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2023-01-09

役者点描・三代目鹿島順一、「座長」の《試練》

《本日、座長・三代目鹿島順一さんの訃報を目にしました。謹んでお悔やみ申し上げます。》(2018.5.28)

 三代目鹿島順一が座長を襲名して1年が経過した。彼は、平成3(1991)年生まれ、まだ(今年10月で)弱冠二十歳の若座長である。私が、彼の舞台を初見聞したのは5年前(彼が16歳の頃)であった。その時の感想(寸評)は以下の通りである。〈舞踊の「基礎・基本」が確実に身についている。楷書的な「芸風」は見事 の一語に尽きる。観客は、誠実、真摯な舞台姿に感動する。今後は、少しずつ「力を抜く」ことが必要、ただし油断すると楷書がデタラメになるおそれがあるので細心の注意をしなければならない。楷書から行書、行書から草書への「道のり」は容易ではないが、その「力」は秘められている。客の歌声にあわせて踊った「人生桜」、障害のある娘役を演じた「演技力」が、そのことを証明している。*ライバルに、南條影虎、恋川純、早乙女太一がいる〉。当時の組舞踊は、蛇々丸、花道あきら、春大吉に混じって踊ることが多かった。それぞれが、それぞれの個性を発揮して、見応えのある(芸達者な)舞台を展開していたが、中でも一際目立つのが三代目虎順(現・三代目鹿島順一)であった。前述した「楷書的な」所作のみならず、その表情(眼光)、息づかいに渾身の力が込められており、ただならぬ「霊気」を発していたからである。その後の経過の中でも、誠実、真摯な舞台姿は一貫して変わらず、加えて、少しずつ「力が抜け」、よりきめ細かな景色・風情が描出できるようになってきた、と私は思う。彼の「当たり芸」は、舞踊では何と言っても「忠義ざくら」(歌・三門順子)が一番であろう。(流刑地に赴く)後醍醐天皇の無念さ、それを想う忠臣・児島高徳の心情が、その舞姿の中に、いとも鮮やかに結晶化されている。斯界に数ある個人舞踊の中でも、文字通り「珠玉の名品」であることを、私は疑わない。さらには、父・甲斐文太の歌声にのせて踊る「蟹工船」、笹川一家の用心棒・平手御酒に扮した「大利根無情」(歌・三波春夫)なども、その男臭い、とはいえ品格を落とさない風情が「絶品」だと、私は思う。また、芝居では、「心模様」・ムショ帰りの弟、「悲恋夫婦橋」の検事、「越中山中母恋鴉」の旅鴉、「浜松情話」の三下奴、「仇討ち絵巻・女装男子」の若様、「里恋峠」の更科三之助、「大江戸裏話・三人芝居」の遊び人、「春木の女」の妹娘・お妙、「月夜の一文銭」の牙次郎、「マリア観音」の半次郎・・・等々は、三代目鹿島順一でなければならない「はまり役」である。斯界同世代の役者連、橘龍丸、恋川純、南條影虎、龍新、早乙女太一らと比べても、「心情」「情感」の表現力においては、群を抜いている。とはいえ、それはこれまでの話、これからは座長としての「試練」が待っているのだ。父・甲斐文太も18歳で座長になったが、劇団は9年後に解散、ホテルの「宴会芸」を皮切りに、他の劇団での「下積み」を9年間も経験している。その苦労があればこそ、今日あるような数々の「名舞台」を築きあげることができたのだ。その財産をどのように継承・発展させていくか。すでにもうこの1年で、(おそらく「兄さん」と慕っていた)蛇々丸、春大吉たちが劇団を抜けて行った。その穴をどう埋めるか。また、新人、赤銅誠、幼紅葉、壬剣天音をどのように育てるか・・・等々、課題は山積していると思われるが、彼のモットーは「全身全霊」、もちまえの「温もり」と「誠実さ」で、必ずや「三代目時代」を構築できるだろう、と私は確信している。その前兆は、「新版・長ドス仁義」、敵役は、蛇々丸に代わって甲斐文太、主人公・花道あきらの朋輩は、春大吉に代わって幼紅葉、みずからは甲斐文太に代わって親分役、また「源太時雨」では、みずからが、春大吉に代わって主役・源太、敵役が蛇々丸に代わって甲斐文太・・・、といった「配役の妙」で、これまで以上の舞台を作り上げているのだから・・・。大切なことは座員のチームワーク、いつでも、どこでも、だれでもが、「どんな役でもこなせる」ように精進し続ける「団結力」であろう。終わりに蛇足(余計な素人判断)を付け加えれば、「紺屋と高雄」の鼻欠けおかつ(赤胴誠)、「関取千両幟」の新門辰五郎(三代目鹿島順一)は、まだ蛇々丸に及ばない。「命の架け橋」の大岡越前守(三代目鹿島順一)は甲斐文太に及ばない。また、、「大江戸裏話・三人芝居」の老爺(蛇々丸)、「心模様」の兄貴(蛇々丸)、「春木の女」の「つっころばし」(蛇々丸)、「命の架け橋」の主役・重罪人(春大吉)、「アヒルの子」の間借り人(蛇々丸)等々は、誰がやる・・・? 責任者・甲斐文太、母・春日舞子なら「造作もない」話だが、同じ場面での「二役」は不可能・・・、さてさてどうするか。といったところが当面の「課題」と言えようか。一日も早く、それらの外題が舞台に乗ることを、私は(無責任にも)小躍りして待っているのだ。ほぼ半年前、責任者・甲斐文太曰く、〈告知します。去年は蛇々丸、今年は大吉が辞めました。まぁ何が有ろうと、三代目座長襲名して、まだ一年にも満たぬ半年目ですが、残ったみんなで頑張ります。どうぞ応援宜しくお願い申し上げます。2011/01/04(火)17:08〉(かしま会ホームページ・「おしらせ」)。OK!何があっても「鹿島順一劇団」は不滅なのだ。祈る健闘!がんばれ!そんな気持ちを込めて、この駄文を結びたい。(2011.6.10)



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2022-06-13

役者点描・名優・甲斐文太の真骨頂は「滅びの美学」

大衆演劇のファンは全国に2万人ほどいると思われるが、その中で「甲斐文太」という役者を知っている人が何人いるだろうか。100人に満たないことは間違いないだろう。2010年5月まで「鹿島順一劇団」の座長として劇団を率いていたが、50歳半ばで座長を長男の「虎順」(現・三代目鹿島順一)に譲り、現在は劇団の責任者を務めている。私が彼の舞台を初めて見聞したのは、今から5年前(2007年11月)、劇場は「みのりの湯柏健康センター」(千葉県)であった。当時の「劇団紹介」(演劇グラフ)には、以下のように記されている。〈お見事!技で魅せます、華麗なステージ。芝居、舞踊、歌と三拍子そろった鹿島順一劇団の舞台。ピリッと筋の通った芸は見応え十分です。プロフィール鹿島順一劇団:演友会所属。昭和48(1973)年創立。劇団名は、父である初代鹿島順一が、武道の守護神である鹿島神社にちなんで命名。一生懸命をモットーに、全員が力を合わせて作り上げる明るい舞台が魅力。座長・鹿島順一 昭和30(1955〉年生まれ。和歌山県出身。血液型AB型。本格的な初舞台は17歳。幅広い役柄を巧みに演じ、演目のレパートリーは100を超える。鹿島虎順は長男。〉舞台の景色・風情は「劇団紹介」の内容と寸分違わぬ有様で、「140余りある劇団の中で、私が最も愛好する劇団」となってしまった。これまでに私は「梅澤武生劇団」の面々(梅澤武生、梅澤富美男、梅沢智也、梅沢修、辻野耕輔、河野栄治、長島雄次、市川吉丸、坂東多喜之助ら)を皮切りに、深水志津夫、金井保・金井保夫、長谷川正二郎、林友廣、見海堂駿、若葉しげる、見城たかし、旗丈司、松川友司郎、桂木日出夫、山口正夫、五月直次郎、高峰調士、龍千明、里見要次郎、大日向満、沢竜二、玄海竜二、葵好太郎、樋口次郎、かつき昇二郎、美里英二、大川龍昇、南條隆、紀伊国屋章太郎、市川千章、都城太郎、浪花三之介、白富士京弥、森川凜太郎、新川博之、松丸家弁太郎、梅田英太郎、大道寺はじめ、三河家扇弥、初代・姫川竜之助、東雲長次郎、杉九州男、寿美英二、澤村新吾、筑紫桃太郎、片岡長次郎、市川市二郎、みやま昇吾、等々「実力者」の舞台を数多く見聞してきたが、「甲斐文太」の「実力」と「魅力」は彼らと比べて「優るとも劣らない」(一と言って二と下らない)代物である、と私は思う。5年前、私は甲斐文太(当時は座長・鹿島順一)について以下のように感想を述べた。「①座長・鹿島順一が登場しただけで、舞台はピリッと引き締まり、牡丹の花が咲いたようになる。瑞々しい男の立ち姿、上品な女の艶姿が、えもいわれぬ澄み切った色香を漂わせる。かつての映画スター・長谷川一夫、高田浩吉を足して二で割ったような風貌・芸風で、芝居・舞踊・歌唱とも斯界の第一人者と思われる。②芝居における「間のとり方」「力の抜き方」、舞踊における「体の動きの線」のあでやかさ、歌唱における「めりはり」のつけ方において、右に出る者はいない。「演劇グラフ」の案内にあるように、「芝居、舞踊、歌と三拍子そろった」名優である。*近江飛龍は「力の抜き方」において及ばない。舞踊では、見城たかし、南條光貴が迫っているが、「男」踊りでは及ばない。歌唱では、見海堂 駿が迫っている。③客の人気に迎合することなく、淡々と、しかも華麗な舞台を創り続けている姿には敬服する。(座員一同は)座長を筆頭に、やや「控えめ」、「力を溜めた」演技が魅力的である。「女形舞踊」を「安売り」することなく、「男」踊りの色香に賭けようとする演出は心憎いばかりである。」以来、5年が経過したが、その想いは全く変わらない。「甲斐文太」の《至芸》を数え上げればきりがない。芝居では「春木の女」のトラ、「噂の女」のまんちゃん、「浜松情話」の老爺、「三人芝居」の老婆、「心模様」の姑、「アヒルの子」の大家、「マリア観音」の安倍豊後守、「命の架け橋」の大岡越前守、「忠治御用旅」の国定忠治、「里恋峠」の更科一家親分、「三浦屋孫次郎」の飯岡一家用心棒、「木曽節三度笠」の鮫一家親分又は喜太郎、「越中山中母恋鴉」の旅鴉、「紺屋高尾」の久造、「人生花舞台」の老優又は清水次郎長、「関取千両幟」の関取稲川、「悲恋夫婦橋」の幇間、「仇討ち絵巻・女装男子」の家老又は敵役、「月とすっぽん」の平太郎、「新月桂川」、千鳥の安太郎・・・等々、舞踊では、「安宅の松風」(三波春夫)、「弥太郎笠」(鶴田浩二)、「ど阿呆浪花華」(金田たつえ)、「浪花しぐれ『桂春団冶』」(京山幸枝若)、「瞼の母」(二葉百合子)、「大利根無情」(三波春夫)、「刃傷松の廊下」(唄・鹿島順一)に始まる「忠臣蔵」の立花左近、俵星玄蕃、「人生劇場」(村田英雄)の吉良常・・・等々、歌唱では「瞼の母」(京山幸枝若版)、「無法松の一生」「男はつらいよ」「よさこい慕情」「恋あざみ」「明日の詩」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「東京レイン」「雪国」「ああ いい女」「北の蛍」・・・等々、文字通り「幅広い役柄を巧みにこなす」。しかも、その「巧みさ」は単なる小手先の芸にあらず、「ピリット筋の通った芸」であり、その口跡、表情、姿、歌声の数々は、は観客(私)の心中に、じわじわと染みわたって、消えることがないのである。それかあらぬか、「甲斐文太」は決してその《至芸》を記録に残そうとしないのだ。まさに「お見事!」という他はない。《至芸》は生の舞台が勝負、臨席した観客との「呼吸」で決まることを彼は熟知している。「甲斐文太」の《至芸》は「その場」でしか観ることができない、「滅びの美学」なのである。彼は「世の無常」を知っている。「身の程」も知っている。「みんな儚い水の泡」であることを知っている。《至芸》の源泉は、おそらく彼の「出自」に由来するであろう、また、これまでの(順風でなかった)「生業体験」が彼の芸域の広さを支えているのであろう。さらに言えば、「座長」としての「実力」(貫禄)も半端ではない。おのれは脇役・敵役に徹し、常に座員を引き立てる。「うちの座員はみんな個性的です。好き嫌いはあると思いますが、どうか平等に拍手をおくってやってください」。そんな心遣いに育まれてか、藤千之丞(現「三条すすむ劇団」)、蛇々丸(現「浪花劇団」)、春大吉(現「おおみ劇団」)らの座員が、「名優」の足跡をのこして旅立っていった。蓋し、座員の面々は「甲斐文太」とともにある(同じ舞台を踏んでいる)限り、誰でも「名優」になれるのである。妻女の春日舞子、重鎮の梅之枝健、長男の三代目鹿島順一、今やベテランとなった花道あきらはもとより、若手の赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉、新入りの滝裕二,壬剣天音に至るまで、(本人の自覚・精進がありさえすれば)、みな等しくその「可能性」を秘めているのである。また、「甲斐文太」は、座長時代の口上で述べていた。「役者は舞台が命です。どうか舞台の私を観てください。化粧落とせばただの人。スッピンの私に気づくお客様はほとんどいません」。その裏には、「舞台を下りれば五分と五分、客にへつらう(迎合する・媚びる)必要などあるものか」といった心意気が感じられ、私は心底から納得・感動する。斯界の通例は「客の送り出し」サービス、そこで愛想を振りまくことが「人気」のバロメーターになっているようだが、そんなことには全く無頓着、加えて「客の入り」(観客動員数)など歯牙にも掛けずに舞台を務める「気っ風」が、彼の「滅びの美学」を確固と支えているに違いないのである。(2011.5.30)



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2022-06-11

役者点描・女優・三河家諒、「変幻自在」の《三拍子》

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2022-06-10

役者点描・春大吉・《さらば大吉、グッド・ラック!》

「かしま会」ホームページの「お知らせ」に以下の記事が載った。〈〔甲斐文太〕【告知します】去年は蛇々丸、今年は大吉が辞めました。まあ何が有ろうと、三代目座長襲名して、まだ一年にも満たぬ半年目ですが、残ったみんなで頑張ります。どうぞ応援宜しくお願い申し上げます〉(2011.1.4)。また、春大吉の妻女・おおみ美梨も自身のブログで以下のように述べている。〈私の旦那 春大吉は今日で鹿島劇団を退団いたしました。本人の希望としては6月いっぱいまではと志願したそうですが、結果今日までとなりました。この先、色々あると思いますが、頑張っていきますので、よろしくお願いします。また何かありましたらご報告させていただきます〉(2011.1.4)。劇団にとって役者の離合集散は日常茶飯事だが、それにしても、今さらながら「怨みますまいこの世のことは、仕掛け花火に似た命、燃えて散る間に舞台が変わる、まして女はなおさらに 意地も人情も浮世にゃ勝てぬ みんなはかない水の泡沫 泣いちゃならぬと言いつつ泣いて 月に崩れる影法師」(「明治一代女」・作詞・藤田まさと)という謳い文句が、実感としてしみじみと想起される出来事であった。
「鹿島順一劇団」を見聞以来足かけ4年、当初、私は春大吉について以下のように寸評した。〈・春大吉:「源太時雨」は熱演。「セリフ回し」では、声量を「調節」することが肝要。ワイヤレスマイクを通してスピーカーから出る自分の声を「聞く」余裕が欲しい。「身のこなし」ひとつで「心」は表現できる。立ち位置、姿勢、目線の使い方など、座長の「技」を盗んで欲しい。「ボケ」から「つっこみ」への瞬時の「変化」、「静」と「動」の使い分けに期待する。「女形舞踊」は魅力的、自信を持ってよい〉。今、それらの課題を一つ一つ克服、見事な成長を遂げた「舞台姿」をもう観ることができないのか・・・。「命の架け橋」の主役・重罪人、「源太時雨」の主役・時雨の源太は言うに及ばず、「悲恋夫婦橋」、「浜松情話」「アヒルの子」の女形、「新月桂川」「里恋峠」「木曽節三度笠」の敵役、「心模様」の老け役、「人生花舞台」の花形役等々、数え上げればきりがない。舞踊でも個人では中性的な風情を通し続け、また組舞踊では「忠臣蔵」の浅野内匠頭、杉野十兵次、「人生劇場」の宮川、三代目座長とのコミカルな女形相舞踊等々、私の脳裏にはしっかりと焼き付いている。それもこれも、責任者・甲斐文太並びに名女優・春日舞子の薫陶の賜物であることは間違いあるまい。さて、「この先、色々ある」かどうか、これまでに培った「宝物」を糧にして、大きく羽ばたいてもらいたい。さらば、大吉!、グッド・ラック!!(2011.1.6)



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2022-06-09

役者点描・春日舞子・《名女優の極め付きは「ああ いい女」》

私が初めて「鹿島順一劇団」の舞台を見聞したのは、今から5年前(平成19年11月)、みのりの湯柏健康センター(千葉県)であった。客席はまばらで、芝居の流れも単調で、盛り上がりに欠け、その外題すら憶えていないというような有様であったが、ただ一点、「眼を開いたまま」盲目の女房を演じる、たいそう達者な女優がいることだけが、印象に残った。それゆえ、1回の見聞だけでは見限れず、その後も劇場に足を運ぶことになったが、なぜか11月公演の中盤から、舞台の景色は一変、「春木の女」「噂の女」「浜松情話」と、立て続けに「超一級品」の芝居を「見せつけられた」のには、恐れ入った。「この劇団はただものではない。大衆演劇界はもとより、大歌舞伎、新派、新劇、新喜劇、商業演劇・・・等々の大舞台と比べて、《優るとも劣らない》実力がある」ことを思い知ったのであった。これまで、大衆演劇といえば、芝居よりも舞踊の方に私の関心は惹きつけられていたのだが、「鹿島順一劇団」の芝居を見聞後は、私自身も一変した。「なるほど、こんなにいい芝居もあったんだ!」以来、「春陽座」「三河家劇団」「近江飛龍劇団」「樋口次郎一座」「劇団花車」「南條隆とスーパー兄弟」「沢竜二一座」「玄海竜二一座」「新川劇団」「大川竜之助劇団」「藤間智太郎劇団」「橘菊太郎劇団」「劇団朱雀」「劇団翔龍」「劇団颯」「劇団京弥」「橘小竜丸劇団」「都若丸劇団」、「見海堂駿&座笑泰夢」「劇団武る」「剣戟はる駒座」「劇団花吹雪」・・・等々、90余りの舞台(芝居)を見聞、みなそれぞれに「色が違い」、おのがじし「珠玉」の名舞台を展開していることを確認した次第である。なかでも、「鹿島順一劇団」の「芝居」の《出来栄え》は群を抜いていた。なぜなら「眼を開いたまま」盲目の女房を演じる、たいそう達者な女優、すなわち、(責任者・甲斐文太の妻女)春日舞子の存在が大きいからである。(事実、私が初見聞の時、印象に残ったのは、彼女の舞台姿だけであった)後になって分かったことだが、私が初めて見聞したあの芝居の外題は、「会津の小鉄」だったのだ。春日舞子の芸風を一言でいえば「楷書風」、《凜として》という形容は彼女のためにあるようなものである。芸域は広く、「会津の小鉄」の女房、「悲恋夫婦橋」の芸者、「マリア観音」の母親、「仇討ち絵巻・女装男子」の腰元、「春木の女」漁師の娘、「噂の女」の主人公、「命の架け橋」の老母、「忠治御用旅」、子分の女房、「心模様」、医者の嫁、「月とすっぽん」の下女・・・等々の「女役」は言うに及ばず、「黒髪道中・縁結び三五郎」の情夫、「幻八九三」の子分衆など「立ち役」までも器用にこなす。外題は思い出せないが、髭を生やした町医者を演じて「あっは、あっは、あっはー」と高笑いしながら退場していく姿も、私の目に焼き付いている。要するに「何でもござれ」といった懐の深さ、つねに焦点となってキリリと舞台を引き締める「実力」は半端ではないのだ。色香漂う芸者から、武家の腰元、野放図な漁師娘、ヤクザの姐御、神田明神の岡っ引き、弟の犠牲になって苦界に身を沈め淫売女と蔑まれる姉、信仰厚い盲目の老母・・・等々に至るまで、ありとあらゆる「女性像」を心情豊かに描出する。その舞台姿は、若水照代、富士美智子、白富士龍子、辰巳龍子、市川恵子、峰そのえ、北條寿美子・・・等々、斯界の実力者の中に入っても引けを取らず、松竹町子、藤経子、都ゆかり、富士野竜花、秋よう子、小月きよみ、深水つかさ、南條小竜、愛京花、大日向皐扇・・・等々、綺羅星の如く居並ぶ、人気女優陣の中でも、ひときわ光彩を放っている、と私は思う。肩を並べているのは三河家諒、葉山京香。大ベテラン、名人級の喜多川志保には「今一歩」及ばない、というところであろうか。「演劇グラフ」(2007年2月号)の情報によれば、春日舞子の初舞台は19歳、出自は役者の家系とも思われないが、よくぞここまでこられた、と感服する。夫・甲斐文太は同誌のインタビュー記事で以下のように語っている。〈(18歳で劇団を旗揚げして9年後)、劇団を解散されますが、きっかけは何だったんでしょうか?:親父がガンで亡くなって、まもなく僕が急性肝炎で倒れたんです。それから入院することが多くなり、これ以上迷惑はかけられないと考え、福井県の釜風呂温泉での公演を最後に劇団を解散しました。解散後、夫婦二人で北陸にあるホテルに専属で入れていただいて、宴会などの時に二人で踊らせてもらって、昼間は嫁(春日舞子)がホテルにある喫茶店で働かせてもらったりしていました。本当にこの時はお世話になりましたね。「芸は身を助ける」とはこういう事だと初めて思い知らされました〉。劇団再結成は平成3(1991)年だから、それまでの9年間は、そうした下積みの生活が続いたに違いない。なるほど、その時の「苦労」こそが、今の舞台模様に結実化していることを、私は心底から納得する。極め付きは、舞踊ショーの一場面、歌唱は甲斐文太、舞は春日舞子で、曲目は「ああ いい女」(詞・星野哲郎、曲・叶弦大)であろうか。その景色・風情には、北陸のホテル専属時代、「宴会などの時に二人で踊らせて」もらった舞台模様が、いとも鮮やかに浮き彫りされて、お見事!。どん底、地獄を見てきた者だけが契り合える(夫婦の)「絆」が、その歌唱と舞の中に「美しく綾なされ」、観客(私)は往時と現在の景色を二重写しに堪能できるのである。〈汽車は別れを告げたのに 愛はこれから始発駅 このままひとり帰したならば 他の男にだまされそうな うしろ姿で悩ませる 少しみだれた みだれた ああいい女〉という甲斐文太の歌声と、春日舞子の舞姿は、今でも私の脳裏にしっかりと刻み込まれている。感謝。(2011.6.8)



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2022-06-06

役者点描・名優・花道あきらは《一羽の鴉》

鹿島順一劇団」の役者、花道あきらは、昭和40(1965)年6月25日生まれ(宮崎県出身。血液型A型)、まもなく46歳になろうとしている。文字通り(油ののりきった)「男盛り」、今や劇団の中で「なくてはならない」存在となった。かつては、蛇々丸、春大吉と並んで、劇団の「三羽鴉」と見受けられたが、他の二人は新天地に飛び去り、今では、三代目座長・鹿島順一を支えなければならない「一羽の鴉」になってしまったのである。とはいえ、彼の「気性」「人柄」「芸風」には、ただならぬ《誠実さ》が感じられ、一羽で三羽分の「役割」を果たすであろうことは間違いない。5年前(平成19年11月)、私は彼の舞台を初見聞して、以下のように寸評した。〈「力を抜いた」演技に徹することが肝要。「つっこみ」から「ボケ」への瞬時の「変化」、「敵役」「汚れ役」にも期待する。「女形舞踊」は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉。当時は、「力みすぎ」「一本調子」な口跡、所作が目立ち、観ている方が疲れてしまう雰囲気であったが、昨今の舞台では「力が抜け」、自然体で「飄々」とした演技が、彼独特のユニークな景色を描出している。主役では「三浦屋孫次郎」、「長ドス仁義」の三下奴、「月夜の一文銭」の嵯次郎、「浜松情話」の嫁探し親分、「花の喧嘩場状」の二代目親分・・・等々、を演じ、その「誠実で一途な」風情が、客(私)の心を温める。敵役では、「命の架け橋」の十手持ち、「里恋峠」の川向こう一家親分、「新月桂川」の蝮の権太・権次、「忠治御用旅」の役人、「仇討ち絵巻・女装男子」のスケベ侍、「悲恋夫婦橋」の成金・・・等々、悪は悪でも、どこか憎めない空気が漂う。敵役とは言えないが、「木曽節三度笠」、喜太郎の義兄、「噂の女」の弟のような、身勝手で他人の気持ちなど考えようともしない人物を演じさせたら、彼の右に出る者はいないのではないか。「噂の女」では、それまで他人の噂を信じ、旅役者と駆け落ちしたとばかり思っていた姉が、実は、自分の病気治療代を調達するために身売りしたことを知って号泣、そのあと、黙って姉の草履に着いた泥をぬぐう姿は、いつまでも私の目に焼き付いて離れない。
脇役では、「春木の女」の大店店主・慎太郎、「人生花舞台」の次郎長親分、「あひるの子」の社長、「マリア観音」の岡っ引き、「恋の辻占」の時次郎・・・等々、またまた「人情味」溢れる景色を描出、ほんのちょい役でも「心模様」の巡査、「関取千両幟」序幕の芸者姿で、舞台に色を添えている。まさに、劇団では「なくてはならない」存在になるまで、精進・成長した《証し》であろう。蓋し、「お見事!」と言う他はない。ことの真偽はともかくとして、劇団責任者・甲斐文太が座長時代、敵役に回って曰く、「誰のおかげで、いい役やっていられると思っているんだ、え?宮崎で、スナックのマスターやっていたところ、誰が、今までにしてやったんだ!」そのセリフを聞いて、主役の花道あきら、思わず噴き出して後を向く。また、家来役の花道あきらに向かって曰く、「おい!○○○○!」その時もまた、彼はビックリして噴き出した。後の口上で甲斐文太の話。「お客様にはわからないでしょう。○○○○というのは、彼の本名です。ちょっと気合いを入れてやりました」。いずれにせよ、甲斐文太の言葉の底には、「花道あきら(の成長)が可愛くて(嬉しくて)たまらない」という想いが感じられ、こちらまでその喜びを頂いた気分になるのである。
 前出の寸評で〈女形舞踊は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉と、私は述べた。女形舞踊では「ある女の詩」(美空ひばり)が秀逸。立ち役舞踊では、「力は抜けた」が、まだ「単調」である。歌詞の内容を吟味して、一つ一つの言葉が「姿」に表れるように・・・。。個人舞踊は、自分が主役の「独り舞台」、相手がいなくても芝居をしているような気持ちで、「三分間のドラマ」を演出してもらいたいと、私は思う。(2011.6.7)



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2022-06-05

役者点描・新人・幼紅葉、成長の《証し》

幼紅葉が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成22(2010)年3月末、おそらく小学校を無事卒業したことで、周囲の許可・了解が得られたという結果かもしれない。私は、平成22年4月公演(香川県・城山温泉)で、彼女の初舞台を見聞している。その時の感想は、以下の通りであった。〈芝居の外題は「里恋峠」。金看板・更科一家親分三衞門・座長・鹿島順一、その息子三之助・鹿島虎順、その妹お里・新人・幼紅葉、親分の後妻おたき・春日舞子、代貸松造・春大吉、敵役の川向こう一家親分万五郎・花道あきら、その子分たち・蛇々丸、梅乃枝健、赤銅誠、滝裕二という配役で、注目すべきは新人・幼紅葉の起用である。外題の「里恋峠」は地名だが、娘・お里を案じる父・三衛門の想いも重ねられていることは確かであろう。だとすれば、お里はいわば「準主役」的存在、極めて重要な役どころではないだろうか。はじめは勢いのよかった更科一家も親分が中風で倒れた後は、子分衆は一人減り、二人減り・・・という「落ち目」で、今では代貸一人だけとなってしまった。その松造も、今は一家に見切りをつける潮時と「盃を水にしてください」と申し出る有様、加えて後妻からも離縁を迫られる始末で、病臥の親分、まったく孤立無援となってしまった。最後のたのみは娘のお里だけ(息子の三之助は勘当、現在、旅修行中)という状況の中、闘病中の三衞門を「かいがいしく」「かわいらしく」「無邪気に」「明るく」介護する風情が不可欠、後妻に入った、おたきの「あばずれ」「放蕩」気分とのコントラストが「見せ所」であろう。さて、一日目の舞台、新人・幼紅葉にとっては、いかにも荷が重すぎた。まだ、登場して「台詞を間違いなく言うだけで」精一杯、その「つたなさ」が、座長はじめ一同の「足を引っ張る」結果にななったことは否めない。その結果、《厳しさ、それは親子の愛》という眼目の描出は「不発」のまま終わった感がある。だがしかし、である。「そうは問屋が卸さない」のがこの劇団の真骨頂、(この芝居は二日替わり)二日目の舞台は景色・風情が「一変」していたのである。昨日とは打って変わり、お里の所作・表情・口跡が「芝居になってきた」。とりわけ、「視線が決まり」、「喜怒哀楽の表情」を描出することができるようになってきた。例えば、旅に出ている兄・三之助を「恋しく思い出す」、後妻おたきの「心変わり」を感じて表情を曇らせる、おたきの「身勝手な振る舞いを睨みつける」等々・・・。「かわいらしさ」「けなげさ」「無邪気さ」といったお里の「人となり」が、わずかとは言え、感じられる。新人・幼紅葉の「一日の成長」は確実、そのことによって、愁嘆場を演じる座長の「技」がより鮮やかさを増したたのである。万五郎一家に連れ去られたお里を追いかけようとする三衛門の「あわれさ」に多く観客が涙し、拍手が鳴り止まなかったのだから。「一日にしてこれほど変わろうとは・・・」、私は驚嘆・落涙する他なかった。今日の舞台は昨日の舞台があったればこそ、文字通り「失敗は成功のもと」「日々精進」を地で行くような結果であった。(幼紅葉の努力、素直さ、彼女を「一日で成長させた」座長はじめ各座員の面々に心底から拍手を送りたい)三衛門臨終の場面、本来なら「一度事切れたように見せかけて」、息を吹き返し、「あっ、忘れていた。もう一つ言い残しておく頃がある」と笑わせる場面だが、座長、深い感動に包まれている観客の雰囲気を察してか(割れるような拍手を聞いて)「今日はこのまま死んじゃおう」と思ったに違いない。「喜劇的な死」の場面は割愛されて終わった。まさに「舞台は水物」、その日の客筋に合わせて芝居をする、その典型を観る思いであった。三日目の舞台、外題は「月とすっぽん」とのこと、可能な限り来場したいと思いつつ、帰路についた次第である〉。それから1年3カ月が経った。「一日にしてこれほどかわろうとは・・・」という私の驚嘆・落涙は、その後もしっかりと「一年にしてこれほどかわろうとは・・・」という思いに置き換えられている。つまり、幼紅葉の「成長」は、今のところ、留まることを知らないのだ。その証し①:先輩・赤銅誠の出世狂言「幻八九三」(平成22年10月・ジョイフル福井)では、兄・伊三郎(三代目鹿島順一)のような強いヤクザに憧れる弟・伊之吉(赤銅誠)に、幼友達として忠告する茶屋の娘の役回りで、両者とも新人同士、その初々しい絡みが何とも魅力的だった。その後、兄・伊三郎と対面、「親父さんは元気かい?」と尋ねられるや、客席の方に向き直って、ニッコリしながら、「お父っつぁん?死んじゃった!」と言い放つ「一発芸」はお見事だった。その証し②:「中乗り新三」(平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭)、当時の感想〈今日の舞台、新三の妹役・幼紅葉の演技が、ことのほか冴えていた。帰ってきた新三と、うれしそうに、なつかしそうに対面する清々しさ、新三を木戸外に締めだし不孝を諭す母の話を傍で聞きながら涙する可憐さ、代貸しの女房に必死で兄(新三)の命乞いをする一途な風情等々、脇役としての「妙技」を垣間見せる、わずか十三歳の役者とは思えぬほどの舞台姿であった〉。その証し③:「長ドス仁義」(平成23年4月公演・座三和スタジオ)、当時の感想〈私がこの演目を見聞するのは3回目、しかし、赤穂の親分、茶店の親爺、二役が甲斐文太から三代目鹿島順一へ、吉良の親分が蛇々丸から甲斐文太へ、三下の朋輩・春大吉が、赤穂親分の妹・幼紅葉へと、配役は大幅に様変わりし、別の芝居を見るようであった。(中略)わずか十三歳の新人・紅葉が新設の登場人物(親分の妹役)に挑戦、春大吉の「穴」を埋めるどころか、それ以上の景色を「いとも自然に」描出していたことに私は驚嘆する〉。その証し④:「明治六年」(前に同じ)では、金に目がくらんだ遊女屋の女将役、亭主はなんと劇団最年長の梅之枝健といった「悪役コンビ」で、その強欲な風情をコミカルに演じ、とりわけ、引っ込みの「斬られ方」が「絵」になっていた、と私は思う。今後の課題は、舞踊ショーでの「当たり芸」を築き上げることだと思われるが、さしあたっては、「大阪すずめ」(永井みゆき)、「木遣り育ち」(由紀さおり)、「娘船頭さん」(美空ひばり)、「浜千鳥情話」(金沢明子)、「島田のブンブン」(小宮恵子)などが「打って付け」ではないかと、とりわけ「木遣り育ち」は、脱けた生田春美の「初演目」であった。その穴埋めのためにも、是非「再現」してもらいたい、などと、私は勝手な希望を抱いているのだが・・・、果たして、叶えられるだろうか。(2011.6.13)



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2022-06-04

役者点描・若手・赤胴誠にやって来た《正念場》

赤胴誠が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成20年2月頃であったか・・・、だとすれば、それ以来3年4カ月が過ぎたことになる。「石の上にも三年」という言葉どおりに、彼はよく辛抱した、と私は思う。赤胴誠の特長はいくらもあるが、その一番は、何と言っても、斯界屈指の実力者・甲斐文太(当時は座長・二代目鹿島順一)を自分の師匠に選んだことである。その元でどんな修業を積んだか私は知らない。どんな苦労があったかも、私は知らない。、彼のデビューは、まず舞踊ショー、裏方の「アナウンス」からであった。当初は、たどたどしく、声量・口調、タイミングも不安定だったが、ほぼ2カ月ほどで、彼の「アナウンス」は、堂に入ってきた。ややもすると、この「アナウンス」は軽視されがち、肝腎の演者名、演目名が、音曲のボリュームにかき消されて、聞き取りづらいきらいがあるのだが、彼の口跡はあくまで明快、明瞭、しかも淡々として出過ぎることなく、舞台模様を引き立てていた。この役割は重く、「風見劇団」「市川千太郎劇団」「一見劇団」などでは太夫元、後見役らが担当するほどだが、彼は「鹿島順一劇団」の「裏方アナウンサー」として、よくその重責を果たしている。その結果、「イチ声、二振り(顔)、サン姿」と言われる役者の条件のうち、まずは「イチ声」をクリアすることができたのだ、と私は思う。役者によっては子役のうちから、斯界独特の「クサイ言い回し」をたたき込まれるケースもある中で、彼の声(口跡)は、あくまで「自然体」、その素人っぽい「初々しさ」が、なんとも魅力的な空気を醸し出していることは間違いない。さて、「雌伏三年」、赤胴誠は平成22年10月公演(ジョイフル福井)の舞台で、「華々しく」といった雰囲気とはおよそ関わりなく、(私にとっては極めて唐突に)「芝居デビュー」を果たした。外題は「幻八九三」。かっこいい兄(三代目鹿島順一)のようになりたいとヤクザに憧れたが、やがてそれが「幻」と消えてしまう未熟な若者という役回りで、彼は精一杯、座員の面々と「五分に渡り合う」演技をしたのであった。当時綴った私の感想は以下の通りである。〈私が驚嘆したのは、弟・伊之助こと赤胴誠の成長(変化)である。俗に、役者の条件は「イチ声、二振り、サン姿」というが、いずれをとっても難が無い。未熟な役者ほど、声(口跡・セリフ)だけで芝居を演じようとするものだが、今日の赤胴誠、「振り」も「姿」も初々しく、その場その場の「心情」がストレートに伝わってくる。例えば、親父に向かって「十両くれ!」とあっけらかんにせがむ「青さ」、十手持ち親分を「なんだ、この女」と見くびる「軽さ」、兄・伊三郎の立ち回りを、へっぴり腰で応援する「熱さ」、一転、捕縛された兄貴の惨めな姿に号泣する「純粋さ」等々、未熟で頼りない若衆の風情を「そのまま」舞台模様に描出できたことは、素晴らしいの一言に尽きる。雌伏三年、師匠・甲斐文太、諸先輩の「声・振り・姿」を見続けてきた研鑽の賜物であることを、私は確信した。甲斐文太は「今日の出来は30点」と評していたが、なによりも、他の役者にはない「誠らしさ」(個性)が芽生えていることはたしかであり、そのことを大切にすれば貴重な戦力になるであろう。客の心の中に入り込み、その心棒を自在に揺さぶることができるのは、役者の「個性」を措いて他にないからである。芝居の格、筋書としては「月並み」な狂言であっても、舞台の随所随所に役者の「個性」が輝き、客の感動を呼び起こす。それが「鹿島劇団」の奥義だが、今や新人・赤胴誠も、それに向かって「たしかな一歩」を踏み出したことを祝いたい〉。
その時から、さらに8カ月が経過した今、彼はどのような舞台姿を見せているだろうか。蛇々丸、春大吉らのベテランが抜け、新人の壬剣天音が加入といった「流れ」の中で、いつまでも「新人」ではいられない。座長・三代目鹿島順一の相手役として「五分に渡り合う」実力、気力が求められるのだ。舞踊ショーで演じる、座長との「殺陣」はその一例であろう。しかし、芝居「紺屋と高雄」の鼻欠けおかつ、「新月桂川」の源次(弟分)、「源太しぐれ」の子連れ素浪人(盲目)、「関取千両幟」のふんどし担ぎ・・・等々への「挑戦」は、自然のなりゆきとは言え、油断は禁物である。おそらく、師匠の甲斐文太は、「今日の出来は30点」、もしくは「それ以下だ」と評するに違いない。先輩が残していった財産(伝統)を確実に受け継ぎ、それをみずからの「個性」によって、さらに発展させること、それが、若手・赤胴誠に課せられた「課題」であり「使命」である、と私は思う。彼の「声」「振り(顔)」「姿」に不足はない。それを、どのように磨き上げ、数ある「名狂言」の中に「結実化」させるか・・・、そのためには「六十一・賀の祝」の弟役から、「人生花舞台」の花形役者、さらには「命の架け橋」の重罪人、「春木の女」の《つっころばし》の役柄に至るまで果敢に挑み続け、やがては「自家薬籠中のもの」(十八番)として仕上げなければなるまい。願わくば「芸道一筋」、まさに、赤胴誠の「正念場」がやって来たのである。(2011.6.14)



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2022-06-03

役者点描・新人女優・春夏悠生に求められる《思い切り》

「鹿島順一劇団」の女優は、筆頭が春日舞子、つづいて弟子の春夏悠生、幼紅葉の三人である。春夏悠生は「シュンカ・ユウキ」と読む。千葉県市原市出身、誕生日は11月26日、血液型B型、初舞台は18歳とのことだが、それ以外の詳細を私は知らない。以前には、香春香、生田春美といった新人女優がいたが、いずれも長続きしなかった。しかし、春夏悠生は少なくとも3年間は、耐えている。文字通り「石の上にも三年」という気配で、ようやく、その舞台姿が「絵」になってきたようだ。当初は、緊張のためか「笑み」にとぼしく、「色香」に欠けていたが、最近では「呼吸」も整い、見応えのある風情を醸しだしつつある。芝居では、「源太時雨」の不貞妻、「アヒルの子」の間借り人妻のように、ふがいない亭主を、けんもほろろに「一喝」する風情は格別、それまで、しおらしく装って いたが、突如として本性を現すといった「変化」(へんげ)の妙を垣間見せている。「芸風」はまだ未完成(未知数)だが、可憐な娘役というよりは、したたかな「悪女」「毒婦」、「三枚目」の方が向いているかも知れない。とはいえ、風貌は上品で美形、「仇討ち絵巻・女装男子」の武家娘、「浜松情話」の茶屋娘、「明治六年」の半玉芸者、「黒髪道中・縁結びの三五郎」の恋女房、「悲恋流れ星」の盲目娘、「新月桂川」一家親分の娘・・・等々、彼女の「はまり役」に事欠くことはない。また、「長ドス仁義」の「ちょい役」、宿屋の女中でも「はーい、ただ今」などと爽やかな声を出しながら、一向に客の求めに応じようとない、そのあっけらかんとして無責任な様子が、いかにも今風で面白かった。いずれにせよ、師は劇団の名女優・春日舞子である。その後を継ぐ(恩を返す)ためには、「春木の女」の漁師娘・おさき、「噂の女」のお千代たん、「悲恋夫婦橋」の芸者といった「大役」に(とりあえずは年相応の「若役」から、(果敢にも)挑戦することが不可欠だと思われる。この1年、とりわけ「舞踊・歌謡ショー」で、彼女の出番は少なかった。「裏方」に回ることが多く、照明、着付け、音響、整理、等々を手際よくこなすことによって、劇団の「名舞台」を、陰から支えていたのであろう。それもまた「実力」のうちであり、そうした「下働き」こそが「芸の肥やし」になることを肝銘しなければならない、と私は思う。舞踊ショー、彼女の演目は、相舞踊が多く、幼紅葉との「気まぐれ道中」「くれむつ小町」「可愛いベービー」「おきゃん」、赤銅誠との「ほの字のほ」が定番である。それらは全体プログラムの「彩り」として貴重であり、たいそう魅力的だが、春夏悠生でなければならない「当たり芸」も観てみたい。彼女の個人舞踊の演目は「明治桜」「男の激情」(立ち役)、「いろは坂」「私が生まれて育ったところ」「桃色ガラス」くらいであろうか。いずれも「達者」にはなってきているが、今一歩の「説得力」が足りない。客に訴える《眼目》が何か、はっきりしないのだ。いうまでもなく、個人舞踊は、自分一人で主役を張れる「三分間のドラマ」であり、出番が少なければ少ないほど、客の「集中度」「期待度」は増すものである。それゆえ、「この一番」に賭ける気迫が欲しい。個人舞踊はもとより、組舞踊、相舞踊でも、「客の視線を独占してやろう」という意気込みがあってこそ、艶やかで、爽やかな舞台模様を描出できるのだから・・・。「かしま会ホームページ・」観劇レポ」を見ていたら、唯一(ただ1回)、相舞踊「吉良の仁吉」(座長・鹿島順一)という記録があった。もしかして、吉良の仁吉が三代目鹿島順一、女房お菊が春夏悠生、音曲は「吉良の仁吉」(作詞・荻原四朗、作曲・山下五郎)、歌は美ち奴(最善)?、それとも三門忠司(次善)? 。いずれでもよい、もしそうだとしたら、その舞台こそ、春夏悠生が「当たり芸」を磨き上げる千載一遇のチャンスに他ならない。吉良の仁吉は二十八、お菊十八歳。「嫁と呼ばれてまだ三月 ほんに儚い夢のあと 行かせともなや荒神山へ 行けば血の雨涙雨」といった愁嘆場を描出できるのは、「自分しかない」と言い聞かせ、三代目鹿島順一と「五分で渡り合う」《思い切り》(捨て身の思い上がり)が、今、春夏悠生に求められているのではないか。「鹿島順一劇団」に居るかぎり、名優への道は、いつでも、どこでも、誰にでも開かれている。そのことを誇りとして、研鑽・精進に励んでいただきたい、と私は思う。(2011.6.11)




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2022-06-02

役者点描・座員・滝裕二の「人生劇場」

滝裕二が「鹿島順一劇団」に加入したのは、いつの頃であっただろうか。たしか、太平洋健康センターいわき蟹洗温泉(福島県)だったような気がする。だとすれば、それは平成21年6月公演の時、すなわち今から2年前のことだ。その間、彼は見事なほど、「端役」「裏方」に徹してきた。「端(はした)役者」の条件は、「目立たない」ことである。「スポットを浴びない」ことである。少しでも、主役が引き立つように、つねに自分の「立ち位置」を定めなければならない。彼の、芝居での役柄は、ほとんどが「その他大勢」の中の「斬られ役」で、セリフがあっても「へえ」「わかりやした」で終わってしまう。(これまで私が見聞した限りでは)唯一、彼が、まともに登場人物を演じたのは、「悲恋流れ星」の冒頭場面、妹(盲目)の眼を治そうと田舎から出てきた旅の途中で、ならず者に襲われ、懐に入れた治療の金ばかりか、命まで盗られてしまう兄、といった気の毒な役回りであった。そのとき、私は初めて彼の「声」(口跡)を、じっくりと聞くことができたのだが、「悪くない」。素朴で、弱々しく、それでいて「妹思い」の温もりを十分に感じとることができたのだった。「かしま会ホームページ」の「劇団紹介」では、〈滝裕二(たきゆうじ)【4月22日生まれ】〉とあるだけで、彼の詳細は何もわからない。出自、年齢、芸歴・・・などなど一切は不明だが、その風貌からして年齢は四十歳台、舞台歴もあり、と見受けられるが、劇団の(芝居の)中では「目立たない」。まずは、それでいいのだ、と私は思う。だがしかし、話はそれで終わらない。場面が変わって「舞踊・歌謡ショー」。責任者・甲斐文太の「芝居では端(閑職)、その分は舞踊で取り戻せ!(主役を張れ)」といった配慮があるかどうかはともかくとして、彼の出番(個人舞踊・歌唱)は確実に保障されている。それかあらぬか、この1年間で彼が演じた「曲目数」は、以下の通り、三十を優に超えている。「かしま会ホームページ」の「観劇レポ」を参照すると【舞踊】1・のろま大将(大江裕)、2・夕焼け大将(大江裕)、3・東京無情(三門忠司)、4・雨の大阪(三門忠司)、5・俺の出番が来たようだ(三門忠司)、6・佐渡の舞扇(鳥羽一郎)、7・俺の人生始発駅(鳥羽一郎)、8・河内一代男(鳥羽一郎)、9・流氷子守唄(山川豊)、10・暴れ獅子(大泉逸郎)11・荒野の果てに(山下雄三)、12・男と男(宮路オサム)、13・男一代(北島三郎)、14・神奈川水滸伝(北島三郎)、15・関東流れ唄(北島三郎、16・東京流転笠(大川栄策)、17・てなもんや三度笠(藤田まこと)、18・木曽恋三度笠(香田晋)、19・時雨の半次郎(五木ひろし)、20・おしどり(五木ひろし)、21・あのままあの娘とあれっきり(氷川きよし)、22・やじろべえ(日高正人)、23・酔歌・ソーラン節入り(吉幾三)、24・赤い椿と三度笠(三波春夫)、25・男朝吉(村田英雄)、26・人生劇場(村田英雄)、27・紬の女(竜鉄也)、28・命の華(テ・ジナ)、29・あばれ太鼓(坂本冬美)、30・股旅(天童よしみ)、31・望郷玄海節(椎名佐千子)、32・大阪純情(キム・ランヒ)、33・一本刀土俵入り(島津亜弥)、34・浮世ばなし(歌手不詳)、35・昭和残侠伝(歌手不詳)、36・よろずや紫舟お目通り(よろずや紫舟)【歌唱】1・「高校三年生」、2・「そしてめぐりあい」ということであった。なるほど、その多種多様さ(レパートリーの広さ)は「半端」ではない。本人に尋ねれば「もっとあります」と言うだろう。それもまた、彼の「目立たない」実力に違いない。(加えて【歌唱】力は十分に魅力的である。)だがしかし、である。その多彩な「演目」のわりには、印象に残る作品が少ないのはなぜだろうか。彼の努力が「結実化」しないのはなぜだろうか。不足しているものは、ただ一点、「俺の出番はきっと来る」という固い信念、歌詞の世界を「体(表情・振り、所作)だけで」伝えようとする意欲・工夫の積み重ねだと、私は思う。レパートリーの中の一曲でよい、これだけは誰にも負けない、という演目を「一点集中」して磨き上げる努力が必要ではないか。責任者・甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」、座長・三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」「大利根無情」等…、は、いつ観ても、何度観ても、飽きることはない。そのような「至芸」をお手本にして、滝裕二ならではの「演目」を極めてもらいたい。その暁には、おのずから芝居での「端役」にも磨きがかかり「俺の出番が来たようだ」という段取りになることは、間違いないだろう。というわけで、さしあたっての「歌謡・舞踊ショーは」、滝裕二にとっての「人生花舞台」、俗謡を贈って締めくくりたい。「はした役者の俺ではあるが、『かしま』に学んで 波風受けて 行くぞ男のこの花道を 人生劇場いざ序幕」。(2011.6.12)



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2022-06-01

役者点描・脇役の重鎮、梅之枝健は「いぶし銀」の輝き

梅之枝健、「鹿島順一劇団」の責任者・甲斐文太が、「大先輩」と奉る老優である。「演劇グラフ」(2007年2月号)では、〈昭和11(1936)年1月29日生まれ。大分県出身。血液型O型〉〈この世界に入ったきっかけは?:友達がある劇団にいたから。初舞台は?:19歳〉と紹介されている。だとすれば、彼は、今年75歳、舞台生活も56年目に入るということか。梅之枝健が初舞台を踏んだのは昭和30年、まさに、その時、二代目座長・鹿島順一(現・甲斐文太)が生まれているのだから、「大先輩」に違いない。勝手な想像を巡らせば、梅之枝健こそ、初代・鹿島順一の舞台を知り尽くしている「生き証人」、その芸に惚れ込んで座の一員となったか。二代目座長が旗揚げ以来、陰になり日向となって、劇団を支えてきたか。いずれにせよ、五十余年に亘る彼の舞台歴は、今、脇役の重鎮として、いぶし銀のような輝きを放っていることは確かである。私が彼の舞台を初見聞したのは5年前、芝居の演目は「会津の小鉄」、小鉄の兄貴分という役柄であった。小鉄が名張屋新蔵に愚弄されたことを、小鉄の女房に伝えに来る、登場したのは、ただそれだけの場面、荒々しい風情だけが印象に残り、ただの端役者ではないかと思っていたのだが・・・。それは(私の)全くの見誤り、端は端であっても、「筋金入り」の端であったのだ。いうまでもなく主役だけで芝居はできない。「ほんのちょい役」「その他大勢役」こそが舞台の景色を際だたせる。老優・梅之枝健は、ただひたすら「端役」に徹し、今でも立ち回りに(「斬られ役」として)参加する。そればかりではない。数ある名舞台の中で、「彼でなければならない」役柄が確固として存在する。たとえば、芝居「春木の女」の亭主(元網元)役。浜の若者たちの前では、風の読み方(天候の予測)を伝授できるほどの経験者なのに、女房(トラ・甲斐文太)の前では、からきし意気地が無く、「アンタは養子!、黙ってらっしゃい、この甲斐性なしが!」などと一括されて縮み上がる。そのコミカルな風情はなんともいえず魅力的、だが、そのままでは終わらない。娘・おさきが「捨て子」であったことをトラが暴露したときには激高した。「それだけは言わない約束ではなかったか!もういい!こんな家なんて出て行ってやる。おさき、ワシと一緒に出て行こう」と引導を渡す光景は、思い出すだけでも涙が滲んでくる。つづいて、芝居「仇討ち絵巻・女装男子」は芸者置屋の「おとうさん」、「噂の女」で《一芝居打つ》おじさん(弟の嫁の父)、「忠治御用旅」では、忠治子分の女房に横恋慕する敵役、時には「月夜の一文銭」の岡っ引きも達者にこなす。最近の「明治六年」では、新人・幼紅葉(13歳)を相手の夫婦役(コミカルな悪役)まで演じ切るとは・・・。感嘆する他はない。舞踊ショー、個人舞踊では「白塗り」「若作り」の風情で、さりげなく、裾の「浮世絵」(歌麿風)を垣間見せる「立ち役」が、たまらなく「粋」であったが、最近は裏方に回りがち。「女形大会」で魅せたあの艶姿、組舞踊「美幸の阿波おどり」ではウキウキと、一際目立つ舞姿は、今でも私の目にしっかりと焼き付いている。
大衆演劇界での老優といえば、金井保、若葉しげる、高峰調士、大道寺はじめ、中野ひろし、白富士京弥、初代・姫川竜之助・・・等々、枚挙に暇がないとはいえ、彼らはいずれも元座長クラス。名脇役(筋金入りの端役者)の老優で、まず梅之枝健の右に出る者はいないであろう、と私は思うのである。(2011.6.9)
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2022-05-31

役者点描・知る人ぞ知る、名優・蛇々丸の「つっころばし」

斯界(大衆演劇界)の名優・蛇々丸は、今頃どうしているだろうか。私が彼の舞台姿を初めて観たのは、平成19年11月、みのりの湯柏健康センターであった。「鹿島順一劇団」公演で、芝居の演目は、「会津の小鉄」。前景は小鉄の女房が自刃、「私の首を手土産に、男を立てておくんなさい」という切ない愁嘆場の景色で終わった。それとは打って変わって「つなぎ」の明るい場面に登場。京都で一稼ぎしようとやって来た素浪人・宮本ムサクルシという役柄であった。当日は、なぜか客と劇団の呼吸がかみ合わず、全体的に盛り上がりに欠けた出来栄えであったが、春日舞子と蛇々丸の演技は光っていた。舞子は小鉄の女房役、「目を開けたまま」盲目の風情を醸し出す、健気な女性像を見事に描出する。一方の蛇々丸は、腹を空かせた貧乏侍、薄汚れた衣装ながら、色欲だけは人一倍旺盛とみえて、通りかかった年頃の娘(実は、小鉄の仇敵・名張屋新蔵の愛娘・三代目鹿島虎順)に「まとわりつく」といった(損な)役柄であったが、「表情・仕種だけで笑いを誘う」姿が、彼の「実力」を十分に窺わせていた。以来、3年、私が「鹿島順一劇団」の舞台を観続ける羽目になったのは、蛇々丸の「存在感」あふれる、個性的な艶姿に惹かれたことも、その大きな要因の一つだといえる。芝居「忠治御用旅」の十手持ち、「大江戸裏話・三人芝居」の老爺、「あひるの子」の間借り人役では、斯界きっての実力者・二代目鹿島順一(現・甲斐文太)と五分に渡り合い、「一羽の鴉」「心もよう」「新月桂川」では主役・準主役、「源太しぐれ」「月とすっぽん」「人生花舞台」「噂の女」「紺屋高尾」「命の架け橋」では敵役、脇役、汚れ役、ちょい役等々、彼の十八番を数え上げればきりがない。中でも、天下一品、「蛇々丸でなければならない」のは、「春木の女」に登場する、京都大店の若旦那、いわゆる「つっころばし」の舞台姿であった、と私は思う。「つっころばし」とは「歌舞伎の二枚目の役柄の一。年若で突けば転がるような柔弱な男の役」(「スーパー大辞林」)の意。大店の次男坊として嫁取りの段になり、周りから「どうする、どうする!」と責め立てられてノイローゼ気味、気分転換に「釣り」でもと、春木の海にやってきた。息も絶え絶えな風情は、文字通り「つっころばし」で、その色香、滑稽さは「群を抜いて」いた。対照的なのが、漁師(没落した網元)の娘・おさき(春日舞子)、男勝りの気性で「可憐な」風情とは無縁だが、心底には、朴訥とした「親孝行」の温かさが流れている。加えて、その義母(甲斐文太)、義父(梅の枝健)、義妹(三代目鹿島順一)、若旦那の兄(花道あきら)らの、清々しい「人情模様」に彩られて、二人(若旦那とおさき)の愛が成就するという按配であった。それゆえ、蛇々丸の「つっころばし」は、舞子、文太、健、順一、あきら、といった他の役者連の中(チームワーク)でこそ「輝く」代物であったことは言うまでもない。蛇々丸自身、「演劇グラフ」(2007年10月号)のインタビュー記事で以下のように述べている。〈僕は「近江飛龍劇団」の魅せる、インパクトのある芝居、そして、「鹿島順一劇団」のジワジワと心にしみてきて最後に盛り上げる芝居から、両方の劇団のいいところを吸収できたと思いますね。役者をやる上で、本当にいい環境ですよね。いい経験をさせてもらったと思います。(略)僕は職人肌なので、舞台に立っているかぎりは、できるかぎりの事をしたい〉。記事の副題には「舞台では職人でありた」という言葉も添えられていた。多くの役者が名字(屋号)を持っており、本来なら「近江蛇々丸」とでも名乗るところだろうが、芸名は、あくまで(子役もどきの)「蛇々丸」(その由来・彼の干支は巳)でしかない。おそらく彼のモットーは、親分無しの子分なし、「一匹狼」の「職人芸」を極めることなのだろう。それが直截に具現されるのが個人舞踊。定番の「こころ」(唄・五木ひろし)は「立ち役舞踊」の名品、長丁場の「安宅の松風」(唄・三波春夫)は、弁慶・富樫・義経を踊り分ける「至芸の逸品」として、私の胸中・脳裏から離れない。文字通り「職人芸」の極め付きだと、私は確信している。さて、蛇々丸は、平成22年に「鹿島順一劇団」を退き、「浪花劇団」(座長・近江新之介、蛇々丸の実弟)に移ってしまった。はたして、今、どのような舞台姿を見せているだろうか。気がかりなことではある。(2011.1.31)



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2022-05-29

役者点描・女優・葉山京香、舞踊の《至芸》

大衆演劇の舞台で演じられる「舞踊」は、俗に「創作舞踊」「新舞踊」などと呼ばれ、本来の「日本舞踊」とは一線を画しているようだが、下世話な私の鑑賞眼からみれば、前者の方が、よほど取っつきやすく親しめる。そこで使われる音曲は、ほとんどが巷に流れている「流行歌」、しかも「愛別離苦」「義理人情」を眼目にした「演歌」「艶歌」「怨歌」の類だからである。聴くだけでは「ナンボのもん?」と思われるような音曲であっても、それに件の「創作舞踊」「新舞踊」なる代物が添えられることによって、たちまち、名曲に変貌してしまうのだから、面白い。たとえば「チャンチキおけさ」(三波春夫)、たとえば「ヤットン節」(久保幸江)、たとえば「島田のブンブン」(小宮恵子)・・・等々、数え上げれば切りがない。まして、その音曲が「聴くだけで価値がある」名曲ともなれば、それに至芸の舞踊が加わることによって、珠玉の名舞台(三分間のドラマ)が展開することになるのである。斯界・女優陣の中で、ひときわ舞踊に長けているのは誰だろうか。(下世話な鑑識眼しか持ち合わせていない)私の「独断と偏見」によれば、その筆頭は喜多川志保(「劇団天華)、続くのが、三河家諒(「三河家劇団」)、葉山京香(「演劇たつみBOX」)、春日舞子(「鹿島順一劇団」)、浪花めだか(「浪花劇団」)である。この五人人に共通しているのは、「音曲に対する思い入れ」であろうか。音曲をバックに踊る(身体表現する)のではなく、音曲そのもの世界を(所作と表情で)「心象表現」しようとする心意気と技である。葉山京香(昭和43年生まれ)は、劇団のホームページ(座員紹介)の「私のココを見て」欄で〈女心の優しさと淋しさの思いを込めた踊り〉と記している。私はこれまでに、彼女の舞台を3回、見聞している。1回目は平成20年11月、森川京香という芸名で、「森川劇団」に居た時であった。以下は、その時の感想である〈【森川劇団】(座長・森川凜太郎)〈平成20年11月公演・浅草木馬館〉(前略)舞踊ショー、若手・森川梅之介の「立ち役」の艶姿、女優・森川京香の「酒場川」(唄・ちあきなおみ)の「素晴らしさ」が強く印象に残った。(後略)〉2回目は、平成21年9月、浅草木馬館の舞台であった。以下はその時の感想である。〈【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成21年9月公演・浅草木馬館)(前略)ブログ情報によれば、今年三月から嵐山瞳太郎、紫野京香という新メンバーが加わった由、彼らはこれまで森川梅之介、森川京香という芸名で「森川劇団」(座長・森川長二郎)にいたとのこと、なるほど先日、「森川劇団」の舞台を横浜・三吉演芸場で見聞したとき、「どこか物足りない」感じがしていたが、そのような事情があったのか。とまれ、「たつみ演劇BOX」にとっては、メニューに新しいトッピングがプラスされた風情で、いっそうの充実が期待できるだろう。とりわけ「舞踊ショー」での紫野京香は「絶品」、それぞれの音曲にあわせて、どこか「物憂げな」「うら寂しい」景色の描出では、右に出る者はないのだから。加えて、前回(今月公演で)見聞した「愛燦燦」(唄・美空ひばり)のような洋舞曲を、「和風」(表情豊か)に「踊りきってしまう」実力は、半端ではない。(後略)〉。そして3回目は、平成22年2月、大阪・鈴成座の舞台であった。以下はその時の感想である。〈【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成22年2月公演・大阪鈴成座〉満座劇場の「劇団澤宗」(座長・澤村城栄)も見聞したかったが、どうしても紫野京香の舞台姿を「拝見」したかったので、こちらに来てしまった。(中略)加えて舞踊ショー、辰巳小龍の「湯島の白梅」、紫野京香の「命くれない」は珠玉の名品、それを見聞できただけでも来場した甲斐があったというもの、大いに満足して帰路についた次第である〉。この時、紫野京香という芸名は、なぜか葉山京香に改まっていた。というわけで、要するに、私がこれまでに見聞した葉山京香の舞踊は、「酒場川」(ちあきなおみ)、「愛燦燦」(美空ひばり)、「命くれない」(瀬川瑛子)の3曲に過ぎないのである。にもかかわらず、私はその舞台が忘れられない。たとえば、「酒場川」、歌唱力では右に出るものなし、といわれた、ちあきなおみの「名曲」である。ともすれば、その音曲の素晴らしさに踊りがついていけなくなるのだが、(当時の)森川京香の舞台は違っていた。「あ〇た〇憎〇と〇〇と〇さ か〇だ〇な〇を〇れ〇す 子〇の〇う〇捨〇ら〇た 女〇恋〇み〇め〇を 酒〇泣〇た〇酒〇川 男〇心〇読〇な〇で お〇れ〇だ〇の〇で〇た 死〇よ〇辛〇裏〇り〇 怨〇で〇て〇無〇な〇ね 涙〇ぼ〇る〇場〇 私〇暮〇し〇ア〇ー〇で あ〇た〇誰〇い〇の〇しょう グ〇ス〇酒〇酔〇し〇て 心〇傷〇洗〇た〇 ネ〇ン〇し〇酒〇川」(詞・石本美由紀。曲・船村徹)と唄う、ちあきなおみの「歌声」が、森川京香の「舞」によって、いちだんと鮮やかな景色を映し出す。観客(私)は、真実、彼女の「表情」「所作」をとおして、「からだのなかを流れる憎さ、いとしさ」「捨てられた子犬」「死ぬより辛い裏切り」「私と暮らしたアパート」「グラスの酒」「心の傷」「ネオン悲しい酒場川」を「目の当たり」にすることができるのである。まさに「歌声」と「舞」が渾然一体となって「結晶化」する、珠玉の名品に仕上がっていた。その風情をたとえれば、竹久夢二の「美人画」が動き出した感じとでもいえようか・・・。そのことは「愛燦燦」(詞、曲・小椋桂)でも変わらない。私は、〈「愛燦燦」(唄・美空ひばり)のような洋舞曲を、「和風」(表情豊か)に「踊りきってしまう」実力は、半端ではない〉と前述したが、どちらかといえば、自信たっぷりな「人生謳歌」然とした原曲の風情を、彼女はその「舞」によって一変させてしまう。そこで描出される人生とは、あくまでも旅役者・紫野京香の「人生」であり、どこまでも「控えめ」、つつましく、おくゆかしく、時によっては「たよりなげに儚く」、「水の泡沫」のような人生なのであった。ここでは、明らかに「舞」が「歌声」(美空ひばり)を超えている。(私にとっては)「聴くだけではナンボのもん?」と思われる音曲を、「舞」によって光り輝かせることができた典型的な事例だった。同様に「命くれない」(詞・吉岡治、曲・北原じゅん)も然り。音曲自体は「夫婦の絆」を眼目にした、浪曲風(?)ド演歌、かの有名な梅澤富美男も作品を残しているが、その出来栄えは「原曲」の域を超えてはいない。いわば「音曲」と「舞」が〈持ちつ持たれつ〉の関係で留まっている段階だが、ひとたび葉山京香の「手」にかかると、その「浪曲風ド演歌」が、「夫婦の絆」の「儚さ」「危なさ」までをも描出する「名曲」に変化(へんげ)してしまうことは間違いない。文字通り「女の優しさと淋しさの思いが込められた」、夢二風の艶姿(世界)が浮かびあがり、「聴くだけではナンボのもん?」と思われた「命くれない」もまた、「愛の無常」を眼目にした名曲となったのである。しかも、彼女の舞台は「陽炎」のように、儚く、たよりなげである。(私の独断と偏見によれば)女優・葉山京香の「役者人生」もたよりなげ・・・、ここ3年の間に3回も改名したのはなぜ?、いつも舞台に出るとは限らないのはなぜ?、もしかして病身?、もしかして「引退』間近か?。「謎」は深まるばかりだが、それもまた役者にとっては「魅力」(芸)のうちであろう。いずれにせよ、葉山京香の「至芸」を鑑賞できるのは「至難」のこと、よほどの幸運にめぐまれた時でなければ無理ではないだろうか。願わくば、「たつみ演劇BOX」・舞踊ショーの舞台を、一日も早く、また長期にわたって御照覧あれ。グッド・ラック!(2011.7.10)



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2022-05-28

役者点描・名人・喜多川志保、至芸の真髄は《無我》

女優・喜多川志保は、大衆演劇界の「名人」である。と言っても、彼女を知るファンは多くないだろう。おそらく、彼女は高齢、風貌も「小柄」で、目立たない。芝居で演じる役柄も、大半は「脇役」「端役」、「その他大勢」に混じって、「斬られ役」に回ることもしばしばではなかったか。にもかかわらず、彼女の存在は「蛍火」のように輝いているのだ。私が、彼女の舞台姿を初めて拝謁したのは、今からほぼ3年前(平成20年8月)、「橘小竜丸劇団」(座長・橘小竜丸)の舞台(川崎・大島劇場)であった。当時の様子を私は以下のように素描した。〈日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。(中略)この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原千鳥、志賀加津雄、喜多川志保らの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川志保の「博多恋人形」(人形振り)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう〉。そのほぼ1年後(平成21年6月)、今度は、「小岩湯宴ランド」の舞台を見聞、彼女は芝居「刺青偶奇」の医者役、「浮世人情比べ」の(身勝手な)母親役を見事に演じ、また、「柏健康センターみのりの湯」では、なんと「加藤清正」然とした髭面の猟師役で、鉄砲まで撃ったのであった。打って変わって、舞踊ショーでは「可憐な娘姿」を、いとも鮮やかに描出する。彼女の「芸」の真髄は、文字通り《千変万化》の妙、なのである。言い換えれば、舞台の「喜多川志保」は、あくまでも「無我」、おのれを「空」にして登場人物を際だたせるという「芸風」を、しっかりと確立している。医者なら医者、母親なら母親、猟師なら猟師、娘なら娘に「なり切ること」によって、「喜多川志保」という個性(高齢・小柄)を見事に消し去ってしまうのだ。蓋し、彼女が「名人」であることの《証し》であろう。その後、詳細な経緯は不明だが、彼女は(少なくとも私にとっては)忽然として、「橘小竜丸劇団」から姿を消した。はたして、今はいずこに・・・?などと想いつつ、何の気なしにインターネットで「喜多川志保」と検索してみたところ、ナント!「Youtube・劇団天華・5.4・喜多川志保大いに、踊りました」という画像記事があるではないか。「劇団天華」といえば、座長は澤村千夜、劇団のキャッチフレーズは〈天下に咲き誇る一番美しい華になる。志高く、無限の可能性に挑む。「千代丸劇団」「劇団紀伊国屋」で芸の腕を磨いた男伊達・澤村千夜が独立旗揚げ。澤村千夜座長を筆頭に劇団が一丸となって、繰り広げる情熱舞台を感じてください〉との由、私はその舞台を平成21年5月、「ゆうパークおごせ」(埼玉県)で見聞済み、文字通り「志高く」初々しい精気がみなぎって「前途有望」な趣を呈していたのであった。なるほど、名人・喜多川志保が活躍するには「打って付け」の劇団に違いない。前記、Youtubeの画像は、舞踊「おさん」(歌・島津亜弥)の舞姿。(平成23年5月公演・大阪オーエス劇場)投稿記事とはいえ、彼女の「至芸」(の一端)は十二分に再現されている。おのれを「空」にし、全身全霊で「おさん」の情念を描出する。その気迫は、余人を寄せつけない。間違いなく「喜多川志保」という個性は消失、見えるのは「おさん」の《幻》のみ、といった風情には、鬼気迫る空気さえ漂っていた、と私は思う。とはいえ、「芸風」の好き好きは、個人の自由、ためしに、その画像記事を御照覧あれ、ちなみに、これまでの再生回数は「57」と出ていた。



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