夢が蘇る、嗚呼・・・》
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸、橘鈴丸)〈平成27年7月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「喜太郎街道」。御存知、大衆演劇の定番・・・。一宿一飯の義理で善良な親分(桜木英二)を手にかけた浅間の喜太郎(座長・橘鈴丸)、といっても腕は親分の方が上、「おめえさん、どうしてこんなことをしなさる」と問えば、喜太郎「へえ、10両貰って好きな女の病を治しとうござんす」、「そうか、オレの命も長くはない。どうぞお殺んなせえ」というや否や、喜太郎のドスを自分の腹に突き刺した。あまりのことに喜太郎は驚愕、「おめえさんはまだ人を殺めたことがない、これから堅気になって、親孝行をしなせえ」と言いながら親分は落命間近。そこに駆けつけたのは親分の二代目(花道あきら)、「誰にやられなすった」と問えば「浅間の喜太郎という旅鴉、だが、あいつはまだ人を斬ったこともない若造だ。仇をうつことはならねえ、実は・・・」と言いかけて親分は息絶えた。喜太郎、稼いだ10両を女に届け、両親の居る故郷へ・・・、とここまでは順調に進んだが、後がいけなかった。喜太郎、生家の前で逡巡する。「親父には逢いたいが、あの鬼婆は苦手だ。でもオレを勘当した時とは変わっているかもしれねえ。一つ試してみよう、おい!鬼婆!いるか」と中に叫んで逃げ出す。「誰だ!」と言って出てきたのは喜太郎の母(座長・橘小竜丸)。その様子を見て、客席前列の贔屓筋が「嬌笑」した。その一瞬で、この舞台模様は崩壊した。座長・橘小竜丸、その「嬌笑」を受け容れるように「夜の部は目立つぞ!」と言いながら、次々と景色を壊していく。喜んでいるのは一握りの贔屓筋だけ、残りの客は無言のまま、次々と席を立っていく。その惨状も私には一興であったが、喜太郎と鬼婆の「じゃれあい」、二代目の花道あきらとの「絡み」も意味不明のアドリブ頻発で、芝居の時間は20分も延びてしまった。大詰めを「喜劇仕立て」にすることは悪くない。私はその成功例を「ひと丸劇団」の舞台「木曽恋鴉」で見聞している。しかし、喜劇ほどむずかしいものはないのである。客を笑わせようとすればするほど、客は白ける。橘龍丸時代の舞台でも「客との呼吸合わせ」が目立ち、景色を壊しまくる結果になることが多かった。私は前回の見聞で「夢よもう一度」、「心機一転、桜木英二や花道あきらの胸を借りて、若手連中よがんばれ!」と綴ったが、今回の舞台を観る限り「悪夢は蘇る!嗚呼・・・」と嘆じる他はなかった。
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芝居の外題は「喜太郎街道」。御存知、大衆演劇の定番・・・。一宿一飯の義理で善良な親分(桜木英二)を手にかけた浅間の喜太郎(座長・橘鈴丸)、といっても腕は親分の方が上、「おめえさん、どうしてこんなことをしなさる」と問えば、喜太郎「へえ、10両貰って好きな女の病を治しとうござんす」、「そうか、オレの命も長くはない。どうぞお殺んなせえ」というや否や、喜太郎のドスを自分の腹に突き刺した。あまりのことに喜太郎は驚愕、「おめえさんはまだ人を殺めたことがない、これから堅気になって、親孝行をしなせえ」と言いながら親分は落命間近。そこに駆けつけたのは親分の二代目(花道あきら)、「誰にやられなすった」と問えば「浅間の喜太郎という旅鴉、だが、あいつはまだ人を斬ったこともない若造だ。仇をうつことはならねえ、実は・・・」と言いかけて親分は息絶えた。喜太郎、稼いだ10両を女に届け、両親の居る故郷へ・・・、とここまでは順調に進んだが、後がいけなかった。喜太郎、生家の前で逡巡する。「親父には逢いたいが、あの鬼婆は苦手だ。でもオレを勘当した時とは変わっているかもしれねえ。一つ試してみよう、おい!鬼婆!いるか」と中に叫んで逃げ出す。「誰だ!」と言って出てきたのは喜太郎の母(座長・橘小竜丸)。その様子を見て、客席前列の贔屓筋が「嬌笑」した。その一瞬で、この舞台模様は崩壊した。座長・橘小竜丸、その「嬌笑」を受け容れるように「夜の部は目立つぞ!」と言いながら、次々と景色を壊していく。喜んでいるのは一握りの贔屓筋だけ、残りの客は無言のまま、次々と席を立っていく。その惨状も私には一興であったが、喜太郎と鬼婆の「じゃれあい」、二代目の花道あきらとの「絡み」も意味不明のアドリブ頻発で、芝居の時間は20分も延びてしまった。大詰めを「喜劇仕立て」にすることは悪くない。私はその成功例を「ひと丸劇団」の舞台「木曽恋鴉」で見聞している。しかし、喜劇ほどむずかしいものはないのである。客を笑わせようとすればするほど、客は白ける。橘龍丸時代の舞台でも「客との呼吸合わせ」が目立ち、景色を壊しまくる結果になることが多かった。私は前回の見聞で「夢よもう一度」、「心機一転、桜木英二や花道あきらの胸を借りて、若手連中よがんばれ!」と綴ったが、今回の舞台を観る限り「悪夢は蘇る!嗚呼・・・」と嘆じる他はなかった。
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2023-05-29
劇団素描・「橘小竜丸劇団」、心機一転!若手連中よ、がんばれ!
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸、橘鈴丸)〈平成27年5月公演・小岩湯宴ランド〉
三年前(平成24年7月)、私はこの劇団について(座長・橘龍丸について)以下のように綴った。〈座長・橘龍丸は弱冠21歳(?)、心意気も「スター気分」で悪くはないが、経験不足は否めない。洋舞の実力は、父親ゆずりで(斯界)ピカイチ!(女形舞踊は、座長・橘小竜丸には及ばない)。しかし、それが芝居にまで及ぶとは限らない。公演中盤での芝居「丹下左膳」を見聞したが、屈折した人物像(主人公・丹下左膳の心象風景)の描出にはほど遠く、左手一本の「立ち回り」だけでは、物足りない。芝居の鉄則は、相手との「呼吸」をはかること、人物に「なりきる」(役に徹する)こと、だと思われるが、まだ「人気者・龍丸が(学芸会並の)一人芝居をしている」といった域から抜け出すことができなかった、と私は思う〉。件の橘龍丸は今年5月で座長を姉・橘鈴丸に譲り、現在は「休団」して修業中とのこと、「実力」よりも「人気」が先行することの「虚しさ」を実感したか、その誠実・真摯な姿勢に拍手を贈りたいと思う。その穴を埋めるかのように、「表看板」には、橘小竜丸、鈴丸以下、特別出演・美月流星、たちばなゆり、たちばな佑季、たちばな千夏、たちばな百花、たちばな朱音、たちばな三倖、たちばな理華、橘亮之丞、桜木英二、桜木八重子、花道あきら、といった面々が名を連ねている。中でも、桜木英二は「劇団さくらぎ」座長、花道あきらは「鹿島順一劇団」の花形といった経歴で、どんな舞台模様が展開するか、期待を込めて開幕を待った。昼の部・芝居の外題は「村八分」。村に入り込んだ流れ者(座長・橘小竜丸)は、ある三人姉弟(姉・座長橘鈴丸、弟・芸名不詳の女優、妹・芸名不詳の女優)に目を付け、一稼ぎしようと企む。姉は達者だが、弟は唖、妹は知恵足らず・・・。妹に国定忠治の居所をお上に訴えさせ、その褒美金を横取りした。そのことを村人に言いふらし三人姉弟を「村八分」にしようとする魂胆。妹をおびき出して扼殺、井戸で溺れ死んだことにして遺体を運び込んできた。真相を知った姉にまで襲いかかろうとするのを見て、弟は流れ者を刺殺、姉はその身代わりとなって捕縛される。大詰めはお白州の場、「流れ者を殺したのは自分!」と必死で訴える弟に向かって、奉行は「お咎めなし」という裁きで舞台は大団円となったのだが・・・。「出来映え」は「今一歩」、実力者・橘小竜丸の演技は冴えわたっていたが、橘鈴丸以下、他の役者にとってはまだ「荷が重すぎた」。夜の部・芝居の外題は「闇の中を行く三度笠」。武州の侠客・小金井小次郎(座長・橘小竜丸)が川越の悪代官を成敗しての凶状旅、立ち寄った茶店の姉妹(たちばなゆり?、たちばな千夏?)、土地の二代目親分(橘鈴丸)の窮地を仇役親分(桜木英二)、間抜けな用心棒(花道あきら)から救うお話だったが、座長・橘小竜丸の風格を除いては、特筆すべき内容はなかった。
いずれにせよ、橘龍丸のぬけた「橘小竜丸劇団」は、今まさに「心機一転」、「蒔き直し」を図る時代に入ったようだ。かつて(7年前には)綺羅星のごとく居並んでいた老優、松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの「実力」と若手役者の新鮮な息吹が「渾然一体」となった名舞台の数々が思い出されて、「夢よもう一度」と念じつつ帰路に就いた次第である。桜木英二、桜木八重子、花道あきららの「胸を借りて」、若手連中よ、がんばれ!
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三年前(平成24年7月)、私はこの劇団について(座長・橘龍丸について)以下のように綴った。〈座長・橘龍丸は弱冠21歳(?)、心意気も「スター気分」で悪くはないが、経験不足は否めない。洋舞の実力は、父親ゆずりで(斯界)ピカイチ!(女形舞踊は、座長・橘小竜丸には及ばない)。しかし、それが芝居にまで及ぶとは限らない。公演中盤での芝居「丹下左膳」を見聞したが、屈折した人物像(主人公・丹下左膳の心象風景)の描出にはほど遠く、左手一本の「立ち回り」だけでは、物足りない。芝居の鉄則は、相手との「呼吸」をはかること、人物に「なりきる」(役に徹する)こと、だと思われるが、まだ「人気者・龍丸が(学芸会並の)一人芝居をしている」といった域から抜け出すことができなかった、と私は思う〉。件の橘龍丸は今年5月で座長を姉・橘鈴丸に譲り、現在は「休団」して修業中とのこと、「実力」よりも「人気」が先行することの「虚しさ」を実感したか、その誠実・真摯な姿勢に拍手を贈りたいと思う。その穴を埋めるかのように、「表看板」には、橘小竜丸、鈴丸以下、特別出演・美月流星、たちばなゆり、たちばな佑季、たちばな千夏、たちばな百花、たちばな朱音、たちばな三倖、たちばな理華、橘亮之丞、桜木英二、桜木八重子、花道あきら、といった面々が名を連ねている。中でも、桜木英二は「劇団さくらぎ」座長、花道あきらは「鹿島順一劇団」の花形といった経歴で、どんな舞台模様が展開するか、期待を込めて開幕を待った。昼の部・芝居の外題は「村八分」。村に入り込んだ流れ者(座長・橘小竜丸)は、ある三人姉弟(姉・座長橘鈴丸、弟・芸名不詳の女優、妹・芸名不詳の女優)に目を付け、一稼ぎしようと企む。姉は達者だが、弟は唖、妹は知恵足らず・・・。妹に国定忠治の居所をお上に訴えさせ、その褒美金を横取りした。そのことを村人に言いふらし三人姉弟を「村八分」にしようとする魂胆。妹をおびき出して扼殺、井戸で溺れ死んだことにして遺体を運び込んできた。真相を知った姉にまで襲いかかろうとするのを見て、弟は流れ者を刺殺、姉はその身代わりとなって捕縛される。大詰めはお白州の場、「流れ者を殺したのは自分!」と必死で訴える弟に向かって、奉行は「お咎めなし」という裁きで舞台は大団円となったのだが・・・。「出来映え」は「今一歩」、実力者・橘小竜丸の演技は冴えわたっていたが、橘鈴丸以下、他の役者にとってはまだ「荷が重すぎた」。夜の部・芝居の外題は「闇の中を行く三度笠」。武州の侠客・小金井小次郎(座長・橘小竜丸)が川越の悪代官を成敗しての凶状旅、立ち寄った茶店の姉妹(たちばなゆり?、たちばな千夏?)、土地の二代目親分(橘鈴丸)の窮地を仇役親分(桜木英二)、間抜けな用心棒(花道あきら)から救うお話だったが、座長・橘小竜丸の風格を除いては、特筆すべき内容はなかった。
いずれにせよ、橘龍丸のぬけた「橘小竜丸劇団」は、今まさに「心機一転」、「蒔き直し」を図る時代に入ったようだ。かつて(7年前には)綺羅星のごとく居並んでいた老優、松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの「実力」と若手役者の新鮮な息吹が「渾然一体」となった名舞台の数々が思い出されて、「夢よもう一度」と念じつつ帰路に就いた次第である。桜木英二、桜木八重子、花道あきららの「胸を借りて」、若手連中よ、がんばれ!
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2023-05-26
劇団素描・「橘小竜丸劇団」・《座長・橘龍丸の「課題」》
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸、橘龍丸)〈平成24年7月公演・小岩湯宴ランド〉
例によって、老若男女のファン層は厚く、連日「大入り」の活況を呈していたが、私自身は、岩盤浴の方に赴くことが多かった。理由は単純、芝居の舞台模様に「魅力が感じられなくなってしまった」のである。座員は大きく様変わりしたが、主演・座長橘龍丸、共演・花形橘鈴丸、敵役・座長橘小竜丸、それに特別出演・北城嵐が色を添えるというパターンで終始する。たちばなゆき、たちばなゆり、たちばなスミレ、たちばな千夏、橘つばさ、たちばな晶葉、たちばな百花、たちばな茜といった脇役陣がそろっているはずだが、彼らは、おそらく舞踊ジョーの「手駒」にすぎず、芝居での「存在感」は希薄であった。座長・橘龍丸は弱冠21歳(?)、心意気も「スター気分」で悪くはないが、経験不足は否めない。洋舞の実力は、父親ゆずりで(斯界)ピカイチ!(女形舞踊は、座長・橘小竜丸には及ばない)。しかし、それが芝居にまで及ぶとは限らない。公演中盤での芝居「丹下左膳」を見聞したが、屈折した人物像(主人公・丹下左膳の心象風景)の描出にはほど遠く、左手一本の「立ち回り」だけでは、物足りない。芝居の鉄則は、相手との「呼吸」をはかること、人物に「なりきる」(役に徹する)こと、だと思われるが、まだ「人気者・龍丸が(学芸会並の)一人芝居をしている」といった域から抜け出すことができなかった、と私は思う・結果、「客との呼吸」合わせばかりが「鼻につく」といった案配で、いささか食傷気味であった。もしかして、斯界の大スター・梅沢富美男の「芸風」を目指す?、それならそれでもよい。ただ、彼には、天賦の「三枚目」振り(センス)に加えて、抜群の「歌唱力」、「楽器演奏の名技」(ギター、ドラム)が備わっていたことを見落としてはなるまい。「龍丸」(らしさ)を主張することはかまわない。それを「洋舞」の場面に限ること、芝居では「おのれを空しゅうして、役に徹する」こと、相手との「呼吸」を合わせること、脇役があってこその主役であることを肝に銘じ、座員それぞれの「個性」を活かすこと等々が、座長・橘龍丸の(重要な)課題ではないだろうか。
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2023-05-12
劇団素描・「橘小竜丸劇団」・《小岩湯宴座初公演はやや「力みすぎ」》
【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸)〈平成21年6月公演・小岩湯宴ランド〉 「湯宴座初公演」、今日は「大入り」とあって、劇団の「精気みなぎる」「元気いっぱいの」舞台であった。芝居の外題は、昼の部「新入れ墨丁半」、夜の部「浮世人情比べ」。
「新入れ墨丁半」、博打好きの半次郎(若座長・橘龍丸)が主人公、ひょんなことから身投げの女(橘愁斗?)を助け、その女と旅を続けるうち、なぜか相思相愛の仲に・・・。夫婦として、ともかく一軒の借家におさまったが、旅の疲れが出たものか女房は病に伏せりがち。医者(喜多川志保)の見立てによれば、重篤な心臓病で、今日、明日が「峠」だとか・・・。帰ってきた半次郎に女房は哀願する。「私の命はもうわずか。頼みを聞いておくんなさい」といいながら、半次郎の片腕に「賽の目」の入れ墨を彫った。「これを見たら、私を思い出して、決して博打をしないでね・・・」半次郎、涙にむせびながら「わっかった、もうしないから安心してお休み」だがしかし、こうしてはいられない。恋女房の病気を治すには「良薬」が必要、そのためには金がいる・・・、ということで再び博奕に手を出した。イカサマがばれ袋だたきに遭っているところに親分(座長・橘小竜丸)登場。「とんでもねえ野郎だ!簀巻きにして大川に抛り込め」と言うかと思いきや、「何か、わけがありそうだ。いいから話してみな」とは恐れ入った。やがて半次郎の命と親分の五十両を賭けた賽の目勝負、結果は丁と出て半次郎の負けなのに、なぜか親分は「半」だと言い切って五十両をプレゼント、喜んだ半次郎、その金を持って女房の所に駆けつけるが、時すでに遅し、女房は他界した後・・・、半次郎の愁嘆場で閉幕。なんとも「救いようのない」「絶望的な」筋書で、その「どうしようもないやるせなさ」がこの芝居の眼目ということになるのだろうか。出来栄えは、やや力みすぎ・・・。打って変わって、夜の部「浮世人情比べ」は、底抜けに明るい人情喜劇(のはず)、要するに、金持ちと貧乏人の「人情比べ」が芝居の眼目に違いない。京都の大店「近江屋」のバカ旦那(橘龍丸)が番頭(橘愁斗)と大原を散策中、貧農の娘(橘鈴丸)に一目惚れ、番頭が娘の兄(座長・橘小竜丸)と交渉して「祝言」にまでこぎ着けたが・・・。登場した娘の「歩き方」がおかしい。それを見たバカ旦那はびっくり、「こんなはずではなかった。おっかさん、断ってえな!」と母親(喜多川志保)に頼み込む始末。息子が息子なら母も母、「そんな娘を嫁にしたら、うちの暖簾に傷がつく」と言って退けた。かくて縁談は破談。一生懸命「取りなそう」(翻意を促そう)とした番頭まで「クビ」だと・・・。ところがどっこい、その番頭が娘に求婚、娘、兄も同意して縁談は成立、二人連れだって「歩く姿」を見て、バカ旦那はまた驚いた。娘の「歩き方」は、普通に戻っていたというお話。貧乏人が金持ちの「心」を試すために打った「一芝居」という筋書で、観客は貧乏人の「味方」、拍手喝采のうちに閉幕という舞台(のはず)であった。この芝居、私は「近江飛龍劇団」の舞台を見聞しているが、それに比べて「出来栄え」は今一歩(やや力みすぎ)というところだろうか。その理由①、バカ旦那の風情がまだ「絵としては不十分」、表情、所作の「メリハリ」、おかしさの「ポイント」が絞り切れていない。言い換えれば、「動きが多すぎる」(しつっこい)のである。②兄の様子、「白塗りの二枚目」といった容貌で、「貧乏人」の雰囲気が不十分。言い換えれば「かっこよすぎる」のである。とはいえ、劇団員面々の「実力」は、水準以上、御当地初公演が盛況裡に終わることは間違いない。
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「新入れ墨丁半」、博打好きの半次郎(若座長・橘龍丸)が主人公、ひょんなことから身投げの女(橘愁斗?)を助け、その女と旅を続けるうち、なぜか相思相愛の仲に・・・。夫婦として、ともかく一軒の借家におさまったが、旅の疲れが出たものか女房は病に伏せりがち。医者(喜多川志保)の見立てによれば、重篤な心臓病で、今日、明日が「峠」だとか・・・。帰ってきた半次郎に女房は哀願する。「私の命はもうわずか。頼みを聞いておくんなさい」といいながら、半次郎の片腕に「賽の目」の入れ墨を彫った。「これを見たら、私を思い出して、決して博打をしないでね・・・」半次郎、涙にむせびながら「わっかった、もうしないから安心してお休み」だがしかし、こうしてはいられない。恋女房の病気を治すには「良薬」が必要、そのためには金がいる・・・、ということで再び博奕に手を出した。イカサマがばれ袋だたきに遭っているところに親分(座長・橘小竜丸)登場。「とんでもねえ野郎だ!簀巻きにして大川に抛り込め」と言うかと思いきや、「何か、わけがありそうだ。いいから話してみな」とは恐れ入った。やがて半次郎の命と親分の五十両を賭けた賽の目勝負、結果は丁と出て半次郎の負けなのに、なぜか親分は「半」だと言い切って五十両をプレゼント、喜んだ半次郎、その金を持って女房の所に駆けつけるが、時すでに遅し、女房は他界した後・・・、半次郎の愁嘆場で閉幕。なんとも「救いようのない」「絶望的な」筋書で、その「どうしようもないやるせなさ」がこの芝居の眼目ということになるのだろうか。出来栄えは、やや力みすぎ・・・。打って変わって、夜の部「浮世人情比べ」は、底抜けに明るい人情喜劇(のはず)、要するに、金持ちと貧乏人の「人情比べ」が芝居の眼目に違いない。京都の大店「近江屋」のバカ旦那(橘龍丸)が番頭(橘愁斗)と大原を散策中、貧農の娘(橘鈴丸)に一目惚れ、番頭が娘の兄(座長・橘小竜丸)と交渉して「祝言」にまでこぎ着けたが・・・。登場した娘の「歩き方」がおかしい。それを見たバカ旦那はびっくり、「こんなはずではなかった。おっかさん、断ってえな!」と母親(喜多川志保)に頼み込む始末。息子が息子なら母も母、「そんな娘を嫁にしたら、うちの暖簾に傷がつく」と言って退けた。かくて縁談は破談。一生懸命「取りなそう」(翻意を促そう)とした番頭まで「クビ」だと・・・。ところがどっこい、その番頭が娘に求婚、娘、兄も同意して縁談は成立、二人連れだって「歩く姿」を見て、バカ旦那はまた驚いた。娘の「歩き方」は、普通に戻っていたというお話。貧乏人が金持ちの「心」を試すために打った「一芝居」という筋書で、観客は貧乏人の「味方」、拍手喝采のうちに閉幕という舞台(のはず)であった。この芝居、私は「近江飛龍劇団」の舞台を見聞しているが、それに比べて「出来栄え」は今一歩(やや力みすぎ)というところだろうか。その理由①、バカ旦那の風情がまだ「絵としては不十分」、表情、所作の「メリハリ」、おかしさの「ポイント」が絞り切れていない。言い換えれば、「動きが多すぎる」(しつっこい)のである。②兄の様子、「白塗りの二枚目」といった容貌で、「貧乏人」の雰囲気が不十分。言い換えれば「かっこよすぎる」のである。とはいえ、劇団員面々の「実力」は、水準以上、御当地初公演が盛況裡に終わることは間違いない。
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