META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 花柳劇団
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2023-05-08

劇団素描・「花柳劇団」・《懐かしの「楽団ショー」をありがとう》

【花柳劇団】(座長・花柳願竜)〈平成25年5月公演・メヌマラドン温泉ホテル〉
 この劇団の面々は、座長・花柳願竜(大阪府八尾市出身)、太夫元・花柳武雄(大阪府八尾市出身)、副座長・花柳隆(長崎県出身)、秋山拓磨(静岡県富士市出身)、柳洋子(長野県出身)、花柳さつき(静岡県藤枝市出身)、花柳麻里奈(静岡県藤枝市出身)、花柳杏梨(三重県松坂市出身)ということだが、出身地をみるだけで、役者相互の「人間模様」が推察できる。身勝手に想像すれば、太夫元と座長は「親子」、花柳さつきと麻里奈・杏梨は「親子」、だとすれば、肝腎な「夫婦」は誰と誰?、もしかして座長とさつき?、否、若座長とさつき、等など、誠に不謹慎な思いを巡らしている(座員の皆様、ごめんなさい)うちに幕が開いた。今日の舞台にお目見えしたのは、座長、副座長、秋山拓磨、柳洋子、花柳さつきの5人だけであった。とはいえ、いずれも芸達者、登場しただけで、舞台は江戸時代にタイムスリップする。芝居の外題は「忠治旅日記」。信州権堂・山形屋で忠治が助けた父娘の後日談である。ところは越後の古田村、あの時からどれくらいの時がすぎたのでさろうか。忠治に助けられた嘉右衛門爺さんはすでに亡く、娘およしは十手持ちの佐太郎(副座長・花柳隆)を婿に迎え、老母のおはつ(柳洋子)と暮らしている。そこに、追われの身の忠治(座長・花柳願竜)がやってきた。この村で、忠治は「生き神様」と崇められている。嘉右衛門が持ち帰った100両で、村の飢饉が救われたのだった。やってきた忠治を、絶対に守ってみせる。およしも、おはつも、村人も、その決意は変わらない。御上との板挟みになる佐太郎、その空気を察した忠治、「私をお縄にして手柄をたてなせえ」と佐太郎の前に両手を差し出すが、佐太郎は「許しておくんなさい」と言って、自分の腹を突く。舞台は一瞬にして愁嘆場、涙をこらえて落ち延びる忠治の旅姿で幕となったが、まさに「これぞ大衆演劇!」といった景色で、私の涙も止まらなかった。1時間後、舞踊グランドショーの開幕。客席は「老人会」の団体客約30人、個人客9人で、いずれも高齢者とあって、「洋舞」はいっさい無し、中でも圧巻は、昔懐かしい、あの「楽団ショー」。スチールギター・座長、ベースギター・秋山拓磨、ドラム・花柳隆、アコーディオン・花柳さつきという構成で、1曲目はハワイアン(曲名不詳)、2曲目は、秋山拓磨がドラムに回って、花柳隆の歌唱は「かえり船」。波の瀬の瀬に揺られて揺れて・・・、メンバーの呼吸が一つになって、いぶし銀のような歌声が流れ出す。そうなんだよねえ、それでなくっちゃあ。カラオケとは一味も二味も違う舞台模様に、またまた、私の涙があふれ出た次第である。聞けば、客のリクエストがあれば、その歌声に合わせて伴奏までしてくれるとのこと、本日の客層は休憩時間に(カラオケで)エネルギーを使い果たしたか、だれも名乗り出なかったのは残念。だがしかし、昭和40年代の伝統を、一日も休まず、未だに守り続けている劇団の「姿勢」(誠意)に脱帽する他はなかった。ありがとう、今日もまた、なお一層の元気を頂いて帰路に就くことができたのである。
かえり船/別れ船かえり船/別れ船
(2005/12/07)
田端義夫

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