META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 検証・ガラクタ番組《「プロフェッショナル・仕事の流儀・漁の神様、誉れの一本釣り」(NHK)》
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2023-02-11

検証・ガラクタ番組《「プロフェッショナル・仕事の流儀・漁の神様、誉れの一本釣り」(NHK)》

午後10時からNHKテレビ「プロフェッショナル・仕事の流儀・《漁の神様、誉れの一本釣り》」という番組を観た。60歳になる青森大間港のマグロ漁師・山崎倉氏の「流儀」を紹介していた。その流儀とは?①釣るのではない、選んでもらう。②出来ることは、すべてやる。③マグロの口に針をひっかける技を習得する。④満足する。という4点に集約されるらしい。そのためには「努力、努力、努力、勉強、勉強、勉強」が必要だとのこと・・・。その内容に何の異存もないのだが、残念ながら、「神様の流儀」が《映像として》語られることはなかった。いうまでもなく、その責任は番組製作者(NHK)の側にある。画面は、船の上で「神様」が餌をつけ釣り糸を海中に放り投げ、マグロがかかったり、かからなかったりの「繰り返し」、あとは「神様」の「語り」でつなぐといった(安直な)画面構成(製作技術)では、とても山崎氏の「神業」を描出することはできない。中でも「110日間の地獄」という一節にはあきれた。〈山崎は、かつて、3か月以上もの間、まったくマグロが釣れなくなる、生き地獄のような体験をした。周りの船は釣れているのに、自分の船にはマグロがかかりさえしなかった。あらゆる努力を尽くしたが、それでも釣れない・・・。その期間は、平成11年の9月9日から12月27日まで、実に110日に及んだ。これは、マグロ漁の最盛期である10月、11月に、まったく収入がなかったことを意味する。この体験を通して、山崎は自然の中で行うマグロ漁の「おっかなさ」を骨の髄まで味わう。だがこの絶望的な状況の中でも、山崎は努力をやめなかった。そして111日目、山崎は、200キロの大マグロを釣り上げた。山崎は言う。「どんなに努力勉強しても、できないことはできない。だが、それでも努力勉強していくことがなんらかの結論を出してくれる。」あらがいようのない自然の中で、40年以上マグロと向き合い続けてきた山崎の、信念の言葉だ〉そうである。①なぜ「周りの船は釣れているのに、自分の船にはマグロがかかりさえしなかった」のか。②「この絶望的な状況の中」で、山崎はどんな努力をしたのか。画面を観ているだけではいっこうに分からない。「あきらめない」「努力勉強していく」といった「神様の流儀」を《言葉ではなく、映像として》表現することこそが、「番組製作者(NHK)の流儀」でなければならない、と私は思う。結果、この作物は「神様の流儀」には遠く及ばない凡作に終わったと言えよう。漁師にとって地獄とは何か。私は今から50余年前、千葉内房線(当時は房総西線)保田駅前での情景を思い出す。時節は8月半ばの午後9時ころであったか、、海水浴目的の一泊旅行、当時の民宿は冷房もなく、客は大広間に詰め込まれ雑魚寝状態という按配だったので、父は7歳の私を外に連れ出し、涼みがてらに保田駅前までやって来た時のことである。辺りには、私たちと同様、「夕涼み」に来たらしい観光客が数名たたずんでいる。そこへ、どこからともなく(おそらく浜の方からであろう)、一人の老爺(70歳台)がフラフラとやって来た。ステテコ姿に草履履き、頭には煮染めたような手ぬぐいの鉢巻きといった出で立ちで、手には一升瓶をぶら下げている。時折、その(おそらく)安酒をラッパ飲みしながら、観光客の面々を物色、その中の一人(中年男性)に話しかけた。「アンタは学がありそうだから、ひとつ訊きたいんだが・・・。人間は《万物の霊長》というが、いったい誰が、いつ決めたんかね?」男性はちょっと驚いた様子だったが、取り合わずに離れていった。老爺は他の面々にも問いかける。「えっ?人間は《万物の霊長》というけれど、誰が、いつ決めたんだ?大昔、神様が、魚や獣、鳥、へびなんか、動物たちを全部集めて、『今から人間を万物の霊長にする』とでも宣言したのか!?」それに応える人は誰もいなかった。私は父の陰に隠れて、その情景を恐る恐る眺めていた。当時は、ただ「怖い」という思いだけだったが、私もまもなくその老爺と同じ年頃、なんとなく彼の思いが分かってきたような気がする。おそらく(いや、間違いなく)老爺は「漁師」、明日も漁に出なければならない。しかし「漁」とは、魚の命を絶つこと、つまり「殺生」に他ならない。そのことを生業としてきた自分は、はたして極楽往生できるだろうか、といった自責の念、良心の呵責に堪えられなかったのではあるまいか。彼は明らかに「地獄の責め苦」を味わっていたのだ、と私は思う。さて、ところで、もし、その老爺が現存、同じ問いかけを、マグロ漁師・山崎倉氏にしたとしたら、はたして「漁の神様」は、いったい何と応えるだろうか。それが問題である。 (2011.2.7)



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