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2024-03-07

付録・邦画傑作選・「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)

 ユーチューブで映画「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)を観た。戦時下における教育映画の名作である。
 主人公は、小田切とみ(高峰秀子)16歳、彼女の父は行方不明、母とは7歳の時に死別、母が遊芸人だったことから9歳の時、曲馬団に入れられた。現在の保護者は伯父になっているが折り合いが悪く、放浪を繰り返し、警察に度々補導されている。性格は強情、粗暴で、一切口をきかない・・・、ということで少年審判所に送られた。その結果、東北にある救護院、四辻学院で教育を受けることになる。彼女の身柄を引き受けに来たのは(新任の)山田先生(里見藍子)。市電、汽車、バスを乗り継いで学院に向かうが、とみは口を閉ざしたまま山田先生の話しかけに応じようとしないばかりか、「隙あらば逃げだそう」という気配も窺われる。事実、高崎駅で先生が水を汲みに行き戻ると、とみの姿は消えていた。あわてて探せばホームに立っている。「小田切さーん」と呼びかけられ、走り出した列車に飛び乗るという離れ業を演じる始末、ようやく学院の門前まで辿り着き、先生が「疑って悪かったわ、何でも悪い方にばかり考えてしまって・・」と言った途端、今度は本当に逃げ出した。道を駆け下り、畦道伝いに、田圃、叢を抜け、沼地へと逃げていく。必死に追いかける先生もまた走る、走る。とみは沼地に踏み込み、ずぶ濡れ、先生もずぶ濡れになって後を追う。「捕まえる」というよりは「助ける」ために・・・。やがて、とみの行く手には高い石垣が待っていた。万事休す、キッとして先生を睨むとみ。しかし、先生は意外にも、その場(水中)にしゃがみ込み泣き伏してしまった。とみは逃走を断念する。 かくて、とみは学院の一員となったが、「無言の行」は相変わらず、誰とも言葉を交わさない。院長の四辻(菅井一郎)は「初めはみんなそうだ、そのうちに必ずよくなる」と確信、山田先生を励ますが、とみの強情、粗暴は変わらず、院生とのトラブルは増え続ける。「親切にされると、下心があるんじゃないかと疑い深くなるものだ。彼女の乱暴は、身を守る手段なのだ」という院長の言葉は、現代にも通じる至言だろう。
 院生たちの不満は、一に、新参のとみが心を開かないこと(緘黙を貫いていること)、二に、そうしたとみを院長が許容していること、三に、山田先生がとみだけを可愛がっていることに向けられる。とみには「山猫」という異名がつけられた。とりわけ、とみにつらく当たるのは足を引きずる年長の院生(配役不明・好演)、院生の間では一目置かれているボス的存在である。裁縫の時間に、彼女が山田先生をからかう言動を目にして、とみは彼女に掴みかかり「組んず解れつ」の大暴れ。その夜とみは、四辻院長が「あの子が他人のために乱暴したのは初めてだ。大変な変化だよ、もうあんたとあの子は他人ではないということだ。ますます他の子どもたちはあなたに当たってくるだろう」と話しているのを盗み聞き、山田先生が自分のために苦しんでいることを知る。翌日、音楽の授業ではとみが歌わないので、院生たちは全員歌うのを止めて抵抗する。件のボスが「歌わなくていいのなら私も歌うのはいやです!」と言えば山田先生はなすすべもなく職員室に引き下がる。すっかり自信を失った山田先生に、四辻は「あなたは彼女を愛してさえいればいいんだよ、責任は私がとる!」、四辻の妻も「誰もが経験することなのよ」と慰めたのだが・・・。院生たちが「大変です!小田切さんが逃げました」と駆け込んで来た。とみはボスと一対一で決着をつけ(相手を叩きのめし)脱走したのである。
 院長は直ちに駐在所、駅その他の機関に連絡、捜索を始めたが、とみの行方は杳として知れなかった。それもそのはず、彼女は人里を避け山奥に向かっていたのだから。その晩は嵐、恐怖を乗り越えて翌日、一軒の小屋に辿り着いた。粗末な部屋に人の気配はない。しかし、囲炉裏には鍋が吊され雑炊が煮えている。思わず、それを口にするとみ。やがて人の気配がした。物陰に隠れて見ていると、「そろそろ出来ている頃だぞ、ああ腹減った」
と言いながら子どもが二人入って来た。茶わんが一つ足りない。「あれ?誰かが食った」「ヤダイ、ヤダイ、ヤダイ・・・」という様子を見て、とみが姿を現し、初めて言葉を発した。「あたいが食べたんだよ、昨日一晩中、山の中にいてたまらなくおなかが空いていたもんだから。ごめんよ」と謝る。
 子ども二人は、勘一(小高つとむ)、勘二(加藤博司)という兄弟で、母親を亡くし、猟師の父親松次郎(進藤英太郎)が権次郎という熊をしとめに出かけている間は、二人きりで留守番をしているのだという。
 その日の夜も嵐、強風から小屋を守る兄弟に「ボンヤリしていないでつっかえ棒を持って来いよ」と言われたり、翌朝には「味噌汁に入れるマイタケを採りに行こう」と誘われたり、牧場の裸馬に乗って見せたり、父が居ないと寂しがる勘二に逆立ちをして笑わせたり、勘一から「姉ちゃん、父ちゃんが戻るまで一緒にいてくれよな」とせがまれたり・・・、ようやく、とみは「身の置き所」を見つけたようだ。しかしその安穏はいつまでも続かなかった。米櫃の米が底をついたのだ。やむなく、とみは、村から食料を盗み出すようになっていく。村人からの訴えが相次ぎ、「山猫」という異名は村人たちにも及ぶ始末、事態を憂慮した駐在(永井柳筰)や山田先生は、応援を率いて、山狩りをすることになったのである。
 追っ手が迫って来た。とみは兄弟に盗んできたイモを渡し「すぐに戻ってくるから、これを食べていなさい」と言うが、「ヤダイ!姉ちゃんと一緒に行くんだい」と抱きつかれた。もうこれまでと、とみは兄弟を連れて脱出する。折しも父・松次郞が戻って来て、山田先生、捜索隊と鉢合わせ。「山猫が子どもたちを掠って逃げた」という声に、松次郎は仰天、銃を持って追おうとする。「待って下さい、落ち着いて。あの子がそんなことをするはずがありません」「山猫とは誰なんだ!」「私の娘です」、という山田先生の言葉を振り切って松次郎は駆けだした。必死でその後に続く山田先生・・・、森の中で一発の銃声が聞こえた。思わず倒れ込む山田先生。やがて、兄弟が松次郎を見つけた。「父ちゃん!」と駆け寄ってすがりつく。両手でしっかりと兄弟を抱きしめる父、その光景を呆然と見つめるとみ、力なく歩き出し、倒れている山田先生を見つける。「先生!」と叫んだが反応がない。もう一度、揺り起こして「先生!」と呼ぶ。気がついた先生、一瞬、逃げ出そうとするとみを捕まえて、ビンタ(愛の鞭)一発。とみは先生の胸に飛び込んで泣き崩れた。
勘一と勘二が父・松次郎の懐に飛び込んで、その温もりを感じたように、とみもまた山田先生の「一発」に母の愛を確かめることができたのだろう。二人は抱きしめ合いながら、心ゆくまで泣き続ける・・・。 
 大詰めは、四辻学院の農作業場、晴れわたった大空の下、「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷の・・・」という歌声の中で、院生、院長、山田先生らが、溌剌と鍬を振るい、斜面の畑を耕している。麓の方から「お姉ちゃん、お姉ちゃん」という声がした。勘一と勘二である。傍らには松次郎、駐在さんの姿も見える。思わず駆け降りる、とみ。山田先生にぶつかり「ゴメンナサイ」、走りながら「ゴメンナサイ」、最後に立ち止まり、振り返って院生たち全員に「ゴメンナサーイ!」。まさに「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷」に向けた、とみの澄み切ったメッセージで、この映画の幕は下りた。
 戦時下の「国策映画」とはいえ、いつの時代でも、教育とは「愛の世界」に支えられなければ成り立たないこと、社会はつねに変動していくが人間の「愛」は永久に不変だということを心底から納得した次第である。(2017.2.3)



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2024-03-06

付録・邦画傑作選・「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)

 ユーチューブで映画「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)を観た。この映画はフィルムが消失し永らく「幻の名作」と伝えられていたが、1990年代になってモスクワで発見され復元されたものである。私は高校時代、日本史の授業でその存在を知った。原作者・藤森成吉の名前もその時に受験知識として覚えたものである。タイトルが翻訳文体であることも特徴的であった。その「幻の名作」を今、観ることができるなんて夢のような出来事である。
 映画の主人公「彼女」とは中村すみ子(高津慶子)という薄幸な女性のことである。父の手紙を持って鉄道の線路をとぼとぼと歩く。疲れ果て行き倒れになる寸前、貧乏な車引き土井老人(片岡好右衛門)に助けられた。事情を聞くと、新田の町に住む伯父、山田寬太(浅野節)を訪ね、学校に通いたいと言う。老人は雑炊を馳走し、翌朝、すみ子を馬車に乗せて町に向かう。入口まで来ると「あれが新田の町だ、伯父さんの家は警官に訊くとよい」と送り出す。「ありがとう!、学校に行ったら遊びに行くね」と手を振って別れたが、伯父の家は「貧乏人の子だくさん」を絵に描いたような有様で、七人の子どもが犇めいている。すみ子から手渡された手紙を読むと、それは遺書。「この金ですみ子を学校に通わせて・・・」と書いてある。封筒からこぼれ落ちる数枚の札。伯父は驚いてその札を懐に入れようとするが、女房(園千枝子)も黙っていない。たちまち伯父夫婦のバトルが始まった。札を奪い合って火鉢の土瓶がひっくり返る、舞い上がる灰神楽、泣き出す赤児、その様子を見て 「また喧嘩が始まった、バンザイ、バンザイ」と面白がる子どもたちの風景は、まさにトラジ・コミックの典型であった。しかし伯父夫婦は、父娘の願いを無視して、すみ子を曲芸団に売り渡す。「早くおし!」と女房に急き立てられながら、すみ子は、父の手紙と土井老人からプレゼントされた銀貨だけは手放さなかった。曲馬団でのテント生活が始まる。彼女の役は、団長(浜田格)が投げるナイフの「的」、恐怖で失神するすみ子、でも優しい仲間が居た。彼女同様に売られてきた孤児たちである。なかでも、年長の市川新太郎(海野龍人)は頼りになった。団長は冷酷無比、団員たちを酷使し絞り上げる。団員たちが抗議しても受け入れない。「もう我慢できねえ」と彼らは決起して脱走した。すみ子も新太郎と一緒に逃げ出し、新太郎の姉が居る由井の町へと向かう。「ここまでくれば大丈夫」と一息ついたが、すみ子の体力は限界、一歩も先に進めなくなってしまった。新太郎は「道を確かめてくる、ここを動いちゃいけないよ」と言って立ち去った。待っていたのは「運命のいたずら」か、新太郎は自動車にはねられて病院へ・・・。1年後、すみ子の姿はある警察署の中にあった。詐欺師・作平(小島洋々)の手先をつとめ捕縛されたのだ。巡査部長は「可哀想な娘だなあ、お前は猿回しの『猿』のように使われたんだよ」と説諭、やがて作平も逮捕され、すみ子は私立の養育院に送られる。そこは老人と浮浪者の養護施設。ここでも人々は待遇の悪さに呻吟していた。母乳を十分に与えられず泣き叫ぶ赤ん坊を、見かねたすみ子が子守する。唄を歌いながら、優しかった土井老人、新太郎の面影を追ううちに、その心が通じたか赤ん坊はスヤスヤと眠りについた。感謝する母親。そんな時、事務員が来てすみ子の名を呼んだ。「お前は秋山県会議員の所へ女中に行くんだ」。羨ましがる周囲の人々、すみ子は「さようなら、赤ちゃん」と眠っている赤ちゃんの手を頬に当て涙ぐむ。一同に別れを告げ、風呂敷包み一つを抱えて養育院を出ていく彼女の姿はひときわ美しかった。
 だがしかし、秋山議員宅での女中奉公も長続きしない。わがまま娘の朝食の世話を任されたが、娘は出された魚の骨が刺さったと大騒ぎ、議員の細君(二条玉子)が「娘を殺す気か」などと怒鳴り立てる。その様子を笑って見ている床の間の布袋像は印象的、上流階級の幼稚さ・未熟さを暗示している。すみ子は娘の食べ残した魚を女中部屋に持ち帰り、毛抜きで骨を除く。女中頭に「お嬢様は御自分で骨を取らないんですか」と尋ねると「取るくらいなら食べないんですって」という答、「まあ、ずいぶん不自由な方ですね」という言葉に女中連中は大笑い、自分たちの遅い朝食を摂り始めた。そこに居住まいを正してやって来た細君、「奥の物を洗ってから食事をしなさい」「水が出しっぱなし」、すみ子が新香に醤油をかけるのを見て「香の物にはむらさきをかけてはいけません」等々、小言・雑言を浴びせまくる。最後にはすみ子に向かって「お前はこれまで随分不幸な目に会ったそうだが、養育院に比べ高価な魚を食べられて幸せだろ」と毒づいた。これまで堪え忍んできたすみ子、堪忍袋の緒が切れたか、キッとして「お魚ならいつも食べています!残り物なんか犬しか食べません」と言うや否や、持っていた皿を投げつけた。戸棚の硝子が割れて大きな穴があく。女中仲間は驚いたが、陰では応援している様子がよくわかる。かくて、すみ子は再び養育院に戻された。
 すみ子の次(三年後)の奉公先は琵琶の師匠(藤閒林太郎)宅。ある雨の日、何気なく窓の外を見ると、向こうの軒下で雨宿りをしている青年がこちらを見ている。「・・・すみちゃん?」その声は、あの時「運命のいたずら」で離れ離れになった新太郎だったとは・・・。新太郎は今、役者になって劇団「ことぶき」に居るという。居場所を教えて去って行った。すみ子に一筋の光が見えた。その夜、師匠の酒の相手をしていると、いきなり腕を掴まれ引き寄せられる。「何をするんです!」と振り払い、すみ子は一目散に新太郎の元へ走り去った。
 新太郎の貸間での新所帯が始まる。いそいそと炊事に取り組むすみ子、ようやく幸せの日々が始まったかに見えたが、帰宅した新太郎曰く「劇団との契約を取り消された」。知り合いにも金の工面を頼んだが「ツゴウツカズ」との返事。万策尽きた二人は心中を決意する。荒涼とした浜辺を彷徨う二人、近くには十字架のような棒杭が立ち並んでいる。二人の様子を訝る漁師たち。案の定、月の浜辺を後にして二人は入水する。「女が溺れているぞ!」、予期していた漁師たちが船を出して、すみ子を救出、彼女は修道院・天使園に収容される。「悔い改めよ、然らば、汝等は救はれん」「富める者の天国に入るは難し」という言葉を胸に、すみ子は神の子となったか。信仰生活に入ることを決意したすみ子がポプラ並木の下で聖書を読んでいると、まもなく退園する信者・島村かく(間英子)がやって来る。「あんたの亭主、生きていたってよ、私が出所して手紙を出してやるよ。早く手紙を書きなよ」「いえ、私は新しい生活に入ります」と断ったが、「心中までした相手を簡単に忘れてたまるもんか、いいから早く書いておしまいよ、走り書きでいいんだから・・・」。その誘惑に勝てず、すみ子は新太郎への手紙を認め、かくに託した。やがて礼拝が始まる。信者一同の前で園主(尾崎静子)いわく「島村かく姉妹は立派に悔い改め巣立ちます。お手本にしましょう」。式は無事終わったように見えたが、またまた「運命のいたずら」か、かくの懐から手紙がポトリと落ちた。見咎めた園主、「かくさん、お待ちなさい」と呼び止めて手紙を読む。「何てことを!あなたは神を欺いたのです。出所どころか懲戒房行きです」「どうか、お許しを!あれは頼まれたのです」、すべては後の祭り、一人残されたかくが絶叫する。「ああ、この子羊をお許し下さい!」。
 その数時間後か、園主がすみ子に問い質す。「あなたはこの手紙をかくさんに頼んだのですね」「はい、でもぜひ書けって言われたものですから」「嘘はいけません!自分の罪を他人になすりつけてはいけません。あなたは死んだのです。生きる屍です。汚らわしい男のことはは忘れなさい。今度の礼拝日に皆の前で悔い改めるのです。懺悔をしなさい」「それだけはできません」「耐えるのです、耐えて強くなるのです」「どうか勘弁して下さい」と謝ったが聞き入れらることはなかった。そして日曜の礼拝日が来た。園主はすみ子に懺悔を強いる。すみ子は動かない。園主は「よござんす、それでは私が告白します」と言って、すみ子の罪を暴露した。「あんなに謝ったのに神は許してくれないのか」、すみ子の信仰心は「怒り」に変わり、聖書を十字架に向かって投げつける。「神なんて嘘だ!」というすみ子の叫びが響き渡る。やがて夜が来た。激しい半鐘の音が鳴り響き、教会は炎に包まれる。混乱し逃げ惑う信者たち、現金を手に逃げ出す園主、狂喜して踊るすみ子、「ああ、赤い天使が舞っている、みんな天国へ、みんな天国へ・・・」
しかし、まもなく警官の手がすみ子をしっかりと捕まえる。「お前だな、火をつけたのは」「はい、私がつけました」という字幕の最後に「何が彼女をそうさせたか」という文字が浮かび上がりこの映画は終わった。
 すみ子という薄幸な女性の半生がリアルに描かれており、現代でも十分に説得力のある名作である、と私は思った。特に彼女を取り巻く人々の群像は人間的であり、土井老人、新太郎の「清貧」、養育院の面々の庶民的な「温もり」、曲芸団員の「連帯感」に、伯父夫婦、団長、議員細君、琵琶師匠、島村かく等に見られる「我欲」「冷酷」「俗情」、園主の「狂信」が対置される構図(演出)はお見事。また、伯父夫婦の子どもたちが見せる「喧騒」と「愛嬌」、布袋様にも笑われる議員の娘の「醜態」、議員細君に小言を食らう女中仲間の「表情」は喜劇的であり、トラジ・コミックなドタバタ風景も楽しめる。
 さらに言えば、主人公・中村すみ子の財産は「風呂敷包み」一つだけ、それが彼女の「無産」の象徴として、「清貧」「薄幸」の生き様を鮮やかに描出していた。 
 なるほど、「昭和5年キネマ旬報優秀作品第1位」にふさわしい名作であることを、あらためて確認した次第である。
(2017.2.1)



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2024-03-05

付録・邦画傑作選。《「浮草物語」(監督小津安二郎・1934年)》

 戦前の「大衆演劇」を描いた邦画に「浮草物語」(監督小津安二郎・1934年)がある。ユーチューブで観賞できるが、サイレント版であり、全く沈黙の世界である。しかし、場面の随所にはセリフの字幕が挿入されており、不自由はしない。
 登場するのは市川喜八(坂本武)一座、信州(?)の田舎町に九年ぶりにやってきた。この町には喜八の隠し子の信吉(三井秀男)が、居酒屋を営む母・かあやん(飯田蝶子)と共に住んでいる。到着早々、喜八は現在の女房・おたか(八雲理恵子)に「土地の御贔屓筋の挨拶回りだ」と偽って居酒屋へ・・・、久しぶりに再会する喜八とかあやん、ニッコリと微笑み合って、「もうそろそろ来る頃だろうと思っていたよ」「信吉は大きくなったか」「ああ、農学校を卒業して今は専修科に通っているよ」「女手ひとつで随分苦労をしたろうな」「なーに、生きがいだから、ちっとも苦にはならないよ・・・、一本つけようか」・・・。昔、浮き名を流した中年男女の、互いをいたわり合う会話が清々しい。信吉には、親が旅役者ではまずかろうと、「お父さんは役場に勤めていたが、死んでしまった」と告げてある。「そのままにしておこう」と二人が確認し合ううちに、信吉が帰ってきた。かあやんが「信吉おかえり。芝居のおじさんが来てるよ!」。信吉もニッコリ笑って喜八を迎えた。「ずいぶん大きくなったなあ」。かあやんが「来年は検査だよ」というと喜八は信吉の身体をまぶしそうに眺めて「ウン、甲種だな」。「おじさん!、鮎釣りにいかないか」「ヨシ、行こう」、二人は近くの河原に赴いた。釣り糸を流しながら会話する。「おじさん、今度は長く居られるんだろう」「ああ、お客が入れば一年でも居られるさ」「楽屋に遊びに行ってもいいかな」「あんなところは、お前の来る所じゃねえ、人種が違うんだ」。
 その夜の興行は大入り満員、演目は「慶安太平記」であった。喜八の丸橋忠弥がほろ酔い気分で登場、ふらつきながら見栄を切ったが、犬がなかなか出てこない。袖に向かって「オイ、犬、犬はどうした!」と小声で叫んだ、出番の子役・富坊(突貫小僧)、あわててぬいぐるみを被り、客席から登場して忠弥に突進・・・、その様子が何とも可愛らしく、観客の大喝采が聞こえるようであった。しかし、突然降り出した驟雨のため、小屋の雨漏りが甚だしく、楽屋も客席も右往左往して、大騒動となってしまった。
 次の日も、次の日も、次の日も雨は止まない。芝居は休演で、座員は無聊を託っているが、喜八は連日の居酒屋通い、一同は「それにしても親方はのんきだなあ」という言葉に古参の座員・とっつあん(谷麗光)が口を滑らした。「そりゃあ、この土地に来たら仕方ねえよ」。それを聞きとがめたおたかが問い詰める。「お前さん、妙なことをお言いだねえ」。金まで掴まされて、とっつあんは、やむなく真相を白状、おたかの知るところとなった。おたかの気持ちは収まらず、妹分のおとき(坪内美子)を連れて居酒屋に押しかける。「おかみさん、一本つけておくんない」。二階では喜八と信吉がトウモロコシを囓りながら将棋に興じていたが、かあやんが昇ってきた。「お迎えだよ」。驚いた喜八が下に降りると、おたかとおときが酒を酌み交わしている。思わず「何しに来やがった!」とおたかを店からつまみ出し、痴話喧嘩が始まった。雨の中、「てめえなんかが出しゃばる幕か、オレがオレの倅に会いに行くのが何が悪い」「そんな口がきける義理かい。高崎の御難のことを忘れたか。あんまり舐めたマネ、おしでないよ!」」といったやりとりが、何とも真に迫っていて、男女の色模様が千変万化する景色に圧倒された。とどのつまり「おめえとの縁も今日っきりだ、二度とあの家の敷居をまたぐと承知しねえぞ。オレの倅とお前なんぞとは人種が違うんだ」という捨てセリフでその場は終わったが、喜八とおたかの亀裂は決定的となった。おたかは、おときに金を渡して信吉を誘惑させるが、おときは信吉に夢中の有様、若い二人は本気で逢瀬を楽しむ始末に・・・。
 ようやく雨が上がって、座員一同、河原で衣装の洗濯にとりかかったが、一人おときの姿が見えない。喜八はその日の夜、信吉に会おうと居酒屋を訪れたが、「この頃、毎晩出て行くんだよ」というかあやんの話。やむなく小屋に戻ったが、おときを送ってきた信吉の姿を目撃、おときを問い詰めると「お姉さんに頼まれて誘惑した、でも今では私の方が夢中なの」、驚いて「おたかを呼べ!」・・・、おたかは少しも悪びれずに「お前さん、何か私に用かい」「てめえ、オレの倅をどうしようてんだ」「どうもしないさ、息子さんも旅役者を情婦にするなんて、あんたそっくりということさ。これであんたとアタシは五分と五分・・・、せいぜい悔しがるがいい!」」と言い放った。そしておときも行方をくらました。喜八、居酒屋に駆けつけたが、案の定、信吉とおときは駆け落ち状態に・・・。喜八、全身の力が脱けて、「かあやん、こいつはエライことになったぜ」と言うなり座り込む。「学があっても蛙の子は蛙、女には手を出すのも早えや」と嘆息するばかり。すっかり気落ちして一座の解散を決意してしまった、翌日には衣装を売り払い、一同の旅賃を捻出・・・、古着屋が富坊の犬のぬいぐるみを、つまんで棄てる情景はおかしくもあり、侘びしくもあり、印象に残る場面であった。
 独り身になった喜八、風呂敷包み一つで居酒屋にやって来た。「一座は解散したよ、また旅に出るよ」というのを、かあやんが必死で押しとどめ「当分、ここで暮らせばいいじゃないか、信吉だってわかってくれるさ。親子三人で楽しく暮らそうよ」「何から何まですまねえな」と喜八もその気になったのだが・・・、行方不明の信吉が帰ってきた。おときも一緒だ。喜八、「すみません」と謝るおときに近づき、「どこへいっていやがった」と打擲し始めた。信吉「おじさん、謝っているのに撲たなくたっていいじゃないか」と止めに入ったが、「手前も手前だ、おっかさんが心配しているのがわからねえのか」と平手打ち、信吉、激昂して喜八を突き飛ばした。今度は、かあやんが黙っていない。「お前、この人を誰だと思ってるんだ。お前の本当のお父さんなんだよ」。信吉「お父さんは、村役場に勤めていて、とうに死んだはずじゃないか。本当のお父さんなら、20年も僕たちを放っておくわけがない」「お父さんはお前が堅気になってもらいたくて、本当のことを言わなかったんだよ。お前の学資はみんなお父さんが欠かさず送ってくれていたのに・・・」。信吉たまらず二階に駆け上り泣き崩れた。親子名のりが、とんだ修羅場となる名場面の連続で、私の涙は止まらなかった。喜八、すぐに風呂敷包みを手にすると、「かあやん、やっぱりオレは旅に出るよ」、それを聞いたおとき「親方!私も連れてって。お世話になった親方にこのまま不義理ではお別れできません。生まれ変わって親方のために働きます」、喜八、その言葉を聞いて「かあやん、今の言葉を聞いたか、可愛いこというじゃねえか。気立てのやさしいいい娘なんだ。ここで面倒見てやってくんねえか」・・・肯くおかやん。喜八、安堵して「さっきは殴ったりして悪かったな。信吉を立派にしてやってくれ」とおときに謝る。まだ必死に止めるかあやんに「今度は信吉の親父といっても不足の無い大高島(注・喜八の屋号は高島屋)になって戻ってくらあ、その時は引き幕でも一つ贈ってくんな」と言い残し、居酒屋を立ち去った。おときがあわてて信吉を呼びに行く。2階から降りてきた信吉、「おじさんは?}と尋ねるが、かあやんは答えない。再度「おじさんは」問い直すとようやく「おとうさんかい?」と確かめてから、「また旅に出て行ったよ」、後を追おうとする信吉にかあやんが言う。「止めなくたっていいんだよ、お前さえ偉くなってくれればいいんだよ、おとうさんは、いつだって、こうやって出て行くんだから・・・」その場に立ち尽くして嗚咽する信吉。画面は沈黙だが、私には役者ひとりひとりの肉声がはっきりと聞こえるのである。やがて停車場にやってきた喜八、窓口で上諏訪までの切符を求める。ふと見ると、待合室にはおたきが座っていた。見過ごしてタバコを吸おうとしたがマッチが見当たらない。探していると、いつのまにやらおたきが近づきマッチを差し出す。喜八、黙って受け取りながら一服すると、「お前さん、どこまで行くの?」「上諏訪までだ、」お前はどこだ?」「まだどこって、当てもないのさ」「・・・どうだい、もう一旗一緒に揚げて見る気はねえか」それを聞いておたかの心も決まった。キッとして立ち上がると窓口へ行き「上諏訪1枚!」
 車中で、酒を酌み交わし駅弁に舌鼓をうつ、何とも小粋な場面で閉幕となった。

この作品には三組の男女、喜八とかあやん、信吉とおとき、そして喜八とおたき、が登場する。三つ巴の愛と憎しみが綯い交ぜになった人間模様(愛の不条理)を、文字通りサイレントという沈黙の手法で描出する、小津安二郎の手腕はお見事、さすが「オズの魔法使い」である。筋外には、のどかな山村の風景、芝居の舞台風景、富坊と猫の貯金箱、それを狙うとっつあんらの大人たち、雨上がりの河原で座員一同が洗濯する様子など、戦前の貴重な映像が添えられて、見どころ満載の作品に仕上がっていた。「うたかた」にも似た役者の人生が、浮草のように儚くわびしいものであることを、心底から納得した次第である。 
 小津監督は、戦後(1959年)「浮草」というタイトルでリメイクしている。喜八は嵐駒十郞(中村 鴈治郎)、おたかはすみ子(京マチ子)、かあやんはお芳(杉村春子)、信吉は清(川口浩)、おときは加代(若尾文子)と役名・俳優を変え、三井秀男も、三井弘次と改名し、今度は一座の座員役で登場している。もちろんトーキー、カラー映画の豪華版になったが、その出来映えや如何に、やはり戦前は戦前、戦後は戦後、その違いがくっきりと現れて、甲乙はつけがたい。二つの作品に出演している三井弘次ならば何と答えるだろうか・・・。(2016.8.13)



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2024-03-04

付録・邦画傑作選・「限りなき舗道」(監督・成瀬巳喜男・1934年)

 ユーチューブで映画「限りなき舗道」(監督・成瀬巳喜男・1934年)を観た。成瀬監督最後のサイレント映画である。舞台は東京銀座、カフェの女給二人が登場する。一人は島杉子(忍節子)、もう一人は中根袈裟子(香取千代子)。杉子はしとやかで控えめ、袈裟子は活発でドライと性格は正反対だが、仲良くアパートに同居している。隣の部屋には貧乏画家の山村真吉(日守新一)も居り、袈裟子に好意を感じているようだ。杉子には相愛のボーイフレンド・原田町夫(結城一朗)が居たが、故郷に縁談話があるようで、結着を迫られている様子・・・。ある日、カフェに映画会社・自由が丘撮影所のスカウトがやって来た。人気女優・東山すま子が急に引退を表明したので、その穴埋めを探しに来たのだ。四、五人の女給の中で白羽の矢が立ったのは杉子、翌日、出勤する杉子と袈裟子を待ち伏せしていたスカウト(笠智衆)が「女優になりませんか。今の10倍以上は俸給を払いますよ」と誘う。そういえば近々、杉子の弟(磯野秋雄)が上京、杉子と同居することになっている。袈裟子は早々に引っ越さなければならない、という事情もあって、杉子は女優業に食指が動いたか。出勤後、自由が丘撮影所に向かおうとして交通事故、走ってきた自動車にはねられてしまった。運転していたのは上流階級、山内家の御曹司・山内弘(山内光)。ケガは打撲傷、数日間の入院で済んだが、終始、見舞いを続けた山内が謝罪する。「こちらこそ、急いでいたので不注意でした。御迷惑をおかけしました」という杉子に心惹かれたか、杉子も山内の優しさ・誠意に絆されたか、加えて、入院中の杉子に連絡がとれなかった原田から離別の便りが届いたこともあってか、山内と杉子は「恋人同士」として結婚する。しかし、山内の母(葛城文子)や姉(若葉信子)は気に入らない。洋風、派手好き、上流階級の久山淑子(井上雪子?)を許嫁として迎えたかったらしい。何かにつけて杉子の振る舞いに「格が違う」と難癖をつける。 
 そんな折、袈裟子の方はちゃっかりと自由が丘撮影所と交渉、女優業に収まった。馴染みの画家・真吉にも撮影所の仕事を斡旋する。しかし羽振りのよかったのは初めだけ、近頃は「役がつかない」、真吉に向かって「あんたが近づくからだ」などと八つ当たりを始める有様だった。杉子と袈裟子、いずれも思い通りにならないのが人生・・・。
 いよいよ大詰めへ、姑、小姑の嫌がらせにじっと耐える杉子、彼女を守れずに苦しむ山内に「しばらくお暇をいただきます」と言って杉子は弟が居る元のアパートに戻っていく。事情を知った弟は「初めからこうなると思っていたよ。でもまた二人で働いて出直そう」と慰め励ます。自暴自棄になった山内は、杉子と幸せの時間を過ごした、思い出の箱根路を別の女とドライブ、「どこまで行くの?」と問われれば「俺はどこまでも突っ走りゃいいんだ!」、しかしその直後、転落事故を起こして重態に・・・。山内から家令(谷麗光)が迎えに来た。「世間体もありますのでお戻りください」。杉子は凜として「世間体のためならお断りします」。弟も断ったが「でも、お気の毒なあの人のためにお会いしましょう。私にはどうしてもお母さんやお姉さんに言いたいことがあるんです」。病室に行くと母と姉に囲まれて、山内は包帯姿でベッドの中、「杉子さん、弘はこんな姿になりました」という母の言葉をやり過ごして、杉子は山内の枕元に跪く。気がついた山内「杉さん、逢いたかった。僕は君を苦しめ通しだったね。でも心から君を愛している」と手を差し出せば、杉子も手を握り返し「でも私たちの愛だけではどうにもならないものがあるようです。あなたはいい方だけど弱かった」。その一言を最後に杉子は夫と決別した。母と姉に向かって「今日はお別れにまいりました。はっきり申し上げます。こんなことになってしまったのはみんなお母様とお姉様のせいです。お母様は初めから私を愛そうとはなさらなかった。」「それはひがみです」と姉が言い返せば「ひがみかもしれません。でもお母様が愛していたのは山内家という家名だったのです。それで母親と言えるでしょうか。それでいいのでしょうか」。うなだれる母、弘の呼ぶ声が聞こえる。立ち去ろうとする杉子に母が懇願する。「お願いですから弘のそばに居てやって下さい!」だがしかし、「私、失礼いたします」と言い残すと、杉子はドアの外に消え去った。まもなく山内の様態は急変し息を引き取る。しばし、杉子は廊下に佇んでいたが、哀しみに耐える強さが際立つ艶姿であった。サイレントとは言いながら、周囲の物音、人物の声が聞こえてくる名場面であったと私は思う。 
 ラストシーンは再び銀座、貧乏画家・山村が似顔絵の出店を出している。「ハイ、お弁当よ」とやって来たのは袈裟子、二人は結婚して貧乏生活を始めたようだ。「杉子さんが聞いたらビックリするだろうね」などと語り合う。杉子も元のカフェの女給に舞い戻った。自動車の運転免許を取り、仕事を見つけた弟も、愛車を見せにやって来る。「お茶でも飲んでいかない」と誘うが「少しでも、働かなくちゃ」、欣然と走り去った。見送りながら、ふと乗合バスに目をやると、座席には原田町夫の姿が・・・。うつむく杉子、通り過ぎる路面電車、歩く人々、車などなど賑やかな銀座の風景を映しながら、この佳品は「終」となった。 
 監督・成瀬巳喜男は「女性映画」の名手と言われている。なるほど、杉子、袈裟子、山内家の母、弘の姉、許嫁の久山淑子といった面々が見事な人間模様を描出している。上流家庭を守ろうとする女性たち、貧しくても幸せを求めてしたたかに生きる女性たち、その逞しさ・強さに比べて男たちは弱い。山内弘も原田町夫も「旧家」の家風(格)には抗えず、自らの人生を台無しにしてしまった。わずかに貧乏な山村だけが、ささやかな幸せを掴んだようだ。それにしても、最後、偶然に出会った原田と杉子、二人の今後の運命やいかに?「舗道」とは現代人が歩む道(人生)だとすれば、《限りなき》出会い、別離が繰り返されるであろうことも間違いない。(2017.1.30)



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2024-03-03

付録・邦画傑作選・「にごりえ」(監督・今井正・1953年)

 ユーチューブで映画「にごりえ」(監督・今井正・1953年)を観た。樋口一葉の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」が原作、三話の長編(130分)オムニバス映画である。文学座、前進座、東京俳優協会の錚々たるメンバーが顔を揃えており、第一話「十三夜」では、丹阿弥谷津子、芥川比呂志、三津田健、田村秋子、第二話「大つごもり」では、久我美子、中村伸郞、荒木道子、長岡輝子、竜岡晋、仲谷昇、岸田今日子、北村和夫、子役として河原崎健二、第三話「にごりえ」では、淡島千景、宮口精二、杉村春子、山村聰、南美江、賀原夏子、十朱久雄、加藤武、小池朝雄、神山繁、子役として松山省二、といった面々が登場する。以下、そのストーリーをウィキペディア百科事典から引用する。(カッコ内芸名を追加する)

【十三夜】
 夫の仕打ちに耐えかね、せき(丹阿弥谷津子)が実家に戻ってくる。話を聞いた母(田村秋子)は憤慨し出戻りを許すが、父親(三津田健)は、子供と別れて実家で泣き暮らすなら辛抱して夫のもとで泣き暮らすのも同じ、と諭し、車屋(芥川比呂志)を呼んで、夜道を帰す。しばらく行くと車屋が突然「これ以上引くのが嫌になったから降りてくれ」と言いだす。月夜の明かりで顔がのぞくと、それは幼なじみの録之助であった。せきは車を降り、肩を並べて歩き始める。録之助の身の上話を聞き、励ますせき。別の車が拾える広小路に着き、短い再会を終えて再び別々の道を行く二人。
【大つごもり】
 女中のみね(久我美子)は、育ててくれた養父母(中村伸郞・荒木道子)に頼まれ、奉公先の女主人・あや(長岡輝子)に借金2円を申し込む。約束の大みそかの日、あやはそんな話は聞いていないと突っぱね、急用で出かけてしまう。ちょうどそのとき、当家に20円の入金があり、みねはこの金を茶の間の小箱に入れておくように頼まれる。茶の間では放蕩息子の若旦那・石之助(仲谷昇)が昼寝をしていたが、思いあぐねたみねは、小箱から黙って2円を持ちだし、訪ねてきた養母に渡してしまう。主人の嘉兵衛(竜岡晋)が戻ると、石之助は金を無心し始める。石之助とはなさぬ仲であるあやは、50円を歳暮代わりに石之助に渡して家から追い払う。その夜、主人夫婦は金勘定を始め、茶の間の小箱をみねに持ってこさせる。勝手に2円を持ちだしたことを言いだせないみね。あやが引き出しを開けると20円すべてがなくなっている。引き出しには、その金ももらっていくと書かれた石之助の書き置きが残されていた。
【にごりえ】
 銘酒屋「菊乃井」の人気酌婦・お力(淡島千景)に付きまとう男・源七(宮口精二)。源七はお力に入れ上げたあげく、仕事が疎かになって落ちぶれ、妻(杉村春子)と子(松山省二)と長屋住まいをかこっている。お力と別れてもなお忘れられず、いまだに仕事には身が入らない。妻には毎日愚痴をこぼされ、責められる日々。一度は惚れた男の惨状を知るがゆえに、お力も鬱鬱とした日を送っている。ある日、源七の子が菓子を持って家に帰る。お力にもらった菓子と知り、妻は怒り、子を連れ、家を出る。妻が戻ってみると、源七の姿がない。菊乃井でもお力が行方不明で騒ぎになっていた。捜索中の警官が心中らしい男女の遺体を見つける。女には抵抗のあとが認められた。
 
 「十三夜」は、昔、一緒に遊んだ男女が偶然再会する物語。男はタバコ屋の倅で人気者だったが、なぜか身を持ち崩して車引き、浅草の安宿にくすぶっている。女は良家に嫁いだが、夫とは不仲、しかし子どものために辛抱する覚悟を決めた。二人が二人とも幸せではない。その運命をどうしようもなく引きずって生きて行かなければならない。そうした「やるせなさ」を感じながら、きっぱりと別れを告げる二人の姿が清々しく、詩情豊かな逸品に仕上がっていた。
 「大つごもり」の若旦那・石之助もはぐれ者、親の財産を食いつぶす放蕩三昧を重ねているが、心根は温かく優しい。まだ小娘の奉公人・みねのために「泥をかぶった」潔さが光っている。
 「にごりえ」もまた、酌婦・お力のために身を持ち崩した源七という男の悲劇。新しく現れた羽振りのいい客(山村聰)の前で、お力の気持ちは揺れ動く。「この人に身を任せたい、でもあの人のことが忘れられない」、その気持ちの根底にあるのは自分の生い立ち、(足の不自由な)飾り職人の娘として生まれ、極貧の暮らしを重ねてきた。その暮らしを今、(自分のために)源七一家が強いられていると思うと、「どうしようもない」「どうにでもなれ」と、やけ酒をあおる他はないのである。その気持ちは源七も同じであったか、妻子を追い出し、割腹した。「無理心中」か、「合意の情死」か、それは誰にもわからない。 
 以上、三つの話に共通するのは、「貧しさの景色」と「幕切れの余韻」であろうか。「愛別離苦」、その裏返しの「怨憎会苦」という迷いであろうか。いずれにせよ、樋口一葉の原作が忠実に映像化されていたことに変わりはない。
 登場した俳優連中の「実力」も半端ではない。丹阿弥谷津子、久我美子、淡島千景の役柄はまさに適材適所、相手役・芥川比呂志、仲谷昇、宮口精二の三者三様の「男っぷり」、田村秋子、長岡輝子、杉村春子の「女っぷり」、河原崎健二、松山省二の「子どもっぷり」、三津田健、中村伸郎、竜岡晋の「父親気質」、端役でも存在感を示す十朱久雄、北村和夫、荒木道子、景色に色を添える岸田今日子、加藤治子らの姿が綺羅星のごとく居並んでいる。
 1950年代、屈指の傑作であると、私は思った。(2017.5.18)



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2024-03-02

付録・邦画傑作選・「恋も忘れて」(監督・清水宏・1937年)

 ユーチューブで映画「恋も忘れて」(監督・清水宏・1937年)を観た。横浜のホテル(実際はチャブ屋)で働く一人の女・お雪(桑野通子)とその息子・春雄(爆弾小僧)が、様々な「仕打ち」を受ける物語(悲劇)である。
 筋書きは単純、お雪はシングルマザー、一人息子の春雄(小学校1年生)を立派に育て上げようと、水商売に甘んじている。しかし、その生業が災いして春雄は孤立、かけがえのない命を落としてしまう。それだけの話だが、見どころは満載、寸分の隙もない演出が見事である。
 その一は、女優・桑野通子の「魅力」(存在感)である。冒頭、港町の路地を、お雪が日傘を回しながら歩いていると、向こうから春雄の上級生・小太郎(突貫小僧)が駆けてきた。呼び止めて「坊や、坊や、ウチの春坊は?」と問いかけると「春坊?オレは春坊の守っ子じゃあねえやい」と過ぎ去った。その後姿を見送りながら「・・憎っくいガキだね」と呟く。その一言で、お雪の素性が露わになる。すれっからしの商売女、金に不自由はしないが、世間からは受け入れられていない。お雪は世間と闘っているのである。その足で職場に赴くと、女給連中を集めて、上司のマダム(岡村文子)に談判(団体交渉)をする気配である。「借金に縛られた上、衣装は自前、食事も自前、これじゃやっていけないわ。衣装代の半分くらいは払ってもらおうよ。もしダメなら、お客さんの飲んだビール代から何割か回してもらおうよ」。一同は大賛成、早速マダムと掛けあうが、マダムの回答はゼロ、「そんな言い分があるんなら、観光船のいい客ばかりでなく、油に汚れた石炭臭い連中にもっとサービスして、客を増やさないか。イヤなら辞めてもらっていいんだよ」。一同はがっかり、お雪は「あたし、今日は休むよ」と、プイと帰宅してしまったが、春雄の姿を見ると「やっぱり稼がなくては」と思い直し、ホテルに戻る姿がいじらしい。また、春雄をいじめから守ろうと転校させる。連れだって登校する途中で、春雄が「もういいよ、自分一人で行けるから」「どうして?」「もう、大丈夫だよ」、自分の派手な洋服姿がまずかったのかと帰宅して、しみじみと鏡を見つめる姿も「絵になっていた」。外に向かっては突っ張り、子どもに対しては優しい母性愛、そのコントラストを桑野通子は鮮やかに描き出すのである。加えて、用心棒・恭助(佐野周二)との「色模様」も格別、あくまでも、あっさりと淡泊に、まさに「恋も忘れて」男を惹きつけるのである。
 その二は、春雄を演じた爆弾小僧と、彼を目の敵にして虐める小太郎役・突貫小僧の「対決」である。船着き場の倉庫が彼らの遊び場だ。春雄がロープを吊したブランコに乗っていると、小太郎がやって来て「誰に断って乗ってるんだ、お前この頃生意気だぞ」「誰にも断らないよ」「オレに断ってもらいたいね」「お前に断ればダメだっていうだろ、だから断らないよ」「ああ、そうか」という《やりとり》で二人の対立が始まった。体力的には明らかに小太郎の方が優っている。しかし、春雄は負けていない。小太郎はブランコを独占、下級生に押させていたが、春雄が「オーイ、みんなウチに来ないか、お菓子ごちそうしてやらあ」と呼びかけると、「何、菓子がある?行ってやらあ」と真っ先に反応したのは小太郎、二階のアパートに続く階段で、下級生が昇ろうとすると「オレが先頭だ」と押しのける、先頭の春雄が「オレは?」言うと「お前はいいよ」と先頭を譲る。どこか抜けていてユーモラスな小太郎の風情は格別であった。部屋に入ると洋風のきらびやかな景色に「お前のウチ、金持ちだなあ」と小太郎は驚く。春雄は得意になって「この、母ちゃんの香水かけてやらあ、高いんだぞ」と、みんなの洋服に香水を振りまいたのだが・・・。翌日、みんなは「家に帰って怒られちゃった。あんなお母さんの子どもとは遊んではいけない」と口々に言う。かくて、春雄は孤立、転校の身となった。そこでも新しい友だちができかかるが、小太郎が邪魔をする。春雄は学校をサボって海に行く。そこで中国人の子どもたちと仲良くなり、倉庫の遊び場に誘ったが、またまた小太郎が登場、追い払われてしまった。この小太郎と春雄の「対決」が悲劇を招くことになるのだが・・・。
 その三は、ホテルの用心棒・恭助(佐野周二)のダンディ気質である。彼は、マダムに指示されて、お雪の動向を監視する。最近、女給のB子が神戸にドロンしようとして発覚したばかり。つきまとう恭助に向かって、お雪は「毎日、御苦労ね。部屋に入って休んでいかない?向こうの《灘の生一本》があるわよ」。恭助はお雪の部屋に入る。ベッドで寝ている春雄に目をやると、「可愛いでしょ、あたしの子どもよ。この子を立派な大人に育てることが生きがいなの」「可愛いなあ、可愛いってことが何よりの親孝行だよ」。お雪から舶来のウィスキーを注がれて一気に飲み干すと「それじゃあ、失敬する」「もう一杯どう?」黙って、二坏目を飲み干すと「サヨナラ」と言って出て行った。思わず、「カッコいい」と唸ってしまう名場面であった。
 観光船が入ってきた。ホテルは外人客で大賑わい、お雪も外人客と踊っていたが、この客がしつこくて離さない。「離して!」と悲鳴を上げると、恭助が飛んで来てその外人客を殴り倒す。その場はおさまったが、マダムは怒り心頭「大事なお客に何てことするんだい、もうお前は用無しだよ」。夜の道をお雪と歩きながら「悪かったな」「あたしは嬉しかったわ。あたし一人のために助けてくれたの」「あんたの坊やのためだよ」「ますます、嬉しいわ」・・・「じゃあここで失敬するよ」「ウチに寄ってかない」「向こうの《灘の生一本》はあるかい」「まだ残っているわよ」。そして部屋の中、眠っている春雄を見つめながら「あんたも、この子のために早く足を洗うんだな」「まだ、借金があるの。それともドロンしろって言うの?私を連れて逃げてくれるの?」。まじまじと見つめ合う二人・・・、「まあ、よく考えておくよ」と行って恭助は立ち去った。波止場に「人夫募集」という貼り紙があった。恭助はカムチャッカ行きの船に乗り込むことを決意したのである。
 そのことを知らせに、恭助がアパートに行くが誰もいない。「書き置き」をして帰ろうとすると、ずぶ濡れの春雄がドアを開けるなり、倒れ込んで来た。驚いてベッドに運び込む。春雄は今日一日、雨の中をさまよい、例の倉庫に居たところを、小太郎に見つかり叩き出されて来たのだ。「坊や、しっかりしなきゃダメだよ」と励ますうちにお雪も戻って来た。医者を呼んで診察してもらう。「雨に濡れたんでしょう。これ以上発熱すると肺炎になるおそれがあります。安静にしてください」。恭助はホッとして、「春坊、ケンカに負けたんだろう」「お母ちゃんの悪口を言うんだもの」「お母ちゃんの悪口を言う奴なんてやっつけてやるんだ。男は強くならなくちゃ」「負けるもんか」という言葉を聞き、恭助は最後に「強くならなくちゃダメだぞ」と念を押して帰って言った。
 お雪が、ふと茶だんすに目をやると「書き置き」が貼られていた。「逃がしてることも、連れて逃げることもできない。俺は大手を振ってお前を迎えに来る」と書かれてあった。
 その四は大詰め、お雪は春雄を入院させるために、マダムに借金を依頼、家に戻ると春雄が居ない。あちことと探し歩き、やっと倉庫を探り当てた。春雄は恭助に「負けるもんか」と言い、「強くならなくちゃダメだぞ」と言われた「約束」を果たすために、小太郎に一騎打ちの闘いを挑んだのである。二人は「組んずほぐれつ」争ったが、最後は、春雄の「噛みつき」が功を奏して、小太郎は泣き出し逃げ去った。しかし、春雄の体力の消耗は激しく、容体は急変して息を引き取る。お雪は激しく泣き崩れた。亡お骸に向かって「坊や、お母ちゃんのために闘ってくれて、本当にありがとうよ。だけど、どうしてもう少し我慢してくれなかったの。もう少し我慢してくれれば、きっと恥ずかしくない立派なお母ちゃんになって見せたのに・・・これからお母ちゃんは独りぼっち、どうすればいいいの」と語りかける。やがて恭助がやって来た。変わり果てた春雄の姿を見て呆然、「春坊、カムチャッカの漁場で3年働くことにしてきたんだ。これじゃどうにもなんねえじゃねえか。遅かった」と跪いて涙ぐむ。・・・「でも、春坊。俺、行ってくるよ」と立ち上がり、お雪に「しばらくのお別れだ。これで足を洗いなよ」と封筒を差し出す。「こんなことまでしてくれなくても」とお雪が拒めば、「お前にやるんじゃない。坊やにやるんだ」と、封筒を亡骸の傍に置く。
 それ以上、何も語らずに恭助は去って行った。お雪はなおも激しく泣き続けるうちに、「終」を迎えた。何ともやるせない結末である。
 この映画の眼目は、水商売を稼業とする男や女に対する「偏見」の描出(告発)であろうか。その偏見は子どもの姿を通して現れる。小太郎は春雄に対しては「あんなお母さんの子と遊んではいけないと親に言われた」「お前と遊ぶと親に叱られる」と言い、転校先の子どもには「こいつと遊ぶと親に叱られるぞ」と助言する。子どもたちの背後には、(健全な)堅気の親が厳然と存在しているのだが、彼らは姿を現さない。小太郎たちも芯から春雄を憎んでいるわけではないだろう。親の「偏見」が子どもをコントロールしているのである。それは親の見えない圧力である。「あんな」という一言で済ます圧力である。春雄もまた「母親のために」闘った。その契機が恭助の「おだて」(圧力)だったとすれば、恭助の責任も重い。いずれにせよ、大人同士の「偏見」が子どもに波及し、子ども同士もまた「対立」を余儀なくされるという構図が「悲劇的」なのである。(この映画では)大人同士の対立は「利害」に絡むだけで済むが、子どもの世界では切実・深刻である。友だちができない、ということは自分の存在理由を失うことに等しいからである。春雄は必死に友だちを求め、ようやく中国人の友だちを見つけたが、彼らもまた社会から疎外される存在、追い払われる他はなかったのである。
 監督・清水宏は、「子供をうまく使う監督」として有名だが、この作品もまた、大人以上のドラマを展開している。中でも、春雄役・爆弾小僧(横山準)、小太郎役・突貫小僧(青木冨夫)の「雌雄対決」は見応えがあった。お雪は春雄の亡骸に「どうして、もう少し我慢ができなかったの」と語りかけたが、それが子どもというものである。大人は我慢できるが子どもはできない。そのことを誰よりも理解しているのが、監督・清水宏に他ならないと私は思った。
(2017.6.17)



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2024-03-01

付録・邦画傑作選・「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)

 ユーチューブで「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)を観た。タイトルに「恋の花咲く」という文言が添えられているように、この作品は川端康成の原作を大きく改竄している。それはそれでよい、むしろその方が映画としては面白かった、と私は思う。主人公の学生・水原(大日向伝)は原作の「私」とは似ても似つかない快男児・好青年として描かれていた。水原が伊豆を旅して巡り合った旅芸人たちとの「絡み」と「行程」はほぼ原作を踏襲しているが、随所、随所に伏見晃の脚色が加えられている。その一、冒頭に登場するのは、自転車を全速力で走らせる一人の警官、伊豆の温泉町にある旅館・湯川楼の内芸者が借金を踏み倒して逃亡したと言う。村人に目撃者がいないかを尋ねているところに、かつて湯川楼に出入りしていた鉱山技師・久保田(河村黎吉)も加わり、金鉱の山を買って大儲けした湯川楼の噂をする。その二、ある村の入口で、一人の虚無僧が立札を見ている。「物乞い旅芸人立ち入るべからず」と書かれている。彼は立札を引き抜き倒して立ち去った。その様子を見ていた村の子どもたち。後から来た旅芸人の娘(薫・田中絹代)が倒されている立札に気づき手にしたところを村人から咎められる。「役場に来い」などと言われ娘の兄(永吉・小林十九二)が無実を主張し小競り合いが始まった。そこに通りかかったのが水原で、村人に「引き抜いた所を見たのか」と確かめる。「あたい見たよ」と証言したのは村の子ども、「さっき尺八吹きの男が引き抜いたんだ」。かくて旅芸人一同の窮地は救われた。以後、水原と旅芸人の旅程が始まったのである。その三、湯川楼という旅館は、水原の先輩・隆一(竹内良一)の実家、主人の善兵衛(新井淳)は永吉の父とも懇意にしており、旅芸人になった永吉、薫たちの後見人という立場であった。永吉の父から買った山から金鉱が出たが、儲けた金の一部は薫名義で貯金している。ゆくゆくは堅気の生活に戻して、薫を隆一の嫁にしたいと思っている。その四、技師の久保田は湯川楼の繁盛振りを見てなにがしかの現金を強請り取り、永吉にもけしかける。「君はダマされたんだ。分け前を貰って一緒に金鉱を掘りてよう」。そそのかされて永吉は湯川楼に向かったが「金が欲しければ妹を連れてこい」と追い返された。その様子に義憤を感じた水原も湯川楼に談判に行くが、そこで善兵衛の真意が解るという次第。その五、大詰めの下田港、水原は《先輩・隆一のために》薫との恋を諦める、真意を打ち明け「このことは誰にも言ってはいけないよ」と念を押した。薫の櫛と水原の万年筆を「愛の形見」として交換する。
 以上は、川端康成の原作にはない「脚色・演出」である。まさに「文学」と「映画」(演劇)の違いが際立つ、傑作に仕上がっていたと、私は思う。加えて、見どころも満載。二十代の田中絹代が演じる薫の姿は天衣無縫、おきゃんで惚れっぽい娘の魅力が存分に溢れていた。大日向伝の「侠気」もお見事、さらに温泉宿には遊客・坂本武、芸妓・飯田蝶子までが登場、旅芸人・小林十九二と「剣舞・近藤勇」を競演する場面は抱腹絶倒、悲・喜劇を同時に味わえる逸品であった。
 この作品は、「伊豆の踊子」映画化の第一作である。以後、薫役の美空ひばり版(1954年)、鰐淵晴子版(1960年)、吉永小百合版(1963年)、内藤洋子版(1967年)、山口百恵版(1974年)、早瀬美里版(1993年)が作られているが、それらの全てを見比べてみたい衝動にかられた次第である。(2017.1.28)



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2024-02-29

付録・邦画傑作選・「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)

 ユーチューブで映画「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)を観た。原作は泉鏡花の小説、昭和世代以前には広く知れわたっている作品である。
 時は明治23年(1890年)の初夏、高岡から石動に向かう乗合馬車が人力車に追い抜かれていく。乗客たちは「馬が人に追い抜かれるなんて情けない、もっと速く走れ」と、馬丁・村越欣弥(岡田時彦)を急かすが、彼は動じずに、悠然と馬車を操っている。乗客の女、実は水芸の花形・滝の白糸(入江たか子)が「酒手をはずむから」と挑発した。初めは取り合わなかった村越だったが、あまりにしつこく絡むので、それならと鞭一発。馬車は狂ったように走り出す。たちまち人力車を追い抜いたが今度は止まらない。馬車は揺れまくり、やっと止まった時には車軸が折れ、全く動かなくなってしまった。白糸は「文明の利器だというから乗ったのに、夕方までに石動に着くんでしょうね!」とからかう。村越はキッとして「姐さん、降りて下さい」と彼女を引きずり降ろし抱きかかえると、馬に乗り一目散、石動に向かって走り出した。他の乗客たちはその場に置き去りに・・・。
石動に着くと白糸は失神状態、霧を吹きかけて介抱すると村越は、再び高岡方面に戻って行った。気がついた白糸、その毅然とした振る舞いが忘れられない。傍の人に馬丁の名を尋ねると、「みんな欣さんと呼んでいますよ」。「そう、欣さん!」と面影を追う白糸の姿はひときわ艶やかであった。
 この一件で、村越は馬車会社をクビになり放浪の身に・・・、金沢にやって来た。月の晩、疲れ果て卯辰橋の上で寝ていると、すぐ側で興行中の白糸が夕涼みに訪れる。「こんな所で寝ているとカゼを引きますよ」と語りかければ、相手はあの時の馬丁・村越欣弥であったとは、何たる偶然・・・。白糸は村越の事情を知り、責任を痛感して詫びる。「私の名前は水島友、二十四よ。あなたの勉学のために貢がせてください」。かくて、その夜、二人は小屋の楽屋で結ばれた。翌朝、まじまじと白糸の絵看板に見入る村越を制して「見てはいやよ、こうして二人で居る時は、私は堅気の水島友さ!」という言葉には、旅芸人・滝の白糸の、人間としての「誠」「矜持」が込められている。
 東京に出た村越への仕送りは2年間続けられたが、「ままにならないのが浮世の常」、まして旅芸人の収入はたかが知れている。3年目になると思うに任せなくなってきた。加えて、白糸の「誠」は仲間内にも利用される。南京出刃打ち(村田宏寿)の女房に駆け落ちの金を騙し取られたり、一座の若者新蔵(見明凡太郎)と後輩・撫子(滝鈴子)の駆け落ちを助けたり・・・、で有り金は底をついてしまった。「欣さんはまもなく卒業、意地でも仕送りを続けなければ・・・」、白糸はやむなく高利貸し・岩淵剛蔵(菅井一郎)に身を売って300円を手にしたが、その帰り道、兼六園で待っていたのは岩淵と連んでいた出刃打ち一味、その金を強奪される。白糸は落ちていた出刃を手に岩淵宅にとって返せば「戻って来たな。こうなるとは初めから解っていたんだ」と襲いかかられた。もみ合う打ちに、岩淵は「強盗!」と叫んで床の間に倒れ込む。気がつけば白糸の出刃が岩淵の脇腹を突き刺していたのだ。彼女はその場にあった札束をわしづかみにして逃走する。行き先は東京、村越の下宿先。しかし、その姿はなく、再会を果たしたのは監房の中であった。 白糸は下宿を出るとすぐに捕縛され金沢に送られる。途中、汽車から飛び降り新蔵夫婦に匿われるが無駄な抵抗に終わった。出刃打にも岩淵殺しの嫌疑がかかり収監される。検事の取り調べに「あっしは白糸から金を奪ったが殺していない」。白糸は「出刃打から金を取られたことはありません」と否定する。監房の筵の上で、白糸は夢を見た。兼六園を村越と散策、わが子を抱いて池を見つめる。楽しい一時も束の間、まもなく看視に揺り起こされた。「新しい検事さんがお前と話をしたいそうだ」
 村越が検事に任官され金沢に赴任していたのだ。取調室で見つめ合う二人、「よく眠れましたか。食べ物は口に合いますか」と気遣う村越に、白糸は水島友にかえって「よく出世なさいました」と満面の笑みを浮かべた。もう思い残すことはない。これまで逃げたのも一目会いたいと思ったから・・・。「どうぞ取り調べを始めて下さい」「そんなことができるわけがない」とうつむく村越、二人の交情はそのまま断ち切れたか・・・。
 公判の法廷には村越検事が居る。滝の白糸こと水島友は、すべてありのままを証言し、自害した。お上の手を煩わせることなく、自らの身を処したのである。翌日、村越もまた、思い出深い卯辰橋でピストル自殺、この映画は終幕となった。 
 女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!  (2017.2.5)



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2024-02-28

付録・邦画傑作選・「春琴抄 お琴と佐助」(監督・島津保次郎・1935年)

 原作は谷崎潤一郎、文学の世界では作者特有のマゾヒズム、耽美主義が取り沙汰されているようだが、映画の世界では、お琴(田中絹代)と佐助(高田浩吉)の「師弟愛」が清純に描出されていた、と私は思う。
 お琴は大阪・薬屋の次女、9歳の時に罹患し盲目となった。かねてより琴・三味線を習っていたので、その道を極めようと師・春松検校(上山草人)のもとに通う。その付き添いをするのが丁稚の佐助である。彼はおとなしく気遣いも細かなようで、お琴は気に入っている様子。彼女の性格は勝ち気でわがまま、佐助なら心おきなく自由に操ることができるからであろう。しかし、店の連中は面白くない。「こいさんの手が握れるなんて」とやっかみ半分で佐吉を虐める。お琴の美貌を目当てに、「何とかしよう」という輩・若旦那の利太郎(齋藤達雄)も現れた。番頭?(坂本武)を伴い春松検校に入門する。プレーボーイ然とした齋藤達雄と後見役・坂本武の「やりとり」が軽妙な笑いを誘う。稽古が重なるにつれ、佐吉も音曲に魅入られたか、小遣いを貯めて三味線を買った。店の人々には内緒で、皆が寝静まった夜中、独り物干し台に上がり稽古をしてる所を、お琴の母・しげ女(葛城文子)に見咎められる。周囲には「丁稚の分際で・・」という空気もあったが、お琴はそれを知り「わてが教えたる。弾いてみなはれ」と命じた。恐縮しておそるおそる佐吉が弾き始めると、意外にも「これからわてをお師匠はんと呼びや」とお許しが出た。二人の稽古が始まる。お琴の指導は厳しく、佐吉は泣きながら稽古に励んだ。
 二人の仲は店の外でも評判に・・・、お琴の両親(父役は藤野秀雄)も「お琴はただの身体ではない。望むなら佐助と添わせても悪くはない」と思っているようだ。そのうちにお琴が身ごもった。母が心配して「相手は誰や」と訊ねても、頑として教えない。やむなく生まれた子は里子に出したそうな・・・。 
 月日は流れてお琴は20歳、春松検校の死を機会に淀屋橋で独立、もづ屋春琴という名で弟子を抱えるようにもなった。佐助は一時もお琴の傍を離れずに身を尽くす。時には春琴の代わりに弟子の指導も行った。弟子に中にはちゃっかり利太郎も紛れ込んでいる。春琴の稽古は厳しく、時には弟子を傷つけることもあるようだ。ある時、春琴が佐助と出稽古に出ると、入れ替わりに利太郎がやって来た。その後に怒鳴り込んできたのは弟子(小栗寿々子)とその父親(武田春郞)、弟子は頭に包帯を巻いている。「女師匠を出せ!この傷をいったいどうしてくれるんだ」。春琴が留守だとわかると「ではここで待たせてもらおう」と居直った。その場に居合わせた利太郎、50円を取り出して父親に渡す。父親は「今日の所は帰ってやろう」と渋々帰って行った。利太郎は「やっぱり若ぼんさんはすごい」などと女中におだてられ、ご満悦。そこに戻って来た春琴と佐助に事情を話せば「ウチは厳しい稽古で知られています。気に入らなければ来なければいい。佐助、お立て替え頂いたお金をお返しして!」。そんなこともあってか、春琴は利太郎たち若旦那衆が催す梅の宴に招かれることを断り切れなかった。春琴の琴の音に酔いしれる人々、終演後、利太郎は(佐助と庭を散歩中の)春琴を(手筈通り)独り自室に呼び入れた。「お師匠はん、お差し支えございませんか」と佐助は不安になったが「用があったら呼びます」という言葉で別の間に待機(二人は体よく引き離される羽目に)・・・。しかし、不安は的中、案の定、利太郎が春琴に近づき手を握ろうとしたのだ。春琴は茶わんの欠片で利太郎の額を割り、大声で叫ぶ。佐助が駆けつけると、いとも冷静に「佐助か、往のう!」と後ろも見ずにその場を立ち去った。事態に驚く人々、「まあ、いい。いつかあの鼻っ柱をへし折ってやる」という利太郎の一言で悲劇は始まる、と同時に大詰めへ・・・。
 真夜中、闇の中に押し入った何者かが、寝ている春琴の顔に熱湯を浴びせた。悲鳴に駆けつけた佐助は「アッ!」と叫んで、息を呑んだ。「ダメ! 見ないで。私の顔を見ないで!」と半狂乱の春琴。大急ぎで医者を呼び手当を加えたが、時すでに遅し、春琴の美貌は一瞬のうちに失われてしまった。数日後、あるいは数週間後、まもなく包帯を取る日がやって来る。春琴は「佐助、お前だけには私の顔を見せたくない」と言って泣き伏した。その瞬間、画面が凍りく。御高祖ずきんを被った春琴の頭部だけが、止まったまま、物音だけで時間が過ぎる。その物音は春琴が耳にしている聴覚の世界に他ならない。佐助と女中の対話、琴の音、佐助の「お師匠はん、私も盲になります」というモノローグ、「明日には包帯も取れましょう」という医者の声も聞こえる。しかし画面は動かない。・・・、しばらくして動き出すと、音声とは別の視覚の世界・・・、包帯を外した医者が帰って行く。針を持ち手鏡を見つめる佐助の姿・・・、そして暗転。佐助が両眼を針で貫いたのだ。「お師匠はん、私も盲(めしい)になりました」「佐助、それ本当か。痛うはないか」「お師匠はんの大難に比べれば何のこれしきのこと・・・」「よう決心してくれました。嬉ししゅう思います」といった珠玉の「やりとり」(師弟の交流)が画面に先行する。最終場面はサイレント、「佐助は現実に眼を閉じ、永劫不変の観念境へと飛躍しました。彼の心の目には過去の世界だけが残り、前よりも一層奉公の誠を尽くし、懸命に技を磨いて師匠及び春琴から春台という名を受け、後に温井検校となり、春琴の一生を見守りました」という字幕で「終」となる。
 大詰め最後の10分間程度は、おそらく編集の不具合からか、映像と音声にズレが生じている。音声だけが先行し、画面が遅れて後を追う。しかし、(サイレント映画を見慣れている私にとっては)、その不具合が絶妙の「演出効果」(箏曲の後唄然)となって、たいそう異色な幕切れになったと思う。まさに「珍品入りの傑作」であった。もし、そのズレが意図的なものだとしたら、島津監督の水際だった演出に最大の拍手を贈りたい。
 また、若き日の高田浩吉も魅力的であった。高田浩吉といえば、「大江戸出世小唄」「白鷺三味線」など、「歌う映画スター」の皮切りとして有名だが、盲目の師匠・春琴にどこまでも献身、(かつての丁稚として)弟子の立場を貫く「侠気」が清純にも鮮やかに描出され、光り輝いて見えた。なるほど「いい男」とはこのような姿をいうものなのかと、心底から納得した次第である。 
 加えて春琴を演じた田中絹代もお見事、盲目というハンデを乗り超えて「芸道一筋」、佐助に頼りながら、決して弱みを見せまいとする「女の矜持」を保ち、最後まで師弟という関係を貫こうとする姿が、たいそう清々しく魅力的であった。
 当時の高田は24歳、田中は26歳の若さだが、その演技には、えもいわれぬ「艶やかさ」と「重厚さ」(貫禄)秘められている。昔のスターは凄かった、その輝きは衰えることなく、以後、数十年間に亘って光り続けていたのだから・・・。
(2017.2.23)



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2024-02-27

付録・邦画傑作選・《「簪(かんざし)」(監督・清水宏・松竹・1941年)》

 1941年(昭和16年)、山梨の下部温泉で一夏を過ごす人々の物語(原作・井伏鱒二)である。長逗留をしているのは学者・片田江先生(齋藤達雄)、復員兵とおぼしき納村猛(笠智衆)、商家廣安の若旦那夫妻(日守新一、三村秀子)、老人(河原侃二)とその孫・太郎(横山準)に次郎(大塚正義)といった面々である。そこに身延山詣での団体客(蓮華講中)が押し寄せてきた。入館するや1階では按摩の予約で大騒ぎ、18人のうち12人の按摩を確保したなど世話役の話が聞こえる。2階の縁側に居た納村が「なかなか賑やかですな」と言えば、先生「賑やかとはどういうことです。あれはウルサイと言うんです」、老人が「なかなか景気がいいですな」と言えば「ご老人にはあれが景気よく感じられますか。あれはウルサイと言うんです」。すかさず太郎が近づいて「おじいさん、また怒られたの」。騒ぎはいっこうにおさまらない。先生、いらいらして廊下の襖を開ければ、若旦那が「なかなか派手ですね」と言いながら立っていた。「派手とはどういう意味ですか。君にはあれが派手に見えますか。ウルサイ!」。若旦那の奥さんがそれを見て「ホラご覧なさい、また叱られた」。どうやら、皆、顔馴染みの様子、学者先生はことのほか気むずかしい気配が感じられた。先生はたまらず帳場に電話、「実にどうもさっきからウルサイですな。けしからんです。旅には旅の道徳というものがあるんです。注意したまえ。今日はうるさくて勉強できん。按摩にかかって寝るから按摩をよこしたまえ。・・・何!按摩はふさがっておる?一人もおらんのか・・・」。
 蓮華講中の中に、囲い者とおぼしき女・太田恵美(田中絹代)、その朋輩のお菊(川崎弘子)が混じっていた。恵美が按摩されながら「按摩さん、先生ってなあに」と尋ねると「夏の初めから御滞在です。なんでも難しい本を読んでらっしゃる先生ですよ。この間お湯の中で詩吟を唸っていると、先生がそれは君が作った詩かと聞いた訳なんです。いやこれは誰々が作った有名な詩だと答えると、先生は他人が作った詩を得意に詠うなんて、それはむしろ滑稽であると、こういった訳なんです」。恵美笑いながら「おやおや、それでは芸者衆なんかお座敷で何も唄えないわけね。みんな人様の作ったものばかりじゃないの」「それからみんな詩吟は詠わなくなったそうです」「かわいそうなこと」。
 しかし、かわいそうなのは先生の方であった。その夜、按摩は来ずじまい、一睡もできずに朝を迎えることになった。翌日の朝、顔馴染み一同で露天風呂に浸りながら、また先生のぼやきと講釈が始まる。納村は老人の孫たちと風呂の中で遊んでいたが、突然「ア、痛い!」と叫んだ。右足に何かが突き刺さっている。それは女物の簪であった。一同は「大変!」と納村を部屋まで連れて行き、宿の亭主(坂本武)を呼びつける。平謝りの亭主に先生が、何たることかと噛みついたが、納村は冷静に「ほんのかすり傷です。情緒が足の裏に突き刺さったくらいだと思っていますよ」。先生「何?情緒が突き刺さった?君、それは廃退的で卑属的だ!その簪を落とした婦人が美人であることを期待してるんだな」。といったやりとりが何ともおかしく、私の笑いは止まらなかった。期待しているのは、先生の方であったかもしれない。
 やがて、簪の落とし主は恵美であることが判明、恵美は謝罪に訪れるという。一同は「美人であること」を期待して待つうちにいよいよ御対面となった。先生はことのほか満足の様子で、自分の部屋をあけわたし老人や孫と同室する算段、かくて馴染み客の中に恵美も加わることになった次第である。 
 納村の負傷は意外に深く、松葉杖に頼らなければ歩けない。回復までには相当の時間がかかりそうだ。林の中で太郎、次郎に励まされながらリハビリを続けている。そんな様子を見守りながら、恵美も納村に惹かれたか、これまでの愛人生活に終止符を打とうと決意する。
 納村のリハビリは林の中から下部川の一本橋へと移る。滔々と流れる川面に架けられた細い板の上をバランスを欠きながら懸命に渡り始めた。対岸で応援する恵美、太郎、次郎・・・、「おじさん、渡り始めました。10メートル進みました。懸命に歩いております。おじさん頑張れ、頑張れ!」。あと僅かの所で、納村は倒れ込んだが「案外と難航コースでした」などと頬笑んでいる。恵美は「あそこまで私がおぶってあげるわ」。今度は「おばさん。頑張れ、頑張れ!」、二人で川を渡り切ることができたのであった。
 翌日。恵美は川で馴染み客達の洗濯をしながら、迎えに来ていた朋輩のお菊に向かって、今の生活に何の不自由もないが所詮は日陰の花、それよりもお天道様の下で真っ黒になりながら、目的をもってあたりまえの生活をする方が価値があると説いた。「これといってあてがあるわけではないけれど、お天道様が教えてくれるでしょう。あなたもよく考えた方がいいわよ」「お説教しに来たのに、あべこべにお説教されちゃったわ」というお菊の言葉が印象的であった。
 やがて、物語は終局へ・・・、夏の終わりが間もなくやって来る。馴染み客たちは帰京後も再会しようと約束して、学者先生が宿を去った。廣安夫婦もいなくなり、残された納村、太郎、次郎と恵美、川縁に近い寺社の階段にやって来た。この階段を登り切れば、納村も東京へ帰るという。「頑張れ、頑張れ」という子どもたちの声を聞きながら恵美の心は千々に乱れる。「どうか登ってほしい、でも納村と別れたくない・・・」とうとう、納村は登り切った。「バンザイ、バンザイ」と叫ぶ子どもたちの声を背に、恵美は一人涙ぐむ。「おばさん、どうして泣いているの?」「おじさんが登れたので、嬉しくて泣いているのよ」とその場を繕ったが、淋しさ、切なさの涙であることに変わりはなかった。
 夏休みは終わった。一人残された恵美に納村からの手紙が届いた。「東京へ帰ってから、松葉杖を棄ててステッキを用いています。今夜は例の第一回常会です。東京へお帰りになるのをお待ちしています」。恵美は、納村と出会った林の中、一本橋、寺社の階段を巡りながら、淡い思い出を噛みしめるうちに、この映画は閉幕となった。
 日中戦争の最中、太平洋戦争を控えた物資不足の時代にしては長閑で牧歌的な空気が漂う。子どもたちから「おじさん、おばさん」と呼ばれる中年男女の交情が、あっさりと描かれている佳作である。ここまでは触れなかったが、その仲をとりもった学者先生や廣安夫妻の風情もどこかコミカルでユーモアに溢れている。何かにつけて「うちの(家内)が・・・」と口走り、学者先生に叱られる若旦那、「廃退的イリュージョンがですね」などと先生の言葉を納村に受け売りし、「君の言うことはさっぱりわからんよ」とあしらわれる様子が、色を添えていた。また、若さ漲る笠智衆、田中絹代の溌剌とした姿を拝見できたことも望外の幸せであった。感謝。
(2016.9.17)



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2024-02-26

付録・邦画傑作選・《「旅役者」(監督成瀬巳喜男・東宝・1940年》

  戦前の邦画「旅役者」(監督成瀬巳喜男・東宝・1940年)をユーチューブで観た。大変おもしろい。田舎町を旅する中村菊五郎(高勢実乗)一座の物語である。一座の当たり狂言は「塩原太助」。馬の役を務めるのは俵六(藤原鶏太)と仙平(柳谷寛)のコンビである。俵六は、馬の脚を演らせたら自分が日本一だと自負している。町に到着すると一行は、リヤカーや人力車に乗って街道を練り歩くが、俵六と仙平は稽古に余念がない。一段落して、開演までのつかの間を、氷屋で過ごす。その途中、折しも出会った出征兵士と馬を見送りながら、俵六が「何だか他人のような気がしねえなあ・・・」と呟く場面が印象的であった。俵六にとってそれは、ひしひしと迫り来る戦争への予感であり、人馬に対する餞の言葉だったかもしれない。店の娘(山根寿子)にかき氷とラムネを注文、娘いわく「あんたたち、芝居の人だね」「わかるかい」「でも道具の方でしょう?」「これでも立派な役者だよ」「へえ・・・、どんな役をやるの?」「馬だよ、今夜、観にお出でよ」思わず娘が笑い出す・・・といった景色が何とも懐かしく魅力的であった。興行は大盛況、そんな噂を聞きつけ、別の町からもお呼びがかかったか・・・。
 興行師の若狭屋(御橋公)と小屋主の北進館(深見泰三)は、一儲けしようと、床甚(中村是好)に「菊五郎を呼んで、儲けは山分けだ」と誘いかける。床甚「そんな有名人が来るなら」と同意、ポスターまで自作、街のあちこちに貼りまくった。いよいよ、一行が駅に到着、床甚は迎えに出たが、どうも様子がおかしい。肝腎の菊五郎がいないではないか。それもそのはず、菊五郎とは尾上ではなく中村・・・、床甚の気持ちはおさまらない。「みんなでオレを騙しやがって!」、一座を迎える宴で泥酔し、北進館に絡んだが。勧進元・若狭屋の姿が見えない。「野郎!どこへ行きやがった」、その姿を求めて、北進館の(誰もいない)楽屋に紛れ込むうち、フラフラしながら何かを踏んづけた。よく見ると、馬の頭、「何だこんなもの」と言いながら、凹んだ頭を枕に寝込んでしまった。しばらくして、その様子を見つけた中村菊五郎、若狭屋たち、「とんでもないことをしてくれた」と床甚を叩き起こす。酔いが覚めた床甚、「フン、馬のツラが何だ、オレのツラをつぶしやがって!」と若狭屋に食ってかかった。「何だと!」と若狭屋も応じたが、北進館になだめられて冷静になり、床甚に謝る。「すまなかった、本当のことを言わないで・・・」床甚も「そっちがそう出るのなら・・・」と矛を収めた。しかし、菊五郎は収まらない。「この馬がなければ、明日フタを開けることができない。何とかしてウマく直しておかないとね・・・」かくて床甚は、凹んだ馬の頭を持って提灯屋に赴くことになった。「徹夜仕事でもいいから、この頭を繕ってくださいな、御礼は十分にさせてもらいます」。
 そんな事情は夢にも知らない俵六と仙平,料理屋の一郭で女たち(清川虹子、伊勢杉子)に「馬の脚談義」の能書きを垂れている。「オレなんぞは後脚5年、前脚10年、修業を重ねた日本一の馬の脚役者、馬の団十郎といったところだ!」と言って、嘶きまで披露した。面白がって大喜びする女たち、「明日、必ず観に行くからね」ということになった。
 翌日、俵六と仙平は菊五郎に呼び出され、昨夜の事情を知ることになった。「昨日、若い者が粗相して馬のツラをつぶしてしまった。修繕されて来たので見てくれないか」。俵六、その馬を見るなり「こいつはいけねえや、こりゃ化け損なったキツネのツラじゃねえか」「そこを何とか、こらえてくれ。馬が出なければ幕は開けられない」と、菊五郎が懇願するが、俵六は応じずに呟いた。「どこのどいつが繕ったか知らねえが。キツネとウマの見分けがつかねえなんて、情けねえハンチキ野郎だ!」馬の頭を持ってきた床甚がそれを聞いて、黙っていなかった。「オイ、オメエ。馬の脚のようだが、脚のくせにツラをこきおろすのは贅沢じゃねえか。化け損なったキツネとはよう言ったのう。キツネに見られりゃ結構じゃ。そのつもりで貼らせたんじゃい。東京役者や何たらこうたら、どうせへっぽこ芝居に違いなかろうに、キツネ馬でたくさんじゃろかい!」俵六も言い返す。「ナニ!てやんでい!俵六はなあ、キツネ着てウマ務めるほど耄碌はしてねえんだ。オレの馬はなあ、どこにもある、ここにもあるという安い代物じゃあねえんだ、ベラボーメ!」「フン、がまの油でもあるまいし・・・」といった、やりとりは抱腹絶倒の名場面、今はなき藤原鶏太と中村是好の丁々発止の「セリフ回し」が、たいそう際立っていた。
 その日はやむなく休演、しかし翌日には曲馬団の本物の馬で幕を開けることになったという次第、これは大成功したが、俵六と仙平の出番はなし・・・、「フン、本物の馬に芝居ができてたまるけえ」、翌日も無聊を託つ二人が縁台でどぶろくを飲み交わす。そこにやって来たのが料理屋の女たち、「あんたたち、どうしたのさあ、芝居、昨日観に行ったけど出ていなかったじゃないか。馬の腹の中にでも入っていたのかい」と冷やかした。俵六、たまらず「そんなら、今ここでみせてやらあ」。二人は楽屋に駆け込み馬の衣装を整えると、さっそうと野外の舞台に登場してきた。女たち「あら、じょうずねえ・・」と大喜びしたが、俵六たちの演技が止まらない。本物の馬小屋に突進、つながれている馬は驚いて脱走、俵六と仙平が馬の姿で後を追う。「アニキ!もうやめよう」と仙平が止めるのも聞かず、俵六は途中出会った床甚を水路に蹴落として、さらに馬を追いかける。「何だ、何だ!」と、群れ集う街の人々を尻目に、俵六の馬はとうとう本物の馬を町外に追い出しつつ・・・、閉幕となった。
 さすがは「旅役者」、名匠・成瀬巳喜男監督の腕前はお見事!その鮮やかな出来映えに私の笑いと涙が止まらなかった。藤原鶏二(釜足)、柳谷寛、中村是好はもとより、菊五郎を演じた高瀬実乗の(「座長」の)風情は天下一品、あわせて若き日の山根寿子、清川虹子の艶姿も拝見できるという代物で、邦画史上屈指の極め付きであったと私は思う。ぜひユーチューブでの観賞をお勧めしたい。(2016.8.10)



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2024-02-25

付録・邦画傑作選・「ことぶき座」(監督・原研吉・1945年)

 ユーチューブで映画「ことぶき座」(監督・原研吉・1945年)を観た。この映画が作られたのは、敗戦直前の昭和20年6月、当時の社会状況、日本人の意識を知るには恰好の作品であると思う。登場人物の服装は、男は戦闘帽に軍服、女はモンペ姿、「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまでは」といった意識が津々浦々にまで行き渡っていたことがよく分かる。私は当初、これは軍隊の映画だと思ったが、主人公は梅中軒鶴丸(高田浩吉)という浪曲師であった。北海道に慰問に訪れる芸人一行のリーダー格が鶴丸で、彼には8年前、釧路で1年半ほど過ごした「青春の(苦い)思い出」があった。道中の列車の中で彼は回想する。
 舞台は釧路の「ことぶき座」、鶴丸の人気は絶頂で連日大入りの盛況ぶりだが、今ひとつ鶴丸の身が入らない。興行主・鈴村(小杉勇)の娘・千代(高峰三枝子)に惚れてしまったか、それを言い出せず、また言い出したところで、有力者の娘と一介の芸人では釣り合う話ではない。鶴丸は休演を重ねて仲間と酒浸り毎日を過ごすようになった。ある祭の晩、人々はひとときの遊興を楽しんでいたが、騒ぎが持ち上がった。男同士のケンカらしい。土地のごろつき連中に絡まれた千代を助けようとして、鶴丸は孤軍奮闘、相手を追い払った。千代は、ありがとうと感謝して鶴丸を自宅に誘う。そこでは鈴村と、お気に入り(千代の見合い相手)の大久保が酒を酌み交わしていた。様子を聞いた鈴村は鶴丸を労い杯を与え、一緒に飲もうと誘う。大久保は千代にギンギツネの襟巻きをプレゼントすると千代は大喜び、鶴丸にも「これは御礼です」と言って祝儀袋を差し出した。「今度、狩猟に行きましょう」と千代を誘う。そうか、千代には決まった人がいたのか、鶴丸は「私はこれで失礼します」と祝儀袋を突き返して立ち去った。「よくまあ、一人で無事だったな」という仲間に「必死だった。命がけだったもの」と答える鶴丸の姿は、失意のどん底といった風情でたまらなく魅力的であった。極め付きは、大久保と千代が狩猟を楽しむ場面、大久保が銃を二、三発放つと、近くの河原でガックリと倒れ込む鶴丸、恋の痛手に立ち直れない傷心の様子が見事に描出されていた、と私は思う。
 やがて鈴村は番頭の常吉(小堀誠?)から、「鶴丸は、お嬢さんが好きなんです」という話を聞く。そうだったのか、鈴村は鶴丸の下宿を訪ね「どこの娘に惚れたかは知らんが、そんなことで一生を台無しにしてはいけない。東京に戻って芸道を極め、男になれ」と資金を提供する。その侠気に鶴丸は打たれ、「わかりました。この御恩は生涯忘れません」と平伏した。
 それから8年、鶴丸は広沢虎造(広沢虎造本人)に弟子入り、修行を重ね、芸道を極めつつある。そして今、各地で慰問を重ね、終盤の釧路に向かっている。まず、真っ先に訪れたのが懐かしい「ことぶき座」、しかしそこは軍需工場に様変わりしていた。鈴村はその工場の事務係長として使われている。常吉の話では、千代と結婚した大久保が事業に失敗、そのために財産を次々に手放したとのこと、千代は(手放した)牧場で働き、大久保は5年前に弘前に出奔、他の女と暮らしているという。変われば変わるもの、しかし、鶴丸は未だに独身であった。彼は鈴村、千代に面会、「せめてもの恩返し、私のもとに来て下さい」と頼んだが、鈴村は「同情しているのか、8年前、芸道に励めと言ったが生意気になれと言った覚えはない、帰れ!」と激昂してしまった。万事休す、やむなく釧路を去る羽目になったのだが・・・。どうしても思い切れない鶴丸は、たまたま慰問の最終地・函館で合流した師匠・広沢虎造に相談、「お前さんの誠意が伝わらなかったら立場がない。男の度胸ではっきりと言ってみるんだ。“お嬢さんを私の嫁にください”と、その方がさっぱりするだろう」と助言された。
 かくて鶴丸、意を決して釧路に引き返す。その知らせを常吉から聞いた千代も、意を決して駅まで出迎えに、その顔に見る見る笑みがこぼれるうちこの映画は「終」となった。 見どころは、何と言っても「戦時下」(それも末期・敗戦間近)の状況、とりわけ人々はどんな娯楽を楽しんでいたか、という一点に尽きる。その主流は浪曲、広沢虎造の「清水次郎長伝」のうち「森の石松」「追分三五郎」「仁吉りえん」、「国定忠治」より「忠治恩返し」等の一節が、場面場面のBGMとしてふんだんに盛り込まれている。さらに「ことぶき座」で演じられる舞踊・会津磐梯山、女義太夫、千代がたしなむ謡曲の舞、さらには慰問団や祭り舞台での舞踊(歌謡曲?端唄?曲名は不詳)などなど、往時の舞台が懐かしい。
 なかでも、鶴丸・高田浩吉の姿に「白鷺三味線」のメロディーを重ねる演出は秀逸、また彼自身が披露する浪曲「追分三五郞」の一節も「掘り出し物」であった。加えて、巨匠・広沢虎造の全盛期の舞台姿を目の当たりに見聞できたことも望外の幸せ、(遊興的な)歌舞音曲が著しく制限された世相の中で、精一杯、映画作りに励んだ関係者一同に大きな拍手を贈りたい。
(2017.4.28)



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2024-02-24

付録・邦画傑作選・《「男はつらいよ」考》

 もともとヴォードヴィリアンだった渥美清を,国民的な俳優に仕立て上げたのが映画「男はつらいよ」のシリーズであったが,そのことで渥美清は本当につらくなってしまったのだと,私は思う。浅草時代の関敬六,谷幹一,テレビ時代の平凡太郎,谷村昌彦らと同様に,渥美清はスラップ・スティック・コメディの喜劇役者であってこそ光り輝く存在であった。映画「男はつらいよ」は48本作られたが,テレビ時代に比べて出色の作品は少なかった。その要因はいくつか考えられるが,一言で言えば,製作関係者が第一作の大当たりを契機に興行成績を優先したことであろう。人気が続く限り,車寅次郎は,渥美清が死を迎えるまで死ねなくなったのである。生きることは,いつ終わるともわからない演技を続けることだといえなくもないが,それが仕事となれば男でなくても「つらいよ」と溜息がでてくるのは当然である。
テレビの「男はつらいよ」の原題は「愚兄賢妹」という人情喜劇として企画された。やくざなテキ屋稼業の愚兄・車寅次郎(渥美清)の行状を,賢妹・さくら(長山藍子)が物語るという形で展開する,どちらかといえばスラップ・スティック・コメディに近いできばえであった。
いうまでもなくドタバタ喜劇は,複数の役者の集団演技によって組み立てられる。渥美清の演技力は,周囲の役者に因るところが大きいが,特に車竜造役・森川信の存在は大きかった。ヴォードヴィリアンとして卓越した風格の森川信に比べれば,渥美清の演技などは,まだまだ「駆け出しもの」のそれでしかないのである。渥美清と「殴り合い」を演じて様になるのは,森川信をおいて他にいない。というより,渥美清は,森川信という大先輩の胸を借り,その懐に育まれて初めて車寅次郎という人物を演じることができたといっても過言ではないだろう。渥美清は,森川信の前だからこそ,自分の演技力を思う存分,十二分に発揮できたのだと思う。「馬鹿だねえ,あいつは。本当に馬鹿なんだから」と,竜造が受け止めてくれたからこそ,寅次郎は本当に馬鹿ができたのだ。
映画の時代になっても,森川信が出演する作品までは,渥美清の演技力は精彩を放っていたが,竜造役が松村達雄,下条正巳になったとたんに全く消沈してしまった。つまり,寅次郎の「柄の悪さ」「品のなさ」を受け止め,ある種の風格へと昇華してくれる人物像がいなくなってしまったのである。テレビ作品の第一作で,森川信の竜造は,寅次郎が連れてきたテキ屋仲間と深夜までどんちゃん騒ぎを続け,挙げ句の果てに「後家殺しの竜」とまで口走って,おばちゃん(杉山とく子)にひっぱたかれるのである。
そういえば,おばちゃん役の杉山とく子も出色であった。おばちゃんは決して聡明ではないし,庶民特有の計算高さも身に付けている。単なるお人好しではないのである。うらぶれた下町のおばちゃんの,一見いじわるそうで実は憎めない,一本気な女性像を杉山とく子は鮮やかに演じていた。だからこそ寅次郎は,そうしたおばちゃんの前でも,遠慮なく馬鹿ができたのである。
テレビでは,家を出てから十余年ぶりに寅次郎が柴又に帰ってきたとき,おばちゃんは顔を直視しても,寅次郎が誰だかわからなかった。しかし,映画のおばちゃん役・三崎千恵子は,帝釈天のお祭りの雑踏の中で,何の苦もなく寅次郎を見つけだすことができた。聡明という他はない。三崎千恵子のおばちゃんには,杉山とく子のような毒気がない。根っからのお人好しなのである。まだ森川信がいる間はともかく,竜造役が変わってからは寅次郎の「柄の悪さ」「品のなさ」に付き合ってくれる役者は消滅し,ドラマの中だけでなく渥美清の「つらさ」は倍増したに違いない。
同じことは,テレビのさくら役・長山藍子,映画の倍賞千恵子,博(士)役・井川比佐志,前田吟についても言える。結論すれば,前者は「影」「大人」「夜」のイメージ,後者は「光」「青春」「太陽」のイメージとでもいえようか。
長山藍子,井川比佐志の演技には,どこか思わせぶりな「影」(秘密)の部分があった。しかし,倍賞千恵子,前田吟の演技は,直情径行であり,全てをさらけ出しているように感じる。言い換えれば,映画のさくらと博は,「健全」そのものなのである。彼らもまた,聡明であり,毒気がない。
映画を見た人たちから,車寅次郎は不感症ではなかったか,という感想を聞いたことがあるが,そうではないと私は思う。車寅次郎は本人も言うとおり「あても果てしもない」渡世人の生活をしているのであって,「不健全」そのものに他ならない。その生活をリアルに表現すれば,鶴田浩二,高倉健らが演ずる任侠映画の世界と変わらなくなってしまう。車寅次郎のマドンナ以外との濡れ場などは「絵」として不要だっただけである。「殺したいほど惚れてはいたが,指も触れずに別れたぜ」と唄うだけで十分であった。テレビ時代にあった,「影」「大人」「夜」のイメージは払拭され,渥美清は,存在するはずのない,健全なやくざ「フーテンの寅」を独りで演じ続けなければならなかった。
森川信が出演しない映画作品の中で,唯一,秀逸の作品があった。「男はつらいよ・霧にむせぶ寅次郎」である。筋書きそのものは,他と同様のパターンであるが,テレビ時代にあった「影」「大人」「夜」のイメージやドタバタの場面が,わずかに表れていたのである。マドンナは,フーテンの風子(中原理恵),その愛人がオートバイサーカスのトニー(渡瀬恒彦),他にも関敬六,谷幹一,津坂匡章(後の秋野大作),美保純など役者はそろっていた。
どこが秀逸だったかと言えば,マドンナ・風子の「柄の悪さ」「品のなさ」が,一時ではあるが,寅次郎と真っ正面から対立し,虚飾に満ちた健全ムードをぶちこわした点である。場所はとらやの店内,竜造の口利きで風子の就職先も決まった,風子はトニーに別れ話をつけに行くという,寅次郎は「あいつのところだったら行くことはない,さっき話をつけてきた」といって風子を止める。風子はカチンときた。「頼まれもしないことをどうしてしたのか,寅さんとは関係ない」といって寅次郎を責める。寅次郎は「関係ない?」と言って言葉を失った。おいちゃんも,おばちゃんも「寅ちゃんはあんなに心配していたんだから,関係ないはないだろう」と寅次郎に助け船を出した。風子は,頭に来た。「じゃあ,私とトニーが話し合ってはいけないと言うんですか」寅次郎は,わかったように風子をたしなめる。「話し合ったってしょうがないじゃないか,あんな遊び人と。」その言葉に風子は激昂した。「遊び人だったら寅さんだってそうでしょう,渡世人同士だって,さっき言ったじゃないか」寅次郎にはもう返す言葉がない。さくらに取りなされて,風子は本当の気持ちをうち明けた。「トニーはだらしなくて,甘えん坊でやぶれかぶれ,そんなことはわかっている,でも私さえちゃんとしていればいつかはきっと帰ってくれる,そう思ってつきあっていたんだよ」
風子の,この気持ちを誰も責めることはできない。なぜなら,他ならぬさくら,おいちゃん,おばちゃん,そして博たちが日頃寅次郎に抱いている気持ちと瓜二つのものであったからだ。健全な博がつぶやいた。「こんな悲しい結末になるなんてなあ・・・。」もはや寅次郎の出る幕は完全になくなったのである。
実を言えば,この少し前に,寅次郎がトニーに話をつけに行く場面があった。場所はトニーが寝泊まりしている安アパートの近く,ビルの谷間を流れる汚れた運河の船着き場,ショーの失敗で骨折した左腕を吊りながら,トニーがやってくる。寅次郎は言った。「用件はわかっているだろうな,ズバリ言わしてもらうぜ,手を引いてもらいてえんだ」トニーの表情が変わった。「女のことで他人に指図されたくなんかねえな」,柄の悪さではトニーの方が上であった。寅次郎ははしかたなく談合を試みる。「お互いに渡世人同士じゃないか,こっちの気持ちもわかるだろう」「あの子(風子)は苦労して育ったからな,どこか無理しているところがある。やくざな女に見えるけど,本当はそうじゃない,まともな娘だ,所帯をもって,子どもを生んで,幸せになれる娘だ,そう思わねえか」トニーは言った。「二十歳の若造ではありませんからね,それぐらいのことはわかっています,だけどね,東京についていくといったのは,あの子の方なんですよ」寅次郎は謝った。「だからこそ,こうして頭を下げて頼んでいるじゃねえか,頼む,この通りだ。」トニーはニヤリとして捨てぜりふを吐いた。「アニさん,見かけによらず,純情ですね,ジャ,ゴメンナスッテ」その場に立ち尽くした寅次郎は,静かに頭を垂れるだけだった。
この時,映画「男はつらいよ」シリーズは終わったのだ,と私は思う。テレビ時代から車寅次郎が売りにしていた「柄の悪さ」「品のなさ」は,トニーという渡世人(渡瀬恒彦)の登場によってもののみごとに粉砕されてしまっていたのである。
とらやでの風子との悲しい結末は,そのだめ押しに過ぎなかった。
筋書きは,例によって健全路線に修正し,風子の結婚式へと進む。北海道・養老牛温泉で行われた式場近くの森の中で,熊も登場するスラップ・ステップ・コメディ風に大団円となる。
それにしてもトニーという渡世人はどこへってしまったのだろうか。渡瀬恒彦の演技は森川信と肩を並べるほどの風格をもっていた。映画「男はつらいよ」シリーズに登場する人物の中で,トニーほど「影」のある,崩れた,破れかぶれのキャラクターは存在しなかったのではないか。例の任侠映画の人物がいきなり登場してきたようなものであった。だからこそ「男はつらいよ・霧にむせぶ寅次郎」は秀逸なのである。映画のシリーズの中では,紅京子(木の実ナナ),リリー(浅丘ルリ子),ぼたん(太地喜和子)など,寅次郎と同類の人物も登場していたが,彼の「柄の悪さ」「品のなさ」を,ある種の風格まで昇華させることができた役者は皆無だった。さらに風子とトニーという渡世人の登場によって,車寅次郎の風格は見るも無惨に引きずりおろされたのである。 しかし,映画「男はつらいよ」シリーズの製作関係者は,そのことに気がつかなかった。だから,もう出る幕のない車寅次郎を,延々と,俳優・渥美清の寿命が尽きるまで,退屈な舞台に登場し続けさせたのである。合掌。(2003.5.7)



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2024-02-23

劇団素描・「劇団朱光」・《「年の瀬」の舞台模様》

2014年12月24日(水) 晴
 今年も「年の瀬」、「劇団朱光」が小岩湯宴ランドで(恒例の)公演を行っている。今月は、芝居「義賊の金市」「留八しぐれ」「瞼の母」「女小僧花吹雪」「芸者の誠」などの舞台を見聞したが、いずれも「今一歩」の出来映えで、心底から「納得!」というわけにはいかなかった。では、その「一歩」、何が足りないのか、どうすれば次の「一歩」へ踏み出せるのか。鍵を握っているのは、朱里光、水澤拓也、水橋光司、水越大翔ら「若手陣」らの台頭・活躍である、と私は思う。この劇団の特長は、それぞれの芝居で座長・水葉朱光、副座長・水廣勇太、水城舞坂錦、花形・水谷研太郞らが「主役」を交替することで、おのがじし、かけがえのない「個性」(魅力)を発揮、また中堅・潮見栄次が「目立たない」ことによって「目立つ」という「いぶし銀」の輝きを見せている点にあるのだが、彼らの「実力」を(より一層)際立たせるためには、「端役」の存在・活躍が不可欠であろう。女優・朱里光は、健気にも座長・水葉朱光に随行、懸命な舞台を務めているが、まだ彼女の魅力(実力)を十二分に発揮するまでには「今一歩」か。加えて、拓也、光司、大翔の男優連中も、いわば「足踏み」状態が続いている。とりわけ「女小僧花吹雪」「芸者の誠」の舞台では、座長・水葉朱光が「余興の場」を提供、彼ら一人一人に「一発芸」を演じさせたが、結果は「今一歩」、観客からの「大喝采」を得るには至らなかった。誠に残念である。「役者の命は舞台」、「オレの出番はきっと来る」という気持ちで、今後ますますの精進を期待する。一方、座長、副座長、花形らの「精進」ぶりや如何? まず、花形の水谷研太郎、「留八しぐれ」では、主役の「嬬恋宿の留八」、恋に破れた怨念をはらし、地獄に墜ちていく男の風情は壮絶の極み、文字通り「全身全霊」の舞台姿であった。続いて副座長の水廣勇太、天保六歌仙(「義賊の金市」)の金子市之丞、「瞼の母」の番場の忠太郎では、世間からはみ出た「男」の哀愁を渾身で描出、また「女小僧花吹雪」での「つっころばし」(浪速の若旦那)も、なよなよとエキセントリックで魅力的、いちだんと「気合いが入った」舞台姿であったと、私は思う。さらには副座長・水城舞坂錦、「瞼の母」では 売笑婦・おとら、忠太郎を狙う素浪人の二役、「留八しぐれ」では追分三五郎、「芸者の誠」では侍・安部俊三・・といった役柄を「多種多様に」に演じ分ける「達者振り」は相変わらずであった。極め付きは座長・水葉朱光、「女小僧花吹雪」の《変化》(へんげ)はお見事、一般には「女形」を演じる男優の魅力で勝負するが、この舞台は「真逆」、女優が「立ち役」(盗賊)に変化する妙を存分に楽しめた。また「留八しぐれ」では留八の姉役、弟の悲恋地獄に先立って自刃する景色も(一瞬の)屏風絵のように鮮やかであった。私が「劇団朱光」の舞台を初めて観たのは平成20年5月(立川大衆劇場)であったが、以来6年7カ月、劇団は着実にホップ・ステップの道を歩んできた。残るは「ジャンプ!」、そのためには《若手陣》の飛躍・台頭が何よりも「不可欠」だと思うのだが・・・。
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2024-02-22

劇団素描・「春陽座」(座長・澤村心)・《芝居の春陽座、健在!》

【春陽座】(座長・澤村心)〈平成21年1月公演・東京浅草木馬館〉
 この劇団は、平成19年8月に東京浅草木馬館で見聞済み。当時の「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 春陽座 平成16(2004)年8月1日、ユラックス(三重県)にて旗揚げ。劇団名の「春」は、澤村新吾座長の母・春代に由来し、また春の日射しのような」という意味も込められている。芸達者な座長を筆頭に、澤村心副座長、沢田ひろし、白竜、澤村かずまを中心として、お芝居にショーにと全力を注いでいる。澤村新吾 劇団座長。昭和19(1944)年8月14日生まれ。兵庫県出身。血液型O型。初舞台16歳。義父・澤村玄之丞率いる「澤村劇団」で初舞台を踏み、以後一般の生活を営む時期もあったが、平成11(1999)年に「澤村劇団」座長として役者に復帰。その後、座長を現在の三代目・澤村謙之介に譲り、平成16(2004)年8月に「春陽座」を旗揚げする〉とある。また、キャッチフレーズは〈全員一丸で見事に演じる絶品の芝居力!! 「春陽座」のお芝居には、常に心を揺さぶる何かがある。それは、澤村新吾座長をはじめ、座員全員が一丸となって一生懸命に舞台を務めているから。春の陽射しのような優しい光で、観る者を包み込んでくれる劇団です〉であった。以来1年半が経過、劇団の実情も大幅に様変わりしたように感じる。副座長だった澤村心が座長に、花形・白竜が抜け、若手だった澤村かずまが副座長に・・・。しかし、「全員一丸で見事に演じる絶品の芝居力」は健在であった。芝居の外題は「百代半生記」。沢田ひろし(女形)主演、「ざん切り物」の新派「もどき」で「絵になる」場面の連続だった。以前から「光っていた」澤村かずまの「芸」にも磨きが掛かり、舞踊に、芝居にと「成長の跡」(副座長としての貫禄)が窺える。ただ一点、花形・白竜が脱けた「寂しさ」はいかんともしがたい。彼の風情は、「無口」「シャイ」「無表情」、どちらかといえば地味な存在であったが、「脇を固める」座の一員としては「必要不可欠」な存在ではなかったか。また、男の「色香」を漂わせる舞踊の「実力」は天下一品であった。穴埋めとして、新しい座員も加わったようだが、かつての舞台を再現するためには、今しばらくの時間が必要だろう。
 新「春陽座」が当面する課題はただ一つ、「立ち役」の「艶やかさ」、「男の色香」を誰が、どの場面で描出するか、だと思う。今後の舞台を楽しみに通いたい。
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2024-02-21

劇団素描・「劇団武る」・《芝居「おさん徳兵衛」》

【劇団武る】(座長・三条すすむ)<平成20年2月公演・浅草木馬館>
 座長を筆頭に、座員は指導・勝次朗、副座長・藤千乃丞、女優・月城小夜子(元・松竹新喜劇)といった「実力者」が舞台を引き締めている。芝居の外題は「おさん徳兵衛」、大衆演劇の定番、「実力者」たちで主役・脇役を固め、安心して観ることができた。特に、座長の「お菰」役は絶品で、「あわれさ」と「あかるさ」(滑稽)を両立させる「上品」な雰囲気が舞台に漂っていた。「舞踊ショー」も、座長の「命くれない」「ああ、いい女」、副座長・藤千乃丞の「ある女の詩」等、女形舞踊が素晴らしく、印象に残る舞台であった。それに比べて、やや「立ち役」(男踊り)が単調、「色香」に欠けるので、指導・ショウジロウの「奥飛騨慕情」(これは伝統的至芸といえる逸品であった)を目指して、さらなる精進を期待したい。思うに、座長・三条すすむの持ち味は、「女形」の方にあるのではないか。古くは辻野耕輔、若葉しげる、近くは市川千太郎の方向性と軌を一にしながら、「里見要次郎」風ではない女形、たとえば「藤純子」的な風情を極めれば、大成するだろう。
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2024-02-20

劇団素描・「浪花劇団」・《芝居「新月桂川」》

【浪花劇団】(座長・近江新之介)・〈平成22年1月公演・大井川娯楽センター〉
座長の近江新之介は(私が愛好する)「鹿島順一劇団」の実力者・蛇々丸の弟ということで、かねてから見聞したいと思っていた。場所も、由緒ある東海地方娯楽の殿堂、役者も舞台も「絵になるのでは」と、胸ふくらませて参上してみれば、まさにドンピシャ、期待通りの結果であった。芝居の外題は「新月桂川」。主役・千鳥の安太郎に座長・近江新之介、その弟分に若手男優(芸名不詳)、桂川一家親分にベテラン・中村カズオ、その娘に浪花マオ、仇役・川向一家親分・蝮のゴン太、ゴン次(二役)に三枡ゆたか(?)、安太郎を慕う鳥追い女・お里に(座長の愛妻?)近江めだかといった配役であったが、何よりも「輝いていた」のが、脇役・中村カズオの老親分姿、続いて三枡ゆたかの「一見憎々しげ」な悪役振り、さらに鳥追い女・近江めだかのコケティッシュな風情が「格別」で、文字通り「芝居は脇役で決まる」典型的な舞台であった、と私は思う。その出来栄えは、「鹿島順一劇団」「近江飛龍劇団」とくらべて、いずれ菖蒲か杜若、甲乙つけがたい景色であった。座長の口上では、この劇団、「松丸家劇団」とも親類関係にあるとのこと、さすれば、初代・鹿島順一の血筋は「松丸家劇団」「鹿島順一劇団」「近江飛龍劇団」「近江新之介劇団」「おうみ悠劇団」に「脈々と」流れている、ということで、今さらながら血縁の絆の「強さ」を思い知らされた次第である。肝腎の座長・近江新之介の「芸達者ぶり」はさすが、義父は浪花三之介、兄は蛇々丸、義姉は笑川美佳といった「実力者」に囲まれて「育った」(か、どうかは定かではないが)、やはり血筋はあらそえない。舞踊ショー、役者の一人一人が、音曲の眼目を大切にして、精一杯「ドラマ」(独り舞台)を演じようとしている姿勢がたのもしい。五木ひろしの名曲・「傘ん中」を、扇子一本で(傘をもたずに)踊りきった役者は誰であったか(中村アヤノ?近江めだか?)、いずれにせよ、このような珠玉の舞台を提供できるのだから、座長!、「拍手請求」は(関東の客には)不要、不要、私自身は「拍手を忘れるほど」感動していたのである。
傘ん中傘ん中
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2024-02-19

劇団素描・「桑田劇団」・《芝居「お春茶屋」・舞台は「懐かしの旅芝居」》

【桑田劇団】(座長・桂木昇)〈平成20年1月公演・川崎大島劇場〉
午後6時から大島劇場観劇(観客数15)。「桑田劇団」(座長・桂木昇)、座員は桂木昇を筆頭に、太夫元・桑田淳、三門扇太郎、中村駒二郎、山下久雄、桑田千代、桑田幸衣、音羽三美、ベビーゆきお(子役)、友情出演・雪松こずえ、という面々であった。総じて役者の平均年齢が高く、「わびしい」雰囲気が漂っていた。30年前に観た千住壽劇場の雰囲気そのままで「懐かしさ」ひとしおというところであろうか。芝居の開幕前には「配役」がていねいに紹介されたので、すぐに役者の顔と芸名を覚えることができた。外題は「お春茶屋」、それぞれの役者は場数を踏んでおり、安心して観ることができた。終幕近くの「節劇」の実力は「今一歩」、座長の「表情」が加わればさらに良かったと思う。舞踊ショーの中に、役者の「歌唱」が数多く(桂木昇、音羽三美、三門扇太郎、桑田淳、山下久雄)挿入されていたので、昔の歌謡ショーの雰囲気が漂い、他の劇団とは「一味違う」ことにも好感が持てた。中でも山下久雄の「歌唱」は出色、他の役者の舞踊曲を「生で」担当すれば舞台が盛り上がるのではないか。芝居・舞踊の全体を評して、まさに「昔ながらの大衆演劇」「懐かしの大衆演劇」と言えるだろう。ベビーゆきお(子役・2歳)は芝居に登場し、「その場にじっとしている」だけの演技であったが、立派だと思う。「かえるの子はかえる」、将来に期待したい。
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2024-02-18

劇団素描・「小泉たつみ劇団」・《芝居「血煙三度笠」》

【小泉たつみ劇団】(座長・小泉たつみ)<平成20年1月公演・大阪明生座>
昨年、東京の十条・篠原演芸場で観たとき、「もう一度観たい」と思ったが、その機会がなかった。今回、改めて観ると、「やっぱり」と思うほど、見事な舞台であった。座員は、座長の母・たつみ龍子、弟・小泉ダイヤ、妻(?)・たつみ真珠、妹(?)・小泉ルビー、愛餓男(あいうえお)、小泉一馬といった面々である。篠原演芸場の舞台では、座長・小泉たつみの「口上」(話術)、女形舞踊の衣装(江戸好みの渋い色合い)が印象的で、隠された「実力」を窺わせていたが、明生座でもその期待を裏切られることはなかった。「芝居」は「血煙三度笠」、親分の命令で人(対立する親分)を斬り、島流しになった子分(小泉ダイヤ)が、刑期を終えて帰ってみると、親分(芸名不詳・好演)に託した母は餓死、盲目の妹(小泉ルビー)もその日の暮らしに困っている。それだけではない。いとしい恋女房(たつみ真珠)までもが、今では親分の姐さんにおさまりかえって居るではないか。いかに親分の所業とはいえ、子分の気持ちは治まらなかった。渋る妹を連れて親分の所に掛け合いに行くが、面を割られて追い返される。一旦は妹と帰路についたが、どうしても気持ちが治まらない。妹を先に帰して、復讐に赴こうとしたその時、どこからともなく現れた女親分(たつみ龍子)。「バカなことはお止めなさい。そんなことをすれば、また島に逆戻り、後に残された妹さんをどうなさる。少ないけれどこのお金をもとに、堅気の商売を始めなさい」「なるほど、おっしゃるとおりだ。ありがたく頂戴いたします。どこのお方か存じませんが、せめてお名前を!」「見ての通りの渡世人、名乗るほどの者じゃあござんせん」  
家に帰った子分が、頂戴した五十両の金を手に、これから何の商売を始めようか思案していると、島で服役していたときの朋輩(座長・小泉たつみ)が突然訪ねてきた。再会を喜ぶ二人。しかし、朋輩は訝しがる。今の様子は、島で聞いた話とは違う。「お前の女房、おっ母さん、妹を面倒見ているはずの親分はどうしたんだ」「いや、いろいろ事情があって」と口ごもる子分から真相を聞き出して朋輩はいきり立つ。「ようし、おれに任せておけ、仇を討ってやるぞ!」単身、敵地に乗り込んだ朋輩、親分の所業を褒めちぎり、杯をもらって、体よく身内(代貸し)に納まるが、その後は黙っていない。親分の悪行を洗いざらい糾弾しはじめた。「畜生!図りやがったな!」激高する親分の前に、また、どこからとも現れる女親分、「うちの人の仇は討たせてもらいますよ!」、朋輩と女親分、協力し、めでたく敵討ちに成功した。その帰り道に駆けつける子分、朋輩から女親分の名前を聞いて驚愕、とっさに自刃した。困惑する朋輩、「何てことするんだ!?」。「兄弟!、聞いてくれ、その女親分は、昔、おれが手にかけたお人の姐さんだ!おれは死んでお詫びするしかねえんだ・・・」かくて、愁嘆場のまま終幕となった。
 私が驚いたのは、小泉ダイヤの「演技力」である。終幕まで、子分役は小泉たつみだと思っていた。あの朋輩役は誰だろう、ずいぶん達者な役者がいるものだ、と思っていたが、実はそれが座長、子分役は弟・小泉ダイヤだったのだ。また、登場する機会が少ない、母・たつみ龍子の芝居・舞踊を観られたことも大きな収穫である。「さすが」「見事」のひと言に尽きる。これまでの舞台経験に培われた「実力」が十二分に花開いたできばえであった。小泉ダイヤの女形舞踊も「あでやか」、ラストショーのコミカルな「表情」「所作」も絶品で、やはり「私の目に狂いはなかった」ことを勝手に満足した次第である。
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2024-02-17

劇団素描・「劇団悠」・《特選狂言「花のあと」の舞台模様》

【劇団悠】(座長・松井悠)〈平成25年1月公演・横浜三吉演芸場〉
表看板には、座長・松井悠の他に、高橋茂紀、藤田心、きぶし、北斗、田中勇馬、下町夢之丞、萩原なおと、高野花子、緋桜忍、成田美ゆり、北城竜、といった名札がかかっていた。座長の松井悠は「和悠斗改め」、ということだが、あのNHK大河ドラマ「風林火山」(2007年)で北条氏康役を演じた松井誠の息子である(当年とって26歳?)。本日の芝居は特選狂言「花のあと」。座長みずから台本を書いた由、期待に胸ふくらませて開幕を待ったが、第一部は「舞踊ショー」。幕開けは座長中心の民謡メドレー(河内音頭・ソーラン節等々)、続いて「ホレました」(勇馬、なおと)、「海よ海よ」(北斗、夢之丞)、「柳瀬ブルース」(きぶし)、「アメージングブルース&逢いたくて」(座長・女形)、「おふくろさん」(藤田心)、「雨に咲く花」(茂紀、夢之丞)、「人生しみじみ」(座長・女形)、「おんな港町」(座長、美ゆり、忍)、「一本〆」(座長、他)、「人生男節」(茂紀)「富士」(花子)「夢の浮橋」(座長・女形)、「ラストショー・ズンドコ節」まで、全15曲を踊り通したが、印象に残ったのは座長の女形、高野花子、成田美ゆりくらいであったろうか。さて、いよいよ特選狂言と銘打った「花のあと」。幼馴染みの加代(16歳・座長)と喜平(庄屋の次男坊)の悲恋物語である。加代は、母・しげと二人暮らしだが(しげが病弱のため)、家は貧しく年貢が納められない。吉原に身売りすることを決心、喜平もまた江戸の呉服問屋に奉公して自分の店を持つことを夢見る。離ればなれになった二人は、5年後に加代がつとめる遊郭で再会・・・、といった筋書きだが、喜平役、加代の朋輩・おつるちゃん・おかめちゃん(ともに男優)、雛菊姉さん(美ゆり?)らの「脇役陣」が、「力不足」で、興ざめな場面の連続であった。座長自身、口上で「今日は女形の芝居、冒頭は16歳の娘役、恥ずかしい」と述べていたが、娘時代の方が秀逸、花魁になると、なぜか風情が生硬で、精彩が感じられなかった。まだ(自作の)「台本」に「ついて行けない」感は否めない。喜平のお店が「左前」、身請けが叶わなくなり、やむなく二人は心中の道行きへ、と舞台が回ったところで、こちらも(やむなく)退散、まことに残念な結果になってしまった。とはいえ、座長の父は斯界の実力者、その直弟子(嫡男)として必ずや(「捲土重来」を期した)珠玉の舞台を見せてくれるだろう、と念じつつ片道2時間の帰路に就いた次第である。ああ、シンド・・・。
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2024-02-16

劇団素描・「本家真芸座」・《芝居「十六夜鴉」・座長の風情》

【本家真芸座】(座長・片岡梅之助)〈平成21年1月公演・小岩湯宴ランド〉
 午後1時から、小岩湯宴ランドで大衆演劇観劇。「本家真芸座」(座長・片岡梅之助)。昨日に引き続き来場。芝居の外題は昼の部「十六夜鴉」、夜の部「下田情話」。「十六夜鴉」の主役は昨日は哀川昇(弟)だったが、今日は片岡梅之助(兄)ということで、舞台の景色・風情がどのように変化するかを観たいと思った。筋書きは「新版・瞼の母」(兄弟で母を慕う物語)、哀川昇は弟の骨箱を胸に抱いて登場したが、片岡梅之助は空身、おそらく懐に位牌を抱いているのだろう。なるほど、その股旅姿、所作、口跡どれをとっても、兄・梅之助には「一日の長」がある。母との再会から別離までの「手順」に違いはないのだが、それほどの「長ったらしさ」「しつこさ」は感じなかった。母(矢島愛)の方にも「ゆとり」が見られ、昨日よりは「きめ細かな情感」を描出できたように思った。しかし、やはり、両者に共通するのは「九州男児」の「男臭さ」とでもいえようか、「強く」「たくましい」ばかりで、「弱さ」「頼りなさ」「甘ったれ」といった「男の色香」が乏しい。言い換えれば、口では「母恋し」と言いながら「本当にそう思っている」ようには感じられない。まあ、それが「九州の芸風」「本格的な芝居」ということになるのだろう。
 夜の部「下田情話」についても同様の感想を持った。この芝居も大衆演劇の定番。人情味あふれる「目明かし」(片岡梅之助)が、島抜けの罪人(哀川昇)に「親子名乗り」(子役・ター坊)をさせたうえ、脱走を助けるという文字通りの「人情話」なのだが、目明かしも罪人も「かっこよさ」ばかりが目立って、「温かさ」「弱さ」「かっこ悪さ」といった風情が薄弱、その結果、登場人物の心情と「交流」ができずじまいに終わった。
 舞踊ショーでは、子役ター坊(小学校中学年)の「立ち役」(「いいってことよ」)は「お見事」、若手・片岡大五郎の「面踊り」も達者で、将来が楽しみである。座長・片岡梅之助、哀川昇の「女形」は絶品、申し分ない出来映えであった。今後の課題は、「立ち役」の踊りわけ(武士、町人、浪人、侠客、江戸っ子、浪速っ子、芸人、職人など)ができるかどうか、芝居でも「二枚目半」「三枚目」をどう演じるか(全く別人のように「変化」できるかどうか)、「見聞」を続けたい。
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2024-02-15

劇団素描・「劇団芸昇」・《芝居「ふるさとのともしび」の名舞台》

【劇団芸昇】(座長・みやま昇吾)〈平成25年1月公演・千代田ラドン温泉センター〉
この劇団のポスターには、座員全員の顔写真と芸名が載っている。座長・みやま昇吾、花形・みやま太一、花形・みやま昇太、頭取・みやま春風、みやま陽一、みやま英雄、みやま大吾、女優・昇京華、昇こずえ、昇さつき、昇いちごの面々である。そのことで、座長が、座員一人一人を、どれだけ「かけがえのない」ものとして大切にしているか、が窺える。芝居の外題は「ふるさとのともしび」。幼い頃、母と生き別れになった流れ星の源太郎(花形・みやま昇太)は、角兵衛獅子の少年時代を経て、今では「泥棒一味」の幹部、親分(後見・みやま春風)と一緒に、ある大店にやってきた。そこの若旦那は、源太郎と名乗っているが、実は「仲間」の新吉(花形・みやま太一)、今では堅気になって、盲目の女主人(昇京華?)に「親孝行」の真似事をしている。その新吉を「一味」に取り戻すためである。新吉、「待ってくれ、俺を堅気にさせてくれ」と懇願するが親分は許さない。見かねた源太郎、間に入って「暮れ六つまでに千両用意すれば、許してやる」と、話がついた。「一味」が去った後、思案に暮れる新吉、そこへ、源太郎、「見張り役」として再登場。奥から聞こえる女主人の話。「源太郎、別れるときに渡した、お守り袋、今でも持っているだろう。私に見せてくれまいか」。新吉、「それは、大切なものだから、行李にしまってある」などとごまかすが、持っていたのは源太郎、「そうか、あの人は俺のおっかさんだ。でも、今さら親子名のりはできやしねえ。ここは一番、新吉に身代わり孝行を頼むほかはない」と決意する。やがて暮れ六つの鐘が鳴る。源太郎、やってきた親分に事情を打ち明けるが、親分は許さない。「では、やるしかない。俺はこの店を守るんだ!」。客席から「がんばれ!」というかけ声に、親分役の後見・みやま春風、「客席まで味方にしやがって、おまえの親戚か」と悔しがったが、「大丈夫、すぐに斬られますから」という「やりとり」が、何とも面白かった。見るからに「悪党」、その憎々しげな春風の風情が「堂に入ればこそ」、客を味方につけることができたのだ。事実、私の隣に座っていた高齢者の夫婦、親分の顔をにらみつけて「悪いやつだ」と舌打ちする。源太郎、親分の一太刀浴をびたが、懸命に凌いで大逆転、勝利の女神は、源太郎に微笑んだ。とはいえ、その一瞬から、源太郎は凶状持ち、親子名のりもできぬまま旅立つ、といった筋書きで、たいそう面白かった。主演は花形・みやま昇太、17歳。彼の弁によれば、「大吾(12歳)がインフルエンザのため、急遽、先生から、開演20分前に、この役を仰せつかりました。初めての役なので、お見苦しいところが沢山あったと思います。これからも精一杯、努力精進いたしますので、どうかよろしくお願いいたします」。本来なら座長の役を、誠実に代演しようとする姿勢は立派、普段から座員一人一人を大切にする、座長の薫陶が「結実化」した名舞台であった、と私は思う。幕が下りた後、件の高齢者夫婦、コーラを飲みながら、いつまでも涙を拭っていた。今日もまた、大きな元気を頂いて、岩盤浴に向かった次第である。
【余話】
インターネットの「劇団情報」に「劇団芸昇」の紹介画像が載っている。座員一同の最前列中央の○○(マスコット幸輝)に注目あれ。座長の「締めの一言」でワッと泣きだす。その「阿吽の呼吸」が素晴らしい。さすが「劇団芸昇」!今後の活躍を、ますます期待する。
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2024-02-14

「劇団逢春座」・《芝居「浜の兄弟」の名舞台》

【劇団逢春座】(座長・浅井正二郎)〈平成27年6月公演・小岩湯宴ランド〉
 前回の舞台見聞の後、私は〈この劇団、小岩湯宴ランドは「初公演」、地元常連筋の意向が読めず「小岩はむずかしい」という座長の本音が窺われたが、大丈夫!、彼らは「目新しい劇団」の到来を待ち焦がれているのだから、一日一日を精一杯、全力で取り組めば「高評価」で終わることは間違いない。自信をもって前進していただきたい。〉と綴ったが、案の定、久しぶりに珠玉の名舞台を堪能することができた。
 芝居の外題は、時代人情劇「浜の兄弟」。浜には兄・直やん(座長・浅井正二郎)、弟・兼松(浅井雷三)という漁師の兄弟がいた。兄は漁の仕事に励んでいるが、弟は元気がない。兼松の本心は都会に出て商人になりたいからである。そのこと思い切って両親(神楽良・あやこ)に打ち明けた。父は反対したが、溺愛気味の母は同意して父を説得する。「兼吉は浜一番の利口者、読み書きそろばんを達者にこなすのだから漁師にしておくのはもったいない」。父も絆されて翻意したが、「直が聞いたら何と言うだろう。反対するに決まっている」、そこへ兄の直やんも帰宅した。両親から弟の本心を聞いて、直やんは猛反対、激怒する。でも兼松は諦めず、漁師仲間の積立金を持ち逃げして江戸へ向かった。それを知った漁師仲間も激怒、直やん一家は孤立した。以来5年、一家は懸命に働いて積立金を返済、兄は漁師から船大工に転職、今では隣の浜にも負けない大きな船を造れるほどに腕を上げている。家も別の場所に新築、およしという女房(浅井ゆき?)ももらって親孝行に励んでいたのだが・・・。折しも今日は新しい船が完成した進水式、漁師仲間の源さん(浅井優)が工賃100両を届けに来た。しかし、直やんの機嫌が悪い。弟の兼吉が浜に戻って来たという噂を耳にしたからだ。女房から100両手渡されてようやく機嫌が治ったところへ、ワイワイガヤガヤ、浜の連中に囲まれて兼吉が登場した。見れば紛れもない豪勢な商人姿になっている。直やんは怒り心頭、「どうして兼松を連れてきたんや」と浜の連中に八つ当たり、その剣幕に押されて一同はクモの子を散らすように退場。一人残った兼吉いわく「5年前は申し訳ないことをしました。あれから江戸に出て積立金を使い果たし、身投げをしようとしたところ、大店の山金屋さんに救われ、一生懸命働いて、今では一番番頭になりました。・・・ついては一つお願いがあります。旦那様は暖簾分けをしてお店を持たせて下さるとのこと、そのために100両のお金が必要です。どうか貸してもらえないでしょうか」。両親は小躍りして「よかった、よかった」と喜んだが、兄の直やんは許さない。「なにを身勝手なことを!お前のために一家がどれほど苦しんだか・・・。とうに兄弟の縁は切ってある。お前なんぞに貸す金は一銭もない。出て行け」。両親のとりなしで、どうにか兼吉は奥の部屋に引っ込んだが、直やんの気持ちは収まらない。「どこまで甘い親なんだ」とふて寝する。そこへ再び源さんがやってきた。「江戸の山金屋から頼まれて手紙を持ってきた」由、字を読めない両親は、ふて寝する直やんを起こして手紙を渡す。不承不承に読んでみれば「番頭の兼松が店の金100両を使い込んだので、お上に訴える」と書いてある。舞台は一瞬にして暗転、直やん苦渋にみちた表情で「それみたことか、あいつの根性は元から腐っている!親が甘いから、こんなことになるんだ」と言いながら、奥にいた兼松を呼び出して引きずり倒す。「お前は店の金を盗んだと手紙に書いてある。どこまで一家に迷惑をかけるつもりか!」なおも殴りかかろうとする直やん、必死に止める父と母、一言もなく固まって兄を見つめる兼吉、四者四様に、珠玉の涙が頬を伝っている。一息あって父が呟く。「悪いことは許されない。江戸に戻って罪を償うのじゃ・・・」まだ無言のまま頭を垂れ、その場を去ろうとする兼吉の背中に向かって、直やん「江戸の獄舎につながれて、その腐った根性をたたき直してくるがいい、ホラ、忘れ物だ!」と言いながら風呂敷包みを手渡した。兼吉、悄然として退場すれば、入れ替わりに源さん再登場、「網元さんが、さっきの工賃100両、都合で返してほしいと言っている」「わかった、後で届けると言ってくれ」「今、すぐ持ってこいだと」「今、ここにはないから後で届けると言うとるんじゃ、ボケ!」と追い返す。それを聞いていた両親、さっきの100両があるのではと訝れば「兼松の包みに入れてやった。何と言ってもかけがえのない弟、獄舎に入れるなんてオレはできない」。一見、頑固で一徹な直やんの心中には、親思い、弟思いの温もりが秘められていたことが判明、観客も含めた一同が安堵する。明るくなり始めた景色の中に女房のおよしが飛び込んで来た。「奥にこんなものがありました」。見れば300両の大金と兼松の置き手紙。「さきほどの手紙は私自身が書いたものです。兼吉は山金屋の主人になりました。このお金はお詫びの印、どうか心おきなくお収めください」。直やん、驚いて見る見る満面の笑みに変わる折も折、立ち去ったはずの兼松もまた大声を上げながら駆け込んで来たかと思うと、兄の与えた工賃100両がバラバラとこぼれ落ちる。兄の胸にしっかりと抱きしめられ号泣する兼松、浜の「兄弟愛」が見事に結実して大団円となった。
 今日の舞台、座長を筆頭にそれぞれの役者が十二分に実力を発揮、寸分の隙も無い名場面の連続であった。中でも、浅井雷三の「抑えた」「受け身」の演技は、一際、光彩を放っていた。「不動の表情」を貫きながら、周囲とのかかわりの中で、悪になったり、善になったり、と「変化」(へんげ)する様を鮮やかに描出する。
 前回予期したとおり、今日もまた斯界屈指の「名舞台」を初見聞、大きな元気を頂いて帰路に就くことができた。感謝。



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2024-02-13

劇団素描・「劇団九州男」・《舞台模様は「軽演劇」風》

【劇団九州男】(座長・大川良太郎)〈平成20年2月公演・十条篠原演芸場〉
午後6時30分から、篠原演芸場。「劇団九州男」(座長・大川良太郎)。入場者の行列に並びながら、表看板の役者名を大急ぎでメモする。それによると、「大川良太郎、日本正美、三條千尋、たくや、みずき剛、九条かおり、むらさき要、東城真紀、三村由布子、金沢伸吾、杉九州男」とあった。こちらの劇場は「大入り」、顔見世ミニショーの舞台から、楽しく明るい雰囲気が漂う。三條千尋とむらさき要の相舞踊は、ほとんど「座ったまま歩く」という曲芸に終始していたが、その表情、所作が「楽しく」、観客の笑いを誘っていた。昔、梅澤武生が「お客さんは日頃の疲れ・ストレスをとるために来ているのだから、明るく楽しい舞台になるよう心がけている」というような話をしていたが、まさにその通りで、「楽しい」ことが大衆演劇の条件なのである。芝居の外題は「ザ・○○」(○○は失念)、会津小鉄一家の外伝で、いわゆる「間男征伐」の、他愛もない筋書だったが、それぞれの役者が適材適所に配置され、十分に楽しめた。特に、新人(23歳)のみずき剛が「用心棒の先生」(ちょい役)に抜擢され、たどたどしいセリフ回し、刀使いが、未熟なだけに初々しく、一つの「魅力」に変化(へんげ)してしまうという、大衆演劇ならではの舞台を観ることができた。舞踊ショーの番付も、若者向けの洋舞あり、その直後は年寄り向けの日本調ありで、「次は何だろう?」という客の期待を裏切ることはなかった。座長の「里見要次郎」もどきは徹底し、さらに磨きがかかった(自分の芸風に自信をもった)ように感じる。杉九州男の芝居・舞踊・歌唱も「一流」、特に「さざんかの宿」の歌声は、鹿島順一の歌唱に勝るとも劣ることはなかった。(歌手・大川栄策よりも優ることはいうまでもない)
 「劇団武る」と「劇団九州男」を比べると、役者の実力において「差」はない。「演出」の方向が違うのだと私は思う。どうやって客の耳目を惹きつけるか、前者は、誠心誠意まじめに「演じる」(熱演)方向、後者は客の反応を見ながら(呼吸をはかりながら)柔軟に「演じる」(軽演劇)方向を目指しているように感じる。過日観た芝居、「劇団武る」の「おさん徳兵衛」は、「ザ・○○」よりも「格が上」、しかし、今日の「笹川乱れ笠」よりも「劇団・九州男」の「ザ・○○」の方が楽しく、面白かった。ことほどさように、大衆演劇の舞台は、文字通り「浮草物語」で「仕掛け花火」に似た「儚さ」が漂っているといえるだろう。



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2024-02-12

劇団素描・「小林劇団」・《芝居「弁天小僧菊之助」は兄弟結束の名舞台》

小林劇団】(座長・小林真)〈平成23年1月公演・佐倉湯ぱらだいす
私がこの劇団を初めて見聞したのは、3年ほど前であったろうか、今は閉鎖されている浅草大勝館の舞台であった。父(太夫元)・小林隆次郎、母(リーダー)・小林真弓、長男(座長)・小林真、次男・小林直行(副座長)、三男(花形)・小林正利、長女・小林真佐美らで構成する家族中心の劇団である。どちらかと言えば「歌謡・舞踊ショー」が「売り」の劇団で、座長・小林真の女形舞踊、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊、リーダー・小林真弓の歌唱が印象に残っていた。とりわけ小林真弓の「歌声」は抜群、たしか誕生日公演(?)には20曲ほど歌い続けたように思う。その後、奈良やまと座でも見聞、今回は3回目ということになる。芝居の外題は「弁天小僧菊之助・温泉の一夜」。なるほど、月日の経つのは早いもの、舞台の出来栄えは以前とは見違えるほど、座長・小林真が思わず芝居の中でつぶやいた一言、「兄弟だけで芝居ができちゃった・・・」、おっしゃるとおり、座長自身は「浪花の若旦那」、その愛人は小林真佐美、敵役・海賊の首領が副座長・小林直行、主役・弁天小僧に花形・小林正利、海賊の子分、座員・小林聡志、小林翼といった配役で、太夫元、リーダーの出番はない。兄弟妹が、それぞれの役柄を「初々しく」演じ分けた舞台模様は「お見事!」であった。長男・座長には「ゆとり」と「色気」、次男・直行には「渋さ」と「剽軽」、三男・正利と妹には「変身の妙」が感じ取れる、家族劇団ならではの景色であった、と私は思う。とりわけ、真佐美の成長は著しい。若旦那の愛人を演じる「純情可憐」な風情が、海賊の情婦になり果て、いっぱしの「すべた女郎」に変化(へんげ)する様相が何とも痛快で清々しかった。舞踊ショー、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊(「関の弥太っぺ」「人生劇場」)、リーダー・小林真弓の歌唱二曲は相変わらずの「一級品」、加えて、座員・小林翼、やや太めの図体を「絵」にしてみせる個人舞踊も魅力的であった。演目も洋舞は控えめ、あくまで従来の「艶歌」風を中心とした「歌謡・舞踊ショー」の景色は、今もなお「健在」。大きな元気を頂いて帰路に就くことができた次第である。
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2024-02-11

劇団素描・「劇団 鯱」・《芝居「お祭半次郎」と「仲乗新三」》

【葵一門 劇団鯱】(座長・葵政次)〈平成20年9月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
 この劇団はすでに見聞済み(平成20年4月公演・つくば湯ワールド)ただし、その時は夜の部、舞踊ショーのみだったので、強い印象は残っていない。「劇団紹介」によれば、「初志貫徹でひたむきに前へ。葵政次座長を筆頭に座員たちがそれぞれの個性を引き立たせ、フットワークとチームワークも絶妙。座長の息子であるベビー翔、ベビー響など子役たちも元気いっぱいに、舞台せましと駆け回る。アットホームな温かい雰囲気を感じさせてくれる劇団です」というキャッチフレーズ。プロフィールは、「葵一門劇団鯱 演友会所属。名門である葵一門・葵好次郎総帥の元で舞台を学ぶ。舞台で劇団員全員が引き立つように心掛けている。向上心あふれる将来楽しみな劇団である。ベビー翔、ベビー響は座長の息子で、舞台で活躍中。座長 葵政治次 昭和48(1973)年1月13日生まれ。神奈川県横浜市出身。血液型B型。初舞台は16歳。男気あふれる性格で、師匠である葵一門・葵好次郎総帥にあこがれ、葵一門の芸の流れを継承している。芝居を何よりも大切にし、情熱を持ち日々の舞台に励んでいる」とある。
 芝居の外題は、昼の部「武士道無情花吹雪」(お祭り半次郎)、夜の部「十三峠」(仲乗新三・夜鴉銀次)、いずれも大衆演劇の定番。形どおりの筋書を、形どおりに演じる「誠実さ」に好感が持てた。この劇場は「初めて」とあって、客との「呼吸の合わせ方」がややとまどいがちだったが。座長自身は、葵一門総帥・葵好次郎に「憧れて」入門したとのこと、だとすれば「役者の家で育った」わけではない、どこか「素人っぽい」雰囲気を漂わせているところが「魅力的」である。副座長・葵純也、男優・葵敏美、鳳弥太郎、海道清、女優・北条マキ、美鈴陽子、子役・兜獅子丸、蛇じゃ丸(?)らと「役者は揃っている」。(ベビー翔、ベビー響は改名したのだろうか?)仲乗新三(葵敏美・好演)の母親役を演じた女優(長谷川竜子?芸名は定かではない)の芝居・歌唱は「絶品」、九州の「小林劇団」リーダー・小林真弓と肩をならべる「実力」であった。
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2024-02-10

劇団素描・「長谷川武弥劇団」・《芝居「死んでたまるか」》

【長谷川武弥劇団】(座長・長谷川武弥)〈平成20年4月公演・小岩湯宴ランド〉
「劇団紹介」によれば「プロフィル 長谷川武弥劇団 九州演劇協会所属 長谷川武弥座長と愛京花座長、そしてほとんどが十代というフレッシュな座員たちが、一丸となって繰り広げる若々しく元気いっぱいの舞台は、まさに大衆演劇界の癒し系」「座長・長谷川武弥 昭和37(1962)年1月1日生まれ。血液型O型。福岡県出身。母に連れられて観に通い、初代・姫川竜之介の劇団に入る。その後、藤ひろしが旗揚げした『劇団ふじ』で二代目・藤ひろしとして座長を継ぐが、平成11(1999)年に独立、『長谷川武弥劇団』を旗揚げ。どんな役柄にでも対応できる引き出しの広さ、リアルで気迫のこもった芝居っぷりが特徴」「座長・愛京花 昭和54(1979)年9月11日生まれ。血液型B型。熊本県出身。両親とも役者の家に生まれ、『司浩二郎劇団』にて初舞台。兄の司京太郎が『司京太郎劇団』を旗揚げした際、そちらへ移る。平成14(2002)年『長谷川武弥劇団』に入団し、平成18(2006)年9月、座長となり、長谷川武弥とともに、二枚看板で劇団を背負う。幅広い役柄をこなす、才色兼備の実力派女優」とある。またキャッチフレーズは「アットホームな愛ある劇団。元気はつらつの座長と、若手揃いの座員が力を合わせてお送りするにぎやかで楽しい舞台。舞台も楽屋も、いつも明るいアットホームな劇団です。芸達者な長谷川武弥座長と美しく存在感のある愛京花座長とのコンビネーションも絶妙で、二人を中心に劇団のチームワークも万全」ということである。座員は長谷川光太郎、長谷川翼、長谷川京也、長谷川乱之助、長谷川桜、長谷川舞、長谷川姫花、長谷川桔梗、長谷川未来(子役)、長谷川一馬(子役)、長谷川しおん(子役)、長谷川愁太郎(子役)、座長を合わせると総勢14名という「大劇団」である。 まず第一印象は、昼も夜も「大入り」、公演五日目にして早くも「盤石の人気」を「勝ち取って」いるようだ。キャッチフレーズどおり、武弥座長と京花座長の「コンビネーション」が「絶妙」で、「にぎやかで楽しい舞台」が展開されていた。芝居の外題は「死んでたまるか」。ある大店の若旦那(京花)は、商売の修業と称して江戸にやってきたが、実際は「芸者遊び」の放蕩三昧、威勢よく大金を「ぶん蒔いて」なじみの芸者(長谷川桜?)からたしなめられる。その「誠」に、ますます「執心」する若旦那。そこへ、大店の番頭(武弥)がやってきた。「旦那様から、いいつかって参りました。もう若旦那に届けるお金はありません。私とお店に帰りましょう」若旦那「いやだ、私は商いの勉強をしているんだ。お金を使うのも修業の一つ」「何を、身勝手なことを!このままだと勘当になりますよ」「それなら、条件がある。なじみの芸者と一緒なら帰ってもいい」「芸者など連れて行くわけにはまいりません」「それなら、帰らない」「芸者なんて、所詮は売り物に買い物、若旦那にお金がないとわかったら、見向きもされませんよ」「そんなことはない」「では一つ、試してみましょう」「どうやって?」「若旦那から、その芸者に心中を持ちかけるのです。ここに私の胃の薬があります。これを『毒薬』と偽って、酒の中に入れ、一緒に飲もうとするのです。もしその芸者が一緒に飲めば、私は信用します。一緒に連れて帰りましょう」(といって、番頭退場)若旦那「よし、わかった!」と、件の芸者を呼び寄せる。経緯を説明し、「一緒に死んでくれるかい?」。芸者、平然と「もちろんですとも、若旦那と一緒ならどこだってお伴します」「そうら見ろ」と、得意満面の若旦那、「では、この酒に毒薬を入れて、一、二の三で飲み干すのだ」「何という毒薬ですか?」「そんなことは知らない。毒薬は毒薬だ。それ、一、二の三!」若旦那は一気に飲み干したが、芸者は(一瞬、酒を振り捨て)飲む仕草だけ・・・。若旦那、毒が回って「七転八倒の」苦しみ、やがて動かなくなった。芸者、「ふん、こんなバカ旦那と死ねるもんか!いい金蔓だと思っていたが、死んでしまいやがった」そこへ、芸者の間夫(長谷川京也)登場。歌舞伎役者然という、いでたち、化粧、口跡で、「浮いた」演技が、爆笑を誘う。
したたかな芸者と間夫のコンビネーションも「絶妙」、退場間際、芸者が放つ「最後っぺ」(放屁)の景色は、〈そこまでやるか〉と感じるほどだったが、間夫の一言「えげつない」で救われた。まさに「にぎやかで楽しい」舞台のクライマックスではあった。以後、番頭と若旦那は「幽霊芝居」で復讐を試みるが、したたかな芸者コンビには通じないまま閉幕、若旦那は「バカ旦那」のまま終わるという「教訓的な」芝居だった。
 芝居に比べて「舞踊」は「やや単調」、役者一人一人の「実力」は「水準」以上なので、まだ「出来映え」を評価することはできない。いずれにせよ、「人気」「実力」「財力」の三拍子揃った「本格派劇団」であることは間違いないだろう。
圓生百席(23)品川心中(上・下)/死神圓生百席(23)品川心中(上・下)/死神
(1997/08/21)
三遊亭円生

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2024-02-09

劇団素描「劇団翔龍」・《中村英次郎、大月瑠也の「存在」と「魅力」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年8月公演・蟹洗温泉・蟹座〉                                        芝居の外題は、昼の部「三下談義」、夜の部「幻お銀」。いずれも、大衆演劇には「よくあるお話」で、前者は「仁義間違い」をして斬られてしまった朋輩(藤美匠)の敵討ちをしようとして、返り討ちに遭ってしまう三下奴(座長・春川ふじお)の物語。二人は、ともに大阪・河内の貧農出身で、江戸の親分(中村英次郎)、代貸(藤川雷矢)のもとで「三下修業中」、仁義の稽古をしてたが、やって来たのが国定忠治(大月瑠也)という筋書で、何と仇役が国定忠治、終幕では三下奴に忠治をはじめ、「一同が」謝罪するという設定。「強いばかりが男じゃない・・・」といった眼目が「ほの見えて」、「綺麗な」結末となったが、何と言っても大月瑠也の「実力」には舌を巻く。合羽に三度笠の姿で登場、舞台に立っただけで(言うまでもなく無言で)「ああ、国定忠治だ」と納得させてしまう空気を醸し出す。加えて、強い者(女房、忠治)にはめっぽう弱い親分を演じた中村英次郎の「魅力」も見逃せない。主役は、春川ふじお、藤美匠、見どころはその「三下同志」の「絡み」だが、同時に脇役の「実力」「魅力」を楽しめるという趣向で、まさに「一度食べて二度おいしい」という舞台であった。そのことは、夜の部「幻お銀」についても言えること、主役は幻お銀・澤村うさぎで、眼目は「身代わり孝行」物語だが、本筋以上に面白いのが、盲目の母(中村英次郎)や土地の悪親分(大月瑠也)の「言動」で、とりわけ大月が「二十年前の出来事」を子分役(実は十四歳の息子・大月聖也)に問い質す場面は、「楽屋ネタ」も絡んで抱腹絶倒の連続であった。ことほど左様に、「劇団翔龍」の舞台には、中村英次郎、大月瑠也の「存在」は不可欠であり、その魅力を味わえるだけで大満足なのだが、さらに欲を言えば、花形・藤川雷矢、澤村うさぎの「大化け」、若手・翔あきら、大月聖也の「大活躍」も期待したい。どの劇団にとっても大切なことは、「飛躍」「発展」「変化」し続けようとする姿勢であり、その途上にある劇団ほど、若手、はした役者が光り輝いているものなのだ、と(つくづく最近)私は思うようになった。
脇役の美学脇役の美学
(1996/09)
田山 力哉

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2024-02-08

劇団素描・「森川劇団」・《芝居「柿の木坂の兄弟」》

【森川劇団】(座長・森川凜太郎)〈平成20年11月公演・浅草木馬館〉                                        「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 森川劇団 創立は大正初期。関東出身だが、現在は主に関西で活躍。所属はフリー。二代目 森川長二郎(現・座長 森川凜太郎)のもと、三代目 森川長二郎(元・森川松之助)と、いなせ組(竜二、竜馬、竹之助、梅之助)が中心となり、全員が幅広い役をこなせる芸達者な老舗劇団である。三代目 森川長二郎 昭和60(1985)年9月1日生まれ。東京都出身。血液型A型。初舞台3歳。二代目森川長二郎(現・座長 森川凜太郎)のもとで、育て鍛えられてきた森川松之助が、平成19(2007)年3月29日、新開地劇場にて、三代目 森川長二郎を襲名した。伝統ある名跡を受け継ぎ、新生「森川劇団」を創造すべく、日々研鑽し精進する毎日である〉ということである。また、キャッチフレーズは〈森川劇団 全員が芸達者。どんな役でもこなします。三代目 森川長二郎といなせ組が織りなす、涙と笑いの人情芝居。二枚目,三枚目、女形、脇役、老け役。すべてをオールマイティにこなせる役者を目標に、全員があらゆる役を演じ分けて見せてくれます。竜二・竜馬兄弟、双子の松之助、竹之助、ベテラン勢そして女優陣。結束も万全の劇団です〉であった。   
 実を言えば、今日の見聞は2回目、初回は一昨日であった。その時の外題は「浅草の灯」。「関東出身だが、現在は関西で活躍」とプロフィールにもあるように、舞台の景色は「関東風」と「関西風」が入り交じり「やや混乱気味」であった。しかし、看板に偽りはなく「全員が芸達者」「結束も万全の劇団」だということは、すぐに感じ取れた。役者一人一人の「実力」は「水準以上」、ただそれがチームワークとして「結実化していない」という状態であった。舞踊ショー、若手・森川梅之介の「立ち役」の艶姿、女優・森川京香の「酒場川」(唄・ちあきなおみ)の「素晴らしさ」が強く印象に残った。「一昨日の舞台は、まだ力を出し切れていない」と思ったので、再来した次第である。
 今日の芝居の外題は「柿の木坂の兄弟」。要するに、二組の兄弟の物語である。一組めは兄・信太郎(座長・森川長二郎)と弟・進吉(森川竹之介)、二組めは、信太郎の嫁・おきく(森川京香)とその兄(森川竜二)。信太郎は元ヤクザ、今では足を洗って百姓暮らし、嫁と仲良く暮らしている。弟も今ヤクザ、足を洗ってカタギになりたいと「便り」が届いた。しかしやってきたのは、乳飲み子を抱えた進吉の嫁、事情を尋ねると、一宿一飯の恩義から出入りに巻き込まれ、あえない最後、嫁と同行したのは位牌だけだった。「できるだけのことはしてやろう」という信太郎に、嫁・おきくも快く応じる。「あなたにとって義理の妹なら、わたしにとっても同じ妹、存分に面倒を見させていただきます」。そこへ、やってきたのは、手負いの旅鴉、人に追われている、助けてくれと、おきくの顔を見れば、なんと、実の妹。そればかりではない、この兄は、夫の弟・進吉を手にかけた敵だったのだ。夫・進太郎は黙っていない。よくも進吉を亡き者にしてくれたなと、ドスを手にして斬りかかる、手負いの旅鴉よろよろと倒れ込み、信太郎、刀を振り下ろそうとするが下ろせない。嫁のおきくが手を合わせて旅鴉の命乞いをているのだから・・・。そうだった、「おまえにとっての兄なら、俺にとっても兄貴と同じ・・・」信太郎とおきく、旅鴉に物品を与えて見逃した。あわただしく旅鴉を追いかけようとする敵役のヤクザ(みやま春風、森川梅之介)と、土地の親分(森川竜馬・好演)。その様子を察して、おきくが信太郎に哀願する。「おまえさん、兄さんをどうか助けてやってください」「いやあ、そこまではできない・・・。進吉の嫁に対して義理がたたねえんだ!」だがしかし、である。勢いよく飛び出してきたのは弟・進吉の嫁、「どうか、どうか、私(と亡夫)にかまわず、助けてあげておくんなさい!」
 大詰めは、旅鴉を待ち受ける敵役たち。よろよろと登場した旅鴉に詰め寄ろうとしたとたん、「アナタタチ、ダレデスカ?ワタシ、コトバ、ワカラナーイ?」と、思いっきり「トボケル」旅鴉、その場にいた一同は(客席も含めて)ずっこけまくったが、筋書きの眼目(兄弟愛・堅気礼賛)は前幕で修了、型破りの「余興」で舞台に花を添えようとする「演出」はさすが、「全員が幅広い役をこなせる芸達者な老舗劇団である」。言い換えれば、役者の「個性」が「味」として定着しており、その場その場に応じて、いかようにもその「味」を生かすことができる「有力者」の集団である。座長を中心に、しかし、場合によっては「脇役だけでも」芝居ができるという「強み」(伝統)が、私には感じられた。
 舞踊ショーで見せた、森川竜二の女形「北の蛍」(唄・森進一)は絶品、「至芸」の域に達している。その他、全員の舞台も「水準以上」、壺にはまれば(結束が結実化すれば)、最高水準の「芝居」「舞踊」が実現できるだろう。
 芝居で、役者の「ピンマイク」を使わず、舞台上の「集音マイク」を活用していたが、そのことだけでも、この劇団の「レベルの高さ」が窺われる。(BGMのボリュームも7割方抑えられれば申し分ないと思う)
北の螢~シングルファイル9北の螢~シングルファイル9
(1995/06/28)
森進一

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2024-02-07

劇団素描・「劇団翔龍」・《みずきななみ、大月聖也の「成長」と翔あきらの「存在価値」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年12月公演・つくば湯ーワールド〉

今月公演の見聞は3回目だが、ずっと花形・澤村うさぎの姿が見えない。一説には新型インフルエンザ罹患、一説には劇団離脱、ゲスの勘ぐりなら「駆け落ち」等々、様々な憶測が飛び交うと思いきや、舞台も客席も冷静そのもので落ち着き払った気配、はたして今、うさぎは何処?とはいうものの、ピンチヒッター(?)を務める新人女優・みずきななみの「初々しさ」が、たいそう魅力的で、「うさぎより《絵》になるじゃん」といった声があちこちで聞かれるかどうかは不明だが、少なくとも私一人はそう感じている次第である。
澤村うさぎと言えば、知る人ぞ知る、生粋の旅役者(の娘)、ななみ如きの「駆け出し」とは、文字通り「役者(格・貫禄)が違う」はずだが、トーシローの私にしてみれば、ななみの「風情」「品格」の方が上。例えば、秋川ミホ、藤美匠、大月聖也、ななみ(四人)の組舞踊で、目立つのは聖也とななみ、ミホと匠は(いかにも旅役者といった風情で舞台経験の重さは感じられるとはいえ)、今さら「新しい何か」を期待することができないのである。それはうさぎも同様、「場数を踏んだ達者さ」だけでは客を惹きつけることは出来ない。今日はどんな姿を見せてくれるだろうか、という未知への期待に応えられるかどうかが、役者修業に「終わりはない」所以である、と私は確信する。そんなわけで、私の独断・偏見によれば、澤村うさぎの休演は、新人・みずきななみが「立派に」補強していると断言できる。ただ、実力者・中村英次郎、大月瑠也の「調子」があがらない。なぜか、どこか「力が抜けたまま」なのである。そのことが、うさぎの動静と連動しているのか、無関係なのかはわからない。芝居の外題は「返し仁義」。《瞼の母》ならぬ《瞼の父》といった眼目で、父を捜し求める旅鴉に座長・春川ふじお、今はある一家の使用人に身をやつしている父に後見・中村英次郎、一家の若親分に花形・藤川雷矢、その女房に新人女優・みずきななみ、一家の三下に藤美匠、仇役・一家の代貸しに大月瑠也、その子分達が大月聖也、翔あきら、といった配役で申し分ないのだが、どこか舞台の景色に「冴え」がみられない。やはり、澤村うさぎの欠場が影響しているのだろうか。ところで、私が注目するのは、「端役者」の翔あきら、いつものことながら、芝居は「その他大勢」の「切られ役」、たまに「台詞」を言おうものなら、「お前は黙っていろ、調子が狂う」などと座長からいじめられる。舞踊の出番も組舞踊、定位置は右端と決まっている。しかも、年齢は28歳、この道10年の経験という。大切なことは、彼の「存在価値」である。この劇団で果たしている彼の役割は、とりたてて「彼でなければならない」というものではないかもしれない。だがしかし、劇団は間違いなく、「彼のような存在」を必要としているのである。端役者は「脇役」にも及ばない。でも「主役」「脇役」にとって必要不可欠な存在であることを、彼の舞台姿は物語っている。彼が「居る」から、彼以外の役者が「際だつ」のである。だとすれば、すでに、今でも、翔あきらは「輝いている」(立派にその役割を果たしている)のである。その結果、大月聖也、みずきななみといった若手の「初々しさ」「瑞々しさ」が際だちつつあるのではあるまいか。舞踊ショー、ななみの個人舞踊「上から読んでも下から読んでも《世の中バカなのよ》」、中村英次郎の至芸「薩摩の女」(唄・北島三郎)を思い浮かべつつ、「義理ある人に背を向けて・・・」などと口ずさみながら、帰路についた次第である。
加賀の女/博多の女/薩摩の女加賀の女/博多の女/薩摩の女
(2003/09/25)
北島三郎

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2024-02-06

劇団素描・「劇団荒城」・《芝居「お蝶供養」》

【劇団荒城】(平成20年4月公演・十条篠原演芸場)
 小屋の表看板、本日の演目を見ると、夜の部「お蝶供養」と出ていた。清水の次郎長外伝に違いない。あまり気が進まなかったが、まあ「急ぐ旅でもなし」、観て行くことにした。芝居は、案の定、座長の次郎長、光城真の大政、荒城勘太郎の小政、という配役の物語。次郎長の女房・お蝶(芸名不詳の女優)と四人で旅(尾張路)を続けていたが、お蝶は病身、路銀も尽きてしまった。次郎長は、昔面倒を見たホゲタの久六に助力を頼む(小政を通じて)が、拒絶される。久六は、元相撲取り、次郎長の島に興行に来て失敗、その後始末で大変世話になった。しかし、今は黒駒の勝三の身内になっていたのだ。一方、難渋している次郎長たちを目ざとく見つけ、声をかけてきた百姓(姫川豊)があった。次郎長、その顔を見るなり「おまえはユタカ!(役者の芸名・役柄の名は「松」なのに)ユタカじゃあないか!?」と言って笑わせる。「お前は役者だったが、そうか、今では百姓をやっているのか」松も昔、一宿一飯の世話になっていたのだ。「貧乏百姓で何にもできないが、どうぞ、あっしのうちに泊まってください」、宿代もない次郎長たちにとっては「渡りに舟」、というよりは「地獄で仏」、まさに「情けは人のためならず」を地でいく筋書きであった。しかし、松には金がない。仕方なく仏壇を質入れしようとすると、どこからともなく亡父の声、「俺の家をどこにもってくつもりだ」、声ばかりか亡霊の姿になって現れた。こういうことは毎度のことらしく、松も動じることなく、事情を説明する。「なるほど、恩返しならしょうがあんめい。でも松、くれぐれも『流す』なよ!」と言いつつ「箪笥の中に」退場した。お蝶は松の家で病死、最後の別れを惜しむ次郎長は「現代風」で「ヒューマン・ドラマ」然。以後は、黒駒の勝三に見捨てられた久六に「おとしまえ」をつけて、終幕。一瞬のうちに二太刀浴びせた、座長の「居合いもどき」は、「お見事」。この芝居の眼目は、「人は様々、たった一回の情けを恩義に感じて、それに報いようとする人もいれば、大恩を仇にして返す人もいる。よーく、その人たちの生き様を見ておけ」という次郎長の話の中にあることはたしかだが、「押しつけがましくない」演出がよかった。
 芝居に比べて、舞踊ショーは「単調」、座長の「面踊り」は「絶品」だったが、後が続かない。舞踊ショーの「眼目」は、「音楽の視覚化」にあるが、同時に「歌詞の芝居化」(節劇づくり)という側面も忘れてはいけない、と私は思う。各役者は、一部の芝居では、決められた「役柄」を「決められたように」演じなければならないが、二部の舞踊ショーでは、自由に「役柄」を選び、曲に合わせて「一人芝居」を演じることができる。つまり、役者一人一人が、その個性を生かして「舞台を独占できる」場なのである。単に、男優が「女」に「変身」するだけ(いわゆる「女形大会」)では、客は満足しない。そこにドラマが必要なのである。例えば、大川龍昇の「お吉物語」、南條影虎の「夢千代日記」、そして、荒城蘭太郎の「麦畑」(面踊り)のように・・・。
 芝居同様に、「舞踊ショー」の内容を見直し、一貫したテーマ、組舞踊による節劇などなど、その充実を図ることが「劇団荒城」の課題だと思われる。
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(2009/10/21)
広沢虎造(二代目)

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2024-02-05

劇団素描・「一見劇団」・《花の舞踊絵巻・相舞踊「高瀬舟」の名舞台》

【一見劇団】(座長・一見好太郎)〈平成20年8月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団を見聞するのは十条・篠原演芸場、川越三光ホテル・小江戸座に続いて3回目である。「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 一見劇団 ひとみげきだん 故・初代人見多佳雄と現在の太夫元・紅葉子の三男が、座長・一見好太郎、末っ子が、花形・古都之竜也。関西、九州から、現在は本拠地を関東に移して活躍中。所属はフリー。近年急成長を遂げた人気集団 座長 一見好太郎 昭和54(1979)年1月7日生まれ。兵庫県出身。血液型O型。初舞台12歳。21歳で亡き父(初代・人見多佳雄)が創設した劇団の座長となる。弟である花形・古都劇団乃竜也を始め、母や兄、姉らと共に、常ににぎやかで明るい舞台を心掛けている〉とある。また、キャッチフレーズは〈静の座長・一見好太郎。動の花形・古都乃竜也。個性的なファミリーが力を合わせて紡ぎあげる温かい舞台が魅力。太夫元である母、紅葉子がにぎやかに舞台を盛り上げ、兄弟それぞれの魅力がお互いを引き立てあって、ファミリー劇団ならではのアットホームな雰囲気が伝わってきます。特に座長と花形の相舞踊は美しく、ゴールデンコンビと言われています〉であった。
芝居の外題は、昼の部「弥太郎しぐれ」、夜の部「涙の浜千鳥」、それぞれの役者が、きちんとした「セルフ回し」で、「誠実に」取り組んでいるが、定番の「おれの話を聞いてくれ」式の長ゼリフで筋書を説明する演出が、舞台の景色を「単調」にするきらいはないか。セリフの「やりとり」を体全体(所作)で表す「技」が身につけば・・・。
 現状では、芝居よりも舞踊ショー(「花の舞踊絵巻」)の方で、役者の「実力」が輝いている。座長、花形の相舞踊(「高瀬舟」・五木ひろし)は「言わずもがな」、加えて一見隆夫の「女形」を筆頭に、中村光伸、紅翔太郎、紅金之介、一見裕介、紅銀之嬢、ベビーア太郎の「舞姿」が「絵」になっていた。ベビーア太郎の「実力」(魅力)は半端ではない。まだ10歳前後だが、「立ち役」「女形」ともに「大人顔負け」の景色を醸し出す。また、紅一点・紅銀之嬢の「艶姿」も秀逸、いわゆる「娘役」の女優としては斯界の「第一人者」になるのではないか。多分、この二人は姉弟(?)、劇団の将来にとって不可欠の存在になるだろう。舞踊ショーのアナウンスは、舞台の盛り上げ係。ややもすると、音楽と重なって「ほとんど聞き取れない」羽目に陥りがちだが、今日の担当は瞳マチ子(?)。音楽のボリュームを下げ、はっきりと曲名、役者名を紹介できたので、「花の舞踊絵巻」はいっそうの光彩を放っていた。
高瀬舟高瀬舟
(2006/04/19)
五木ひろし

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2024-02-04

劇団素描・「若姫劇団」・《谷根千地域密着型大衆演劇の「舞台裏」》

【若姫劇団】(座長・愛望美)〈平成24年12月30日公演・戸野廣浩司記念劇場〉
午後7時から、東京谷中の戸野廣浩司記念劇場で大衆演劇観劇。「若姫劇団」(座長・愛望美)。案内パンフレットによれば、「谷根千地域密着型大衆演劇」と銘打っており、〈皆さん、本年も一年有り難うございました。12月公演が年内最後となります。年納めは舞踊ショーの拡大版としてたっぷりおどりを観ていただきたいと思います。そして、以前やらせて頂いて好評でした楽屋裏。メークから着付けまでを舞台で御披露させて頂きます。更に12月公演が終わりましたらすぐに新春公演です。芝居と舞踊ショーといういつものプログラムに戻しまして2013年を皆様と共に迎えたいと思います。年末年始は若姫劇団2本立てでよろしくお願い致します。全ての方と思い出を 若姫劇団 座長 愛望美〉というコメントも添えられていた。出演者は、谷根千の愛姫 座長・愛望美、舞台の妖精 副座長・愛美萌恵、谷中のやんちゃ姫・若姫有姫、紅の翼・愛美紅羽、心の歌い人・愛美心美、若き舞姫・愛美舞、弥生あきら、ゲスト・里見孝雄、特別ゲスト。若葉しげる、である。折からの豪雨の中、やっと劇場にたどり着いたが、そこは小さなビルの地下一階、パイプ椅子が40脚並べられていたが、舞台が無い。正面に化粧台が一つ、ポツンと置かれているだけであった。なるほど、第一部は「楽屋裏」。普段は見られない風景を披露しようという魂胆か。やがて、副座長・愛美萌美がスッピンで登場、入念にメークを始める。そこに座長・愛望美もやってきて、化粧品・化粧法を、事細かく解説するという趣向・・・。しかし、この企ては、近江飛龍、梅乃井秀男の舞台で、すでに私は見聞済み、特筆すべき感興は湧かなかった。さて、準備万端、いよいよ舞踊ショーの開幕となったが、「楽屋裏」が「舞台」に早変わり、というわけにはいかなかった。そこは、あくまでも「楽屋裏」、要するに、役者と観客の「距離」が近すぎるのである。まして、観客数は(悪天候に阻まれてか)10人ほど、「観る」方もつらかった。さすがに、座長・愛望美、副座長・愛美萌恵の風情は魅力的、実力のほどが窺えたが、他のメンバーはまだ「発展途上」、案内パンフレットの豪華さ(キャッチフレーズ)には及ばなかった、と私は思う。救いは、特別ゲストの若葉しげる。私が40余年前、生まれて初めて観た大衆演劇の舞台が、千住寿劇場での「劇団わかば」、往時の風情そのままに、今日もまた艶やかな舞姿を披露してくれた。そういえば、あの時もそうだった。十名程度の観客を相手に「侘びしく」踊る光景が、昨日のことのように思い出される。以後、様々な紆余曲折を経て、今では「総師」(大先生)と称されているが、心根は不変、四十路を迎えようとする愛姫(愛弟子)のために、馳せ参じる「心意気」に、私は脱帽する。(舞台)背景に掲げられた垂れ幕、そこに記された「谷根千の愛姫」という文字を見やりながら、「あの人も、若く見えますが、もうすぐ四十、それなのに谷根の千姫だなんてねえ・・・」と呟いたジョークが、ひときわ鮮やかであった。
「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)
(2002/05)
森 まゆみ

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2024-02-03

劇団素描・「劇団新喜楽座」・《芝居「波に咲く花」の舞台模様》

【劇団新喜楽座】(座長・松川小祐司)〈平成26年12月公演・千代田ラドン温泉センター〉
座長・松川小祐司の父は松川祐司、母は松川さなえ、祖父は松川友司郞、かつては「劇団松」(座長・松川祐司)の子役として、弟の副座長・松川翔也として売り出したが、なぜか「劇団松」は座長・松川祐司とともに姿を消し、今は、祖父の義弟・旗丈司の「劇団喜楽」を(母と共に)継いで「劇団新喜楽座」を率いる身となったか。「劇団喜楽」の前身は「新演美座」、さらにその前身は「演美座」(座長・深水志津夫)、祖父の松川友司郞も(その義弟)旗丈司も、その名舞台で技を磨いてきたのだから、まさに「栄枯は移る世の姿」を目の辺りにして、感慨も一入であった。芝居の外題は、時代人情劇「波に咲く花」。幼い時に両親を亡くした兄妹の物語である。兄・仁蔵(松川さなえ)は妹・お志津(松若さやか)の面倒を見ながら親代わり、大店の伊勢屋に奉公していたが、大番頭からいじめられて相手を殺害、島送り5年の刑となった。お志津は途方にくれ、身投げをしようとしたが、綿職人・仁助(副座長・松川翔也)に助けられ、結ばれた。今では子どもも生まれ「幸せ」に暮らせるはずだったが、なぜか仁助は「飲む・打つ・買う」の三道楽、隣人のうどんや夫婦(夫・大和歩夢、妻・座長松川小祐司)から手内職の仕事をもらって、その日を凌いでいる。そんな折、兄の仁蔵が突然たずねてきた。島では模範囚、5年の刑期を3年終えたところで御赦免状を頂いた由、再会を喜ぶ兄妹の所にやってきたのがうどんやの女房おろく、兄は妹の亭主のことをそれとなく尋ねるが、おろく、「ええ、そりゃあもう、大変な大酒飲み」と言った後で(お志津に制され)「・・・それは、わたしのおっかさんです」、「博打なんかしませんか」「ええ、そりゃあもう、競馬競輪、パチンコ、麻雀、おいちょかぶ・・・」と言った後で(お志津に制され)「・・・それはわたしのおっかさんです」。仁蔵役の松川さなえ(笑いをこらえ)おっかさんに返って、「それで、おとっつあんは?」「ハイ、行方不明です。帰ってくるでしょうか」「そのうち、帰ってくるでしょう」といった「やりとり」(楽屋ネタ・親子の会話)が、何とも可笑しかった。大詰めは、仁蔵と仁助の対決、仁助の放蕩の原因は仁蔵の島送りが原因と思われるが、今日の舞台はそのことに触れず、愁嘆場へ。仁助を組み伏した仁蔵、刃を振りかざしたが、お志津が差し出す赤児の姿を見て思いとどまった。仁助の前にひれ伏して、妹の「幸せ」を懇願する。一息あって、無言のまま両者の手をとり重ね合わせたとき、聞こえてきたのは小林旭の名曲「巷の子守歌」(詞・サトウ進一、曲・鳥井実)、詠っていわく「雨にぽつんと叩かれて 思い出したよ ふるさとを 明日は流れてどこへやら 昭和さすらい子守唄 たたみ三枚ある部屋で はだかランプがさみしいね 負けちゃだめだよ貧しさに 昭和無情の子守唄 一人ぼっちが淋しいと 若い命をなぜ捨てる 熱い涙をながそうよ 昭和この世の子守唄 同じさだめで流されて みんな生きてる迷いつつ 肩をよせあい聞くもよし 昭和巷の子守うた」。その言葉のはしはしに、「改心」した仁助の心根が窺われる天下一品の「節劇」で、この舞台は終演となった。「劇団新喜楽座」の表看板には、旗丈司、春野すみれ、金井保夫ら大ベテランの名前も見えたが、彼らの「後見」抜きで、珠玉の景色を描出した若手の面々に拍手を贈りたい。感謝。
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2024-02-02

劇団素描・「劇団京弥」・《芝居「喧嘩屋五郎兵衛」&白富士きよとの登場》

【劇団京弥】(座長・白富士一馬)〈平成24年12月公演・みのりの湯柏健康センター〉
昼の部、芝居の外題は、御存知「喧嘩屋五郎兵衛」。大衆演劇の定番で、どこの劇団でも演じる演目だが、この劇団の景色は他を凌駕している。本日は、座長不在(「劇団千章」の応援)のため、主役・喧嘩屋五郎兵衛は副座長・白富士健太、その姉・胡蝶つき子、縁談話を持ち込んできた出入り商人(八百屋の藤助)・若座長・白富士龍太、一家にわらじを脱いだ旅鴉・白富士洸、越後屋の娘・白富士つばさ、という配役であったが、その出来映えは、座長在時と比べて遜色ない。それというのも、五郎兵衛の姉(女親分)を演じた胡蝶つき子の「貫禄」が、群を抜いていたからである。その立ち居、振る舞いは、寸分の隙もなく、登場しただけで舞台全体の空気がキリリと引き締まる。今や、彼女は斯界女優陣の「第一人者」と言っても過言ではないだろう。五郎兵衛役の健太、藤助役の龍太も素晴らしい。主役、相手役でありながら、演技は「控えめ」、五郎兵衛の「清々しさ」に、藤助の「渋さ」も加わって、見応えのある舞台に仕上がっていた。誰一人として悪人はいない、ちょっとした「勘違い」、しかし、譲るわけにはいかない意地と意地との葛藤が生んだ「悲劇」とでもいえようか。姉を救おうとして負った火傷、その顔を看板に「男」になった五郎兵衛が、再び姉の刃で絶命する。「こうする他はなかったんだ」と呟く姉の表情に、心なしか「動揺」も垣間見え、大詰めの場面は舞台・客席ともに「凍り付いた」空気が漂う。要するに、旅鴉を許せない五郎兵衛の煩悩、その五郎兵衛を、煩悩から救うために「殺さざるをえない」姉の苦悩が結実化した名場面であった、と私は思う。夜の部、芝居の外題は「源太郎街道」。一家親分をだまし討ちされ、敵を討とうとしたが失敗、今は盲目となって兄貴・源太郎(白富士健太)の帰りを待つ、新二郎(白富士洸)の物語である。一家はちりじり、ただ一人、不自由な長屋暮らしを
しているが、大家の娘・おふく(白富士きよと)が何かと面倒を見てくれる。そんな折、待ちに待った源太郎が帰ってきた。新二郎いわく「俺は目が見えねえ、おふくちゃんと所帯をもちたいが、どんな顔をしているか、おめえ見てくれねえか」。源太郎、おふくの顔を見て驚嘆、「ぬかるみでぼた餅をふみつぶしたような顔だぜ」、新二郎「じゃあ、おめえ、追い出してくれ」、源太郎、体よく追い出したまではよかったが、食い物がない。 馴染みの寿司屋に出かけていった。その留守に敵役一家・権九郎(白富士龍太)の子分(白富士真之介)が登場、「源太郎はいねえか」と言いつつ、新二郎に一太刀浴びせて帰って行った。新二郎、「畜生、兄貴も帰ってきたことだし、もう思い残すことはねえ。俺が親分の敵を討つんだ」と、止めるおふくを振り払って、駆けだしていく。そこに帰ってきたのが泥酔状態の源太郎。おふく「大変だよ、新さんが敵を討つといって、出て行ってしまった」。その一言に源太郎、(途端に)酔いはさめたが片足が動かない。おふくが差し出す赤布で(片足を)縛りあげ、「新二郎、待ってろよ。俺もすぐにいくからな」といった展開だが・・・。私が目を見張ったのは、おふくを演じた白富士きよと。彼はまだ(おそらく)十六・七歳。その姿・形からして、誰あろう、あの大月聖也であったのだ。父・大月瑠也とともに「劇団翔龍」に居たが、いつのまにやら父が脱け、彼もまた(私にとっては)「行方不明」状態に。今、こんなところで、聖也に巡り会えようとは、「お釈迦様でも気がつくめえ」という心持ちであった。それにしても、変われば変わるもの、白富士きよとの「おふく」は、可愛らしく、何とも魅力的であった。まさにこの世は「有為転変」、しかし、斯界のサラブレッド・大月聖也が、白富士きよとに「変化」(へんげ)して修行を積めば、斯界の新しい戦力になることは間違いあるまい。「劇団京弥」に、その種は蒔かれた。後は開花を待つだけか、今日もまた、心うきうき、大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
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(2006/04/26)
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2024-02-01

劇団素描・「筑紫桃太郎一座」・《佐倉公演千秋楽で見せた、頭取・桃太郎の涙》

【筑紫桃太郎一座】(座長・筑紫桃之助)〈平成24年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
芝居の外題は「駿河の長吉」。内容は、要するに、清水の次郎長がお蝶と出会うまでの物語だが、お蝶の父親役になった頭取・筑紫桃太郎の独壇場といった景色で、贔屓筋にとっては「たまらない」場面の連続であった。筋書きは、あってないようなもの、頭取と「花の三兄弟」が、それぞれの「持ち味」を活かして「絡み合う」。長吉役の座長・筑紫桃之助は、あくまで「真っ当」だが、敵役の博多屋桃太郎は「三枚目」、玄海花道もお蝶に「振られる二枚目」といった風情で、その「楽屋ネタ」が、たいそう面白かった。お蝶に扮したのが(おそらく)筑紫円(座長の妻)、彼女に義父の頭取をはじめ、義弟の博多屋桃太郎、玄海花道らが、「しつこく」つきまとう。一方、頭取の妻女・筑紫桃香が一家の女中・おたけ役で、息子の玄海花道に「恋い焦がれる」。芝居と、楽屋裏の人間模様が「絶妙」に交錯して、えもいわれぬ「大家族劇団」の魅力を醸し出す。一座の大黒柱・筑紫桃太郎は、平成21年10月に「一線を退いた」が、老い込むにはまだ早い。今日の舞台では「中風」の親分役で終わるのが我慢できず、大詰めでは、颯爽とした侠客に「変身」したが、げに、ごもっとも、それでいいのだ、と私は思う。芝居と舞踊ショーの間、彼は「口上」で30分間、しゃべりまくった。いわく「大衆演劇の興亡は、ひとえに皆様の御支援にかかっております。どうか、その灯を消さないで下さい。九州では、八つの劇場が閉鎖しました。皆様の力で、この劇場を支えて下さい。社長の温かい御配慮で、私たちは来年も帰って参ります」。千秋楽だというのに、客席は50人を超えていない。本来なら、「関東の客は芝居の見方を知らない。九州の客は、拍手一つで役者を舞い上がらせる」とでも、啖呵を切りたいところだが・・・、という思いが私にはひしひしと伝わってきた。舞踊ショー、頭取の個人舞踊は、沢竜二の歌声(曲名不詳)に合わせて「旅役者」の思いを鮮やかに描出する。顔には一筋の涙が・・・。胸中には、昭和42年(1967年)4歳で初舞台を踏み、爾来50余年を「ドサ回り」に捧げてきた男の「激情」が、走馬燈のように去来して来たか、踊り終えた後、客席に平伏して、(不覚にも?)泣き崩れるのであった。舞台は今年の踊り納め、すぐにまた荷物を積み込んで、奈良の公演に向かうという。頑張れ、桃太郎! 突っ張れ、桃太郎!今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
男の激情男の激情
(2009/11/18)
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2024-01-31

劇団素描・「筑紫桃太郎一座」・《芝居「喧嘩屋五郎兵衛」の舞台模様》

【筑紫桃太郎一座】(座長・筑紫桃之助)〈平成24年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
この劇団は、この劇場では初公演、私は今から2年前(平成22年5月)、浜松バーデンバーデン健康センターでの舞台を見聞している。以下は、その時の感想である。〈JR浜松駅下車、徒歩15分の「浜松バーデンバーデン健康センター」に赴く。大衆演劇「筑紫桃太郎一座 花の三兄弟」を観るためである。この3月に座長を襲名した筑紫桃之助は「挨拶回り」のため不在、おかげで劇団頭取・筑紫桃太郎の「芝居」「舞踊」「口上」を存分に見聞することができた。芝居の外題は「帰ってきた前科者」。いきなり序幕から生後9か月の「抱き子」が生身で登場しようとは・・・。その赤ちゃん、「実のバーバ」に抱かれて泣きもせず、時には「笑顔」、時には「アー、ウー」等の「台詞」まで発するほどの「実力者」なのだった。まさに「お見事!」という他はない。筋書きは大衆演劇の定番、島送り、前科者の汚名を着せられた義兄(頭取・筑紫桃太郎)のために、棟梁からまで白い目で見られ、仕事を干されてしまった腕利きの大工(弟座長・博多家桃太郎)とその女房(芸名不詳の女優、おそらく弟座長の母、頭取の妻、抱き子の祖母?)の物語。腕利きの大工、義兄のことを女房にも言えず、酒と博打にあけくれる生活になってしまう。そんなとき、刑期十年を務めて兄が妹の所へ帰って来た。兄(頭取・筑紫桃太郎)、客席より登場、酔客の私語がよほど腹に据えかねたのか、芝居を中断、「お父さん、黙って観てくれないのなら、帰ってよ。入場料はお返しします」。なおも、しつこく「絡んでくる」客に対して、言わずもがなの啖呵をきる。「静かに観たいと思ってるお客さんのために、わしら《命をかけて》芝居をやってるんや。それを邪魔するんやったら今すぐ、ここから出てってんか!」客席と舞台上からの「直接対決」、実を言えば、これほど面白い芝居はないのである。「そうか、頭取!そこまでやるか・・・」と、心の中で拍手を贈るうちに、客は「無条件降伏」。黙って舞台を見守らざるを得なかった。だがしかし、頭取の言動を指示する客の「拍手」がない限り、この勝負は曖昧に終わる。なぜって、頭取は、自ら「舞台の景色」を「独断」で毀してしまったのだから・・・。肝腎の「拍手」は、(観客一同、その場のなりゆきを見て呆気にとられたか?)皆無であった。心なしか、頭取の「力が抜けた」。(ように私は感じた)当たり前のことである。静かに観劇したいお客様のために「啖呵を切ったのに、今ひとつ客との呼吸が合わなかった」という後悔・口惜しさがあったかどうか、それはわからない。毀れてしまった景色の修復は至難の業、本来の「人情芝居」(盛り上がり)は不発のまま終幕した。(と、私は思う)とは言え、この頭取、タダモノではない。「口も荒けりゃ気も荒い」、あの「無法松」を絵に描いたような九州の「伊達男」といおうか、その「男臭さ」が、舞踊ショーでは瞬時に「妖艶な女」に変化する。その舞姿は「天下一品」であった。また、その「口上」が面白い。①斯界で九州の劇団は20余り、それぞれABCのランクが付いている。トップは「劇団花車」、②大衆演劇がメジャーになるのは容易ではない。せいぜい梅澤富美男、松井誠くらいか、早乙女太一はまだ未知数。③九州の客筋は、「拍手」で役者を乗せる。東海、関東の客は「拍手」が足りない、④「女形」を演じるとき、役者は自分が理想とする女性をモデルにしている、⑤一幕物の芝居は「盛り上げるのが大変」、いっぺん景色が毀れると(客との呼吸がずれると)それでお終い、⑥大衆演劇の役者は、客の一挙一動を見ながら(その反応を踏まえて)芝居をしている、だから「舞台の景色」は客次第、同じ演目でも「千変万化する」等々について「語り」ながら、高齢者への「心配り」を忘れない。温かい言葉を投げかけ、劇団グッズをプレゼント。「どうか、長生きしてね。ナンマンダブ、ナンマンダブ」と合掌する姿が、いかにも下世話な風情(冗談風)で「絵になっていた」。それでよいのだ、と私は思う。「心配り」は高齢者に対してだけではない。劇場の入り口、また館内にも、「10日、座長・筑紫桃之介不在」「○○日、弟座長・博多家桃太郎不在」などという貼り紙が施されている。通常なら、「○○日、○○座長ゲスト出演!」のように宣伝する手筈だが、劇団幹部の「不在」を表明する劇団は数少ない。誠実・正直な頭取の人柄が浮き彫りされている光景であった。さだめし、あの富島松五郎が生きていたなら、このような立ち居振る舞いをしたであろう。大きな「元気」を頂いて帰路につくことができた。ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・〉。さて
、今日の舞台や如何に?芝居の外題は、御存知「喧嘩屋五郎兵衛」、主役・五郎兵衛に玄海花道、その兄貴分に博多屋桃太郎、子分に座長・筑紫桃之助、縁談話を持ち込んできた出入りの商人に玄海太郎、という配役で、頭取の筑紫桃太郎は「不在」であった。(昨日、四日市ユーユーカイカンで、九州劇団の座長大会があり、そのままそこに居続けているとのこと)文字通り「親分不在」、花の三兄弟競演の舞台であったが、その景色は、まさに九州旅芝居の典型、役者がヤクザを演じているのか、ヤクザが芝居を演じているのか、見分けがつかないほどの異様さで・・・、客席は、舞台の迫力(登場人物の柄の悪さ)に圧倒されてか、水を打ったように静まりかえる。「わしら、命をかけて芝居をやっているんや」という頭取の思いが、三兄弟に乗り移ったかのような「気配」であった。大詰め、五郎兵衛自刃の場面も、死にきれずに何度も刃を腹に突き当てる。その「しつっこさ」は、まさに九州の「こってり味」で、たいそう「見応え」があった、と私は思う。打って変わって舞踊ショー、さきほどのヤクザはどこへ行ってしまったのか、といった雰囲気で、可憐・妖艶・華麗な「女形」が、次々と登場。心も軽く気も軽く、佐倉駅の売店で、(熱燗の)ワンカップをゲット、ほろ酔い気分で帰路に就いたのであった。
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2024-01-30

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「一本刀土俵入り」の配役と音曲》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「一本刀土俵入り」。主なる配役は、駒形茂兵衛に座長・水葉朱光、安孫子屋の酌婦お蔦に舞坂錦、その夫・辰三郎に水廣勇太、舟戸の弥八に水谷研太郎、波一里儀十に潮美栄次、利根川べり渡し船船頭に責任者・梅沢洋二朗という面々であった。この芝居の眼目は、世間の薄情な人々の中に咲いた一輪の花(有情)の描出である。母に捨てられ、酌婦に身を持ち崩した「あばずれ女」が、親方に見放された一文無しの相撲取りに「情け」をかける、十年後、横綱になり損ねた相撲取りがその「御恩返し」をするという筋書きで、昭和生まれの世代にとっては、たまらなく魅力的な物語である。見所は、第一に、酌婦お蔦の風情、明日への望みもなく、その日その日を酒浸りで暮らす「あばずれ女」が、垣間見せた瞬時の「情け」である。有り金すべてばかりか、商売道具の櫛、簪まで茂兵衛に与えてしまう「無欲」な景色がたまらない。第二は、その「情け」を、遠慮しいしい受け入れる茂兵衛の風情、「いいよ、いいよ、そんなにもらわなくても・・・」と言いながら、泣き崩れる。彼もまた「無欲」なのである。二人を結び付けるのは、持たざる者同士の「有情」、その絆こそが物語の眼目に違いない。第三は、十年後の景色、まさに世は無常、今では一児の母、堅気になったお蔦、夢破れて「こんな姿に成り果てた」茂兵衛のコントラストが、一際鮮やかに舞台模様を彩るのである。そんなわけで、鍵を握るの(登場人物のキーパースン)はお蔦、今日の舞台では舞坂錦が演じていたが、彼の芸風はあくまで「楷書」風、まして男優の彼には「荷が重すぎた」、と私は思う。やはり、お蔦は女優、座長・水葉朱光が「はまり役」ではないだろうか。私が身勝手に配役するなら、お蔦・水葉朱光(又は朱里光)、茂兵衛・水谷研太郎(又は水葉朱光、又は舞坂錦)、辰三郎・水廣勇太、舟戸の弥八・潮美栄次、波一里儀十・舞坂錦(又は水嶋隼斗)、船頭・梅沢洋二朗に加えて舞坂錦、といった按配になるのだが・・・。さらに言えば、舞台に流れる「音曲」、越中おわら節は、静かに、静かに・・・。「節劇」の語りには二葉百合子が不可欠ではないだろうか。とりわけ、一景から二景への幕間に、「利根の堤の秋草を 破れ草鞋で踏みしめる 駒形茂兵衛のふところに 残るお蔦のはなむけが 男心を温めて 何時か秋去り冬も行き、めぐる春秋夢の間に、十年過ぎたが 番付に駒形茂兵衛の名は見えず お蔦の噂も何処へやら 春の大利根今日もまた 昔変わらぬ花筏」の一節が流れたなら・・・。そして、大詰めは「逢えて嬉しい 瞼の人は つらい連れ持つ女房雁 飛んで行かんせ どの空なりと、これがやくざの せめて白刃の仁義沙汰」で締めくくる。誠に僭越至極な感想で、申し訳ない限りだが、「新国劇」亡き今、あの島田正吾、香川桂子(外崎恵美子)の舞台に迫り、それを超えることができるのは、大衆演劇の劇団(とりわけ、躍進めざましい「劇団朱光」)を措いて他にない、と私は確信しているのである。
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2024-01-29

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「質屋の娘」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成25年12月公演・小岩湯宴ランド〉
この12月私は、芝居「かげろう笠」「雨の他人舟」「一本刀土俵入り」「へちまの花」「瞼の母」などの舞台を見聞したが、2年前に比べて「大きな変化」は見られなかった。むしろ、これまでの「チームワーク」(呼吸)が、ともすれば乱れ気味で、いわゆる「中だるみ」もしくは「マンネリ」「油断」が感じられた。それというのも、花形・舞坂錦が副座長に昇進、名も水城舞坂錦と改まったが、やや「力みすぎ」、「立て板に水」のセリフ回しが目立ちすぎて(私にとっては)食傷気味、加えて一座の重鎮・梅沢洋二朗が(大門力也が客演のため)休演状態、さらにまた若手男優・水澤拓也、水橋光司、水越大翔らに大きな変化がみられず足踏み状態、といった事情があるからであろう。とはいえ、千秋楽前夜の今日の舞台は、その「中だるみ」を吹き飛ばすような、見事な出来映えであった。芝居の外題は、御存知「質屋の娘」。配役は「質福」の娘・おふく(26歳)に座長・水葉朱光、その兄(28歳)に水城舞坂錦、番頭に潮美栄次、手代・新二郎(25歳)に水廣勇太、
おふくの身の回りを世話する女中・おさよに朱里光、おさよの兄(高崎在の水呑百姓)吾作に水谷研太郎といった面々で、申し分ない。筋書きは単純、年頃になったおふくが「お婿さんがほしい」と言い出した。相手は手代の新二郎、しかし新二郎には「末を言い交わした」おさよがいた、おふくは「泣く泣く」その縁談をあきらめるというお話である。しかし、見所は随所に散りばめられていた。まず第一は、娘・おふくの風情。幼いとき階段から落ち、頭を打って「育ちそびれてしまった」。頭には(質倉にある)簪を「生け花のように」さしまくって登場、兄に咎められて簪を抜き去ると、スッキリしたが、その様子を兄がしみじみと見て「ずいぶん淋しくなっちゃった」といった呼吸は絶品、「綺麗」というよりは「可愛い」という評価がピッタリの舞台姿であった。第二は、番頭・潮美栄次の存在、彼の芸風はどちらかと言えば「地味」で「不器用」、脇役・仇役に徹し「いてもいなくてもよい」存在感がたまらなく魅力的である。おさよの兄・吾作が帳場の金(五両)を盗もうとするのを見咎め捕縛する。馬乗りになって吾作を打擲する様子が「絵になっていた」。第三は店主・水城舞坂錦と手代新二郎・水廣勇太の「絡み」、新二郎、店主の縁談話にのりかかるが相手がおふくと知って「卒倒」する、店主と手代では立場が違う、自分の本心も聞いてもらえずにやむなく承諾する。そこにやってきたおふくに迫られ、辟易とする場面は抱腹絶倒の場面であった。第四は、その新二郎とおふくの「絡み」、新二郎おふくに向かって「私とおさよはメオトの約束をしています」。おふく「いいよ、おさよとメオトになりなさい。アタシは新二郎とフーフになるのだから」「違うんです。メオトとフーフはことばは違うけど意味は同じなんです」「フーン、だったら三人でフーフになろう」といったやりとりが何とも魅力的であった。その他にも、店主が吾作の名前を「何回も」呼びまちがえる場面、おさよが新二郎に裏切られて嘆き悲しみ店を去る場面等々、見所は満載であったが、「極め付き」は大詰め、店主の兄とおふくの「絡み」、店を去って行ったおさよを追おうとする新二郎に、おふくは花嫁衣装と支度金まで贈呈、それでも新二郎が恋しいと泣きじゃくる。(その様子を陰で見ていた)兄に向かっておふくが言う。「アタシ、バカだから、新二郎は行ってしまった」。兄、きっぱりと「おまえはバカじゃない!好きな相手に着物やお金を上げてしまうなんて、利口な人にはできないということだ」おふく「?・・・、じゃあやっぱりバカなんだ」というオチも添えられで、舞台は愁嘆場。「どんなに苦いオクチュリでも飲むから、バカを治して」と懇願するおふく、「バカはイヤ、バカはイヤ、バカはイヤなんだよー」と泣きじゃくる妹に、なすすべもなく立ち尽くして慟哭する兄、そのままふたりがシルエットになって終演となった。「育ちそびれた人物」の姿を(多くの)観客は見たくない。なぜなら、実生活の中では、その姿に「夢」を感じないからである。にもかかわらず、「育ちそびれた」風情の中に、(観客の)「共感」を呼び起こし、「人権尊重」を語りかけようとする座長・水葉朱光の「演技」は冴えわたっていた。役者にとってそれは「至難の業」、初めは目を背けていた観客が、次第に惹きこまれ、その姿に「夢」と「輝き」を感じられるようになるか否かが問われるからである。事実、これまで笑い転げていた観客(私)の感性は、きれいに洗い清められ、あふれ出る涙を抑えることができなかった。
 今日の舞台は、あの「人間」(「劇団竜之介」)、「春木の女」(「鹿島順一劇団」)に匹敵する、斯界屈指の名作であった、と私は思う。感謝。
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2024-01-28

劇団素描・「劇団花月」・《なか座公演は「がんばっぺ!茨城」》

【劇団花月】(座長・一條洋子)〈平成23年12月公演・なか健康センターなか座〉
この劇場は、常磐線水戸駅から水郡線に乗り換えて約15分、上菅谷駅で下車、徒歩5分のところにある。通常は入館料1785円、観劇料525円のところ、震災後のリニューアル「お客様大感謝祭」(がんばっぺ!茨城)ということで、観劇料は無料であった。(近隣市町村の住民は入館料も700円)。館内は広く清潔で、浴室には「絹の湯」「壺の湯」「北投の湯」「炭酸の湯」「白湯」「サウナ」「塩サウナ」「水風呂」「ジャグジー」等々、多種多様な湯舟が揃っている。また劇場・なか座は「飲み食い処」とは別のところに設けられているので、何よりも舞台に集中できる点が優れていると思った。他に、テレビルーム、仮眠室(深夜割増料金1050円)、個室(宿泊料2名まで5250円)、岩盤浴(525円)、整骨院、ボディケア、アカスリ、エステティック、カットサロン、大食堂、パスタ&ピッツア店等々の付帯施設も揃っており、文字通り「至れり尽くせり」の環境であった。さて、肝心の「劇団花月」は九州の劇団、名前は聞いていたが、私にとっては初見聞。座員は、総責任者・一條ひろし、座長・一條洋子、二代目座長・一條ゆかり、花形・一條こま、座長の母・星てる美、男優・十條みのる、四川魁、不動明、子役・なむ・・・、といった面々である。芝居の外題は「激動を生きる男・鼠小僧」(?)。幼いとき、親に捨てられた鼠小僧次郎吉(座長・一條洋子)が、捕り手に追われながら逃げ込んだ「縄のれん」(居酒屋)の女主人(星てる美)が実の母、種違いの弟・新吉(一條こま・女優17歳)は十手持ちという筋書きは大衆演劇の定番である。この3人に絡むのが、次郎吉を慕う女泥棒(一二代目座長・一條ゆかり)、十手持ち親分の十條みのる、偽鼠小僧の四川魁、辻占売りのなむ、と役者は揃っていたが、その舞台模様は、やはり「九州風」。どちらかと言えば、「せりふ回し」に偏りがちの演出で、表情、所作の景色は「今一歩」という感があった。座長・一條洋子の風貌は「浅香光代」然、貫禄十分で申し分ないのだが、「立ち役」二枚目の青臭さ(色香)、恨み続けた親との出会いから、心が「懺悔」に変わっていく気配が、物足りない。しかし、それはあくまで私の「偏見と独断」、たった1回の見聞で断定することはできない。「唄と踊りのグランドショー」で、総責任者・一條ひろし、颯爽と登場。破門状を手にして、侠客の「侘びしさと」「憤り」を見事に描出、「ああ、芝居の舞台姿を一目拝みたかった」と、思わず溜息がもれた。不動明の歌唱は「街のサンドイッチマン」から「上海帰りのリル」へ、「明日はお立ちか」で締めくくる。今ではレコードでしか耳にできない「珠玉の逸品」を、それ以上の肉声で鑑賞できたことは望外の幸せであった。加えて、ラストの三人(一條洋子、ゆかり、こま)花魁ショー、まさに豪華絢爛、一人分の衣装は数百万、合計すれば「家一軒が建つ」そうな・・・。今日もまた、大きな元気(がんばっぺ!茨城)を頂いて帰路に就いた次第である。
演歌名曲コレクション(4)?番場の忠太郎?演歌名曲コレクション(4)?番場の忠太郎?
(2004/09/01)
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2024-01-27

劇団素描・「劇団千章」・《芝居「瞼の母」&「質屋の娘」》

【劇団千章】(座長・市川良二)〈平成24年9月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団には、かつて六代目・市川千太郎が居た。市川智二郞も居た。白龍も居た。しかし、諸般の事情(詳細は全く不明)により、彼らの姿はすでに無く、代わりに、沢村新之介が居る。(これまた何故か、特別出演の)中村英次郎(元「劇団翔龍」)が居る。梅乃井秀男(元「劇団花凜」)も居る。劇団の模様は、文字通り「有為転変」、まさに「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて留まるところ無し」(方丈記)といった風情そのものなのである。これまでの座長・市川千太郎に代わって、兄の市川良二が座長を務めているものの、それは「無理」というものである。良二の「持ち味」は、あくまで千太郎の相手役、その「脇役」に徹してこそ、「いぶし銀」のような輝きを発揮することができたのに・・・、といったあたりが常連・贔屓筋の評判ではないだろうか。さて、芝居の外題は昼の部「瞼の母」、夜の部「質屋の娘」。どちらも大衆演劇の「定番」、とりわけ「瞼の母」の主役・番場の忠太郎は「立ち役」の魅力が勝負所、千太郎よりも良二の方が「適役」ではないだろうか・・・、などと思いつつ幕開けを待った。配役は、忠太郎に市川良二、その母・おはまに市川千章、妹・おとせに市川誠、おはまに無心に来た夜鷹に梅乃井秀男、素盲の金五郎に中村英次郎といった陣容で、まず申し分はないのだが、相互の「呼吸」が今一歩、まだ練り上げられた景色として「結実化」するまでには時間がかかるだろう。芸達者なそれぞれが、それぞれに芝居をしている感は否めない。それもそのはず、今月公演の演目は「日替わり」で1日2本、およそ60本の芝居を「演じ通す」のだから。すべてが「ぶっつけ本番」、その懸命さには頭を垂れる他はない。夜の部「質屋の娘」、主役はもとより美貌の娘・おふく、○○期の病気がもとで「魯鈍気味」、その「あどけない」(無垢な)風情を、どのように描出するか。彼女を育む父親・中村英次郎の景色は絶品、市川良二の「女形」も悪くはなかったが、千太郎には及ばなかった。良二は良二、千太郎は千太郎、それぞれの「かけがえ」は代えることができないのである。というわけで、「劇団千章」は、かつての「市川千太郎劇団」ではない。六代続いた伝統の行方はいずこへ・・・、一抹の寂しさを噛みしめつつ帰路の就いたのであった。
瞼の母―長谷川伸傑作選瞼の母―長谷川伸傑作選
(2008/05)
長谷川 伸

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2024-01-26

劇団素描・「宝海劇団」・《夜の部・舞踊ショーは、観客三人の「夢舞台」》

【宝海劇団】(座長・宝海竜也)〈平成24年1月公演・佐倉湯ぱらだいす)
七草、成人の日も終わって、平日の舞台、その時にこそ劇団の「真価」が問われるのだ、と私は思う。案の定、昼の部でも観客は15人ほど、加えて、今日の舞台では役者も欠けていた。若座長・宝海紫虎、時代の寵児・宝海大空、ベテラン女優・宝海真紀、負傷中の城津果沙がいない。それでも、大衆演劇は「幕を開ける」のである。芝居の外題は、小さすぎて聞こえない。筋書きは、御存知「忠治山形屋」と瓜二つ。娘・お花(海原歌奈?)を加納屋親分(座長・宝海竜也)に身売りさせた百姓の老父(山下和夫)、三十両を懐に帰路に就いたが、地獄峠の山道で山賊(実は加納屋子分・久太郎)・宝海太陽・他に金を奪い取られた。老父、絶望して身投げをしようとしているのを助けたのが、大前田若親分(宝海大地)。若親分、加納屋に乗り込んで、金を奪い返し、お花を救い出すという筋書きであった。それぞれの役者が「精一杯」つとめていたが、まだ「呼吸」の面白さを描出するには至らず、見せ場は、大詰め、山中でみせる若親分と加納屋一家の立ち回り、一瞬にして三人を切り倒す宝海大地の「太刀さばき」であったろうか。それはそれでよい。「一生懸命に舞台を務める」、その心意気、気配だけで、私たちは元気をもらえるのだから。
さて、二部の舞踊ショーからが面白かった。山下和夫、歌唱の2コーラスを歌い終えると、「みなさん、今日は大空くんがいなくてすみません。でもみんなで一生懸命がんばります」(拍手)遠慮がちに「夜の部も観ていただけますか」最前列の女性客「観るよ」「えっ?大空くんは夜も出ませんよ」「大空くんがいなくたって、観るよ」。その言葉を聞いて、一瞬、山下和夫の全身に「電気が走った」。(ように私には思われた)。「えっ?大空くんがいなくても、ですか」と言って、楽屋の袖に顔を向ける。もしかして、そこに座長・宝海竜也が居たのかもしれない。その後、山下和夫、「さざんかの宿」を熱唱、続いてのラストショーで舞台は大団円となった。さて、夜の部開演は6時、はたして何人の観客が居残るだろうか。大浴場で入浴・休憩後、喫煙所でタバコを吸っていると、館内放送が流れた。「午後6時から5階・湯ぱら劇場で宝海劇団によるお芝居・舞踊ショーが行われます。どうぞ皆様お誘い合わせの上御来場ください」。本当にそうだろうか。5時45分頃、興味津々で劇場に行ってみると、案の定、観客は二人しか居ない。200人は優に収容できる客席の最前列に、件の女性客とその「つれあい」とおぼしき男性が、食事接待の従業員となにやら話をしている。三人は、私の気配を察したか、こちらを振り向いた。私も、近づいて「今日は本当にやるんですか」と問いかけると、従業員、「苦渋に満ちた表情で」答えられない。男性客が「そう!、やるか、やらないか。決断の時ですよ。もし、やらなければこの劇団は終わり、正念場、正念場・・・。とにかく、座って待ちましょうよ」。というわけで、観客の三人、固唾を飲んでその成り行きを見守ることとなった。時刻は、まもなく6時に・・・、その時、幕の袖から(静かに)座長登場、「今日は、ありがとうございます。こんなことはめったにないんですが。10年近く座長を務めておりますが、今日は2回目です。以前はお客様が二人、それでも幕を開けましたが、舞踊ショーの途中で帰ってしまいました。今日も幕を開けますが、お芝居は勘弁してください。舞踊ショーで精一杯がんばりますので、どうか途中でお帰りにならないようにお願いいたします」。男性客、大きく頷いて「結構、結構、やる方も辛いでしょうが、観る方も辛いんだ。がんばって、お願いしますよ」。おっしゃるとおり、観る方も辛いのだ。「男も辛いし女も辛い 男と女はなお辛い」という謳い文句そのままに、舞台は開幕する。幕が上がると同時に、三人の(割れるような)拍手を受け、座長・宝海竜也を筆頭に、大地、太陽、蘭丸らが、珠玉の妙技を披露する。たった三人の客を前に演じる「やるせなさ」「こっぱずかしさ(?)」も加わってか、まさに「今、ここだけでしか描出できない」(魅力的な)舞台模様が展開したのであった。太陽の舞台、男性客が声をかけた。「太陽!」、しばらくして小声で「何歳?」と尋ねると、太陽もまた踊りながら小声で、(つぶやくように)「25です」という「やりとり」が何とも面白かった。昼の部では見せなかった「バック転」もサービスして退場。蘭丸は蘭丸で舞台を降り、男性客に視線を合わせて微笑みかける。その可憐な風情も絶品であった。加えて、子役のちょろQ靖龍、舞台狭しと跳んだりはねたり踊りまくる中で、(その弟とおぼしき)赤児まで(幕の陰からハイハイで)登場、「相舞踊」よろしく大人用の扇子を掲げたり、振り回したりする様は、これぞ大衆演劇の「極意・真髄」といった按配で、誠に「有り難い」稀有な風景であった。やがて1時間ほどの舞台は(三人には惜しまれつつも)終演となったが、件の男性客曰く「いやあ、感動した。素晴らしかった。こんな《夢舞台》初めてだ」。けだし名言、大衆演劇は「たった三人の客」のためにだって幕を開けるのである。その心意気に心底から感動、今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができたのであった。感謝。
さざんかの宿/目ン無い千鳥さざんかの宿/目ン無い千鳥
(2003/10/22)
大川栄策

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2024-01-25

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「かげろう笠」・雌伏三年、大きく開け「大輪の花」》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉                                                      私はこの劇団の舞台を、今から3年半余り前(平成20年5月)、東京・立川大衆劇場至誠座最終公演)で見聞している。以後も、数回、柏健康センターみのりの湯あたりで見聞したおぼえはあるが、特記すべき内容はなかった。だがしかし、今回は違う。文字通り「雌伏三年」、これまでの精進が一気に「花開いた」感じがする。座長・水葉朱光は26歳(?)の女優、「水葉」の水は、若水照代の「水」、葉は、若葉しげるの「葉」ということで、芸風は、あくまで関東風、その「いいところ」(軽妙・洒脱・粋の良さ)が、舞台のあちこちに散りばめられていたのであった。芝居の外題は「かげろう笠」。箱根の山中で盗賊に襲われていた盲目の侍(花形。水廣勇太・好演)を救った、女賭博師・かげろうのお勝(座長・水葉朱光)、「これからも気をつけなすって」と立ち去ろうとするのを、「待て!女」と侍が呼びとめる。「女?私にだってれっきとした名前があるんです」「名前はなんと?」「かげろうのお勝ですよ」「カツか」「いえ、トンカツではありません、おカツです!」「それで、これからどちらへ参られる?」「江戸ですよ」「江戸か。ワシも江戸へ参るつもりじゃ、連れて行け」、その横柄さと、あきれかえるお勝つの風情が、何とも(漫才のように)軽妙で、たいそう面白かった。侍、大金の入った豪華な財布をお勝に与え、再度依頼したが、「もし、お侍さん、私がこれを持ってトンズラしたらどうします?」「トン・ズラ?・・・とは何か」「ズラカルことですよ」「ズラ・カルとは何か」「逃げることですよ」「ああ、逐電のことか」「チクデン?駅伝ならわかりますけど」といったやりとりでダメを押し、二人は江戸へ向かうことになった。行き先は、お勝の弟・髪結新三(舞阪錦)の家。お勝と新三は、当分の間、侍の面倒を見ることに・・・。やって来たのが、お勝のイカサマで大損をした博打打ち・猫目の六蔵(潮美英次)、眼科医玄庵の弟子・弥八(水谷研太郎)といった面々で、盲目の侍を中心に、お勝、新三らとの「絡み合い」も、呼吸は絶妙、久しぶりに「関東風旅芝居」の醍醐味を満喫した次第である。筋書きは、侍とお勝つは「惹かれ合い」、相思相愛の縁談が成立、新三とお勝の協力で侍の目が治る、そこに現れたのが侍を探していた当家の家老・近藤某(後見・梅沢洋二朗)、実を言えば、盲目の侍は尾張大納言・万太郎某という「お殿様」であったのだ、かくて「お殿様」と「賭博師」の縁談はあえなく破談、お勝、泣く泣く「万ちゃん」を見送る愁嘆場へと進んだが、大詰め、帰路に就きながら、お殿様曰く「オイ、近藤。もし途中で、ワシがトン・ズラするかも知れんぞ!」。その景色は、あくまでカラッと爽やかで、痛快感あふれる舞台模様であった。座長・水葉朱光の容貌はやや太め、斯界の大御所・若水照代とは風情を異にするが、総帥・若葉しげるの雰囲気は着実に継承している。「見た目」の特徴を活かして、「三枚目」の芸風に徹すれば、より充実した「大輪の花」を咲かせることが出るだろう。従う座員も、二十代の「イケメン」揃い、劇団は今や「旬」、大きく羽ばたけるチャンスが到来したことは間違いない。今後ますますの発展を期待する。
江戸の文化(4)浪曲/講談/普化尺八江戸の文化(4)浪曲/講談/普化尺八
(2003/02/21)
伝統、野坂恵子 他

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2024-01-24

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「お吉物語」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「お吉物語」。配役は、明烏お吉に座長・水葉朱光、船大工鶴松に水谷研太郎、大工棟梁に梅沢洋二朗、総領事ハリスと鶴松の母二役が舞坂錦、下田奉行に花形・水廣勇太、居酒屋亭主に潮美栄次・・・、といった面々で、まさに「適材適所」、その結果、たいそう見応えのある「名舞台」に仕上がっていた、と私は思う。「お吉物語」は、あくまで悲劇だが、そのことを踏まえて、お吉と鶴丸が再会、結ばれるまでのハッピーエンドにした「粋な計らい」が心憎い。私はこれまでに「劇団菊」(座長。菊千鶴)、「満劇団」(座長・大日向皐扇)の舞台を見聞しているが、(幕切れ後の)「後味の良さ」では群を抜いていた。明烏お吉、水葉朱光の景色は、まだ菊千鶴、大日向皐扇に及ばないとはいえ、表情・所作・口跡が醸し出す「やるせない」風情(心象表現)は、他を凌駕している。とりわけ、「一言一言」をとぎれとぎれい、噛みしめるように言う、彼女独特の口跡(口調)は、お吉の心情を、いっそう鮮やかに(艶やかに)描出する。文字通り「当たり役」の至芸である、と私は見た。加えて、脇役陣も充実している。アメリカ総領事ハリスと鶴松の母(二役)を演じた舞坂錦の「達者さ・器用さ」(実力)も半端ではない。鶴松曰く、「俺はハリスが憎くてたまらねえ。ところで、おっかあ、おめえ近頃、ハリスに似てこねえか?」、母親、一瞬、舞坂錦の素顔を垣間見せる。また、唐人とさげすまれ傷ついたお吉を温かく迎えながら、「あのね、ハリスさん死んじゃったの」と言われたとき、思わず「ずっこける」姿は絶品、ことの他「絵になる」場面であった。仇役(下田奉行)に回った花形・水廣勇太、「お上のなされよう」に翻弄され、心揺れ動く鶴松役の水谷研太郎、お吉と鶴松を優しく取り持つ棟梁の梅沢洋二朗らも、おのがじし「個性」十二分に発揮した「名舞台」であった。水葉朱光という女優、初舞台は11歳(不二浪劇団)、若葉劇団での修行を経て17歳で座長になった由、体型は「天童よしみ」然、容貌は「浅香光代」で、決して「美形」とは言い難い(御無礼をお許し下さい)が、(魅力的な)「日本の女」を演じさせたら、天下一品、右に出るものはいないのではあるまいか。「健気」「おきゃん」「鉄火」「母性」等々、多種多様な「女性像」を演出し続けてほしいと願いつつ、今日もまた「美味しい料理を賞味した」気分で帰路に就くことができた。感謝。
唐人お吉物語唐人お吉物語
(2006/10)
竹岡 範男

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2024-01-23

劇団素描・「劇団竜之助」・《名人・大川龍昇の「至芸」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉
 10月公演の後半(16日から26日まで)、座長の長兄である大川龍昇が応援に来た。大川龍昇は父である初代・大川竜之助から二代目座長を受け継ぎ、それを三代目・現座長に譲って、現在は末弟の椿裕二とともに「劇団大川」を率いている。応援の初日、座長は龍昇に芝居出演を依頼したが、「自分のできる芝居はない」と拒絶し、木馬館での初舞台(?)は舞踊のみとなった。演目は「悲しい酒」をあんこにした「独り寝の子守歌」(唄・美空ひばり)の女形舞踊と、立ち役、「度胸千両入り」の「無法松の一生」(唄・村田英雄)。なるほど、応援の初日、龍昇が「自分のできる芝居はない」と断った理由がよくわかった。この二つの舞踊は、二本の芝居に匹敵する出来映え、「歌は三分間のドラマ」というが、まさに龍昇の「一人舞台」(独壇場)、私自身は当日の芝居「宝子供」を含めて三本の芝居を見聞したような「充実感」を味わうことができたのである。龍昇は、まず一人で舞台に立つことによって、木馬館の客層・客筋を「観察」したのだろう。名人とはこのような役者のことを言うのだと、私は思う。女形舞踊、「独り寝の子守歌」ワンコーラス目は「やや無表情に」「淡々と」、あんこの「悲しい酒」で「思い入れたっぷり」に、美空ひばりを「彷彿とさせる」景色で、ラスト「独り寝の子守歌」に戻ったとたんに、別人(例えば加藤登紀子)のイメージで、かすかな笑みを浮かべながら踊る風情は、どこか杉村春子もどきで、ただものではない「実力」を感じさせるのに十分であった。打ってかわって「無法松の一生」は、どこまでも男臭く、〈泣くな、嘆くな男じゃないか、どうせ実らぬ恋じゃもの〉という村田英雄の「説得」を全身に受けて、ふっと力を抜く風情が、たまらなく魅力的ではあった。
 私が初めて大川龍昇を観たのは、大阪・オーエス劇場。演目は、女形舞踊で「お吉物語」(唄・天津羽衣?)であったが、その時の雰囲気、大阪の空気を「そのまま」運んできたような舞台で、「元気をもらう」だけでなく「思わず嬉しくなってしまう」という(おまけの)土産(大入りの「プロマイド入りティッシュ」など遠く及ばない)までもらって、帰路につくことができたのである。万歳。
お吉物語/黒船哀歌お吉物語/黒船哀歌
(2005/12/07)
天津羽衣

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2024-01-22

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「人生花舞台」は娯楽の真髄》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年9月公演・石和温泉スパランドホテル内藤〉                                                                     午後6時から、石和温泉・スパランドホテル内藤で大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。ほぼ半年ぶりに観る「鹿島劇団」の舞台は、「相変わらず」天下一品であった。今日の外題は「人生花舞台」、当代随一の花形役者(春大吉)と、その父(座長・鹿島順一)の物語、前回の感想では、春大吉に対して「やや荷が重かった」と評したが、今回は違う。花形役者の「魅力」を十二分に発揮した「舞踊」(特に顔の表情が爽やかであった)で「合格」、春大吉の精進に敬意を表したい。数ある大衆演劇の劇団の中で、「鹿島順一劇団」の「実力」は「日本一」、それを信じて疑わない私にとっては、舞台を観られただけで「至上の幸せ」、間違いなく「生きる喜び」「元気」をもらうことができるのだ。本来、「娯楽」とはそのようなものでなければならない、と私は思う。「鹿島劇団」のどこがそんなに素晴らしいのか。役者一人一人が舞台の上から、芝居を通して、舞踊を通して、私たちに「全身で」呼びかけているように感じる。「今日も来てくれてありがとう。私たちは力の限り頑張ります。だから、皆さん、元気を出してください。みなさんも頑張ってください」そのようなメッセージが次から次へと伝わってくる。私たちが生きているのは、何のためか。それは「他人を元気にさせるため」である。そのことも、私は信じて疑わない。少なくとも、私にとって「鹿島劇団」は「元気の源」であり、その舞台を観ることで「生きるエネルギー」を補給していることは確かである。今日の芝居、1時間の予定が50分で終わってしまった。座長の話によれば、「芝居を短くすることは、私の特技です。いつかなんぞは、1時間の芝居を30分で終わらせてしまいました。なぜって、誰もその芝居を観ていなかったから・・・。へっへっへ(笑)、誰からも苦情なんか来ませんでした。そんなもんですよ。はっはっはっ・・・。「芝居は長すぎるよりも、短い方が《綺麗》に仕上がります」おっしゃるとおり、今日の「人生花舞台」、私が「短すぎる」とわかったのは幕が下りてから30分後であった。とはいえ、これはあくまで私事、誰にでも通用する話ではないのかもしれない。

人生花舞台人生花舞台
(2005/02/23)
本多綾乃

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2024-01-21

劇団素描・「若葉劇団」・《「お母さんのお弁当箱」と「瞼の母」》

【若葉劇団】(座長・愛洋之介)〈平成20年9月公演・大宮健康センターゆの郷〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 若葉劇団 昭和30(1955)年創立の老舗劇団。役者の本分である芝居を大切にしており、レパートリーは名作狂言、現代劇、新派と幅広いが、中でもオリジナルの芝居が売り物、平成16(2004〉年に総師・若葉しげるが座長を退き、現在は愛洋之介座長が劇団を引っ張っている。座長 愛洋之介 昭和47(1972)年4月8日生まれ。神奈川県出身。血液型不明。どことなく甘さを残した渋みのあるルックスで、芝居は二枚目を演じることが多いが、その剣さばきや舞踊の見事さでも人気を集める。総師・若葉しげる 昭和14(1939)年3月30日生まれ。大阪府出身。血液型A型。6歳で初舞台を踏み、16歳で「劇団わかば」を旗揚げ。寺山修司作品への参加、テレビ出演などで全国的に有名に。特に女形の芝居・舞踊を得意とする。平成16(2004)年10月、東京・浅草公会堂での記念公演をもって座長を退く〉とある。またキャッチフレーズは、〈芝居の名門が今、新たなる船出。名優・若葉しげるとともに歩んできた「若葉劇団」。若葉しげる総師、愛洋之介座長を中心に新メンバーも加わり、今、新たなる航海へ乗り出す。伝統に培われた絶品の芝居力で、さらなる感動を心に運ぶために・・・。〉であった。
 私が初めて大衆演劇を見たのは昭和46年8月、場所は東京千住の寿劇場、まさに「劇団わかば」の公演であった。(当時の若葉しげるは32歳、現在は68歳なので)以来、36年が経過したことになる。若葉弘太郎、若葉みのる(後の若葉愛)といった親族中心の座員で、座長が「女形」という特徴があった。離合集散の激しい斯界で、よく「頑張り」その「暖簾を守り通した」ことに敬意を表したい。
 芝居の外題は、昼の部「お母さんのお弁当箱」、広島の原爆で死んだ子を追想する母親の物語(若葉しげるの一人芝居)で、総師「渾身」の舞台であった。芝居の眼目は、言うまでもなく「反戦平和」、水を打ったように見入る客席の風情は、日本の大衆がいかに「戦争嫌い」かを、証拠立てる「あかし」になったのではないだろうか。この演目は、おそらく総師の「オリジナル」作品、舞踊の「夢千代日記」と並んで、斯界の「名作」に数え挙げられなければならない、と私は思う。夜の部、芝居の外題は「瞼の母」、何と、総師・若葉しげるが「番場の忠太郎」を演じるとあって、客席は「ダブルの大入り」、たいそう盛り上がったが、総師本人の口上にもあったように、「役者の賞味期限は短い」、親子ほど年齢の違う役者が、反対の「親子役」を演じることには無理があった。加えて、総師の真骨頂はかわいらしい「女形」、「渡世人」「遊び人」「股旅姿」は似合わない。もともと、配役に「無理」があったのだが、「ころんでもただでは起きない」のが大衆演劇、その「無理」「不釣り合い」を見事に払拭し、「喜劇・瞼の母」に塗り変えてしまったのが、座長・愛洋之介と一心座座長・若葉隆之介の「絡み」であった。料亭・水熊に出入りするヤクザ(若葉隆之介)と、その一家の用心棒(愛洋之介)が、忠太郎を「闇討ち」にしようとするのだが、忠太郎を待ち受けるまでの用心棒の様子が、何とも可笑しい。「体調不良」で「便意」をもよおす風情はともかく、「早く始末を付けて帰りたい」という「やる気のなさ」や、「忠太郎って、大きい奴?強そう?」「そうだよな、強いに決まってるよな」などと言うセリフが、総師の舞台姿と対照的で、実に「鮮やか」であった。いよいよ、終幕、忠太郎登場、意外な姿に「驚く」用心棒、用心棒の反応に、また笑いをこらえる総師、そのやりとりが「絶妙」で、まさに「名作狂言」を「オリジナル」化(パロディー化)した「名舞台」であった、と私は思う。
 昼の部、舞踊ショーで踊った、若葉ショウタの「河内音頭」(唄・小野由起子?)、北は北海道、南は沖縄までの民謡舞踊・流行歌が盛り込まれており、途中から拍手が沸き上がるほどの「熱演」で、印象に残る「逸品」であった。
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2024-01-20

劇団素描・「藤間智太郎劇団」・《相舞踊「お島千太郎」の名舞台》

【藤間智太郎劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成26年9月公演・島田蓬莱座〉
今日はシルバーウィークの2日目、さだめし充実した舞台が展開されるだろうと期待して来場したのだが・・・。芝居の演目は「長崎物語」?、「大人の童話」?、「源吉渡し」?、しかし残念にも、演じられたのは平凡な任侠芝居であった。対立する一家同士の男・女(座長・藤間智太郎と藤間あおい)は幼友達、久しぶりに神社の境内で再会、一言二言、会話を交わしたが、その様子を見咎めた女の身内(藤間歩)が、女の亭主(橘夫美若)に告げ口する。「兄貴のおかみさんは間男しております。相手は○○一家の、○○○」。亭主、激高して男の成敗に向かったが、もののはずみで「返り討ち」。かくて女は、「亭主の仇」と男を追いかけるという筋書きだが、すべては女に横恋慕する身内の「奸計」に因る結果・・・。つまるところ、中学3年生の息子(藤間歩)が、母親(藤間あおい)に横恋慕、他人(橘夫美若)を使って、父親(藤間智太郎)への仇討ちをけしかけるという舞台裏の人間模様が仄見えて、どこか「無理」があった。とはいえ、「佐吉子守唄」の名舞台では、同様の役回りを見事にこなしていたのだから、今ひとつ、「気が入らなかった」のは何故?。もしかして、祖父・藤間新太郎、従兄弟・藤こうたの欠場が響いたか・・・。いずれにせよ、舞台は水物、こんな日もあるのが「大衆演劇」なのだろう。それかあらぬか、芝居の外題が何であったか、一向に思い出せない。一方、舞踊ショーの舞台は見応えがあった。藤間歩の「女形」は天下一品、姿・形の「美しさ」は見飽きることはない。加えて、圧巻は松竹町子と藤間あおいの相舞踊「お島千太郎」(唄・美空ひばり)、たった3分間の舞台であったが、1時間の芝居以上に「感動的」であった。「花は咲いても他国の春は どこか淋しい山や川 旅の役者と流れる雲は 風の吹きよで泣けもする 渡り鳥さえ一緒に飛べる 連れがなければ辛かろに 口でけなして心でほめて お島千太郎旅すがた 人の心と草鞋の紐は 解くも結ぶも胸次第 苦労分けあう旅空夜空 月も見とれる夫婦笠」(詞・石本美由紀、曲・古賀政男)という名曲に込められた「山や川」「流れる雲」「旅空夜空」の「月」の景色が、二人の舞姿を通して、まざまざと浮かんでくる。また、文字通り、旅の役者の淋しさ、辛さ、苦労を分けあう夫婦の心情も綯い交ぜにされて、筆舌に尽くしがたい風情であった。どこまでも清々しく、それでいて色香ただようお島、彼女に優しく寄り添い、しっかりと手を握る千太郎の(どこか淋しげな)表情は浮世絵のように鮮やかであった。この姑にしてこの嫁あり、そのたしかな絆に励まされて、私もまた「旅空夜空」の余生を重ねる他はないことを実感、思わず落涙した次第である。
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2024-01-19

劇団素描・「南條隆一座とスーパー兄弟」・《芝居「花街の母・パートⅡ」》

【南條隆一座とスーパー兄弟】(総帥・南條隆、座長・龍美麗、南條影虎)〈平成23年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
芝居の外題は「花街の母・パートⅡ」。主演は、総帥・南條隆の妻女でスーパー兄弟の母・大路にしき、彼女は関東の有力劇団「章劇」の座長・澤村章太郎の姉ということで貫禄十分、酸いも甘いもかみ分けた「うば桜」役にはうってつけ、まさに「はまり役」であった。本人の弁では今年48歳、花街の母の名前は「奴」、向島の花屋という店で働いている由。家には、娘夫婦が乳飲み子と共に住んでいる。この娘も母親譲りの「男勝り」な性格で、家事一切は夫(南條勇希)まかせ・・・。
ある時、娘が行き倒れの若者(座長・龍美麗)を連れてきた。25歳のイケメンで、聞けば、大阪・料理屋の坊ちゃんで、名前はヒデトシと言う。様子を見れば、激しい腹痛の態、「奴」はヒデトシに一目惚れ(?)、すぐさま医者を呼びにやる。出てきた、この医者の風情が絶品で、医療器具はレジ袋の中、「どれ、口を開けてごらん」と言って取り出した舌圧子は、よくみれば中華そば屋のレンゲ・・・、糸電話もどきの聴診器で診察する様子等などの場面は、抱腹絶倒の連続で、まことに見応えがあった。ところで、この医者を演じたのは誰であったか。もしかして、特別出演の筑紫桃太郎?さて、「奴」の介抱が実り、ヒデトシは順調に回復、それかあらぬか、「奴」を嫁にもらいたいなどと言い出した。さすがに「奴」とまどって、「私の歳、いくつだと思っているの」「23歳でしょ」「もっと上、もっと上」「では怒らないでください、・・・29歳ですか」「怒らない、怒らない、もっと上!」では30、35、40、45、46、47・・・と、小刻みにつり上げてい「奴」とヒデトシの(実は親子の)やりとりが何とも面白かった。つまるところは48歳、それでもヒデトシは動じない。「ぜひ、私と結婚してください」、「奴」も抗えず「それもそうね、愛があれば年の差なんてないもの。24の娘を二人もらったと思ってね」。かくて、両者の縁談は成立したかにみえたが、周囲の者は大反対。「つりあわない」「うまくいくはずがない」等、押し問答の最中に、「奴」、にわかの腹痛でバッタリと倒れ込む。医者の見立てによれば「胃ガンの末期」・・・。場面は一転して愁嘆場へと変わり、「奴」泣く泣く縁談をあきらめた・・・、と思いきや、大詰めで、件の医者、自分につなげた点滴の台車を押して再登場、その容器はペットボトルといった按配で、笑いが止まらない。何を言い出すかと思えば「いやあ、すまない。奴さんの病気は胃ガンではなかった、ただの胃拡張!」、といった落ちがついて舞台は大団円。世の中思うに任せず、そのせつない「うば桜」の風情が、ひときわ鮮やかな幕切れであった。さて、この劇団、達者な役者が揃いすぎて、名前と顔が一致しない。誰が誰やら・・・、などと思ううち、舞踊ショーに颯爽と登場したのは、あの名女優・南京弥(前「南條光貴劇団」)であった。思わぬ宝物を見つけた心地して、心うきうき帰路に就いた次第である。
花街の母/しのび恋花街の母/しのび恋
(2003/10/22)
金田たつえ

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2024-01-18

幕間閑話・「藤間劇団」の《魅力》

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私が初めて「藤間劇団」(座長・藤間智太郎)の舞台を見聞したのは、1年半前(平成22年5月)、大阪梅南座、芝居の外題は「源吉渡し」。観客数は20人程であったが、何とも味わい深い舞台模様で、文字通り「極上の逸品」、ぜひ(この劇団の舞台を)「見極めたい」と思いつつ劇場を後にしたのであった。以来、機会に恵まれなかったが、このたび幸運にも、関東(佐倉湯ぱらだいす)での1ヶ月公演が実現、思う存分、その名舞台を堪能できた次第である。見聞した芝居は、件の「源吉渡し」を筆頭に、「天竜筏流し」「佐吉子守唄」「伊太郎笠」「稲葉小僧新吉」「白磯情話」などの時代劇、「羽衣情話」「長崎物語」「大人の童話」「大阪ぎらい物語」などの現代劇 、いずれも、眼目は「親子」「兄弟」「隣人」同士の(人情味あふれる)「人間模様」の描出にあると思われるが、それらが見事に結実化した舞台の連続で、大いに満足させていただいた。座員の面々は、責任者の初代藤間新太郎、令夫人の松竹町子、息子の座長・藤間智太郎、嫁(?)の藤間あおい、孫の三代目藤間あゆむ、といったファミリーに加えて、女優・星空ひかる、藤くるみ、若手・藤こうた、客演の橘文若が参加する。初代藤間新太郎の芸風は、一見「木石」の態を装いながら、内に秘めた「温情」「洒脱」「侠気」がじわじわと滲み出てくるという按配で、誠に魅力的である。特に、その「立ち居」は錦絵の様、口跡は、あくまでも「清純」で、聞き心地よく、斯界屈指の名優であることは間違いない。続いて、松竹町子。「達者」という言葉は、彼女のためにあるようだ。爺や、仇役、侠客、遊び人、商人などの「立ち役」はもとより、女将、鳥追い女、芸者などの(艶やかな)「女形」から、その他大勢の「斬られ役」に至るまで、何でもござれ、といった芸風で、文字通り「全身全霊」の演技を展開する。それを見事に継承しているのが藤間あおい。やや大柄な風貌を利しての「立ち役」(仇役)から、乳飲み子を抱く女房役、可憐な娘役まで「達者に」こなす。その凜として、清楚な景色は「絵に描いたように」魅力的である。さて、座長の藤間智太郎、当年とって33歳との由、「形を崩さずに」誠心誠意、舞台に取り組む姿勢が立派である。
旅鴉、盗賊、罪人、板前、漁師、阿呆役などなど、これまた「達者に」演じ分ける。加えて、「長崎物語」のお春(母親)役、「白磯情話」の銀次(女装)役はお見事!、どこか三枚目の空気も漂って、出色の出来映えであった、と私は思う。以上四人の「達人」に、三代目藤間あゆむの初々しさ、橘文若の「個性」、星空ひかるの「女っぽさ」が加わるのだから、舞台模様は充実するばかりであろう。さらに言えば、新人(?)藤くるみ、藤こうたの「存在」も見逃せない。芝居では、ほんのちょい役、舞踊ショーでも組舞踊に登場する程度だが、精一杯、全力で舞台に取り組もうとする「気迫」(表情・所作)が素晴らしい。その姿が、他の役者を活かしているのである。今はまだ修行中(?)、しかし、この劇団にいるかぎり(努力精進を重ねる限り)、「出番はきっと来る」ことを、私は信じて疑わない。「藤間劇団」の魅力は、何といっても「誠心誠意」、いつでも、どこでも「決して手を抜かない」(油断しない)、(座員の)集中力・結集力にあるのではないだろうか。舞台には、つねに役者相互の(立ち回りのような)「緊迫感」が漂っている。「阿吽の呼吸」と言おうか、「切磋琢磨」と言おうか、「しのぎを削る」と言おうか・・・。今月の関東公演、初めての劇場お目見えとあって、観客数は毎回「数十人」ほどであったかもしれない。時には「十数人」のこともあった。にもかかわらず、舞台の景色は「極上」の「超一級品」、私が最も敬愛する「鹿島順一劇団」、芝居巧者の「三河家桃太郎劇団」「劇団京弥」、成長著しい「劇団天華」らに匹敵する輝きを感じたのであった。また、舞踊ショーの途中で行われる座長の口上も聞き逃せない。毎度毎度紹介(宣伝)するのは、次月(「南條隆とスーパー兄弟」)、次次月(「宝海劇団」)に来演する劇団のことばかり、千秋楽前日には、「来月の劇団は、遠く九州からやって来ます。チラッと耳にした話では、初日の公演は、夜の部からになるかもしれないと言うことです。どうか、フロントで確かめてから御来場下さい」という念の入りようで、まず自分のことより「仲間うち(当劇場、他の劇団)を大切にする」誠実さ(爽やかさ)に、私は深い感銘を受けた次第である。今後ますますの活躍、発展を祈りたい。(2011.11.29)



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