META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 風美劇団
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2023-11-30

劇団素描・「風美劇団」・《絶品の「口上」、掘り出し物の歌唱「白雲の城」》

【風美劇団】(座長・風美涼太郎)〈平成20年10月公演・柏健康センターみのりの湯〉                                           「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 風美劇団 不二浪企画所属。平成16(2004〉年、風美翔蔵現太夫元より、二代目・風美涼太郎座長へと受け継がれる。芝居では太夫元やベテラン女優陣がしっかりと脇を固めて安定感があり、舞踊ショーでは双子の弟たちが元気に大活躍して楽しませてくれる。座長 風美涼太郎 昭和60(1985)年4月4日生まれ。血液型A型。大阪府出身。初舞台3歳。生き生きとした若手だが、落ち着いた骨太の面を併せ持ち、双子の弟である風見玄吉、永吉をはじめとする若手やベテラン座員をしっかりとまとめている注目の座長〉とある。また、キャッチフレーズは〈若き座長が大奮闘 風美涼太郎座長が、芝居に、舞踊に、体当たりの熱い舞台を見せてくれます。かわいい双子の活躍も見逃せません〉であった。芝居の外題は、昼の部「身代わり三度笠」、夜の部「菊五郎変化」。友情出演・大門力也。女優・藤経子、藤千和子。この劇団の舞台は、ほぼ1年前、同じ劇場で見聞済み。芝居、舞踊ショーは「水準並み」、どのような内容であったか思い出せない。しかし、太夫元・風美翔蔵の「口上」は天下一品であった。その「語り口」、客との「間のとり方」は絶妙で、当世のテレビ芸人など足元にも及ばない、斯界では、鹿島順一、見海堂俊と「肩を並べる」実力である。そう感じているのは私だけかと思っていたが、今日の口上によれば、なんと「口上の隠れファン」がおり、芝居、舞踊はともかく、まずは彼の「口上」を楽しみに来場する客筋が(少数ながら)存在するということで、なるほど、誰しも感じるところは同じなどと、妙に納得した次第である。例えば、どんなところが「天下一品」なのか。まずは、型通り、劇団グッズを紹介。座長が登場しているビデオについて、〈先日行われた座長大会の舞台が収録されております。そうそうたるメンバーで、まずは風美涼太郎、瀬川伸太郎、澤村章太郎、旗丈司、龍千明・・・、松平健、杉良太郎、北島三郎・・・〉、いつのまのか、登場してもいない役者名を口走って、平然としている。そのあと、お茶、ハンカチ、貯金箱などの値段を紹介、「これらの品物をお買い上げ頂いた場合、その売上げの一部は、目の不自由な方、耳の不自由な方、寝たきりの方などなどを支援している福祉団体に寄付させていただくことはありません。すべてを劇団の収入とさせていただきます。何しろ、去年買った車のローンがまだ終わってないもんで・・・」というあたりが、何とも正直で、すがすがしい。聞く人にとっては「不見識」と思うかも知れない。しかし、「寄付できる状態なら、もちろん寄付します。でも、今はまだ、その余裕がないのです」という思いが察しられ、私は許容できる。事実、客の中には車椅子、杖を使って来場した高齢者が少なくなかった。彼らに素晴らしい舞台をプレゼント、「元気」と「生きる喜び」を「寄付」していることは間違いないのだから・・・。
 さて、眼目の「芝居」と「唄と踊りのグランドショー」。1年前に比べて、役者の「実力」は着実に向上している。特に、風美永吉・玄吉の双子兄弟はまだ14歳、懸命に努力・精進して、舞台姿が、「絵になりつつある」。永吉は「女形」「二枚目」、玄吉は「立ち役」「三枚目」という二枚看板を目指して頑張ってもらいたい。座長は、相変わらずの「芸達者」、客との「呼吸」もピッタリで、「二枚目半」の芸風に磨きが掛かれば、太夫元の「口上」を超えることができるのではないか。女優・藤経子、藤千和子の「実力」は折り紙付き、大衆演劇の伝統を踏まえた芸風は、しっかりと「脇を固めている」。
 今日一番の「掘り出し物」は、若手・風美登志也の歌唱「白雲の城」であった。観客の全員が「拍手」(そんなことはめったにない)。出来栄えは、氷川きよしをはるかに超えていたからである。

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2023-11-11

劇団素描・「風美劇団」・《芝居「かんちがい」・太夫元・風美翔蔵、「御乱調」の原因》

【風美劇団】(座長・風美涼二郎)〈平成24年5月公演・みのりの湯柏健康センター〉
芝居の外題は「かんちがい」。私は、この演目をおよそ3年前(平成21年6月)、東洋健康センター(福島)で見聞している。その時の感想は以下の通りであった。〈芝居の外題は「かんちがい」、筋書きはいたって単純。ある大店(材木問屋)のお嬢さんが、出入りの植木職人(座長)に一目惚れ、そしてお決まりの恋煩い・・・。やむなく母親(藤千和子)が職人に直接談判、「婿入りして跡目を継いでくれないか」という話、「いえ、お嬢さんとわたしでは身分が違います」と固辞する職人、その謙虚さに、「ますます気に入りました、私の方が一緒になりたい」などと強引に口説かれ、職人はとうとう承諾する羽目に・・・。「ただし一つ条件があります。私にとってはただ一人の身内、ちょっと足りない兄貴(太夫元・風美翔蔵)の許可をもらってください」「わかりました、雑作もないこと」と母親は、すぐさま職人の兄(もまた植木職人)を呼び出して、同じように談判。「家の娘が職人さんに恋をしましてね。」「なるほど、職人といえば板前ですか?」「いいえ」「じゃあ大工ですか」「いいえ、それがね。植木屋さんなんです。恋煩い同然で夜も日も明けない様子、その人を婿にして跡目を継がせたいと思います」「なるほど、よーくわかりました。でも、あっしには女房が一人いる。いやいやかまいません、あんなカカアとは別れても、お嬢さんを幸せにしてみせますよ」ということで、まさにとんだ「かんちがい」物語(時代人情喜劇)であった。見所は「ちょっと足りない」兄の「すっとぼけた」風情(風美翔蔵独特のえもわれぬユーモア、知的な「三枚目」とでもいおうか)に加えて、その女房(藤経子)との「絡み」も絶妙、女房は女房で、かつての「東京漫才・内海好江」然(色香が加わるだけ本物より上)として、十二分に見応えのある舞台であった、と私は思う。ところで、この藤経子という女優、ただ者ではない。斯界では、若水照代を筆頭に、市川恵子、冨士美智子、大日向きよみ、大日向皐扇、大川町子、三花れい、おおみ悠、藤乃かな、愛京花、都ゆかり、笑川美佳、富士野竜花、春日舞子、長谷川桜・・・等々「魅力的な」女優の数ある中で、「一と言われて二と下らない」実力の持ち主である、と私は見た。一方、その夫(太夫元)・風美翔蔵の「芸風」は、学生演劇の軽演劇といった「域」を出るものではなく、いわば、書生っぽい(青臭い)インテリと、泥臭い旅芸人の「対決」とでも言おうか、その絶妙なコントラストが、(他の劇団には見られない)独特の景色・風情を醸し出しており、そこらあたりがこの劇団の特長ではないだろうか。(以下略)〉さて、今日の舞台の出来映えや如何?残念ながら、往時の興趣は失せていた。とりわけ、肝心要の太夫元・風美翔蔵に精彩が感じられない。彼はまだ50歳半ば、老いる境でもあるまいに・・・、などと思いながら観ていたが、はたとその原因に思いついた。いつもと違ったのは、大店の母親役・藤千和子の方にあったのだ。本来なら〈母親は、すぐさま職人の兄(もまた植木職人)を呼び出して、同じように談判。「家の娘が職人さんに恋をしましてね。」「なるほど、職人といえば板前ですか?」「いいえ」「じゃあ大工ですか」「いいえ、それがね。植木屋さんなんです。恋煩い同然で夜も日も明けない様子、その人を婿にして跡目を継がせたいと思います」「なるほど、よーくわかりました。でも、あっしには女房が一人いる。いやいやかまいません、あんなカカアとは別れても、お嬢さんを幸せにしてみせますよ」〉という「やりとり」になるはずであったが、今日の藤千和子は(なぜか)「家の娘が《植木職人》さんに恋をしましてね」と言ってしまったのだ。結果、風美翔蔵の「職人と言えば板前ですか」「大工ですか」という「突っ込み」(セリフ)が封殺され、「かんちがい」の景色を描出する(彼独特の)「間合い」(呼吸)が狂ったに違いない。舞台に誠実な彼は、以後(二景で)、なんとか修復を試みようとするのだが、思うに任せない。最前列の客が「居眠り」をしていることまで気にかかり、妻女・藤経子との(絶妙の)「絡み」も不発に終わった。「喜劇」と銘打っている限り、「笑いをとらなければ・・・」という焦りがあったかどうかはともかく、「意味不明」のギャグを乱発気味で、妻女に「何言ってるんだかさっぱりわからないよ」と突っ込まれ、「オレだって、よくわからない」と応える始末、舞台の景色は完全に毀れてしまったという次第・・・。まさに「舞台は水物」、一瞬の狂いによって、すべてが破綻するという典型的な事例であった、と私は思う。とりわけ、大黒柱・風美翔蔵が「御乱調」とあっては、相手役の藤経子、座長・風美涼太郎には「なすすべもなく」、歯噛みする思いで大詰めを迎えたに違いない。とはいえ、「弘法も筆の誤り」「猿も木から落ちる」のが世の常、「こんな時もあらあな」「明日は明日の風が吹く」「ケセラセラ」と憂さ晴らし、(ゲンをなおおして)心機一転、舞台に精進していただきたい。
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2023-10-30

劇団素描・「風美劇団」・《芝居「江戸の世噺し」の面白さ》

【風美劇団】(座長・風美涼太郎)・〈平成22年5月公演・千代田ラドン温泉 芝居の外題は「江戸の世噺し」。この芝居は、太夫元・風美翔蔵が書いた「戯曲集」にも載っている。帯の広告では「別れた夫婦のファンタジーロマン」と肩書きされていた。配役は夫、かざり職人・常造に座長・風美涼太郎、別れた女房・おきみに藤千和子、天神一家・代貸しに風美玄吉、若衆・吉松に風美永吉、オカマの釜八に太夫元・風美翔蔵、駿河屋二番番頭・清吉に藤経子といった面々で、たいそう面白かった。筋書は単純、博奕狂いが昂じて1年前に離縁した女房が、夫に相談事。何かと思えば、新しい亭主をもちたいとのこと、相手は薬種問屋の二番番頭で、女房が勤める居酒屋に通い、なにかと「優しい言葉」をかけてくれるという。夫にとって何の異存もなかったが、天神一家の若衆の話によれば、その二番番頭は「とんだ食わせ物」。「寄せ場破りの辰伍郎」と「二つ名のある悪党」だったのだ。甘言を弄して、女房を宿場女郎に売り飛ばそうとしていることが判明、夫・常造は身を賭して、元女房を救おうとする人情噺である。どちらかといえば「悲劇的」「不条理的」な空気が漂う舞台だが、そこに「彩り」を添えるのが、オカマの釜八。文字通り「真っ赤っかの」女物衣装、頭は「つるっぱげ」といった「いでたち」で、えもいわれぬ風情を醸し出す。清吉と渡り合って手傷を負った常造の手当をしようと酒を調達、消毒をしようと口に含んだまでは良かったが、それをゴクリと飲んでしまった。お次は常造の顔に吹きかける。そして曰く「ああ~ごめんなさい。どうしましょう。あたし、気が動転しているもんだから。ほんと、ごめんなさいね。早く、早く、手当をしないと・・・。もう無いじゃないのこれ。あら、やだわァ、どうしましょう。ちょいと誰か、誰かいないの、これ、お代わり!」などという場面では、笑いが止まらなかった。この酒を口に含んで吹き掛ける所作は、常造が代貸し、吉松、清吉と「渡り合う」場面でも、代貸し、吉松に対して繰り返される。本来なら天神一家の連中がオカマ如きに「舐められてたまるか」といきり立って当然。だがしかし、太夫元の「お父さん」のすること、黙って辛抱するしかない、「やれやれ」と思いながら、それとなく懐から手ぬぐいを出して顔を拭く様子が、何ともほほえましく、さて次はいよいよ清吉(太夫元の妻。藤経子)の番だと観客一同(私)期待して見守ったが、さすがは風美翔蔵、「後が怖い」と思ったか、「お役人様あ・・・」などと叫びながら逐電する始末であった。この劇団、両親と息子3人、それに叔母を合わせた6人が、「夫婦」、「敵」「味方」に分かれて作り上げる「大衆演劇ならでは」の舞台で、まさに「表」と「裏」双方を同時に楽しめるといった趣向が、たいそう魅力的である。(永吉、玄吉兄弟の成長もめざましい)芝居の眼目は「別れた夫婦のファンタジーロマン」、まだ独身(?)、25歳の座長が、大詰め、博奕狂いの自分に愛想が尽き「たった一人のその身内、女房にさえも見放され、・・・土地のヤクザに囲まれて、袋だたきのこの有り様、誰をうらむことじゃねえ、天に唾すりや、そのまんま、自分のその身に振り懸かる、罰が当たっただけの事、自業自得たぁこの事だ」と吐く名台詞に、相応(年輪)の「風情」が加わるのには、今少し「時間が必要」、でも将来が「楽しみ、楽しみ」と感じつつ、岩盤浴でリフレッシュ、折から激しくなった雨足の中を、元気いっぱい帰路についた次第である。
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2023-08-17

劇団素描・「風美劇団」・《芝居「弥太郎時雨笠」&「芦田の佐太郎」の舞台模様》

【風美劇団】(座長・風美涼太郎)〈平成26年8月公演・みのりの湯柏健康センター〉
この劇団は、(太夫元の)父・風美翔蔵、母・藤経子、(座長の)長男・風美涼太郎(29歳)、次男・風美永吉(20歳)、三男・風美玄吉(20歳)に加え、藤千和子、風美健介、藤淳子、(子役)晴輝らが集結する「ファミリー劇団」である。私はこれまでに芝居「かんちがい」「江戸の世噺し」「姥捨て山」などの名舞台を見聞してきたが、それらの舞台模様は翔蔵、経子、涼太郎、千和子の「実力」によって支えられていた。しかし、今や永吉・玄吉の双子の兄弟が成人し、舞台の中心を占めつつある。事実、太夫元・翔蔵の(芝居の)出番は昼の部まで、夜の部の主役、相手役は永吉、玄吉が務めているほどであった。まさに「月日のたつのは早い」ものである。昼の部、芝居の外題は「弥太郎時雨笠」。筋書きは明解、「風美版・瞼の母」といった景色で、幼い時、迷子で「生き別れ」になってしまった大店の一人息子・弥太郎(座長・風美涼太郎)は旅鴉、偶然通りかかったのが生家の前、折しも大店の養子(藤軽子)が土地のヤクザ(風美翔蔵)に挑みかかり、返り討ちにあってしまった。その窮地を救ったのが弥太郎という展開で、大店の女主人(藤千和子)、娘(風美永吉)と弥太郎の「絡み」は「瞼の母」に「生き写し」・・・、座長・風美涼太郎の舞台姿には、いっそうの「貫禄」が加わり、見応えのある場面の連続であった。さらに見どころは、殺された養子の葬儀に訪れた導師(風美翔蔵)の剽軽な風情、位牌を前にして「南無妙法蓮華経」と唱えはじめるや「祓いたまえ、清めたまえ、コンコン様、主・イエスのもとで安らかに、アーメン、そーめん、ひやそうめん、南無阿弥陀仏、ナンマンダム・・・」、仏教、神道、キリスト教、入り乱れての読経に客席は大爆笑、導師少しも動ぜず、差し出されたお布施を手にすると「これはいかん」と言いながら胴巻きから釣り銭を返す始末。その飄々とした姿は、風美翔蔵ならではの景色で、たいそう魅力的であった。閉幕後の口上にも翔蔵が登場。「今日は何の日ですか。レディスデー?・・・レディ?は どこに?」「明日は冠二郎さんが特別出演してくれます。14日は北島三郎さんが・・・」と言いかけて客席一同が「ええ~っ!」とざわめくと「出演しません。へへへへ。でも私は北島三郎のことをよ~く知っておりますよ。ええ、でも北島さんは私のことを全く知りません、へへへへ」「さて、グッズの販売です。このタオル、どうですか。座長の名前入りです。1本千円です。原価は373円ですが・・・。月に売れるのは3~4本でしょうか。お客さんが買った後、忘れていくことがあります。そんな時は、またビニール袋に入れ替えて売ります。皆さん、もしこのタオルが落ちているのを見つけたら、ただちに劇団まで届けて下さい」翔蔵が一言いうたびに客席は抱腹絶倒、久しぶりに絶品の口上を堪能できたことは、望外の幸せであった。休憩時、喫煙室にいると妙齢の女性客が「こんばんわ」と話しかけてきた。「お芝居、よく見ますか?」「はい、よく見ます」「私は今日で2度目ですが、本当に面白い。こんなに楽しいなんて知らなかった。大笑いするだけで元気になりますよね」「そうですね」「毎日、見に来ようかしら、でも遠いからなあ。毎日だと飽きるかもね」「そうですね・・・」。夜の部、芝居の外題は「遊侠一匹・芦田の佐太郎」。水呑百姓の与吉(風美玄吉)は、恋女房・お妙(藤千和子)が肺の病に冒され、その治療代を算段するために、天神一家の「賭場荒らし」を決行。しかし一家の若い衆・繁蔵(藤軽子)に見咎められ、腕一本切り落とされそうになったが、そこに(客人の)芦田の佐太郎(風美玄吉)登場。「よしなせえ、堅気の衆のしたことだ」と止められたが、繁蔵は収まらない。「では、あっしが身代わりになりましょう」「ようし、やってやる」という所に一家親分・正五郎(座長・風美凉太郎)が颯爽と登場。その温情で与吉は許され、30両の治療代まで恵まれた。しかし、その30両が仇となって、お妙は繁蔵に殺され、逆上した与吉が佐太郎を「女房の仇」と間違えて刺殺するというお話である。眼目は与吉とお妙の「夫婦愛」、正五郎と佐太郎の「義侠心」といったところか。この劇団の芝居は、「台本」がしっかりしている。そのセリフ回しを聞いているだけで十分に感動できるのだが、双子の兄弟・永吉、玄吉の(一途な)「懸命」の演技が、それに拍車をかけるといった按配で、私の涙は止まらなかった。喫煙室の女性客、前列に陣取って、夜の部の舞台も「食い入るように」見つめていたが、その胸中やいかに・・・、私は今日もまた(飽きることなく)大きな元気を頂いて帰路に就いたのであった。
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2023-05-16

劇団素描・「風美劇団」・《芝居「かんちがい」・(太夫元)風美翔蔵と藤経子は絶妙の喜劇コンビ》

【風美劇団】(座長・風美涼太郎)〈平成21年6月公演・東洋健康センター〉                                       芝居の外題は「かんちがい」、筋書きはいたって単純。ある大店(材木問屋)のお嬢さんが、出入りの植木職人(座長)に一目惚れ、そしてお決まりの恋煩い・・・。やむなく母親(藤千和子)が職人に直接談判、「婿入りして跡目を継いでくれないか」という話、「いえ、お嬢さんとわたしでは身分が違います」と固辞する職人、その謙虚さに、「ますます気に入りました、私の方が一緒になりたい」などと強引に口説かれ、職人はとうとう承諾する羽目に・・・。「ただし一つ条件があります。私にとってはただ一人の身内、ちょっと足りない兄貴(太夫元・風美翔蔵)の許可をもらってください」「わかりました、雑作もないこと」と母親は、すぐさま職人の兄(もまた植木職人)を呼び出して、同じように談判。「家の娘が職人さんに恋をしましてね。」「なるほど、職人といえば板前ですか?」「いいえ」「じゃあ大工ですか」「いいえ、それがね。植木屋さんなんです。恋煩い同然で夜も日も明けない様子、その人を婿にして跡目を継がせたいと思います」「なるほど、よーくわかりました。でも、あっしには女房が一人いる。いやいやかまいません、あんなカカアとは別れても、お嬢さんを幸せにしてみせますよ」ということで、まさにとんだ「かんちがい」物語(時代人情喜劇)であった。見所は「ちょっと足りない」兄の「すっとぼけた」風情(風美翔蔵独特のえもわれぬユーモア、知的な「三枚目」とでもいおうか)に加えて、その女房(藤経子?)との「絡み」も絶妙、女房は女房で、かつての「東京漫才・内海好江」然(色香が加わるだけ本物より上)として、十二分に見応えのある舞台であった、と私は思う。ところで、この藤経子という女優、ただ者ではない。斯界では、若水照代を筆頭に、市川恵子、冨士美智子、大日向きよみ、大日向皐扇、大川町子、三花れい、おおみ悠、藤乃かな、愛京花、都ゆかり、笑川美佳、富士野竜花、春日舞子、長谷川桜・・・等々「魅力的な」女優の数ある中で、「一と言われて二と下らない」実力の持ち主である、と私は見た。一方、その夫(太夫元)・風美翔蔵の「芸風」は、学生演劇の軽演劇といった「域」を出るものではなく、いわば、書生っぽい(青臭い)インテリと、泥臭い旅芸人の「対決」とでも言おうか、その絶妙なコントラストが、(他の劇団には見られない)独特の景色・風情を醸し出しており、そこらあたりがこの劇団の特長ではないだろうか。したがって、その特長を際だたせるためにも、「口上」は従来通り、太夫元・風美翔蔵が担当すべきであろう。その話術は「天下一品」、斯界に限らず、寄席の漫談家、テレビ芸人など足元にも及ばない「至芸」だと太鼓判が押せる。そのあたりを劇団の特長として強調することが将来の見通しを明るくする、と私は信じて疑わない。
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2023-05-13

劇団素描・「風美劇団」・《芝居「姥捨山」は「大スペクタクル」》

【風美劇団】(座長・風美涼太郎)〈平成22年3月公演・柏健康センターみのりの湯〉

この劇団の太夫元・風美翔蔵は斯界でも異色(貴重)な存在である、と私は思う。彼の略歴は以下の通りである。〈昭和33(1958)年5月18日生まれ。静岡県出身。血液型A型。地元の高校を卒業後大学入学の為上京。わずか数ヶ月で中退後、新宿コマ劇場にて床山修業に入る。かたわら大衆演劇に出入りするようになり、平成2(1990)年岐阜県郡上八幡にて演劇集団・大江戸新喜劇を旗上げ初代座長として活動を開始。平成6(1994)年新たに風美劇団とし涼太郎を二代目に据える。斬新かつ奇抜なオリジナリティーな舞台作りをするもテーマを常に心とし、舞台を離れた私生活においても双子の永吉・玄吉をはじめ後進の指導にあたる日夜奮闘する。戦うオヤジである〉(「風美翔蔵 戯曲集」イング出版・2007年)舞台の景色をを記録したDVDを制作・市販している劇団は珍しくないが、戯曲集を出版するなどは皆無、帯の紹介にも「大衆演劇界“初”の戯曲集が単行本に」と銘打たれている。今日の芝居は、そこに収録されている特選狂言、外題は「風美版姥捨て山」であった。定番通り貧村の百姓が老母を「山に捨てに行く」悲話かと思いきや、なんと、母思いの百姓・与吉(座長・風美涼太郎)と老母・おしも(藤千和子?)が1年後に「再会」を果たすという筋書で、まさに「斬新かつ奇抜でオリジナリティー」溢れる舞台であった。とりわけ、再会の手引きをする旅僧・金寛(太夫元・風美翔蔵)の風情が絶品。およそ大衆演劇臭さのない容貌で、「棒立ち」「棒ゼリフ」のまま観客を惹きつける。金寛の説教、仏道の根本を述べながら「南無阿弥陀仏、弥陀の呼び声、世は無情、真実は常に真実として、ゆるぎない心の動くそのままに、今こそその地へ行くがいい。成せばなる、成さねばならぬ、何事も。梨は木になり、茄子は畑になるもんじゃ。天は人の上で人を作り、人の下で人を作る。後からもなお作る。心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に届かない。ガマ口に金がなければ、どんなに旨い食い物も、自分の口には届かない。親の心、子知らず、ねずみの心、猫いらず・・・」といった調子が、よどみなく続く。台詞を聞いているだけで「抱腹絶倒」は間違いなし、その飄々とした語り口は「至芸」に値する。芝居の眼目は「母と子の奇跡の絆」、その絆が今でも結ばれている(老母は生きている)」ことを、金寛の「棒ゼリフ」が暗示する。キーワードは「通じておるぞう、ぞうのう、うみねこ、こ、こぐま、ま、まんとひひ、ひ、ひよこ、こ、こまどり、り!」という謎かけの「しりとり」問答。与吉「り!」と問いかけられて、「り?リス」とすかさず答えたのを聞き、(御名答!の鈴を鳴らして)「通じておる。通じておる。・・・」と繰り返すあたりは名場面。その「絡み」がなんとも可笑しかったが、一方、常に「心」(愛)をテーマにした舞台に出会え、なぜか涙が止まらなかった。圧巻は、大詰め、老母が捨てられた野面あたりであろうか、耳をつんざく大音響、閃光とともに、暗転、「2001年宇宙の旅」のBGMの中、気がつけば巨大なUFOが出現する。(セシル・B・デミルばりの大スペクタクル映画を鑑賞している心地であった)その扉が開いて老母・おしもがタラップから降りてくる。なるほど、1年半前、姥捨て山・千神の谷で、このおしもを救出したのは、21世紀初頭のUFOだったのか。そのハッピーエンドに心底から納得、元気いっぱいで帰路についた次第である。
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