META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団新生紅
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2023-12-28

劇団素描・「紅劇団」《芝居「河内の野郎花」&「長脇差と草鞋と三度笠」の舞台模様》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は「河内の野郎花」。幕が上がると、そこはある料亭の宴会場。三期連続当選を果たした村会議員(会長・紅あきら)の祝賀会が行われていた。万歳三唱の音頭をとるのは土地の侠客・八尾の広吉(後見・見城たかし)、子分衆三人を率いている。「それにしても、お前ら、柄悪いな。おい、そこのお前、なんちゅう名前や」「へえ、チャイニーズ・ドラゴン言いますねん」「わては動物園ゴリラ」「同じくタンザニア」といった村会議員とのやりとりが、初々しく魅力的であった。女将(大倉扇雀)の計らいで芸者・このみ(紅このみ)が酌に来た。村会議員、スケベ根性丸出しで、一同を退去させ、このみと二人きり・・・。「わしの妾になってくれないか」と言い寄るが「嫌です」の一点張りに遭い、たまらず実力行使に出たが、反対に突き倒される。その騒ぎに飛び出してきた広吉親分と子分たち、このみを拘束して連れ去ろうとしたのだが、すっくと現れたのは女将の長男・大介(総座長・紅大介)、たちまち子分衆を蹴散らかし、広吉親分に斬りつけた。どうやら、このみとは「いい仲」だったらしい。正当防衛とはいえ罪は罪、いさぎよく自首して刑務所へ。しかし、それから三年?、あるいは五年?、刑期を終えて家に戻ると、このみは大介の弟・秀吉(紅秀吉)と「いい仲に」・・・、といった筋書きで、何ともやるせない結末であった。見どころは、河内界隈の人間模様、大阪ヤクザの柄の悪さ・滑稽さといったところであろうか。主題曲は「泣いてチンピラ」(歌、詞。曲・永渕剛)、「・・・花の都に憧れて 飛んで来た逸れ鳥 のがれのがれて 破れた襖にもたれて 流す涙をひとつなめた ああ 友情愛情人情 何かが足りねえ・・・」という文句に添えて、大介幕切れに一言、「長生きしいや!」で引っ込む姿は「絵になっていた」。
 夜の部・芝居の外題は「長脇差しと草鞋と三度笠」。筋書きは武家物の「槍供養」と同工異曲、ヤクザ物の「長ドス仁義」と瓜二つの代物で、赤穂一家、三下の六助(総座長・紅大介)が兄貴分(座長・紅秀吉)とともに袈裟吉親分(紅大介・二役)の姐さん(紅ちあき)に随行、その途中で親分から預かった大事な守り刀を、吉良一家、権助親分(後見・見城たかし)に騙し取られてしまう、というお話。仇役を演じた、名優・見城たかしの「憎々しさ」「あくどさ」は天下一品、また姐さん役の紅ちあきの「女っぽさ(姐御肌)」も格別で、たいそう見応えのある舞台に仕上がっていた、と私は思う。権助親分、姐さんの額を割った後「あの三下の生首を持ってこい。さすりゃあ刀を返してやる」、その言葉を奥で聞いていた六助、姐さんと「盃は水」、兄貴に因縁を付けて「わざと」斬られる。「俺は自分で死ぬ根性なんてありゃあしない。だから兄貴に斬って貰ったんだ」。「これは旅の土産に買った花かんざし、故郷で待っているお今ぼうに渡してやっておくんなさい」と言い終わると息絶える愁嘆場は、たいそう鮮やかであった。終演後、喫煙所での女性客の話。「友だちに“芝居きちがい”が居るので連れてきた。一番前の席で泣き通しだったよ。この劇団の芝居は本当にうまい」。やがて自分も涙をこらえられなかったらしく、「・・・思い出しちゃった」と言いながら、その場を去って行った。(たしかに、二役の紅大介、自分の生首を愛しそうに抱きしめ、花道を去って行く姿は涙を誘う場面であった)。



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2023-12-26

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「網走番外地」&「相撲甚句」の舞台模様》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は「網走番外地」。「春に春に追われし 花も散る 酒ひけ酒ひけ 酒暮れてどうせおいらの行く先は その名も網走番外地」(詞・タカオ・カンベ)という音曲が流れるうちに幕は開いた。そこは、山田組一家の小頭・新吉(総座長・紅大介)の家。やってきたのが山田組三代目組長(後見・見城たかし)、子分衆を引き連れて「清太が帰ってきているだろう、ここへ出せ」。応対に出た新吉の母(大倉扇雀)と嫁のおとき(紅ちあき?)、「まだ家には来ておりません」「そんなはずはない。家捜し、しろ」・・・。清太(紅あきら)とは、二代目組長を殺害して「懲役五年」、網走刑務所で服役していたが、刑期を終えて出所した、三代目の仇であり、その妹がおときという筋書きであった。 
 やがて、新吉が泥酔状態で帰宅、母やおときに向かって乱暴三昧、お決まりの愁嘆場。そこへ清太も登場して三つ巴、四つ巴の葛藤が展開されるが、どだい、親分殺しの妹を嫁にしている新吉が、依然として「小頭」の地位にあり、しかも配下の組員から蔑まれていることを苦に、酒浸りで母や嫁に「当たり散らす」という設定に無理があった、と私は思う。会長・紅あきらの「ムショ帰り」の風情が格別であっただけに、残念無念な舞台模様であった。夜の部、芝居の外題は「相撲甚句」。御存知「一本刀土俵入り」の音曲で幕は上がったが、筋書きは別物。結城一家の親分が六十一・賀の祝いを機会に、跡目を譲ろうとしている。候補者は駒蔵(後見・見城たかし)と銀次(座長・紅秀吉)だが、親分の娘お蔦が選んだのは銀次。駒蔵、潔く引き下がったが内心は面白くない。未練がましくお蔦に言い寄る場面を、親分に見咎められ、殺害する。二景で登場したのは二人の相撲取り、一人は「ダメの山」(紅なるみ?確証はない)、もう一人は四股名不詳(総座長・紅大介)、まさか駒形茂兵衛とは言えないだろう。相撲では見込みがないと言われ、国に帰る道、路用に金を掏られたものやら、落としたものやら、もうこれまでと大川に身を投げようとするときに、お蔦に助けられたという筋書きで、三景・大詰めは十年後、いっぱしのヤクザに変身した総座長・紅大介がお蔦の「敵討ち」(恩返し)をするというお話であった。この芝居の眼目は、外題にある通り「相撲甚句」、その歌声の鮮やかさにあると思われるが、紅大介には「やや荷が重かった」。もし、会長・紅あきらが大介に替わり、大介が「ダメの山」を演じたら、舞台の景色は大きく変わっていただろう、結城一家親分、駒蔵、お蔦の風情が格別だっただけに、またまた残念な結果に終わってしまった、などと身勝手なことを考えながら、帰路に就いた次第である。



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2023-12-16

劇団素描・「劇団紅」・《芝居「吉良の仁吉」の音曲模様》

【劇団紅】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 この劇団の特長は、人情劇、人間模様の描出にある。総座長・紅大介の魅力はどちらかといえば「女形」、立ち役でも、どちらかといえば「つっころばし」または藤山寛美もどきの「三枚目」の風情が格別だと、私は思う。武張った侍芝居、侠気の極道芝居となると、やや迫力不足の感は否めない。本日、芝居の外題は、御存知「吉良の仁吉」。あまりにも有名な任侠劇だけに、はたしてどのような舞台模様になるか、興味津々で開幕を待った。配役は吉良の仁吉に総座長・紅大介、その恋女房・お菊に紅このみ、神戸の長吉に紅新太郎(?確証はない)、それとも紅秀吉(?)、次郎長一家・桶屋鬼吉に紅悠介、小政に紅めぐみ(?確証はない)、安濃徳次郎に大倉扇雀、その食客・角井門之助に後見・見城たかし、といった面々でまず申し分ない。だが開幕前の一瞬、不安がよぎった。この芝居に必要不可欠な音曲・「吉良の仁吉」(歌・美ち奴、詞・萩原四郎、曲・山下五郎)が流れるかどうか。それが叶わなくても、せめて「任侠吉良港」(歌・島津亜矢、詞・曲・村沢良介)ぐらいは・・・、と思ううちに幕は開いたのだが、ナナ、ナント!、流れてきたのは「ひまわりの約束」(歌、詞、曲・秦基博)であったとは、思わず私は瞑目して頭を垂れた。やんぬるかな、「どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに 自分より悲しむから つらいのかどうかわからなくなるよ ガラクタだったはずの今日が ふたりなら宝物になる そばにいたいよ君のために出来ることが僕にあるかな いつも君に ずっと君に笑っていてほしくて ひまわりのような まっすぐな その優しさを 温もりを全部 これからは僕も届けていきたい・・・」と言われても、《君》は「お菊」、断じて「ひまわり」ではないのである。以後の「芝居」の展開に瑕疵はなく、ことのほか見事な出来映えだっただけに、誠に残念である。ちなみに、必須の音曲「吉良の仁吉」、(原曲・美ち奴の音源が「音質不良」なら杉良太郎のカバー曲もあるではないか)は以下の通り。「海道名物数あれど 三河音頭に打ち太鼓 ちょいと太田の仁吉どん 後ろ姿の粋なこと 吉良の港はおぼろ月 泣けば乱れる黒髪の 赤い手柄も痛ましや お菊十八恋女房 引くに引かれぬ意地の道 止めてくれるな名がすたる いやな渡世の一本刀 辛い別離をなぜきらぬ 嫁と呼ばれてまだ三月 ほんに儚い夢のあと 行かせともなや荒神山へ 行けば血の雨涙雨」。また、次善の「任侠吉良港」だって以下の通り。「雨にあじさい風にはすすき 俺にゃ似合いの裏街道 赤い夕映えこの胸に 抱いてやりたい花一輪 合わす両手にほろりと涙 お菊十八 お菊十八恋女房 なるになれねえ渡世じゃないか 意地と情けの板ばさみ 別れ盃交わす夜は そっと心で詫びている 行かにゃならない荒神山へ 男涙の 男涙の離縁状 惚れたお菊に背中を向けて 野菊片手に散り急ぐ 夫婦暮らしも束の間の たった三月の恋女房 義理を通した白刃の舞に 波もざわめく 波もざわめく吉良港」。この芝居の眼目は「行かせともなや荒神山へ」というお菊の心情と「行かにゃならない荒神山へ」という仁吉の心意気が綯い交ぜにされた、男女の「不条理」なのだ。もし、これらの音曲が一幕各景の其処此処に挿入されていたなら、国宝級の名舞台になっていたに違いない。それにしても、紅このみの恋女房、「ひまわりの約束」をしたばっかりに「ガラクタのイモ姉ちゃんになってしまったか・・・」などと、身勝手、不謹慎な妄想・偏見を抱きつつ、帰路に就いた次第である。ゴメンナサイ。(無礼をお許しください) 



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2023-12-12

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「瞼の母」、会長・紅あきらの「油断」》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は、大衆演劇の定番「瞼の母」。この芝居をどのように演じるか、それで「劇団の実力が決まる」と、私は思っている。開幕まで時間があったので、私は配役を考えた。番場の忠太郎・紅大介、水熊のお浜・紅あきら、お登世・紅このみ、夜鷹おとら・大倉扇雀、素盲金五郎・見城たかし、板前・紅秀吉、素浪人用心棒・紅悠介。そして主題曲は「瞼の母」(京山幸枝若、島津亜矢、杉良太郎、中村美律子)又は浪曲(二葉百合子、中村富士夫)・・・。しかし、その予想は見事に外れたのである。開演前のアナウンス「紅あきら主演・・・」そうだったのか。では、お浜は誰がやる・・・?などと思ううちに幕が開いた。一景は料亭・水熊の店先。今しも夜鷹・おとらが店内に入ろうとしてつまみ出された。つまみ出した板前は、後見・見城たかし、おとらは大倉扇雀・・・。被り物を取ったおとらの顔を見て板前「ややっ、お前は夜鷹のおとら!」「ふん、そう言うところをみると、お前さん、私の客だったんだね」「バ、バ、バカを言うな」というやりとりが魅力的だった。さすがはベテラン同士!「こんな汚ねえ婆に用はない、とっとと消え失せろ」と突き飛ばそうとすれば、「待て!」と言って、番場の忠太郎の会長・紅あきら颯爽と登場。「おばあさん、怪我はなかったかい」「ハイ、ありがとうございました」と語り合う。歳のこと、倅のこと、故郷のことを聞き出すうちに、忠太郎は水熊の女将が江州出身であることを突き止めた。「久しぶりに人間扱いされた。これから倅の墓参りにまいります」と感謝するおとらに忠太郎は小判を与え、「そんな商売から身を洗って、これからはのり商いでもはじめなせえ」と優しく送り出した。「ありがとうございます」と何度も頭を下げながら退場するおとらの姿は絶品、この絡みを見聞できただけでも望外の幸せであった。私がこれまでに観たおとらの中では群を抜いた舞台姿であったと思う。それにしても、この大倉扇雀という役者はただものではない。女将、女親分、老婆はもとより、侠客、侍、老爺などの立ち役までも、「声音を変えて」見事にこなす。あの名人・喜多川志保に勝るとも劣らない実力の持ち主であることを、私は思い知らされたのであって。(さぞかし、舞踊ショー舞姿も艶やかであろう)そのおとらを見送った後、忠太郎、逡巡しながらも意を決して水熊屋に飛び込んで行ったのだが・・・。二景の景色を見て、私の力は一気に脱けてしまった。何と、何と、お浜を演じるのは総座長・紅大介であったとは!、・・・それはないでしょう。大介が「精一杯」お浜を演じていただけに、このミス・キャストは残念でならない。どう考えても、父親が息子に向かって「おっかさん!」と叫ぶ姿は不自然である。それを「芸の力」で補うのが役者の宿命(真髄)であったとしても、もし忠太郎を演じるのが秀吉であったなら、私は十分にうなずける。しかし、紅あきらは同魂会会長を務める大御所である。貫禄が違うのである。紅あきらが「おっかさん!」と言って胸を借りられるのは大倉扇雀をおいて他にはあるまいに。かくて、本日の舞台は、紅あきらの「独断的」独壇場、「一人芝居」に終わってしまった、と私は思う。いうまでもなく、芝居は一人ではできない。その一人を支える相手役との呼吸、さらには脇役陣とのチームワークが不可欠なのである。紅あきらの演技力がどれだけ素晴らしいものであったとしても、一人だけでは「空回り」、その素晴らしさが半減してしまうのである。本日の主題曲も、私の予想に大きく反して「百年の恋」(歌・三浦和人、詞・伊藤薫、曲・三浦和人)であった。詠っていわく「もしもできるものなら ふる雨になり あなたの眠りにつく 窓に流れてみたい 思うだけで切ない あなたのことは・・・」。そう言われても、この舞台の「あなた」は母親であって「恋人」ではないのである。配役のミス・キャスト同様に、「性愛」と「母性愛」を混同したミス・マッチとしか私には思えない。この選曲もまた、会長・紅あきらの「独断」によるものかもしれない。「独断」はリーダーとしての魅力を存分に発揮することも多いが、時として「油断」につながる虞もあるので、くれぐれも御注意を!、などと身勝手なことを考えてしまった。
 第二部・舞踊ショー、大倉扇雀の舞姿を一目拝みたかったが、出番はなかった。



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2023-12-03

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「佐渡情話」「いいってことよ」の舞台模様》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年10月公演・小岩湯宴ランド〉
昼の部、芝居の外題は「佐渡情話」。佐渡で料理屋を営む老父(大倉扇雀)は嫁のお光(紅このみ)と二人暮らし、息子の甚太郎(同魂会会長・紅あきら)は祝言の直前に、突然、姿をくらませた。以来、三年三月が経過したが甚太郎からの便りはない。老父の弟(後見・見城たかし)がやってきてお光の縁談話を持ち込んだが、お光は「私は甚太郎さんの嫁、今さら他の人に嫁ぐ気持ちはありません」と断った。それを聞いて老父も安堵したが、実を言えば、お光には、柏崎の商人・吾作(座長・紅秀吉)という恋人がいる。周囲の人たちも、うすうす感づいてはいたが、表沙汰にはならなかった。さて、島はまもなくおけさ祭り、吾作は柏崎へ帰る日が来た。吾作はお光に「一緒に柏崎へ戻ろう」と誘うが、お光はどうしても従えない。そんな折も折り、甚太郎が島に帰ってきた。船着き場で二人の「逢瀬」を目撃した甚太郎、もとはといえば、お光に横恋慕した代官の息子(?)と刃傷沙汰、その廉で身を隠していたのだが・・・、お光と吾作のために「身を引く」ことを決意する。居合わせた女スリ(紅ちあき)と仮の夫婦約束して実家に乗り込む。帰宅するなり、お光に対する「愛想づかし」をかまして追い払う、といった筋書きで、まさに男女の「不条理」を眼目にした「情話」(悲劇)の典型であった。総座長・紅大介の「出番」といえば、「おけさ踊り」の踊り手のみという粋な演出、大詰めは、追い払ったお光の姿を一目見ようと、必死に目をこらす甚太郎の「何ともやるせない」姿で幕切れとなったが、「今ひとつ」情感の描出が足りなかった、と私は思う。その理由①、お光と吾作の「絡み」が淡泊すぎた、②背景の音曲が「韓国ドラマ」風で、私の琴線に触れなかった、③配役は甚太郎に紅大介、老父に紅あきら、お光に紅ちあき、女スリに紅このみ、踊り手に大倉扇雀または見城たかし、であってもよかった。などと身勝手なことを考えてしまった。昼の部、舞踊ショーのラストは「太鼓ショー」、劇団総勢が大小さまざまな太鼓を打ち鳴らす景色は圧巻、一糸乱れぬ振る舞いと寸分違わぬ「呼吸の妙」を存分に堪能することができた、感謝。
 夜の部、芝居の外題は「いいってことよ」。御存知「忠治山形屋」の「紅版」とでもいえようか。冒頭、幕が上がると、そこは忠治を匿っている一家の内、しかし親分(見城たかし)は病身で子分は次々といなくなり、今では二人ほどになってしまった。その一人(紅秀吉?、悠介?)に親分いわく「おれはもう一家をたたんで堅気になろうと思う。お前も故郷に帰って親孝行してみたらどうか」。子分「あっしは親分に命をささげておりやす。どうか、今まで通りおそばにおいてやってください」「ありがとよ、しかしなあ」と逡巡する親分に、子分がそっと耳打ちする。「あの忠治をお上に差し出せば報奨金がたっぷり入るのでは・・」、親分一瞬迷った素振りを見せたが、頷いて「じゃあ(密告しに)行ってこい」。勇んで立ち去ろうとする子分を「待て」と呼び止め、戻って来た子分を抱きしめたと思うや、問答無用で刺殺した。「・・・どうして?」と子分は息絶えたが、そこに颯爽と現れたのは国定忠治、一部始終を見聞していたのであろう。「お見苦しいところをお見せしました」と平伏する親分に忠治一言「可愛いお身内衆の命を絶ってまで、この忠治を守ってくださった。この御恩は生涯忘れることはござんせん」と言って立ち去った。後に残った親分、子分の亡骸を抱きしめ慟哭する、その景色は「屏風絵」のように見事であった。この芝居、序幕の一景だけで十二分に見応えがあった、と私は思う。以後の展開はお決まりの「忠治山形屋」。配役は百姓に大倉扇雀、その娘に紅このみ、山形屋藤造に紅あきら、姐御に紅ちあき、子分衆に紅悠介、紅新太郎・・・、といった面々で、十分に楽しめた。とりわけ、忠治に扮した総座長・紅大介が百姓爺に向かっていう一言の決まり文句「いいってことよ」の調子(一発芸)が鮮烈で、笑いが止まらなかった。欲を言えば、忠治の風情は紅あきらの方が「数段上」、大介が藤造役に回った方がいいのでは、などとまたまた身勝手なことを考えてしまった。
 この劇団、先月のみのりの湯柏健康センターでの公演を終えて、今月は小岩にやってきた。関東の常連客に、その実力・真髄・魅力のほどをどこまで披露できるか、大いに期待しつつ帰路に就いた次第である。



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2023-10-11

劇団素描・「劇団新生紅」・《座長・紅大介の「魅力」と名優・見城たかし》

【劇団 新生紅】(座長・紅大介)〈平成22年4月公演・大衆劇場仏生山・香川〉
この劇団の舞台は初見聞だが、座員の中に名優・見城たかしがいる。数年前には、「劇団翔龍」(座長・春川ふじお)の後見として活躍していたが「引退」、惜しい役者がまた一人減ったと思いきや、文字通り「新生紅」という劇団で不死鳥のように蘇った。当時、柏健康センターみのりの湯で観た女形舞踊「哀愁海峡」(唄・扇ひろ子)は今でも私の脳裏の中に焼き付いて離れない。その姿を「ぜひもう一度観たい」と、はるばる四国までやってきた次第である。劇場は琴電仏生山駅から徒歩2分、古い街道筋に建っていたが、景色は「倉庫」然、壁に貼り付けられたポスターと垣に掲げられた「幟」が、わずかに「旅役者」の存在を感じさせる風情であった。開演までまだ1時間あったので、近くの「大衆食堂」でビールでも飲もうと、ガラス戸を開けて驚いた。二つ、三つあるテーブルは満席、中高年の女性ばかりで酒宴が展開している。そのほとんどが(店の女主人も含めて)、これから旅芝居を観るための「景気づけ」(時間待ち)を行っていたのだ。私も同好の士、「これからお芝居に行きます」というと、やっと女主人の表情がほぐれ、割安の前売り券まで提供してくれた。前の老女のコップが空になったので、私は自分のビールを注ぎながら、「見城たかしさん、出ていますか」と尋ねたが、反応は今ひとつ、「ねえ、誰か見城たかしって知っとるか」しばらくの沈黙ののち、「知っとるよ、あの歌のうまい役者やろ」と応えた御仁はわずかに一人きりであった。女主人いわく「みんな、早く飲んで、終わりにしてえな。私も6時前に店閉めて、芝居見物や・・・」なんとも楽しい雰囲気であった。6時開演。芝居の外題は「伊太郎夫婦笠」。筋書きはたいそう面白く、魚屋・伊太郎夫婦(座長・紅大介、ベテラン女優・紅ちあき)が、若いカップル(紅ひろし?、紅このみ)の面倒を見たばっかりに、仲違いをしてしまうというお話。若いカップル、わけありで土地の親分(見城たかし)から追われる身、でもその親分の風情が敵役でありながら「憎めない」、いわゆる「軽妙洒脱」の典型とでもいおいうか、芸風としては「関東風」、それを九州勢のサラブレッド(大川四兄弟、紅あきらの実子)が受けて止めるといった「絡み具合」が、何とも魅力的であった。なるほど、「劇団新生紅」には関東勢の名優・見城たかしが加わることによって、大川龍昇、椿裕二、大川竜之助とは「ひと味違った」舞台を創出していたのであった。魚屋伊太郎、はずみで親分を殺害、子分衆(代貸・紅ともや?)に追及されているさなか、なぜか魚屋一家から火の手が上がった。暗闇の中、必死で脱出しようとする魚屋夫婦と若いカップル、しかしお互いに逃げ出す相手を取り違えた。若いカップルの男は伊太郎の女房、魚屋は若いカップルの女とともに脱出したが、双方は「消息不明」のまま1年が経過。魚屋亭主の方は「健全に」連れ合いを探し歩いたが、女房の方はまさに「不健全」、夫婦同様の生活をしていたことが判明、「お前さん、あの火事で死んでしまったと人づてに聞いたから・・・」という女房の弁明が白々しい。若いカップルの方は何故か「関係を修復」もとの鞘に収まったが、魚屋夫婦の場合、そうは問屋がおろさない。必死で謝る女房を相手に、「どうしてよいものやら」苦渋の表情で終幕を迎えた座長の舞台姿がなんとも魅力的。眼目は「不条理」、こんなことがあっていいものだろうか、おれは絶対に許さないと言いながら、心底ではその許せない相手を必要としている自分、その「矛盾」をどうすることもできない「もどかしさ」を鮮やかに描出した舞台であった。座長・紅大介はまだ弱冠二十歳代、でもその「実力」は、叔父・椿裕二、伯父・大川竜之助に「勝るとも劣らない」、と私は思う。
 さて、舞踊ショーの一幕、「大衆食堂」でビールを補給した相手の老女が、いつのまにか私の座席に近づき、返礼であろうか「干菓子」「おつまみ類」をプレゼントしてくれた。登場する役者の舞台には「無反応」(拍手をしない)の状態が続いていたが、見城たかしの舞台だけは違って、私に話しかける。「この人、誰や?座長のお父さんか?全然、踊りが違う。大したもんや。ええなあ・・・」といって目を細める。私は「これが見城たかしさんですよ。私は、この役者を観るために来たんですよ」と言ったつもりだが、その真意が伝わったかどうかはわからない。でも、このおばあさん、「いいとこ、見とるやんけえ。あんたの目えは、節穴やない。おおきに、ありがとさん」と心の中で呟きながら帰路についた次第である。
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2023-07-02

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「芸者の里」の名舞台》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年9月公演・みのりの湯柏健康センター〉
 昼の部、芝居の外題は「影の光」。ある飯場で働く土方の「義兄弟」譚である。兄貴分の新吉(同魂会会長・紅あきら)は、仕事は人の二、三倍働けるが、酒好き、博打好き、女好きで「日にち毎日」二日酔い状態だが、親方(後見・見城たかし)の娘・お艶(紅ちあき?)から慕われている。弟分の留吉(座長・紅大介)は見るからに三枚目(藤山寛美もどき)で頼りないが、これまでこつこつと働いて貯めた大金・300万円を腹巻きの中に秘めている。また、お艶に惚れ込んでおり、今日も今日とて「プレゼント」(紙袋)を抱え、プロポーズにやって来た。お艶に袋の中身を訊かれ「化粧品や。あんたの肌は荒れておる。これを使ってきれいになんなはれ」「へええ、いくらしたの?」「八個で8千円や」「ナーーンだ。私はいつも一個で8千円のものを使っているんや」「ふーん、それにしては皺だらけや」といった楽屋ネタで笑わせる。詰まるところ、「チューして!」などと追い回し、思い切り振られてしまった。代わって、新吉登場。留吉が300万円、貯めていることに驚いたが、相好を崩して「3万円貸して!」と頼む姿は天下一品、たまらなく魅力的であった。舞台は一転、百姓の五郎(座長・紅秀吉)、お種(紅美咲?)の若夫婦が思案に暮れている。五郎「町内会費280万円を紛失してしまった。死んで詫びるほかはない。淀川に飛び込むので、後はよろしく頼む」と言えば、お種「あんたが死ぬなら、あたしも死ぬ!」その様子を見ていた新吉、「大変だ!助けなければ。でも命は救えても、おれは280万円など持っていない・・・」そこにふらふらとやって来た留吉を見つけると、「おい、大変だ!あの若夫婦が心中しようとしている。280万円なくしたそうや。お前の300万円で助けてやれ」「・・・・」とまどう留吉に向かって「金なら、なくなってもまた作れる。命はなくなったらもう取り戻せないんやぞ」と説得する。かくて、新吉、若夫婦を助け、この美談は新聞記事にもなったが、留吉のことについてはⅠ行も書かれていない。飯場の仲間たちが新吉を褒めそやす様子を見て、我慢できなかった。「そんなもん、嘘っぱちや」と新聞紙を破り捨てた。親方も登場して留吉の振る舞いを責め立てたが、真相を知っているのは新吉一人、一同に打ち明けて、舞台は大詰めへ・・・。「おれが悪かった。お前とは義兄弟、詫びる証に何でも望みを叶えてやる。遠慮しないで言ってくれ!」留吉、欣然として「そうか!ほんならお艶ちゃんをオレに譲ってくれ!」。思わず絶句、苦渋に満ちた新吉が「そればかりは、叶えられない」。「やっぱりな!」、いいんだ、いいんだ言ってみただけやがな・・・、という思いを込めて、「これからは、兄貴を頼らず、一本立ちせなあかんのや」と新天地に旅立つ留吉の姿は、凜々しく輝いて見えた。この舞台、親子で「義兄弟」を演じる絶妙の「呼吸」の中に、所々「楽屋ネタ」も散りばめられて、文字通り「浪速の人情芝居」の面白さを十分に堪能できた次第である。夜の部、芝居の外題は「芸者の里」。昼の部とは打って変わって、侍が登場する「人情悲劇」であった。主人公は芸者・梅千代(総座長・紅大介)、どこか気品のある若者・新さん(座長・紅秀吉)とは恋仲・・・。家では新さんが、今か今かと梅千代の帰りを待っている。やっと帰って来ると、楽しい四方山話が始まった。「新さん、私、このごろ酸っぱいものが食べたくなった」「じゃあ、夏みかんでも買ってこようか」「そうじゃない、見るものも見なくなったの」「芝居でも観にいこうか」「違う、できちゃったのよ」といったやりとりの定番で客を笑わせる。「そうか、ヤヤができたのか。それはよかった。これからは、私もしっかりとがんばるよ」という様子を見て、梅千代「いやだは新さん、お侍みたい」と呟いた。「お風呂にでも行ってくれば・・、松の湯はだめ、芸者の客が多いから、竹の湯もだめ、番台に美人の女将さんが座っているから。そうだ、みのりの湯がいい!あそこオバサンばかりだから」というやりとりに、オバサンたちは拍手喝采、客との「呼吸合わせ」も絶妙であった。新さん、「では、風呂に行って来よう。でも一つ約束、これからはお酒を飲んでくれるなよ、大事な体にさわるから」「わかったよ」と梅千代が送り出せば、颯爽とした旅姿の侍(見城たかし)登場。「御免!」と言って梅千代宅を訪れた。「わしは立花一馬という者、折り入って頼み事がある。何にも言わぬ、この家に居る新さんという若者と別れて貰いたい」。突然の申し出に驚いた梅千代、事情を聞けば、新さんは、実は青山伊織という名で、大名三千石・青山家の嫡男であった。大殿と衝突して家を出たが、今、大殿は病に倒れ重篤の身、このままではお家断絶、若君を連れ戻して跡目を継いで頂かねばならぬ由・・・・。「お断りします。・・・私のお腹には新さんの子が宿っております」「そうであったか、では、やむを得ぬ。この場を借りて切腹いたす。大殿に対して申し訳が立たない」「・・・待ってください!」梅千代の表情は一瞬に凍りついたが、しかし、あきらめなければならない・・・、しだいに、崩れ、大粒の涙が頬を伝う。背後には「なぜ巡り会うのかを 私達は何にも知らない いつめぐりあうのかを私達はいつもしらない ここにいたの ここにきたの…」(「糸」)という中島みゆきの名曲も流れて、愛の不条理が見事に描出された。一息あって、「わかりました。別れ話は私に任せてください」と一馬を帰す。やがて、帰宅した新さんに「心ならずも」の愛想づかし、あおっていた酒まで浴びせかけて絶縁した。「新さん、悔しかったら立派な男になって仕返しにおいで!」一年後、舞台は梅千代の(母の)里へと移る。村人たちは「お千代が子どもを連れて帰ってきた」という噂でもちきりだった。母(大倉扇雀)は外聞が悪いと困惑の表情だが、たご作(紅友也?)やおなべ(紅なるみ?)を相手に「与太話」をする余裕もあった。そこに、いきなり黒紋付きの侍が二人登場、家の奥にいたお千代を引きずり出して来る。お千代には芸者の風情は失せ、すっかり百姓女になりさがっていた。そこに豪華絢爛な衣装を纏った青山伊織があらわれ「過日の恨み晴らしに来た。手打ちにいたす!」居合わせた母は仰天したが、お千代「立派なお姿になりましたね、どうぞご存分に成敗してください」と手を合わせて瞑目する。母、必死に「お助けください」と懇願するところに、立花一馬「しばらくお待ちを!」と叫びながら登場、事の次第を若君に具申した。伊織、我に返って「・・・そうであったか。梅千代、すまないことをした。ヤヤは無事か」「はい、この通り」「よう、ここまで育ててくれた」と涙する。ややあって、「梅千代、わしと一緒に城に戻ってくれぬか」と誘えば、お千代、凜としていわく「ありがたいお話ですが、私が好きだったのは新さんという男です。青山伊織様には見知りはございません」。その清純な潔さが真珠のように輝いている。再び「「なぜ巡り会うのかを 私達は何にも知らない いつめぐりあうのかを私達はいつもしらない ここにいたの ここにきたの…」(「糸」)が流れるうちに舞台は閉幕となったが、この芝居の上演時間は50分、寸分の隙・無駄のない、文字通り「珠玉の名舞台」であった、と私は思う。とりわけ、総座長・紅大介の「女形」はお見事!、名優・見城たかしの武家姿と「五分に渡り合い」、女の情念を浮き彫りにする「実力」は半端ではない。容貌は「可愛らしく」「愛嬌たっぷり」だが、そこに秘められた情念は、あるときはコケティッシュ、あるときは鉄火肌、あるときは諦観、あるときは(女の)侠気へと曼荼羅のように変化する。まさに男優の「女形」でなければ描出できない景色・風情の連続に私の涙は止まらなかった。音響効果や脇役陣の彩りも添えられて、今日の舞台、「大衆演劇」の枠を大きく超えていたのではないだろうか。「紅劇団」一行様、久しぶりに、「鳥肌の立つ」舞台を観せてくれてありがとう、と感謝しつつ帰路に就いた次第である。



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2023-06-24

劇団素描・「紅劇団」《芝居「お種と仙太郎」、「旅鴉」の名舞台》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年9月公演・みのりの湯柏健康センター〉
 5日から、総座長の父・紅あきら(三代目・大川竜之介の兄)、「劇団花道」座長・司大樹らも加わって、舞台模様はより賑々しくなってきた。昼の部、芝居の外題は「お種と仙太郎」。名物住吉だんごを売る茶店の若夫婦(座長・紅秀吉、紅このみ)と姑・お岩(総座長・紅大介)をめぐる人情喜劇である。姑は愛息を嫁に奪われたという思いで、「日にち毎日」嫁いびりを繰り返しているが、そこに登場するのが二組のカップル。初めは、姑の朋輩(紅ちあき?)、姑同様に夫に死に別れたが、さっさと新しい恋人(見城たかし)を見つけて再婚、老後の春を楽しんでいる。腰の曲がりかけた二人が、手に手を取って茶店を訪れる姿、仲良くだんごをほお張る様子はことのほかほほえましく、客席は爆笑の連続であった。「いい年をして」と呆れるお岩の景色も秀逸で、舞台に隙がない。老夫婦が去った後、お岩、羨ましさの裏返しで目一杯、嫁いびりを再開する始末、その様子を目にしたのが、お岩の娘(女優・芸名不詳)が嫁いだ大店の女主人(紅あきら)、若夫婦(夫・司大樹?)を連れて住吉神社参詣の帰りに立ち寄ったらしい。「このままではいけない」。お岩の娘に向かって、「これからあなたを虐めますが、本心ではないからね」と言い含め、茶店のお岩を呼び出す。一通りの挨拶が終わると、さっそく女主人、お岩の前で娘をいびり倒した。その口調は先刻のお岩のそれと「瓜二つ」、そのたびにお岩が動揺する様子も、抱腹絶倒の場面の連続で、たいそう見応えがあった。大詰めはお岩の改心で大団円となったが、①茶店若夫婦のいちゃつきとお岩の絡み、②老夫婦の新婚模様、③女主人の嫁いびり、④大店若夫婦のいちゃつき、と若主人のつっころばし模様など、見どころは満載、笑いの渦が三段階、四段階にわたって巻き起こるといった按配で、人情喜劇の名舞台を久しぶりに堪能できた次第である。夜の部、芝居の外題は「旅鴉」。赤城山を下りた国定忠治(見城たかし)と日光円蔵(紅あきら)の物語である。国定忠治は捕らえられ「仕置き」となったが、未だに国定忠治を名乗る者が居る。「親分の名前を汚す奴はゆるさねえ」と円蔵は探し回っている途中、珍奇な若者(総座長・紅大介)に出会った。若者は「ヤクザになって男をあげたい」とある一家の賭場に出入りしたが「イカサマだ」と因縁をつけ、一家から狙われる身となった。一家連中と渡り合っている折も折り、円蔵が現れて若者を救ったという次第・・・。若者、円蔵にひれ伏して「あっしをお身内にしておくんなさい」。「・・・なるほど、いいだろう。でも条件がある」「・・・?}「国定忠治を名乗る乞食が居る。そいつを叩き斬ってこい」。なぜか、そこに、件の国定忠治、乞食連中(頭は女優・センジャク)に囲まれて飛びだして来た。お頭の握り飯を盗んだ廉で放り出された様子、円蔵を一目見るなり「お前は円蔵、久しぶりだなあ」と親しげに話しかけたが、「とんでもねえ、忠治親分はとっくにお仕置きになった。お前は偽物だ」と円蔵は取り合わなかった。しかし、真実は一つ、お仕置きになったのは、忠治の身代わりで三ツ木の文蔵、忠治は角兵衛獅子の親方に身をやつして生き延びていたというお話・・・。名優・見城たかしが演じる、尾羽打ち枯らした国定忠治の姿は、本物であるようなないような、しかし円蔵の表情・所作で「やっぱり、本物だったんだ」と納得させられる演出はお見事!、稀代の名優二人の舞台姿は「永久保存版」のように輝いていた。越後に逃げていく忠治を見送った後、円蔵、若者に向かって曰く「忠治親分のように、お前も、立派な侠客に育ててやる。ついて来い!」。途端に、若者「いえ!もうけっこうです!お断りします。私は故郷に帰って百姓になり、地道に暮らします」、思わず、ずっこける円蔵の景色の中で閉幕となった。この芝居の上演時間はわずかに50分。しかし、さればこそ、「男心に男が惚れた」「義侠」の《眼目》が鮮やかに凝縮された名舞台であった、と私は思う。さすがは「紅劇団」!、まだまだ、見極めなければならない、と大きな元気を頂いて帰路に就いたのであった。感謝。



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2023-06-16

劇団素描・「紅劇団」・《芝居「花ざくろ」の名舞台》

【紅劇団】(総座長・紅大介)〈平成27年9月公演・みのりの湯柏健康センター〉
 私がこの劇団の舞台を見聞するのは3回目である。初回は、香川県仏生山、2回目は、静岡県大井川娯楽センターであった。この劇団には、名優・見城たかしが居る。その雄姿を一目見ようと、四国、東海地方まで足を伸ばしたが、なんと今回は劇団の方から私の地元に御到来とは、望外の幸せである。昼の部は大入り満員のため舞踊ショーだけを「立ち見」するだけとなったが、どの役者の舞姿も艶やかで水準以上、劇団の実力を窺わせていた。極め付きは、やはり見城たかしの立ち舞踊「湯の町エレジー」、「ああ、初恋の君を訪ねて今宵また・・・」という一節では、彼がまだ若かりし頃の昭和40年代、さらには原曲が流行した昭和20年代がオーバーラップして、私の涙は止まらなかった。さて夜の部、芝居の外題は「花ざくろ」。松竹新喜劇の十八番である。緑樹園の植木職人・垣山三次郎(総座長・紅大介)の妻・加代(紅ちあき?)は派手好きな浮気者、緑樹園主人・高橋(見城たかし)からPRガーデンに収める大金を持ち逃げして、男の元へ・・・。三次郎の叔母、加代の叔父たちも登場して「大騒ぎ」しているが、三次郎は「加代が遊び歩くのはいつものこと、私に何かが足りないから」と一向に動じない。夫婦の仲人でもある高橋は三次郎を責めることはなかったが、帰って来た加代は平然として、謝る様子も見受けられないことに激怒、もうこの家に置いておくことはできない、夫婦ともども出て行けと宣言する。加代「ほんなら、あの人のアパートに行こ!」三次郎応えて「ほんなかて、そんな部屋に三人で住むのは狭すぎる」といったやりとりが、何とも可笑しかった。しかし、引っ越しの荷造りをしている最中に、加代は飛んできたミツバチを殺した。それまで諾々と加代に従っていた三次郎の顔色が変わる。「このミツバチが何をしたというんや」「なんや、ミツバチなんてたかが虫けらやないか。あんた、ウチとミツバチとどっちが大切なんか」「決まってるやんけ、ミツバチや!」と言うなり、箒を振りまわして加代をたたき出す。「お前なんかもう要らない、出て行け!」という豹変振りに、客席は拍手喝采。大詰めは加代の改心で大団円となった。この舞台、冒頭は後方スピーカーが断線模様、客席のざわつきで役者のセリフが聞こえづらかったが、次第に客席は静まり、舞台に惹きつけられていった。それは、今日の芝居が稀に見る「出来映え」であったことの証しである。総座長・紅大介の実力は着実に向上、見城たかしを筆頭にした脇役の実力もたしかで、屈指の「名舞台」に仕上がっていた、と私は思う。またまた「見極めたい」劇団が登場してきた、そんな思いで元気百倍、心ウキウキ帰路に就いた次第である。



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