META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団竜之助
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2024-01-23

劇団素描・「劇団竜之助」・《名人・大川龍昇の「至芸」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉
 10月公演の後半(16日から26日まで)、座長の長兄である大川龍昇が応援に来た。大川龍昇は父である初代・大川竜之助から二代目座長を受け継ぎ、それを三代目・現座長に譲って、現在は末弟の椿裕二とともに「劇団大川」を率いている。応援の初日、座長は龍昇に芝居出演を依頼したが、「自分のできる芝居はない」と拒絶し、木馬館での初舞台(?)は舞踊のみとなった。演目は「悲しい酒」をあんこにした「独り寝の子守歌」(唄・美空ひばり)の女形舞踊と、立ち役、「度胸千両入り」の「無法松の一生」(唄・村田英雄)。なるほど、応援の初日、龍昇が「自分のできる芝居はない」と断った理由がよくわかった。この二つの舞踊は、二本の芝居に匹敵する出来映え、「歌は三分間のドラマ」というが、まさに龍昇の「一人舞台」(独壇場)、私自身は当日の芝居「宝子供」を含めて三本の芝居を見聞したような「充実感」を味わうことができたのである。龍昇は、まず一人で舞台に立つことによって、木馬館の客層・客筋を「観察」したのだろう。名人とはこのような役者のことを言うのだと、私は思う。女形舞踊、「独り寝の子守歌」ワンコーラス目は「やや無表情に」「淡々と」、あんこの「悲しい酒」で「思い入れたっぷり」に、美空ひばりを「彷彿とさせる」景色で、ラスト「独り寝の子守歌」に戻ったとたんに、別人(例えば加藤登紀子)のイメージで、かすかな笑みを浮かべながら踊る風情は、どこか杉村春子もどきで、ただものではない「実力」を感じさせるのに十分であった。打ってかわって「無法松の一生」は、どこまでも男臭く、〈泣くな、嘆くな男じゃないか、どうせ実らぬ恋じゃもの〉という村田英雄の「説得」を全身に受けて、ふっと力を抜く風情が、たまらなく魅力的ではあった。
 私が初めて大川龍昇を観たのは、大阪・オーエス劇場。演目は、女形舞踊で「お吉物語」(唄・天津羽衣?)であったが、その時の雰囲気、大阪の空気を「そのまま」運んできたような舞台で、「元気をもらう」だけでなく「思わず嬉しくなってしまう」という(おまけの)土産(大入りの「プロマイド入りティッシュ」など遠く及ばない)までもらって、帰路につくことができたのである。万歳。
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2023-12-19

劇団素描・「劇団竜之助」・《座長、命がけの東京公演・「天竜筏流し」》

【劇団竜之助】(座長・大川龍之助)<平成20年10月公演・浅草木馬館〉
 座長曰く「私たちの劇団は、東京公演は初めてです。私は、今回の東京公演に命を賭けています」。なるほど、私の観劇は今日で4回目だが、その気迫、意気込みは、十分に伝わってくる。思わず、「座長、待ってました日本一! 大統領!」と声をかけたくなるような舞台の連続であった。身長は160センチ台と小柄だが、その分「芸で勝負しよう」という本人の言葉どおり、三代目座長・大川竜之助の「実力」に並ぶ役者は、(そうたやすくは)見つからない。年上である兄三人も、そのことを認めているからこそ、跡目を継がせているのではないだろうか。私が見聞したのは、長兄の大川龍昇と末兄の椿裕二。龍昇の舞踊「お吉物語」は珠玉の名品として、今でも私の目に焼き付いているのだが・・・。
 さて、三代目・大川竜之助が、命を賭けて闘うべき相手は、彼自身が当然見抜いているとおり、「関東の観客」である。座長の推測によれば、関東の客は、①「古いもの」(古典・時代物)が好き、②本格的な立ち回りが好き、とのことである。そういう面もあるかもしれない。私の推測によれば、(関東の客は)①しつこいのが嫌い、②悪ふざけが嫌い、③長ったらしいのが嫌い、④明るいのが好き、⑤面白いのが好き、ということになるだろうか。今日の舞台、芝居の外題は「天竜筏流し」、対立する二つの一家、徳田金兵衛(座長)と亀甲組二代目(大川史音)の「絡み合い」が主たる筋書。敵役に扮した座長が、どこまでも「柄悪く」「憎々しげに」「えげつなく」、二代目とその子分(大川竜馬)を「いじめ通す」ところが見どころ、しかし、そのままでは終わらない。終盤の「入札場面」では双方の金力が逆転、史音と座長の立場も逆転する(その助力をする大川マリアの風情が秀逸)経緯が、実に面白かった。さきほど「柄悪く」「憎々しげに」「えげつなく」「いじめ通した」座長が、全く同じ手口で「いじめ返される」段取り、風情が、客の思惑通りに展開、これまでたまっていた「重苦しい」「胸のつかえ」が吹っ飛んだところで終幕となった。関東風(「梅沢劇団」風)なら、敵役の「改心」が加わるが、そんなことはお構いなし、座長も鮮やかに斬られてチョン、という結末も悪くはない。芝居の眼目は「因果応報」(勧善懲悪)、悪いことをすれば、必ず自分もひどい目に遭うという、単純な道徳だが、関東の客は、④明るく、⑤面白いということで、この芝居に「合格点」を与えるのではないだろうか。
 歌謡、舞踊の数々も「名品揃い」で「お見事!」という他はないが、さらに言えば「静と動」「明と暗」「和と洋」「緩と急」等、コントラストを効かせたプログラム編成をすることが肝要、「さすりゃあ、座長を筆頭に各座員の〈魅力〉が倍増するに違いは、ありゃあしない」のである。 
 最後に、まとめ(蛇足)の一言。座長が命を賭けて闘う相手は「お客様」。一人でも多くの「お客様」をゲットするために大切なことは何か。(「大入り」「不入り」にかかわらず)今、目の前にいる「お客様」を満足させることである。たった一人でもいい、舞台を観に来てくれた「お客様」のために「命を賭ける」(全力を尽くす)ことである
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2023-12-09

劇団素描・「劇団竜之助」・《竜之助変化・渾身の「芸」、迫真の「技」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉                                      昨日に引き続き2回目。芝居の外題は「人間」。両親に死別した姉弟(大川マリア・大川竜之助)の話である。弟の名前は「万ちゃん」、生まれつき体が不自由、言葉もはっきり話せない様子、姉は懸命に働いて弟の面倒を見ようとしたが、いつしか「人身売買」に手を貸す羽目に・・・。この弟さえいなかったら、まともな生活ができたのにと思うと、憎さ百倍、何かにつけて「万ちゃん」を、たたいたり、けったり、どやしたりという毎日が続いていた。その日も、知り合いから「売り飛ばすのに、手頃な若者を見つけた」という話、姉は若者をみて、さっそく「人買い業者」(暴力団)に話をつける。一部始終を見ていた「万ちゃん」、姉が出かけた隙を見て、若者を逃がしてしまうという話。私は、同じ筋書きの芝居を、「長谷川武弥劇団」が演じるのを観た。そこでは、兄(姉ではなかった)が長谷川武弥、弟を愛京花という配役だったと思う。弟が「障害者らしい」気配ではあったが、今日の舞台ほど「鮮烈」な景色ではなかったと思う。そこらあたりが、大川竜之助の「実力」、ただものの役者ではないことの「証」であろう。「体が不自由」「言葉もはっきりしない」風情を、「所作」と「表情」「視線」だけで描出する「至芸」であることは間違いない。大切なことは、当初、あまりにもリアルなその容貌に静まりかえった客席が、次第次第に「溶きほぐれ」、万ちゃんの「数少ない」セリフ、迫真の一挙一動に同化(共感・感動)するプロセスなのだ。その結果、ぼろ切れのようにみじめに見えた「万ちゃん」の不自由な肢体が、徐々に光を帯び、輝きはじめ、終幕、姉の「改心」後からは、「そうだ、おれたちは人間だもの、二人の体には血が流れているから・・・」という歌詞(音楽)をバックに、愛の炎を「美しく」燃えたぎらせたように思えた。勧善懲悪、義理人情、家族愛を超えた「人権尊重」という眼目、それも大衆演劇の中で最も貴重な「眼目」が、ダイヤモンドのように輝いていた舞台であった。座長を筆頭に、精進を重ね、このような舞台を作り上げた「劇団一同」に敬服・脱帽する。 
舞踊ショーでは雰囲気を「艶やかさ」に一転、中でも、美空ひばりの男唄(残侠子守唄)、島津亜矢の女唄(お梶)、井上陽水の「リバーサイトホテル」を踊り分けた、三者三様の舞姿、ラストの寸劇「極道の妻たち」の「姐さん」(岩下志麻もどき)ぶりは、まさに大衆演劇界の「無形文化財」、「至芸中の至芸」といっても過言ではないだろう。「雪之丞変化」ならぬ「竜之助変化」の世界を満喫した次第である。
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2023-12-04

劇団素描・「劇団竜之助」・《芝居「佐渡情話」・座長の風情はメチャ「龍昇風」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成21年10月公演・つくば湯ーワ-ルド〉            
  案内では「劇団竜」(座長・大川龍昇)とあったので、そのつもりで来場したのだが、入り口に「大川龍昇座長、体調不良のため休演。(その代わりとしてか?)三代目・大川竜之助座長が出演いたします」という旨の貼り紙があり「万事休す」。まあ、そんなこともあるさ、何と言っても大川龍昇は「名人」なのだから、そう易々と見聞できるはずがないと「妙に納得」、気持ちを切り替えて舞台に臨んだ次第である。芝居の外題は、御存知「佐渡情話」。配役は、島の娘おみつ(今は人妻)に大川まりあ、その夫・甚太郎(ただし現在行方不明中)に大川史音、おみつに亡妻の面影を見出し、恋い焦がれる吾作に大川竜馬、甚太郎の父(老爺)に大川竜之助、その妹(甚太郎の叔母)に大川翔健といった面々。筋書きは、亭主の留守中(三年間)に、女房と柏崎の商人(?)が「出来てしまう」、それを知った亭主が女房を離縁、自分から身を引くという悲話(情話)に違いないのだが、舞台の景色は、どこか「不自然」、(龍昇の「穴」を埋めようと思ったか否かはともかく)竜之助の姿(所作、口跡、表情)は、思いっきり(めっちゃ)龍昇風で、「くさい、くさい」「しつっこい、しつっこい」。加えて、この老爺、嫁と「ねんごろになりたいと、ちゃうんか」と勘ぐられかねない「絡み合い」だったが、案の定、終幕間際、「未練たっぷり」の風情でおみつを追いかける。一瞬にして「悲劇」が「喜劇」に転換する「遊び」も添えられて、つまるところ三代目・竜之助の独壇(断)場で幕となった。 
 舞踊・歌謡ショー、大川竜之助の「それは恋」は、絶品、森進一を遙かに超える出来映えであった。「大入り御礼・口上」で、竜之助座長の話。「劇団の中には、お客さんに合わせて〈ふざける〉役者がおります。少しぐらい顔貌がきれいだからと言って、おだてないでください。甘やかせると、その役者の芸は伸びません。芝居は〈うまい・へた〉ではありません。どれだけお客さんを感動させるか・・・、一生懸命に、どれだけ心を伝えるか・・・。そのために役者の修業があるのです。〈ふざけた〉お客さん、〈ふざけた〉役者(劇団)が大衆演劇をダメにしているのです」その通り、私には何の「いもく」もない。ではいったい、〈ふざけた客〉とはどんな客だろうか。私の独断と偏見・曲解によれば、《舞台はそっちのけ、やたらと役者に近づきたがり、「送り出し」での「やりとり」だけ、もしくは、役者との「会食」だけを楽しみに通う客、そのために、舞台の舞踊を「平気で中断」させ、これ見よがしに「花」(御祝儀・万札)を付けまくって「悦に入る」連中のことである。。そういえば私のブログにこんなコメントを寄せてきた贔屓筋もあったっけ。〈(前略)私は、ちなみに○○劇団は、もう観劇に行きたくないです。人が少ないと適当だし、送り出しも最悪でした〉(「失礼ですが」・通行人)。
役者にとって「勝負は舞台」。「送り出し」で「人気を取る」なんぞは愚の骨頂、大歌舞伎界の名優・坂東玉三郎が、日々の終演後ただ一人自宅へ直行、黙々と「体作り」(老化防止)に励んでいる姿を、各々方は何と見るか。
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2023-12-02

劇団素描・「劇団竜之助」・《三代目座長の「三拍子」》

【劇団竜之助】(座長・三代目大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉
 劇団紹介によれば、〈プロフィール 劇団竜之助 平成15(2003)年1月創立。所属はフリー。故・初代大川竜之助の四男、三代目大川竜之助が、独立して旗揚げ。ほぼ全員がまったくの舞台経験未経験者であったが、猛烈な稽古を重ね、一致団結して芸を磨いている。座長 三代目・大川竜之助 昭和47(1972〉年6月19日生まれ。佐賀県出身。血液型B型。初舞台5歳。故・初代大川竜之助の四男。長兄は大川龍昇、次兄は紅あきら、末兄は椿裕二。「劇団大川」の座長を経て、平成15(2003)年独立。〉ということである。また、キャッチフレーズは、〈汗が飛び散る、エネルギッシュなショーと芝居。2003年旗揚げ。若さと個性がぶつかる生きのいい舞台です。「劇団大川」より独立した、三代目・大川竜之助座長が、フレッシュな若手軍団を率いて、元気いっぱいに客席を魅了してくれる新進気鋭の劇団です。「他と違う」舞台作りにこだわる座長が、オリジナリティあふれるショーに芝居に、果敢に挑戦する姿が感動的です。〉であった。 なるほど、「看板にいつわりなし」、四人兄弟の末っ子が、どうして父の跡目を継いだのか、その理由がわかった。私は、これまでに「劇団大川」の舞台を、本場・大阪「オーエス劇場」で見聞している。劇場の雰囲気がいかにも「親しみやすく」、舞台の景色・風情も「格別」であった。中でも舞踊ショーで大川龍昇が踊った「お吉物語」(たしか、十万円以上の花が付いたと思う)は、国宝級の「至芸」として、未だに私の目から離れない。その時の感想は以下の通りである。〈午後5時から新世界・オーエス劇場。地下鉄「動物園前駅」で下車、このあたりは、東京でいえば南千住、山谷といった景色だが、目的地の方角がわからない。通行人に尋ねてもみんな「知らない」という。ともかくも「アーケード」の近くにあることは間違いない。横浜・三吉演芸場、花園町・鈴成座に行くためには「アーケード」、十条・篠原演芸場、立川大衆劇場、大阪・明生座、奈良・やまと座、名古屋・鈴蘭南座に行くときだって、「小さな商店街(通り)」を通り抜けるのだから。そう思いながら、5分ほど歩くと、案の定、左手の奥に入ったところにオーエス劇場はあった。正月興行とあって、木戸口では「ぜんざい」が振る舞われていた。出演は「劇団大川」(座長。椿裕二)。客筋の話では、座員・大川龍昇は座長の兄、他の劇団にいる大川竜之介、紅あきらも兄弟だとのことである。劇団のリーダー格は大川龍昇らしく、芝居では「婆役」を「こってり」演じていた。伝統に忠実で、他の役者の「現代風」な演技とは噛み合わず、「一人」浮き上がった舞台に終わってしまったが、舞踊は絶品、まさに「至芸」に値するできばえであった。演目は「お吉物語」、表情、所作、衣装、全てが「歌謡浪曲」から飛び出してきたような風情で、十万円の花(祝儀)が付いたが、それ以上の価値があると思う。芝居の「婆役」から一転して、「妖艶な」「年増」への変身は「お見事」という他はない。特に、「どうしようもない寂しさとやるせなさ」「怒りとあきらめ」の混ざったお吉の心情が、その目線・表情に「色香」として浮き彫りされていたことに、深く感動した〉

 さて、「劇団竜之助」の舞台も、それに劣らず、というより、それをはるかに超えていたといった方が正確であろう。三代目・大川龍之助は、「幕開けショー」(プロローグ)の冒頭から女形で登場、茶髪の鬘、ぎんぎらぎんの衣装で「商売女」の酔態(「また今夜も飲まずにはいられない・・・」などという歌詞にのせて」を描出していたが、その「実力」たるや、半端ではない。ただ、男が女装して媚態を演じるのとは「わけが違う」のである。「立ち役」はどこまでも「男らしさ」を、そして「女形」はどもまでも「つつましく」、さらに「かわいらしく」というように、その「所作」「表情」で描き分け、すべてが「かっこいい!」と納得させられる、数少ない役者だと、私は思う。ここは、浅草木馬館、しかし舞台の景色を観るうちに、「今、自分は大阪にいるのではないか」と錯覚するほどの「雰囲気」なのであった。さすが、座長、「大川竜之助」の跡目を継いで当然、すべてを納得した次第である。
 芝居の外題は「千里の虎」。座長の舞台姿は一転して「侠客」「股旅姿」、その一挙一動に目が離せない。「かっこいい」のである。「絵になっている」のである。座長に従う座員の面々も、どこか「フレッシュ」「初々しい」。一同で演じる「立ち回り」の迫力も半端ではない。その呼吸、間、太刀を振り下ろす「速度」が違うのである。小道具の刃物が「真剣」に見える、とは、このこと。「猛烈な稽古」「一致団結」の成果であることを、心から納得した。
 加えて、座長の「歌唱」(「コモエスタ赤坂」他)も「絶品」。まさに「歌、踊り、芝居と三拍子揃った名優」といえるだろう。(私自身が心酔している「鹿島順一」に迫る「実力者」ではないだろうか)
 今日の見聞は初回。こういう劇団こそ「通い詰め」、その真髄を「飽きるまで」堪能したいと思った。
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2023-09-30

劇団素描・「劇団竜之助」・《芝居「人間」の名舞台》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・浅草木馬館〉
午後5時から、浅草木馬館で大衆演劇観劇。「劇団竜之助」(座長・大川竜之助)。昨日に引き続き2回目。芝居の外題は「人間」。両親に死別した姉弟(大川マリア・大川竜之助)の話である。弟の名前は「万ちゃん」、生まれつき体が不自由、言葉もはっきり話せない様子、姉は懸命に働いて弟の面倒を見ようとしたが、いつしか「人身売買」に手を貸す羽目に・・・。この弟さえいなかったら、まともな生活ができたのにと思うと、憎さ百倍、何かにつけて「万ちゃん」を、たたいたり、けったり、どやしたりという毎日が続いていた。その日も、知り合いから「売り飛ばすのに、手頃な若者を見つけた」という話、姉は若者をみて、さっそく「人買い業者」(暴力団)に話をつける。一部始終を見ていた「万ちゃん」、姉が出かけた隙を見て、若者を逃がしてしまうという話。私は、同じ筋書きの芝居を、「長谷川武弥劇団」が演じるのを観た。そこでは、兄(姉ではなかった)が長谷川武弥、弟を愛京花という配役だったと思う。弟が「障害者らしい」気配ではあったが、今日の舞台ほど「鮮烈」な景色ではなかったと思う。そこらあたりが、大川竜之助の「実力」、ただものの役者ではないことの「証」であろう。「体が不自由」「言葉もはっきりしない」風情を、「所作」と「表情」「視線」だけで描出する「至芸」であることは間違いない。大切なことは、当初、あまりにもリアルなその容貌に静まりかえった客席が、次第次第に「溶きほぐれ」、万ちゃんの「数少ない」セリフ、迫真の一挙一動に同化(共感・感動)するプロセスなのだ。その結果、ぼろ切れのようにみじめに見えた「万ちゃん」の不自由な肢体が、徐々に光を帯び、輝きはじめ、終幕、姉の「改心」後からは、「そうだ、おれたちは人間だもの、二人の体には血が流れているから・・・」という歌詞(音楽)をバックに、愛の炎を「美しく」燃えたぎらせたように思えた。勧善懲悪、義理人情、家族愛を超えた「人権尊重」という眼目、それも大衆演劇の中で最も貴重な「眼目」が、ダイヤモンドのように輝いていた舞台であった。座長を筆頭に、精進を重ね、このような舞台を作り上げた「劇団一同」に敬服・脱帽する。 
舞踊ショーでは雰囲気を「艶やかさ」に一転、中でも、美空ひばりの男唄(残侠子守唄)、島津亜矢の女唄(お梶)、井上陽水の「リバーサイトホテル」を踊り分けた、三者三様の舞姿、ラストの寸劇「極道の女たち」の「姐さん」(岩下志麻もどき)ぶりは、まさに大衆演劇界の「無形文化財」、「至芸中の至芸」といっても過言ではないだろう。「雪之丞変化」ならぬ「竜之助変化」の世界を満喫した次第である。
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2023-09-09

劇団素描・「劇団竜之助」・《東京公演千秋楽・十条の夜》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年11月公演・十条篠原演芸場〉
 今日は東京公演・夜の部の千秋楽とあって、客席は「大入り」、開幕前から「テンション」は客の方が高かった。座長・大川竜之助によれば、初めての「東京公演」に「命を賭けた」そうである。浅草木馬館での興行前、小屋主に尋ねた。「どれくらいのお客さんを入れればよいでしょうか?」「まあ、どの劇団も平均七千人というところでしょう」「わかりました。では私どもは一万人入れてみせましょう」それゆえ、どうしてもその目標を達成しなければならない。月に一万人ということは、一日、三百五十人という計算である。そのために、「命を賭けた」。結果は、一万数百人であったとか、見事、浅草では目標達成できたのだ。その千秋楽の日、竜之助はラストショーのアンコールに応えて、「乾杯」(長渕剛)を歌った。亡き父母、息子の遺影を胸に、涙をこらえて「熱唱」した姿は、長渕剛よりも感動的(魅力的)であった。
 それから一カ月、舞台を十条に変えて、東京公演は続けられたが、私は見聞していない。今日が初めてで最後の舞台ということになる。おそらく十条でも「命がけの舞台」は続き、多くの「元気」と「感動」を提供してくれたことだろう。座長みずからも認めているように、「この劇団はへたくそ」、座長以外は「すべて素人あがり」の集団である。芝居にせよ、舞踊にせよ、一人一人の「経験」「実力」を基準にすれば、他の劇団より見劣りすることはやむを得ない。そこで、「座長は考えた」、と私は思う。よし、〈「竜之助劇団」のすべてを芝居の演目にしてしまおう〉、劇団が「芝居を演じる」のではなく、劇団イコール芝居、竜之助を筆頭に、ショーケン、シオン、ショウフウ、ユウジ、リョウマ・・・、といった面々が「大衆演劇(興行)」という「大芝居」を演じるということ、舞台の上で演じられる外題は「劇中劇」に過ぎない、というようにしてしまおう。そのことがまさに〈「他と違う」舞台作りにこだわる〉(「劇団紹介」キャッチフレーズ)ことではないだろうか。 いずれにせよ、「劇団竜之助」の使命は、「お客様に元気をプレゼントする」こと、そのためにまず、自分たちが「元気の見本を見せること」という「こだわり」は徹底している。上手・下手よりも、まず「意欲」「活気」「血気」で勝負、その一途な気持ちは、必ずお客様に伝わるに違いない、という座長の判断は共感できる。
 さて、「実力」という基準でみれば、シオン、マリア、舞踊のショウフウが「一歩」抜け出ているが、「劇中劇」での人情芝居はまだ「荷が重い」。当分の間は、ラストショー寸劇「極道の妻たち」でみせた「軽妙」「洒脱」な「ドタバタ喜劇」を「目玉」にしてみてはどうだろうか。 
 一年後、「劇団竜之助」がどのように「変化(へんげ)」した姿を見せてくれるか、楽しみに待つとしよう。
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