META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 幕外閑話・若手座長の《試練》
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2023-01-13

幕外閑話・若手座長の《試練》

 私の独断・偏見によれば、それまで十代の若手花形として活躍していた役者が、抜擢されて副座長、若座長に昇格したとたん、たちまち精彩を欠き、自分の個性を発揮できなくなってしまうという事例は少なくない。たとえば「劇団春陽座」の澤村かずま、「桐龍座恋川劇団」の恋川純、「橘小竜丸劇団」の橘龍丸、「長谷川武弥劇団」の長谷川桜、「宝海劇団」の宝海大空、「劇団花吹雪」の桜京之介、桜春之丞などなど、そして最近では「逢春座」の若座長・浅井雷三といった面々である。浅井雷三は弱冠二十歳、実に魅力的な実力者である。その魅力とは、抑えた三枚目。何気ないセリフが笑いを誘う。天性の喜劇役者なのだが、劇団の事情で、おいそれとはいかない。兄の浅井春道が劇団を抜け、その穴を埋めなければならない立場に追い込まれたからである。十代の花形役者なら自由奔放に活躍できるが、座長ともなると、それなりの格式、品格が求められるのだろう。三枚目だけでは「座長」としての責任は果たせないという不文律があるのかどうか、詳細は不明だが、いずれの場合も、花形時代の輝きが薄れてしまうことが、実に残念である。
 そんな中で、かつての「鹿島順一劇団」、二代目・鹿島順一(現・甲斐文太)の采配は見事であった。彼が最も大切にしたことは、座員それぞれの「個性」であった。「ウチの座員は個性的です。みんなが花形です。なかにはハナクソ、ガタガタもおりますが・・・」と、冗談交じりに(口上で)述べていたが、みずからは座長でありながら、平然とちょい役、斬られ役を甘受する。それぞれの舞台には、それぞれの主役が登場し、しかもその主役を随時に交替できるという「離れ業」をやってのけた。観客は、同じ演目の芝居でも、配役が変わることによって全く違った景色・風情を楽しむことができたのである。舞台の上で、役者は同等、主役も端役もない、まして「太夫元」「座長」などという肩書きには何の意味もない、といったポリシー(哲学)が貫かれていたと私は思う。「鹿島順一劇団」は、その後、座長が三代目(甲斐文太の一人息子)に変わり、座員の変動により2年間休演状態
を余儀なくされたが、この9月から「再出発」したと聞く。三代目もまた父のポリシーを引き継ぐことができるかどうか。
 全国に150余りある「劇団」は、つねに曲折浮沈を繰り返す。役者の面々は、どこの舞台に身を置くとしても、おのれを大切にし、その「個性」をかけがえのない《魅力》として磨き上げるように精進していただきたい。とりわけ、若手座長に昇進した面々がその試練に耐え、大輪の花を咲かせるよう念願する。
(2016.9.13)



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