META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 満劇団
2ntブログ
QLOOKアクセス解析
2023-11-22

劇団素描・「満劇団」・《芝居「下田情話・お吉物語」の蛇足部分》

【満劇団】(座長・大日向皐扇)・《平成22年9月公演・つくば湯ーワールド》
芝居の外題は「下田情話・唐人お吉」(第一部)。座長・大日向皐扇極め付きの特別狂言とやらで三部構成。今日の昼が「第一部」、夜が「第二部」、明日の昼が「第三部」とのことであった。さて「第一部」は、下田の名妓・明烏お吉(座長・大日向皐扇)がアメリカ総領事・ハリスに見初められ、相思相愛だった船大工の鶴松との仲を「生木を裂かれるように」断たれるまでの展開を、浪曲・天津羽衣の「節劇」を挿入しながら、忠実に描出しているように見受けられたが、その出来栄えは「今一歩」というところか。鶴松は「自分の出世」のためにお吉を「捨てた」わけではない。お吉と別れなければ、大恩ある下田奉行(大日向満)を切腹させなければならない。その「義理」のために、泣く泣くお吉との別離を決意したのだが、そこらあたりをお吉が気付いていたものやら、いないものやら・・・。座長演じるお吉の絵姿はどちらかと言えば「陽性」、鉄火肌の風情は格別だが、いとしい鶴松を思いつつ、「下田のため、日本のため」に犠牲となる、(女の)「いじらしさ」を描出できたか、否や?大昔(昭和初期?)の俗曲・さのさ、「いじらしや、伊豆の下田の唐人お吉。今日も揺られて駕籠の中、許して頂戴ねえ鶴松さんと、合わす両手に散る椿」(唄・芸者小花)といった景色には、遠く及ばなかったのではないか。第一部の舞台、上演時間は長々と1時間40分。だが後半の40分(ハリスは帰国、鶴松は行方しれず、浜の人々からは「洋妾」と蔑まれて、酒浸りの毎日を過ごすお吉の様子を描いた場面)は、脇役の「力不足」もあってか、冗長に過ぎた。鶴松出世の犠牲になったという、お吉の「思いこみ」(悔しさ)が強調されるばかりで、肝腎の「いじらしさ」が伝わってこない。加えて、浜の婆さん(責任者・大日向きよみ)が、お吉に同情的な子役・3人に、やたらめったら「ピンタをかませる」場面は、当世はやりの「ネグレクト」を目の当たりに見るようで「不快」このうえなく、これまでの名場面を台無しにしてしまった、と私は思う。要するに、「第一部」の展開は、前半の1時間だけで十分、延長された40分は文字どおり「蛇足」に終わった。それかあらぬか、夜の「第二部」を見聞する意欲は(先ほどの「ネグレクト」の場面がちらついて)たちまち消失、早々と帰路に就いた次第である。
お吉物語/黒船哀歌お吉物語/黒船哀歌
(2005/12/07)
天津羽衣

商品詳細を見る




日本直販オンライン
QVCジャパン
にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ




2023-07-15

劇団素描・「満劇団」・《芝居「命くれない」》

【満劇団】(座長・大日向きよみ)〈平成20年4月公演・柏健康センターみのりの湯〉
 昼の部、芝居の外題は「命くれない」。筋書は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府方の侍(座長)が、船で逃走中漂流し、瀕死の状態で伊豆大島に流れ着く。土地の漁師兄・妹(飛鳥一美・堤みちや)に助けられ一命をとりとめたが、盲目となった。漁師は舟を売り五十両という大金を調達して、侍を京都(眼科の名医がいるという)に送り出す。侍、京都までやって来たが、盲目の身、気がつくと五十両は(スラれたものか、落としたものか)手元にはなかった。絶望して橋から身を投げようとしたとき、京都の人気芸者・高丸(大日向皐扇)に助けられる。高丸の援助で盲目は全快、今はある寺で「似顔絵」を描いていた。大島で助けられた恩人を思い出すためだという。一方、漁師の妹も京都にいた。(将来は夫婦約束をしていた)侍の後を追ってきたが、彼は、すでに高丸という芸者と熱い仲、しかたなく(名前を変え)寺の下女として住み込んでいたのだ。大島から、侍や妹を案じて、兄・漁師もやってきた。てっきり、侍と妹は所帯をもって幸せに暮らしていると思いきや、妹は下女の姿、侍の側にはピッタリと芸者・高丸が寄り添っている。兄は侍に「約束が違うではないか」と抗議する。驚愕する侍、「寺の下女が、まさか命の恩人の娘だったとは・・・」しかし、芸者・高丸も命の恩人であることに変わりない。「あちら立てれば、こちらが立たず・・・」進退窮まって自刃しようとしたが、朋輩・近藤(大日向満)に止められる。状況を察した漁師の兄と妹、すべてをあきらめて、帰路につく。その様子を見た近藤、高丸を説得。「どちらも、命の恩人、侍を思う気持ちに変わりはない。ここは一番、おまえが身を引いて、侍と娘の幸せを祈ってみてはどうか・・・」売り物・買い物の「芸者稼業」を続けてはいるけれど、初めて出会えた恋しいお人、「生まれる前から結ばれていた、そんな気がする紅の糸・・・」、舞台は高丸の愁嘆場となった。         実は、この芝居、私は「鹿島順一劇団」で見聞済み。侍(蛇々丸)、漁師親・娘(鹿島順一・春大吉)、芸者(春日舞子)、朋輩(花道あきら)という配役であった。(外題は「新橋情話」)
 双方の配役を比べると、登場人物の「誰に力点をおくか」という点で、かなり違う。
娘を男優(女形)が演じていることは共通しているが、「満劇団」では、座長が侍、太夫元が朋輩、「鹿島劇団」では、座長が漁師・親、春日舞子(座長の妻・劇団のNO.2)が芸者を演じた。ともに役者の「実力」は水準以上、甲乙つけがたい舞台ではあったが、眼目は「芸者の愁嘆」だと考えれば、座長・大日向きよみの「芸者」、大日向皐扇の「侍」、大日向満の「漁師」(親)、飛鳥一美の「朋輩」という配役だったら、どのような景色・風情になっただろうか。
夜の部、芝居の外題は「家なき子」、一言で言えば、江戸時代の「養護施設」の話、家(親)のない子どもたちを引き取って「飴売り」をさせている強欲婆が、実は子ども思いの篤志家であったという筋書。劇団の子役二人・「浪花の若旦那」「浪花の小姫ちゃん」(三歳男児・四歳女児)の活躍が見所の舞台であった。二人とも、まさに「プロ」、「大したもんだ」「どうすればああなるんだろう」と思ったが、座長の話によれば「スパルタで教える」とのこと、しかしその根底にはしっかりとした「家族の絆」が結ばれているに違いない。
 若座長・大日向皐扇の長男(三歳)は、「浪花の若旦那」という芸名で、舞踊ショーにも出演している。特に、若手男優三人(飛鳥一美・堤みちや・ウメショウジ)に混じって、彼なりに精一杯「踊る」姿は、感動的である。お手本を「見せること」、真似しようとする気持ちを育て「待つこと」によって、「直接」「舞台の上で」教育している劇団の方針が素晴らしい。
さて「満劇団」の特徴は「女系家族劇団」だが、そうであればこそ、若手男優三人の「役割」は重く、またその役割を十分に果たせる「実力」を備えていると、私は思う。飛鳥一美、芝居における若座長・大日向皐扇との「コンビ」が絶妙で、「才蔵役」に徹することが肝要。「舞踊」の実力も半端ではない。「飲んだくれ爺」の「面踊り」は至芸の域に達している。股旅姿の凛々しさ、華麗な太刀さばき、男の色香を漂わせる風情に磨きをかければ、舞台の景色は一変するだろう。「瞼の母」「俵星玄蕃」「安宅の松風」の舞姿を観たい。堤みちや、鮮やかな扇芸、無表情に徹したままのコミックな所作が魅力的。「竹とんぼ」「ころがる石」「冬桜」などに加えて、若衆姿の舞踊を観てみたい。ウメ・ショウジ、「表情」「目線」で踊れる「技」は絶品、藤山寛美「もどき」の風情に自信を持つべきだ。「浪花花」「人生劇場」「無法松の一生」などを「自分流」に踊れば「至芸」に近づくのではないか。三者三様、いずれも「個性的」な「味」をもっているので、それらが結実化すれば、劇団の「実力」は盤石なものになるだろう。座長、若座長の「礎」(女性的な艶やかさの引き立て役)となりながら、相互の「個性」を生かし合うこと(男性独自の魅力を発揮し合うこと、例えば殺陣、トンボ、居合い等々)、それが男優陣三人の大きな役割ではないだろうか。
鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)
(2010/01)
野口 武彦

商品詳細を見る




にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村 
blogram投票ボタン

観劇 ブログランキングへ

ブログランキングNo.1
ブログランキングNO1


スポンサードリンク


プロフィール

e184125

Author:e184125
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
ブログランキングNO1
ブログランキングNO1