META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団素描・「劇団翔龍」・《みずきななみ、大月聖也の「成長」と翔あきらの「存在価値」》
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2024-02-07

劇団素描・「劇団翔龍」・《みずきななみ、大月聖也の「成長」と翔あきらの「存在価値」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年12月公演・つくば湯ーワールド〉

今月公演の見聞は3回目だが、ずっと花形・澤村うさぎの姿が見えない。一説には新型インフルエンザ罹患、一説には劇団離脱、ゲスの勘ぐりなら「駆け落ち」等々、様々な憶測が飛び交うと思いきや、舞台も客席も冷静そのもので落ち着き払った気配、はたして今、うさぎは何処?とはいうものの、ピンチヒッター(?)を務める新人女優・みずきななみの「初々しさ」が、たいそう魅力的で、「うさぎより《絵》になるじゃん」といった声があちこちで聞かれるかどうかは不明だが、少なくとも私一人はそう感じている次第である。
澤村うさぎと言えば、知る人ぞ知る、生粋の旅役者(の娘)、ななみ如きの「駆け出し」とは、文字通り「役者(格・貫禄)が違う」はずだが、トーシローの私にしてみれば、ななみの「風情」「品格」の方が上。例えば、秋川ミホ、藤美匠、大月聖也、ななみ(四人)の組舞踊で、目立つのは聖也とななみ、ミホと匠は(いかにも旅役者といった風情で舞台経験の重さは感じられるとはいえ)、今さら「新しい何か」を期待することができないのである。それはうさぎも同様、「場数を踏んだ達者さ」だけでは客を惹きつけることは出来ない。今日はどんな姿を見せてくれるだろうか、という未知への期待に応えられるかどうかが、役者修業に「終わりはない」所以である、と私は確信する。そんなわけで、私の独断・偏見によれば、澤村うさぎの休演は、新人・みずきななみが「立派に」補強していると断言できる。ただ、実力者・中村英次郎、大月瑠也の「調子」があがらない。なぜか、どこか「力が抜けたまま」なのである。そのことが、うさぎの動静と連動しているのか、無関係なのかはわからない。芝居の外題は「返し仁義」。《瞼の母》ならぬ《瞼の父》といった眼目で、父を捜し求める旅鴉に座長・春川ふじお、今はある一家の使用人に身をやつしている父に後見・中村英次郎、一家の若親分に花形・藤川雷矢、その女房に新人女優・みずきななみ、一家の三下に藤美匠、仇役・一家の代貸しに大月瑠也、その子分達が大月聖也、翔あきら、といった配役で申し分ないのだが、どこか舞台の景色に「冴え」がみられない。やはり、澤村うさぎの欠場が影響しているのだろうか。ところで、私が注目するのは、「端役者」の翔あきら、いつものことながら、芝居は「その他大勢」の「切られ役」、たまに「台詞」を言おうものなら、「お前は黙っていろ、調子が狂う」などと座長からいじめられる。舞踊の出番も組舞踊、定位置は右端と決まっている。しかも、年齢は28歳、この道10年の経験という。大切なことは、彼の「存在価値」である。この劇団で果たしている彼の役割は、とりたてて「彼でなければならない」というものではないかもしれない。だがしかし、劇団は間違いなく、「彼のような存在」を必要としているのである。端役者は「脇役」にも及ばない。でも「主役」「脇役」にとって必要不可欠な存在であることを、彼の舞台姿は物語っている。彼が「居る」から、彼以外の役者が「際だつ」のである。だとすれば、すでに、今でも、翔あきらは「輝いている」(立派にその役割を果たしている)のである。その結果、大月聖也、みずきななみといった若手の「初々しさ」「瑞々しさ」が際だちつつあるのではあるまいか。舞踊ショー、ななみの個人舞踊「上から読んでも下から読んでも《世の中バカなのよ》」、中村英次郎の至芸「薩摩の女」(唄・北島三郎)を思い浮かべつつ、「義理ある人に背を向けて・・・」などと口ずさみながら、帰路についた次第である。
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(2003/09/25)
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