META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い
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2024-05-18

浪曲特選・女流浪曲師・天津ひずるの「お吉物語」

午後3時過ぎから、浅草木馬亭で、天津ひずるの浪曲を聴く。本日の演目はナ、ナ、ナント「お吉物語」であった。いつもなら、「○○原作、○○○○、サーッ」と言いながら語り始めるところだが、「お吉物語、実話にもとづいて語ります」とのこと、私の期待は高まった。それというのも、前回(1月)の口演「母の罪」視聴後、その感想を綴った駄文の末尾で、私は以下のように書いていたからである。〈「母の罪」は、師・天津羽衣が、戦後「女優」として第一歩を踏み出したデビュー作、それを忠実に(脚色を加えながら)踏襲しようとする、ひずるの「孝心」に脱帽する。さればこそ、次回は、「お吉物語」「明治一代女」の名作(ひずる版)を、是非とも蘇らせていただきたいなどと、身勝手な「夢」を描きつつ帰路に就いたのであった。(2013.1.5)〉それから、ほぼ2ヶ月後、望外にも私の夢は叶ったのである。その作物は、まさに「ひずる版・お吉物語」、師・天津羽衣のそれとは、一味も二味も違っていた。冒頭の、下田町奉行組頭・伊佐新次郎の「ハリスの元に行ってもらいたい」という要請を断固として拒絶する場面は同じであったが、以後の展開は、全く趣を異にする。羽衣版では、次の間に、正装して控えた鶴松との「絡み」へと進むが、ひずる版は、一転して、二世を誓ったあの時、下田港での逢瀬の場面が、回想される。羽衣版は、どちらかといえば「恨み節」、時として、鶴松(男)の身勝手さを責める風情も漂うが、ひずる版は、時代の波に翻弄され、世間の「冷たさ」に抗い切れなかった、お吉、五十余年の生涯を「俯瞰的」に描出する。「お吉物語」といえば天津羽衣、天津羽衣といえば「お吉物語」というほどに、羽衣版が人口に膾炙している中で、「実話」に拘ったひずる版を創出しようとする彼女に、私は心底から拍手を送りたい。後半(時代は江戸から明治に移り変わり)、襤褸切れのようになって暮らすお吉、施された米をばらまいて「世間」に立ち向かう。今では、明治政府の役人に出世した伊佐新次郎、探し当てたお吉の(その)姿に茫然として「謝罪する」が、お吉は許さない。その毅然とした姿が、ありありと目に浮かび、私の涙は止まらなかった。そしてまた、「鶴さん、お酒、一緒に飲もうね」と墓前で語りかける。一瞬、場面は、冒頭の「逢瀬」に蘇えり、私の心中には、おのずと「夢も見ました、恋もした、二世を誓った人も居た、娘ごころの紅椿、どこのどなたが折ったやら」(作詞藤田まさと・作曲陸奥明)という、あの歌声が聞こえて来たのであった。大詰めは、お吉の亡骸を引き取り、法名を授けて丁重に葬る宝福寺住職の件、ちなみに、そのあたりの事情について「実話」(「斎藤きち」・ウィキペディア百科事典)では、以下のように記されている。〈その後数年間、物乞いを続けた後、1890年(明治23年)3月27日、稲生沢川門栗ヶ淵に身投げをして自殺した。満48歳没(享年50)。その後、稲生沢川から引き上げられたお吉の遺体を人々は「汚らわしい」と蔑み、斎藤家の菩提寺も埋葬を拒否した為、河川敷に3日も捨て置かれるなど下田の人間は死後もお吉に冷たく、哀れに思った下田宝福寺の住職が境内の一角に葬るが、後にこの住職もお吉を勝手に弔ったとして周囲から迫害を受け、下田を去る事となる〉。かくて、「ひずる版・お吉物語」は幕となったが、その作風は、あくまで「澄み切った」清冽な情景の連続で、師・天津羽衣の(あばずれ的な色濃い)「泥臭さ」とは、無縁であった。どちらが好きかは聴衆の勝手、「私的」には、「ひずる版・黒船哀歌」くらいは、聴いてみたい気もするのだが・・・。(2013.3.1)
お吉物語/黒船哀歌お吉物語/黒船哀歌
(2005/12/07)
天津羽衣

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2024-05-17

花の歌謡絵巻・「うたくらべ ちあきなおみ」の《魅力》

インターネットのウィキペディアフリー百科事典・「ちあきなおみ」の記事に、以下の記述がある。〈1992年9月21日に夫の郷鍈治と死別した。郷が荼毘に付される時、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。また、「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします。」というコメントを出し、これを最後に一切の芸能活動を完全停止した。それ以降引退宣言も出ないまま、公の場所には全く姿を現していない。〉歌手・ちあきなおみのファン並びに関係者の間では、そのことを訝る向きもあるようだが、私には彼女の気持ちがよくわかる。ちあきなおみは、それまで、ただひたすら、最愛の夫・郷鍈治のために歌ってきたのだ。「もう私の歌を聴いてほしい人はいない。哀しみをこらえて歌っても、彼には届かない」という絶望感が、以後の沈黙を守らせているに違いない。それでいいのだ、と私は思う。
 かつて、美空ひばりは、「今、一番上手な歌手は、ちあきなおみ」と語っていた(テレビ番組「徹子の部屋」)が、さすがは「歌謡界の女王」、見る目・聞く耳はたしかであった。今、私の手元には「うたくらべ ちあきなおみ」というCD全集(10巻)がある。それぞれに「1誕生」「2開花」「3巣立ち」「4挫折」「5苦悩」「6自我」「7孤独」「8出逢い」「9やすらぎ」「10爛熟」というタイトルがつけられ、167曲が収められている。このタイトルは、彼女がデビュー以来、歌いつないだ歩みを物語っていると思われるが、誕生から爛熟までを順にたどっていくと、それは、小鳥の「さえずり」が次第に洗練され、「地鳴き」に変容していく過程とでもいえようか、彼女の「歌」が「語り」になり、「語り」が「呟き」「詠嘆」「呻吟」「絶叫」へと千変万化していく有様が鮮やかに体感できる。レパートリーは、ポップス、ニューミュージック、シャンソン、スタンダード・ジャズ、ファド、流行歌、演歌に至るまでと幅広く、その歌唱力は「ハンパではない」。彼女は「歌手」でありながら「役者」「演出家」でもある。「歌」は、そのまま「芝居」となり、実に様々な人間模様・景色を描出する。私の好みは、「劇場」「酒場川」「命かれても」「流浪歌」「泪の乾杯」「新宿情話」「君知らず」あたりだが、全集の中の1巻「7孤独」の作品は傑出している。「星影の小径」「雨に咲く花」「粋な別れ」「東京の花売り娘」「夜霧のブルース」「上海帰りのリル」「港が見える丘」「青春のパラダイス」「ひとりぼっちの青春」「狂った果実」「ハワイの夜」「口笛が聞こえる港町」「黒い花びら」「赤と黒のブルース」「夜霧よ今夜も有難う」「黄昏のビギン」、いずれもカバー曲だが、彼女は原曲をいとも簡単にデフォルメしてしまう。通常、伴奏は「歌」に寄り添い、それを際立たせようとして脇役に徹するが、それらの作品は「真逆」である。伴奏が、彼女の歌と真っ向から「対立」する。まるで「仇役」のように、彼女のメロディー・ラインに挑みかかる。彼女の歌声は、その挑戦をものともせずに、ある時は「受け流し」、ある時は「包容」(抱擁)するように、展開する。雑音入りの楽音と絡み合い、もつれ合う中で、彼女の歌声がいっそう輝きを増してくる。その葛藤には、愛し合う恋人同士の風情が仄見えて、なぜか最愛の夫・郷鍈治の面影をも彷彿とさせるのである。なるほど・・・・、やっぱりそうだったのか。彼女は31歳の時に郷鍈治と結ばれたが、以後14年間、彼の死を迎えるまで、ただひたすら彼のために、彼一人だけを聴衆として歌い続けたことの証しである。
 歌手・ちあきなおみが歌うことを断って22年が過ぎた、しかし、私には、その「沈黙」こそがあの名曲「さだめ川」(詞・石本美由紀、曲・船村徹)の「歌声」となって、レクイエムのように聞こえてくる。「・・・・あなたの愛に 次ぎの世までも ついて行きたい 私です」。彼女は、今もなお歌い続けているのである。(2015.3.11)



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2024-05-16

役者点描・名優・甲斐文太の真骨頂は「滅びの美学」

大衆演劇のファンは全国に2万人ほどいると思われるが、その中で「甲斐文太」という役者を知っている人が何人いるだろうか。100人に満たないことは間違いないだろう。2010年5月まで「鹿島順一劇団」の座長として劇団を率いていたが、50歳半ばで座長を長男の「虎順」(現・三代目鹿島順一)に譲り、現在は劇団の責任者を務めている。私が彼の舞台を初めて見聞したのは、今から5年前(2007年11月)、劇場は「みのりの湯柏健康センター」(千葉県)であった。当時の「劇団紹介」(演劇グラフ)には、以下のように記されている。〈お見事!技で魅せます、華麗なステージ。芝居、舞踊、歌と三拍子そろった鹿島順一劇団の舞台。ピリッと筋の通った芸は見応え十分です。プロフィール鹿島順一劇団:演友会所属。昭和48(1973)年創立。劇団名は、父である初代鹿島順一が、武道の守護神である鹿島神社にちなんで命名。一生懸命をモットーに、全員が力を合わせて作り上げる明るい舞台が魅力。座長・鹿島順一 昭和30(1955〉年生まれ。和歌山県出身。血液型AB型。本格的な初舞台は17歳。幅広い役柄を巧みに演じ、演目のレパートリーは100を超える。鹿島虎順は長男。〉舞台の景色・風情は「劇団紹介」の内容と寸分違わぬ有様で、「140余りある劇団の中で、私が最も愛好する劇団」となってしまった。これまでに私は「梅澤武生劇団」の面々(梅澤武生、梅澤富美男、梅沢智也、梅沢修、辻野耕輔、河野栄治、長島雄次、市川吉丸、坂東多喜之助ら)を皮切りに、深水志津夫、金井保・金井保夫、長谷川正二郎、林友廣、見海堂駿、若葉しげる、見城たかし、旗丈司、松川友司郎、桂木日出夫、山口正夫、五月直次郎、高峰調士、龍千明、里見要次郎、大日向満、沢竜二、玄海竜二、葵好太郎、樋口次郎、かつき昇二郎、美里英二、大川龍昇、南條隆、紀伊国屋章太郎、市川千章、都城太郎、浪花三之介、白富士京弥、森川凜太郎、新川博之、松丸家弁太郎、梅田英太郎、大道寺はじめ、三河家扇弥、初代・姫川竜之助、東雲長次郎、杉九州男、寿美英二、澤村新吾、筑紫桃太郎、片岡長次郎、市川市二郎、みやま昇吾、等々「実力者」の舞台を数多く見聞してきたが、「甲斐文太」の「実力」と「魅力」は彼らと比べて「優るとも劣らない」(一と言って二と下らない)代物である、と私は思う。5年前、私は甲斐文太(当時は座長・鹿島順一)について以下のように感想を述べた。「①座長・鹿島順一が登場しただけで、舞台はピリッと引き締まり、牡丹の花が咲いたようになる。瑞々しい男の立ち姿、上品な女の艶姿が、えもいわれぬ澄み切った色香を漂わせる。かつての映画スター・長谷川一夫、高田浩吉を足して二で割ったような風貌・芸風で、芝居・舞踊・歌唱とも斯界の第一人者と思われる。②芝居における「間のとり方」「力の抜き方」、舞踊における「体の動きの線」のあでやかさ、歌唱における「めりはり」のつけ方において、右に出る者はいない。「演劇グラフ」の案内にあるように、「芝居、舞踊、歌と三拍子そろった」名優である。*近江飛龍は「力の抜き方」において及ばない。舞踊では、見城たかし、南條光貴が迫っているが、「男」踊りでは及ばない。歌唱では、見海堂 駿が迫っている。③客の人気に迎合することなく、淡々と、しかも華麗な舞台を創り続けている姿には敬服する。(座員一同は)座長を筆頭に、やや「控えめ」、「力を溜めた」演技が魅力的である。「女形舞踊」を「安売り」することなく、「男」踊りの色香に賭けようとする演出は心憎いばかりである。」以来、5年が経過したが、その想いは全く変わらない。「甲斐文太」の《至芸》を数え上げればきりがない。芝居では「春木の女」のトラ、「噂の女」のまんちゃん、「浜松情話」の老爺、「三人芝居」の老婆、「心模様」の姑、「アヒルの子」の大家、「マリア観音」の安倍豊後守、「命の架け橋」の大岡越前守、「忠治御用旅」の国定忠治、「里恋峠」の更科一家親分、「三浦屋孫次郎」の飯岡一家用心棒、「木曽節三度笠」の鮫一家親分又は喜太郎、「越中山中母恋鴉」の旅鴉、「紺屋高尾」の久造、「人生花舞台」の老優又は清水次郎長、「関取千両幟」の関取稲川、「悲恋夫婦橋」の幇間、「仇討ち絵巻・女装男子」の家老又は敵役、「月とすっぽん」の平太郎、「新月桂川」、千鳥の安太郎・・・等々、舞踊では、「安宅の松風」(三波春夫)、「弥太郎笠」(鶴田浩二)、「ど阿呆浪花華」(金田たつえ)、「浪花しぐれ『桂春団冶』」(京山幸枝若)、「瞼の母」(二葉百合子)、「大利根無情」(三波春夫)、「刃傷松の廊下」(唄・鹿島順一)に始まる「忠臣蔵」の立花左近、俵星玄蕃、「人生劇場」(村田英雄)の吉良常・・・等々、歌唱では「瞼の母」(京山幸枝若版)、「無法松の一生」「男はつらいよ」「よさこい慕情」「恋あざみ」「明日の詩」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「東京レイン」「雪国」「ああ いい女」「北の蛍」・・・等々、文字通り「幅広い役柄を巧みにこなす」。しかも、その「巧みさ」は単なる小手先の芸にあらず、「ピリット筋の通った芸」であり、その口跡、表情、姿、歌声の数々は、は観客(私)の心中に、じわじわと染みわたって、消えることがないのである。それかあらぬか、「甲斐文太」は決してその《至芸》を記録に残そうとしないのだ。まさに「お見事!」という他はない。《至芸》は生の舞台が勝負、臨席した観客との「呼吸」で決まることを彼は熟知している。「甲斐文太」の《至芸》は「その場」でしか観ることができない、「滅びの美学」なのである。彼は「世の無常」を知っている。「身の程」も知っている。「みんな儚い水の泡」であることを知っている。《至芸》の源泉は、おそらく彼の「出自」に由来するであろう、また、これまでの(順風でなかった)「生業体験」が彼の芸域の広さを支えているのであろう。さらに言えば、「座長」としての「実力」(貫禄)も半端ではない。おのれは脇役・敵役に徹し、常に座員を引き立てる。「うちの座員はみんな個性的です。好き嫌いはあると思いますが、どうか平等に拍手をおくってやってください」。そんな心遣いに育まれてか、藤千之丞(現「三条すすむ劇団」)、蛇々丸(現「浪花劇団」)、春大吉(現「おおみ劇団」)らの座員が、「名優」の足跡をのこして旅立っていった。蓋し、座員の面々は「甲斐文太」とともにある(同じ舞台を踏んでいる)限り、誰でも「名優」になれるのである。妻女の春日舞子、重鎮の梅之枝健、長男の三代目鹿島順一、今やベテランとなった花道あきらはもとより、若手の赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉、新入りの滝裕二,壬剣天音に至るまで、(本人の自覚・精進がありさえすれば)、みな等しくその「可能性」を秘めているのである。また、「甲斐文太」は、座長時代の口上で述べていた。「役者は舞台が命です。どうか舞台の私を観てください。化粧落とせばただの人。スッピンの私に気づくお客様はほとんどいません」。その裏には、「舞台を下りれば五分と五分、客にへつらう(迎合する・媚びる)必要などあるものか」といった心意気が感じられ、私は心底から納得・感動する。斯界の通例は「客の送り出し」サービス、そこで愛想を振りまくことが「人気」のバロメーターになっているようだが、そんなことには全く無頓着、加えて「客の入り」(観客動員数)など歯牙にも掛けずに舞台を務める「気っ風」が、彼の「滅びの美学」を確固と支えているに違いないのである。(2011.5.30)



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2024-05-15

役者点描・女優・三河家諒、「変幻自在」の《三拍子》

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2024-05-14

役者点描・春大吉・《さらば大吉、グッド・ラック!》

「かしま会」ホームページの「お知らせ」に以下の記事が載った。〈〔甲斐文太〕【告知します】去年は蛇々丸、今年は大吉が辞めました。まあ何が有ろうと、三代目座長襲名して、まだ一年にも満たぬ半年目ですが、残ったみんなで頑張ります。どうぞ応援宜しくお願い申し上げます〉(2011.1.4)。また、春大吉の妻女・おおみ美梨も自身のブログで以下のように述べている。〈私の旦那 春大吉は今日で鹿島劇団を退団いたしました。本人の希望としては6月いっぱいまではと志願したそうですが、結果今日までとなりました。この先、色々あると思いますが、頑張っていきますので、よろしくお願いします。また何かありましたらご報告させていただきます〉(2011.1.4)。劇団にとって役者の離合集散は日常茶飯事だが、それにしても、今さらながら「怨みますまいこの世のことは、仕掛け花火に似た命、燃えて散る間に舞台が変わる、まして女はなおさらに 意地も人情も浮世にゃ勝てぬ みんなはかない水の泡沫 泣いちゃならぬと言いつつ泣いて 月に崩れる影法師」(「明治一代女」・作詞・藤田まさと)という謳い文句が、実感としてしみじみと想起される出来事であった。
「鹿島順一劇団」を見聞以来足かけ4年、当初、私は春大吉について以下のように寸評した。〈・春大吉:「源太時雨」は熱演。「セリフ回し」では、声量を「調節」することが肝要。ワイヤレスマイクを通してスピーカーから出る自分の声を「聞く」余裕が欲しい。「身のこなし」ひとつで「心」は表現できる。立ち位置、姿勢、目線の使い方など、座長の「技」を盗んで欲しい。「ボケ」から「つっこみ」への瞬時の「変化」、「静」と「動」の使い分けに期待する。「女形舞踊」は魅力的、自信を持ってよい〉。今、それらの課題を一つ一つ克服、見事な成長を遂げた「舞台姿」をもう観ることができないのか・・・。「命の架け橋」の主役・重罪人、「源太時雨」の主役・時雨の源太は言うに及ばず、「悲恋夫婦橋」、「浜松情話」「アヒルの子」の女形、「新月桂川」「里恋峠」「木曽節三度笠」の敵役、「心模様」の老け役、「人生花舞台」の花形役等々、数え上げればきりがない。舞踊でも個人では中性的な風情を通し続け、また組舞踊では「忠臣蔵」の浅野内匠頭、杉野十兵次、「人生劇場」の宮川、三代目座長とのコミカルな女形相舞踊等々、私の脳裏にはしっかりと焼き付いている。それもこれも、責任者・甲斐文太並びに名女優・春日舞子の薫陶の賜物であることは間違いあるまい。さて、「この先、色々ある」かどうか、これまでに培った「宝物」を糧にして、大きく羽ばたいてもらいたい。さらば、大吉!、グッド・ラック!!(2011.1.6)



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2024-05-13

役者点描・春日舞子・《名女優の極め付きは「ああ いい女」》

私が初めて「鹿島順一劇団」の舞台を見聞したのは、今から5年前(平成19年11月)、みのりの湯柏健康センター(千葉県)であった。客席はまばらで、芝居の流れも単調で、盛り上がりに欠け、その外題すら憶えていないというような有様であったが、ただ一点、「眼を開いたまま」盲目の女房を演じる、たいそう達者な女優がいることだけが、印象に残った。それゆえ、1回の見聞だけでは見限れず、その後も劇場に足を運ぶことになったが、なぜか11月公演の中盤から、舞台の景色は一変、「春木の女」「噂の女」「浜松情話」と、立て続けに「超一級品」の芝居を「見せつけられた」のには、恐れ入った。「この劇団はただものではない。大衆演劇界はもとより、大歌舞伎、新派、新劇、新喜劇、商業演劇・・・等々の大舞台と比べて、《優るとも劣らない》実力がある」ことを思い知ったのであった。これまで、大衆演劇といえば、芝居よりも舞踊の方に私の関心は惹きつけられていたのだが、「鹿島順一劇団」の芝居を見聞後は、私自身も一変した。「なるほど、こんなにいい芝居もあったんだ!」以来、「春陽座」「三河家劇団」「近江飛龍劇団」「樋口次郎一座」「劇団花車」「南條隆とスーパー兄弟」「沢竜二一座」「玄海竜二一座」「新川劇団」「大川竜之助劇団」「藤間智太郎劇団」「橘菊太郎劇団」「劇団朱雀」「劇団翔龍」「劇団颯」「劇団京弥」「橘小竜丸劇団」「都若丸劇団」、「見海堂駿&座笑泰夢」「劇団武る」「剣戟はる駒座」「劇団花吹雪」・・・等々、90余りの舞台(芝居)を見聞、みなそれぞれに「色が違い」、おのがじし「珠玉」の名舞台を展開していることを確認した次第である。なかでも、「鹿島順一劇団」の「芝居」の《出来栄え》は群を抜いていた。なぜなら「眼を開いたまま」盲目の女房を演じる、たいそう達者な女優、すなわち、(責任者・甲斐文太の妻女)春日舞子の存在が大きいからである。(事実、私が初見聞の時、印象に残ったのは、彼女の舞台姿だけであった)後になって分かったことだが、私が初めて見聞したあの芝居の外題は、「会津の小鉄」だったのだ。春日舞子の芸風を一言でいえば「楷書風」、《凜として》という形容は彼女のためにあるようなものである。芸域は広く、「会津の小鉄」の女房、「悲恋夫婦橋」の芸者、「マリア観音」の母親、「仇討ち絵巻・女装男子」の腰元、「春木の女」漁師の娘、「噂の女」の主人公、「命の架け橋」の老母、「忠治御用旅」、子分の女房、「心模様」、医者の嫁、「月とすっぽん」の下女・・・等々の「女役」は言うに及ばず、「黒髪道中・縁結び三五郎」の情夫、「幻八九三」の子分衆など「立ち役」までも器用にこなす。外題は思い出せないが、髭を生やした町医者を演じて「あっは、あっは、あっはー」と高笑いしながら退場していく姿も、私の目に焼き付いている。要するに「何でもござれ」といった懐の深さ、つねに焦点となってキリリと舞台を引き締める「実力」は半端ではないのだ。色香漂う芸者から、武家の腰元、野放図な漁師娘、ヤクザの姐御、神田明神の岡っ引き、弟の犠牲になって苦界に身を沈め淫売女と蔑まれる姉、信仰厚い盲目の老母・・・等々に至るまで、ありとあらゆる「女性像」を心情豊かに描出する。その舞台姿は、若水照代、富士美智子、白富士龍子、辰巳龍子、市川恵子、峰そのえ、北條寿美子・・・等々、斯界の実力者の中に入っても引けを取らず、松竹町子、藤経子、都ゆかり、富士野竜花、秋よう子、小月きよみ、深水つかさ、南條小竜、愛京花、大日向皐扇・・・等々、綺羅星の如く居並ぶ、人気女優陣の中でも、ひときわ光彩を放っている、と私は思う。肩を並べているのは三河家諒、葉山京香。大ベテラン、名人級の喜多川志保には「今一歩」及ばない、というところであろうか。「演劇グラフ」(2007年2月号)の情報によれば、春日舞子の初舞台は19歳、出自は役者の家系とも思われないが、よくぞここまでこられた、と感服する。夫・甲斐文太は同誌のインタビュー記事で以下のように語っている。〈(18歳で劇団を旗揚げして9年後)、劇団を解散されますが、きっかけは何だったんでしょうか?:親父がガンで亡くなって、まもなく僕が急性肝炎で倒れたんです。それから入院することが多くなり、これ以上迷惑はかけられないと考え、福井県の釜風呂温泉での公演を最後に劇団を解散しました。解散後、夫婦二人で北陸にあるホテルに専属で入れていただいて、宴会などの時に二人で踊らせてもらって、昼間は嫁(春日舞子)がホテルにある喫茶店で働かせてもらったりしていました。本当にこの時はお世話になりましたね。「芸は身を助ける」とはこういう事だと初めて思い知らされました〉。劇団再結成は平成3(1991)年だから、それまでの9年間は、そうした下積みの生活が続いたに違いない。なるほど、その時の「苦労」こそが、今の舞台模様に結実化していることを、私は心底から納得する。極め付きは、舞踊ショーの一場面、歌唱は甲斐文太、舞は春日舞子で、曲目は「ああ いい女」(詞・星野哲郎、曲・叶弦大)であろうか。その景色・風情には、北陸のホテル専属時代、「宴会などの時に二人で踊らせて」もらった舞台模様が、いとも鮮やかに浮き彫りされて、お見事!。どん底、地獄を見てきた者だけが契り合える(夫婦の)「絆」が、その歌唱と舞の中に「美しく綾なされ」、観客(私)は往時と現在の景色を二重写しに堪能できるのである。〈汽車は別れを告げたのに 愛はこれから始発駅 このままひとり帰したならば 他の男にだまされそうな うしろ姿で悩ませる 少しみだれた みだれた ああいい女〉という甲斐文太の歌声と、春日舞子の舞姿は、今でも私の脳裏にしっかりと刻み込まれている。感謝。(2011.6.8)



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2024-05-12

役者点描・名優・花道あきらは《一羽の鴉》

鹿島順一劇団」の役者、花道あきらは、昭和40(1965)年6月25日生まれ(宮崎県出身。血液型A型)、まもなく46歳になろうとしている。文字通り(油ののりきった)「男盛り」、今や劇団の中で「なくてはならない」存在となった。かつては、蛇々丸、春大吉と並んで、劇団の「三羽鴉」と見受けられたが、他の二人は新天地に飛び去り、今では、三代目座長・鹿島順一を支えなければならない「一羽の鴉」になってしまったのである。とはいえ、彼の「気性」「人柄」「芸風」には、ただならぬ《誠実さ》が感じられ、一羽で三羽分の「役割」を果たすであろうことは間違いない。5年前(平成19年11月)、私は彼の舞台を初見聞して、以下のように寸評した。〈「力を抜いた」演技に徹することが肝要。「つっこみ」から「ボケ」への瞬時の「変化」、「敵役」「汚れ役」にも期待する。「女形舞踊」は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉。当時は、「力みすぎ」「一本調子」な口跡、所作が目立ち、観ている方が疲れてしまう雰囲気であったが、昨今の舞台では「力が抜け」、自然体で「飄々」とした演技が、彼独特のユニークな景色を描出している。主役では「三浦屋孫次郎」、「長ドス仁義」の三下奴、「月夜の一文銭」の嵯次郎、「浜松情話」の嫁探し親分、「花の喧嘩場状」の二代目親分・・・等々、を演じ、その「誠実で一途な」風情が、客(私)の心を温める。敵役では、「命の架け橋」の十手持ち、「里恋峠」の川向こう一家親分、「新月桂川」の蝮の権太・権次、「忠治御用旅」の役人、「仇討ち絵巻・女装男子」のスケベ侍、「悲恋夫婦橋」の成金・・・等々、悪は悪でも、どこか憎めない空気が漂う。敵役とは言えないが、「木曽節三度笠」、喜太郎の義兄、「噂の女」の弟のような、身勝手で他人の気持ちなど考えようともしない人物を演じさせたら、彼の右に出る者はいないのではないか。「噂の女」では、それまで他人の噂を信じ、旅役者と駆け落ちしたとばかり思っていた姉が、実は、自分の病気治療代を調達するために身売りしたことを知って号泣、そのあと、黙って姉の草履に着いた泥をぬぐう姿は、いつまでも私の目に焼き付いて離れない。
脇役では、「春木の女」の大店店主・慎太郎、「人生花舞台」の次郎長親分、「あひるの子」の社長、「マリア観音」の岡っ引き、「恋の辻占」の時次郎・・・等々、またまた「人情味」溢れる景色を描出、ほんのちょい役でも「心模様」の巡査、「関取千両幟」序幕の芸者姿で、舞台に色を添えている。まさに、劇団では「なくてはならない」存在になるまで、精進・成長した《証し》であろう。蓋し、「お見事!」と言う他はない。ことの真偽はともかくとして、劇団責任者・甲斐文太が座長時代、敵役に回って曰く、「誰のおかげで、いい役やっていられると思っているんだ、え?宮崎で、スナックのマスターやっていたところ、誰が、今までにしてやったんだ!」そのセリフを聞いて、主役の花道あきら、思わず噴き出して後を向く。また、家来役の花道あきらに向かって曰く、「おい!○○○○!」その時もまた、彼はビックリして噴き出した。後の口上で甲斐文太の話。「お客様にはわからないでしょう。○○○○というのは、彼の本名です。ちょっと気合いを入れてやりました」。いずれにせよ、甲斐文太の言葉の底には、「花道あきら(の成長)が可愛くて(嬉しくて)たまらない」という想いが感じられ、こちらまでその喜びを頂いた気分になるのである。
 前出の寸評で〈女形舞踊は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉と、私は述べた。女形舞踊では「ある女の詩」(美空ひばり)が秀逸。立ち役舞踊では、「力は抜けた」が、まだ「単調」である。歌詞の内容を吟味して、一つ一つの言葉が「姿」に表れるように・・・。。個人舞踊は、自分が主役の「独り舞台」、相手がいなくても芝居をしているような気持ちで、「三分間のドラマ」を演出してもらいたいと、私は思う。(2011.6.7)



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2024-05-11

役者点描・若手・赤胴誠にやって来た《正念場》

赤胴誠が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成20年2月頃であったか・・・、だとすれば、それ以来3年4カ月が過ぎたことになる。「石の上にも三年」という言葉どおりに、彼はよく辛抱した、と私は思う。赤胴誠の特長はいくらもあるが、その一番は、何と言っても、斯界屈指の実力者・甲斐文太(当時は座長・二代目鹿島順一)を自分の師匠に選んだことである。その元でどんな修業を積んだか私は知らない。どんな苦労があったかも、私は知らない。、彼のデビューは、まず舞踊ショー、裏方の「アナウンス」からであった。当初は、たどたどしく、声量・口調、タイミングも不安定だったが、ほぼ2カ月ほどで、彼の「アナウンス」は、堂に入ってきた。ややもすると、この「アナウンス」は軽視されがち、肝腎の演者名、演目名が、音曲のボリュームにかき消されて、聞き取りづらいきらいがあるのだが、彼の口跡はあくまで明快、明瞭、しかも淡々として出過ぎることなく、舞台模様を引き立てていた。この役割は重く、「風見劇団」「市川千太郎劇団」「一見劇団」などでは太夫元、後見役らが担当するほどだが、彼は「鹿島順一劇団」の「裏方アナウンサー」として、よくその重責を果たしている。その結果、「イチ声、二振り(顔)、サン姿」と言われる役者の条件のうち、まずは「イチ声」をクリアすることができたのだ、と私は思う。役者によっては子役のうちから、斯界独特の「クサイ言い回し」をたたき込まれるケースもある中で、彼の声(口跡)は、あくまで「自然体」、その素人っぽい「初々しさ」が、なんとも魅力的な空気を醸し出していることは間違いない。さて、「雌伏三年」、赤胴誠は平成22年10月公演(ジョイフル福井)の舞台で、「華々しく」といった雰囲気とはおよそ関わりなく、(私にとっては極めて唐突に)「芝居デビュー」を果たした。外題は「幻八九三」。かっこいい兄(三代目鹿島順一)のようになりたいとヤクザに憧れたが、やがてそれが「幻」と消えてしまう未熟な若者という役回りで、彼は精一杯、座員の面々と「五分に渡り合う」演技をしたのであった。当時綴った私の感想は以下の通りである。〈私が驚嘆したのは、弟・伊之助こと赤胴誠の成長(変化)である。俗に、役者の条件は「イチ声、二振り、サン姿」というが、いずれをとっても難が無い。未熟な役者ほど、声(口跡・セリフ)だけで芝居を演じようとするものだが、今日の赤胴誠、「振り」も「姿」も初々しく、その場その場の「心情」がストレートに伝わってくる。例えば、親父に向かって「十両くれ!」とあっけらかんにせがむ「青さ」、十手持ち親分を「なんだ、この女」と見くびる「軽さ」、兄・伊三郎の立ち回りを、へっぴり腰で応援する「熱さ」、一転、捕縛された兄貴の惨めな姿に号泣する「純粋さ」等々、未熟で頼りない若衆の風情を「そのまま」舞台模様に描出できたことは、素晴らしいの一言に尽きる。雌伏三年、師匠・甲斐文太、諸先輩の「声・振り・姿」を見続けてきた研鑽の賜物であることを、私は確信した。甲斐文太は「今日の出来は30点」と評していたが、なによりも、他の役者にはない「誠らしさ」(個性)が芽生えていることはたしかであり、そのことを大切にすれば貴重な戦力になるであろう。客の心の中に入り込み、その心棒を自在に揺さぶることができるのは、役者の「個性」を措いて他にないからである。芝居の格、筋書としては「月並み」な狂言であっても、舞台の随所随所に役者の「個性」が輝き、客の感動を呼び起こす。それが「鹿島劇団」の奥義だが、今や新人・赤胴誠も、それに向かって「たしかな一歩」を踏み出したことを祝いたい〉。
その時から、さらに8カ月が経過した今、彼はどのような舞台姿を見せているだろうか。蛇々丸、春大吉らのベテランが抜け、新人の壬剣天音が加入といった「流れ」の中で、いつまでも「新人」ではいられない。座長・三代目鹿島順一の相手役として「五分に渡り合う」実力、気力が求められるのだ。舞踊ショーで演じる、座長との「殺陣」はその一例であろう。しかし、芝居「紺屋と高雄」の鼻欠けおかつ、「新月桂川」の源次(弟分)、「源太しぐれ」の子連れ素浪人(盲目)、「関取千両幟」のふんどし担ぎ・・・等々への「挑戦」は、自然のなりゆきとは言え、油断は禁物である。おそらく、師匠の甲斐文太は、「今日の出来は30点」、もしくは「それ以下だ」と評するに違いない。先輩が残していった財産(伝統)を確実に受け継ぎ、それをみずからの「個性」によって、さらに発展させること、それが、若手・赤胴誠に課せられた「課題」であり「使命」である、と私は思う。彼の「声」「振り(顔)」「姿」に不足はない。それを、どのように磨き上げ、数ある「名狂言」の中に「結実化」させるか・・・、そのためには「六十一・賀の祝」の弟役から、「人生花舞台」の花形役者、さらには「命の架け橋」の重罪人、「春木の女」の《つっころばし》の役柄に至るまで果敢に挑み続け、やがては「自家薬籠中のもの」(十八番)として仕上げなければなるまい。願わくば「芸道一筋」、まさに、赤胴誠の「正念場」がやって来たのである。(2011.6.14)



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2024-05-10

役者点描・新人女優・春夏悠生に求められる《思い切り》

「鹿島順一劇団」の女優は、筆頭が春日舞子、つづいて弟子の春夏悠生、幼紅葉の三人である。春夏悠生は「シュンカ・ユウキ」と読む。千葉県市原市出身、誕生日は11月26日、血液型B型、初舞台は18歳とのことだが、それ以外の詳細を私は知らない。以前には、香春香、生田春美といった新人女優がいたが、いずれも長続きしなかった。しかし、春夏悠生は少なくとも3年間は、耐えている。文字通り「石の上にも三年」という気配で、ようやく、その舞台姿が「絵」になってきたようだ。当初は、緊張のためか「笑み」にとぼしく、「色香」に欠けていたが、最近では「呼吸」も整い、見応えのある風情を醸しだしつつある。芝居では、「源太時雨」の不貞妻、「アヒルの子」の間借り人妻のように、ふがいない亭主を、けんもほろろに「一喝」する風情は格別、それまで、しおらしく装って いたが、突如として本性を現すといった「変化」(へんげ)の妙を垣間見せている。「芸風」はまだ未完成(未知数)だが、可憐な娘役というよりは、したたかな「悪女」「毒婦」、「三枚目」の方が向いているかも知れない。とはいえ、風貌は上品で美形、「仇討ち絵巻・女装男子」の武家娘、「浜松情話」の茶屋娘、「明治六年」の半玉芸者、「黒髪道中・縁結びの三五郎」の恋女房、「悲恋流れ星」の盲目娘、「新月桂川」一家親分の娘・・・等々、彼女の「はまり役」に事欠くことはない。また、「長ドス仁義」の「ちょい役」、宿屋の女中でも「はーい、ただ今」などと爽やかな声を出しながら、一向に客の求めに応じようとない、そのあっけらかんとして無責任な様子が、いかにも今風で面白かった。いずれにせよ、師は劇団の名女優・春日舞子である。その後を継ぐ(恩を返す)ためには、「春木の女」の漁師娘・おさき、「噂の女」のお千代たん、「悲恋夫婦橋」の芸者といった「大役」に(とりあえずは年相応の「若役」から、(果敢にも)挑戦することが不可欠だと思われる。この1年、とりわけ「舞踊・歌謡ショー」で、彼女の出番は少なかった。「裏方」に回ることが多く、照明、着付け、音響、整理、等々を手際よくこなすことによって、劇団の「名舞台」を、陰から支えていたのであろう。それもまた「実力」のうちであり、そうした「下働き」こそが「芸の肥やし」になることを肝銘しなければならない、と私は思う。舞踊ショー、彼女の演目は、相舞踊が多く、幼紅葉との「気まぐれ道中」「くれむつ小町」「可愛いベービー」「おきゃん」、赤銅誠との「ほの字のほ」が定番である。それらは全体プログラムの「彩り」として貴重であり、たいそう魅力的だが、春夏悠生でなければならない「当たり芸」も観てみたい。彼女の個人舞踊の演目は「明治桜」「男の激情」(立ち役)、「いろは坂」「私が生まれて育ったところ」「桃色ガラス」くらいであろうか。いずれも「達者」にはなってきているが、今一歩の「説得力」が足りない。客に訴える《眼目》が何か、はっきりしないのだ。いうまでもなく、個人舞踊は、自分一人で主役を張れる「三分間のドラマ」であり、出番が少なければ少ないほど、客の「集中度」「期待度」は増すものである。それゆえ、「この一番」に賭ける気迫が欲しい。個人舞踊はもとより、組舞踊、相舞踊でも、「客の視線を独占してやろう」という意気込みがあってこそ、艶やかで、爽やかな舞台模様を描出できるのだから・・・。「かしま会ホームページ・」観劇レポ」を見ていたら、唯一(ただ1回)、相舞踊「吉良の仁吉」(座長・鹿島順一)という記録があった。もしかして、吉良の仁吉が三代目鹿島順一、女房お菊が春夏悠生、音曲は「吉良の仁吉」(作詞・荻原四朗、作曲・山下五郎)、歌は美ち奴(最善)?、それとも三門忠司(次善)? 。いずれでもよい、もしそうだとしたら、その舞台こそ、春夏悠生が「当たり芸」を磨き上げる千載一遇のチャンスに他ならない。吉良の仁吉は二十八、お菊十八歳。「嫁と呼ばれてまだ三月 ほんに儚い夢のあと 行かせともなや荒神山へ 行けば血の雨涙雨」といった愁嘆場を描出できるのは、「自分しかない」と言い聞かせ、三代目鹿島順一と「五分で渡り合う」《思い切り》(捨て身の思い上がり)が、今、春夏悠生に求められているのではないか。「鹿島順一劇団」に居るかぎり、名優への道は、いつでも、どこでも、誰にでも開かれている。そのことを誇りとして、研鑽・精進に励んでいただきたい、と私は思う。(2011.6.11)




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2024-05-09

役者点描・座員・滝裕二の「人生劇場」

滝裕二が「鹿島順一劇団」に加入したのは、いつの頃であっただろうか。たしか、太平洋健康センターいわき蟹洗温泉(福島県)だったような気がする。だとすれば、それは平成21年6月公演の時、すなわち今から2年前のことだ。その間、彼は見事なほど、「端役」「裏方」に徹してきた。「端(はした)役者」の条件は、「目立たない」ことである。「スポットを浴びない」ことである。少しでも、主役が引き立つように、つねに自分の「立ち位置」を定めなければならない。彼の、芝居での役柄は、ほとんどが「その他大勢」の中の「斬られ役」で、セリフがあっても「へえ」「わかりやした」で終わってしまう。(これまで私が見聞した限りでは)唯一、彼が、まともに登場人物を演じたのは、「悲恋流れ星」の冒頭場面、妹(盲目)の眼を治そうと田舎から出てきた旅の途中で、ならず者に襲われ、懐に入れた治療の金ばかりか、命まで盗られてしまう兄、といった気の毒な役回りであった。そのとき、私は初めて彼の「声」(口跡)を、じっくりと聞くことができたのだが、「悪くない」。素朴で、弱々しく、それでいて「妹思い」の温もりを十分に感じとることができたのだった。「かしま会ホームページ」の「劇団紹介」では、〈滝裕二(たきゆうじ)【4月22日生まれ】〉とあるだけで、彼の詳細は何もわからない。出自、年齢、芸歴・・・などなど一切は不明だが、その風貌からして年齢は四十歳台、舞台歴もあり、と見受けられるが、劇団の(芝居の)中では「目立たない」。まずは、それでいいのだ、と私は思う。だがしかし、話はそれで終わらない。場面が変わって「舞踊・歌謡ショー」。責任者・甲斐文太の「芝居では端(閑職)、その分は舞踊で取り戻せ!(主役を張れ)」といった配慮があるかどうかはともかくとして、彼の出番(個人舞踊・歌唱)は確実に保障されている。それかあらぬか、この1年間で彼が演じた「曲目数」は、以下の通り、三十を優に超えている。「かしま会ホームページ」の「観劇レポ」を参照すると【舞踊】1・のろま大将(大江裕)、2・夕焼け大将(大江裕)、3・東京無情(三門忠司)、4・雨の大阪(三門忠司)、5・俺の出番が来たようだ(三門忠司)、6・佐渡の舞扇(鳥羽一郎)、7・俺の人生始発駅(鳥羽一郎)、8・河内一代男(鳥羽一郎)、9・流氷子守唄(山川豊)、10・暴れ獅子(大泉逸郎)11・荒野の果てに(山下雄三)、12・男と男(宮路オサム)、13・男一代(北島三郎)、14・神奈川水滸伝(北島三郎)、15・関東流れ唄(北島三郎、16・東京流転笠(大川栄策)、17・てなもんや三度笠(藤田まこと)、18・木曽恋三度笠(香田晋)、19・時雨の半次郎(五木ひろし)、20・おしどり(五木ひろし)、21・あのままあの娘とあれっきり(氷川きよし)、22・やじろべえ(日高正人)、23・酔歌・ソーラン節入り(吉幾三)、24・赤い椿と三度笠(三波春夫)、25・男朝吉(村田英雄)、26・人生劇場(村田英雄)、27・紬の女(竜鉄也)、28・命の華(テ・ジナ)、29・あばれ太鼓(坂本冬美)、30・股旅(天童よしみ)、31・望郷玄海節(椎名佐千子)、32・大阪純情(キム・ランヒ)、33・一本刀土俵入り(島津亜弥)、34・浮世ばなし(歌手不詳)、35・昭和残侠伝(歌手不詳)、36・よろずや紫舟お目通り(よろずや紫舟)【歌唱】1・「高校三年生」、2・「そしてめぐりあい」ということであった。なるほど、その多種多様さ(レパートリーの広さ)は「半端」ではない。本人に尋ねれば「もっとあります」と言うだろう。それもまた、彼の「目立たない」実力に違いない。(加えて【歌唱】力は十分に魅力的である。)だがしかし、である。その多彩な「演目」のわりには、印象に残る作品が少ないのはなぜだろうか。彼の努力が「結実化」しないのはなぜだろうか。不足しているものは、ただ一点、「俺の出番はきっと来る」という固い信念、歌詞の世界を「体(表情・振り、所作)だけで」伝えようとする意欲・工夫の積み重ねだと、私は思う。レパートリーの中の一曲でよい、これだけは誰にも負けない、という演目を「一点集中」して磨き上げる努力が必要ではないか。責任者・甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」、座長・三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」「大利根無情」等…、は、いつ観ても、何度観ても、飽きることはない。そのような「至芸」をお手本にして、滝裕二ならではの「演目」を極めてもらいたい。その暁には、おのずから芝居での「端役」にも磨きがかかり「俺の出番が来たようだ」という段取りになることは、間違いないだろう。というわけで、さしあたっての「歌謡・舞踊ショーは」、滝裕二にとっての「人生花舞台」、俗謡を贈って締めくくりたい。「はした役者の俺ではあるが、『かしま』に学んで 波風受けて 行くぞ男のこの花道を 人生劇場いざ序幕」。(2011.6.12)



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2024-05-08

役者点描・脇役の重鎮、梅之枝健は「いぶし銀」の輝き

梅之枝健、「鹿島順一劇団」の責任者・甲斐文太が、「大先輩」と奉る老優である。「演劇グラフ」(2007年2月号)では、〈昭和11(1936)年1月29日生まれ。大分県出身。血液型O型〉〈この世界に入ったきっかけは?:友達がある劇団にいたから。初舞台は?:19歳〉と紹介されている。だとすれば、彼は、今年75歳、舞台生活も56年目に入るということか。梅之枝健が初舞台を踏んだのは昭和30年、まさに、その時、二代目座長・鹿島順一(現・甲斐文太)が生まれているのだから、「大先輩」に違いない。勝手な想像を巡らせば、梅之枝健こそ、初代・鹿島順一の舞台を知り尽くしている「生き証人」、その芸に惚れ込んで座の一員となったか。二代目座長が旗揚げ以来、陰になり日向となって、劇団を支えてきたか。いずれにせよ、五十余年に亘る彼の舞台歴は、今、脇役の重鎮として、いぶし銀のような輝きを放っていることは確かである。私が彼の舞台を初見聞したのは5年前、芝居の演目は「会津の小鉄」、小鉄の兄貴分という役柄であった。小鉄が名張屋新蔵に愚弄されたことを、小鉄の女房に伝えに来る、登場したのは、ただそれだけの場面、荒々しい風情だけが印象に残り、ただの端役者ではないかと思っていたのだが・・・。それは(私の)全くの見誤り、端は端であっても、「筋金入り」の端であったのだ。いうまでもなく主役だけで芝居はできない。「ほんのちょい役」「その他大勢役」こそが舞台の景色を際だたせる。老優・梅之枝健は、ただひたすら「端役」に徹し、今でも立ち回りに(「斬られ役」として)参加する。そればかりではない。数ある名舞台の中で、「彼でなければならない」役柄が確固として存在する。たとえば、芝居「春木の女」の亭主(元網元)役。浜の若者たちの前では、風の読み方(天候の予測)を伝授できるほどの経験者なのに、女房(トラ・甲斐文太)の前では、からきし意気地が無く、「アンタは養子!、黙ってらっしゃい、この甲斐性なしが!」などと一括されて縮み上がる。そのコミカルな風情はなんともいえず魅力的、だが、そのままでは終わらない。娘・おさきが「捨て子」であったことをトラが暴露したときには激高した。「それだけは言わない約束ではなかったか!もういい!こんな家なんて出て行ってやる。おさき、ワシと一緒に出て行こう」と引導を渡す光景は、思い出すだけでも涙が滲んでくる。つづいて、芝居「仇討ち絵巻・女装男子」は芸者置屋の「おとうさん」、「噂の女」で《一芝居打つ》おじさん(弟の嫁の父)、「忠治御用旅」では、忠治子分の女房に横恋慕する敵役、時には「月夜の一文銭」の岡っ引きも達者にこなす。最近の「明治六年」では、新人・幼紅葉(13歳)を相手の夫婦役(コミカルな悪役)まで演じ切るとは・・・。感嘆する他はない。舞踊ショー、個人舞踊では「白塗り」「若作り」の風情で、さりげなく、裾の「浮世絵」(歌麿風)を垣間見せる「立ち役」が、たまらなく「粋」であったが、最近は裏方に回りがち。「女形大会」で魅せたあの艶姿、組舞踊「美幸の阿波おどり」ではウキウキと、一際目立つ舞姿は、今でも私の目にしっかりと焼き付いている。
大衆演劇界での老優といえば、金井保、若葉しげる、高峰調士、大道寺はじめ、中野ひろし、白富士京弥、初代・姫川竜之助・・・等々、枚挙に暇がないとはいえ、彼らはいずれも元座長クラス。名脇役(筋金入りの端役者)の老優で、まず梅之枝健の右に出る者はいないであろう、と私は思うのである。(2011.6.9)
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2024-05-06

役者点描・知る人ぞ知る、名優・蛇々丸の「つっころばし」

斯界(大衆演劇界)の名優・蛇々丸は、今頃どうしているだろうか。私が彼の舞台姿を初めて観たのは、平成19年11月、みのりの湯柏健康センターであった。「鹿島順一劇団」公演で、芝居の演目は、「会津の小鉄」。前景は小鉄の女房が自刃、「私の首を手土産に、男を立てておくんなさい」という切ない愁嘆場の景色で終わった。それとは打って変わって「つなぎ」の明るい場面に登場。京都で一稼ぎしようとやって来た素浪人・宮本ムサクルシという役柄であった。当日は、なぜか客と劇団の呼吸がかみ合わず、全体的に盛り上がりに欠けた出来栄えであったが、春日舞子と蛇々丸の演技は光っていた。舞子は小鉄の女房役、「目を開けたまま」盲目の風情を醸し出す、健気な女性像を見事に描出する。一方の蛇々丸は、腹を空かせた貧乏侍、薄汚れた衣装ながら、色欲だけは人一倍旺盛とみえて、通りかかった年頃の娘(実は、小鉄の仇敵・名張屋新蔵の愛娘・三代目鹿島虎順)に「まとわりつく」といった(損な)役柄であったが、「表情・仕種だけで笑いを誘う」姿が、彼の「実力」を十分に窺わせていた。以来、3年、私が「鹿島順一劇団」の舞台を観続ける羽目になったのは、蛇々丸の「存在感」あふれる、個性的な艶姿に惹かれたことも、その大きな要因の一つだといえる。芝居「忠治御用旅」の十手持ち、「大江戸裏話・三人芝居」の老爺、「あひるの子」の間借り人役では、斯界きっての実力者・二代目鹿島順一(現・甲斐文太)と五分に渡り合い、「一羽の鴉」「心もよう」「新月桂川」では主役・準主役、「源太しぐれ」「月とすっぽん」「人生花舞台」「噂の女」「紺屋高尾」「命の架け橋」では敵役、脇役、汚れ役、ちょい役等々、彼の十八番を数え上げればきりがない。中でも、天下一品、「蛇々丸でなければならない」のは、「春木の女」に登場する、京都大店の若旦那、いわゆる「つっころばし」の舞台姿であった、と私は思う。「つっころばし」とは「歌舞伎の二枚目の役柄の一。年若で突けば転がるような柔弱な男の役」(「スーパー大辞林」)の意。大店の次男坊として嫁取りの段になり、周りから「どうする、どうする!」と責め立てられてノイローゼ気味、気分転換に「釣り」でもと、春木の海にやってきた。息も絶え絶えな風情は、文字通り「つっころばし」で、その色香、滑稽さは「群を抜いて」いた。対照的なのが、漁師(没落した網元)の娘・おさき(春日舞子)、男勝りの気性で「可憐な」風情とは無縁だが、心底には、朴訥とした「親孝行」の温かさが流れている。加えて、その義母(甲斐文太)、義父(梅の枝健)、義妹(三代目鹿島順一)、若旦那の兄(花道あきら)らの、清々しい「人情模様」に彩られて、二人(若旦那とおさき)の愛が成就するという按配であった。それゆえ、蛇々丸の「つっころばし」は、舞子、文太、健、順一、あきら、といった他の役者連の中(チームワーク)でこそ「輝く」代物であったことは言うまでもない。蛇々丸自身、「演劇グラフ」(2007年10月号)のインタビュー記事で以下のように述べている。〈僕は「近江飛龍劇団」の魅せる、インパクトのある芝居、そして、「鹿島順一劇団」のジワジワと心にしみてきて最後に盛り上げる芝居から、両方の劇団のいいところを吸収できたと思いますね。役者をやる上で、本当にいい環境ですよね。いい経験をさせてもらったと思います。(略)僕は職人肌なので、舞台に立っているかぎりは、できるかぎりの事をしたい〉。記事の副題には「舞台では職人でありた」という言葉も添えられていた。多くの役者が名字(屋号)を持っており、本来なら「近江蛇々丸」とでも名乗るところだろうが、芸名は、あくまで(子役もどきの)「蛇々丸」(その由来・彼の干支は巳)でしかない。おそらく彼のモットーは、親分無しの子分なし、「一匹狼」の「職人芸」を極めることなのだろう。それが直截に具現されるのが個人舞踊。定番の「こころ」(唄・五木ひろし)は「立ち役舞踊」の名品、長丁場の「安宅の松風」(唄・三波春夫)は、弁慶・富樫・義経を踊り分ける「至芸の逸品」として、私の胸中・脳裏から離れない。文字通り「職人芸」の極め付きだと、私は確信している。さて、蛇々丸は、平成22年に「鹿島順一劇団」を退き、「浪花劇団」(座長・近江新之介、蛇々丸の実弟)に移ってしまった。はたして、今、どのような舞台姿を見せているだろうか。気がかりなことではある。(2011.1.31)



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2024-05-05

役者点描・女優・葉山京香、舞踊の《至芸》

大衆演劇の舞台で演じられる「舞踊」は、俗に「創作舞踊」「新舞踊」などと呼ばれ、本来の「日本舞踊」とは一線を画しているようだが、下世話な私の鑑賞眼からみれば、前者の方が、よほど取っつきやすく親しめる。そこで使われる音曲は、ほとんどが巷に流れている「流行歌」、しかも「愛別離苦」「義理人情」を眼目にした「演歌」「艶歌」「怨歌」の類だからである。聴くだけでは「ナンボのもん?」と思われるような音曲であっても、それに件の「創作舞踊」「新舞踊」なる代物が添えられることによって、たちまち、名曲に変貌してしまうのだから、面白い。たとえば「チャンチキおけさ」(三波春夫)、たとえば「ヤットン節」(久保幸江)、たとえば「島田のブンブン」(小宮恵子)・・・等々、数え上げれば切りがない。まして、その音曲が「聴くだけで価値がある」名曲ともなれば、それに至芸の舞踊が加わることによって、珠玉の名舞台(三分間のドラマ)が展開することになるのである。斯界・女優陣の中で、ひときわ舞踊に長けているのは誰だろうか。(下世話な鑑識眼しか持ち合わせていない)私の「独断と偏見」によれば、その筆頭は喜多川志保(「劇団天華)、続くのが、三河家諒(「三河家劇団」)、葉山京香(「演劇たつみBOX」)、春日舞子(「鹿島順一劇団」)、浪花めだか(「浪花劇団」)である。この五人人に共通しているのは、「音曲に対する思い入れ」であろうか。音曲をバックに踊る(身体表現する)のではなく、音曲そのもの世界を(所作と表情で)「心象表現」しようとする心意気と技である。葉山京香(昭和43年生まれ)は、劇団のホームページ(座員紹介)の「私のココを見て」欄で〈女心の優しさと淋しさの思いを込めた踊り〉と記している。私はこれまでに、彼女の舞台を3回、見聞している。1回目は平成20年11月、森川京香という芸名で、「森川劇団」に居た時であった。以下は、その時の感想である〈【森川劇団】(座長・森川凜太郎)〈平成20年11月公演・浅草木馬館〉(前略)舞踊ショー、若手・森川梅之介の「立ち役」の艶姿、女優・森川京香の「酒場川」(唄・ちあきなおみ)の「素晴らしさ」が強く印象に残った。(後略)〉2回目は、平成21年9月、浅草木馬館の舞台であった。以下はその時の感想である。〈【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成21年9月公演・浅草木馬館)(前略)ブログ情報によれば、今年三月から嵐山瞳太郎、紫野京香という新メンバーが加わった由、彼らはこれまで森川梅之介、森川京香という芸名で「森川劇団」(座長・森川長二郎)にいたとのこと、なるほど先日、「森川劇団」の舞台を横浜・三吉演芸場で見聞したとき、「どこか物足りない」感じがしていたが、そのような事情があったのか。とまれ、「たつみ演劇BOX」にとっては、メニューに新しいトッピングがプラスされた風情で、いっそうの充実が期待できるだろう。とりわけ「舞踊ショー」での紫野京香は「絶品」、それぞれの音曲にあわせて、どこか「物憂げな」「うら寂しい」景色の描出では、右に出る者はないのだから。加えて、前回(今月公演で)見聞した「愛燦燦」(唄・美空ひばり)のような洋舞曲を、「和風」(表情豊か)に「踊りきってしまう」実力は、半端ではない。(後略)〉。そして3回目は、平成22年2月、大阪・鈴成座の舞台であった。以下はその時の感想である。〈【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成22年2月公演・大阪鈴成座〉満座劇場の「劇団澤宗」(座長・澤村城栄)も見聞したかったが、どうしても紫野京香の舞台姿を「拝見」したかったので、こちらに来てしまった。(中略)加えて舞踊ショー、辰巳小龍の「湯島の白梅」、紫野京香の「命くれない」は珠玉の名品、それを見聞できただけでも来場した甲斐があったというもの、大いに満足して帰路についた次第である〉。この時、紫野京香という芸名は、なぜか葉山京香に改まっていた。というわけで、要するに、私がこれまでに見聞した葉山京香の舞踊は、「酒場川」(ちあきなおみ)、「愛燦燦」(美空ひばり)、「命くれない」(瀬川瑛子)の3曲に過ぎないのである。にもかかわらず、私はその舞台が忘れられない。たとえば、「酒場川」、歌唱力では右に出るものなし、といわれた、ちあきなおみの「名曲」である。ともすれば、その音曲の素晴らしさに踊りがついていけなくなるのだが、(当時の)森川京香の舞台は違っていた。「あ〇た〇憎〇と〇〇と〇さ か〇だ〇な〇を〇れ〇す 子〇の〇う〇捨〇ら〇た 女〇恋〇み〇め〇を 酒〇泣〇た〇酒〇川 男〇心〇読〇な〇で お〇れ〇だ〇の〇で〇た 死〇よ〇辛〇裏〇り〇 怨〇で〇て〇無〇な〇ね 涙〇ぼ〇る〇場〇 私〇暮〇し〇ア〇ー〇で あ〇た〇誰〇い〇の〇しょう グ〇ス〇酒〇酔〇し〇て 心〇傷〇洗〇た〇 ネ〇ン〇し〇酒〇川」(詞・石本美由紀。曲・船村徹)と唄う、ちあきなおみの「歌声」が、森川京香の「舞」によって、いちだんと鮮やかな景色を映し出す。観客(私)は、真実、彼女の「表情」「所作」をとおして、「からだのなかを流れる憎さ、いとしさ」「捨てられた子犬」「死ぬより辛い裏切り」「私と暮らしたアパート」「グラスの酒」「心の傷」「ネオン悲しい酒場川」を「目の当たり」にすることができるのである。まさに「歌声」と「舞」が渾然一体となって「結晶化」する、珠玉の名品に仕上がっていた。その風情をたとえれば、竹久夢二の「美人画」が動き出した感じとでもいえようか・・・。そのことは「愛燦燦」(詞、曲・小椋桂)でも変わらない。私は、〈「愛燦燦」(唄・美空ひばり)のような洋舞曲を、「和風」(表情豊か)に「踊りきってしまう」実力は、半端ではない〉と前述したが、どちらかといえば、自信たっぷりな「人生謳歌」然とした原曲の風情を、彼女はその「舞」によって一変させてしまう。そこで描出される人生とは、あくまでも旅役者・紫野京香の「人生」であり、どこまでも「控えめ」、つつましく、おくゆかしく、時によっては「たよりなげに儚く」、「水の泡沫」のような人生なのであった。ここでは、明らかに「舞」が「歌声」(美空ひばり)を超えている。(私にとっては)「聴くだけではナンボのもん?」と思われる音曲を、「舞」によって光り輝かせることができた典型的な事例だった。同様に「命くれない」(詞・吉岡治、曲・北原じゅん)も然り。音曲自体は「夫婦の絆」を眼目にした、浪曲風(?)ド演歌、かの有名な梅澤富美男も作品を残しているが、その出来栄えは「原曲」の域を超えてはいない。いわば「音曲」と「舞」が〈持ちつ持たれつ〉の関係で留まっている段階だが、ひとたび葉山京香の「手」にかかると、その「浪曲風ド演歌」が、「夫婦の絆」の「儚さ」「危なさ」までをも描出する「名曲」に変化(へんげ)してしまうことは間違いない。文字通り「女の優しさと淋しさの思いが込められた」、夢二風の艶姿(世界)が浮かびあがり、「聴くだけではナンボのもん?」と思われた「命くれない」もまた、「愛の無常」を眼目にした名曲となったのである。しかも、彼女の舞台は「陽炎」のように、儚く、たよりなげである。(私の独断と偏見によれば)女優・葉山京香の「役者人生」もたよりなげ・・・、ここ3年の間に3回も改名したのはなぜ?、いつも舞台に出るとは限らないのはなぜ?、もしかして病身?、もしかして「引退』間近か?。「謎」は深まるばかりだが、それもまた役者にとっては「魅力」(芸)のうちであろう。いずれにせよ、葉山京香の「至芸」を鑑賞できるのは「至難」のこと、よほどの幸運にめぐまれた時でなければ無理ではないだろうか。願わくば、「たつみ演劇BOX」・舞踊ショーの舞台を、一日も早く、また長期にわたって御照覧あれ。グッド・ラック!(2011.7.10)



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2024-05-04

役者点描・名人・喜多川志保、至芸の真髄は《無我》

女優・喜多川志保は、大衆演劇界の「名人」である。と言っても、彼女を知るファンは多くないだろう。おそらく、彼女は高齢、風貌も「小柄」で、目立たない。芝居で演じる役柄も、大半は「脇役」「端役」、「その他大勢」に混じって、「斬られ役」に回ることもしばしばではなかったか。にもかかわらず、彼女の存在は「蛍火」のように輝いているのだ。私が、彼女の舞台姿を初めて拝謁したのは、今からほぼ3年前(平成20年8月)、「橘小竜丸劇団」(座長・橘小竜丸)の舞台(川崎・大島劇場)であった。当時の様子を私は以下のように素描した。〈日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。(中略)この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原千鳥、志賀加津雄、喜多川志保らの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川志保の「博多恋人形」(人形振り)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう〉。そのほぼ1年後(平成21年6月)、今度は、「小岩湯宴ランド」の舞台を見聞、彼女は芝居「刺青偶奇」の医者役、「浮世人情比べ」の(身勝手な)母親役を見事に演じ、また、「柏健康センターみのりの湯」では、なんと「加藤清正」然とした髭面の猟師役で、鉄砲まで撃ったのであった。打って変わって、舞踊ショーでは「可憐な娘姿」を、いとも鮮やかに描出する。彼女の「芸」の真髄は、文字通り《千変万化》の妙、なのである。言い換えれば、舞台の「喜多川志保」は、あくまでも「無我」、おのれを「空」にして登場人物を際だたせるという「芸風」を、しっかりと確立している。医者なら医者、母親なら母親、猟師なら猟師、娘なら娘に「なり切ること」によって、「喜多川志保」という個性(高齢・小柄)を見事に消し去ってしまうのだ。蓋し、彼女が「名人」であることの《証し》であろう。その後、詳細な経緯は不明だが、彼女は(少なくとも私にとっては)忽然として、「橘小竜丸劇団」から姿を消した。はたして、今はいずこに・・・?などと想いつつ、何の気なしにインターネットで「喜多川志保」と検索してみたところ、ナント!「Youtube・劇団天華・5.4・喜多川志保大いに、踊りました」という画像記事があるではないか。「劇団天華」といえば、座長は澤村千夜、劇団のキャッチフレーズは〈天下に咲き誇る一番美しい華になる。志高く、無限の可能性に挑む。「千代丸劇団」「劇団紀伊国屋」で芸の腕を磨いた男伊達・澤村千夜が独立旗揚げ。澤村千夜座長を筆頭に劇団が一丸となって、繰り広げる情熱舞台を感じてください〉との由、私はその舞台を平成21年5月、「ゆうパークおごせ」(埼玉県)で見聞済み、文字通り「志高く」初々しい精気がみなぎって「前途有望」な趣を呈していたのであった。なるほど、名人・喜多川志保が活躍するには「打って付け」の劇団に違いない。前記、Youtubeの画像は、舞踊「おさん」(歌・島津亜弥)の舞姿。(平成23年5月公演・大阪オーエス劇場)投稿記事とはいえ、彼女の「至芸」(の一端)は十二分に再現されている。おのれを「空」にし、全身全霊で「おさん」の情念を描出する。その気迫は、余人を寄せつけない。間違いなく「喜多川志保」という個性は消失、見えるのは「おさん」の《幻》のみ、といった風情には、鬼気迫る空気さえ漂っていた、と私は思う。とはいえ、「芸風」の好き好きは、個人の自由、ためしに、その画像記事を御照覧あれ、ちなみに、これまでの再生回数は「57」と出ていた。



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2024-05-03

幕間閑話・大衆演劇は「○○芝居」?

 昨晩、ハンドルネーム・Andorra氏(以下A氏という)から、私の拙いブログ記事「脱テレビ宣言・大衆演劇への誘い」にコメントがついた。その内容は以下の通りである。〈大衆演劇見るなら 高いお金出してでも歌舞伎や文楽、宝塚、商業演劇等が観たいなあ。 あんな人間のクズで形成された紙芝居以下に1円も払うのは私はゴメンですよ。〉げに、ごもっとも!私は心中で快哉を叫んだ次第である。おそらく、日本の「大衆」は、A氏と「五十歩百歩」の見解をお持ちのことであろう。大衆演劇の劇団員、関係者は「人間のクズ」、舞台の内容も「紙芝居以下」、まさに言い得て妙。他氏からは、「○○芝居」というコメントまで寄せられたこともある。それが、「大衆」の一般的な評価であることは間違いあるまい。さればこそ、大衆演劇の常連、贔屓筋は多く見積もっても2万人(日本人口の0.02%)程度に過ぎないのである。しかし、「一寸の虫にも五分の魂」、クズにはクズの「意地」(矜持)がある。その代表である私自身の見解では、「大歌舞伎」「宝塚」「商業演劇」の入場料は高すぎる。しかも客席にランクをつけて、大枚な金を払えば払うほど優遇されるというシステムは許しがたい。加えて舞台の内容は「紙芝居程度」、老いさらばえ、呂律も回らない大御所連中で形成された(似而非)歌舞伎、ギンギラギンに飾り立てた「学芸会」並の宝塚、映画・テレビ界から締め出された(あるいは掛け持ちの)大物・小物俳優連中で形成された商業演劇など、「高いお金をもらっても」御免蒙りたい。要するに、冗長・退屈の極み、時間の無駄なのである。「人間」であるA氏と「クズ」である私の見解は正反対、文字通り「見解の相違」ということになるのだが、さらに蛇足を加えれば、「人間」には「○○」の有り難さがわからない。自分が垂れ流した排泄物でありながら、ことのほか忌み嫌う理不尽さに気づかない。「クズ」は「○○」とともに生きている。「○○」の意味・有り難さを知っている。日本の伝統的な農業は「○○」によって支えられていた。昭和中期までの野菜の「味」は、「○○」の賜であったことを知っている。昨今の野菜は農薬まみれ、「見栄え」ばかりを尊重して、品質は「無味乾燥」、まさに歌舞伎、宝塚、商業演劇の舞台と「瓜二つ」ではあるまいか。「○○芝居」の大衆演劇には、「味」がある。その「味」とは、「情」であり「恩」であり「温」であり「絆」であり「慈」であり、とどのつまりは「人間の尊厳」(人権尊重)まで標榜していることを、「クズ」は知っているのである。(2013.8.21)



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2024-05-02

花の歌謡絵巻・名曲「ダンディ気質」の《歌い手》模様

田端義夫 ベスト1 TFC-609田端義夫 ベスト1 TFC-609
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 昭和(戦後)の名曲に、「ダンディ気質」という作物がある。リリースは昭和23年、作詞・清水みのる、作曲・大久保徳二郎、歌手・田端義夫、ということで、歌詞は以下の通りである。〈花のキャバレーで 始めて逢(お)うて 今宵ゆるした 二人のこころ こんな男じゃ なかった俺が 胸も灼きつく この思い ダンディ気質(かたぎ) 粋なもの
唄と踊りの ネオンの蔭で 切った啖呵(たんか)も あの娘のためさ 心一すじ 俺らの胸に 縋(すが)る純情が 離さりょか ダンディ気質 粋なもの 赤いグラスに なみなみついだ 酒に酔うても 心は酔わぬ 渡る世間を 狭(せば)めて拗(す)ねて どこにこの身の 春がある ダンディ気質 粋なもの〉。田端義夫といえば「わかれ船」「かえり船」「玄海ブルース」「大利根月夜」が有名だが、この「ダンディ気質」は、イントロを聞くだけで、心うきうき、鋭気・覇気・元気が湧き上がってくる代物である。「ダンディ&気質」というタイトルを筆頭に、以下の歌詞も、キャバレー、ネオン、グラスといった「洋風」の景色に対して、「始めて逢うて」、「酒に酔うても」といった「和風」(文語調)の心象が入り混じり、昭和20年代の「歓楽街」の風情を彷彿とさせる。戦後日本の活気に溢れた「和洋折衷」歌謡の典型的な作物であろう。今でも、(ユーチューブで)、往時の田端義夫の《粋な》歌声を十分に堪能できるとは何と幸せであろうか。私がこの歌を初めて聞いたのは、松竹映画「東京キッド」(監督・斎藤寅次郎、主演・美空ひばり、共演・川田晴久、堺駿二、花菱アチャコ、榎本健一・1950年)の中であった。文字通り、「花のキャバレー」(唄と踊りのネオン街)を流し歩く演歌師・川田晴久が「ダンディ気質」を歌い出すと、それを聞いた占い師・榎本健一が「憑かれたように」踊り出す場面は抱腹絶倒、まさに、心うきうき、鋭気・覇気・元気を湧き上がらせることの「証し」であった。さらに、もう一人、この名曲を見事に歌い上げた歌手にアイ・ジョージがいる。アイ・ジョージもまた「流し」出身、「硝子のジョニー」「赤いグラス」「道頓堀左岸」などの持ち歌から、「ラ・マラゲーニア」「ベサメ・ムーチョ」「キサス・キサス」などの十八番に加えて、「荒城の月」「城ヶ島の雨」「叱られて」「うぐいすの夢」などの歌曲・童謡、「戦友」「麦と兵隊」「戦友の遺骨を抱いて」などの軍歌、「小諸馬子唄」「佐渡おけさ」などの日本民謡、「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」などのロシア民謡、さらには「スワニー」「聖者の行進」「ムーン・リバー」などなどのスタンダード・ナンバーに至るまで、そのレパートリーは広く、歌唱力も群を抜いている。その彼が、おそらくライブ・コンサートの中で、ほんの余興として歌った「ダンディ気質」の一節は珠玉の逸品。ギターの弾き語りで「花のキャバレーで 始めて逢(お)うて 今宵ゆるした 二人のこころこんな男じゃ なかった俺が 胸も灼きつく この思い ダンディ気質(かたぎ) 粋なもの」と弾むように明るく歌い終えると、ナント、口三味線で「スチャラカチャンチャン・スチャラカチャン・・・」、その声音の「やるせない」「投げやりな」風情こそが、この歌の《真髄》とでも言えようか、彼(および私たち)の人生が一点に凝縮されているようで、私の(感動の)涙は止まらなかった。(2014.3.24)



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2024-05-01

幕間閑話・ユーチューバー・「みずにゃん」の闘い

 ユーチューブを検索していたら「みずにゃんちゃんねる」というサイトを見つけた。これがたいそう面白い。「みずにゃん」と称する青年が、アダルト動画の架空請求業者らと電話で「やりとり」する場面を「自撮り」している映像である。
 要するに、青年は、①ショートメールで法外な金額の請求が届いたが、登録した覚えはない。どういうことか。②これからどうすればよいか。③金額の支払いはどうすればよいか。④金額が十万円を超えているので、直接、御社に届けたい。御社の所在地を教えてもらいたい。といった問いかけをする。電話の相手方は、当初(③までは)、いかにも親しみやすく、丁寧に応対していたが、④になると、態度が豹変する。「何で、こちらの住所まで教えなければならないのか」「お金を届けるためですよ」「コンビニに行って支払い手続きをすればよい」「払わなかったら、どうなるんですか」「法的手続きに入るまでだ」「どういう手続きですか」・・・、などという「やりとり」が続き、しまいには、相手方が一方的に電話を切る。青年は、執拗にリダイヤルする。相手方は「いったい、何なんですか。もう電話しないでください。オタク、何なの?」「ボクはユーチューバーです。御社のような架空請求業者をなくすために電話をしています。会社の責任者を出してください」「・・・・・」。代わった相手は一言「ウルセー!」。「え?ウルセーってどういうことですか。モシモシ、御社の住所を教えてください。」後は、ツー、ツー、ツーという機械音が鳴るだけ、青年が何度リダイアルしても、電話は不通となった。
 以上は、一例に過ぎない。(思い出すままに書いたので正確ではないかもしれないが、大意は合っていると思う。)青年は、悪徳詐欺師を餌食として、月60万~70万円の収入を得ているという。高齢者の私にとっては信じられないことだが、世の中変われば変わるものだ。一青年の闘いが、蔓延する悪徳を撲滅できれば、それにこしたことはない。
 老婆(老爺)心ながら、この青年と相手方(悪徳業者)との間に、露ほどの「密約」がないことを祈る。さらに言えば、青年はあくまで、一個人の被害者として、「自分を守る」ために闘うべきであり(そのような振りをして相手を騙すべきであり)、他の被害者のために助力をする必要はない(という振りをした方がよい)。その闘いが広がれば広がるほど、費やすエネルギーも拡大し、矛先が鈍るからである。くれぐれも身辺警護を怠らず、油断のないように。古い話だが、作詞家・水木かおるも以下のように警告している。「泣いた女がバカなのか だました男が悪いのか」「どうせ私をだますなら死ぬまでだまして欲しかった」(「東京ブルース」曲・藤原秀行、唄・西田佐知子)
(2017.3.13)



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2024-04-30

幕間閑話・大衆演劇の「裏舞台」(2チャンネル)

御多分に洩れず、大衆演劇の「裏舞台」は、インターネット「2チャンネル」(掲示板)で展開する。その演目の多くは「あやしい」「できた」「振った」「振られた」「寝取った」「くっついた」「離れた」等々、要するに役者相互の「醜聞痴話」に他ならず、加えて、投稿者同士が「豚!」「塵!」「滓!」・・・、と罵り合う有様で、なんとも見苦しい限りである。ある人は「2チャンネル」を「痰壺」と表したそうだが、まさに言い得て妙、(今は昔となった)共同便所の落書きにも劣る代物といえよう。「罵詈雑言」の使用例を学ぶには、恰好の教材だと言えなくもないが、(いにしえの)「二条河原の落書」(の格調)には遠く及ばず、まさに(現代)日本人の「道徳」も地に落ちた証しが示されているのである。古来より「付和雷同」は人の常、「野次馬根性」も日本人の伝統だが、匿名の発言には「礼儀・仁義」が不可欠である。つまり、弱者が強者に「もの申す」時に限って、(おのれの身を守るために)「匿名」が許されるのであった。相手を誹謗・中傷ずるのなら、まず自ら「姓名を名乗る」ことが鉄則でなければならない。しかるに、「2チャンネル」の投稿者連中は、一様に「名無しさん」と称して、役者連中の「醜聞痴話」を捏造し続けているのだ。投稿者と役者を比べれば、どちらが強者か・・・、その(コメント)の言い回し(文章表現)を見れば 一目瞭然、(例証するまでもなく)役者を「呼び捨て」「あしざまにする」ことは日常茶飯事、そのことだけで、未だに(旧態依然と)「河原乞食」扱いしている、投稿者の「優越感」が窺えるのである。したがって、「2チャンネル」掲示板は、強者である投稿者が、弱者である役者を「からかい」「あざけり」「さげすむ」ことによって、「自分たちは、まだましだ」という「安堵感」(快感)を味わうためにある、といっても過言ではないだろう。その根底には、《役者の私生活は「人並み以下」(不健全・不純・無節操・不道徳)、だから何を言われてもしょうがない》という蔑視・差別意識が横たわっているに違いない。悲しくも、むなしい現実である。「裏舞台」で「人非人」役を演じさせられる役者連中の心情を思うと、言葉を失うばかりだが、終わりに一言、声をかけたい。「各劇団、各役者一同様、『2チャンネル』の情報はすべて(嘘八百の)「絵空事」、取り沙汰されるのも『芸のうち』と受け流して、『裏舞台・名無しさん』連中の(取るに足らぬ)三文芝居を(どこ吹く風と)お楽しみください」。(2012.4.12)



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2024-04-29

付録・洋画傑作選・《「第三の男」(監督キャロル・リード・1949年》

 映画「第三の男」(監督キャロル・リード、原作グレアム・グリーン、出演オーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、アリダ・ヴァリ、トレヴァー・ハワード)《「世界名作映画BEST50」DVD・KEEP》を観た。「作品解説書」には以下の通り述べられている。〈第二次世界大戦後のウイーン。麗しの音楽の都も今では暗黒の街。この街で成功しているいう友人を訪ねてアメリカからやってきた三流小説家。しかし友人は死んだという。その事故死の時、正体不明の第三の男がいたという謎を追って小説家は街をたどる。かつて友人の恋人だったという密入国者の女性と知りあうのだが、なぜか警察の調査の手がのびている。映画の原点は光と影。それを素晴らしい感覚で見せてくれるのがこの映画だ。特に、オーソン・ウエルズが姿を現した時の光の使い方はショックさえ感じる。そしてこの映画は見る度に新しい発見をさせてくれる。ウイーンの濡れた舗道を這う光と影。斜の構図による不安感のもり上げ。そして何よりこの映画は、女の愛の強さを描いている、ラストのキャメラ据えっぱなしの長回しは凄い。小説家がジョセフ・コットン。恋人がビスコンティの「夏の嵐」のアリダ・ヴァリという凄いキャストである。(1949年・イギリス)〉たしかに、死んだと思っていた友人(オーソン・ウエルズ)が、突然闇の中から姿を現すシーンは印象的であった。深夜の街道筋、頭のてっぺん(帽子)から足のつま先(靴)まで「黒ずくめ」の男が、とあるアパート1階の戸口に潜んでいる。そこに通りかかった小説家、「つけられてる」気配を察したか大声で呼び掛ける。驚いた2階の住民が灯りを点けた、その瞬間、あの「親しげな」「いたずらっぽい」、オーソン・ウエルズの横顔が映し出されるという趣向で、まさに衝撃的な「主役登場」のシーンであった。この映画の見どころは、解説にもあるように、「女の愛の強さ」であることは間違いない。しかも、愛し合っている二人が出会うのは「ほんの一瞬」、三文小説家(ジョセフ・コットン)が密入国者の女性(アリダ・ヴァリ)を助けようとして20年来の友人(オーソン・ウエルズ)を罠に掛ける。それを見抜いた女性が「ハリー、危ない!逃げて!」と警告する一瞬だけが、唯一無二の「ラブシーン」なのである。善悪という尺度から見れば、明らかに三文小説家が「善」、にもかかわらず、闇世界のボスと旅役者の女の「愛」の方に「共感」してしまうのは何故だろうか。彼らの「悪」は、戦争の産物、平和な街並、音楽の都・ウイーンを破壊しつくした戦争という「悪」に翻弄され、「物」だけでなく「心」まで毀されてしまった「現実」の「虚しさ」が、ニコリともしない女の表情に象徴されている。その表情が無表情であればあるほど、内に秘められた「愛」の強さ、確かさが浮き彫りにされてくる、という仕掛けであろう。極め付きはラストシーン、あわよくば女の「変心」を期待して残留を決意、墓地の参道で待機する(お人好し・マヌケな)三文小説家を「全く無視」、凍りついたように遠ざかる女の風情は「お見事」、文字通り「感動的な幕切れ」であった、と私は思う。(2010.4.26)



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2024-04-28

付録・洋画傑作選・《「カサブランカ」(監督マイケル・カーチス・1942年)

 映画「カサブランカ」(監督マイケル・カーチス、原作マーレイ・バーネット、出演ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード、クロード・レインズ・1942年)《「世界名作映画BEST50」DVD・KEEP》を観た。「作品解説書」には以下の通り述べられている。〈この映画を見ずしてアメリカ映画を語れない。と言われるほどの名作である。ドラマチックでスリリングで、反ナチの思いが強烈に語られる永遠のロマンである。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンという世紀の顔合わせである。第二次大戦中ナチの統治下におかれたモロッコのカサブランカ。亡命者たちがひしめくこの町で偶然再会するボガードとバーグマン。二人はかつてパリで愛し合った仲。戦火のパリで別れたままボガードは今ではカサブランカで賭博場を経営している身。バーグマンは抵抗運動にすべてをかけた男の妻。あの有名なラストの別れ。「君の瞳に乾杯」「我々にはパリの思い出がある〉」という数々の心うつ言葉。この映画、実は元大統領ロナルド・レーガンの役者時代、彼の為に企画されたものだった。しかし彼は他の作品でスケジュールが合わず、ギャング・スターのジョージ・ラフトに廻った。ラフトは人の企画はいやだと断りボガードに廻った。彼女の方もアン・シェリダン、へディ・ラマーと廻り、脚本を読んで感動して出演を熱望したバーグマンのものとなった。ラストも三種類撮られ検討の結果ご覧のものになったのである。(1942年・アメリカ)この映画の眼目は、「反ナチの思いが強烈に語られる永遠のロマン」であることは間違いないのだが、ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンという「世紀の顔合わせ」が、ロマンとしてはおよそ似つかわしくない「異色の顔合わせ」に終始している点にある、と私は思う。バーグマンは、その容貌・立ち居振る舞いからして、「抵抗運動にすべてをかけた男の妻」がふさわしい。片や、理想に燃え、思想・信条に命を献げようとする正義感、一方、ボガードは闇世界を生きる賭場の貸し元ではないか。その二人を、あの「理知的で」「高貴な」風情のバーグマンが「同時に」愛せるなんて、正気の沙汰とは思えない。といったあたりが、この映画の見どころであろう。さすがに「脚本を読んで感動して出演を熱望した」だけあって、バーグマンの「絵姿」は際だっている。夫の前では「理想」「純愛」を貫こうとする健気な「女」、恋人(バーグマン)の前では「不倫」覚悟で「性愛」(愛欲)に迷う「不条理」さを見事に描出していたのだから・・・。彼女の言葉「もう我慢できない」、そうなのだ。「愛欲」は、思想・信条・理想などといった「価値観」とは無縁のところで成立する、という「真実」を彼女は鮮やかに描出していた。ボガードの前のバーグマンは、すべての緊張から解き放たれた「裸」の表情を露わにする。「もううどうすればよいか分からない」「あなたが考えて・・・」等など、その「ちぢに乱れる」姿に「女の本性」を見る思いがして、私は「鳥肌が立つ」ことを抑えられなかった。それに比べれば、ボガードはじめ、彼女の夫、警察署長らの男性陣は「単純」そのもの、「闘魂」「勇気」「侠気」「腹芸」等々、それぞれがそれぞれの「味わい」を演出してはいたが、所詮「条理の世界」を超える言動は見受けられなかったように思う。可愛い、可愛い。「強面」のボガードが、「君の瞳に乾杯」「我々にはパリの思い出がある」などと、思いっきり「二枚目」ぶっても、「不条理な」「女の本性」は癒されまい。かくてバーグマンは再び「我慢を覚悟」(愛欲の断念)、夫の思想・信条・理想に殉ずることを決意してアメリカに向け旅立ったのである。そこはには「不倫」とも「性愛」とも「不条理」とも無縁な、「政治という健全な世界」(表舞台)が待っているであろう。「めでたし、めでたし」というべきか否か・・・。この映画の製作は1942年、まだ世界は大戦中であったことを思えば、「これからが正念場」ということになる。「解説」によれば三種類のラストがあったそうな。あとの二種類はいかようであったか、興味をそそられる話である。いずれにせよ、この作物は「第16回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞」を受賞している由、文字通り「世界名作映画」にふさわしい幕切れであった。(2010.5.12)



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2024-04-27

付録・洋画傑作選・《「晩秋」(監督・ゲーリー・デビッド・ゴールドバーグ・1989年・アメリカ》

午後1時30分からテレビ映画「晩秋」(1989年アメリカ)視聴。新聞の解説(東京新聞10月5日付け朝刊12面)によれば、〈89年アメリカ。ジャック・レモン。仕事優先の生活のために家族を失った男性が、年老いた父親のために仕事を捨て、家族との愛に生きる喜びをみいだしていく。ゲーリー・デビッド・ゴールドバーグ監督〉ということである。なるほど、そういう見方もあるのか、と妙に感心してしまった次第だが、私自身は、当然のことながら、名優・ジャック・レモンが演じる「年老いた父親」に焦点を当てて観たので、1960年代に「一世を風靡した」アメリカ版ホームドラマの「なれの果て」という感想をもったのだが・・・。登場人物は「年老いた父親」(多分78歳)と「その妻」、「その息子」(仕事優先の生活のために家族を失った男性)、「孫」(息子の息子・大学生)、「その娘」「娘の亭主」といった面々で、いずれも「まさにアメリカ人」然とした風情で、中高年のホームドラマであることに間違いはない。いくらかボケが始まった亭主(ジャック・レモン)を「一方的」に介護(コントロール)することに「生きがい」「張り合い」を感じている(ような)妻が「心臓発作」でダウン、父親を誰が介護するかが懸案となるが、とりあえず「仕事人間」の息子が(二、三日の休暇を取って)対応することに。妻の場合とは違い、息子の介護は「アバウト」で「いい加減」、何でも父親にやらせようとすることが「功を奏して」、みるみる父親の生活能力は回復、ボケも吹っ飛んだ様子、妻の心臓発作も回復して退院、めでたく快気祝いのパーティーで「第一景」は終演。しかし幸せはいつまでも続かない。今度は父親が血尿を催し「癌」の疑い、しかも彼は人一倍「癌恐怖症」ときている。息子は担当医に「くれぐれも癌告知をしないように」要請するが、そこは大病院、「患者の知る権利」を尊重して父親に告知してしまった。結果、父親には「分裂症状」が発生、幻視・幻聴、妄想が高じて意識不明の重篤状態・・・。息子は病院の「対応」に怒り心頭、自宅に連れ戻す。とはいえ今後は「お先真っ暗」、とりあえず、母(父の妻)を妹(父の娘)一家に預け、独り看病に専念しようと決意した。藁をも掴む思いで相談した(おそらく下町の)庶民病院は、ことのほか「温かく」、患者・家族の立場に立って「親身に」対応、父親は数日間で「意識回復」という奇跡的な展開に・・・。かくて無事退院、またまた快気祝いのパーティーで「第二景」は終演となった。でもドラマはまだ終わらない。父親、回復の「度が過ぎて」、誰が観ても「はしゃぎすぎの」「躁病」状態、「自分は十九歳に若返った」などと宣う始末、専門家(精神科医)の見立てによれば、五十年間に亘って「レディーファースト」を重んじ、妻のコントロールに従ってきた「枷」が外れてしまった、今こそ本来の「父親像」が現出したのです、それを否定すれば、またボケの世界に戻るだけでしょう、だと。今度は妻がついて行けない。「あんなお父さんの姿なんて見たくない」と息子に当たり散らす。まさに、「老夫婦」の葛藤、確執、軋轢が「無情にも露呈」といった景色で、鬼気迫る風情を感じることができた。(私自身は、不謹慎にも笑いが止まらなかったのだが・・・)息子と妻の「バトル」を見た父親、やむなく「躁状態」を解除して「第三景」も終演に・・・。いよいよ終幕の「第四景」は、父親の「癌再発」から「臨終」「葬式風景」といった展開で、観客は「やっとこさ」、典型的なアメリカ人の「死」を見送ることができるという按配であった。
 それにしても、「人間はそう簡単には死ねないものだ」「いくら生きようとしたところで、寿命には限界がある」「老いや死に臨んで、じたばたしてもはじまらない」といった条理は「万国共通」であることを、あらためて再確認するのに十分な「出来映え」の映画であった、と私は思う。(2009.10.5)



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2024-04-25

付録・邦画傑作選・「夜ごとの夢」(監督・成瀬巳喜男・1933年)

  この映画の面白さ(見どころ)は、何と言っても「配役の妙」にある。小津安二郎作品でお馴染みの坂本武、飯田蝶子コンビが阿漕な仇役、齋藤達雄が救いようのない無様な男を演じ、吉川満子、新井淳が思い切りお人好し、善人夫婦の景色を醸し出す、そのコントラストがたまらなく魅力的であった。
 主人公はおみつ(栗島すみ子)という名のシングルマザーである。一人息子の文坊(小島照子)が出世することだけを生きがいに、酒場の女給に甘んじている。冒頭は、おみつが(空しい出稼ぎの)旅を終えて、古巣の佃島に帰ってくる場面、馴染みの船員(大山健二、小倉繁)と渡船の桟橋で出会った。おみつがタバコを一本所望すると、船員は気前よく差し出しながら「お前が居ないと、酒場は火が消えたようだぜ」などと言い「どうだい、船で遊んでいかないか」と誘うが「話があるんなら、今晩、酒場で聞くよ」と言い残して渡船に乗り込む。乗客の白い目が一斉に彼女に注がれた。 
 数分で船は佃島に着く。おみつが向かったのは懐かしいわが家(といっても二階一間の貸間にすぎなかったが)、「夜ごとの夢」に見た愛しい文坊が待っていた。文坊の面倒を見て居てくれたのが隣部屋の夫婦(新井淳、吉川満子)、絵に描いたような善人で、文坊を孫のように可愛がっている。夫は電気会社の中年外交員、子どもには恵まれなかったようだ。文坊はおみつの顔を見るなり「おかあちゃん!」と叫んで抱きついた。しっかり抱きしめながら妻に礼を言う。「永いこと面倒を見て頂いてありがとうございました」。文坊はおみつに「お土産は?あたいおとなにしていたんだよ」。でも、おみつには何も持ち合わせがない。「今晩、もってくるからね」とごまかした。「そう言えば、留守中に男の人が訪ねて来ましたよ」と妻が言う。おみつには心当たりがあるようだったが、顔を曇らせるだけであった。その晩からおみつは店に出た。酒場はいつものように酔客で繁盛の様子、一息ついたところでおみつは女将(飯田蝶子)に借金を申し込む。文坊へのお土産と、面倒を見てくれた夫婦に御礼をしなければならない。しかし女将の返事はつれなかった。「帰ってくる早々、どんな金が要るんだい。もうすこし稼いでからにしてもらいたいね」。そこに「その金、俺に立て替えさせてもらおううか」という声が聞こえ、船長(坂本武)が入ってきた。おみつに金を渡して「俺は前からお前に目をつけていたんだぜ」とにやけまくる。その様子を「あたしゃ知らないよ、どうぞ御勝手に」という素振りで眺めている女将の表情が、(小津作品の坂本武と飯田蝶子の関係を知っているだけに)何とも可笑しかった。おみつは船長の金を頂いて、文坊へのお土産を買い深夜に帰宅する。文坊はまだ寝ないで隣室の夫婦と遊びながら待っていた。夫は「なあんだ、お土産をお待ちかねで寝なかったのか」と文坊の頭をなでたのだが・・・。待っていたのは文坊だけではなかった。妻が言う。「この前の男の人、今日も来て、あんたの部屋で待っているの」。おみつは固辞する夫婦に礼金を渡し、自室に行くと、男がうたた寝をしている。三年前、妻子を捨てて雲隠れした前夫・水原(齋藤達雄)だったのだ。叩き起こし「出て行っておくれ、あんたとあたしは、もう赤の他人なんだ」「それが昔の男に浴びせる言葉か」「ふん、聞いて呆れるよ。あたしたちを放り出しておきながら、よくのめのめと会いにこれたもんだ」「あの時のことは俺も自分に愛想が尽きている。どうか一時でも坊やの父親にさせてもらいたいんだ」。おみつは水原に帽子を被せて追い出す様子、そこに顔を出したのが文坊と隣室の夫婦、「文坊のお父さんでしたか、それとわかっていたら・・・」などととりなすが、水原は「いえ、いいんです。もう坊やの顔を見られたので思い残すことはありません」と、部屋を出て行こうとする。夫婦は、まあまあと必死に止めるが、水原の気持ちは変わらなかった。階段を降りてとぼとぼと去って行く。夫婦が「あんた、本当にそれでいいのかい?文坊にはお父さんが必要だよ」と言うと、おみつの表情が一変した。「そうだ、強情ばっかり張ってはいられない」、慌てて水原を呼び止める・・・。かくて、親子三人の新しい生活が始まったかに見えたのだが・・・。水原には思うような仕事が見つからない。隣の外交員が口を探してくれたが、世の中は不況のどん底で、人では余っている。水原にも才覚は感じられず、毎日、文坊や近所の子どもたちと遊び呆けている。「やっぱり、俺はだめなんだ」とおみつに愚痴をこぼし出す。おみつは、何とか励まし続けて店に出ていたのだが、強欲な船長がしつこくつきまとう。ある夜、水原が居酒屋に赴いてその場面を目撃、
おみつを助け出したつもりになっていたのだが、「おかしくって、あんな奴になめられてたまるかってんだ」「あの位の出入りが怖くて女給商売ができるものか」と、おみつは動じない。「何だって、お店なんかに来たのさ」「もうあんな商売やめてくれないか」「あんたが養ってくれるとでもいうの」などと夜道を歩きながら語り合ううちに、とうとう水原の心が決まった。「俺は、働く!」。・・・・、翌日、勇んで「職工募集」の会社を渡り歩いたがすべて断られた。おみつが「どうだった?」と問えば「やはり、俺なんかこの家にいない方がいいんだ」と弱音を吐く。おみつが「安心おし、あんたの顔に泥を塗るようなことはしないから」などと言っている時、どやどやと近所の子どもたちが駆け込んで来た。「文坊が自動車に轢かれた!」慌てて、家に運び込み医者(仲英之助)を呼ぶ。一命はとりとめたが右腕は複雑骨折している。病院で手術を受けなければならない。おみつは、化粧を始めた。「こんな時に出かけるのか」と水原が問えば「女将さんに相談してくる」と言う。あの船長の言いなりになって、金を作ろうとするのか、そう考えると水原の気持ちは居ても立ってもいられず、「俺が友だちに借りてくる」と部屋を飛び出した。行く先はお決まりの銀行、それとも郵便局、押し入って金銭を強奪、警官に追われ腕に被弾したが、何とか戻って来た。札束を渡されたおみつは驚いて「その傷はどうしたの?」と問い質したが、答はわかっていた。「そんなことをしてくれと誰が頼んだ」とその場に泣き崩れる。
でも済んだことはしかたがない。おみつは札束を水原に握らせて「あんた、自首して。神妙に勤めれば、また三人で暮らせるんだから」。外には警官の気配がする。水原はうなずき「坊やを頼んだよ」と言い残して、闇に紛れた。
 翌朝、けたたましく隣室の外交員たちが駆け込んで来た。「あんたの亭主が、身投げしたんだ!」。おみつは渡船の桟橋に走ったが、すべては後の祭り、覆水は盆に返らなかったのである。刑事(西村青児)から遺書を手渡される。そこには「俺なんかどうせ死んでしまった方がいいんだ。呉々も坊やを頼む」と記されていた。戻る道、バッタリと船長に出会う。相変わらずにやけて「お前の亭主だっていうじゃねえか」という言葉に、キッとして睨みつけ、思い切りピンタ一発、腹を突き飛ばして自室に戻る。何も知らずに寝ている文坊・・・。「弱虫、いくじなし。死ぬなんて、この世の中から逃げるなんて。それが男のすることかい」と叫んで遺書を食いちぎる。やがて、なすすべもなく力が脱けて、文坊の枕元に泣き崩れるうちに、この映画は「終」となった。
 前述したように、この映画の見どころは、坂本武、飯田蝶子の阿漕ぶり、齋藤達雄の無様さだが、文坊が事故に遭ってからの展開は、3年前(1930年)に作られた小津安二郎監督作品「その夜の妻」に酷似している。そこでは妻(八雲千恵子)が夫(岡田時彦)に「早く逃げて」と手引きをするが、夫は立ち戻り刑事(山本冬郷)に捕縛(自首)される。男同士の意気地が感じられるが、この水原という男は、死後も「弱虫、いくじなし」と罵られる体たらく、まさに成瀬巳喜男監督が描き出そうとする《男性像》の極め付きであった。一方、栗島すみ子の、どこか崩れた《女性像》、朋輩の女給(沢蘭子)との交流も水商売風だが、わが子の前ではどこまでも優しい慈母の風情が魅力的である。やはり成瀬監督ならではの演出が随所に散りばめられていて、小津作品とのコントラストが鮮やかに浮き彫りされる名品であったと、私は思う。(2017.7.31)



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2024-04-24

付録・邦画傑作選・「浪華悲歌」(監督・溝口健二・1936年)

 ユーチューブで映画「浪華悲歌」(監督・溝口健二・1936年)を観た。19歳の女優・山田五十鈴主演の傑作である。冒頭は、薬種問屋の主人・麻居(志賀廼家弁慶)が、けたたましい嗽いの音を立てて洗面・歯みがきをしている。タオルで顔を拭きながら縁側に出る。女中に「このタオル、しめってるがな」。朝の太陽を仰ぎながら「商売繁盛、家内息災」、やがて朝食。茶を啜ると「ああ、苦い」、「卵がない」「海苔がない」、女中の手を見て「汚い」、小言が止まることがない。「あれは、どうした。すみ子は?」「へえ、頭が痛いと寝ておいでです」「昨日は何時頃帰った?」「2時頃です」。女房のすみ子(梅村蓉子)はまだ蒲団の中、隣には子犬も寝ていた。麻居はこの家の養子、すみ子に頭が上がらず、その鬱憤を女中連中にぶつけているのである。そこに、医師・横尾(田村邦男)が訪れた。すみ子の診察に来たのである。結果は異常なし、麻居は横尾に愚痴をこぼす。「おもしろうないわ」。すみ子が起きてきてすぐにでも出かける様子、「なんや、お前また出かけるんか」。すみ子は平然と「婦人会に行かななりませんし・・・」と言い、一向に意に介さない。麻居は横尾に「なあ君、夫婦もこうなったらおしまいやな」と言う。横尾は「しょうもないこと言いなさんな」と取りなした。麻居が若い頃を思い出し「あなた、なあに」と呼び合いたいと言えば、どこぞに若い娘を囲ったらいい、と言う。「お前はやきもちをやくんやろ」「あほらしい、あんたは養子、そんな甲斐性があるかいな。そやそや昨日、婦人会の仕事を手伝わせたさかい、この芝居の切符、西村にあげたろ」と、すみ子はさっさと出て行く。西村(原健作)とは、この問屋の店員である。すみ子が西村に近づくと、その様子を電話交換室から目ざとく見つけ、すぐに西村に社内電話するのが、この映画の主人公・村井アヤ子(山田五十鈴)であった。彼女はこの店の電話交換手、西村と一緒になりたいと思っているが、家庭では、父・準造(竹川誠一)が300円(現在の約200万円余り)の借金を負って逃げ回っている。退勤後、アヤ子は西村を誘い、そのことを相談するが「何ともならへん」と頼りない返事、力を落として帰宅すると妹の幸子(大倉千代子)が一人、借金取りに囲まれて困っていた。借金取りの会社員(橘光造)は、「横領罪で告訴する」と脅したが、アヤ子は平謝りして、その場は収まった。まもなく準造が釣り堀から戻る。アヤ子は夕食を食べながら父を責め立てる。「株なんかに手出すからこんなことになるんや。甲斐性なしの親持つとろくなことあらへんわ。こんな親ならいない方がマシや」。父は激昂し「アホ!誰のおかげで大きくなったんだ。そんなにイヤなら出て行けばいいんや」。その言葉を聞くと、アヤ子は「ほんじゃ出て行くわ」と、幸子が必死に止めるのを振り切って、飛び出していく。
 かくて、アヤ子は店も辞め、行方知れずとなったが、「灯台下暗し」彼女は、ちゃっかりと店主・麻居の「囲い者」に納まってしまうのだ。以後は、自由奔放な「男遍歴」を展開、助平で自堕落、いくじなしの男たちが、次々と「食い物」にされる景色は痛快であった。まずは、麻居。アヤ子に豪華なアパートを与え、300円も調達する。文楽座で密会中、医者の横尾夫妻と観劇に来ていた女房・すみ子とバッタリ鉢合わせ、その窮地は、たまたま居合わせた友人の株屋・藤野(進藤英太郎)の機転で救われたが・・・。別の日、アパートで発熱、横尾を呼んだが、横尾は本宅に駆けつけ、真相がばれてしまった。アパートに踏み込んだすみ子がアヤ子に向かって「あんたも、こわい人やなあ。主人を誘惑するなんて。二度と会ったら承知しませんで!」「フン、頼まれても会いまへんわ」。アヤ子の目的は、父を救うための300円、もう麻居は「用無し」となったのである。アヤ子は西村と所帯を持つことを夢見て、会いに行く。その途中の駅で妹の幸子に会った。幸子の話では、兄の弘(浅香新八郎)が家に戻っている。まもなく大学を卒業、就職も決まっているが、学費が払えない、どうしても200円(現在の150万円弱)要るとのこと、「姉ちゃん、何とかならんか」。「そんなこと知るか」「姉ちゃん、家を飛び出したりして、兄ちゃんボロクソに言ってたで」「わてには、わての考えがあるんや。偉そなこと言うなチンピラのくせに」。幸子も「ほな、放っとくわ」と立ち去った。アヤ子はしばし考えて留まっていたが、思い直して西村との待ち合わせ場所へ・・・、しかし西村の姿は現れなかった。
 次に「食い物」にされたのは株屋の藤野、アヤ子に200円の小切手を渡して料亭に繰り込む。西村が「あんたとは縁があったんや」と迫ると「悪縁や」と言っていなす。なおも、しつこく絡んでくるのでアヤ子はさっさと帰り支度を整え、「あんたは、ここにゆっくりいなはれ。姉さん、この旦はんに馴染みの芸者を呼んで・・・」「何だ、取るもの取っといて、わしゃ許さへんぞ!」と怒り出す藤野を残して出て行った。その足で、西村に電話、アパートに来て欲しいと誘った。喜んで飛んで来た西村に、アヤ子は(自分は囲い者になっているという)真相を打ち明ける。「ええっ?」と西村が驚いているところに、藤野が怒鳴り込んできた。「金を返せ」と言うのだろう。アヤ子は少しも動じず「あんたもエライしつこい人やな、あきらめてお帰り、たかが2,300ばかりで、相場が外れたと(思えばいいこと、大騒ぎしなさんな)」「そうはいかんで」というと、後ろ向きの西村を用心棒に見立てて「ややこしくならんうちに、さあ、お帰り、お帰り」と追い出してしまった。西村はビビりまくり「アヤちゃん、ボク帰らしてもらうわ」「エッ?・・・」。西村がドアを開けると、外に刑事が立っていた。二人は、鬼刑事とおぼしき峰岸(志村喬)の取り調べを受ける。「罪を憎んで人を憎まず、が法のたてまえ、正直に本当のことを言って、謝りなさい」「あの人と一緒になりたくてしたんです」「あの男に指図されたんだろ?」。峰岸はそれを確かめに西村を調べるが、とてもそんな様子は見られない。「あの女に踊らされていたんです。あんなおそろしい女だとは知りませんでした。騙されたんです」。隣室でアヤ子はその言葉を聞いた。表情は、一瞬凍りつく。峰岸が戻ってきてしみじみと言う。「おまえは大した女だなあ」「そうでっしゃろか」先に釈放される西村の背中に「進さん!」と声をかけたが、反応はなかった。
 翌朝か、翌々朝か・・・、父・準造がアヤ子の身柄を引き受けに来た。「今回は初犯だから・・・」という峰岸の言葉に準造は平謝り、アヤ子は父と家に戻ったが・・・。幸子と弘が夕食のすき焼きを食べている。アヤ子も席についたが、皆、無言である。とりわけ、父はうつむいて、何かを必死にこらえている。「どうしたんねん、みんな口も聞かんと」。弘が口を開いた。「お前みたいな不良は、兄弟でもなんでもあらへん」。昨日の一件が、新聞で取り沙汰されて、幸子は学校にも行けなくなった、弘は「家を出て行け」と言う。父までもが「警察のお世話になって、留置場に泊められて、この親不孝者」と呟いた。
その言葉を聞いて、アヤ子は「よう言わんわ」と懐かしい家を後にした。
 橋の上に佇み、水に映るネオンに目をやアヤ子、たまたま通りかかった医者の横尾が声をかけた。「どないしたんや、何してるんや、こんな所で」「野良犬や、どないしていいかわからへんねん」「病気と違うか」「まあ、病気やな。不良少女っちゅう立派な病気やわ。なあ、お医者はん」「何やねん」「こないなったオナゴは、どないして治しはんねん?」「さあ、それにはボクにもわからんわ」。
 アヤ子は歩き出す。その姿、上半身、そしてキッとした顔が大写しになり「終」となった。
 この映画の眼目は、一人の生娘・アヤ子が、強がりばかりで「いくじなし」の父親と、体面ばかりの兄のために、助平で「いくじなし」の店主と助平で「けちくさい」株屋を手玉にとって、捨て身で助けようとしたのだが、その気持ちがほとんど通じない。「いくじなし」の恋人にも裏切られ「どないしていいかわからへん」、あげくは、世間から「不良少女」というレッテルをはられ、医者にも見放された。《にもかかわらず》前に進んでいくんだ、という一途な女の「心もよう」を描出したかったのではないだろうか。言い換えれば、男の「いくじなし」「身勝手」に対する挑戦であり、覇気である。それは次作「祇園の姉妹」に着実に引き継がれていく。ほぼ同じ俳優が、所を京都に変えて演じるドラマ(人間模様)もたいそう見応えがあった。
 ところで、アヤ子が警察に拘引された容疑は何だったのだろうか。アヤ子の「詐欺」?、西村の「脅迫」(美人局)?、それとも未成年の「不純異性交遊」の補導?、いずれにしても、訴えたのは株屋の藤野という、いっっぱしの男である。その自堕落で間抜けな助平根性が、一人の生娘を「不良少女」という「立派な病気」に仕立て上げるのだから、救いようがない。その不条理を告発することこそが、女性映画の巨匠・溝口健二監督の「ねらい」だったかもしれない。それにしても、若き日の山田五十鈴は、すでに風格十分で他を寄せつけない「存在感」を示していた。戦後では「非行少女」(監督・浦山桐郞・1963年)の和泉雅子、「事件」(監督・野村芳太郎・1978年)の松坂慶子、大竹しのぶ、「疑惑」(監督・野村芳太郎・1982年)の桃井かおりといった女優が思い浮かぶが、その貫禄においてはまだまだ及ばないことを確認した次第である。そう言えば、「疑惑」には山田五十鈴もクラブのママ役で出演、法廷の場面で(その空気に臆することなく)ホステス役(被告人)の桃井かおりを叱りつけ、弁護士役の岩下志麻に「啖呵を切って」黙らせる迫力は、さすがに年輪を重ねた、大女優ならではの「女模様」であったと、私は思う。(2017.6.19)



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2024-04-23

付録・邦画傑作選・「祇園の姉妹」(監督・溝口健二・1936年)

 ユーチューブで映画「祇園の姉妹」(監督・溝口健二・1936年)を観た。祇園の芸妓として生きる姉妹の物語である。姉は梅吉(梅村蓉子)、妹はオモチャ(山田五十鈴)と呼ばれている。その借家に、木綿問屋主人・古沢(志賀廼家辯慶)が転がり込んできた。店が倒産、骨董・家具などが競売されている最中、夫人(久野和子)と大喧嘩して家を飛び出して来たのだ。古沢は梅吉がこれまでお世話になった旦那、「よう来ておくれやした」と梅吉は歓迎するが、オモチャは面白くない。新しい女のあり方を女学校で学んだ彼女は、男に尽くして食い物にされている姉の姿が不満なのである。八坂神社をお詣りしながら、「あんな古沢さんを居候にするのは反対や」、「これまでお世話になったのだから恩返しをするのは当たり前や」「姉さんは世間の評判を気にして、いい女になろうとしているが、世間が私たちに何をしてくれたというの」といった問答を重ねる姿が、たいそう可笑しかった。たまたま朋輩と出会い、「オモチャさん、あの木村さんがあんたに“ホの字”なのよ」という話を聞く。「なんや、あほらしい」とその場はやり過ごしたのだが・・・。
 オモチャが置屋に顔を出すと、女将(滝沢静子)の話。「今度の“御触れ舞”に梅吉さんを出したい。芸は申し分ないけど“ベベ”がねえ」、それなりの衣装が揃えられるか、という打診である。どうしても梅吉に出てもらい、有力な旦那に巡り合わせたいオモチャは「“べべ”の方は私が何とかします」と請け合った。折りしも、やってきたのが呉服屋丸菱の番頭・木村(深見泰三)、オモチャにねだられて、最高級(50円以上・現在の35万円以上)の反物をプレザント、そこまでの「やりとり」(男心をくすぐるオモチャの手練手管)は実にお見事で、私の笑いは止まらなかった。
 やがて、“御触れ舞”の日、骨董商・聚楽堂(大倉文男)が泥酔し、梅吉の家を訪れる。古沢とは顔馴染みで「古沢さん、私が売った軸が売られている様子を見て、実に情けなかった」と絡む。古沢は「やあ、実に面目ない、ところで少し小遣いを融通してくれないか」と頼み込む始末、聚楽堂の財布には大枚の札束があることを見届けたオモチャは、「お家までお送りします」と連れ出した。ハイヤーに乗り込み、行き先は茶屋町の待合へ。聚楽堂が酔いから覚めて「ここはどこや、あんたは誰や」と驚く。オモチャは平然と「まあ、一杯お飲み」と酒を注ぐ。「私は梅吉の妹や」と言いながら、姉さんがあんたさんにお世話してもらいたいと思っている、ついては居候の古沢さんを追い出したいので手切れ金を、とせがむ。聚楽堂もすぐにその気になって100円(現在のおよそ70万円)を手渡した。
 オモチャはその金を持って帰宅。梅吉の留守を見計らって古沢に話をつける。「お姉さんは、本当は迷惑なんや、それを言い出せないでいるから、わてが言うわ。これを持ってどこぞへ往んでくれへんか」と50円(現在のおよそ35万円)を手渡した。もとより、遊び人の古沢、長逗留する気などさらさらない。「わかった、ほんじゃ出て行くわ、おおきに」と言い残して、この家を後にした。行き先はいずこへ・・・。
 帰宅した梅吉、「古沢はんは?」と訝ったが、オモチャは平然と「どこぞへ往ってしもうたわ」「なんや、お別れぐらい言うてほしかった、つれない人やなあ」「それみい、男はんなんて、みんなそんなもんや」。オモチャの計略はまんまと成功したのである。
 一方、呉服屋丸菱では、番頭・木村の反物着服が発覚、主人・工藤三五郎(進藤英太郎)は木村を叱りつけている。「あれを誰にあげたんや」「オモチャさんです」「よし、ワシが話をつけてくる」と、梅吉宅に向かった。ここでも、オモチャは工藤を平然と迎え入れ、愛嬌たっぷりに、酒をもてなす。当初は意気高々、こわばっていた工藤の表情が、オモチャの一言一言によって崩れていく景色は抱腹絶倒、ここでも私の笑いは止まらなかった。
 かくて、オモチャは工藤の愛人となる。木村に「あんな女に騙されて情けない。今後は絶対にかかわるな」と言うだけでお咎め無し、夫人(いわま櫻子)は「あんた、うまいことゆうて丸めこまれたんと違いますか」と思ったのだが・・・。
 梅吉の家に聚楽堂がやってきた。オモチャは「姉さん、うまいことやりいや」と言い残して工藤との密会に出かける。しばらくすると、木村がやって来ていわく「今、途中で古沢さんに会いました」「どこで」「八坂下です。銘茶店で居候しているようですよ」梅吉は聚楽堂が止めるのも聞かず、一目散に古沢の元へ、聚楽堂も追いかけて二人とも居なくなった。木村は留守番の態でそこに居残っている。梅吉が銘茶店に赴くと「よう、ここがわかったな」「黙っていなくなるなんて、あんまりでは」「いや、オモチャさんからお前が迷惑しているからと聞かされて、出たんだ」「やっぱりオモチャが謀ったんだ」「ここは、実に住み心地がよい。お前も来たらどうだ」、梅吉にもようやく事態がのみこめたようだ。
 一方、オモチャは工藤と洋風レストランで密会、しかし工藤は財布がないことに気づいた。おそらく、あの時、梅吉の家に置き忘れたのだろう。それともオモチャが掠め取ったか。ともかくも、二人は梅吉宅を探すことにした。戻った二人は、そこに木村が居るのを見て仰天する。「お前、こんなところで何をしてるんや、アホ!」と工藤が叱りつけたが、今度は木村も黙っていない。「大将、何ですねん。わしを叱っといて、このザマは」。「お前、主人に向かって何ていうこと言うんや、すぐに暇出したる!はよ、ここから出て行け」と罵られたが、オモチャに向かって「大将は、オモチャさんの、まさか・・・」「へえ、わての旦那さんです」「ようそんなことが言えるな、このドタヌキめ!」「わてら芸妓や、時には嘘もつきまっせ、たった反物一枚でええ男ぶりやがって」「何!」と掴みかかろうとする木村を工藤がはねのける。木村はもうこれまでと覚悟を決めた。「よう、おぼえておけよ」と捨て台詞を残して立ち去った。
 木村は、この事実を工藤の夫人に電話で連絡、帰宅した工藤と夫人の間に丁々発止のバトルが始まる。「ええ年して、まだ極道が止みまへんのか!」その頃、木村もまた極道の世界へ赴いていた。
 古沢の元から小走りで戻った梅吉も覚悟を決めた。手早く荷物をまとめ始める。「姉さん、聚楽堂さん喜んだやろ」と話しかけたが「わてはこの家、出て行くさかい。みんな古沢さんから聞いたえ」「古沢さんに会うたんか。姉さんお待ち!」という言葉を振り切って出て行った。一人残ったオモチャ、座り込んで「何て、あほなんやろ」と呟く。
 しばらくすると「こんばんは」という声、見知らぬ男が「工藤さんから、お迎えの車が参りました」と言う。オモチャは欣然として衣装直し、化粧を施して車に乗り込んだのだが・・・、運転手(橘光造)がドスの利いた声で話しかけた。「オモチャはん、景気はどうだす。どこぞで遊ぼうか」、オモチャ、キッとして「あんまり心やすう呼ばんといて」「わてはあんさんのこと、よう知っとるで。どこぞの番頭口説いて、ぎょうさん巻き上げたんと違うか」「アホなこと言わんとき」と言い返すが「ええ顔して、ええ旦那さんもなく、相変わらずがつがつしてると思うと、かわいそうなもんじゃな」「はよう、工藤さんの所へ連れてってえな」「工藤さん?あんなしみったれな旦那やめとき。わてが、金ぎょうさん持ってる極道者世話してやるけえ、何だったらわてでもええぜ」「やめとくれやす」「ほんなら、そこのええ男はどうや」。よく見ると、助手席には木村が乗っていた。
 万事休す、どうみてもオモチャに勝ち目はない。彼女も覚悟を決めて車から飛び降りた。それとも落とされたか、重傷を負って病院に運ばれた。その知らせが、梅吉のもとに入る。あわてて梅吉は病院へ。古沢も「後から駆けつける」と言う。
 病院には包帯姿のオモチャ、「まあ、まあ、こんなことになるなんて、男はんの心を弄ぶからこんなことになるんや」と諫めたが「こんなことで、男に負けるもんか、わては負けはへん」と叫んでいる。ともかくも安静にと頼んで、梅吉が古沢の元に戻ると、その姿は消えていた。突然、奥さんから電報が届いて、奥さんの故郷に向かったと言う。そこで新しく人絹工場を始めるらしい。なんぞ書き置きでもと訪ねると「わしのような頼りない男ではなく、もっといい旦那を見つけてくれ」という伝言だった由。
 傷心の梅吉はやむなく病院に戻る。オモチャの傍らで泣いていると「どうしたんや、そんな不景気なもの出して」「古沢さん、急に故郷に帰ってしまったんや、わてには何にも言わんと」「そんなこっちゃ、みとうみ。なんぼ実を尽くしても、自分の勝手な時には、わてらを捨てて行ってしまうんや」「わては、それでええねん。するだけのことをしてきたんだから、古沢さんも喜んでくれるやろ。世間にだって立派に顔を立ててきたんやから」「そやけど、それで姉さんはどうなった?世間に立派な顔をたてたやろうけど、世間はいったい何をしてくれた。古沢さんは喜んだやろ、けど、姉さんはどうなった。ええ暮らしができるようになったか、黙って言うなりになって、ええ人間になっても、どうもしてくれはらへんねん。商売上手にやったら腐ったやっちゃと言われるし、わてらはどうすればいいのや。わてらにどうせいと言うのや。何で芸妓なんて商売、世の中にあるんや。何で泣かなあかんのや。こんな間違ったもの・・・、なかったらええのや。」とオモチャもまた号泣するうちに、この映画は「終」となった。
 さすがは、女性映画の巨匠・溝口健二監督の「傑作」である。見どころは何と言っても、山田五十鈴のはじけるような魅力であろう。二十歳そこそこの若さで、中高年の男心をくすぐり、弄ぶ手練手管の数々を十分に楽しめる。その根底には、「男なんかに負けてたまるか」という確固たる意志と意地が横たわっている。オモチャの「何で芸妓なんて商売があるんや」という怒り、憤りは、監督・溝口健二自身の当時の思い(フェミニズム)を代弁して余りある。
 ほとんどの登場人物が和服を着ている中で、さっそうと洋服を着こなし帽子をかぶる姿が、「新しい女」の息吹を象徴している。比べて、姉・梅吉の梅村蓉子は心身ともに和風、義理・人情を重んじ、まず相手の立場・気持ちを忖度する。正反対の「生き様」だが、姉妹の絆はしっかりと結ばれている。オモチャにとって梅吉は、誰よりも大切な人、その姉を守るために「危ない橋」も渡らなければならなかったのだ。
 この姉妹に比べて、男たちの「生き様」は、どれをとっても喜劇的である。オモチャに手切れ金の半額とも知らずに渡されて、あっさりと遊びに行く古沢、色香に迷い、30万円以上の反物を騙しとられた木村、それを取り返しに行って「ミイラ取りがミイラになった」工藤、オモチャの口車に弄ばれる聚楽堂などなど、間抜けで助平な男の「本質」を、志賀廼家辯慶、深見泰三、進藤英太郎、大倉文男といった男優陣が見事に描出していた。異色なのは運転手役の橘光造、関西ヤクザの勲章とでも言うべき、ドスの利いた「立て板に水」の啖呵は、オモチャを思わず車から飛び降りさせるほどの迫力があった。 
 この映画を、女性映画の名手・成瀬巳喜男監督の「噂の娘」と比較する向きもあるようだが、それは野暮というものである。生い立ちでは、溝口が先輩、ともに東京出身、経歴も似ているが、女性観には大きな差が感じられる。溝口の姉は芸者上がりの子爵夫人、自分も「痴話喧嘩のもつれから、同棲中の一条百合子(別れた後、貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で切られるという事件」(ウィキペディア百科事典から引用)を起こしていることなど、「女の性」「女の怖さ」を知り尽くしているように感じる。一方、成瀬は当時の花形女優・千葉早智子と結婚、一子をもうけたが3年後に離婚、子どもは千葉が育てたという。成瀬のモットーは「女性賛歌」、もっぱら「女のたくましさ・したたかさ」を畏敬する姿勢が窺われる。言い換えれば、溝口の女は濡れており、映画は悲歌をベースにしているが、成瀬の女は乾いており、映画は謳歌をベースにしている。さればこそ、「比べようがない」のである。
 ただ一点、二人に共通しているのはフェミニズムという「人権思想」であることはたしかであろう。
(2017.5.27)



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2024-04-22

付録・邦画傑作選・「虞美人草」(監督・中川信夫・1941年)

 ユーチューブで映画「虞美人草」(監督・中川信夫・1941年)を観た。冒頭の字幕に「征かぬ身はいくぞ援護へまっしぐら」とあるように、日本が「決意なき開戦」(真珠湾攻撃)を行った年の作品である。原作は夏目漱石の小説に拠る。時代は明治、大学を卒業して2年経つのに、未だに身の固まらない青年たち(27~8歳)の物語である。一人は甲野欽吾(高田稔)、母とは死別、父も客死、甲野家の長男として相続すべき立場だがその意思をはっきりと示さない。家も財産も継母の豊乃(伊藤智子)と妹の藤尾(霧立のぼる)に譲り、自分は放浪したいなどと言う。病弱で痩身、哲学を専攻している。藤尾は24歳、洋風好みで、英語を習いピアノを奏でる。もう一人は、宗近一(江川宇礼雄)、欽吾の親友だが性格は正反対、豪放磊落で「計画よりは実行」を重んじる。外交官を目指しているが資格試験に及第しそうもない。父は、欽吾の父とも昵懇で、一と藤尾の許婚の約束を交わしていたようだ。一にも糸子(花柳小菊)という妹が居る。裁縫が得意で、兄の着物(袖なし)を仕立てたりしている。一は妹を「糸公」と呼んで可愛がっている。そんな様子を見て、欽吾も糸子に好意を寄せている。一と藤尾、欽吾と糸子というカップルが成立すれば・・・それでこの物語は終わるが、そうは問屋が卸さない。藤尾は勝気で「西洋流」、外交官の妻としては申し分ないと一は思っているのに、藤尾は一を嫌っている。試験に落第する男など「まっぴら」ということらしい。そこで、さらにもう一人の青年・小野清三(北沢彪)が登場する。彼は、藤尾の(英語の)家庭教師として甲野家に出入りしている。文学専攻の秀才で、大学を首席で卒業(恩賜の銀時計授受)、現在は博士号取得のため、論文作成に取り組んでいる。藤尾は(母・豊乃も)断然、小野を気に入り、ゆくゆくは(欽吾を追い払い)甲野家の婿として迎えたいという魂胆である。しかし、そうは問屋が卸さない。小野は幼い時両親と死別、京都で養父同然に育ててくれた井上孤堂(勝見庸太郎)という恩師が居るからである。娘・小夜子(花井蘭子)と分け隔てなく育て、ゆくゆくは「小野と小夜子を一緒にさせたい」と井上は考えている。今では妻に先立たれ、娘との二人暮らしを託っている身、頼りになるのは小野だけか・・・、そんな思いで、上京してきたのだが・小野は「心変わり」して、藤尾に惹かれている。
 要するに、宗近一と甲野藤尾、藤尾と小野清三、小野と井上小夜子、甲野欽吾と宗近糸子という「男女関係」がこの物語の骨子である。そして、主人公は、甲野の父がロンドンで買い求めた50万円の懐中時計、今は藤尾の手許にあるが、それを受け取るのは誰か、という筋書きで物語は展開する。
 場面は、①欽吾と一が京都旅行を終え東京に向かう東海道線の車中、そこで偶然にも、上京する井上父娘との遭遇、②甲野家の豊乃、藤尾、欽吾の白々しい対話、③藤尾と小野の親密な出会い、④井上転居宅での小野と小夜子の他人行儀な挨拶、⑤東京勧業博覧会で鉢合わせする欽吾、一、藤尾、糸子の4人グループと小野、井上父娘の3人グループ、⑥小野と井上孤堂の対面、⑦小野との「縁談破談」を申し入れる小野の友人・浅井(嵯峨善兵)と孤堂の討論、⑧浅井から頼まれて小野の下宿を訪れる宗近の侠気、⑨小野の決断と新橋駅での藤尾との訣別、⑩大詰め、藤尾から小野、小野から藤尾、藤尾から宗近へと渡った懐中時計が、暖炉に投げ込まれる瞬間、⑪藤尾の服毒自殺、その訃報(電報)を手にする宗近、といった内容であった。
 見どころは満載だが、中でも法律専攻の浅井と弧堂の「討論」は格別、原作にある以下のセリフが忠実に再現されている。「小野は近頃非常なハイカラになりました。あんな所へ行くのは御嬢さんの損です」「君は小野の悪口を云いに来たのかね」「ハハハハ先生本当ですよ」「余計な御世話だ。軽薄な」・・・「何だって、そんな余計な事を云うんだ」「実は頼まれたんです」「頼まれた? 誰に」「小野に頼まれたんです」「小野に頼まれた?」「ああ云う男だものだから、自分で先生の所へ来て断わり切れないんです。それで僕に頼んだです」「ふうん。もっと精しく話すがいい」「二三日中じゅうに是非こちらへ御返事をしなければならないからと云いますから、僕が代理にやって来たんです」「だから、どう云う理由で断わるんだか、それを精しく話したら好いじゃないか」「理由はですな。博士にならなければならないから、どうも結婚なんぞしておられないと云うんです」「じゃ博士の称号の方が、小夜より大事だと云うんだね」「そう云う訳でもないでしょうが、博士になって置かんと将来非常な不利益ですからな」「よし分った。理由はそれぎりかい」「それに確然たる契約のない事だからと云うんです」「契約とは法律上有効の契約という意味だな。証文のやりとりの事だね」「証文でもないですが――その代り長い間御世話になったから、その御礼としては物質的の補助をしたいと云うんです」「月々金でもくれると云うのかい」「そうです」・・・「君は妻君があるかい」「ないです。貰いたいが、自分の口が大事ですからな」「妻君がなければ参考のために聞いて置くがいい。――人の娘は玩具じゃないぜ。博士の称号と小夜と引き替にされてたまるものか。考えて見るがいい。いかな貧乏人の娘でも活物だよ。わしから云えば大事な娘だ。人一人殺しても博士になる気かと小野に聞いてくれ。それから、そう云ってくれ。井上孤堂は法律上の契約よりも徳義上の契約を重んずる人間だって。――月々金を貢いでやる? 貢いでくれと誰が頼んだ。小野の世話をしたのは、泣きついて来て可愛想だから、好意ずくでした事だ。何だ物質的の補助をするなんて、失礼千万な。――小夜や、用があるからちょっと出て御出、おいいないのか」・・・ 「先生そう怒っちゃ困ります。悪ければまた小野に逢って話して見ますから」「君は結婚を極めて容易い事のように考えているが、そんなものじゃない」・・・「君は女の心を知らないから、そんな使に来たんだろう」・・・「人情を知らないから平気でそんな事を云うんだろう。小野の方が破談になれば小夜は明日あしたからどこへでも行けるだろうと思って、云うんだろう。五年以来、夫だと思い込んでいた人から、特別の理由もないのに、急に断わられて、平気ですぐ他家へ嫁に行くような女があるものか。あるかも知れないが小夜はそんな軽薄な女じゃない。そんな軽薄に育て上げたつもりじゃない。――君はそう軽卒に破談の取次をして、小夜の生涯を誤まらして、それで好い心持なのか」「じゃ、まあ御待ちなさい、先生。もう一遍小野に話して見ますから。僕はただ頼まれたから来たんで、そんな精しい事情は知らんのですから」「いや、話してくれないでも好い。厭だと云うものに無理に貰ってもらいたくはない。しかし本人が来て自家に訳を話すが好い」「しかし御嬢さんが、そう云う御考だと……」「小夜の考えぐらい小野には分っているはずださ」「ですがな、それだと小野も困るでしょうから、もう一遍……」「小野にそう云ってくれ。井上孤堂はいくら娘が可愛くっても、厭だと云う人に頭を下げて貰ってもらうような卑劣な男ではないって。――小夜や、おい、いないか」「そう返事をして差支さしつかえないだろうね」「先生もう一遍小野に話しましょう」「話さないでも好い。自家に来て断われと云ってくれ」「とにかく……そう小野に云いましょう」(「夏目漱石 虞美人草 青空文庫」より抜粋引用)
 小野同様、浅井も弧堂を師と仰いでいる。その子弟の対話(討論)が、真に迫っていてたいそう面白いのである。
 極め付きは、⑧の場面の宗近と小野の対話、これもまた原作どおりに再現されている。
「小野さん、真面目まじめだよ。いいかね。人間は年に一度ぐらい真面目にならなくっちゃならない場合がある。上皮ばかりで生きていちゃ、相手にする張合はりあいがない。また相手にされてもつまるまい。僕は君を相手にするつもりで来たんだよ。好いかね、分ったかい」・・・「分ったら君を対等の人間と見て云うがね。君はなんだか始終不安じゃないか。少しも泰然としていないようだが」「そうかも――知れないです」「そう君が平たく云うと、はなはだ御気の毒だが、全く事実だろう」「ええ」「他人が不安であろうと、泰然としていなかろうと、上皮ばかりで生きている軽薄な社会では構った事じゃない。他人どころか自分自身が不安でいながら得意がっている連中もたくさんある。僕もその一人かも知れない。知れないどころじゃない、たしかにその一人だろう」「あなたは羨うらやましいです。実はあなたのようになれたら結構だと思って、始終考えてるくらいです。そんなところへ行くと僕はつまらない人間に違ないです」「小野さん、そこに気がついているのかね」「いるです」・・・「僕の性質は弱いです」「どうして」「生れつきだから仕方がないです」「君は学問も僕より出来る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬している。尊敬しているから救いに来た」「救いに……」「こう云う危あやうい時に、生れつきをたたき直して置かないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後あとは心持がいいものだよ。君にそう云う経験があるかい」・・・「なければ、一つなって見たまえ、今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もう駄目だ。生涯真面目まじめの味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上ってくる。人間らしい気持がしてくる。――法螺じゃない。自分で経験して見ないうちは分らない。僕はこの通り学問もない、勉強もしない、落第もする、ごろごろしている。それでも君より平気だ。うちの妹なんぞは神経が鈍いからだと思っている。なるほど神経も鈍いだろう。――しかしそう無神経なら今日でも、こうやって車で馳かけつけやしない。そうじゃないか、小野さん」「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据すわる事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存げんそんしていると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へたたきつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日きのう真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人ひとり真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね」「いえ、分ったです」「真面目だよ」「真面目に分ったです」「そんなら好い」「ありがたいです」(「夏目漱石 虞美人草 青空文庫」より抜粋引用)
 この対話のキーワードは「真面目」(真剣勝負)ということである。宗近の「計画よりも実行」という信念に裏づけられて、いかにも説得力がある。かくて、小野真三は藤尾との訣別を決意、恩師・弧堂との約束に応えることができたのである。
 そしてまた、藤尾は「虚栄の毒を仰いで斃れた」。原作によれば、欽吾は小夜子と結ばれ、義母・豊乃とも「和解」する。藤尾が「宗近か、小野か」、小野が「藤尾か、小夜子か」と迷ったことは《喜劇》であり、「生か、死か」、という問題こそが《悲劇》なのだという夏目漱石の「眼目」は、極めて哲学的である。
 「虞美人草」という小説は、1935年、監督・溝口健二によっても映画化されているが、現在そのフィルムは完全な形で残されていない(大詰めの部分が消失している)。しかし、脚色・演出の方法は対照的であるように思われた。展開は、井上弧堂と小夜子の「悲劇」の風情が色濃く、きわめて女性的であった。また、監督・中川信夫の本作品でも、大詰めの場面は原作と異なっている。藤尾が大森に出かけようとして新橋駅で小野を待つ、小野はそこに現れて藤尾に別れを告げる。しかし、原作では、小野は小夜子を伴って甲野家を訪れる。藤尾は小野に会えずやむなく帰宅、そこで欽吾、豊乃、宗近兄妹、小野、小夜子らと一堂に会し、懐中時計の「死」に遭遇するのである。(「宗近君は一歩を煖炉に近く大股に開いた。やっと云う掛声と共に赭黒あかぐろい拳が空くうに躍おどる。時計は大理石の角かどで砕けた。」・原作)そして、藤尾はその場に卒倒する。こうした場面の描出を中川信夫が避けたのはなぜだろうか。夏目漱石の「哲学的」な結末に比べて、その情景を「映画的」に描出することは困難、もしくは野暮と考えたか。いずれにせよ、夏目漱石の文学よりは「女性的」であることは確かなようである。
 とはいえ、原作にあくまで忠実、「真面目」に映画化を試みた「傑作」であることは間違いない。厭世感をを漂わせた哲学者・甲野の高田稔、磊落で行動的な外交官の卵・宗近の江川宇礼雄、秀才だが気弱な脆さを感じさせる文学者・小野の北沢彪、体面を重んじ世間体を気にする明治上流階級の典型的な女性・豊乃の伊藤智子、新しい時代で自己を貫こうとする藤尾の霧立のぼる、琴を奏で、どこまでもしとやかな小夜子の花井蘭子、兄思いでおきゃん、しかし古風な豊乃に真っ向から対立して憚らない糸子の花柳小菊、お人好しで俗物、損な役回りを平気で引き受ける浅井の嵯峨善兵、時代の流れに置かれていこうとする井上弧堂の勝見庸太郎、同じく宗近一の父の玉井旭洋、宗近とともにロンドンに向かう同僚の龍崎一郎、といった実力者の面々が綺羅星のごとく居並んでいる。まことに豪華絢爛な配役で、余裕派・夏目漱石の作品を飾るには文字通り「適材適所」、見事な出来映えに心底から拍手を贈りたい。
(2017.5.3)



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2024-04-21

付録・邦画傑作選・「阿部一族」(監督・熊谷久虎・1938年)

 ユーチューブで映画「阿部一族」(監督・熊谷久虎・1938年)を観た。タイトルの前に「国民精神総動員 帝国政府」という字幕が一瞬映し出される。原作は森鷗外、九州肥後藩で起きた、一族滅亡の物語である。監督・熊谷久虎も九州出身、女優・原節子の叔父として知られているが、この映画を制作後(1941年)、国粋主義思想団体を結成し教祖的存在になる。一方、出演は1931年に、歌舞伎大部屋(下級)俳優が創設、(民主的な)「前進座」総動員、というわけで、その取り合わせが、たいそう興味深かった。もっとも、当時の社会が「大政翼賛体制」へと突き進んでいく時勢であったとすれば不思議ではない。冒頭のキャッチ・フレーズがそのことを雄弁に物語っている。
 筋書きは単純、先君・肥後守細川忠利の逝去に当たり、18名の殉死が許されたが、阿部一族の当主・阿部弥一右衛門(市川笑太郎)は許されなかった。そのことを嘲笑う城内の空気感じて、彼は追い腹を切る。藩主の細川光尚(生方明)は「余への面当てか」と激怒したが、殉死扱いとしてお咎めはなかった。にもかかわらず、弥一右衛門の長男・権兵衛は先君の一周忌法要で、父の位牌がないことを知るや、焼香の後いきなり自分の髻を切り落とした。かねてより阿部一族の武勲に面白くない大目付の林外記(山崎進蔵、後の河野秋武)は「何たる不埒」と光尚に進言、権兵衛は縛り首に処せられる。合わせて、「阿部一族に不穏な動きあり」という噂を流す。かくて、次男・弥五兵衛(中村翫右衛門)、三男・一太夫(市川進之助)、四男・五太夫(山崎進二郎)、五男・七之丞(市川扇升)ら兄弟とその家族、一族郎党が、籠城して討ち死にする。阿部家の隣は、柄本又七郞(河原崎長一郎)の屋敷、両家は親しく交流していたが、討ち入りの際には、「情は情、義は義」と言い、一番槍で弥五兵衛と対峙したのであった、という物語である。
 この映画の眼目(見どころ)は、ひとえに「死に様」の美学であろうか。冒頭の二人の殉死、そして弥一右衛門、追い腹の場面は真に迫っていた。
 殉死の一人目は内藤長十郞(市川喜菊之助)、酒好きで失敗を重ねたが、先君に咎められることなく可愛がられ、務めを全うした由、新婚の妻(平塚ふみ子)、母(伊藤智子)、弟(伊藤薫)を後に残して、欣然と東光院に赴く。長十郞享年17歳。二人目は、仲間の五助(中村進五郎)、先君の愛犬の世話を仰せつけられたか、その犬とともに高淋寺に赴く。木の根元に腰を下ろして五助が言う。「オレが死んでしもうたらお前は明日から野良犬じゃ。もし、野良犬でも死にとうなかったら、この握り飯を食え。もし、死にたければ食うな」と言って差し出す。犬は、握り飯を一瞥すると五助の顔を見た。「そうか、お前も一緒に死んでくれるか、ヨカヨカ」と言って犬に頬ずり、涙に暮れた。握り飯に落ち葉が降りかかる。その直後「ワン」という声とともに「松野様。よろしくお頼み申します」、という五助の声が聞こえた。五助享年38歳。
 弥一右衛門追い腹の場面、ある雨の降りしきる晩、弥一右衛門は息子5人、一族郎党をを集めて機嫌がよい。庭先に来た仲間・太助(市川延司、後の加東大介)に「ええか、この刀をやる。刀は武士の魂じゃ、これを見たらワシじゃと思え」と愛刀を授ける。息子たちに向かって「ワシは命よりも名を惜しむ。名門のためなら追い腹切って、犬死にでもよい。ワシのことを瓢箪に油塗って切るという者もあるが、ワシは瓢箪に油ば塗って《腹を》切る」と言い放つ。瓢箪に入った酒をまず長男の権兵衛に注ぎ、「ワシにも注いでくれ」。次々と、酒を酌み交わしながら「死なぬはずのワシが死んだら、みんながおぬしたちのことを侮るかもしれん。その時はわしの子に生まれたことを不運だと思ってくれ、しょうがつことなか、ええか、兄弟仲良くせえよ。みんな心を合わせて武士らしく振る舞えよ、アハハハハ」」と笑い飛ばし、終わりに十八番の舞「清経」を披露する。とろどころ「みるめをかりの夜乃空。西に傾く月を見ればいざや我も連れんと。南無阿弥陀佛弥陀如来、迎へさせ給へと、ただ一聲を最期にて、船よりかっぱと落汐(おちじお)の、底の水屑(みくづ)と沈み行く、憂き身の果ぞ悲しき」などと詠うのが聞こえた。
 さらに、この場面は「阿部一族」討ち死にの、大詰めでも再現される。弥五兵衛が父の残した瓢箪で弟たちと酒を酌み交わし、「清経」を舞う。
 武士道とは死ぬことと見つけたり、主君のために死ぬことが武士の本分であり、主君が死ねば殉死する、その精神こそが「国民精神総動員」(キャンペーン)の本質であることは間違いない。かくて、日本国民はまっしぐらに軍国主義、戦争への道を歩んだのである。 あの「前進座」までもがそれに加担していたという「事実」を知る上で、貴重な歴史的産物であると、私は思った。そして今、再び「戦争の足音が聞こえる」世の中になっているが、断じて同じ過ちを繰り返すまい。映画の最後には「犬死一番」という文字も見えたが、現代では、犬死(戦死)こそが最も愚かな「死に様」であることを肝に銘じたい。
 他に、この映画には多くの女性、子どもが登場する。例えば、前述した殉死者・内藤長十郞の新妻、そして母、さらには阿部家の仲間・太助の恋人で、柄本家の女中(堤真佐子)、柄本又七郞の妻(山岸しづ江)、阿部権兵衛の妻(一ノ瀬ゆう子)、一太夫の妻(原緋紗子)、五太夫の妻(岩田富貴子)といった面々だが、彼女らの存在感は希薄、ただ男たちの「義」に従属するだけ、子どもたちもまた「遊び呆ける」姿を見せるだけで、軍国下にある婦女子の苦悩、愛憎、悲哀の描出は不発に終わったと思う。それもまた、当時の社会を反映した、悲しい証しかもしれない。
(2017.6.6)



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2024-04-19

付録・邦画傑作選・「浅草の灯」(監督・島津保次郎・1935年)

 ユーチューブで映画「浅草の灯」(監督・島津保次郎・1935年)を観た。東京・浅草を舞台に繰り広げられるオペラ一座の座長、座員、観客、地元の人々の物語である。
 冒頭は、オペレッタ「ボッカチオ」の舞台、座員一同が「ベアトリ姉ちゃん」を合唱し ている。その中には、山上七郎(上原謙)が居る。藤井寛平(斎藤達雄)が居る。飛鳥井純(徳大寺伸)が居る。香取真一(笠智衆)が居る。そして、新人・小杉麗子(高峰三枝子)の姿もあった。その麗子の前に、二階席から花束が投げ込まれた。投げたのは、麗子の熱狂的ファン、ポカ長と呼ばれる新人画家の神田長次郎(夏川大二郎)である。その花束を麗子が手にしてくれたので、彼はうれしくてたまらない。公演途中で外に出ると、すぐ傍にある射的屋に赴く。店番をするのはお竜(坪内美子)、下宿仲間のドクトルこと医学生・仁村(近衛敏明)が遊んでいた。ポカ長の射的は百発百中の勢いで、景品を仁村にプレゼント、意気揚々と引き揚げていく。やがて、公演が終わった楽屋で、麗子がもらった花束を「あんた、そんなものいつまで大事にするつもり?」と先輩の吉野紅子(藤原か弥子)が冷やかす。踊り子たちが大騒ぎをしているところに、山上が顔を出した。麗子を呼び出して「ペラゴロ(ポカ長)なんか、相手にするんじゃないよ」と忠告する。
 そして麗子はまた呼び出された。今度は酒場のマダム・呉子(岡村文子)、「麗子ちゃん、ちょっと来てくれない?」。呉子は麗子の親代わり、彼女を二階に住まわせている。麗子は呉子に付いていく。その様子を二階から見咎める、一座の座長・佐々木紅光(西村青児)・・・。
麗子が酒場に行くと、土地の顔役・半田耕平(武田春郎)が亭主(ヤクザ)の大平軍治(河村黎吉)と待っていた。半田が「おいしいものを食べに行こう」と言う。麗子は、大平の一睨みでイヤとは言えない。呉子に急かされて洋服に着替え、半田と出て行こうとすると、佐々木が現れた。麗子に向かって「こんなところで何をしているんだ、早く楽屋に帰りなさい」と言うなり連れ去った。佐々木は大学出のインテリ、周囲からは「先生」と呼ばれている。さすがに半田も大平も逆らえない。鳶に油揚をさらわれた恰好で、「チクショウ!。ふざけたまねしやがって。公園に居られないようにしてやる」「一番、やってやろうか」と息巻いた。公園の夜店では大平の配下、地回りの仙吉(磯野秋雄)が、通行人を相手に怪しげな賭博を開帳、遊びに来ていた丁稚小僧に話しかけていたが、「アッ、いけねえ。刑事だ」と遁走する隙に小僧の懐から蟇口を掏り取る。その現場を目撃したのはポカ長、仙吉を捕まえて「おい待てよ。返してやれよ。何も知らない小僧さんが困ってるじゃないか」「何だと、おいペラゴロ!お前、オレを誰だと思っているんだ」「あんたの顔は知らないけど、やったことは知っている、さあ返してやれよ、オレは正義漢なんだ」「ふざけやがって、この野郎、こっちへ来い」と仲間の所へ引きずろうとする。そこに偶然、山上が通りかかった。何だ、どうしたと仙吉を見る。「これは兄貴!、こいつが因縁をつけやがるんで」「まあ、今日の所は引いてくれ」と山上は、カウボーイ・ハットを脱いで頭を下げたのでその場は収まった。ポカ長は、思わぬ所でオペラのスター山上に助けられ感激する。そして二人は「十二階」へ、遠い彼方を見やりながら語り合う。「どこを見てるんですか」「あっちに故郷があるんだ」「どこですか」「信州だ」「私も信州です。上諏訪という所です」「そうか、オレは岡谷だ」。かくて、二人の間には厚い友情が芽生えたか・・・。
 やがて、半田、大平一味の復讐が始まる。配下の仙吉たちに佐々木の舞台を「ヤジリ倒せ」と指示する。舞台は「カルメン」、カルメン役は、佐々木の妻・松島摩利枝(杉村春子)であった。大勢の役者が袖に消え、舞台は摩利枝ひとりになった。そこに現れるホセ役の佐々木、その姿を見て仙吉たちが大声を上げてヤジりまくる。あまりのひどさに、佐々木は客席に向かって仁王立ち、「私は芸人じゃない、これでも芸術家なんだ!」と叫んだ。「ホンマカイナ」という声を聞いて山上も袖から飛び出す。客席では乱闘が始まるという有様で、当日の公演は中止となってしまった。激高した佐々木は、「もう舞台には立たない」という。奥役(河原侃二)が止めるのも聞かず、「摩利枝、さあ帰るんだ!」と妻を促すが、意外にも摩利枝は「イヤです!私はここに残ります」と、動こうとしない。一味の計略はまんまと成功したのである。それもそのはず、摩利枝は半田と裏でつながり、麗子との間をとりもとうとしていたのだから・・・。摩利枝は佐々木と別れて新しい劇団を作りたい、その資金を半田に求めていた。半田はその見返りに麗子を求めている。
 摩利枝は麗子に半田の所に行くよう説得する。イヤとは言わせない雰囲気に麗子はやむなく承諾、摩利枝は一瞬頬笑んだが、「この前みたいにすっぽかしたら承知しないよ。紅子、送って行ってやりな」と言い置いて立ち去った。泣き崩れる麗子を見て、紅子は「こんな可愛い子を行かせたくない。いいわ、あたし独りで行ってくる」と言う。「大丈夫よ、何とか誤魔化してくるわよ。それより麗子ちゃん、何でも山上さんを頼りにするといいわ、いい人よ、正義漢よ、男よ」。紅子もまた山上に恋い焦がれているのであった。紅子を見送り、なおも泣きじゃくっている麗子を山上が見つけた。事情を聞いた山上は、麗子を仲間の部屋に連れて行く。 このままでは麗子の身が危ないと座員と思案しているところに、ポカ長が訪ねて来た。ちょうどいい、ポカ長の下宿に匿ってもらおうというと、ポカ長は「下宿代が滞っているので・・・」と渋る。香取が「100円ほどあればいいか、オレが何とかする」。彼は、大阪の新劇運動に参加する、その前に100円前借りして、「ドロンする」と涼しい顔で言うのだ。渡りに船、一同はすぐさま同意、麗子は根岸にあるポカ長の下宿で身を隠すことになった。一刻も早く、ということで麗子はポカ長の下宿へ・・・。その様子を射的屋のお竜が目撃していた。
 またまた、すっぽかされた半田は激怒して摩利枝に電話する。摩利枝はあわてて半田の所に行ったのだが、麗子の行方は判らない。
 翌日、山下は香取が調達した100円を渡しに神田の下宿に行く。神田と麗子に外出はしないようにと言い含め、浅草に戻ると、仙吉たちが待ち構えていた。お竜から、麗子がポカ長と一緒に立ち去ったことを聞き出していたのだ。「ポカ長の下宿はどこだ」「知るもんか」と揉めている所に、藤井が飛んで来た。「飛鳥井の容体が急変した、オレは医者を呼んでくる」と告げる。飛鳥井は山上たちの親友、かねてから胸を患っていた。座員の皆に看取られて、飛鳥井は逝った。「人間は、遅かれ早かれ皆死ぬんだ」という香取の言葉に、山下は嗚咽しながら肯く・・・。 
 舞台稽古が始まっている。それを客席から見つめる摩利枝、佐々木の代わりに演出を手がけている様子、その場に山上がやって来ると、振り向いて言う。「ねえ、いいかげんに麗子を返しなよ。どこにやったの?」「知りませんね」「先生がいなくなってからバカに楯突くじゃないの」。そこに香取が割って入った。「麗子なら、私が100円前借りして関西に逃がしましたよ。いずれは楽天地か宝塚でしょう」。摩利枝は驚くやら、怒るやら、悔しいやら、あたふたとその場を立ち去った。香取はすでに大阪行きの切符を手にしている。「今夜はお別れだ、いつもの所に飲みに行こう」。
 飛鳥井は死に、香取も去った、山上は淋しさをこらえながらポカ長の下宿を訪れる。飛鳥井の死を知らせに来たのだが・・・。しかし、そこでは麗子が、神田や下宿仲間とトランプに興じていた。山上は呆れて、神田に「今の連中に麗子の素性を教えたのか」に訊ねると「ああ、教えた」「何だってそんなことをしたんだ」「見ればわかるじゃないか、ビクビクするなよ。オレは麗子さんのためなら命を投げ出したっていい」。その言葉を聞いて山上は激怒した。「てめえ、一人の命で何が解決するんだ、みんながどんなに苦労しているかわからねえのか」と神田を殴り倒し、足蹴にする。泣き出す麗子に「こんなところにいられない。さあ、行くんだ」と連れ出そうとしたが、麗子は拒否する。「あたしはここにいます」。山上は一瞬キッと睨んだが、「そうか、それならそれでいい」という表情になり出て行った。
 一人とぼとぼと楽屋に戻る道、途中から雨が降り出した。楽屋に戻る道でお竜と出会った。麗子の件で仙吉たちに嫌がらせを受け、浅草に居辛くなった、田舎に帰るという。「山上さん、一緒に行ってくれない。あなたと一緒になった夢を見たの」「オレは今、男と女のことは考えたくない」「怒ったの」「いや、でもごめん、オレ先に行くよ」。山上の心中には麗子の姿が浮かんでいたのかも知れない。   
 翌日も雨、楽屋の部屋では紅子が飛鳥井の遺影に線香を上げている。弁当を掻っ込む山上に、お茶を注ぎながら「香取さん、どうしているかしら。淋しくなったわねえ」「あいつのことだから、うまくやっているよ」、そこに藤井がやって来て「佐々木先生が奥さんと別れ話をしている。行ってみてくれないか」と言う。摩利枝の楽屋に行くと、佐々木が「山上君、お別れを言いに来た。もうこの年で役者でもあるまい。日本の演劇史を書こうと思う」「それはいい、大賛成です」「ところが、こいつは反対なんだ」。摩利枝は「別れるなら手切れ金を出しなさい」の一点張り、「奥さん、役者を辞めて、先生の仕事を手伝ってあげてください」と懇願するが「何を生意気な!」と摩利枝は応じない。終いには「あたしは、くどいことは嫌いなんだ!」と毒づく始末、もうこれまでと、山上はポケットからナイフを取り出した。「まあ!何をするんです」とたじろぐ摩利枝に「奥さん、先生に謝りなさい。さもなければ、ここで指を詰めるまでだ。オレも浅草の山七だ。今まで通らなかった話はない。どうせ身寄りもないオレだ、指がなくなったってどうということはない。さあ、謝れ!謝らなければ指を詰めるぞ」と必死に迫る。佐々木を慕う山上のまごころに打たれたか・・・、摩利枝は泣きながら「ごめんなさい、私が間違っていました」と佐々木に頭を下げた。山上も安堵して「手荒なことをしてすみませんでした」と謝る。
 そこにお竜が飛び込んで来た。「たいへん、ポカ長が大平の家に麗子ちゃんの荷物を取りに行き、閉じ込められてるの」「オレはポカ長のことは知らない」「それでも男なの、いくじなし、卑怯よ」「何? 卑怯だと」、山上は頭に来て、大平の店に駆けつける。大平が仙吉たちに「半殺しにしろ」と指示している。山上は、若い者を殴り飛ばして、大平に迫る。「ポカ長を返せ」「誰だそれは」「二階のお客様だ」。かくて、ポカ長は無事、救出された。「すまねえな、兄貴!」「あんな危ないところに行く奴があるか」「でも、麗子ちゃんの着物や大切なものを取りに来たんだ」「・・・」「ところで兄貴、オレ、麗子ちゃんと結婚したいんだが」「・・・麗子は何と言ってるんだ」「山上さんが承諾すれば・・・と」「・・・そうか、じゃあいいだろう。結婚しろよ」「そうか!いいのか、ありがとう、兄貴」「そのかわり、勉強していい絵をかけよ」。
 山上が楽屋に帰る途中、お竜が待っていた。「どうだった」「ああ、無事終わったよ」「そう、よかったわね」「オレ、話があるんだ」「何?」「これから大阪へ行こうと思う。香取にいろいろ教えてもらうんだ。もう浅草に用はない」「じゃあ、あたしも連れてって、女中でも何でもするから」「・・・・」
 かくて二人の姿は、東海道線の車中に・・・、車窓には、雪を頂いた富士山の景色がくっきりと映っていた。そして画面には「終」の文字もまた・・・。
 
 この映画の眼目は「痛快娯楽人情劇」の描出にあるのだろう。そのための役者は揃っていた。善玉の上原謙、夏川大二郎、笠智衆、齋藤達雄、西村青児に、徳大寺伸が「悲劇」を演じる。悪玉の武田春郞、河村黎吉、磯野秋雄、日守新一が、思い切り浅草ヤクザの「柄の悪さ」を描出する。女優では、悲劇のヒロイン高峰三枝子、先輩の藤原か弥子、着物が似合う坪内美子、悪玉の岡村文子、特別出演の杉村春子などなど、おのおのが存分に持ち味を発揮して、ねらい通り、たいそう見応えのある作品に仕上がっていたと、私は思う。
 見どころは、何と言っても上原謙の「男っぷり」である。麗子、紅子、お竜の三人から惚れられ、ポカ長からも「兄貴」と慕われる。ケンカにはめっぽう強く、自分の思いを通さなかったことはない。土地のヤクザからも一目置かれている。ただ一点、本命の麗子からは「袖にされた」か、カウボーイ姿でとぼとぼ歩く姿が「絵になっていた」。極め付きは、杉村春子との対決、身勝手で気が強くおきゃんな摩利枝を、思わず「改心」させる「侠気」が光っていた。次は、その杉村春子の舞台姿である。当時は28歳、多少「うば桜」とはいえ、一座のプリ・マドンナとして堂々と「カルメン」を踊り歌う。夫役の西村青児とも丁々発止と渡り合う「啖呵」は、たまらなく魅力的であった。他にも、ポカ長・夏川大二郎の、強者(仙吉、大平)には敢然と立ち向かう「正義漢」振り、弱者(麗子)には「女ことば」まで使ってプロポーズする「道化」振りが際立っていた。さらには、飄然とした笠智衆の風情、極道もどきで滑稽な河村黎吉、武田春郞、磯野秋雄、日守新一らの姿が色を添えていた。
 最後は、ようやく願いが叶った坪内美子を、霊峰・富士山が祝福する・・・、見事なエンディングであった。
(2017.6.13)



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2024-04-18

付録・邦画傑作選・「桃中軒雲右衛門」(監督・成瀬巳喜男・1936年)

 ユーチューブで映画「桃中軒雲右衛門」(監督・成瀬巳喜男・1936年)を観た。  
原作は真山青果、明治から大正にかけ、浪曲界の大看板で「浪聖」と謳われた桃中軒雲右衛門の「身辺情話」である。成瀬作品にしては珍しく「男性中心」の映画で、女優は雲右衛門の曲師であり妻女のお妻を演じた細川ちか子、愛妾・千鳥を演じた千葉早智子しか存在感がない。(他は、ほとんど芸者衆である。)
 筋書きは単純、九州から東京に凱旋する桃中軒雲右衛門(月形龍之介)が、先代からの曲師・松月(藤原釜足)と、途中の静岡で雲隠れ、番頭(御橋公)や弟子(小杉義男)たちが大騒ぎする中、国府津に置いてきた息子、泉太郎(伊藤薫)の後見人・倉田(三島雅夫)の説得で、ようやく東京入り。本郷座での公演は大成功を収めるが、たまたま出会った芸者・千鳥の初々しさに惹かれ、病を抱えたお妻との関係が疎遠になっていく。新聞では雲右衛門の醜聞が大きく取り上げられるが、どこ吹く風、これも「芸の肥やし」と全く意に介さない。やがて、お妻は病状が悪化、泉太郎や千鳥までもが見舞うように勧めるが「お妻はただの女ではない。芸を競い合う相手だから、俺を慕うような(俺に助けを求めるような)姿は見たくない」と言い、頑なに拒絶する。その気持ちがお妻にも通じたか、弟子に看取られながら、静かに息を引き取った。その亡骸の前で、雲右衛門は威儀を正し、極め付きを披露する。あたかも、曲師お妻の「合いの手」を頼りにするかのように・・・。
 この映画の見どころは、若き日、月形龍之介の雄姿であろうか。雲右衛門は「俺はしがない流し芸人の倅、名誉や地位などどうでもよい。傷だらけになって、ただ芸一筋に生きるのだ」と主張する。その容貌とは裏腹に、脱世間・常識破りで不健全な、カッコ悪い生き様を求めているのだ。そのことを周囲は理解できない。理解できたのは妻女のお妻ただ一人。共に立つ舞台でお妻の調子が外れた。そのことを指摘するだけで(昔のように)怒ったり殴ったりしない雲右衛門を、お妻は激しく罵倒する。その名場面こそが、見どころの極め付きであったと、私は思う。「お妻、今日は二度まで調子を外したが、オレの芸にいけねえ所があったのか」「弾いていて泣けません」「ちょっと三味線持っといで」と、穏やかに言うが、お妻はハッキリと断る「あたしはイヤだ。他の人にやらせたらいいでしょう」。雲右衛門はキッとして「お妻!」と言ったが、「何です」と軽くあしらわれて次の言葉が出なかった。「・・・・」「お前さん、この頃のあたしの三味線をどう聞いてます。自分ながら、あたしの三味線はもう峠を越したと思ってます。身体の病には勝てやしない」。雲右衛門は「オレはそれほどとは思っていなかったが・・・」と取りなすが、健気にもお妻は攻勢に出た。「その女房に小言一つ言えずに結構がって詠っているお前さんは、それでも天下の雲右衛門か、桃中軒の総元締めか。昔のことを思うと涙がこぼれらあ」。雲右衛門も「夫婦の中でも芸は仇だ、勝手なことを言うなよ」と反撃に出たが「お前さんは昔、あたしの三味線の出来が悪い日には撲ったり蹴ったりした人だよ。もとより女として可愛がられたこともない。自分の芸のためにあたしの三味線を食ったんだ。自分の芸のためなら人も師匠も忘れられる強い心を持っていたんだよ。(九州時代からの)夫婦でも芸は仇、お互いに負けまいという真剣さはどうなったんだい」「それはオレも思うよ」と認めて弱音を吐く。「人気が下がって芸が落ちるのなら、お前さんもそれだけの人だよ」「そうじゃあねえ。衰え始めたオレの芸に、かえって反対の人気が立ってくるんだ。オレはそれを思うといつも背中が寒くなる」「お前さん、いくつなんだい、それを言って済む歳かい」、お妻は、「あたしの身体はもう長くない、今のお前さんの意気地ない姿を見て、逝くところへ逝けるかい」と一睨み、最後に「お前さんは女でも女房でも自分の芸のためなら、みんな食ってきた人なんだよ、それが何だい、いまごろ女房の三味線に蹴躓いて汗なんか流して。これだけ言やあたくさんだろ・・・」と言って、背中を向けすすり泣く。雲右衛門は「お妻!」と言って立ち上がったが、後は無言、静かに頭を垂れる他はなかった。
 二人の対話は、これを最後に交わされることはなかったのである。
この場面こそが、この映画の真髄であり、男の弱さと女の強さ・逞しさが見事に浮き彫りされる、成瀬監督ならではの演出ではないだろうか。それまで、夫唱婦随の景色で、しおらしく見られていた曲師・お妻が、一転、立て板に水のような啖呵がほとばしる。細川ちか子の「鉄火肌」の片鱗も垣間見られて、この場面だけで、私は大いに満足できたのである。蛇足だが、千鳥役、千葉早智子の演技も冴えていた。芸妓から雲右衛門の新造に納まり、初々しかった娘の景色に貫禄が加わる。世間の風評を意に介さず、弟子や番頭とも五分で渡り合い、お妻を見舞う素振りも見せながら、足りない責任はは雲右衛門におっかぶせるという姿勢は、成瀬監督が自家薬籠中の「女模様」に他ならない。女性映画の名手・成瀬巳喜男のモットーは、ここでも貫かれているのである。比べて、男性陣が繰り広げる様々な対立や葛藤は、所詮「小競り合い」に過ぎず、悲劇を装えば装うほど、喜劇的にならざるを得なかった。名優・藤原釜足が、電話口でお妻の訃報(臨終の様子)を聞き、「オレはこの年になって、それを聞こうとは思わなかった、早く電話を切ってくれ」と、涙ぐむ姿が、何よりもそのことを雄弁に物語っている。
 国威高揚の空気が強い当時において、その片棒を担がされる雲右衛門に、思い切り無様で無力な姿をダブらせようと試みる成瀬監督の「腕は鈍っていない」のである。拍手。
(2017.6.18)



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2024-04-15

付録・邦画傑作選・「出来ごころ」(監督・小津安二郎・1933年)

 ユーチューブで映画「出来ごころ」(監督・小津安二郎・1933年)を観た。昭和初期、人情喜劇の傑作である。主なる登場人物は男4人、女2人。男は、東京のビール工場で働く日雇い労働者・喜八(坂本武)、その息子・冨夫(突貫小僧)、喜八の同僚・次郎(大日向伝)、近所の床屋(谷麗光)、女は、千住の製糸工場をクビになり、途方に暮れている小娘の春江(伏見信子)、春江を雇い面倒をみる一善飯屋のおたか(飯田蝶子)である。
 今日も仕事を終え、喜八親子、次郎たちは小屋がけの浪曲を楽しんでいる。演目は「紺屋高尾」、演者は浪花亭松若。桟敷に蟇口が落ちている。客の一人がそっと取り上げて見ると中身は空っぽ、バカバカしいと放り投げる。他の客もその蟇口を取っては放り投げる。それが喜八の前に飛んで来た。喜八も同様に放り投げようとしたが、「待てよ、俺の蟇口よりこっちの方が豪勢だ」と思ったか、その蟇口は懐に、代わりに自分の蟇口を空にして放り投げた。その蟇口をまた手にする他の客・・・、そのうちに、一人の客が立ち上がる。蚤が飛び込んで来たか、浴衣の裾をはたいて大騒ぎ、蚤は次から次へと客の懐に飛び込んでいく。客席は全員が立ち上がり、浪曲どころではなくなったが、最後は口演中の浪花亭松若のもとに飛び込んだという次第。蟇口と蚤の連鎖が織りなす客席風景は、抱腹絶倒の名場面であった。それでも舞台は万雷の拍手で終演となり、喜八たちが小屋を出ると、行李を手にした春江がポツンと立っている。喜八は、ことのほか気になり、冨夫を負ぶいながら春江に近づこうとする、そのたびに冨夫が喜八の頭をポンと叩く姿が、可笑しい。次郎は春江には全く関心が無く、おたかの店に喜八を誘う。ほどほどに酒を飲み、帰ろうとすると、路地にまた春江が立っている。「このへんに泊まるところはないでしょうか」「お前さん、宿無しかい」。春江には家族もないとのこと、喜八はおたかに一晩の宿を頼み込んだ。おたかは、面倒なことに巻き込まれないかと危惧したが、不承不承に承知した。
 翌朝、7時30分を過ぎたのに、喜八はまだ寝ている。冨夫が「ちゃん、工場に遅れるよ」と起こしたが、いっこうに起き出さない。業を煮やした冨夫は台所のスリコギ棒を持ってきて、思い切り喜八の脛に振り下ろした。思わず跳び上がる喜八、その姿に私の笑いは止まらなかった。同様の手口で冨夫は隣家の次郎も起こしに行く。家に戻ると、冨夫はかいがいしく喜八の着替えを手伝う。工場で使う軍手を手渡しながら「チャン、手袋の指は、なぜ五本なのか知ってるかい」「なぜだ」「四本だったら手袋の指が一本余っちゃうじゃないか」「なるほど、よくできてやがらあ」。喜八たちは井戸端のバケツで顔を洗い、口をすすぎ、一同の朝飯はおたかの家で・・・。そこに春江の姿が現れた。にこやかに「昨晩はいろいろと有難うございました」。おたかも「いろいろと話を聞いてみたが、当分の間、ウチで働いて貰うことにしたよ」と頬笑んだ。
 かくて、春江の身の振り方は一件落着となったが、喜八の方がおさまらない。いい年をして、寝ても覚めても春江のことが忘れられない。仕事はさぼる、酒は飲む。しかし、春江はどうやら次郎の方に惹かれているらしい。おたかが寿司折りと酒瓶を持って、喜八の部屋を訪れた。「春江と次郎さんの間をとりもってくれないか。お前さんなら、何とかできそうだ」。喜八も、一度は落胆したが、よく考えれば「なるほど、それもそうだ。オレは年を取り過ぎた、一肌脱いでやろう」と納得、次郎に話をつけようとする。だが次郎は断固拒否、やるせない「恋の痛手」を抱えて、喜八の酒量は増える一方、冨夫は級友からも「お前の親父はバカだってよ、字も読めないのに、工場も休んで飲み歩いている」と罵倒される始末、冨夫は泣いて家に戻るが、誰もいない。縁側にあった盆栽の銀杏をちぎっては食い、ちぎっては食ううちに寝入ってしまった。夜遅く帰ってきた喜八、丸裸になった盆栽を見て「誰がやったんだ」「俺がやったんだよ、正直に言ったんだ、ジョージ・ワシントンだって・・・」「俺の知らない話で誤魔化すな」「チャンのバカ!新聞も読めないくせに」「新聞はまとめて屑屋に売るもんだ」「工場にも行かずに毎日酒ばかり飲んで」と言うなり、冨夫は辺りの新聞紙を喜八に投げつける。そこから父子の壮絶なバトルが始まった。冨夫を十数回、平手打ちする喜八、殴られるたびに喜八をにらみ返す冨夫、躊躇した喜八に今度は冨夫が泣きながら数十回の平手打ち、とどのつまり喜八は殴られっぱなし、全く無抵抗のままこのバトルは終わった。冨夫の言い分の方がはるかに筋が通っていたからである。セリフは喜劇、所作は悲劇というトラジ・コミックの名場面であった。
 喜八は心底から冨夫に「すまねえ、親らしいことは一つもやってやれねえで」と思ったに違いない。次の日の朝、50銭という大金を冨夫に与えた。「これで好きなものでも買え」。久しぶりに工場に出勤した喜八に緊急の連絡が入った。「お前の子どもが病気になった、すぐに帰れ」、「俺のガキが病気になるはずはない」と訝ったが、帰ってみると、たしかに寝かされて唸っている。「どうしたんだ」と訊ねると「50銭で駄菓子を全部食べた」とのこと、冨夫は急性腸カタルであえなく入院の身となった。しかし、「宵越しの銭は持たない」喜八には、家財道具を売り払っても、入院費が払えない。見かねた春江が「私が何とかします」。今度は次郎が黙っていなかった。「オレが何とかする!お前が大金を稼ぐとすれば、その方法は知れている。若い身空で自分をダメにしてはいけない」、そのとき、初めて次郎に恋心が生まれたか、次郎は床屋から借金、自分は北海道へ出稼ぎに行く覚悟を決めた。「と、いった人々の温かい人情で」冨夫の病状は快復、退院の運びとなった。夜、喜八と冨夫が減らず口を叩きながらくつろいでいると、床屋が飛び込んで来た。「次郎公のやつ、北海道に行くんだってよ」「どうして?」「オレが金を用立てたからだよ」、そうか、次郎の奴、俺たちのために北海道行きを決めたのか、あわてて次郎の部屋に行くと、きれいに片付いて、もぬけの殻。外を探すと、路地で語り合う次郎と春江の姿があった。「一生の別れってんでもなし、そうめそめそ泣くなよ」「せっかく分かって頂いたのにすぐにお別れなんて・・・、私には一生、幸せなんてこない気がするの」「心細いことをいうない。ちょっとの間の辛抱だ。必ずお前の所に帰ってくる」と次郎が出発しようとすると、喜八が「待て」と止めに入る。「北海道はオレが行く」「富坊をどうするんだ」「子どもなんて、親が無くても育つもんだ、お前を頼りにしている人がいるじゃないか」、二人の押し問答が続いたが、最後は喜八の鉄拳一発、次郎はその場に昏倒した。かくて、喜八は準備を整え、おたかの店に行く。そこには冨夫、床屋も居た。「オレが行くことにした。ガキはよろしく頼むぜ」と言えば、床屋は「オレにとっては大切な金だが、人の子一人助けたと思えば、諦めもつく。お前の気持ちだけうれしいんだ」。おたかも「借金ぐらい、どこだって返せるじゃないか」と、思いとどまらせようとするのだが「長生きはしてえもんだよ。オレはこんないい気持ちのこと、生まれて初めてだ」。冨夫が「チャン、今度いつ帰ってくるんだい」と問うのに「馬鹿野郎!くだらねえことを聞いて手間取らせるない」「オレは酔狂で行くんだ。放っといてくれ」という言葉を残して行ってしまった。喜八の心中には、(おたかから頼まれた)次郎と春江の「取り持ち」を、今、実現できるのだ、という固い思いがあったからに違いない。
 大詰めは、北海道に向かう船の中、集められた人夫連中で酒盛りが始まっている。喜八は息子の自慢話を披露する。「お前たち、手袋の指はなぜ五本あるか知ってるかい」。人夫の一人(笠智衆)が首をかしげると、すかさず寝台にいた他の人夫が応じた。「四本だったら手袋に指が一本あまっちゃうからだよ」。そのとたんに、喜八は冨夫のことを思い出す。船はまだ出たばかり、懐にしまった冨夫の習字を取り出して「千代吉 福太郎」という墨書を見るにつけ、「いけねえ、いけねえ」と気が変わった。「おい、この船、停まらねえか」一同は大笑い、しかし喜八は大まじめ、対岸を指さして「あそこは、東京と陸続きか」「あたりめえよ」「そんなら、オレは一足お先に帰らせてもらうよ」と言うなり、一同が止めるのも聞かずに、ザンブと海に飛び込んだ。海中にポツンと喜八が一人、プカプカ漂いながら、先日、冨夫に教えられた問答を呟く。「海の水はなぜしょっ辛い」「鮭がいるからさ」。思わず笑いがこぼれ、悠々と抜き手で岸に泳ぎ着くと同時に、この映画は「終」となった。 
 サイレント映画だが、人々の話し声、周囲の物音がハッキリと聞こえてくるような名作であった。見どころは満載、坂本武と突貫小僧の絶妙の絡みをベースに、大日向伝の「いい男振り」、飯田蝶子、谷麗光の「温もり」(人情)、伏見信子の「可憐」な風情、背景には浪曲「紺屋高尾」(篠田實)の色模様も添えられて、寸分の隙も無い作品に仕上がっていたと思う。(タイトルの)「出来ごころ」とは「計画的でなく、その場で急に起こった(よくない)考え」のことだが、人は皆、その場の感情に左右されて生きて行く。登場人物の誰が、どんなところで、どんな感情に左右され、どのように振る舞ったかを見極める、「人生読本」としても有効な教材ではないだろうか、と私は思った。(2017.5.22)



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2024-04-14

付録・邦画傑作選・「三百六十五夜」(監督・市川崑・1948年)

 ユーチューブで映画「三百六十五夜」(監督・市川崑・1948年)を観た。原作は小島政二郎の恋愛通俗小説(メロドラマ)である。登場人物は、川北小六(上原謙)、大江照子(山根寿子)、その母(吉川満子)、その父(河村黎吉)、小牧蘭子(高峰秀子)、津川厚(堀雄二)、姉小路三郎(田中春男)、大江家の女中・お咲(一宮あつ子)、おでん屋のおかみ(清川玉枝)、宮田龍之助(大日向伝)、キャバレーの歌手(二葉あき子)といった面々である。この映画が封切られたとき、私は4歳だったので、もしユーチューブがなければ絶対に観ることはできなかった作品だが、主題歌「三百六十五夜」(詞・西条八十、曲・古賀政男、唄・霧島昇、松原操)の方はよく知っていたので、映画の内容はどのようなものか、興味津々であった。筋書きは単純だが冗長、①小六と蘭子は親同士(小牧家は大阪で発展を重ねる事業家、川北家は没落気味の建築業)が決めた許嫁、しかし小六は蘭子の言動が気に入らず、東京へ転出するが蘭子は小六を追いかける。②小六は下宿を変えて大江家の貸間に移る。そこに居たのが戦争未亡人の照子、転居後まもなく大江家に泥棒が闖入、小六が退治する。照子と小六は相愛の仲となる。③小六の父が上京、150万円の借金で会社は倒産寸前、蘭子と早く結婚し、小牧家の援助が得られるようにしてほしいと言う。しかし小六は断固拒否。その様子を窺っていた照子は、小六の恋敵・津川から150万円借り入れる。津川は小牧家の使用人として東京の事業を拡大している。蘭子に恋しているが相手にされず、照子を狙っているようだ。④ある日、照子の母とは絶縁状態の父が金の無心に訪れる。断られたが、引き出しに入れてあった150万円の小切手を見つけ、盗み去る。⑤父はその小切手を持って、津川が経営するキャバレーに繰り込んだが、津川配下でマネキン業の姉小路に奪い取られる。⑥照子は小六のために150万円を稼ごうとして姉小路の事務所を訪れた。洋装モデルの写真を撮れば1回2千円払うと持ちかけられ、エロ写真を撮られてしまう。⑦その写真を目にした小六は、絶望してノイローゼに、それを看護する蘭子、なぜかそこに訊ねてくる照子、といった場面がいつ終わるともなく延々と続くのだが・・・。要するに、小六と照子は相思相愛、最後に結ばれる。津川は蘭子にも、照子にも振られる。そして殺される。蘭子はただひとすじに小六を慕い続けるが思いは届かず、最後は警察に捕まる。という筋書きからみれば、この悲劇の主人公は男は津川、女は蘭子ということになる。事実、蘭子を演じた高峰秀子の艶姿は素晴らしく存在感があった。勝ち気でおきゃん、典型的な日本女性・山根寿子とのコントラストも鮮やかに、その洋装スタイルを見るだけで戦後の息吹きが伝わってくる。恋しい男を追い続け、「思い叶わぬ恋」の余韻をいつまでも、どこまでも漂わせていた。そしてまた、小六の仇役・堀雄二の阿漕振りも見事であった。貧しかった子ども時代を振り返り「金がすべて」だと確信している。彼が初めからワルだったとは思えない。最後に小六の父に刺され倒れ込み、喘ぎながら吐いた「何でもないんだから、みんな騒がないでくれ。一人の人間が血にまみれて生まれてくるように、血にまみれて死ぬだけだ。照子さんは純潔だ、それだけが俺の救いだ」というセリフがそれを暗示している。
 比べて、小六役・上原謙と照子役・山根寿子の相思相愛模様は、やや単調で生硬、主題歌「三百六十五夜」の歌声(霧島昇と松原操)には及ばなかったように感じる。(監督の市川崑と高峰秀子が昵懇の間柄だったとすれば、やむを得ないか・・・。)
 見どころは他にも、照子の父・河村黎吉の落ちぶれたヤクザ振り、女中を演じた一宮あつ子のコミカルな表情、おでん屋・清川玉枝の人情味、画家を演じた戦前の二枚目スター・大日向伝の貫禄などなど満載であった。極め付きは、キャバレーで歌う二葉あき子の舞台姿、「恋の曼珠沙華」、そして「別れのルンバ」の名曲が、往時の魅力そのまま残されている。その歌声を十分に堪能できたことは望外の幸せであった。(2017.4.24)



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2024-04-13

付録・邦画傑作選・「女優と詩人」(監督・成瀬巳喜男・1935年)

 ユーチューブで映画「女優と詩人」(監督・成瀬巳喜男・1935年)を観た。戦前(昭和初期)日本の夫婦コメディの佳作である。主なる登場人物は演劇界のスター女優・二ツ木千絵子(千葉早智子)とその夫で童謡詩人の二ツ木月風(宇留木浩)を中心に、隣家の保険勧誘員・花島金太郎(三遊亭金馬)、その妻・お浜(戸田春子)、小説家志望の能勢梅堂(藤原釜足)といった面々、タイトルに主題歌ならぬ「主題落語・三遊亭金馬」とあるのが、何とも異色で興味深かった。
 千絵子は夫を「ゲップー」と呼び捨てにし、掃除、洗濯、炊事、買い物を一切、月風にやらせている。それというのも、千絵子は人気女優として稼ぎまくり、月風の収入はほとんどゼロに近い。2階建ての借家の家賃、生活費のすべてを千絵子が賄っているとすれば、一家の主人とは名ばかりで、頭が上がらない。隣家のお浜やクリーニング屋から「大変ですねえ」と言われても「軍隊に入ったと思えばどうってことありません」と頓着しない月風の様子がどこか飄々として清々しかった。今日も2回では千絵子が芝居仲間(三島雅夫、宮野照子たち)と稽古に余念がない。一息つくと千絵子は「ゲップー」と呼び、「チェリー、バット、ホープ、それにみかんとお芋を買ってきて頂戴!」と命令する。タバコ屋に赴いた月風は友だちの下宿人・能勢梅堂に遭遇する。彼は部屋代を半年も溜め、おかみさん(新田洋子)に合わす顔がない。やむなく2階から屋根伝いに脱出を図る始末であった「借金で首が回らないというが、自分の場合は、借金で階段が降りられない」と笑い飛ばす、藤原釜足の風情が絵になっていた。貧乏を苦にもせず「会社は辞めて、大衆小説のコンクールに応募する。賞金は5000円だぞ」と言いながら、月風が買ったタバコを一本ちゃっかり頂戴する。しかし、その様子をおかみさんに見つかり、どこかに遁走してしまった。月風が家に戻ろうとすると、おはまが「お向かいの家に若夫婦が引っ越してきましたよ、今晩はお蕎麦が食べられますね」などという。様子を見ると家財道具はゼロ、掃除もできない。月風は我が家から箒、バケツ、雑巾を貸し出したが、買い物から帰らずに油を売っている月風を千絵子は「ゲップー」と呼び戻し、「何、おせっかいなことしてるのよ、これから出かけますよ」と仲間と外出してしまった。夜、ひとりで干物を焼いていると、隣家のおはまが誘いに来た。「家の主人が一人で飲んでもつまらない。となりの御主人を呼んでこいと言うんです。その干物を持っておいでなさい。あら、いい物があるじゃないですか」と言い、戸棚の缶詰まで持ち出す。三人で酒盛りが始まると、おはまが金太郎に曰く「お向かいの若夫婦、保険に入れなさいよ」。途中で座を外し金太郎は向かいの家に・・・、まもなく商談は成立、金太郎は欣然と戻って来た。「めでたい、お祝いで今夜は、とことん飲みましょう」。月風は童謡のレコードを取ってきて、金太郎が踊り出す。
《もしもしお山のタヌキさん あなたの得意な腹鼓 ポンポロ鳴らしてくださいな》という歌声に合わせて、三遊亭金馬が踊る景色は絶品であった。ビールを1ダース空けた頃、月風は(金太郎も)泥酔状態、家に帰ってからも千絵子のプロマイドに日頃の鬱憤を当たり散らす、帰宅した千絵子は呆れて、月風へ蒲団を放り出しそのまま寝てしまった。
 翌朝、千絵子はまだ寝ている。いつものように月風は朝食の準備にとりかかる。隣のおはまがダイコンの煮付けを持ってやって来た。まもなく始まる千絵子の公演チケットを貰いたかったが、「それは大家さんにあげてしまいました」と月風が言うと、当てが外れ、ダイコンの容器を早々に取り戻して帰ってしまった。やがて「ゲップー」という千絵子の声、「私たちケンカをしたことがないのでどうしても感じが出ない、本読みを手伝って」と言う。月風は鍋をコンロにかけたまま相手役の本読みに・・・。その内容は夫が妻に無断で友だちを居候にしてしまう場面、「どうせ空いている2階だから貸してやってもいいではないか」「いやなことだわ。貸すというのはお金を取って住まわすことを言うんだわ」「だってかわいそうじゃないか。あの男だって金が無くて困っているからこそ頼みに来ているんじゃないか」「あんたの友だちときたら一人だってろくな人はいやしない。みんな風車のピーピーといった人たちばかりじゃないの」「困っている時は相身互いだ。居候の一人ぐらいおいてやると言ったって、それがどうしたんだ」「大きなことを言うもんじゃないわ。毎月ここの家賃は誰が払っていると思うの」といった口喧嘩が次第にエスカレート、やかんの蓋、枕など辺りの物を投げ合い、終いには打擲の音まで聞こえた時、ひょっこり梅堂が来訪した。ただならぬ状況に梅堂は驚き止めに入る。「まあ、二人とも冷静に、落ち着きなさい。奥さんケガはありませんか」。しかし、芝居の稽古だと分かり大笑いしたのだが、台所から焦げ臭い匂いが漂ってきた。コンロにかけていた飯は黒焦げ、千絵子は「梅堂さんと丼でも取って食べなさい」と言い2階へ、芝居の稽古を続けるらしい。梅堂が訪ねてきたのは、引っ越しの相談、とうとう下宿を追い出されるという。「君の家の2階を貸してくれないか。原稿料が入ったら払う。別に千絵子さんに相談しなくたっていいだろう?君はこの家の主人なんだから」。月風は「えっ!」と戸惑ったが《主人》という言葉を聞くと、そうだ!と思ったか、承諾してしまった。梅堂はすぐさま「それでは荷物を取ってくる」と出て行く。そこに降りてきたのは千絵子、梅堂の要件を聞いて、怒り出した。さっき稽古をした芝居のセリフそのままに、今度は本当の夫婦喧嘩が始まる。千絵子に「ここの家賃は誰が払っていると思うの、みんなあたしよ!男なら男らしく稼いで居候の100人でも200人でも養ってみなさいよ。あんたの原稿なんて屑屋に売った方がよっぽどお金になるわよ」などと毒づかれて、月風は「何だと!」と激高、千絵子を張り飛ばした。「痛い!」・・・、その場面に梅堂が荷物を抱えて戻って来た。「やってるね」などと笑いながらその様子を見物する。物音に気づいた隣家のおはまがやって来ると「奥さん、なかなか面白い芝居ですよ。ここで見物しましょう」。しかし、その芝居は芝居にあらず、梅堂が居候を決め込んだことが原因だったことが判明する。その時、向かいの家の気配が慌ただしい。金太郎が駆け込んできた。「おはま、大変だ。昨日の夫婦、心中したらしい」「まあ!生命保険はどうするの、心中しそうかどうか見ればわかりそうなもの、本当に呆れたよ」と怒り出し、家に戻っていったかと思うと、たちまち夫婦喧嘩が始まった。玄関先には箒が飛んでくる。蒲団が飛んでくる。
 月風は梅堂に言う。「友だちとして言いにくいことだが、君の居候の申し出は、主人としてハッキリ断るよ。家賃はみんな千絵子が払っているんだ」「家賃を払うのが誰だろうが、主人の君から断られれば致し方ない。申し出は潔く撤回するよ。奥さん、あなたの芝居の居候は結局どうなるんですか」「懸賞金が3000円、転がり込んでくるんです」「そうですか、ボクの方は5000円だけど、どうなるかはわからない」。一方、金太郎とおはまの喧嘩も山場を迎えている。掴み合いながら「あんた、あの二人が死んだらどうするの」「死んだら冷たくなって息しないだけだ」「まぬけだね」「オレがしたんじゃないよ、だいたいお前は生意気だよ、オレは夫だぞ」「夫が聞いて呆れるよ、オットセイみたいな顔しやがって」、それを見ていた梅堂が「女なんてあれだからいやなんだ、ボクは独身を通すぞ」月風と千絵子は、いつのまにか仲直りしている。「痛くなかったかい」「あなた、本当にゴメンなさいね」荷物を抱えて出て行こうとする梅堂を千絵子が呼び止めた。「あたしたちの喧嘩の原因になってくれてありがとう。おかげで明日の芝居のいい工夫がついたんです。それからあなたは、初めて二ツ木月風をこの家の主人として認めてくれた方です。どうか汚い家ですけどウチにいらしてください」。
 かくて、この映画はメルヘンチックな大団円を迎えることになる。心中した若い二人も命はとりとめた模様、金太郎夫妻にも平穏が訪れて「終」となった。
 主人公が童謡詩人とあって、映像の背景には童謡のメロディーが多用されている。「雀の学校」「靴が鳴る」「夕焼け小焼け」「浜辺の歌」「埴生の宿」などが、それぞれの場面の雰囲気を、鮮やかに醸し出していた。まさに「大人の童話」、しかし、金太郎とおはまの喧嘩を見て、梅堂が「とかく女は養いがたし、七人の子を生しても女に気を許すな、女心は秋の空」と嘆じる景色は、男にとっては切実、「女の逞しさ」が一際目立つ、成瀬巳喜男ならではの傑作であったと、私は思う。
(2017.5.8) 



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2024-04-12

付録・邦画傑作選・「兄いもうと」(監督・木村荘十二・1936年)

 ユーチューブで映画「兄いもうと」(監督・木村荘十二・1936年)を観た。多摩川の川師・赤座一家の物語である。川師とは、洪水を防ぐために川の流れを堰き止めたり、川底に石を敷いて流水の勢いを弱めたり、用水路を整えたり、といった河川管理を生業とする。父の赤座(小杉義男)は数十人の人足を束ねる現場監督だ。気性は荒く、「褌が乾いている」人足や、楽をしようと蛇籠に軽い石を選んでいる人足を見ると、容赦なく打擲する。一方、母のりき(英百合子)は、温和で優しく、人足たちからは「いい、おかみさんだ」「まったくだ、嬶仏よ」と慕われている。この夫婦に三人の子どもがいた。
 兄・伊之(丸山定夫)、長妹・もん(竹久千恵子)、末妹・さん(堀越節子)である。伊之は腕のいい石材職人だが、仕事も気ままで、遊び好き、ある晩など馴染みの女を連れて来て父に見つかりそうな所を、妹のもんに助けられたことがある。もんは東京にある寺の奉公に出ていたが、その時、学生の小畑(大川平八郎)と恋仲になり身籠もった。その後、小畑は故郷に逃げ帰り、もんは捨てられて、やむなく実家に戻って居る。さんは、純情可憐な乙女の風情、学者先生の家に女中奉公の身である。
 身重になったもんが実家で休んでいると伊之が帰ってきた。縁側には、(さんも来ているようで)さんが持参した(母宛の)土産の駒下駄が置いてある。彼はそれを取り上げ一瞬顔をほころばせ、もんの寝姿を見て、そこに日が当たらないように簾を下ろす。気がついたもんが「何だ、兄さんか」と言えば「さんが来たのか」「ええ」「お前の男から手紙が来たか」「いいじゃないのそんなこと、来たって来なくたって」「てめえ、そんな体にされて、うっちゃられやがって」「人のこと心配しなくたっていいわよ」といったやりとりが次第にエスカレート、二人は激しく罵り合う。戻って来た母・りくが「怒っていいときと、悪いときがあるんだ。怒ってもらいたければ父さんにしてもらえばいいんだ。父さんはじっと黙っていなさるんだもの。今はもんを静かに休ませる時なんだよ」となだめる。もんは「父さんは、お前のことはお前が“かたをつけろ”、顔も見たくないと言う、兄さんから何を言われても頭痛がするばかりで、どうしていいかわからない」と呟く。その時、家の前を馴染みの郵便局員が「よう、もんちゃん。今度は長い逗留だね。こんなに暑くっちゃ、町にも出られないや」と言って通り過ぎた。黙って見ている伊之、もんは「なあに、女一匹、何をしたって食べていけるんだ!」と決意したが・・・。 それから1年が過ぎた。もんが身籠もった子どもは死産、今では五反田の花街で働いている。そんな折、赤座の家に小畑が訪ねてきた。応対に出たもんの父に向かって「いろいろと御迷惑をおかけしたことをお詫びして、さっぱりしたい」と言う。父は激昂する気持ちを抑え、「小畑さん、今回はお前さんの勝ちだったが、今後、こんな罪作りなことはおやめなせい」と言い、仕事場に戻っていく。小畑は母に名刺と金を手渡し帰路に就くが、帰り道、伊之が追いかけてきた。「オレはもんの兄だが、ちょっと話がある」と林の中に誘う。「オレともんは兄妹以上に仲がよかったんだ。1年前、もんに辛く当たったのは、オレが盾になって、世間の目から守るためだ。お前のおかげでもんは自暴自棄、どうしようもない女になってしまった」と小畑に鉄槌を下し、足蹴にした。それでも無抵抗で倒れ込んだ小畑に「あんたも妹がいればオレと同じことをしただろう」と助け起こし「お前、大丈夫か」と気遣う様子が、何とも男らしく、私の涙は止まらなかった。
 それから1週間後、もんが久しぶりに実家に帰ってくる。見るからに厚化粧、バスの中ではタバコを吹かし、なるほど一端の商売女に変貌していた。橋の上で、さんを見つけるとすぐさま車を降り、姉妹が連れ立って懐かしい我が家へと向かう。途中で交わす、もんの話はもっぱら男、「お前が奉公している御主人様は変な目で見ないかい?」「ハハハハ、御主人様は学者で、禿げているのよ」。二人を優しく出迎える母、もんに「七日ばかり前に小畑さんが訪ねてきたよ」。もんは一瞬驚くが「御苦労様なこと、あの人、もう来なくてもよかったのに。お父さんと会ったの?乱暴しなかった?」「ああ、相手をいたわるようだったよ。昔なら殴っていただろうけれど、ずいぶん温和しくなったね」という言葉を聞いてホッとしたか、「でもちょっといい男だったでしょう?」。「呆れるよ、この子は」
「兄さんには会わなかったでしょうね」「伊之には、会わなかったと思うよ」。
 だがしかし、伊之が昼食のために帰宅した。もんの姿を見るなり「自堕落女め、またおめおめと帰って来やがったのか!・・・どこかで泥臭い人足相手に騒いでいた方がいいぜ。ここはこう見えても堅気のウチなんだから」と毒づいた。母やさんが「帰ってくるなりそんなことを言うもんじゃない」と取りなすが「この前、来た野郎もそうだ、来れた義理でもないのに、こっちを舐めているから、のこのことやって来れるんだ」。その言葉を聞いたもんの表情が変わった。「小畑さんに会ったの?」「ああ、会った」「何をしたのあの人に、乱暴したんじゃないわよね」「思うだけのことをしてやった。蹴飛ばしたが、叶わないと思ったか手出しをしねえ、オレは胸がすうっとしたくらいだ」「もう一度言ってごらん、あの人に何をしたというの」「半殺しにしてやったんだ」「えっ、半殺し?」その言葉を聞いて、もんの心は張り裂けたか、傍にあったタバコの箱を投げつけると、伊之に掴みかかった。「誰がそんなことをお前に頼んだ。手出しをしないあの人を何で殴ったり蹴ったりしたんだ。この卑怯者! 極道者!」と叫びながら引っ掻く、「痛え、このあま!」と突き飛ばされても果敢に掴みかかったが、庭先に叩き出され「さあ殴れ、さあ殺せ」と居直った。「やい!はばかりながらこのもんは、ション便臭い女を相手にしているお前なんぞとは違う女なんだ」「やい、石屋の小僧!それでもお前は男か。よくも、もんの男を打ちやがったな。もんの兄貴がそんな男であることを臆面もなくさら出し、もんに恥をかかせやがったな、畜生、極道者!」という啖呵に、伊之は応えられない。母に「いいからこの場を外しておくれ」と言われ「畜生!とっとと失せろ」と捨て台詞を吐いてその場から立ち去った。用意されている昼食を掻っ込むが、気持ちは収まらず庭に出る。棒立ちで泣いている。男泣きに泣いている。その姿には「もん、お前はどうしてそんな女になってしまったんだ」という心情が浮き彫りされているようだ。もんも泣いている。さんも泣いている。母はしみじみと「もん、お前は、大変な女におなりだねえ」と嘆息する。「そうでもないのよ、お母さん。心配しなくたっていいわ」「でも、あれだけ言える女なんて初めてだよ。後生だから、堅気の暮らしをして、女らしい女になっておくれ」「あたし、お母さんが考えているほどひどい女になりはしないわ」
 母は箪笥から小畑の名刺を取りだし、おもんに手渡す。もんは一瞥して名刺を破り捨てた。「こんなもん、私にはもう用はないわ」。「私がこの家に戻るのは、時々、お母さんの顔を見たくなるから、あんなイヤな兄さんでも顔を見たくなるのよ」。その声が聞こえたかどうか、伊之はまだ泣きながら職場へと戻って行った。  そんな修羅場を見ることなく、父の赤座は船の中、数十人の人足を率いて「夏までに仕事を延べて続けるんだ。その気持ちのある奴は手をあげろ!」「おおおう」と全員の手が上がるのを見届けて、現場に赴く。威勢よく船を降りる人足たちの水しぶきを映しながらこの映画は「終」となった。
 この映画の見どころは、何と言っても名優・丸山定夫が演じた伊之という男の魅力であろう。妹・もんとは「兄妹」以上の仲、その妹が書生っぽの若造・小畑に汚され、自堕落になっていく。何とか立ち直ってほしいと思うが、どうすることもできない。そのやるせない気持ちが、二つの修羅場に漂っている。言動は粗暴だが、心根は優しい。そんな兄を知り尽くしているおもんだからこそ、思う存分、伊之に毒づくことができるのだ。もんを演じた竹久千恵子の実力も見逃せない。全体を通して、小畑への恋慕が一途に貫かれている。とりわけ、修羅場では、兄を慕い、その兄が自分のために弱い者いじめをしている情けなさが、「兄貴がそんな男であることを臆面もなくさら出し、もんに恥をかかせやがったな」という言葉の中に感じられる。《私の兄貴は本来、そんな男ではなかったはずなのに》という思いは、伊之が《オレの妹は、そんな女であるはずがない》と思う気持ちと重なる。伊之は小畑を「半殺し」にしたわけではない。「お前、大丈夫か」と気遣い、帰りの停留所まで教えてやる、優しい心根の男なのである。しかし、もんはそのことを知らない。そうした行き違いの悲劇を竹久は見事に描出しているのである。
 この原作は、戦後、監督・成瀬巳喜男によっても映画化されている。そこでは、伊之・森雅之、もん・京マチ子、父・山本礼三郎、母・浦辺粂子、さん・久我美子、小畑・船越英二という配役で物語が展開する。時代背景も戦後に手直し、さんの恋人役(堀雄二)を付け加えるなど、それは、それとして充実した佳品に違いないとはいえ、人物の風格、人間模様の描出という点では、今一歩、この作品に及ばなかったと私は思う。とりわけ、丸山定夫と森雅之の「男泣き」の景色、竹下千恵子と京マチ子の「啖呵」の勢いに差が出たことは否めなかった。戦前を代表する文芸作品の中でも、屈指の名作であることを確認した次第である。
(2017.5.10)



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2024-04-11

付録・邦画傑作選・「大学の若旦那」(監督・清水宏・1933年」

 ウィキペディア百科事典では、この作品について以下のように説明している。「・・・『大学の若旦那』(1933年)に始まる「大学の若旦那シリーズ」で明るく朗らかな笑いを提供し、清水は、このシリーズの成功によって松竹現代劇の娯楽映画を代表する監督となった。主演には、清水と体型が似た慶応ラグビー出身の藤井貢があたったが、このシリーズは、清水のオリジナルなアイデアであり、スポーツの花形選手でもある下町の老舗の若旦那が、恋とスポーツに活躍する朗らかでスマートなコメディである。シリーズ全般を通して、坂本武、吉川満子、武田春郎、三井秀男ら松竹の脇役俳優たちが、朗らかで暖かい笑いをみせて、非常に面白い映画として当時の観客を喜ばせたと言われている」。
 配役は、主演、大学の若旦那・藤井に藤井貢、その父(老舗醤油店・丸藤店主)五兵衛に武田春郞、その長妹・みな子に坪内美子、末妹・みや子に水久保澄子。藤井の伯父・村木に坂本武、みな子の夫・若原に齋藤達雄、丸藤の番頭・忠一に徳大寺伸、半玉・星千代に光川京子、柔道部主将に大山健二、ラグビー部選手に日守新一、山口勇、特に藤井を慕う後輩・北村に三井秀男、その姉・たき子に逢初夢子、待合の女将に吉川満子といった面々である。  
 筋書きはあってないようなもの、登場人物の人間模様だけが浮き彫りにされる「朗らかでスマートなコメディー」であった。藤井は大学ラグビーの花形選手だが、勉強はそこそこに遊蕩三昧、二階から帳場の銭入れに、吊したカブトムシを投げ入れ、札を掴ませる、それを懐に入れて夜な夜な花街へと繰り出す。芸者連中には扇子にサインをせがまれるプレイボーイ振りである。父はラグビーを「スイカ取り」と称して苦々しく思っているが、藤井は「どこ吹く風」、今夜も柔道部の連中が「選手会」(実は芸者遊び)の誘いにやってきた。丁稚に肩をもませている隙をねらってまんまと家出、馴染みの料亭に繰り込めば、伯父の村木と鉢合わせ、「おじさんも、なかなか若いですなあ。おいみんな、今日はおじさんの奢りだぜ」。
 要するに、店主・五兵衛の思惑は、①長妹のみな子は近々、若原を婿に結婚の予定、②末妹のみや子はゆくゆく番頭の忠一と添わせるつもり、だが、③忠一は半玉・星千代と「できている」、藤井とみや子はそれにうすうす気づいている、④星千代は若旦那・藤井に惚れている、⑤藤井と忠一はそれにうすうす気づいている、⑤ラグビー選手の山口は藤井の存在が面白くない、大柄で強そうだがケンカには弱い、⑥ラグビー選手の北村は藤井に憧れている、⑦北村の姉・たき子はレビューのダンサーで弟の学資を稼いでいる、⑧藤井は星千代にせがまれてラグビーの練習風景を見せようと大学構内に連れて来た。みや子のセーラー服を着せ「ボクの妹だ」と紹介したが、実際のみや子が現れ、真相が判明。藤井はラグビー部から除名される羽目に・・・。⑨心機一転、藤井はみな子の婿になった遊び人・若原とレビュー通い、北村の姉・たき子の「おっかけ」を始める。⑩まもなく、ラグビー大学選手権、藤井が欠けたチームは戦力ダウン、北村は藤井を呼び戻したい。⑪藤井とたき子は「いい仲」になりつつあったが、北村は「チームのために藤井と別れてくれ」と談判。泣く泣くたき子は受け入れる、⑫晴れて藤井はチームに復帰、試合はもつれにもつれたが逆転優勝!、⑬しかし、たき子から離別の手紙を貰った藤井は試合後のシャワーを浴びながら独り泣き濡れていた、という内容である。
 見どころ、勘所は奈辺に・・・。プレイボーイ・藤井の「侠気」であろうか。番頭・忠一と末妹・みや子を添わせるために半玉・星千代から身を引いた。レビューダンサー・たき子への「おっかけ」も、そのための方便だったが、次第に「本心」へと発展、恋の痛手に泣いている。しかし、星千代も傷ついた。たき子も傷ついた。みや子と忠一は・・・?
 何とも、曖昧模糊とした結末だったが、「朗らかで暖かい笑いをみせて、非常に面白い映画として当時の観客を喜ばせたと言われている」とすれば、当時の観客はその《曖昧模糊》を喜んだということになる。そのギャップが、私にはたいそう面白かった。
 さらにまた、挿入された往時の「浅草レビュー」の舞台、「大学ラグビー選手権」の試合なども十分に楽しめる傑作であったと私は思う。(2017.2.27)



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2024-04-10

付録・邦画傑作選・「東京の宿」(監督・小津安二郎・1935年)

 ユーチューブで映画「東京の宿」(監督・小津安二郎・1935年)を観た。原作はウィンザァト・モネとあるが、英語のウィズアウト・マネーをもじった名前で、「金無しに」「金が無ければ」「金の他に」ほどの意味であろう。要するに、架空の人物であり、脚色の池田忠雄、荒田正夫、監督・小津安二郎の合作ということである。
 舞台は昭和10年頃の東京郊外、ガス・タンクや電柱などが林立する荒涼とした工業地帯を辿る道を、三人がとぼとぼと歩いている。一人は薄汚れたハンチング、丸首シャツ一枚にズボンといういでたちの男・喜八(坂本武)、あとの二人はその長男・善公(突貫小僧)と次男・正公(末松孝行)である。善公は大きな風呂敷包みを背負い、正公は飲み水の入った、水筒代わりの酒瓶を腰にぶら下げている。そのうらぶれた父子の姿は、文字通り「ウィズアウト・マネー」(文無し)の風情そのものであった。
 喜八は職探しのため工場をあちこちと巡り歩き、善公と正公はその「お供」をさせられているのである。しかし、仕事は見つからない。疲れ果てて座り込んでいると、一匹の犬が通り過ぎた。「ちゃん、40銭!」と叫んで善公が走り出した。野犬を捕まえて届けると、40銭がもらえるのだ。喜八も正公を負ぶって追いかけたが、逃げられてしまった。文字通り「住所不定無職」の家族であり、夜は木賃宿「萬盛館」に泊まっている。宿は失業者でいっぱい、たまたま同宿者の子どもの新しい軍帽が、善公の前に転がってきた。善公が手に取ると、「ダメだい」とひったくり「あかんべえ」をする。
 翌日も職探し、「砂町の方にでも行ってみるか」と三人で出かけていく。でも、仕事は見つからない。また、また黒い犬が通り過ぎた。今度は正公が走り出し、まんまと捕獲する。しかし、犬の体が大きく引きずられっぱなし、善公が代わって「ここで待ってろ」と言い、しばらくすると帰ってきた。後ろ手に何か持っている。真新しい軍帽である。正公いわく「犬は、めしじゃないか。ちゃんに怒られるぞ」。案の定、喜八は「馬鹿なものを買いやがって」と叱ったが、どうすることもできなかった。その日も、「萬盛館」に泊まるが、いよいよ持ち金が底をついてくる。善公が「明日は犬を捕まえよう」などと言っていると、和服姿の女・おたか(岡田嘉子)がその娘・君子(小嶋和子)を連れて入ってくる。向こうに座った君子と善公の目が合い、善公が「あっかんべえ」と舌をだすと、君子も舌を出す。正公も善公と一緒に舌を出す。それは子どもたち同士の「あいさつ」に他ならない。
 いよいよ三日目、喜八はまた門番に断られた。途方に暮れて、三人は工場の見える空き地に座り込む。憔悴した喜八の前に善公が座って、励ますように「ちゃん、酒でも飲もう」と手まねで酌をする。喜八も受け取って飲む素振り「ああ、うめえ」、「ちゃん、するめだよ」と善公が草の一本をむしりとって渡すと「そうか、でもやっぱり酒の方がいいや」、「おい、おめえも飯を食え」と正公に呼びかける。「善公、よそってやれ」、正公も応じて食べる素振り、「うめえか」、正公が首を振ると「お茶をかけてやれ」、三者三様の男同士の「ままごと」(の景色)には、えも言われぬ詩情が漂っている。そこを通りかかったのが、おたかと君子。おたかが「猿江はどっちの方でしょうか」と喜八に訊ねてきた。たちまち君子と善公、正公が遊び始める。「子どもはすぐに仲良くなるね」などと語り合う姿が、「絵になっていた」のだが・・・。 
 いよいよ土壇場、宿に泊まるか、めしを食うか、三人は迷う。季節は夏、めしを食って野宿をすることに決めたが、雲行きがあやしい。飯屋を出るとすぐに本降りになってきた。三人が床屋の軒下で立ちすくんでいると、通りかかったのが、(喜八とは昔馴染みの)おつね(飯田蝶子)。彼女はさっきの飯屋を切り盛りしていたのだ。かくて、三人はおつねの厄介になることに・・・。おつねの口利きで喜八は工場勤め、善公も学校に通うようになったのだが・・・。喜八の悪い癖は「おせっかい」な「浮気心」か。おたか母子のことが気にかかる。おたかをおつねに紹介、一緒に面倒をみてくれ、という気配が感じられて、おつねは面白くない。
 大詰めは、君子が疫痢にかかりその治療代を工面するため、おたかは酌婦に、その境遇を救わなければならない。喜八はおつねに借金を申し込んだが、すげなく断られ、やむなく20円を窃盗、警官から追われている。「このお金をおばちゃんのところに届けてくれ」と善公、正公に言い付け、おつねの家に逃げ込んだ。おつねに「いったい何をしたんだい」と問われても答えられない。「せっかく芽が出たと思っていたのに、お前さん、また悪いクセがでたんだね。はじめから本当のことを話してくれれば、何とかしたものを」とおつねは悔やんだが、すべては後の祭り。お互いに貧乏はしたくない、でも「かあやん(おつね)のおかげで職にありつけてからこの10日ほどが、俺の一番楽しい時だったよ」と言い残し、喜八は警察に向かう。その姿を、おつねは落涙しながら見送る他はなかったのである。
 この映画の前半は、あくまで「コメディ」だが、後半に暗雲が立ちこめる。「四百四病の病より貧ほど辛いものはない」という決まり文句そのままに、終局を迎える。この映画の眼目は、「金無しに」(文無し)の生き様か、「金が無ければ」の悲劇か、「金の他に」生きがいがあるという提唱か、それは観客の判断(感性)にまかせよう、といった原作者・ウィンザァト・モネの「居直り」が窺われて、たいそう面白かった。いずれにせよ、飲んべえで女たらしの「身の上話」(身辺情話)などではさらさらなく、昭和恐慌、満州事変、五・一五事件、国際連盟脱退という流れの社会背景の中で、貧しい人々がどのような生活を余儀なくされたか、一方その裏には、しこたま儲けて甘い汁を吸っている連中もいることを「暗に」浮き彫りする傑作であったことに違いはない。セリフはサイレントだが、終始流れている音楽監督・堀内敬三のBGMも美しく、印象的であった。(2017.5.19)



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2024-04-08

付録・邦画傑作選・「母を恋はずや」(監督・小津安二郎・1934年)

 ユーチューブで映画「母を恋はずや」(監督・小津安二郎・1934年)を観た。「(この映画の)フィルムは現存するが、最初と最後の巻が失われている不完全バージョンである」(ウィキペディア百科事典)。
 裕福な家庭・梶原家が、父の急逝により没落していく、そこで展開する家族の人間模様がきめ細やかに描き出されている。父(岩田祐吉)は、今度の日曜日、家族と七里ヶ浜へピクニックに行く約束をしていたが、長男の貞夫(加藤精一)と次男の幸作(野村秋生)が小学校の授業中に呼び出され、「お父さんに大変なことがおありだから、早く家に帰りたまえ」と告げられる。父は突然、心臓マヒで他界してしまったのである。
 葬儀も終え、母・千恵子(吉川満子)と貞夫、幸作が父の遺影の下で朝食を摂っていると、父の友人・岡崎(奈良真養)が弔問に訪れた。彼は大学時代、ボート部の仲間だった。岡崎が言う。「ちょっと、お話ししたいことが・・・」、その内容は、「これからも貞夫君を永久に真の子どもとして育ててもらいたい」ということであった。貞夫は病没した先妻の子どもだったのだ。千恵子は「そのことなら、貞夫も幸作も区別なく、同じ気持ちで育ててまいります。亡くなられた奥様や主人にも誓うことができます」と応えた。「あなたも、これから大変ですなあ」「子どもたちを立派に育てることが楽しみです」。
 それから8年後、岡崎の元に絵はがきが届いた。中学4年になった幸作の修学旅行先からである。岡崎は久しぶりに、洋館の屋敷から移った梶原家を訪れる。そこでは千恵子が浮かない様子、「貞夫が大学の本科に行く手続きで、戸籍謄本を見てしまった。あの子のあんな悲しい顔は今まで見たことがありません」と言う。岡崎は二階で憔悴している貞夫(大日向伝)の元に行き「お母さんに心配をかけないように」と話しかけるが、貞夫は拒絶する。「お母さんは君を本当の子だと思えばこそ、黙っていたんだ」「小父さんだってボクを騙していた一人だ、いつかは、判ることです。なぜもっと早く知らせてくれなかったんです!ボクは馬鹿にされていたように感じます。こんなことなら我が儘を言うんじゃなかった!いい気になって無遠慮な振る舞いをするんじゃなかった」。その言葉を聞いた岡崎は一喝する。「それが、多年の骨折りに対して返す言葉か!」たまらず寝転がる貞夫に返す言葉がない。岡崎は「起き上がって聞いたらどうだ。これまでお母さんが君と幸作君を区別したことがあったか。お母さんは君たち二人の成長だけを楽しみにしておられるのだ。その優しい心遣いを君はまるでわからないのか」。貞夫の肩が激しく揺れている。岡崎は貞夫に近づきその肩を優しく叩いた。気持ちが通じたか・・・、貞夫は起き上がり、涙を拭いながら「すみません! 小父さん」と呟いた。そして千恵子の前に正座して深々と頭を下げる。「すみません、母さん。ボクは母さんの本当の子です」。千恵子と見つめ合い涙がこぼれ出すのを見て、貞夫は母の膝に泣き崩れた。千恵子は「これからは何もかもお前に打ち明けようね」と言い、貞夫の頭を優しく撫で回す・・・。  
 やがて、梶原家はさらに郊外の借家に転居した。貞夫と幸作(三井秀雄)はトラックから荷物を降ろし整理する。懐かしい父の遺品のパイプを見つけ出し、兄弟で煙をふかす。ハットを目にすると、母に被せて父を思い出している。そこに岡崎の夫人(青木しのぶ)が訪ねて来た。岡崎は一年前に他界、遺品のオールを届けに来たのだ。兄弟は、サインを読み取りながら、父や岡崎の青春時代に思いを馳せる。兄弟もまた大学のボート部員になっていた。
 幸作は仲間と伊豆巡りの計画を立てていた。兄も誘ったが用事があると言う。服部(笠智衆)という部員に好きな女ができ、横浜のチャブ屋に入り浸っている、貞夫は服部を連れ戻しに行こうとしているのだ。単身でチャブ屋に乗り込むと、服部にピンタをかませ、外に連れ出した。服部の女・らん子(松井潤子)が「勘定ぐらい置いて行ってもらいたいねえ。お前さんおけらのくせに、たいそう強がるじゃないか。」と毒づけば、またもやピンタ一発、「ああ、金なら何時でも持ってきてやらあ」と言い残し去って行く。その後ろ姿を見て、朋輩の光子(逢初夢子)が「あいつ、ちょっと勇ましいじゃないか」と目を細めた・・・。
 貞夫は帰宅すると、縫い物をしている千恵子に「困っている友だちが居るんで、少しお金が欲しいんですけど」と無心した。千恵子はすぐに頷いて、箪笥から財布を取り出し紙幣を渡す。貞夫はそれをありがたく頂いて、自室に向かったのだが、そこには幸作がしょんぼりと座っていた。家の暮らしは楽ではない、「だから伊豆巡りに行ってはいけない」と言われた由、貞夫は直ちに千恵子のところに戻り、「このお金を幸作に与えて、行かせてやってください」と言ったが「幸作は遊びのお金、あなたのお金は友だちのへ義理、同じではありません」と取り合わない。やむなく、貞夫は幸作に金を渡し、旅行の準備を手伝う。様子を見に来た千恵子に「母さん、やっぱり出かけてきます」と幸作は喜んだが、「お前、兄さんに無理を言ってはいけないよ」と不同意、貞夫は「ボクがあげたんです。
幸作は前から楽しみにしていたんです。ボクだけが貰うのは不公平です」・・・、幸作は「だいたい母さんは兄さんばかりよくする。叱られるのはボクばかりだ」と帽子を放り投げてふてくされる。貞夫も「ボクもそう思います」と同意、千恵子はしばらく立ち尽くしていたが「そんなに行きたければ、出かけてもかまわないんだよ」と翻意した。
 かくて、幸作は伊豆巡りに出立、そろそろ帰る日の頃であろうか、千恵子は夫の遺品、洋服を虫干ししている様子。懐中時計を耳に当て、遺影を眺めている。そこに貞夫も帰宅して父のハットを被ってみたりする。千恵子は父のチョッキをたたみながら「幸作が山に行くんだったら、これを持たせてやればよかった」「そんな古い物、幸作は来ませんよ」「まだ繕えば着られる洋服があります。幸作ならこれで十分・・・」と言うと、貞夫の顔色が変わった。「どうして幸作なら十分なんですか?」「・・・・」「母さんは、やっぱりボクと幸作を区別してるんだ」「そんなつもりはないけれど・・・」。貞夫はキッとして、自室に立ち去り、着物に着替えて外出の構え、千恵子がやって来て「どうすれば、お前の気に入るのか話しておくれ」「そういう気遣いがイヤなんです、気に入らなければボクを殴ればいいでしょう」「何もそんなに言わなくても・・・」。取り合わず、貞夫は横浜のチャブ屋に向かった。光子の部屋に落ち着く。掃除婦(飯田蝶子)が雑巾がけをしている。貞夫に母の姿が浮かんだか、ウィスキーをたてつづけに飲んで、じっと(ささくれの)手を見た。光子が「お前さん、親不孝者だね」「・・・・」「ささくれがあるのは、親不孝の証し」と言う。光子の指にも包帯があった。貞夫はたまらずそこを飛び出して家に向かう。その様子を呆然と見送る掃除婦、光子も「わからないね、その気持ち」と呟いた。
 貞夫が家に戻ると、幸作が帰宅していた。険しい顔つきで「帰ってきたんだたら、母さんに謝ったらどうだい。兄さん、母さんに何を言ったんだい。母さんを泣かせるなんて馬鹿だ、大馬鹿だ!」と言う。「年をとって涙もろくなったんだろう」と応えると、幸作はたまらず殴りかかった。貞夫は殴られるまま「外に出ろ!」と言う。夜道を歩く二人・・・、向かい合うと貞夫が言う「あんなおふくろのどこがいいんだ」「それは本心か」「嘘ではない、あんなおふくろのことでムキになる気持ちがわからない」、幸作はまたも貞夫に殴りかかる。一発、二発、三発、四発、五発・・・、しかし貞夫は殴り返さない。幸作は手を止め泣き出した。「なんで殴り返さないんだ!」「おまえのような奴を殴ったって仕方がない」「・・・・」「(おふくろを)せいぜい大事にしてやれよ」と言い残すと、どこかに行ってしまった。幸作は力なく家に戻る。千恵子に「あんな奴どうなったってかまわない。散々ボクや母さんの悪口を言って、どこかへ行っちまいやがった」と言う。「お前、兄さんをそんな人だとお思いかい」「母さんはまた兄さんの肩を持つのか」「私には、貞夫の気持ちがよくわかります」「・・・・」「あの子は立派なことをしようとしたんだよ」「・・・・」「兄さんはね、私の本当の子ではなかったんだよ」「・・・!」「それをお前に知らせたくなくて、お前の大学の手続きはみんな兄さんがやってくれたんだ」「・・・・」「兄さんは、お前のためにこの家から身を引こうとして・・・」と言うなり、千恵子は泣き出した。「心にもない悪口を言って、私たちを諦めさせようとしたんだよ」。幸作は千恵子の前にひざまづき「ボクは馬鹿でした。どんなことがあっても兄さんに戻って来てもらう、そして思う存分殴ってもらうんだ」と泣き崩れる。母もまた・・・・。
 貞夫は横浜のチャブ屋に居た。「また今日も暮れちゃうんだなあ」と貞夫が溜息を吐くと、光子が「帰りたけりゃお帰りよ」と言う。そんなところに、母の千恵子と幸作、彼の友人が迎えに来た。まずは千恵子が一人でチャブ屋に赴き、ロビーで貞夫と面会する。「ボクに何の用ですか。ボクは母さんに用はありません」「そんな心にもないことを言って・・・。母さんは小さい頃からお前のことはよく知っています」「知っているんなら放っておいてください。ボクは一人が性に合っているんだ」「お願いだから戻っておくれ。お前がいないと夜もおちおち眠れない。幸作やお友達だって、待っているんだよ」。しかし、貞夫は応じない。「ボクは、家に戻って母さんや幸作の面倒を見るなんてまっぴらだ!」。いつのまにか、チャブ屋の女たちが二人を取り巻いている。「ボクはもう母さんから何も聞きたくないんです。これ以上何を言っても無駄ですよ」と言い放ち、部屋に立ち去ってしまった。万事休す、千恵子はすごすごと戻っていく。その後に従う幸作と友人・・・、その姿を二階の窓から見送る貞夫・・・、光子が入ってきて「お前さん、大芝居だったね。よっぽど大向こうから声かけようと思ったんだけど」と感想を述べる。貞夫は全身の力が脱けてベットに横たわる。光子は朋輩に「おなかが空かない」と言われ出て行く。入れ替わりにに掃除婦が入ってきて部屋を片付け始める。その様子を見ていた貞夫は起き上がり、掃除婦にタバコを勧める。掃除婦は一本頂戴、煙を吐きながら言う。「悪いことは言いませんよ。木の股から生まれたんじゃあるまいし、あんまり親は泣かせるもんじゃありませんよ」「・・・」「あたしにも丁度、あんたぐらいの息子があるんですけれど」・・・・、貞夫が「オレよりましだって言うのかい?」と問いかけると、掃除婦は淋しそうに笑って「よけりゃ、こんなことしてませんよ」と出て行った。貞夫はまたベッドに横たわる。サンドイッチを調達した光子が部屋に戻る。貞夫にも勧めるが、天井を眺めたまま無言。光子はサンドイッチをぱくついて貞夫の方を見やった時、この不完全バージョンの映像は途切れた。以後の字幕では、貞夫は掃除婦の言葉に心を動かされ、家に戻り、母に謝罪する、それから三年後、一家は再び郊外に転居、母子三人の平穏な暮らしは続いていると記されている。
 この映画の見どころは、裕福な暮らしをしていた梶原家が大黒柱の父を失うことにより没落していく中で、母と息子二人(異母兄弟)が繰り広げる「人間模様」の《綾》である。母は、二人の息子を同じように育てているつもりだが、無意識に、亡夫への義理のため先妻の子・貞夫の方を重んじる。幸作に比べると、どこか他人行儀でよそよそしい。貞夫は当初、母に甘え我が儘な振る舞いをしていたが、千恵子が実の母ではないと知ってからは、いわば「母なし子」状態、甘える相手を失ってしまったのだ。「ボクは一人が性に合っているんだ」という貞夫の言葉が何よりも雄弁にそのことを物語っている。その立場に置かれなければわからない、絶対的な《孤独感》なのである。しかし、掃除婦の「木の股から生まれたんじゃなし、あんまり親を泣かせるもんじゃないよ」という一言は、そんな孤独感を払拭するには十分であった。掃除婦にも自分と同じくらい息子が居る。貞夫は「オレよりはマシだろ?」と問いかけるが、答は意外にも「よけりゃ、こんなことしてませんよ」。そうか、その息子も親を泣かせているんだ、オレもこんな所(チャブ屋)で、こんなこと(無為に日々を過ごすこと)をしているときではない、と思ったに違いない。そんな心の《綾模様》を、二枚目スター・大日向伝は鮮やかに描き出していたと、私は思う。
 母・千恵子を演じた吉川満子の風情もたまらなく魅力的、誰よりも夫を愛し、子どもたちを慈しむ。時には背かれて雑言を浴びせかけられ涙ぐむこともあるが、毅然として耐え、誠を貫こうとする「母性」の気高さがひしひしと伝わってくるのである。 
 弟・幸作を演じた三井秀雄の「弟振り」も見事であった。とりわけ、兄が母の本当の子ではないと知らされた時の表情、そこには「なぜもっと早く知らせてくれなかったんだ」という思い(母への恨み)は微塵も感じられず、「ボクが間違っていました」と母に謝る純情が浮き彫りされている。その兄を、わけも知らずに殴ってしまった後悔、その償いのために「ボクを殴ってもらうんだ」と思う素直さが輝いていた。
 極め付きは、掃除婦を演じた飯田蝶子の存在感、出番はほんのちょい役だが、たった一言、二言のセリフで主役・貞夫を翻意させる実力は光っている。彼女は、不器量のため女優への道はなかなか開けなかったが、私のような者がいなければ主役は引き立たないと、自分を売り込んだという。さすがは、終始「老け役」を貫いた名優の至言である。
 その他にも、奈良真養の庶民的な風格、笠智衆の意外な若さ、逢初夢子の色香などなど見どころ満載の傑作であった。
(2017.7.1)



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2024-04-07

付録・邦画傑作選・「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)

 ユーチューブで映画「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)を観た。原作は大正時代に連載された柳川春葉の新聞小説で、ウィキペディア百科事典ではそのあらすじが以下のように紹介されている。

 東洋漁業会社社長、渥美俊策の一子、滋子をめぐって生母、珠江と、生さぬ仲の継母、真砂子との葛藤をえがく。
【成瀬版映画あらすじ】
 ハリウッドで女優をしている珠江は、前夫である俊策のもとに残してきた娘・滋子を取り戻すため、日本に一時帰国する。6歳になる滋子は後妻の真砂子を本当の母と思って育っている。俊策は事業の失敗から刑務所に収監され、家屋敷を失った真砂子と滋子は俊策の母・岸代とともに侘び家で暮らし始める。貧乏暮らしを嫌う岸代は、珠江に協力して、真砂子に内緒で滋子を連れだしてしまう。悲しむ真砂子は、俊策の友人・日下部に協力を求めて滋子の行方を捜す。珠江は一生懸命滋子の機嫌をとるが、滋子は継母・真砂子を慕い、家へ帰りたいと泣き暮らす。行方を突き止めた真砂子は珠江の家を訪ねるが、滋子とは引き離されてしまう。日下部は珠江に、本当の母とは何かを説く。泣き叫ぶ滋子を見て、ついに珠江は滋子を真砂子の元に戻し、アメリカで作った財産を真砂子に譲り、アメリカに帰っていく。

 成瀬監督は女性映画の名手と言われている。なるほど、この映画に登場する4人の女性、渥美絹子・改め清岡珠江(岡田嘉子)、渥美真砂子(筑波雪子)、岸代(葛城文子)、滋子(小島寿子)の「葛藤」は真に迫っていた。夫・渥美俊策(奈良真養)と生まれたばかりの滋子を捨て渡米、ハリウッド女優になった珠江は、人気と財力にまかせて滋子を取り戻そうとする。岸代は根っからの貧乏嫌い、会社を倒産させてしまった俊策を責め立てる。真砂子は渥美家の後妻だが、継子の滋子を慈母の風情で育んでいる。滋子は真砂子を「本当のお母さん」と慕い、実母の珠江を拒絶する。4人が4人とも「自己」を主張し、対立・葛藤が激化する有様が、見事に描出されていた。
 一方、男性は5人登場する。漁業会社社長の渥美俊策、その友人で貧乏浪人の日下部正也(岡譲二)、珠江の弟でヤクザの巻野慶次(結城一朗)、その弟分、ペリカンの源(阿部正三郎)、滋子の遊び友達(突貫小僧)である。
 女性陣に比べて、男性陣は迫力がない。いずれもが、結局は女性に追従する。当時の風潮は表向きは「男尊女卑」だが、内実は「女権社会」そのもので、男性相互の対立・葛藤はほとんど際立たない、といった演出がたいそう面白かった。つねに事を起こすのは女性であり、男性はそのまわりをウロウロするか後始末に奔走するのである。わずかに、日下部が「生むだけでは母の資格はない。育てて始めて母になれるのだ」と珠江に迫るが、彼女を翻意させたのは、実子・滋子の真砂子への慕情に他ならなかった。珠江の財力によって渥美一家が救われるというハッピーエンドも「女性優位」の証しである。
 最も興味深かった場面、会社が倒産寸前、藁をも掴む思いの俊策に融資を申し出たのは珠江、二人は対面するが、俊策の表情はたちまち強ばり、「夫と子どもを捨てた女に助けて貰う気はさらさらない」と言って断固拒絶、自ら収監される道を選ぶ。一方、俊策の母・岸代もペリカンの源に誘われて珠江と対面、俊策とは打って変わってニッコリ・・・、「立派になられておめでとう」と祝福する。そこから事は始まるのだが、珠江に対する(俊策と岸代の)態度の違い(コントラスト)、女性同士の絆が織りなす人間模様、その周囲で翻弄される男性相互のアタフタ沙汰の描出がこの映画の眼目であろう。加えて、わずか6歳の滋子も行動的である。珠江とのかかわりを断固拒否、岸代に真砂子の元に戻りたい懇願する。叶わないと思えば、周囲の目を盗み、敢然と(分身の「青い目の人形」を携えて)脱走する。結果は失敗に終わり人形も失われたが、滋子の思いは変わらない。
 そうした女性の強さ、たくましさ、したたかさが随所に散りばめられている。まさに、女性映画の名手・成瀬巳喜男監督ならではの作物であった。大詰め、米国に帰る珠江、随行を許されて大喜びの巻野と源は大型客船のデッキの上、それを見送る渥美一家と日下部たち、俊策も珠江の姿を見つけて懸命に手を振った。しかし、珠江はそれに応えることなく独り、船室に姿を消す。その心象風景(「生みの親より育ての親」)も鮮やかに、この映画の幕は下りたのである。
(2017.2.19)



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2024-04-05

付録・映画「虹立つ丘」の《市松人形》

 ユーチューブで映画「虹立つ丘」(監督・大谷俊夫・1938年)を観た。舞台は竣工まもない箱根強羅ホテル、そこで働く兄妹の物語である。兄・弥太八(岸井明)はホテルのポーター、妹・ユリ(高峰秀子)は売店の売り子を勤めており、たいそう仲が良い。そこに療養にやってきた長谷川婦人(村瀬幸子)が、実は関東大震災で生き別れになったユリの母であった、という筋書きで、兄妹にとっては切ない幕切れとなったが、時折、兄が口ずさむ唱歌(「旅愁」「峠の我が家」)、妹・高峰秀子の初々しい絵姿(14歳?)も見られて、戦前(昭和13年)の風俗を感じるには恰好の作物であった。なかでも、箱根強羅ホテルの佇まいは、現代のホテルと大差ない。鉄筋コンクリート4階建て、大きな玄関を入ると広いロビー、売店に並んだ土産物、対面にはエレベーターという配置は、今でもお馴染みの風景だ。登山鉄道、周囲の山々、芦ノ湖の風情には「隔世の感」があるだけに、ホテルのモダンさが際立つのである。なるほど、全国に展開する温泉ホテルの原型はここにあったのか。また、その利用客は当時のセレブ層であることは確か、庶民は簡素な湯治宿に甘んじる他はなかっただろう。だとすれば、現代に生きる私たちは往時のセレブ層に等しい歓楽を味わっていることになる。幸せと言うべきか・・・。たしかに、私たちの生活は豊かになり、便利になったが、そのことによって失われたものもある。
 震災で孤児となったユリを兄として育ててきた弥田八、親との絆を求めて今でも大切に市松人形を飾るユリ、父母との邂逅そして兄との別れ、妹が残していった市松人形をしっかりと抱きしめる弥田八、そうした人物・場面に浮き彫りされる「無言の温もり」は、私たちの財産であった。薄汚れた、質素な市松人形こそが「人間の絆」であり、何よりも大切にされなければならない、と私は思う。(2017.1.6) 



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2024-04-04

付録・邦画傑作選・「君と行く路」(監督・成瀬巳喜男・1936年)

 ユーチューブで映画「君と行く路」(監督・成瀬巳喜男・1936年)を観た。タイトルに「三宅由岐子作『春愁紀』より」とある。舞台は神奈川・鎌倉海岸の別荘地、ある別荘に母・加代(清川玉枝)とその息子、長男の天沼朝次(大川平八郎)、次男の天沼夕次(佐伯秀男)が住んでいた。母は芸者上がりのシングル・マザー、亡くなった旦那から別荘と財産を貰い受け、女手一つで二人の子どもを育て上げた。兄の朝次はすでに会社勤め、弟の夕次はまだ大学生である。この家の隣は、尾上家の別荘、そこには娘の霞(山縣直代)が居た。朝次と霞は、相思相愛の仲である。夕次はテニス部員で、夕食後も海岸をランニング、その時、叔父の空木(藤原釜足)から声をかけられた。「夕次、今晩、朝次と一緒に遊びに来んか」「ええ。行きます」と答えて帰宅する。空木は、周囲から「殿様」と呼ばれている。雛(高尾光子)という妾を連れて近くの別荘に来ているらしい。尾上家とも縁続きのようである。夕次がランニングから帰宅しても、朝次はまだ帰らない。母が「夕飯はどうするんだろう」と案じるが、夕次は「もう食べただろう」と言う。「会社って、いつも7時までやっているのかしら」。朝次は会社の上司、同僚と宴会の席に居た。しかし、なぜかはしゃげない。上司に「おい天沼、どうした?」と声をかけられる。それを聞いた女将が、「天沼長二郎さんの?」「ええ、ボクの親爺です」「じゃあ、やっぱり。加代次(母の源氏名)さんの息子さんだったのね。ずいぶん大きくなったわねえ」。芸子が「あたし、加代次姐さんの昔の写真見たわよ」「あなたのおっ母さん、大変な人気だったのよ。清元が達者で・・・」。女将と母が同輩だったと知らされると、朝次の気持ちはますます重くなる。
 それと言うのも、恋仲の霞に縁談話があるからだ。尾上家は最近凋落気味、その危機を救うため、霞を北海道の資産家に嫁がせようとしている。相手は大金持ちだが老人である。でも霞は朝次の他は眼中にない。それを言っても、気位の高い尾上家では「あんな妾の子とは一緒にさせられない」と、まるで相手にしないのだ。だから、朝次は霞との結婚を諦めていた。自分の方から絶交を申し出るが、霞は応じない。朝次に会いたいと別荘にやって来たが、監視の目が厳しくて外に出られない。そんな時、友だちの呉津紀子(堤真佐子)が東京から追いかけて来た。その電車の中で、たまたま夕次が、ひときわ目立つ津紀子の洋装姿を目にするが、たちまち一目惚れ、「結婚するならあの人だ」と朝次に告白する。津紀子は、(朝次から霞宛ての)手紙を届けに来たのだが、監禁状態の霞を見て手引きをする。久しぶりに出会った霞と朝次は、夜の海岸を散歩する。「ねえ、霞ちゃん、こんなこといつまで続くと思う?」「朝ちゃんが続かせなければ続けられりゃしないわ」「霞ちゃんだって、続けられる?」「あたしは死ぬまで続けるわ」「そんなことできるもんか、お嫁にいってしまえば」「行かないったら、やな人ねえ」・・・。「ボクには自信がなくなってしまったんだ」「どうして」「ボクは妾の子なんだ」「また、そんなこと。あたしのお母さんだって酌婦だったわ」「でも、正式な奥様になってるじゃないか」「そんなことどうだっていいじゃないの」「違うよ、形式というのはとっても大切なものなんだよ」「でも、あなたのお母さん、とてもいい人よ。うちのお母さんとは比べものにならないくらい」・・・。「霞ちゃん、ボク、アメリカに行けるかもしれない」「いつ?」「君が結婚する前に」「行かないったら、わからない人ねえ」「そんなこと言ったって、家には代えられないだろう」「子どもより家を大切にする親なんてこっちも考えないわ」・・・「それより本当にアメリカに行くの?(結婚できなければ情死する約束)忘れちゃったの?」「忘れやしない、ただボクは死ぬのなら独りで死ぬんだ。誰にも知られないところで」「あたしは?」「君は死ぬ必要はない。ボクは世の中がイヤになったんだ」「・・・じゃあいいわ、あたしも独りで死ぬから」「君には呉さんといういいお友達があるじゃないか」「だから、だからできるだけ生きていたいんじゃないの。それを朝ちゃんはひとりで勝手に・・・」と、霞は泣き崩れる。朝次は「じゃあ、できるだけ二人で努力しよう!、もしそれでダメだったら・・・」、霞は静かに頷いた。
 この二人の対話は、まさに「君と行く(末)路」を暗示しているようだ。
 尾上家の別荘に、霞の相手が訪れる結納の日、空木が尾上家の執事を連れてやって来た。執事は朝次から霞に宛てた手紙の束を差し出して言う。「これをお返しするように言いつかって参りました。霞様の手紙がありましたらお返しください」。朝次はその手紙を受け取り、引き出しの中から霞の手紙を取りだした。「これで私が言い掛かりをつけると思っているのですか。この手紙はお返しできません」と言うなり、破り捨て暖炉の火に投げ込んだ。執事は驚いたが、ともかくも安堵、「つきましては、朝次様、洋行の足しにでも」と言い、壱千円の小切手を手渡す。朝次は直ぐさまそれも破り捨て、「妾の子だと思って、私のことまで芸者扱いするのか!」と、空木、執事を追い返し、独り浜辺に向かう。
 その日、津紀子も「虫の知らせ」で霞を救いに訪れた。玄関払いをさせられようとしたが、霞が飛び出して来て自室に招き入れる。あわててメモを記し、朝次のもとに届けてほしいと依頼する。朝次は独り浜辺で悔しさに耐えている。そこに夕次がやって来た。「こんな所で何してるんだい、この前の人が霞ちゃんの手紙を持ってきてくれたよ」と言う。夕次は、電車の中で見初めた意中の人が、霞の親友・呉津紀子だったことが判り、喜んだ。 三人で家に戻り、朝次は手紙を呼む。そして、「津紀子さん、弟の夕次をどう思いますか。お付き合いしていただければ・・・。」津紀子も嬉しそうに同意した。「霞さんには、すぐに返事をします。ボクの行動を見てその様子を知らせてあげてください。その前に、ちょっと出かけてきます」と、夕次と津紀子を残して出て行く。入れ替わりに母がやって来た。)朝次が「夕次のお嫁さんが来ているよ」と言ったので御挨拶に伺いました。(玄関先で自動車が発進するエンジンの音が聞こえた)「まあ、すてきなお洋服だこと!」と津紀子の姿に目を細める。一目で気に入った様子だったのだが・・・。
 突然、電話が鳴り響き、朝次の自動車事故を知らせる。独り、崖道を激走して転落したのである。 
 数日後、霞の姿が見えなくなった。家の者の目を盗んで津紀子の家を訪れる。お別れに来たと言う。「もう、二、三日後ね(嫁ぐ日は)」と津紀子が言う。「この間の手紙渡してくださった?」「ありがと」「霞ちゃん、朝次さんのこと何にも聞かない?」「・・・・」「きっと、誰も言やしないわねえ・・・」。津紀子は霞に朝次の死を告げる。霞は呆然としたが、「誰も言わないんだもの」と座り込む。「明日が埋骨式よ」「津紀子さん、あたしも連れてってくれない?」と懇願したが、津紀子は首を横に振る。「もう、仕方がないじゃないの」。霞は「朝ちゃん!」と叫んで泣き崩れたが、「行く路」を決意したのだろう。
 天野の別荘では、朝次の骨箱を夕次が運んでいる。「母が仏壇の前に置いておくもの」と言うのも聞かず、隣の霞に部屋の窓が見える場所に安置する。式に出るのは、母、夕次、空木、雛、津紀子の5人と数えていると、雛が訪れた。御前様の来るのが遅れる、昨日から霞が行方不明で、今探しているところだと言う。夕次が「津紀子さんの所じゃないか」と言っているところに、津紀子も供花を持ってやって来た。どこか元気がない。供花を力なく骨箱の上に乗せる。夕次が「霞ちゃんがねえ・・・」と言いかけると、昨日の経緯を告げた。「あたし、霞ちゃんはもう亡くなっていると思う」「そんなことはないよ、どこかで働き口でも探しているんだろう」「そうだといいんだけど」。夕次は津紀子との縁談話を確かめようとするが、津紀子は意外にも「否」、自分たちもまた死ななければならなくなる、と言う。夕次はその意味を必死で訊ねるが、「もっと、あたしたち強くなってから、またお会いしましょう」と答えるだけであった。・・・、津紀子の予感は当たった。空木が沈痛な表情で到着する。「霞ちゃんは?」「居たよ」「どこに?」「家の裏の池の中に、浮かんでいたんだ」。まあ、と聞いた一同は涙を拭う。しばらくして、雛が言う。「でも、霞さんは朝次さんの所に行って、お幸せにお暮らしになるんでしょう。朝次さんはきっと喜んでいると思いますわ」。その言葉を聞いて、津紀子は夕次のもとへ行き「夕次さん、さようなら、ごきげんよう」と言い立ち去った。夕次は椅子に座り込んで嗚咽する。その様子を訝しがる母、「いったいどうしたんだねえ、あの人は。変な子だねえ津紀子さんていう人は。霞ちゃんはね、親の言うことを聞かないからこんなことになってしまった。親の言うことを聞いていればいい奥さんになれたのに。お前だって、ごらんな、出世ができるのにこんなにグズグズしてさ・・・」。そう言われた夕次は、たまらず立ち上がり「バカ! お母さんのバカ!」と叫ぶ。その勢いに、母は目を丸くして呆気にとられる。別荘の外では、何かをこらえ、足早に浜辺を立ち去る津紀子の姿を映すうちに、この映画は「終」となった。
 女性映画の名手と謳われた成瀬巳喜男の作品としては、あまり評価は高くないようだが、私にとってはまさに傑作、他に比べて優るとも劣らない出来映えであった。筋書きは「天国に結ぶ恋」もどきの悲恋物語にも見えるが、実は登場する4人の「女模様」がくっきりと浮き彫りされて、そのコントラストがたいそう興味深いのである。
 その一人は、加代という女性、朝次、夕次の母である。名士・天沼長二郎の愛妾として、豪華な鎌倉の別荘を譲り受け、さらに膨大な手切れ金(息子たちの養育費)も頂戴、お春という女中まで置いている。にもかかわらず、その金を「わずかばかりの端金」と言って憚らない。世の中はすべて金、義理も人情も「どこ吹く風」、霞の死を、今、泣き悔やんでいたかと思えば、「霞ちゃんはね、親の言うことを聞かないからこんなことになってしまった。親の言うことを聞いていればいい奥さんになれたのに」などと、哀悼の意を忘れ去る。たまらず、夕次が「お母さんのバカ」と叫んでも、その気持ちがわからない。空木を「御前様」と奉る一方、陰では「いい年をしてみっともない」と見下げる。夕次の縁談話でも、相手の娘を「器量はよくないけど女学校出だとさ」と評価する。レター・ペーパーをラブレター、デスクをデクスと言い間違えても気づかない。その極め付きは、「自分が芸者であったこと」に全く頓着しないことである。夕次が「ボクが好きになった人なら、その家が魚屋であっても材木屋であってもかまわない」と言えば「カフェの女給なんか困るよ」と言い、朝次から「芸者より女給の方がマシだ」と言われ「まあ、この子ったら」と涙ぐむ。しかし、いつまでもクヨクヨしないのが彼女の真骨頂だ。そもそも、朝次の死、霞の後追い自殺は、加代が芸者上がりであったことに因る、そして夕次が津紀子に振られたのも同じ理由に因る。つまり自分が蒔いた種だったということに気がつかない。いわば「無知の逞しさ」とでも言おうか、かつては、「どこにでも居そう」な女性の生き様を、女優・清川玉枝は見事に演じきったと、私は思う・
 その二人目は、霞の風情、見るからに楚々として初々しい。語り口もたどたどしいが、その内容は正鵠を射ている。朝次との密会中、「ねえ、霞ちゃん、こんなこといつまで続くと思う?」と問われて「朝ちゃんが続かせなければ続けられりゃしないわ」と毅然と答え「霞ちゃんだって、続けられる?」「あたしは死ぬまで続けるわ」「そんなことできるもんか、お嫁にいってしまえば」「行かないったら、やな人ねえ」という対話の中には、明確な意志・覚悟がある。さらに、「それより本当にアメリカに行くの?(結婚が叶わなければ情死という約束)忘れちゃったの?」「忘れやしない、ただボクは死ぬのなら独りで死ぬんだ。誰にも知られないところで」「あたしは?」「君は死ぬ必要はない。ボクは世の中がイヤになったんだ」「・・・じゃあいいわ、あたしも独りで死ぬから」というやりとりの中にも、確固とした決意が窺われる。たしかに朝次は「独りで」死んだ。しかし、それは世間の「形式」(格式・義理)に対する敗北であり、弱者の死である。比べて。霞の自死は、男に対する誠を貫くと同時に、世間の「形式」に対する挑戦なのだ。さればこそ、父・尾上の「落胆」は激しく、心底からの後悔と反省をもたらすことができたのである。いわば、強者の死であり、さらに「美しさ」も添えられている。「み袖のままで浮かんでいた。美しい姿だった」という空木の言葉が、何よりも雄弁にそのことを物語っている。そんな芯の強い、一本筋の入った女性の姿を、女優・山縣直代は健気に描出しているのである。
 その三人目は呉津紀子、モガのスタイルで明るく行動的、彼女に頼めばどんな夢でも叶いそうな存在感がある。事実、彼女の手引きによって霞と朝次の「逢瀬」は実現、二人の絆をよりいっそう強めることができたのだが、悲劇的な結末を前にして動揺する。とりわけ、夕次との交際が「同じことの繰り返し」になるだろうと予感、「私たちもっと強くなりましょう」「必ず、なってみせるわ」と断言、(霞と同様)毅然と訣別する姿は、理知的で冷静である。加代は「変な子だねえ」と訝るが、自分自身がが世間の「形式」からは、変な存在だと思われていることに気づかない。そのコントラストがたいそう可笑しい。
 その四人目は、空木の愛妾・雛である。年の離れた爺さんを旦那にもち、「遺産を狙っているに違いない」と加代からはさげすまれているが、一向にお構いなく、「お酒が飲みたい、隣で調達してきて」と空木を使い走りさせる。「家でゆっくり飲むわ」とちゃっかり、ボトル一本をゲットする様子は可笑しく、遊び人で「いい男」の空木が可愛がるのも肯ける。霞の死を知って「霞さんは朝次さんの所に行って、お幸せにお暮らしになるんでしょう。朝次さんはきっと喜んでいると思いますわ」と泣き崩れる姿も月並みだが、それが津紀子の「毅然とした訣別」を導いたことは、確かである。「私は違う!。私は《死んで楽しい天国であなたの妻になりますわ》などということは信じない!」と思ったに違いない。
 以上が、女性映画の名手・成瀬巳喜男監督が描き出した「女模様」の実像ではないだろうか。
(2017.6.24) 



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2024-04-03

付録・邦画傑作選・「その夜の妻」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「その夜の妻」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。登場人物は、深夜ビジネス街で拳銃強盗を働き警官から追われている橋爪(岡田時彦)、その妻まゆみ(八雲恵美子)、その子みち子(市村美津子)、橋爪を捕縛しに訪れた刑事(山本冬郷)、病臥するみち子を往診する医者(齋藤達雄)、その他大勢(橋爪を追いかける警官隊、強盗被害者)とシンプル、ほぼ5人の「絡み」だけで物語は展開する。時間も、ある日の午後9時から翌日の9時まで(原作は短編小説『九時から九時まで』・オスカー・シスゴール)という設定で、当時の人間模様がコンパクトに凝縮された佳品であった。
 橋爪は愛娘・みち子の治療代を捻出しようと借金に出かけたが誰も相手にしてくれない。やむなく強盗を余儀なくされたが、拳銃を所持しているところを見ると堅気とは思えない。いでたちもスーツにネクタイ、ハットとアメリカ風である。住まいは雑居ビルの一室、テーブル、椅子、ベッド、コーヒーポット、洗面器、アイスピック等々、家具・調度品の全てが洋風、壁にはローマ字のポスター、看板も見える。もしかして橋爪の職業はペンキ職人?、彼自身が呟いたように「俺たち貧乏人」であることは確かなようである。室内に干された洗濯物、床に並んだペンキ缶が哀れを誘う。 ベッドではみち子が目をさまして「お父ちゃんはどこ、お父ちゃんを呼んできて」と泣き叫ぶ。医者の話では今晩がヤマとのこと、途方に暮れるまゆみの姿がひときわ艶やかであった。追われ身の橋爪が帰宅、奪ってきた金をわしづかみにしてまゆみに手渡す。「あなた、もしかして・・・」と夫の顔を見据えれば、静かに拳銃を差し出し、「みち子の病気が治ったら、自首するつもりだ」。そこに訪れたのが円タクの運転手を装っていた刑事、「その筋の者だが、御主人は在宅か」。夫、現金、拳銃をあわてて物陰に隠し、「いいえ、主人はまだ帰っておりません」「では待たせてもらおう」「それは困ります。娘が大病なんです。お帰りください」「氷を割るくらいならやってあげるよ」などと言いながら机上に置き忘れた橋爪の帽子を取り上げてまゆみの頭に被せる。「実を言うとさっきあなたの夫をそこまで車に乗せてきたんだ」と言いつつ拳銃を取り出し「出てこい!」と叫んだ。まゆみも意を決したか、隠した拳銃を取り出して刑事の背中に押し突ける。「あなた!早く逃げて」。橋爪、姿を現したが泣き叫ぶみち子の枕元に駆け寄り「俺にはこの子を手放してゆく勇気はねえよ」「それなら私のことはかまわずに介抱してあげてください」なおも拳銃を突きつけて「今夜はこの子が生きるか死ぬかの一大事なんです。夫はこの子が峠を越したら自首すると言っています。それまではいつまでもこうしています」。刑事は静かに両手を挙げ、椅子に腰かけた。時刻は午前1時50分。橋爪の看病が続く。刻一刻と時間が過ぎ、時刻は3時・・・、睡魔がまゆみを襲う。夜が明け始め牛乳配達がやって来た頃、ふと気がつくと事態は逆転していた。拳銃を握っていたのは刑事、橋爪はみち子のそばで眠り込んでいる。慌てるまゆみに「静かに、子どもが目を覚ましてしまうよ。医者が来るまで待つから君も一休みしたまえ。袂の紙幣は僕が預かったよ」などと言う。万事休す、まゆみの力は脱けてしまった。やがて医者がやって来た。診察後、欣然として「もう大丈夫です!危険状態は脱しましたよ」。しかし、橋爪には妻子との別れが待っている。「別れのコーヒーでも入れてもらおうか」、まゆみがふとみると、待ちくたびれたか、刑事が居眠りをしている。咄嗟に「あなた、逃げて!」と夫を玄関口から送り出した。後ろを振り向くと、刑事が立っている。「僕が徹夜の疲れで眠ってしまったと思ったか、その通り、だからわざと逃したんじゃない」。刑事は「その夜」をこの親子たちと過ごすうちに、「拳銃も現金も取り戻した。もういいか」と許す気持ちになったのか・・・。少なくとも「俺はこの男を捕縛したくない」(できれば親子を救いたい)と思ったに違いない。静かに立ち去ろうとして玄関のドアを開けると、橋爪が立っていた。「逃げるなんて馬鹿な考えはやめた。刑期を務めれば思いっきりみち子を抱けるんだ」。わざと逃がしてくれた刑事に対するせめてもの恩義だろうか。呆然とするまゆみ、しかし気を取り直してみち子を抱き上げ、牽かれていく夫を見送る「その夜の妻」の姿はひときわ鮮やかであった。母として、妻として千々に乱れる女心を、女優・南雲恵美子はその表情・目線を通して見事に描出していた。さらに、二枚目・岡田時彦の「やくざ」な色気、ハリウッド映画出演経験者・山本冬郷の「いぶし銀」のような渋さ、モダンな背景・大道具・小道具も添えられて、たいそう魅力的な作品に仕上がっていた、と私は思う。お見事!と思わず心中で叫んでしまった。(2017.1.19)



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2024-04-01

付録・邦画傑作選・「港の日本娘」(監督・清水宏・1933年)

 ユーチューブで映画「港の日本娘」(監督・清水宏・1933年)を観た。戦前の男女の色模様を描いた傑作である。港の日本娘とは黒川砂子(及川道子)のことである。彼女には無二の親友、ドラ・ケンネル(井上雪子)がいた。この二人に絡むのが男三人、プレイボーイのヘンリー(江川宇礼雄)、貧乏な街頭画家・三浦(齋藤達雄)、酒場の紳士・原田(南條康雄)である。
 砂子とドラは、横浜・山の手の女学校に通う仲良しで、下校時いつも最後まで残るのはこの二人、その帰り道を狙って、ヘンリーがオートバイに乗って近づいて来る。どうやら、砂子の方がヘンリーに惹かれている様子、ドラはいつも置いてきぼりにされることが多かった。ヘンリーはオートバイに砂子を乗せ、海に、山に、街に逢瀬を楽しんでいた(幸福を楽しんでいた)のだが、「移ろいやすいのは恋」、ヘンリーの前にに新しい恋人、シェリダン耀子(沢蘭子)が現れると、今度は砂子が置き去りにされる。その頃からヘンリーの素行は悪化、与太者仲間との付き合いも始まった。ドラはヘンリーが隠し持っていたピストルを取り上げて、ヘンリーの翻意を促す。しかし、ヘンリーには、熟女・耀子の色香の方が魅力だったのだろう、豪華船内で催されるダンスに誘われて赴く。その帰り、酔いつぶれた耀子を介抱しようと、ヘンリーが街(女学校?)の教会に入ると、「神様の前で結婚しちゃうんだよ」などと耀子がうそぶく。ドラに言われて、波止場までヘンリーを迎えに行った砂子は二人を教会まで追跡してきたか、静かにドアを開け、無言で耀子と睨み合う。耀子が嘲けて笑いかけた時、砂子の手にしたピストル一発が炸裂、耀子はその場に倒れ込んだ。あわてて抱き起こすヘンリー。砂子のピストルはドラがヘンリーから取り上げた代物に他ならない。清純な女学生たちの間に、悲劇の幕が切って落とされたのである。砂子は「神様!」と救いを求め、叫んだが、神様は許してくれなかった。
 気がつけば、砂子は「横浜から長崎へ、長崎から神戸へと渡り歩く哀しい女」になってしまっていたのである。神戸の波止場を朋輩・マスミ(逢初夢子)と、日傘をさしながら散歩している。マスミが「そろそろ横浜に住み替えだ」と言えば、砂子も「あたしも横浜に帰ろうかな」。マスミが後ろを振り返って「あの居候はどうするのさ」。二人の後ろから、砂子のヒモらしき貧乏画家・三浦が、とぼとぼ付いてきていたのだ。「犬ころみたいに付いてくるんだもの、どうしょうもないじゃないか」。「彼は一体、何者?」「あれでも画家よ。長崎からの道ずれさ、くっついて離れないんだもの」「あんたの亭主? 情夫?」「さあ、何だかねえ」と砂子は応えた。
 かくて三人は横浜へ。横浜では真面目になったヘンリーとドラが新所帯を構えていた。まもなく子どもも生まれる。帰宅したヘンリーは、食事をしながら「砂ちゃんが戻って来たらしい。昔の面影はないそうだ」とドラに告げる。一瞬、顔を曇らせるドラ・・・。
 ある雨の夜、客の来ない「ハマのキャバレー」では女たちが三々五々帰って行く。残されたのは砂子と紳士、そこにヘンリーが訪れた。びっくりする砂子、思わず厚化粧の姿を見られまいと壁に隠れたが、やがて見つめ合う二人。紳士は「邪魔者は消えるよ」と立ち去った。二人とも無言で俯いていたが「お酒、飲む?」「・・・」、ヘンリーは下を向いたまま首を振る。「ドラは今、どうしているかしら、消息知らない」「・・・・」「あたしの聞き方が悪かったわね。二人は今、幸せ?」「・・・・」「あなたたちのこと、心から祝福するわ」と言って砂子は涙ぐむ。ヘンリーは終始無言、「あたし、もう帰るわ。それとも、あたしのお客になる?」「・・・・」「冗談よ」。ヘンリーは無言のまま砂子のアパート(従業員寮)へ。「ドラによろしくね」と言って砂子がドアを開けると、のっそり三浦が顔を出し、パタンとドアを閉めた。やはり、無言のままヘンリーの姿は画面から消える。部屋の中では三浦が、隣に女の人が引っ越してきた。何か言い仕事はないか探している旨を砂子に告げる。「あんた、他人のことより自分のことを考えたら」とそっけない返事が返ってくるだけだった。
 翌朝、砂子のアパートをドラが訪れる。砂子は一瞬たじろいだが「ここは、あなたの来るところではないわ」「私が来られないでいられると思って?」「ヘンリーは真面目に働いているし、家庭は円満だし、それを喜んでもらいたいとでもいうの」と、閉め出した後で、泣き崩れた。自分の姿は、あばずれですれっからし、相手は清楚な若奥様、あの仲良しが今はこんな関係になってしまうなんて、という悔恨が伝わってくる、名場面であった。
 そして日曜日、今度は砂子がヘンリーの家を訪れる。ドラもヘンリーも歓迎、ヘンリーは昔を思い出したか、レコードをかけ砂子とダンスを踊る。馳走の準備をしていると、床に毛糸の玉がコロコロ転がっているのが見えた。その毛糸は生まれてくる子どものためにドラが靴下を編もうとしていた物、手を取り合って楽しそうに踊っている二人の足元に毛糸が絡みついていたのだ。そのことも気づかずに・・・、ドラは唖然として二人を見つめる。その視線を受けながら、砂子は腕時計に目をやり「もうそろそろお暇します」。砂子を見送りながら「送っていらしゃったら」とヘンリーを促す。ヘンリーと砂子は、あちこちと散歩しながら、昔、逢瀬を重ねた思い出の場所に辿り着いた。ヘンリーは言う。「砂子さん、お願いがあるんだ。真面目な生活に帰ってもらいたい。あなたの不幸な生活を見ていられない、苦しくて・・・」「帰りたい。でも出来ないことらしいわ。あなたの胸で泣かせて・・・」と砂子はヘンリーに縋りつく。そしてキャバレーに戻り、マスミが止めるのも聞かずに酒をあおりダンスに興じる。相手はいつもの紳士・・・。
 砂子のアパートでは、三浦がせっせと洗濯の最中、そこに隣の女が通りかかる。今日も仕事にあぶれたようだ。「私にも手伝わせて」、三浦は砂子の下着も依頼しようと部屋に戻ると、ヘンリーが待っていた。三浦はかまわず洗濯物をまとめて出てていこうとすると、ヘンリーが「砂子さんは?」と問いかけた。「留、留守ですよ」と応じれば「君は一体、砂子さんの何なんだい」「何に見える?」「兄妹にも見えないし、まんざら他人でもなさそうだ。と言って亭主にはなおさら見えない」。三浦も再び出て行こうと振り返り「ところで、あなたは一体、あの人の何なんです?」「何に見える?」「兄妹にも見えないし、まんざら他人でもなさそうだが、亭主には絶対見えないよ」。この恋の鞘当ては、どちらに分があるのやら・・・。夜、三浦が洗濯物にアイロンをかけていると、砂子がフラフラと千鳥足で帰ってくる。「あんた、あたしの下着まで洗濯したの?」「隣のご婦人がやってくれたんだ」「じゃあ、この御礼を持っていきな」と金を渡す。入れ替わりにマスミがやって来た。「あたし、お店から足ヌケするよ。少し遠いところへ行くつもりさ。辛い浮世に短い命」。突然の話で砂子はびっくりしたが、その言葉を聞いて「私も連れてって」と言う。マスミは「落武者一騎、ひとりで逃げるのがせいぜいだよ」と言ってて出て行こうとする。しかし、ドアの外には刑事と警官の姿があった。一瞬たじろいだが、「悪いことはできないよ、あばよ」と言い残し、自ら曳かれて行った。
 次の日か、三浦がヘンリーの家を訪れ、近頃ヘンリーがたびたび砂子のアパートを訪れているとドラに告げる。ショックを隠せないドラが「砂子さんはどんなお考えですの」と訊ねると、三浦は勝ち誇ったように「さあ、それが問題ですな」。ドラがたしかめようとして、アパートを訪れると案の定、ヘンリーが来ていた。三浦も砂子も不在、ドラはやむなく帰ろうとする。ヘンリーはドラを呼び止め「砂ちゃんに、何か用かい」「あなたは」「・・・・」、ドラは再び帰ろうとする。ヘンリーは「誤解しないでくれ」と言えば「誤解するようなことがあるんですの」と立ち去ろうとする。あわてて追いかけるヘンリー、家に戻ってからも気まずい沈黙が続いた。
 一方、砂子のアパートでは大喧嘩が始まった。三浦をにらみつけ砂子の怒号がとぶ。「お前はとんだ悪戯をしたもんだね」、「あたしは、せっかく一つだけあった真面目な世間とのつながりをなくしてしまった」と嘆くと、珍しく三浦が抗弁した。「僕は、ヘンリーが憎かったんです!砂子さんには僕の気持ちがわからないんですか」。その言葉を聞いて、堪忍袋の緒が切れた。砂子は「出てお行き!」と叫ぶなり、三浦の持ち物、画材、キャンバスなどなど、一切をドアの外に投げ捨てる。三浦もまた放り出されてしまった。
 「ハマのキャバレー」に、もうマスミの姿はない。砂子はいつもの紳士と酒を飲んでいる。そこにヘンリーがやって来た。砂子は笑って「ドラのお許しが出たの?」「ここに来るのに、許可がいるのか」「そうね、あなたはお客さんだったわね」「少し、話したいことがある」「あたし、お客様とは深刻な話はしないの」と言って、いつもの紳士とダンスに興じる。うなだれるヘンリー、つれなく袖にされる姿が一際あわれであった。
 深夜、砂子がアパートに帰ると、ドラが待っていた。「ヘンリーは?」と訊ねる。砂子は「あたし、あなたのハズのことなんて知りませんわ」と他人行儀に応じれば「あなたが
一番知っていると思ったのに」「ドラ、私のことそんな女だと思っているの」、力なく帰って行くドラを放っておけず、砂子はヘンリーの家まで同行する。そこで「砂ちゃん、私もうすぐママになるのよ」という言葉を聞かされた。「それなのに、ヘンリーったら毎晩お酒を飲んで帰ってくるのよ」とドラは涙ぐむ。砂子はハッとして「あたしがいけなかったんだわ、甘えていたのよ」と自分の姿にはじめて気づいたか・・・。たちまち家を出て、ハマの歓楽街をしらみつぶしに探し回る。ヘンリーは4軒目の店に居た。「こんな所に居たのね、ドラは淋しく赤ちゃんの靴下(たあた)を編んでいるのよ」。ヘンリーは憔悴して「ぼくは、一体どうすればいいのか(わからない)」と言う。砂子はキッとして「早く家に帰ってパパになる勉強をなさればいいんだわ」とヘンリーを連れ戻した。「さあ、ここで生まれてくる赤ちゃんの名前でも考えていたらいいのよ」。ドラに「雨降って地固まる、ヘンリーを可愛がっておやりなさい」と言い残してその場を去って行く。「ヘンリー、ドラ、あたしはこれからどこに行けばいいの?」と呟きながら・・・。
 アパートに戻ると、隣室から三浦が出てきた。「可哀想な女だ」。隣の女は医者に見放される病、もう永くはないと言う。砂子は、ベッドに横たわるその女を、一目みるなり驚愕した。自分が傷つけた、あのシェリダン耀子だったのである。見つめ合う二人、「砂子さん、あなただったの。シェリダン耀子もこうなってはおしまいね」と耀子が力なく笑う。窓の外は降りしきる雨。「こんな夜に世間から見捨てられて一人淋しく死んでいくなんて惨めね」。「でもこれが正しい裁きかも・・・、ヘンリーやドラはどうしているかしら」。砂子は「二人は結婚しましたわ、今、幸福に暮らしております」と告げる。「あなた、二人をそっとしておいてあげなければいけないわよ」「あたし、そのことに気がつかなかったんです。でも、二人は今、幸福です」「砂子さん、私がいい見本よ。早く真面目な生活に帰りなさい」「でも、世間は許してくれるでしょうか」「待つのよ、許してくれるまで待つのよ、じっと堪えて」「わかったわ、耀子さん。あたし待ちます。許してくれるまで待ちますわ」と、耀子の膝元で泣き崩れた。「逢えて本当によかったわ」、それが耀子の遺言であった。窓の外の雨はいっそう激しく降り注ぐ。哀しい女たちの涙を象徴しているかのように・・・。
 かくて「横浜よ、さようなら」の日がやって来た。すっかり旅支度の整った砂子に、三浦が言う。「僕はどうなるんだね」、砂子はニッコリして「旅は道連れ、あたしに話し相手が一人ぐらいあってもいいんだわ」。パッと表情が輝いた三浦もまた慌てて旅支度を始める。やがて二人は船の甲板、海を見つめている。三浦が手にしている(砂子の)肖像画を見て砂子が言う。「そんなもの、捨てておしまい!」。三浦は一瞥したが、惜しげもなく二枚の絵を海に投げ捨てた。波間を漂う二枚の絵、それは過去との訣別、新しい生活、とりわけ真面目な生活への餞であったかもしれない。船は港を離れた。五色のテープが乱れる中、ヘンリーとドラが波止場に駆けつける。一足先に見送りに来ていた、酒場の紳士が「よろしく言っていましたよ」と二人に告げて立ち去った。二人は遠ざかる船を見つめる。カモメが飛び交い、波間に漂う砂子の肖像画が見え隠れするうちに、この映画は「終」となった。 
 映画はサイレントだが、オートバイの音、ピストルの音、波の音、雨の音、風の音、人物の話し声、叫び声、泣き声・・・などが鮮やかに聞こえてくる力作である。
 映画の眼目は、男女の色模様で「よくある話」、とりわけ二枚目(イケメン)ヘンリーの優柔不断さに振り回される女たち、砂子、ドラ、耀子の姿が哀愁を誘う。三枚目の三浦が「ボクはヘンリーが憎い」と言う心情には十分、共感できる。三浦には女を選り好みする気などさらさらない。徹底したフェミニストなのだ。ヘンリーは変貌した砂子を見て「その姿を見るのが苦しい」と言い、新妻のドラを捨て置いて酒場をさまよう。そんな姿は見苦しく、男らしさのひとかけらも感じられない。その根性が憎いのさろう。三浦の風采は凡庸、未だにうだつが上がらないとはいえ、ただひたすら砂子に追従することを目指す心意気の方が、よほど男らしいではないか。しかし、その魅力は砂子には通じない。そこら辺りの「心模様」がこの映画の眼目かもしれない。さらにまた、ほんの端役ながら、いつも砂子に寄り添い、決してそれ以上踏み込もうとしない酒場の(無名)紳士の「男振り」も、実に清々しく爽やかで、際立っていたと思うのだが・・・、男女の色模様は、げに「不可思議」というべきか。
 一方、女学生時代の砂子、ドラを演じた及川道子、井上雪子の清純な美しさは輝いていた。それが、ひょんなことから、たちまち「あばずれ・すれっからし」「所帯やつれ」に変貌する姿も見事である。その領分では、マスミの風情が一枚上か、「辛い浮世に短い命」「あばよ!」という「決めゼリフ」がたいそう堂に入っていたと、私は思う。
 監督・清水宏の作品では、『有りがたうさん』『大学の若旦那』『按摩と女』『簪(かんざし)』等が有名で、この作品はそれほど知られていない(もしくは不評の)ようだが、夭逝した及川道子を主人公に据え、江川宇礼雄、井上雪子といったハーフの俳優にヘンリー、ドラという外人もどきの役柄を脇役に配した演出はユニークでであり、貴重な異色作品あると、私は思った。 (2017.6.9) 



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2024-03-31

付録・邦画傑作選・「噂の娘」(監督・成瀬巳喜男・1935年)

 ユーチューブで映画「噂の娘」(監督・成瀬巳喜男・1935年)を観た。東京にある老舗「灘屋酒店」の家族の物語である。主人・健吉(御橋公)は婿養子に入ったが、妻はすでに他界、義父・啓作(汐見洋)、姉娘・邦江(千葉早智子)、妹娘・紀美子(梅園龍子)、他に使用人数名と暮らしている。向かいの床屋(三島雅夫)が客と話している様子では、「灘屋は最近、左前。隠居の派手好きがたたったか。主人の健吉は、傾きかけた店に婿養子として入って大変だ」。健吉にはお葉(伊藤智子)という妾がおり、料理屋を任せている。繁盛しているが、お葉はその店を売り、健吉に役立てようと考えている。姉・邦江の気性は旧来の和風気質、父の稼業をかいがいしく助け、祖父の遊興も許容している。親孝行の典型といえよう。他方、妹・紀美子は正反対、帳場の金をくすねて遊びに行こうとする。邦江に咎められると「いいわよ、今度のお姉さんのお見合い、付き添ってあげないから」。その縁談は、健吉の義弟(邦江の伯父)(藤原釜足)が持ち込んだ。先方は大店・相模屋の息子・佐藤新太郎(大川平八郎)。健吉はあまり乗り気ではなかったが、邦江は「幸せになれそうだ」と思った。なぜなら、自分がこの家を出れば、その後にお葉を迎え入れることができる。しかも、自分と妹は腹違い、紀美子はお葉の娘なのだから。健吉とお葉、紀美子の三人で暮らせるようにすることが、邦江の「幸せ」なのである。しかし、紀美子はそのことを知らない。紀美子はお葉を、父の「妾」に過ぎないと敬遠気味であった。
 邦江は、自分の「幸せ」を実現するために、お葉自身、祖父、伯父、そして父に「話をつける」。お葉を迎え入れることは、皆が同意、それとなく紀美子にも話して見たのだが「私、お父さんのお妾サンなんて、お母さんと呼べないわ」という答であった。
 邦江の縁談は、妙な方向に進んでしまった。相手の新太郎は、付き添った紀美子の方を気に入っった様子、伯父は「あんなお転婆のどこがいいのやら。今の若い者の気持ちがわからない」と嘆く。「でも、この縁談は紀美子の方に変えようか」と持ちかけるが、健吉は不同意、「邦江の気持ちも察してやらねば」と、このことは邦江にも紀美子にも隠しておこうということになった。
 しかし、紀美子と新太郎は、銀座(?)で偶然再会、逢瀬を重ねるようになる。今度は、そのことを知らない邦江と健吉・・・。 
 一方、邦江は、お葉宅からの帰り道、浅草(?)で、家具屋を除いている祖父を見つけた。「着物屋ではなく家具屋を覗くなんて珍しいわね」と言うと「なあに、お前の縁談もあることだからね。でも金は無い。明日は明日の風が吹くだよ。それにしても最近のお父さんは焦っているのではないか、店の酒の味が昔と違う。お父さんが何かしているのではないか。お前が確かめてほしい」と聞かされた。ある雨の日に、健吉が一人酒蔵で何かをしている。問い詰めると「酒の味がもっとよくなる研究をしている」という答であった。
 一抹の不安を抱えながら、邦江は、伯父宅に、見合いの件、お葉の件で訪れる。その帰り道で衝撃的な現場を目撃した。見合い相手の新太郎が、紀美子と連れ立っている姿である。帰宅して紀美子に質すと「お姉さんは何も知らないのよ。新太郎さんは私をお嫁に欲しいと言っているの。叔父さんもお父さんもそのことを知っているのに隠している。私は、偶然、新太郎さんに会って、その話を聞いたのよ」。
 打ちひしがれた邦江は帳場で泣いている。健吉が見咎めて「どうかしたのか」と問いかけたが「何でもありません」と答えるだけであった。
 健吉は、お葉の店を訪ねる。「幸い、良い買手がつきそうです」「すまない」「私は一人でも暮らしていけます」。お葉は、邦江にいい婿を迎え灘屋を再建してもらいたい、自分は娘の紀美子と暮らせればよい、という考えもよぎったか。「明日、紀美子の誕生日だ。その機会に、実母として紹介しよう」と健吉は帰って行った。
 いよいよ大詰め、灘屋の一室では紀美子の誕生祝い、友だちが集まって新太郎からのプレゼント(西洋人形)を眺め、ジャズのレコードで踊っている。そんな折り、伯父から突然の電話が入った。「新太郎の親から、紀美子さんを欲しいと言ってきている。紀美子の気持ちを聞いて欲しい」驚いた健吉「ともかく、聞いてみる」と電話を切る。そこにお葉が訪れた。「二階で待っていてくれ」と言い、紀美子を呼び出す。「お前、お父さんやお姉さんに内緒で、佐藤の倅と親しくしていたというじゃないか。どんなつもりだったんだ!」「・・・・」「お前は、姉さんがどんなに優しい気持ちでお前や、お前のお母さんのことを考えていてくれたか、わかるまい」。一瞬、紀美子の表情が変わった。「今日は、お前に会わせたい人が居る。来なさい」と二階に連れて行く。待っているお葉。見つめ合うお葉と紀美子・・・。お葉の視線は熱い。紀美子の視線は冷たい。「お前を生んだお母さんだ、挨拶しなさい」。紀美子は無言、邦江がお茶を持って登ってきた。「姉さんにも、謝らなければならないだろう。お前や、お母さんや、家のことばかり考えていた姉さんの心を踏みにじったんだ。謝りなさい」邦江は「姉さんには謝らなくてもいいのよ。でも、お母さんには挨拶なさい」と取りなすが、なおも紀美子は無言、健吉はたまらず「今日こそお前のわがままを叩き直してやる」と手を上げると、「今になって、そんなこと言われるなんて、イヤです。お母さんなんていらない!、お父さんなんていらない!、この家なんていらない!」と叫ぶなり、紀美子は階段を降りていく。あわてて追いかける邦江、驚いている友だちの前で家を出る気配をみせる。二階に残されたお葉と健吉は言葉が失っているところに、使用人の小僧がやってきた。「警察の人が来ています。旦那に用があるそうです」。
 向かいの床屋では隠居の啓介が髭を当たってもらっていたが、店の前がただならぬ様子、刑事、警官、野次馬で人だかりができている。床屋が「何か、あったんでしょうか」と心配そうに問いかけるが「なあに、何でもありませんよ」。店を出ると健吉が近づいて「すみません」と頭を下げた。「いいとも、いいとも、なるようになっただけだよ。ああ、行っといで」と優しくねぎらう。床屋が「これからどうなるんでしょう」「看板が変わるだけだ」と吐き捨てた。
 店に残された邦江たち、紀美子はボストンバックを手にして家を出て行こうとするのだが・・・、お葉が紀美子をじっと見つめる。紀美子も見つめ直したとき、ボストンバックは足元に落ちた。その後の経過は誰にもわからない。
床屋では、亭主が次の客(滝沢修?)に向かって「とうとう灘屋も駄目になりましたね。次は何屋になるんでしょう」と言えば、客は笑いながら「いくらか賭けようか」「ようございますとも、また酒屋かな、それとも八百屋かな、八百屋はすぐ近くにあるし・・・」などと思案するうちに、この映画は「終」となった。
 登場人物の隠居・啓作、主人・健介、長女・邦江、伯父、妾・お葉たちは、いずれも和服姿、次女・紀美子と新太郎は洋服姿というコントラストが「生き様」の違いを象徴している。和服姿は、江戸、明治、大正、昭和へと伝統を継承する立場、それに対して、洋服姿は伝統に抗う、洋式の生活意識を求めている。啓作が三味線をつま弾き、俗曲を披露すれば、紀美子はジャズのレコード、ソーシャル・ダンスで対抗する。和服派が重んじるのは「細やかな心づかい」、あくまでも他人との義理・人情を大切にするが、洋服派にとって大事なのは「自己」と「自我」、とりわけ「女が男の犠牲になること」を嫌うフェミニズムなのである。 
 この映画の眼目は、酒屋の名店が「没落」する姿を通して、「滅びの美学」を描出することにあったのか、洋風文化への転換期を描きたかったのか、判然としない。成瀬監督の真骨頂は、同年前作の映画『女優と詩人』に代表されるフェミニズム、「女の逞しさ・したたかさ」だと思われるが、この映画では、和風への「未練」、伝統への「執着」も、いささか感じられた。それというのも、主役を演じた千葉早智子の存在があったからか。彼女は数年後、成瀬監督の夫人に収まる身、その魅力を、和風にするか洋風にするか、という成瀬監督の「迷い」があったとすれば、「むべなるかな」と納得できる。
 いずれにしても、お互いの気持ち、心情を重ねようとする人たちと、陋習を打破して自己主張を大切にする人たちが織りなす人間模様の描出は鮮やかであった。なかでも、悠々と江戸好みの風情を楽しむ隠居老人・啓作を演じた汐見洋の魅力が光っていた。成瀬監督にしては異色の「傑作」であった、と私は思う。(2017.5.26)



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2024-03-30

付録・邦画傑作選・「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。前作「学生ロマン若き日」の続編である。W大学応援部の高橋(齋藤達雄)たちは、いよいよ卒業試験の時期を迎えた。試験場では監督(大国一郎?)の目を盗みあちこちでカンニング、その方法も様々である。学生同士は皆「仲間」、高橋が後ろを見て「三」と指で示せば、すかさず学友が「三」の答を紙に書き(机間巡視中の)監督の背中に貼り付ける。監督が高橋の脇を通り過ぎる瞬間にそれを取ろうとするのだが、監督が振り向いた。あわてて手を引っ込め時計を見る。そのやりとりを繰り返す光景が何とも可笑しかった。その日の試験は終了、高橋たちは下宿に戻る。そこは賄い付きの大部屋、五、六人の学生がひしめき合って
いる。配役の字幕には、落第生・横尾泥海男、関時男、及第生・月田一郎、笠智衆などと
記されているが、笠智衆の他は誰が誰やら、判然としなかった。高橋は明日の試験のためにカンニングの準備、白いワイシャツの背中一面に答案を綴る。一同は勉強に疲れ眠気が襲ってきた。「何か食べよう」と二階の窓を開けて、向かいの喫茶店に声をかける。顔を出したの看板娘(田中絹代)。どうやら高橋とは恋仲の様子。おか持ちにサンドイッチを積んで持ってきた。取り次ぎに出た下宿屋の息子(青木富夫)もおこぼれを頂戴する。和気藹々の空気が爽やかである。娘は帰り際、高橋を呼んで角砂糖をプレゼント、卒業祝いのネクタイも編んでいるらしい。やがて、一同は雑魚寝状態で眠りに就いた。
 翌朝、「朝だよ!早く皆起きて!」と、下宿のおばさん(二葉かほる)が入ってくる。
あたりを見回せば部屋は散らかり放題、一同を叩き起こして汚れ物をまとめる。ふと目に付いたのは白いワイシャツ、それも一緒に持ち去ってしまった。最後に起き出した高橋、ワイシャツは?と探したが後の祭り、おばさんが出前のクリーニングに出してしまったとは・・・。
 かくて卒業試験は終了、卒業生名簿が掲示された。経済学部77名の名が記されていたが、高橋の氏名はない。一人の学生が学務課に泣きついている。「よく調べて下さい」「成績が悪いんだからしょうがない」などと問答をしている。高橋は肩を落として庭に出ると、同様に落第した応援部の仲間4人が待っていた。でも、屈託がない。肩を組み、足を踏みならして「四月にまた会おう」、落第なんてどこ吹く風と別れて行った。
 高橋は喫茶店に戻り、独りケーキを食べている。そこに学務課に泣きついた学生が入ってきた。「何とか及第したよ。君からいろいろ教えてもらっていたのに、申し訳ない」と謝れば「おめでとう」と応じる。しかし、淋しさ、悔しさは隠せない。そこにやって来たのは娘、あわてて席をはずしていった学生を見て「あの方、どうだったの」「何とかビリで卒業できたよ」「そう、でもこれからの就職が大変ね。あなたは運動部だから安心だけど」、娘はまだ高橋の落第を知らないらしい。そこにどやどやと及第組の学生たちが入ってきた。「それじゃあ」と高橋は出て行く。 
下宿に戻った高橋、しげしげと握り鋏(和鋏)を見つめている。おもむろにその先端を
喉に突き立てようとして引っ込める。やがて足袋を脱ぎ足の爪を切り始める。そこに息子がやって来た。「御飯を用意したから、皆で一緒に食べようよ」。しかし、自分以外は皆及第なので気が進まない。躊躇しているとビリで卒業する学生が誘いに来た。「売り払った本を買い戻してくる」と外出の素振りを見せるが「自分の本を使えばいい、皆あげるよ」。とうとう祝いの席に連れて行かれた。
 おばさんの手料理(チラシ?赤飯?ビールもある)が待っている。「それにしても高橋さんだけ落第だなんて気の毒ね」。息子が「ラクダイって何だい?」と尋ねるが、一同は俯いて応えられない。「ねえ、ラクダイって何さ」と再度尋ねれば、ビリの学生曰く「ラクダイとは偉いということだよ」・・・。
 翌日、及第組は楽しそうに学生服を背広に着替えてハイキングへ。独り高橋は部屋に残り、箱入りの背広などに目をやり無聊を託ってる。机の引き出しを開けると、娘からプレゼントされた角砂糖がでてきた。それを積み上げたり、放り投げて口で受けとめる等しているところに息子がやって来た。「坊や、大きくなったら何になりたい?」「小父さんのように大学に行き、ラクダイになるんだ!」思わず、ずっこける高橋、そこに娘が訪ねてきた。あわてて息子に角砂糖をプレゼント、追い払う。娘は卒業祝いのネクタイを持ってきたのだ。箱入りの背広を取り出して「着てごらんなさいよ。よく似合うわよ。ネクタイ締めてあげるわ。今日は活動にでも行きましょうよ」。しかし、落第したことを隠している高橋の表情は冴えない。思い切って「あのね、ボクは背広を着る資格が無いんだ」と言いかけると、娘は「卒業しないからといって、背広を着てはいけなということはないわ。あたし、何もかもみんな知っているのよ。あんなに勉強したのにね」と涙ぐむ。でも二人は若い。気をとりなおして活動へ出かける・・・。
 やがて4月、新学期がやって来た。しかし、なぜか卒業組の4人はまだ高橋と一緒に下宿住まい、就職出来ず、仕送りも途絶えて、背広を質屋に入れる有様で、手紙が届いたと思えば「不採用」の通知、すっかり落ち込んでいる。落第した高橋は元気いっぱい、「パンでも食べろよ」と小銭をカンパする。そして迎えに来た落第組と共に学校へ・・・。「こんなことなら、急いで卒業するんじゃなかった」とぼやく面々の姿があわれであった。学校はまもなくWK戦の季節、後輩たちを集めて応援の練習に取り組む落第組の姿が、生き生きと映されて、この映画の幕は下りる。
 なるほど「落第はしたけれど」日本男児は健在なり!という「心意気」がひしひしと伝わってくる傑作であった。とりわけ、当時の「学生気質」が(エリートには違いないが、互いに相手を思いやる「温もり」)感じられて清々しく、競争にあけくれる現代の学生と一味違った人間模様が、鮮やかに描出されていた。子どもから「小父さん」と呼ばれ、タバコ、酒もたしなむ学生が、一方では「仲間と肩を組んで、ステップを踏む」「角砂糖を積木のように積み上げたかと思うと、放り投げて口で受けとめる」など愛嬌・滑稽な振る舞いを見せる「アンバランス」も魅力的であった。小津監督自身は旧制中学で寄宿舎生活を体験、その後、神戸高等商業学校、三重師範学校を受験するがいずれも「落第」(不合格)、小学校の代用教員を経て、松竹蒲田撮影所に入社した。大学生活は未経験にもかかわらず、前作の「学生ロマンス若き日」に続き、往時の「学生気質」をここまで詳細に描出できるとは驚嘆すべきことだと、私は思った。 (2017.2.17)



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2024-03-29

付録・邦画傑作選・「路上の霊魂」(監督・村田実・1921年)

 ユーチューブで映画「路上の霊魂」(監督・村田実・1921年)を観た。ヴィルヘルム・シュミットボンの『街の子』(森鴎外訳)とマクシム・ゴーリキーの『夜の宿(どん底)』(小山内薫訳)が原作で、ナ、ナ、ナント、日本の演劇界の革新に半生を捧げた小山内薫自身が出演しているとは・・・。ウィキペディア百科事典では〈『路上の霊魂』は同時に進行する出来事をクロスカッティングしたり、回想場面を挿入したりする近代映画の技法をふんだんに取り入れた、日本映画初の芸術大作というべきものだった〉と紹介されている。
 冒頭では「文部省推薦」という文字、タイトルに続いて「吾々は人類全体に対して憐れみの心を持たなくてはならない。例えばキリストは人類全体を憐れみ給うた。そして、吾々にもそうせよと仰せられた。人を憐れむには時がある。その時をはずさないようにせるが好い。マクシム・ゴーリキー」という文章が映し出される。
 登場人物は、山奥で伐材所を営む親方・杉野泰(小山内薫)と息子の浩一郎(東郷是也、のちの鈴木伝明)、浩一郎の妻・耀子(澤村春子)、娘・文子(久松三岐子)、浩一郎の許嫁・光子(伊達竜子)、伐材所の少年・太郎(村田実、彼はこの映画の監督でもある)、
別荘の令嬢(英百合子)、別荘の執事(茂原熊彦、彼はこの映画の脚本を執筆している)、
出獄者・鶴吉(南光明)、亀三(蔦村繁)、別荘番(岡田宗太郎)、八木節の姉(東栄子)
八木節の弟(小松武雄)、クリスマスの客(春野恵美奈)といった面々である。
 浩一郎には許嫁の光子がいたが、ヴァイオリニストになりたい一心で都会に出奔、杉野はやむなく光子をそばにおいて帰りを待っている。しかし浩一郎はすでにピアニストの耀子と結婚し、文子という娘までもうけていた。都会で演奏活動を始めたが、批評家との折り合いが悪く、出世の道は断たれたか・・・。今では、妻子と共に故郷に帰らざるをえない。三人は、ただただ歩き続け、空腹と疲労で行き倒れ寸前であった。そんな折り、たまたま分岐点で行き会ったのは、こちらも放浪の旅を続ける出獄者・鶴吉、亀三の二人、亀三は労咳で衰弱している。一つのパンを半分にし、それをまた等分にして朝食をすませたが、見れば娘の衰弱も甚だしい。二人は初め親子三人から何かを強奪しようとしたのだが、相手は何も持っていない。気の毒にと思い、残りのパンを娘に与えて、右の道を辿り始める。その行き着く先は軽井沢の豪華な別荘であることを知ってか、知らずか・・・。一方、浩一郎と妻子は左の道へ・・・、その先には懐かしいわが家があるのだが・・・。
 山奥の別荘にはおきゃんな令嬢が居た。執事と馬車で散歩に出ても、つねに単独行動、物陰から、探し回る執事の帽子めがけて空気銃を一発発射、執事が帽子を飛ばされ慌てている間に、街中へ繰り出した。そこでは八木節の姉弟が大道芸を披露中、令嬢は拍手喝采して見物していたが、踊りを終えた弟が帽子を袋替わりに近づいても、入れるお金を持っていない。たまたま居合わせた伐材所の少年・太郎が、代わりに銅貨を入れてあげる。令嬢と太郎は顔見知り、お互いに好意を寄せていることが窺われる。やがて、執事が馬車で到着、令嬢を見つけて「お嬢様、こんなところに。さあ、家に帰りましょう」と言うが、アッカンベエをして逃げ回る。その様子は抱腹絶倒の名場面であった。
 やがてもうすぐクリスマス・イヴ、別荘はその準備に余念がない。令嬢は表に八木節の姉弟が通りかかるのを見て、「今晩、来るように」と執事に言いつける。鶴吉、亀三の出獄者も別荘に辿り着いた。邸内に入り込み室内を物色中、食べ物を探しているのだ。そんなところを別荘番に見つかり、お互いを鞭打つように仕置きされたが、亀三が激しく咳き込む様子を見て、別荘番に一瞬「憐れみの情」が湧き上がったのだろう、持っていた銃を投げ出した。その様子を窺っていた令嬢は、二人を許し食べ物を準備するよう、別荘番に言いつける。 
 浩一郎妻子三人も、ようやく杉野の家に辿り着いたが、杉野はまだ山から帰っていない。出迎えたのは許嫁の光子、浩一郎妻子を見て複雑な気持ちを隠せなかったが、御馳走の準備を始める。まもなく杉野も帰宅、十数年ぶりの父子対面となる。「お父さん、私たち親子を温かく迎えて下さい」と、浩一郎は必死に頼んだが、許せる話ではない。杉野は思った。妻子に罪はない。しかし、浩一郎は絶対に許せない。光子が準備した御馳走も与えず「屋外に出て行け」と言い放つ。外は猛吹雪、浩一郎たち三人はやむなく納屋に避難、藁で暖をとるのだが・・・。杉野は不安になった。あの妻子はどうしているだろうか。納屋に居た三人を見つけて逡巡する。浩一郎には幻想が現れ、あげくは父に「決闘を申し込む」始末、光子もたまらずやって来て「お部屋を用意しました」と取りなした。杉野は「オカミさんと子どもは連れて行きなさい」と言ったが、今度は妻の耀子が応じない。「私はあなたと離れない」と言って浩一郎の足元に縋り付く。しかし、浩一郎はヴァイオリンの幻聴に誘われるように納屋を出て行ってしまった。そんな大人同士の葛藤の中で、娘の文子は息絶えていた。その一部始終を、なすすべもなく見届けていた太郎の悲しみ、驚愕とも悔恨ともつかぬ杉野の表情が印象的であった。
 別荘では令嬢を中心にイヴのパーティーが開かれている。出獄者の鶴吉、亀三、八木節の姉弟、杉野家の使用人たちも招かれて、明るく楽しい雰囲気が満ちあふれている。やがてお開き、令嬢のベッドにはサンタクロースもプレゼントに現れた。翌日は、昨夜の猛吹雪が嘘のように晴れわたり、令嬢が屋外に飛び出した。傍には太郎も居る。二人連れだって鶴吉と亀三の「新しい門出」を見送りに出たのだ。しかし、そこで鶴吉と亀三が見たのは、林の中、雪に埋もれている浩一郎の亡骸であった。その場にやって来た令嬢がいう。「もし爺や(別荘番)が二人を憐れんでやらなかったら」(爺やは二人に殺されていたかもしれない。そして二人はまた獄舎につながれる身となったかもしれない)と言い、旅立っていく二人の方に目をやる、太郎もまた「もし旦那(杉野)がこの方を憐れんでおやりになったら」と言い亡骸に目を落とす。
 そんな二人が顔を見合わせ立ち尽くすうちに、この映画は「終」を迎えた。 
 この映画の眼目は、ゴーリキーの言葉にあるとおり「人を憐れむには時がある。その時をはずさないようにするが好い」ということであろう。「時をはずされた」浩一郎妻子三人と、三人の窮状を憐れみ、パンを施した「時をはずさず、はずされなかった」出獄者二人の《運命》が、「同時に進行する出来事をクロスカッティングしたり、回想場面を挿入したりする近代映画の技法手法」で見事に描き出されている。まさに「日本映画初の芸術大作」というにふさわしい傑作であると、私も思った。中でも一番の魅力は、別荘の令嬢を演じた英百合子の初々しさであろうか。当時は21歳、はち切れんばかりの若さを、自由奔放、のびのびと演じている。彼女もまた少年・太郎から憐れみを施され(八木節姉弟へのカンパ代を立て替えて貰い)、出獄者二人に憐れみを施している(家に招き入れ御馳走をしている)。また、小山内薫の重厚な演技も見逃せない。「人を憐れむ時」をはずしてしまった、悔恨と苦渋の表情は真に迫っていたが、ではどうして「はずしてしまった」のだろうか。許嫁を捨て、自分本位に生きた息子をどうしても許すことができない、妻子に罪はないが、父として、男としては許せない。許嫁に何と詫びればいいのか。息子から決闘を挑まれて「まず他のことはおいても、名誉ある人間が貴様の相手になれると思うか」と吐き捨てた言葉が、すべてを物語っている。杉野は名誉を守り、息子を捨てたのである。その父親像は日本独自のものであろうか。それにしても、この作品の原作はゴーリキー・「どん底」とのこと、あらためてフランス映画「どん底」(監督・ジャン・ルノアール)を見なおしたが、共通点を見出すことはできなかった。また、少年・太郎役を演じた村田実が、その若さで監督であったとは驚きである。いずれにせよ、日本映画が小山内薫の助力により新しい一歩を踏み出した、貴重な歴史的作品を見られたことは望外の幸せであった。感謝。 (2017.7.29)



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2024-03-28

付録・邦画傑作選・「淑女と髭」(監督・小津安二郎・1931年)

サイレント喜劇映画の傑作である。冒頭は剣道の大会場面、皇族の審判長(突貫小僧)も臨席しているが、興味なさそうに何かを吹き飛ばして遊んでいる。学生の岡島(岡田時彦)が次々と勝ち進み敵(学習院?)の大将(齋藤達雄)と対決する。しかし、岡島の戦法は「いい加減」、試合を中断する素振りを見せ、敵が油断した隙を突いて「面」を取るという、極めてアンフェアな技を駆使する。それを知り尽くしている大将も同じ戦法で臨んだが、「いい加減さ」では岡島の方が上、あえなく一本「胴」を取られてしまった(剣道大会そのものが戯画化されていることは興味深い)。大喜びする学生の応援団、その中でも親友の行本(月田一郎)は「岡島の胴は天下無敵だなあ」と感嘆する。優勝した岡島が面を外すと、鍾馗(しょうき)然とした髭面が現れた。試合後、行本は「おめでとう!今日は妹の誕生日だし家に来いよ。祝杯をあげよう」と岡島を誘う。
行本家では妹・幾子(飯塚敏子)の誕生パーティーが始まろうとしている。行本は家令(坂本武)と新聞紙を丸めた刀で剣道の真似事、立場は行本が上だが腕は家令が上、「若様、ゴメン」と一本取られてしまった。憤然とする行本、平謝りの家令、その場の様子が聞こえてくるようで、たいそう面白かった。
 一方、岡島は、学帽に羽織袴、朴歯に杖というバンカラ姿で行本家に向かう。その途中、若い女同士が道ばたで揉めていた。洋装の不良モガ(伊達里子)が和服のタイピスト広子(川崎弘子)から金を脅し取ろうとしているらしい。しつこくつきまとい金を巻き上げた瞬間、腕を掴まれた。岡島が助け船を出したのだ。蟇口を取り戻し「早く、お帰んなさい」と広子を退かせる。すかさずやって来たのが与太者二人、「余計なマネをしてくれたな」と殴りかかってくるのを、一人は「胴」、もう一人は「小手」と杖の早業、なるほど「岡島の胴は天下無敵」であったのだ。「おぼえていやがれ」というモガに「その不格好な洋装は忘れられんよ」と笑い飛ばし、「失敬」と去って行く姿が実に爽やかであった。
 岡島が行本邸に着くと、誕生パーティーが始まっていた。あたりを見回して「女ばかりじゃないか」と不満そう、幾子も「またあの髭ッ面を連れてきたの。時代遅れであたしダイッキライ」と行本を責める。「いいじゃあないか、お前たちが感化してモダンにしてくれよ」ととりなすが、岡島は挨拶の後、イスに座り込んでケーキを食べまくる始末、幾子は行本を引っ張り、その場から出て行ってしまった。残った女友達6人(その中には井上雪子も居る)、岡島に恥をかかせようと相談「一緒に踊ってくれませんか」。岡島「二人では無理ですが一人なら踊れます」。・・・、家令の詩吟で剣舞(「城山」?)を踊り出す。その姿は抱腹絶倒、「天下無敵」の名舞台であった。しかし、女友達一同は、呆れかえって早々に帰ってしまった。それを知って泣き出す幾子・・・。私の笑いは止まらなかった。 やがて、大学は「就活」の季節。岡島も髭面で面接試験を受けに行く。その会社の受け付けにいたのは偶然にもタイピストの広子、さらにまた偶然に社長も(岡島より貧相な)髭面、結果は不合格であった。広子は岡島のアパートを訪ね、「あなたが不合格になったのは髭の所為、お剃りになれば・・・」と勧める。またまた偶然にもアパートの隣は床屋であった。
 広子の助言に従った岡島はたちまちホテルに採用される。その報告をしに行本家へ、行本は残念がったが、幾子は大満足、すっかり岡島に惚れ込んでしまったか・・・、上流階級の見合い相手、モボ(南條康雄)に向かって「剣道をしない人とは結婚いたしません」「なぜです?」「私の身を守っていただけないから」「警察と治安維持法が守ってくれますよ」「それならあたし警察か、治安維持法と結婚します」といった「やりとり」が、当時の世相を反映して(皮肉って)、たいそう興味深かった。小津監督の反骨に拍手する。 岡島は広子の家にも報告・御礼に訪れたが、広子の母(飯田蝶子)はセールスと間違えて玄関払い、様子を見に来た広子に「私を助けてくれた岡島さんじゃないの」と言われ、ビックリ仰天、一転して愛嬌を振りまく景色には大笑い。広子もまた小父さんが持ちかけてきた縁談を断って、岡島に嫁ぎたいと言う。母はやむなく、岡島の真意を確かめに勤め先のホテルへ・・・。岡島の仕事はフロント係。母からの話は「願ってもないこと」と快諾して持ち場についたのだが、ホテルにたむろする不良のモガ一味、盗品の隠匿?、売買?に巻き込まれたか・・・?(モガが、ホテルで食事中の客から掏り取ったブローチを手紙に包んでフロントに投げ込んだように見えたが、手紙の文字が判読できないので詳細は不明)夜の7時、モガがハイヤーでホテルに乗りつけた。なぜか髭をつけた岡島、その車に乗り込み、モガを自分のアパートに連れて行く。部屋に入った二人・・・、岡島はモガに向かって「両親はいないのか、兄弟は?」などと尋ねるが「あたいは前科者」という答が返ってくるだけ。着替えようとして着物がほころびているのに気がついた。それを縫おうとすれば、モガが取り上げて縫おうとする。しかし、縫い物は二人とも苦手、そこは洗濯ばさみではさんでズボンを脱いだ。モガが「あたい、あんたが看てくれるならまともになろうと思うんだ」などと言った時、突然入り口のドアが開いて、行本、母(吉川満子)、幾子が訪れた。縁談話を持ってきた様子、しかし、女が居る。母は「まあ、汚らわしい。だから言わないこっちゃない。所詮釣り合わないことなんだ!」と呆れ、涙ぐむ幾子を急かせて出て行く。行本は「すまん!」と笑顔混じりに帰って行った。
 いよいよ大詰め、翌朝、今度は広子がアパートにいそいそとやって来る。ドアをノックすれば出てきたのはモガ、「あなたは、どなた?」(もないもんだ!いつか喝上げをした相手をもう忘れているとは・・・)広子は毅然と「私は岡島さんの恋人です」と言い放ち入室する。部屋の隅では岡島が剣道着のまま寝込んでいる。ほころびたままの着物を被りながら・・・、広子はそれを手に取り洗濯ばさみをはずしながら、一針、一針縫い始めた。その様子をじっと見ているモガ。やがて、岡島が目をさました。広子を見て「この女が居るのに、よく帰ってしまわなかったね」「ええ、私、確信していますから」。岡島、思わず「偉い!」と叫んで広子の手を握りしめる。・・・二人の様子を見ていたモガ、意を決したように「岡島さん、あたい、もう帰るよ」「また、仲間の所へか」「ううん、あたい、あんたが忠告してくれたようにするよ。この方のように、確信をもって生きていくんだ」と言う。そして広子に頭を下げた。頬笑んで送り出す広子に微笑み返す。やがて、窓から見送る二人に何度も頭を下げ、最後は大きく手を振ってモガの姿は見えなくなった。
 映画の前半はスラップ・スティックコメディ、後半はラブ・ロマンスに転じ、ハッピーエンドで大団円となる。思いが叶わなかったのは、上流階級の面々といった演出が小気味よく、さわやかな感動をおぼえた。また、行本が妹・幾子に「髭を生やした偉人」を次々に紹介、その中にカール・マルクス(の写真)まで含まれていようとは驚きである。さらにまた、岡島が広子から「どうして髭をお生やしになりますの」と問われ、リンカーンの肖像画を指さして「女よけです」と答えると、クスリと笑って「無理ですわ」と広子が応じる場面もお見事、「剃っても刈っても生えるのは髭である」(アブラハム・リンカーン)というエンディングの字幕がひときわ印象的な余韻を残していた。(2017.2.16)



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2024-03-27

付録・邦画傑作選・《「驟雨」(監督・成瀬巳喜男・昭和31年)》

 結婚してから四年、まだ子どもは生まれない。これからも期待できないだろう。たまの日曜日だというのに、夫婦には予定がない。朝食後、妻は編み物をし、夫は庭を眺める。夫が欠伸をすれば、妻もつられて欠伸をする。夫婦の会話。夫「晩のおかずは何だい?」妻「晩は未定です」夫「何かご馳走していただけますか?」妻「・・・(無言)」。夫は横腹をさすりながら「胃薬を飲み忘れた」と言う。妻は黙ってコップの水と薬瓶を差し出す。再び夫婦の会話。夫「散歩に行こうか、それとも・・・。ちょっと遅いかなあ、もう・・」妻「でも、多摩川か井の頭ぐらいなら・・・」夫「子どもみたいだなあ。いい年をして・・・」妻「いいじゃないの」夫「君の所にいくらある?」妻「もうイヤ。日曜日のたんびに・・・」夫は投げやりに呟く。「行くんなら前の日に決めておかなくちゃ・・・」
 これは、昭和三十一年に封切られた映画「驟雨」(監督・成瀬巳喜男 脚本・水木洋子)の冒頭場面である。夫は佐野周二、妻は原節子、早くも倦怠期に入った夫婦の雰囲気が、見事に描き出されていた。実を言えば、この二人、その七年前(昭和二十四年封切)に「お嬢さん乾杯」(監督・木下恵介 脚本・新藤兼人)でも共演しているのである。戦後没落した華族のお嬢さん(原節子)が、復興景気に乗った自動車会社の若社長(佐野周二)と見合いし、婚約するまでの物語である。「住んでる世界がまったく違う」深窓の令嬢と田舎出の成金社長が、様々な齟齬を重ねながら、「お嬢さん」が庶民の世界に飛び降りる決心をしたところで終幕となった。「あの人はどんなにお嬢さんに惚れていたかしれませんよ」とバーのマダムに告げられ、「(わたくしも)惚れております」というセリフを残して佐野周二を追いかける時、あの名曲「旅の夜風」が行進曲のように流れた幕切れは、新しい戦後社会の「はじまり」を予感するのに十分であった。二人は、幸せになるに違いない。明るい家庭を築き、いつまでも楽しく「惚れ合って」暮らしてほしい。誰もがそのように祈ったはずであった。
 だが、しかし、である。「驟雨」の佐野周二からは、「若社長」時代のエネルギー、バイタリティーがすっかり消え失せていた。かつては、「お金なんかいくらでももうかる」と豪語し、没落した「お嬢さん一族」の借金百万円をプレゼント、自分はいさぎよく身を引こうとした「男気」はどこへ行ってしまったのか。十万円の報奨金につられ、化粧品会社を早期退職して、田舎暮らしをしたいというのである。  
 一方、「お嬢さん・原節子」のエネルギー、バイタリティーは「驟雨」でも健在であった。新聞のレシピを切り抜いてスクラップ、見た目のグリンピースよりは、栄養満点の鮭を選び、、商店街では細切れの肉を正直に量り売りする店を見つけている。出入りしている野良犬が傷つけた鶏を飼い主から買い取り、さっさと鍋料理に調理してしまう腕前は、見事と言う他ない。夫に怒鳴られ台所で泣いているのかと思えば、平然と「お茶漬け」を掻き込んでいる。その食欲こそがすべての出発点であろう。スカートに靴下、ゲタ履きという身なりで買い物に出ても、「お嬢さん・原節子」の姿は光り輝いて見えた。夫の同僚たちは、彼女の美貌を見逃さない。バーのマダムに仕立てて、一山当てようともくろむ。「どうです?奥さん」と誘われて、「まあ、どうしましょう」と、浮かべる満面の笑みは、伝説の女優「原節子」の面目躍如というところであった。 
 アダムとイブの神話以来、女は男の従属物のように見なされ、男系社会が人類の歴史を作ってきたように思われているが、事実は、全く逆である。女が男よりもたくましく、「賢い」ことは、「平均寿命」の差を見れば一目瞭然であろう。したがって、いつの時代でも、どこの家庭でも「女は男より賢い」のであり、すべての妻は、妻であるということだけで、「すでに賢妻である」ということを銘記すべきである。作り話の中で、「愚かな妻」「か弱い妻」「可哀想な妻」「虐げられた妻」「耐え忍ぶ妻」などなど、女が悲劇の主役として描かれることは少なくないが、多くの場合、その作者は男であり、愚かな男の「特権意識」や「願望」が窺われて見苦しい。さらに愚かな男は、作り話を「現実」と混同し、悲劇のヒロインを「実生活」の場でも、自分の妻に演じさせようとしている。そのような傾向が現代にもあることを、私は憂慮する。末尾ながら「驟雨」の原作者は男(岸田国士)だったが、その戯曲集を脚色したのは水木洋子という才媛であったことを特記したい。(2006.4.1)



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2024-03-26

付録・邦画傑作選・「学生ロマンス若き日」(監督・小津安二郎・1929年)

 ユーチューブで映画「学生ロマンス若き日」(監督・小津安二郎・1929年)を観た。 昭和初期における大学生の人間模様が詳細に描かれていてたいそう面白かった。    
 舞台の始まりは「都の西北」、大学に近い下宿屋である。二階の障子窓には「二階かしま」という貼り紙、一人の学生がそこを訪れるとすでに先入者がいた。渡辺(結城一郎)という学生である。彼は何かと調子よい、なるほど「C調」という人物はこの時代から居たのだ。貼り紙の目的はガールハント(今で言うナンパ)、シャンな娘の到来を待っている。最初の学生は「男」だから駄目、二番目は娘だったが「不細工」だから駄目、ようやく三番目に頃合いの娘・千恵子(松井潤子)がやって来た。下宿屋の坊主(小藤田正一)が「今度はシャンだよ」と紹介するところを見ると、そこの内儀(高松栄子)も渡辺の企みを許容しているらしい。渡辺、千恵子に「この部屋は眺めもいいですよ。私は今日立ち退きます」などと言い、千恵子も気に入った。翌日、荷物を運び込む段になったが、渡辺はまだ居座っている。「昨日は日が悪かったので、今から立ち退きます。あなたが雇った荷車で私の荷物を運び出しましょう」などと調子がいい。出がけには額縁の絵を1枚プレゼントして立ち去った。自分の荷物を車屋に引かせて、渡辺は行き先を模索する。不動産屋を訪れたが適当な物件がない。持ち合わせの金銭もなかったか、とうとう学友・山本(齋藤達雄)の下宿に転がり込んだ。山本、驚いて拒絶しても「どこ吹く風」、まんまと同居人になってしまう。山本はどこまでも温和しく不器用、でも一人のガールフレンドが居た。彼女こそ渡辺の部屋に転入した千恵子だったとは・・・。かくて、渡辺と山本は千恵子をめぐって張り合うことになる。どうみてもC調・渡辺の方が分がいい。大学の冬休み、千恵子と山本は赤倉温泉にスキーを楽しみに行く約束になっていたが、渡辺もちゃっかりと割り込んでくる。「忘れ物をしました」などと言って千恵子の部屋を訪れ、山本のために編んでいたスキー用の靴下をゲット、山本に見せる。山本は「どこかで見たような靴下だ」と思うだけで真相には気づかない。そのコントラストが当時の「学生気質」を鮮やかに浮き彫りしている。いよいよ赤倉温泉の最寄り駅「田口」(今の妙高高原駅)に到着した。周囲は何もない。降り立った二人は宿までのおよそ5キロ(?)の道をスキーで辿る。ここでも、技術は渡辺が上、山本は「こけつまろびつ」の態でようやく宿に着いた。
 やがて、ゲレンデで千恵子に遭遇、山本と渡辺の「恋のさや当て」も佳境に入る。どうやら渡辺の勝ちに終わるかと思いきや、結果は意外や意外、千恵子は先行していた大学スキー部主将・畑本(日守新一)との「見合い」に来ていたという次第・・・。意気消沈して帰京する渡辺と山本の姿が「絵」になっていた。東京にに向かう列車の中、千恵子から一同にプレゼントされた蜜柑を、山本は力なく頬張り、渡辺は手編みの靴下に入れて車窓から放り投げる。学生のロマンスはあえなく終わったのである。山本の下宿に戻った二人、ふさぎ込んでいる山本に、渡辺「もっといいシャンを見つけてやるよ」と言い終わると、一枚の紙を取りだし「二階かしま」と墨書する。渡辺の説明(ナンパのテクニック)を聞きながら、次第に山本の表情が緩み元気が蘇ってくる。男同士の「友情」が仄見える名場面であった。画面は再び「都の西北」、冒頭の場面へと移りつつ、学生ロマンが再開するだろうと期待するうちに閉幕・・・。
 しかし、わからないのは「女心」と言うべきか、千恵子は初めから畑本と決めていたのか、それともゲレンデの三者を天秤にかけたのか。女の「したたかさ」は昔も今も変わりがない。男にとって女とは「全く不可解な存在」であることを、(生涯独身を貫いた)小津安二郎監督は描きたかったのかもしれない。                    末尾ながら、スキー部員を演じた「若き日」の笠智衆、千恵子の伯母をかいがいしく演じる飯田蝶子の姿も懐かしく、その存在感を十分に味わえたことは望外の幸せであった。 さらに余談だが、この映画の舞台となった赤倉温泉は、戦後青春映画の傑作「泥だらけの純情」(監督・中平康・1963年)で、「若き日」の吉永小百合と浜田光夫が心中を遂げた場所でもある。その雪景色をバックに、やはり女の一途な「したたかさ」に翻弄される男の宿命が描かれていたことは、実に興味深いことである。 (2017.1.18)



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2024-03-25

付録・邦画傑作選・「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)

 ユーチューブで映画「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)を観た。何とも「摩訶不思議」な映画である。タイトルを見て、戦意高揚の国策映画と思いきや(しかし、1930年代に国策映画はあり得ない)、アメリカ映画「紐育の波止場」の翻案で、島津監督の「第1回トーキー作品」、主演の水谷八重子(28歳)も映画初出演ということである。(ウィキペディア百科事典参照)
 「摩訶不思議」の原因は、一に映画自体(画像)は「サイレント」の様相を呈し、役者(特に主役・岡譲二)のセリフは「字幕並」、にもかかわらず、二に主演・水谷八重子の演技は「新派」の舞台そのまま、三に背景は船舶、波止場、アパート、酒場、ホテルといった洋風の雰囲気に加えて、女性の多くは和服姿、飲食物はパン、ミルク、ウィスキー等々、その「アンバランス」が目立つからである。
 しかし、今、そのアンバランスがたまらなく魅力的である。 
冒頭は、ある港町の風景が延々と映し出される。灯台、大小の船々、飛び交うカモメ、折しも大型の貨物船が入港した。それをアパートのベランダから「港の女」・さと(水谷八重子)が眺めている。「エミちゃん、船が入って来たよ。」と呼びかければ「ナーンダ、貨物船か。フランスの船でも来ればいいのに」。どうやらそこは、酒場で働く女たちの寮らしい。
 一方、船のボイラー室では火夫たちが、上半身裸で懸命に石炭を釜に放り込んでいる。「坂田、上がったら今晩も遊びか」「何を言ってやがるンでー」。坂田と呼ばれた男(岡譲二)、船室(食堂)に戻ると夕食も食べずに髭を剃る。周囲では司厨長・野沢(河村黎吉)たちが小博打(チンチロリン)に興じていた。坂田の弟分、倉庫番・戸村(滝口新太郎)が「兄貴!俺も遊びに連れてってくれ」と頼む。やがて、埠頭に降り立った二人、その前を一人の女が通り過ぎた。行く手を見るとそこは海。「兄貴!様子が変だぞ」と言っているうちに、案の定、女は着物姿のまま海に飛び込んだ。あわてて、坂田も飛び込んで助け出す。とりあえず「待合所」に運び入れ、達磨ストーブで暖をとった、女(実はさと)の様子を見ていた坂田は「オイ、ウィスキーを買ってこい。小さいのでいいんだぞ」と戸村に命じ、さとを抱き起こし外套を被せる。「おめえ、寒かねえか、馬鹿なマネをしやがって」。さとは外套を投げ捨てて「あんた、こんなところに私を連れてきてどうするつもり」と食ってかかる始末。「そんなこたあ知るもんか。死にかかっている人を黙って見過ごすわけにゃあいかねえ」「人が生きようと死のうとあんたにはかかわりのないこと、さっさと行ってしまえばよかったんだ」「おまえ、ずいぶんのぼせ上がっていやがる。その前にとっとと着物を脱いで乾かせばいいじゃあねえか」「あたしだって女だ、男の前で裸になんかなれるもんか!ずいぶん血の巡りが悪い男だねえ」。待合所の外で待つ坂田、ウィスキーを買ってきた戸村も同様に叩き出され、「おめえもずいぶん血の巡りが悪い男だな」などというやりとりが何とも面白かった。
 外気の寒さに当たったか、坂田は「カゼをひきそうだ。酒場に行って一杯やるから、おめえはあの女の番をしていろ」と戸村に命じ去って行く。一息ついたさと、戸村に坂田の様子を尋ねれば酒場に行った由、置き忘れられた坂田のパイプを持って自分も酒場に駆けつける。(ずぶ濡れの和服がそんなに早く乾こうはずもないのに、ちゃっかり着ている姿が何とも可笑しい。)そこは船員たちの溜まり場で、司厨長・野沢も顔を出して、坂田とさとの間に割って入ろうとしたのだが(野沢がウイスキーの瓶をさとに差し出して「一杯酌してくれ」という光景も滑稽で、笑ってしまった)・・・、いよいよ大物が登場する。港を牛耳る「ブルジョアの政」(奈良真養)とその子分「プロペラのしげ」(江川宇礼雄)たちである。政は野沢とも懇意で、先刻は「密売品」の取引(それは不調に終わったが)をしてきたばかり。さとを見つけると「おい!さと、今までどこにずらかって居やがった」と捕縛しようとする。さとは政の手によって上海に売り飛ばされようとしていたのだ。「キャー」というさとの声を聞いて、坂田は敢然と政に立ち向かう。「オイ、待った!」「何だ貴様は」「俺は○○丸の釜焚きだ」「釜焚きなんかにこの女を横取りされるような俺じゃねえぞ」「横取りも縦取りもあるもんか。俺はこの女を拾ったんだ」、脇からプロペラのしげが「拾ったんなら持ち主に返せよ」。坂田はさとに「お前は政の女か」と確かめ「違います!」というので、連れて帰ろうとする。政は「待て! 勝手なマネはさせない。この女を置いて行け」とピストルを取り出した。それを見た坂田「フン、パチンコ出しやがったな」と言うなり政に掴みかかろうとして、子分たちと大乱闘が始まった。強い、強い。かかってくる相手を殴りつけ、投げ飛ばし、文字通り孤軍奮闘を絵で描いたような場面、途中からは、さとがビール瓶を天井のシャンディアに投げつけ、辺りは一瞬真っ暗闇、その中でも乱闘は続く・・・。どうやら、坂田が政を叩きのめして終わったようだ。政の情婦(沢蘭子)までもが坂田に向かって「あんた、いい腕前だねえ、今晩一晩預けておくよ」などと目を細める。収まらないのは酒場のマダム(吉川満子)、メチャクチャにされた酒場の店内、「あんた、このお店どうしてくれるのさ」と情婦に噛みつくが「まあ、しょうがないじゃないか」でその場はチョンとなった。(何ともあっさりした結着である)
 坂田とさとは川岸の安宿(リバーサイド・ホテル)に落ち着いた。坂田は故郷の母親に手紙を書いている。その様子を見て、さとが繰り広げる身の上話。生まれは北海道網走、母は妹を産むなり死んでしまった。私はその赤ん坊の守りに明け暮れていた。私は母の連れ子、やがて義父が私を女郎に売ろうとしたので、家を飛び出した。それからはあちこちを転々・・・、「あたしなんか、いてもいなくても、どうでもいい女なんだ」と弱音を吐く。坂田「おめえ、初めはずいぶん強気だったじゃねえか」「だって、あんたは仇だと思っていたんだもの」「昔のことなんか思い出すのはよせ。俺はそんな話、聞きたくねえぞ。おめえ、もう寝た方がいいぜ」。どこかでサイレンの音が聞こえる。「火事かしら」「そんなこたあ、俺の知ったこっちゃねえよ」。さとにベッドを提供、坂田もソファで眠りに就いた。 
 翌朝、さとは早起きしてパンとミルク、林檎と歯みがきを買って来た。起き出した坂田が洗面所で歯を磨いていると、おかみ(飯田蝶子)がやって来て「あの娘、朝からはしゃいで買い物してきたわよ、お安くないねえ」と冷やかした。部屋に戻り、朝食を始めるとドアの音がして舎弟の戸村がやって来た。「兄貴、チーフが呼んでいる。埠頭まで来てくれ」「乗り込みは今夜8時だ。朝っぱらから何の用だ」と言いながらも、出かける様子。さとは「乗り込みが8時ならここに戻って来てよ。あたし御飯をたくから一緒に食べよう」と言う。坂田は巾着を取り出してテーブルに置く。「これ何?」「何かの足しに使ってくれ」「あたしなら大丈夫。もう死ぬなんて考えない」「それなら、ずらかる時にでも使えばいい」「あんた、帰っちゃいや」「俺は船乗りだ。帰らなければ暮らしていけねえんだよ」「あんた、8時までここで待ってるから戻って来てね」。
 坂田と戸村は埠頭に向かった。そこは倉庫・ビルの工事現場、鉄骨にドリルを撃ち込む轟音が響きわたる。やがて、現れたのは司厨長・野沢と「ブルジョアの政」一味、向かい合うなりピストル3発、坂田はその場に倒れ込んだ。しかしそれは芝居、油断して取り囲む一味、政が「船に運び込め」と言うやいなや、坂田は政に掴みかかり、またもや大乱闘が始まった。政は坂田に突き飛ばされ本当に倒れ込む。一味もあえなく退治されてしまった。
 坂田がホテルに戻ると、待っていたのは「プロペラのしげ」、さとの見張り役だった。坂田を見て驚くしげ、今頃、坂田は政に殺られているはずなのに・・・、しどろもどろで言い訳をするしげを張り倒し追い払う。「覚えていろ」と捨て台詞を吐くしげを、難なく階段下に突き落としてしまった。
 その後二人は、「あんたって本当に強いのね。あたしあんたのおかみさんになりたい。あんたが帰ってきたら首にしがみついちゃう」「ハハハハ、俺は陸に上がったら何にもできねえでくの坊だ」「それでもいいの、一件家を借りて草花を育てるの」などと対話していたが、入口に人の気配、訪れたのは刑事(岡田宗太郞)たち、戸村もいる。「坂田とはお前か、殺人の嫌疑がかかっている。同行してもらおう」。さとは驚いて「この人が人殺しなんてするはずがありません」と刑事の前に立ちふさがる。戸村も「初めに政がピストルを3発撃ったんです」と弁護。しかし、坂田は「政が死んだんなら、私がやったこと。しょうがない。お供します」と従った。さとは、必死に「あんた、あたし待っている。いつまでも待っているわ。だから戻って来てね」と取り縋る。(しばらくの間)坂田は「お前が待っていると言うのならなら、戻ってくるよ」と応じた。さとは「本当!あたし、うれしい!」と泣き崩れた。「じゃ、あばよ」と言い残し、坂田は牽かれて行く。さとは身もだえして、いつまでも泣き続ける。やがて窓の外には、いつもの港の風景が・・・。矢追婦美子の歌う主題歌が流れるうちに、この映画の幕は下りた。
 この映画の魅力は、(前述したように)「アンバランス」(の魅力)である。水谷八重子の、文字通り「芝居じみた」(新派風の)セリフに対して、岡譲二は(サイレント映画の)「字幕」をアッケラカンと棒読みするように応じる。その風貌とは裏腹に「べらんめえ」調の口跡が素晴らしい。「気は優しく(単純で)力持ち」といった往時のヒーローの風情が滲み出ている。筋書きは「悲劇」だが、景色はコミカルで、どこまでも明るい。しかも、水谷八重子の「うれし泣き」でハッピーエンドという大団円は見事であった。島津監督はトーキー初挑戦、水谷も映画初出演、アメリカ映画の翻案という「不慣れ」(不自然)も手伝ってか、あちこちには、ほのぼのとした「ぎこちなさ」が垣間見られる。それがまたさらに「アンバランス」の魅力を際立たせるという、「傑作」というよりは「珍品」に値する「稀有・貴重な作物」だと、私は思う。(2017.2.13)



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2024-03-24

付録・邦画傑作選・「東京の英雄」(監督・清水宏・1935年)

 冒頭のタイトルに続き、「配役」になると、女性の歌声が流れ出す。耳を澄ませると、「並ぶ小窓に はすかいに 交わす声々日が落ちる 旅暮れて行く空の鳥 母の情けをしみじみと」と聞こえるが、定かではない。主なる登場人物は、根本嘉一・岩田祐吉、春子・吉川満子、寛一・藤井貢、加代子・桑野通子、秀雄・三井秀夫(後の三井弘次)である。さらに、寛一の少年時代を突貫小僧、加代子を市村美津子、秀雄を横山準(爆弾小僧)が演じている。
 冒頭場面は東京郊外、省線電車が見える空き地には大きな土管、その上に腰かけた数人の子どもたちが電車に手を振っている。そこに一人の少年・寛一(突貫小僧)が、バットとグローブを携えてやって来た。「野球しないか」と呼びかけるが「もうお父さんが帰る時分だからいやだよ」と断られた。寛一はすごすごと家に戻るが、待っていたのは婆や(高松栄子)だけ、「家のお父さんはどうして毎晩帰りが遅いの」と訊ねると「お偉くなられたからいろいろとお仕事がおありなさるのですよ」という答、やむなく一人で夕食を摂る。なるほど父・根本嘉一(岩田祐吉)は立派な家を構えている。しかし、寛一の母はどこにも見当たらない。父子家庭に違いない。嘉一の仕事は山師、「龍現山金鉱発掘資金募集事務所」という看板を掲げ、「天下の宝庫開かる!配当有利、絶対確実」というポスターで資金を集めているが、思うような成果が得られないようだ。
 嘉一が帰宅すると婆やが言う。「旦那様のお帰りが毎日遅いので、坊ちゃまが淋しそうでございます」「後添えを考えているのだが・・・」。かくて、嘉一は「求妻」の新聞広告を出し、再婚する運びとなった。相手の春子(吉川満子)には二人の子どもが居る。加代子(市村美津子)と秀雄(横山準)である。寛一と父は「じゃあ、お母さんばかりじゃなく、妹も弟も貰うんだね」「仲良くしなければダメだぞ」「生意気だったらノシちゃうよ」などと対話する。
 やがて、新しい家族は江の島を観光、嘉一、春子、加代子が連れだって「あなたが来て下さったのでこれからは事業に専念できます」と言いながら桟橋を歩いていると、後ろから秀雄が泣きながら追いついた。振り返ると、寛一が向こうで仁王立ちになっている。嘉一が駆け寄ると「今日から兄弟だっていうのに彼奴、僕のこと寛一さんだーか君だなんて言うんだもの(殴ってやった)あいつ、水臭いんだよ」。嘉一は寛一を黙ってみんなのもとに連れて行く。ともかくも、家族が揃い、明るい家庭がスタートする筈だったのに。
 数日後、「龍現山金鉱発掘資金募集事務所の内面暴露す 早くも首領株失踪」という見出しの新聞記事が載った。事務所に殺到する出資者たちの群衆が、自宅にまでも押し寄せる。嘉一は集めた出資金を持ち逃げ、姿をくらましたのである。春子は対応に追われるが追及者たちの前で「再婚早々で何もわかりません」と頭を下げる他はなかった。「でも、私は主人を信じております。大切な子どもを私なんかに預けてくださるんですもの」。婆やが「もし、このままお帰りにならなかったら」と問うと「子どもだけは立派に育てて見せますわ。日は浅くても親と子どもですもの」と言いながら、加代子と秀雄よりも、寛一の方に優しい眼差しを向ける。その場面は、この映画の眼目の伏線であることが、後になってわかるのだが・・・。まもなく、春子は、家屋・家財すべてを売り払い安アパートの二階に転居する。新聞の求人広告に目をやりながら、「女給では年を取り過ぎているし、女中ではコブ付きだし、事務員は履歴書がないし・・」と思案にくれていたが、高級クラブの仕事にありつけた。朝食を食べながら寛一が「お母さんのクラブってどんな所?」と訊ねると「社長さんたちが大勢集まって相談したり、お休みしたりする所よ」。すかさず加代子が「お母さんはどんな役?」と問いかける。しかし春子は答えることができなかった。子どもたち三人は蒲団の中で母を待つ。帰宅した母に、寛一は「ずいぶん遅いんだね」と案じると「お仕事が忙しいから」「じゃあ、偉くなったんだよ」と秀雄に話しかける。婆やの話を思い出していたのだろう。時には、子どもたち三人だけで泣き明かす夜も少なくなかった。
 そして十年が過ぎ、春子と子どもたち三人は、山の手の瀟洒な二階建ての家に住んで居た。まもなく、加代子(桑野通子)の嫁ぐ日がやって来る。家に訪れた呉服屋の前で、婚礼の晴れ着を選んでいる。大学生になった寛一(藤井貢)と秀雄(三井秀夫)が「いつのまに相手を見つけたんだい」「まだコロッケも作れないのに、早いんじゃないの」などと冷やかせば「秀ちゃんだって、いい人がいるんじゃないの」と言い返す。三人の景色は和気藹々、「子どもたちだけは立派に育てて見せますわ」という春子の決意は実現しつつあるのだ。そして婚礼の当日がやってきた。「こうやって見ると、加代子もなかなかいい花嫁さんですね」と寛一が春子に話しかける。顔を見合わせ頬笑む春子と秀雄。「お前たちが大学を卒業してくれれば、私は楽隠居だわ」と春子はほっとしたように見えたのだが。 そうは問屋が卸さなかった。一家は転がり落ちるように悲劇を演じ始める。その源は春子の生業にあった。女手ひとつで子どもたち三人を育てることは並大抵ではない。まして、二階建ての立派な家を構えることなど、堅気の商売では夢のような話である。しかし、その夢が実現しているとすれば、春子の稼業はまともではない。事実、彼女は子どもたちに内緒でチャブ屋を経営していたのだ。そのことが嫁ぎ先に知れ、加代子は追い返される。絶望した彼女は銀座の街娼に転落。秀雄もまた大学を捨て、与太者の仲間入り、今では顔役になっている。  
 しかし、寛一だけは、まともに大学を卒業、新聞記者の職を得た。スーツ姿の寛一を見て春子は涙ぐむ。これで責任を果たしたと思い、泣き崩れながら「許しておくれ、実は、私は・・・」と真実を打ち明けようとする。寛一は春子の口をふさぎ「お母さん、何も言ってはいけません。私はわかっています。お母さんはボクにとって日本一のお母さんです」と言い放った。血のつながらない息子だけが、母に寄り添い孝行する景色は、たまらなく美しく、私の涙は止まらなかった。寛一は加代子や秀雄を見つけ出し「家に帰るように」と説得、二人は家の前まで来たが、どうしても足が前に進まずに引き返していく。
 まもなく、悲劇の大詰めがやって来た。秀雄がヤクザ仲間に刺されたのである。事情を聞けば、雇われた会社の社長は根本嘉一、妻子を捨てて雲隠れした義父であったという。そんな会社はゴメンだと脱けようとして、「裏切り者」の制裁を受けたのだ。秀雄は「こんな姿はお母さんに見せたくない。黙っていてほしい」と言い残し、息を引き取る。寛一は、憤然として、嘉一の会社に乗り込んだ。「満蒙金鉱開発」を看板に、性懲りも無く、阿漕な経営をしている。父に向かって「一新聞記者として取材に来ました。あなたの会社はまともですか」「勿論」「では、なぜ不良連中を雇ったんです。弟の秀雄はそれで殺されたんですよ」驚く嘉一、次第に力が脱けうなだれていく。「お父さん、ボクはお母さんのために、秀雄のために、加代子のために、そして世間のために、自決を要求します」。 直ちに寛一は、新聞記者として、父の会社の不正を暴露する。その記事は「特ダネ」として表彰された。その報酬を持って家に帰ると、春子と加代子が泣いている。「お母さん、喜んでください。ボクは表彰されました」。しかし、春子は「私はそんなことをしてもらうために、大学を出したんじゃない。お父様に何と言ってお詫びをすればいいか・・」と泣き崩れた。寛一も泣いている「お詫びをしなければならないのはお父さんの方です。ボクは親の罪を世間に公表したんです。それで親孝行ができたんです」最後に「お父さんはお母さんに、くれぐれもよろしくと言っていましたよ」と言うと部屋を出た。
 寛一は自室に行き、机の上にあった父親の似顔絵を壁に貼る。それは十年前、彼が描き、秀雄に与えたもの、秀雄はそれを今まで大切に保管していたのであった。そして、窓を開け外を眺める。目にしたのは夕刊を配達する少年の姿、その姿に昔の秀雄、あるいは自分自身の姿を重ねていたかもしれない。寛一の心中には、あの冒頭の歌・・・「並ぶ小窓にはすかいに 交わす声々日が落ちる 旅暮れて行く空の鳥 母の情けをしみじみと」・・・が聞こえていたに違いない。その少年の姿が消え去ると、この映画は「終」となった。
 この映画の眼目は「生みの親より育ての親」という諺に象徴される、《絆》であることは間違いない。同時に、寛一にとっての「生みの親」(父)は罪深き詐欺師であり、加代子や秀雄にとっての「生みの親」(母)は世間に顔向けできない人非人なのである。寛一は父を許せない。加代子や秀雄は母を許せない。その悲しい人間模様が、実にきめ細やかな景色として、鮮やかに描き出されている。また、子ども時代、腕白でさぞかし親を手こずらせていたであろう寛一が、成人するにつれて人一倍、母を大切に思う姿も際立っていた。(突貫小僧から藤井貢へのバトンタッチという配役が見事である)それというのも春子が、三人の子どもに分け隔てない愛情を注いできたからに他ならない。吉川満子の表情一つ一つが、そのことを雄弁に物語る。三人の異母兄弟は、彼女の愛情によって固く結ばれていたのである。不幸にも秀雄は落命したが、残された寛一と加代子で春子を支え、さらに、改心した嘉一が、家族に加わる日も遠くはないだろうことを予感させる。清水宏監督、渾身の傑作であった、と私は思う。
(2017.6.2)



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2024-03-23

付録・邦画傑作選・「島の娘」(監督・野村芳亭・1933年)

 ユーチューブで映画「島の娘」(監督・野村芳亭・1933年)を観た。昭和中期以前の世代にとっては、あまりにも有名な流行歌「島の娘」(詞・長田幹彦、曲・佐々木俊一、歌・小唄勝太郎)を主題歌とするサイレント映画(オールサウンド版)である。タイトルと同時に、「島の娘」のメロディー(BGM)が流れ、原案・長田幹彦、脚色・柳井隆雄と示されているので、筋書きも「主(ぬし)は帰らぬ波の底」という歌詞を踏まえて作られたようだ。
 冒頭の場面は、東京湾汽船の甲板、一人の学生が恋人とおぼしき女性の写真を取りだし、海に破り捨てた。その様子を見ていた水商売風の女が近づいて曰く「情死の相手が欲しいなら、私じゃいけません」「余計なお世話です」「短気なマネをしないでね」、しかし学生は応えずに離れて行った。学生の名は大河秀人(竹内良一)、一高出身の帝大生である。女は、酌婦のおしま(若水絹子)、流れ流れて、東京から大島に舞い戻ってきた風情だ。船室に戻って、女衒風の男(宮島健一)にタバコの火をもらう。「また、島の娘をさらいに来たんだね。だからあたしみたいなおばあちゃんが戻ってこなければならなくなるんだ」「人聞きが悪い。これも人助けなんだ」などと対話をするうちに、船は波浮の港に着いた。
 そこの寺川屋旅館では、主人が他界後、屋台骨が傾き、伯父(河村黎吉)、女将(鈴木歌子)が、娘のお絹(坪内美子)を東京に売る算段を女衒風の男としている。それを知ったお絹は(亡父も許した)恋人の船員、月山一郎(江川宇礼雄)と束の間の逢瀬を浜辺で過ごす。「明日の船で東京に売られていきます。あたし、いっそのこと死にたい」「ボクだって死にたい。でも、あなたを死なせたら、可愛がってくれた、あなたのお父さんに申し訳ない」「生きましょう、生きて戦いましょう」「丈夫でいれば必ず合える」。しかし、お絹には「もう、これっきり会えない」予感があった。背景には、小唄勝太郎の「ハー 島で育てば娘十六恋心 一目忍んで主と一夜の仇情け」という歌声が流れ、お絹の「心もよう」が鮮やかに描出される。勝太郎は当時29歳、その美声はこの場面でしか堪能できない逸品だと、私は思った。
 一方、帝大生の大河は、やはり死にどころを求めて大島にやって来たのだ。三原山に登ったが、自然の崇高さに打たれたか、椿の花を携えて麓に降りて来る。盛り場で客引き女に囲まれて料理屋の中へ、そこには船で一緒だったおしまが居た。「よく、もどってきたわね。世間は広いんだ。女に振られたくらいでで一生を無駄にしてはいけない」と優しく酒を注ぐ。辺りでは酌婦連中が、寺川屋の娘が売られていくという話をしている。「かわいそうに、あたしが代わってやりたいよ」「金が仇の世の中さ」。なるほど、寺川屋は土地でも評判の旅館であったことがわかる。時刻は11時を過ぎた。大河は「今夜はそこに泊まろう」と決めた。
 大河が寺川屋へ向かう途中、一郎とバッタリ出会い道を訊ねる。一郎は船主(水島亮太郎)に借金を申し込んだが「二十、三十(円)なら何とかしようが、二千両となると無理だ。悪く思わんでくれ」と断られ、深夜の道をさまよっていたらしい。大河と出会ったのは郵便局の前、そういえば、お絹には兄さんがいた。もしかしたら、兄さんが帰ってきたのかもしれない。「あなたは寺川屋の親類の方ですか」「いえ、旅の者です」。大河と別れた時、郵便局の灯りが消えた。とっさに、一郎は郵便局に忍び込む。二階の金庫に手をかけたとき、灯りが点いた。一郎は二階から飛び降りて逃走したが、その姿を見られてしまった。
 翌朝は一郎の船が北海道に向けて出航する。お絹もまた東京行きの船に乗ることになっていた。寺川屋では、その準備の最中、女将がお絹との別れを惜しんでいると、帳場に大河がやって来た。女衒に「そのお金があれば、解決できるのですね」と言い、財布から百円札を20枚、ポンと手渡す。「あやしい金ではありません。兄から分け与えられたもの、私には必要のない金です」。一同は、びっくり仰天、お絹は島に留まることができたのだ。お絹は、そのことを一郎に知らせようと女中(高松栄子)と一緒に港へ走ったが、船は出航していた。 
 寺川屋では大河に感謝、大河とお絹が四方山話をするうちに、五年前に亡くなった寺川屋の息子は、一高時代、大河の親友であったことが判明、伯父や女将は「倅の引き合わせかもしれません、ずっと長逗留してください」と勧める。
 かくて、大河とお絹の交流が始まった。どうやら大河はお絹に惹かれている様子、三原山に登山行、椿の花を手折り弁当を食べながら、思いを告白しようとしたのだが・・・。お絹はそれを遮って「私には約束した人がいるんです」。大河は一瞬ガックリ、椿の花を投げ捨てたが、「そうだよな。それでいいんだ」と思ったか、亡兄の代わりを務めようと思ったか、お絹の相談にのる。一郎が郵便局に忍び込んだことがわかれば、伯父は結婚に反対するだろうというお絹の心配に「大した罪にはならないでしょう。二人が一緒になれるようボクが伯父さんに取り持ちますから安心して下さい」。伯父も快く承諾した。 
 月日が流れ、大河が東京に帰る日がやってきた。見送りにきたお絹に向かって「楽しい思い出をありがとう。一郎さんが戻ったら幸せな家庭を作ってください」。なぜかおしまも見送りに、「とうとう死なずに帰るのね」「あんたの言ったことは本当だったよ。おかげで美しい世界を見せて貰った。初めからやり直します。ありがとう」。
 まもなく一郎の船も帰港する。その日、お絹は女中と一緒に、いそいそと桟橋に向かったが、降り立つ船員の中に一郎の姿はない。船長がお絹たちを船内に呼び、「僕は二度とお目にかかる資格のない人間になってしまいました。意気地のない僕を許してください。死んでもあなたを護っています。幸せに暮らしてください。お絹様 一郎」という文面の遺書と遺品を手渡す。本人の希望で水葬にしたとのこと、あの時 「もう、これっきり会えない」と思ったお絹の予感は当たったのである。
 お絹は家に戻り、女中と遺品を整理する。一郎の帽子をしっかりと胸に抱きしめ泣いていると、東京から大河の小包が届いた。中には大河の「婚礼写真」の他に「祝い物」が添えられている。お絹と一郎の華燭を寿ぐ品に違いない。お絹は「大河様、おめでとうございます」と呟き、悲しみをこらえる他はなかった。
 大詰めは、お絹と一郎が逢瀬を重ねた海岸の岩場、お絹が海を眺めて佇んでいる。やって来たのはおしま、「お嬢さん、お約束の人、お亡くなりになったんですってね。そうして海を見つめているお気持ち、私にはよく解ります。女はいつも悲しいものですわ。これまでに何度も死にたいと思いました。でも残った親、兄弟のことを思うと死ねませんでした」お絹も応えて「わたし死にません。辛くても我慢して、お母様のために生きて行きます」「私たちこんなに辛い目にあって生きているんだから、年をとってあの世に行ったら、きっと神様が可愛がってくれるでしょう」などと涙ながらに語り合う。やがて、お島は帯に挟んだからウィスキーの小瓶を取り出し、「一郎さんはお酒が好きだったのでしょう。飲ませてあげましょうね」と海に注いだ。その時、聞こえてきたのは小唄勝太郎の歌声、「ハー 沖は荒海吹いた東風(やませ)が別れ風 主は船乗り海の底・・・・」、まさに、この映画の眼目が艶やかに浮き彫りされる名場面であった。その声とお絹、おしまの二人の立ち姿が、大河の言う「美しい世界」を見事に描き出しており、私の涙は止まらなかった。
 この映画の映像は「古色蒼然」、茫として見極められぬ場面も多い。動きもコマ落ちでぎこちない景色だが、さればこそ貴重な作品。戦前歌謡映画の傑作であることに変わりはない。中でも、小唄勝太郎の往時の美声に巡り会えたことは望外の幸せであった。
(2017.5.24)



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2024-03-21

付録・邦画傑作選・「青春の夢いまいずこ」(監督・小津安二郎・1932年)

 ユーチューブで映画「青春の夢いまいづこ」(監督・小津安二郎・1932年)を観た。この作品は三年前の「学生ロマンス若き日」、二年前の「落第はしたけれど」に続く、第3弾とでもいえようか。戦前の青春ドラマ(学生ロマンス)の中でも屈指の名品である。
 舞台は前作と同じW大学、登場する俳優も、齋藤達雄、大山健二、笠智衆、田中絹代、飯田蝶子といった常連に、江川宇礼雄が加わった。
 冒頭場面は大学構内、例によって応援部の連中が学生を集めて練習をしている。そこには熊田(大山健二)、島崎(笠智衆)、堀野(江川宇礼雄)らの顔が見えるが、斎木(齋藤達雄)の姿はない。彼は貧しい母子家庭のため遊んでいる隙はないのだ。休憩時でも時間を惜しんで本を読んでいる。しかし、成績は振るわない。教授の話では「中学レベル」だそうだ。しかし、熊田、島崎、堀野たちは斎木を見捨てない。ともすれば孤立しがちの斎木を、だからこそ仲間として大切に思う。それが往時の「学生気質」(友情)なのである。というのも、彼らに共通するのは「勉強嫌い」で「遊び好き」、試験の際にはカンニングで協力し合う、固い絆で結ばれているからだ。
 学生たちに人気のあるのがべーカリー軒の娘・お繁(田中絹代)、大学構内に、おか持ちを下げて出前もしている。堀野たちも授業の合間にベーカリー軒に通い、お繁との親交を重ねていた。とりわけ、堀野はお繁に御執心、彼は今をときめく堀野商事社長(武田春郞)の御曹司とくれば、お繁が玉の輿に乗れるのは間近であった筈なのだが・・・。
 堀野が帰宅すると、山村男爵夫人(葛城文子)と令嬢(伊達里子)が応接室で待っていた。令嬢の風情はどう見ても気障なモガ、舶来のライターで紙巻きタバコをプカプカ吹かしている。父の話では、伯父(水島亮太郎)の紹介(縁談話)で「お前に会いに来た」由、「お父さん、そんな話、断って下さい」、父も同意して「息子は酒を飲むと乱暴になります」。令嬢は「まあ、素敵! 男はそれでなくっちゃ」などと動じない。「ドロボーもしますよ」とダメを押せば「私も哲夫さんの心を盗みたい」などとほざく。いよいよ、堀野本人が登場して、ライターを放り投げる、ハンドバックが灰皿替わり、などの狼藉を加えれば、令嬢の怒りは爆発、たちまち縁談破談となった。その様子を見て父と息子は大笑い、二人で祝杯を挙げる。「ワシもあんな娘は気に入らない」、父子の気持ちは通じていたのである。 
 翌日は、大学の試験日。例によって試験官の目を盗み、堀野たちがカンニングを試みているところに、小使い(坂本武)がやって来た。この小使い、学生の間でも人気がある。ある時など、ベーカリー軒で将棋を指していた熊田と堀野の勝負がつかず、将棋盤を持ったまま教室に向かう二人を見て、自分もその仲間入り、三人で教室に入り込む。講義が始まってもまだ指している。教授に見咎められ、あわてて抜き足差し足、へっぴり腰で教室を退出する姿がたいそう可笑しかった。
 試験官は小使いの話を聞いて、顔を曇らせた。「おい、堀野!お父さんが病気だ。すぐ帰宅しなさい。試験は追試験を受ければよい」。堀野は、「朝まで元気だったのに、信じられない」という思いで、あわてて帰宅。自宅には伯父を初め多くの社員が詰めかけている。父は脳溢血のため危篤状態、号泣する堀野に手を握られながら、まもなく息を引き取った。
 かくて、堀野はやむなく大学を中退、堀野商事の新社長に就任する。副社長の伯父がその旨を社員一同に説明するのだが話が長すぎる。もう1時間半も話し続けているのだ。早く終わりにしてくれという空気の中で、いよいよ新社長の挨拶となった。堀野は一同の前で、ぺこりと頭を下げると「親爺同様、よろしくお願いします」という一言だけで終わった。割れるような拍手、幸先よいスタートを切ったのである。
 数日後の朝、出勤前の堀野が準備をしていると、婆やが「近頃は、お坊ちゃまも社長らしく成ってきましたね」などと言う。その時、熊田、島崎、斎木が訪れた。「俺たちを君の会社で雇わないか」と言う。堀野にも異存はないが「入社試験があるぞ。合格できるかな。その前に卒業できるのか」と冷やかした。 
 まもなく入社試験日、熊田、島崎、斎木たちは「①インフレーションとは何ぞや、②9月18日事件とは何ぞや ③次の語句を簡単に説明せよ イ・リットン報告 ロ・生命線ハ・ホラ信 ニ・天国に結ぶ恋 ホ・大塩平八郎」という問題を前に悪戦苦闘している。それでも熊田と島崎は得意のカンニングを駆使して合格しそう(答案を事前に入手済み)、斎木だけがボンヤリしている。どうやら答案をなくしたらしい。監視に来た堀野はその様子を見て、問題作成者から答案を取り寄せ、丸めて斎木の足元に落とす。斎木は堀野を見やって頬笑む。堀野もまたうなずいて微笑み返した。その様子を、すでに無事書き終えた熊田が寿ぐ。まさに、今でも学生時代の友情でしっかりと結ばれている景色が鮮やかであった。ちなみに、「9.18事件」とは、柳条湖事件のことである。「リットン報告」とは、「国際連盟日支紛争調査委員会報告書」のことであり、リットンとはその委員長の名前である。「生命線」とは、満州国のことである。「天国に結ぶ恋」とは、坂田山で心中した大学生と女学生の純愛を詠った流行歌のことである。「大塩平八郎」とは江戸幕府に反乱を起こした大阪奉行与力の名前である。さて「ホラ信」とは何ぞや、私にもわからなかった。
 次の字幕には「一難去ってまた一難」。
 伯父はまたまた堀野に縁談話を持ってきた。これで6回目である。ある令嬢を引き合わせて「映画にでも・・・」と促す。堀野は渋々承知して自動車で映画館に向かう。令嬢は「シネマなんかより、二人切りになれる所に行かない」「大磯の坂田山へでも行きますか」「まあ嬉しい」と令嬢がしなだれかかる。堀野は辟易として窓の外に目をやると、お繁が歩いている。その隣には大きな荷車が。自動車を止めて事情を聞くと、近頃は学生さんも不景気で、ベーカリー軒は閉業、これからアパートに引っ越すのだと言う。デパートの売り子にでもなるつもり、「それならボクの会社に来たらどうだい。学生の二、三人も入ったから、君を歓迎すると思うよ」。堀野は欣然として立ち戻り、令嬢に向かって「引っ越しの手伝いをするので、ボクはここで失礼します。どうぞボクにお構いなく」と言うなり、自動車に荷車の荷物をどんどん運び込む。令嬢はいたたまれず、自動車を降りてプイとどこかに行ってしまった。お繁のアパートで荷物の整理をしていると、ドアを叩く音がする。花束を携えた斎木がやって来た。中に堀野が居るのを見て、バツが悪そうだったが、堀野は「よおーっ、会社をサボってきたのか。たまにはいいだろう。安い月給なんだから」と鷹揚に迎えた。お繁も「あたし、明日から会社のお仲間よ」と報告するが、斎木はどうしてもバツが悪い。堀野から「ボンヤリしてないで、君も手伝えよ」と誘われても「これから会社に戻るよ」と花束をお繁に渡して、出て行ってしまった。堀野は「熊田も、島崎もボクを社長扱いするんだ、さびしいなあ」と溜息を吐く。
 翌日、社長室では伯父がカンカンに怒っていた。「いったい何度ワシにに恥をかかせれば気が済むんだ。これで五度目だぞ」「六度目ですよ」「益々もってけしからん」堀野は初めて本心を打ち明けた。「実は、学生時代から好きな娘がいるんです」「それを何故もっと早く言わんか。それで、どんな娘だい?」「それはしばらくボクに預からせてください」。 
 その夜、堀野は熊田、島崎、斎木と銀座でビールを飲みながら会食する。「学生時代、お繁ちゃんは俺たちの共有財産だった。その人をオレが独占する以上、諸君の意見を聞きたい。」三人は神妙な面持ちで聞いていたが、斎木はうつむき加減、「斎木、どう思う?」、斎木はようやく顔をあげて「異論はないよ」、熊田も島崎も同意した。「じゃあ乾杯だ。さあ、飲もう」。堀野の心は躍る。斎木は堀野を見つめ頬笑み、天井に目をやる、勢いよく回っていた扇風機が次第に弱まり、力なく止まった。
 堀野が帰宅すると、斎木の母(飯田蝶子)が訪れていた。満面の笑みを浮かべて、堀野に感謝する。「この就職難の折に、お宝を頂けるなんて、あなた様のお陰だと、私どもは毎日、お宅様の方をあ拝んでおりますよ」。堀野も笑いながら「拝むんならボクではなく、一日も早く斎木君に嫁でもらって早くラクになることですね」と応じれば「それが、大変都合よく嫁が見つかったんです」、それはおめでたい、いったいどなたですと訊ねる前に、斎木の母は「御存知と思いますが、学校の前の洋食屋にいたお繁さんという娘なんです」。堀野の顔が変わった。「そうですか、それはいつの話ですか」「卒業する一ト月頃前でしょうか、初めて私に打ち明けたんです」。堀野の心は千々に乱れた。その足で、すぐお繁のアパートへ。「早速だけど、お繁ちゃんは斎木と結婚の約束をしたのかい」、お繁は頷く。「なんだって、斎木なんかと・・・、君は学生時代、ボクがどう思っていたかわからなかったのか」「あたし、もう二度とあなたは戻ってこないと思って、あきらめていたんです。その時に斎木さんからお話があって。いつも皆さんの後からとぼとぼ付いていく斎木さんがお気の毒だったんです。あたしの力で斎木さんの灰色の生活を明るくしようと思ったんです。あたしのような者でなければ、斎木さんのお嫁になる人はいないでしょう。」堀野は、帰ろうとする。「お怒りになったの」「その気持ちでいつまでも斎木を愛してやってくれ給え」という言葉を精一杯残し、振り返ることはなかった。お繁が見送ろうとして窓を開けると、花火が一発、美しい模様を描き出して消えた。
 斎木の下宿先では、熊田、島崎と三人で苦いビールを飲んでいる。消沈した母も居る。島崎は「口じゃあ何とでも言っても、彼奴も普通の社長さ。社長と女事務員、おあつらえどおりの型だ」と冷ややかな口調、熊田は「お繁ちゃんばかりが女じゃない。気を落とさないように。また、いい娘を見つければいい」と斎木をいたわる。母が「近頃じゃ、おまんまを頂くのも大変になりましたね」と取りなすが、ビールが先に進まない。それじゃあ、と熊田が腰を上げ、帰路に就く。そこまで一緒に行こうと、斎木も連れだって三人が夜道を歩き出した。(その直後から映画の画面は極端に暗転、「ケラレ」状態になる。人物の心象を浮き彫りにするためか、それとも撮影の不具合か。)向こうから自動車が近づいて来る。乗っていたのは堀野、今、斎木の家に向かう途中であった。「みんな一緒でちょうどいい、斎木に話があって来たんだ」。しばらく歩きながら、堀野は斎木に詰問する。「君はどういう気持ちで、お繁ちゃんとオレの結婚に賛成したんだ」「・・・」「君はオレが友だちの恋人を奪って喜ぶ男だと思っているのか」「・・・」「斎木、グズグズしないでハッキリ返事しろ!」島崎が「斎木だって君に厚意を示したいと思ってしたことだ。そう頭から責めちゃかわいそうじゃないか」と間に入ると「オレは君たちにも言い分があるんだ。オレの前に出ると犬みたいに尻尾を振って、それでも友だちなのか。いつ、そんなことをしてくれと頼んだ、いつ喜んだ」「・・・」「学校時代の友情はどこへ行ったんだ!」。ようやく、斎木が口を開いた。「僕達親子が幸せに暮らせるのは君のおかげだ。社長の君に逆らうことは僕達の生活に逆らうことなんだ」といった瞬間、堀野の鉄拳が飛んだ。よろめく斎木に向かって「そんなことで恋人まで譲る奴があるか、馬鹿!」。なおも殴りかかろうとのを熊田と島崎が必死で止める。「オレの言い分のどこが間違っているか。もしそう思うなら、オレを殴るなり蹴るなり、何とでもしろ」と叫ぶ。熊田と島崎は、掴んでいた斎木の腕を静かに放した。「オレは斎木の卑屈な気持ちを叩き直してやるんだ」というなり、無抵抗の斎木の頬を10回、20回・・・41回と平手打ちする。顔を押さえて斎木は崩れ落ちた。熊田が堀野に近づいて「すまなかった」、島崎も深々と頭を下げた。そうか、わかってくてたかと、堀野は斎木の前にひざまづき、「ゆるしてくれ」と嗚咽する。しっかりと斎木の手を握り、斎木も力強く握り返す。そして、青春の夢は今、蘇ったのである。堀野の胸裡には、優しかった父の臨終の時、手を握って泣き崩れた自分の姿が浮かんできたかもしれない
 大詰めは、丸の内にあるビルの屋上、昼休みの社員がくつろいでいる所に、堀野がやって来た。熊田と島津がキャッツボールの手を止めて、「もう、そろそろだぞ」。三人で、新婚旅行に向かう斎木とお繁を見送るつもり。熱海に向かう東海道線が通過する。「あそこだ!手を振っている」。三人もまた列車に向かって大きく手を振る。列車の中でも斎木とお繁がハンカチを振っている。屋上の三人が顔を見合わせて頬笑むうちに、この映画は「終」となった。
 この映画の眼目は、文字通り「青春の夢」、門地、身分、貧富を超えた「友情」であろう。その夢は往々にして崩される。お繁の本心は堀野の玉の輿の乗ることだが、それは夢、早々にあきらめて、風采の上がらない斎木をさせようとする。「友情」というよりは「同情」である。そのことを斎木は堀野に言い出せない。島崎は「厚意」(厚情)と思ったが、堀野は「卑屈」だと感じる。斎木の「僕達親子が幸せに暮らせるのは君のおかげだ。社長の君に逆らうことは僕達の生活に逆らうことなんだ」という言葉が許せない。もっと自信を持て、「逆らわない人生」で自分を守るなんて、卑屈としか言いようがない。その言い分に、熊田も島崎も逆らうことができなかったということは皮肉である。いずれにせよ、最も傷ついたのは堀野自身であったはずだが、彼には「社長」という重責がある。卑屈になぞなっていられない(メソメソしていられない、他人を恨んだりする暇がない)事情があるのだ。その精神は、敬愛する父親から学んだ賜物かもしれない。はたして、斎木の卑屈な気持ちは、堀野の鉄拳によってどこまで払拭されたか、そこが問題である。
 小津安二郎監督は、この映画の前作「大人の絵本 生まれてはみたけれど」で、ほぼ同じ「卑屈」という問題を取り上げている。子ども時代は「実力主義」だが、大人になると「金権主義」に変貌していく世の中を、子どもの目から捉えた佳品である。その子どもたちの成長した結果が、「青春の夢いまいずこ」だとすれば、斎木の卑屈な気持ちは払拭されなければならない。そこらあたりが小津監督の願いを込めた結論ではないだろうか。(2017.6.3)



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