META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団サキガケ
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2023-09-18

劇団素描・「劇団サキガケ」・《芝居「残月赤城街道」》

【劇団サキガケ】(座長・南條時宏)<平成20年3月公演・立川大衆劇場>
JR中央線・立川駅の周辺は人混みでごった返していた。大きなビルが林立し、大型量販店、ファーストフードのチェーン店などが目白押し、日曜日の夕方ということもあって、若者のグループ、家族連れが思い思いの時間を過ごしている。しかし、その雑踏は、周辺500メートルくらいで急に静まり、大通りを二本も通り過ぎると人影はまばらになる。徒歩10分、私は「Shinema St.」(米軍立川基地歓楽街の名残であろうか)と看板が掲げられている路地を右折した。人通りはほとんどなく、左右のしもた屋の中に、「焼き鳥店」「居酒屋」「熱帯魚店」「饅頭製造販売店」などが、点在する。さらに300メートルほど進み、「スナック」の角を左折すると、100メートル前方に「立川大衆劇場」という看板が見える。私がここを訪れるのは三度目、一度目は「南條駒三郎劇団」、二度目は「劇団扇也」、そして今回は「劇団サキガケ」(座長・南條時宏)の公演である。この劇団を観るのは二度目、一度目は千葉県・長柄町「和楽の郷」の劇場だった。その時、客は「大入り」、送迎バスの中の話では「芝居はうまい。特に『節劇』がいい」ということだったが、当日は夜の部の演目、路線バスの最終時刻をすぎてしまうので「観ずじまい」で終わった。「どうしても、もう一度観たい」という思いでやって来た。午後6時(開演30分前)、入場すると、客は4人だけ、開演までに4人増えたが、結局は私を含めて9人の観客にとどまった。総じて、この劇場の観客は少ない。これまで観た公演も、たしか10人未満であった。そういえば、「新演美座」の小林志津華座長が口上で話していたことを思い出す。「川崎の『大島劇場』では、連日50人のお客様を集める自信があります。しかし『立川大衆劇場』はちょっと自信がありません。あそこは、場所がわかりにくいのです。しかも、私たちの公演の時にかぎって、周辺で事件が起きる・・・。お客様の足が遠のくはずです」と冗談まじりに話していた。しかし、大衆演劇の「劇団」は、観客数が少ないからといって「手を抜く」ことはない。「劇団サキガケ」も、日曜日の特別狂言「残月赤城街道」(長丁場・三幕)を1時間30分にわたって熱演した。配役は、足利二代目親分(座長・南條時宏)、その女房(南條なほみ)、敵役親分・前橋の太平(松平涼)、その子分1(浮世しのぶ)、2(伊勢勝)、茶店の親爺(桃川千鶴)、板割の淺太郎(松平龍弥)。役者の「実力」は「水準」以上、「型どおり」の芝居を「型どおり」に見せる基礎・基本がしっかりと身についている。特に、座長が演じる足利二代目は、病み上がりの風情が秀逸、対する前橋の親分(松平涼)も、敵役でありながら「どこか憎めない」キャラクターを見事に演じていた。南條なほみの女房も「可憐」な中に「芯の強さ」を感じさせる風情、桃川千鶴も、難しい「老け役」を精一杯演じきる。浮世しのぶ、伊勢勝も「脇役」でありながら、舞台の景色の大切な「味付け」、それなりの役割を果たしていたと思う。主役に挑戦した松平龍弥(板割淺太郎)、「型どおり」の基礎・基本は十分、それに「山ごもり」に「疲れた」風情、周囲をはばかる「すごみ」、子ども好きの「やさしさ」を感じさせる「演技」が加われば、申し分ない。「『心』で演じないと、人の『心』は打てない」(「演劇グラフ・2007・8 vol74)という、座長の至言、父・松平涼の「型」と「型破り」が瞬時に錯綜する芸風(大衆演劇の至芸)を学び取れる日も、遠くないであろう。
 「歌と踊りのグランドショー」、近頃はどの劇団も「照明」「煙幕」などの舞台効果に工夫を凝らしているが、背景幕と投光だけの「簡素」な舞台は、大衆演劇の伝統、それを忠実に継承し、まさに、役者一人一人の「実力」で勝負しようとする姿勢に脱帽する。私が初めて大衆演劇を観たのは、昭和46年、場所は「千住寿劇場」であったが、当時の舞台を昨日のことのように思い出した。座長の「船頭可愛や・筏流し」、松平涼の歌唱「夜の銀狐」は「至芸」そのもの、この劇団でしか鑑賞することができない「逸品」だと思う。松平龍弥は女形舞踊(鳥取砂丘)が魅力的、立ち役でも「男の色香」が出せると申し分ない。浮世しのぶの「番場の忠太郎」は秀逸、「とんぼり人情」で「浪花男」の風情が出れば申し分ない。いずれにせよ、「酔歌」(オープニング)、「清水港のお蝶さん」(北条不二子)、「情け」(松平涼)、「おはん」(座長、桃川千鶴)、「浮かれトンビ」(南條なほみ)、涙酒(南條麻耶)、「悲しい歌はきらいですか」(桃川千鶴)などなどの舞踊は、すべて「水準」以上、せめて50人以上の「拍手」を贈りたかった。
「劇団紹介」によれば、「座長 南條時宏 昭和17(1942)年4月24日生まれ。東京都出身。血液型A型。10代で新劇の俳優養成所に入り、演劇の基本を学び、その後、不二洋子らの劇団、新国劇、TVなどさまざまな場所で経験を積む。24歳の時「長谷川信夫」の名で劇団を旗揚げ。40代半ばに南條時宏と名を改める。「役者は何でもやるべき」というポリシーを持ち、あらゆるジャンルの芸に挑戦している。また、豊富な知識と経験で多くの役者を育てている」とある。
 その中の「昭和17年生まれ(現在65歳)、東京都出身」という記述に、私は注目する。65歳でなお現役の「座長」は少ない。私が大衆演劇を観始めた頃(昭和46年)は29歳、「長谷川信夫」座長として「千住寿劇場」に出演していたかも知れない。しかし、残念ながら、私の記憶にはないのである。若葉しげるは別格としても、梅澤武生、松川友司郎、旗丈司、金井保、金井保夫、三門扇太郎らとともに、関東の「大衆演劇」を盛り上げていたのだろう。当時の舞台を見落としていたことが悔やまれる。
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(2012/02/08)
東海林太郎

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