META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 梅沢武生劇団
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2023-12-20

劇団素描・「梅澤武生劇団」・《芝居「団五郎囃子」の舞台模様》

【梅澤武生劇団】(座長・梅澤武生)〈昭和58年3月公演・浅草木馬館〉
 「終活」をしていたら、押し入れの中から古いカセットテープが15本出てきた。タイトルを見ると、いずれも「トミオ」「浅草」「十条」などと記されている。日付けは、昭和57年から59年にかけて、「梅澤武生劇団」が芝居小屋で興行していた頃の舞台模様が収録されていた。聞いていると往時の景色が、まざまざと蘇ってくる。その中に、「恐怖の3回公演」(朝・昼・晩)という1本があった。劇場は浅草木馬館、日時は記されていない。プログラムは、①楽団ショー、②芝居、③舞踊ショー、④バラエティーという4本立てであった。楽団ショーのトップは、梅澤富美男の「魔界のチャンプ」、以下、梅澤大介の「可愛いおまえ」「氷雨」、竹澤隆子の「舟唄」、梅澤修の「津軽じょんがら流れ唄」、梅澤富美男の「演歌みたいな別れでも」「夢芝居」と続き、最後は座長・梅澤武生の「役者音頭」で締めくくる。どの歌声も「旅役者の魂」が込められており、プロの流行歌手では描出できない「空気」が漂う。時折「いい声だね」「上手いよ!」などという観客の声も聞かれ、また司会の梅澤修が舞台上から、満員で入りきれない客席を整理する様子も収録されており、臨場感あふれる内容であった。芝居の外題は「団十郎囃子」。ある村の庄屋(板東多喜之助?、梅澤智也?)の息子・政二郞(市川吉丸?)が貧農の娘・お千代(役者不詳)に恋をする。政二郞は修業のため江戸に出向くことになり、帰ってきたらお千代と所帯をもつ縁談が、土地の大親分(梅澤富美男)の仲立ちで成立したのだったが・・・。江戸への壮行会の席で、酒に酔った政二郞が、けんちん鍋をひっくりかえしてお千代に大火傷を負わせてしまう。それでも貧農の兄(梅澤修)とお千代、政二郞が帰ってきたら約束どおり祝言をあげられると信じていた。しかし1年後、政二郎は江戸で知り合った芸者・小雪(辻野耕輔)を連れて立ち戻り、所帯を持ちたいという。そこで(親ばかの)庄屋、金の力で、お千代との「縁談破談」を大親分に依頼。大親分、はじめは「そんなことができるわけはない」「このおれを誰だと思う。おわっと!・・・三十六ケ村の大親分だわさ!」と強弁していたが、金をつかまされると途端に「やらせてもらおうじゃねえか」と変身する様子がなんとも面白い。この大親分、甚だ頼りない。庄屋、政二郞と連れだって貧農宅を訪れたが、なかなか破談の話を切り出せない。その「ちんぷんかんぷん」な風情がたまらなく魅力的であった。やむなく庄屋が直接談判する羽目に・・・。貧農の兄、「約束が違う」と抗ったが、庄屋は5両の手切れ金を放り投げて「縁談破談」は成立した。兄「四百四病の病より貧ほどせつねえものはない」と嘆くうち、お千代の姿が見えなくなった。女房(長島勇次)が書き置きを見つけ出し、読めば「身投げをする」とのこと、あわてて四方八方手を尽くしたが見つからない。悲嘆にくれていたが、やがて妙齢の女、お千代を伴って登場。「底なし沼で身を投げようとしているところを止まらせ、連れてきました」由、だがしかし、この女こそ、兄妹の仇敵、芸者・小雪であったとは・・・。兄から事情を知った小雪、庄屋に立ち戻り祝言をあげたが、以後は「長襦袢姿」で酒浸りの日々を繰り返す。庄屋は頭を抱え、再び大親分に「縁談破談」を依頼した。大親分「おまえさん、出てくるたんびにオレに縁談破談を頼みやがる」とぼやいたが、またまた金をつかまされて、小雪の前へ。「おわっと!・・・三十六ケ村の大親分だわさ」と迫ったが、所詮は田舎のヤクザ、江戸の芸者には刃が立たない。「いいようにあしらわれる」様子は抱腹絶倒場面の連続であった。やがて、小雪が江戸から呼び寄せた真打ち、歌舞伎役者・団十郎(座長・梅澤武生)登場、二人で「いい男」「いい女」の嘘芝居を見せつけ、呆れ果てた庄屋から、まんまと手切れ金100両を頂戴する。政二郞、「お前、私をだましたな」と詰め寄ったが「だましたのは、あなたの方。言い交わした娘さんがいたじゃないか。頂いた絞りの羽織はお返しします。新しい花嫁御寮に着せておやんなさい」。折しも流れてくる「さざんかの宿」の音曲に、芸者・小雪の「侠気」も加わって、たいそう
鮮やかな幕切れであった。舞踊ショー・バラエティー、は、「吉良の仁吉」(市川吉丸・竹澤隆子)、「花と竜・美空ひばり」(子役、吉丸・隆子の息子と娘、芸名失念)、「恋花道」(梅澤武生・梅澤富美男)、「母恋子守唄」(梅澤修?)、「他人酒」(辻野耕輔)、「恋みれん」(梅澤富美男)、「夜の新宿しのび逢い」(板東多喜之助)、「夢芝居」(梅澤富美男)等々、まさに「てんこ盛り」の内容で、飽きることはなかった。最後に観客の一言、「楽しかったね」でテープは終了している。
 時は今、平成26年・・・。ほぼ30年前(昭和50年代末期)の舞台模様であったが、それが昨日のことのように思い出されて、私の涙は止まらない。(2014.9.19)



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2023-01-12

幕間閑話・「遊民の思想」(森秀人)・《若き日の「梅沢武生劇団」》

「遊民の思想」(森秀人・虎見書房・1968年)の「Ⅱ 芸人・大衆芸術論」の中に「考えるところあって、十二月に旅役者の一行とともに田舎を歩いた。梅沢武生一座という。座長は二十四歳。野球選手になりたかったのに親の後を受けて役者になった。生活のためである。妹の正子は二十歳。ふつうの娘のような生活を望んでいるが、彼女も結局舞台に立った。総勢十七名。なんとも陽気な一座である」という書き出しで始まる一節がある。その内容を要約すると、①座長以下全員、舞台づくり移動など工場労働者以上の労働に密着している。②若い現代の旅役者たちは、義理人情の思想に乏しいから、自分たちの芸をあまり信じない。ところが、いったんかれらが舞台に立つと、観客が涙を流して泣き笑う。粗末な小屋で、だから演じるのはむしろ観客なのだ。観客の思想が、舞台の若い役者たちを感動させ、熱中させる。③若い役者にとって、楽屋という見あきた小さな生活圏は牢獄である。他の生活の選択は許されない。小さな共同体は、一人崩れれば全滅するのだ。だから、若い旅役者は淋しい。④彼らは共同体的な芸術を独自に崩そうとあがきはじめている。その結果、ポンコツ喜劇とポンコツ楽団をつくって舞台にのせたら大成功、一座の人気レパートリーとなって、連日十五日間満員で小屋を埋めさせた。⑤それでも若い役者たちは、舞台に生涯をかける気はさらにない。⑥その栄光と悲惨を、わたしはひとごとのように思えなかった。階級社会に生きるすべてのもののそれは象徴なのである。そして、まとめの段落は以下の通りである。「旅役者たちは、芸術の私的所有の今日的形態を、自然に脱却しつつある。知識人芸術家たちの先駆が、文学を行きつめることで、文学を止揚しつつあるように、かれらは芝居を止揚していっている。その行きつめたさきに一座解散という事態が起こっても、あまり驚かないほどの用意は、すでに充分あるのであった」
 この一節の中で、著者・森秀人は何を言いたかったのだろうか、私にはわからない。まず第一に、著者は冒頭「考えるところあって・・・」と書き出しているが、どんなことを考えたのだろうか。第二に、共同体的な芸術(従来のレパートリー)を崩し成功したことが「栄光」、楽屋という生活圏から逃げられないことが「悲惨」だとして、それが階級社会に生きるすべてのものの象徴だと「断定」する根拠は何か。第三に、「旅役者たちは、芸術の私的所有の今日的形態を、自然に脱却しつつある」とは、どういうことか。第四に、「文学を行きつめることで、文学を止揚しつつある」とは、どういう意味か。ちなみに「行きつめる」という単語は辞書に載っていない。また、「止揚」とは「ヘーゲル弁証法の根本概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。揚棄。アウフヘーベン(ドイツ語)の訳語」(スーパー大辞林)とある。つまり、知識人芸術家たちの先駆が、文学を「そのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生か」しつつあるように、旅役者も芝居を「そのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生か」していっている、ということか。第五に、旅役者が、芝居を「行きつめたさきに一座解散という事態が起こっても」という時、著者はどのような事態を想定しているのだろうか。
 私が「梅澤武生 劇団」に出会ったのは、この著書出版から三年後(1971年)である。おそらく、そのポンコツ喜劇、ポンコツ楽団に感動、芝居小屋を満員にした一人になるだろう。以後、「梅澤武生劇団」は、小屋主と公演料の折り合いがつかず、「東京大衆演劇劇場協会」を脱退、独自の公演活動を展開しているが、「芸術の私的所有の今日的形態を脱却」したことになるのだろうか。しかも、まだ「一座解散という事態」は起こっていない。思うに、著者・森秀人の「心の中」には(彼自身が図示して説明していることだが)、 人類芸術史は、1・未開 共同体芸術社会(無階級社会)、2 文明 文学的芸術社会(階級社会)、3 大衆芸術(階級社会)、4 新文明 共同体芸術社会(無階級社会)というように発展・発達(止揚)「するはずだ」もしくは「させければならない」という仮説(無政府主義・アナーキズム?)があるようだ。しかし、人類史は、1991年の「ソ連崩壊」によって、「無階級社会」から「一歩後退」という「段階」に陥っているようである。つまり、評論家・森秀人の「仮説」は、今のところ「歴史的事実」によって否定されて「しまった」といえるだろう。その「仮説」は、彼が「心の中」で思った(感じた・願った)ことに過ぎないのだから、「評論」としては成り立たなくて当然である。おそらく、彼の「願望」としては、「文明」によってもたらされた「階級社会」の矛盾の現れである「(高尚・道徳・「体制」的な)文学的芸術社会」(知識人)を、対立・闘争の過程を通じて(低俗・本能・「反体制」的な「大衆芸術」を評価・受容することによって)発展的に統一(「新文明の創造」「無階級社会の具現化」イコール革命)するという「筋道」があったのだろう。 
 しかし現代は「格差社会」、「ソ連崩壊」によって「階級社会」という言葉も死語になりつつある。そして、評論家・森秀人の著書もまた「反古」になりつつあるのだろうか。(2008.4.3)
梅沢富美男と梅沢武生劇団の秘密梅沢富美男と梅沢武生劇団の秘密
(2002/01)
不明

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