META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 2024年03月08日
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2024-03-08

付録・邦画傑作選・「忠烈実録忠臣蔵」(監督・マキノ省三・1928年)

 ユーチューブで、映画「忠烈 実録忠臣蔵」(監督・マキノ省三・1928年)を観た。監督のマキノ省三は「日本映画の父」と言われ、邦画草創期の基礎を築いた人物である。この映画のフィルムは火災、戦災などにより匹散していたが、戦後、息子のマキノ雅弘によって採集・修復・再編集されたそうである。したがって、往時の作品そのものではないにしても、その面影は十分に堪能できる。場面は「刃傷松の廊下」から始まり、「赤穂城内大評定(血判状)」「城明け渡し」「一力茶屋」「山科閑居」「大石東下り」「吉良邸討ち入り」へと展開する。登場人物は大石内蔵之助を筆頭に100人を超える。その陣容(配役)は以下の通りである。(「ウィキペディア百科事典」より引用)
 伊井蓉峰(大石内蔵之助良雄)、諸口十九(浅野内匠頭)、市川小文治(吉良上野介義央)、勝見庸太郎(立花左近)、月形龍之介(清水一角)、中根龍太郎(松野河内守)、嵐長三郎(脇坂淡路守)、片岡千恵蔵(お目附 服部一郎右衛門)、片岡市太郎(勅使 柳原権大納言)、杉狂児(忠婢 拳固のお源)、中根龍太郎(伜 与太九呂)マキノ正博(大石主税良金)、小島陽三(将軍 綱吉公)、松本時之助(浅野大学)、中村東之助(田村右京太夫)、小岩井昇三郎(伊達左京之亮)、山本礼三郎(梶川与惣兵衛)、
金子新(院使 高野中納言)市川小莚次(院使 清閑中納言)、松村光男(僧良雪)、荒木忍(吉良間者 前野平内)、川田弘道(吉良間者 猿橋右門)、菊波正之助(大石の下僕 実は吉良の間者万吉)、秋吉薫(吉良の間者 石束甚八)、中田国義(切腹上使 荘田下総守)、若松文男(お目附 岡田伝八郎)、静間静之助(介錯)、梅田五郎(お茶坊主 平井長庵)、守本専一(石堂・田村の臣)、大味正徳(榊原・田村の臣)、斉藤俊平(高味勘解由・田村の臣)、児島武彦(大老 柳沢美濃守)、大谷万六(太鼓持 千住)、都賀清司(大石の僕・八動)、松尾文人(二男 大石千代松)、都賀一司(三男 大石大三郎)、津村博(清水一角 弟)、尾上松緑(吉良の間者牧山大五郎)、藤井六輔(そばやの爺〆助)、大国一郎( 吉良の家来 和久牛太郎)、マキノ正美(吉良左兵衛之介)、児島武彦(菅野の父 七郎左衛門)、嵐冠(間の一子 十太郎)、染井達郎(堀部弥兵衛金丸)、松村光男(堀部喜兵衛光延)、若松文男(吉田忠左衛門)、嵐冠吉郎(間瀬久太夫正明)、原田耕造(村瀬喜兵衛秀道)、大味正徳(小野寺十内秀和)、柳妻麗三郎(奥田孫太夫重盛)、中村東之助(原惣右衛門元辰)、松本熊夫(貝賀弥左衛門友信)、西郷昇(千葉三郎兵衛光忠)、南部国男( 木村岡右衛門貞行)、木村猛(中村勘助正辰)、森清(菅谷半之亟政則)、大谷鬼若(早水藤左衛門満堯)、橘正明(前原伊助宗房)、嵐長三郎(寺坂吉右衛門信行)、星月英之助( 岡島八十右衛門常樹)、市川小莚次(神崎与五郎則安)、矢野武夫(萱野和助常成)、市川小文治(片岡源五右衛門高房)、豊島龍平(横川勘平宗利)、小岩井昇三郎(三村次郎左衛門包常)、金子新(潮田又之丞高教・東下り)、東郷久義(赤埴源蔵重賢)、山本礼三郎(堀部安兵衛武庸)、佐久間八郎(不破数右衛門正種)、英まさる(近松勘六行重)、坂本二郎(富森助右衛門正因)、沢村錦之助(倉橋伝助武幸)、武井龍三(武林唯七隆重)、天野刃一(大高源吾忠雄)、八雲燕之助(吉田沢右衛門兼貞)、鈴木京平(矢田五郎右衛門助武)、片岡千恵蔵(萱野三平)、市川谷五郎(小野寺幸右衛門秀富)、川島清(杉野十平次次房)、藤岡正義(大石瀬左衛門信清)、牧光郎(村松三太夫高直)、有村四郎(奥田貞右衛門行高)、小金井勝(間十次郎光興)、松坂進(磯貝十郎左衛門正久)、市原義雄(岡野金右衛門包秀)、マキノ登六(間新六)、久賀龍三郎(勝田新左衛門武堯)、潮龍二(間瀬孫九郎正辰)、マキノ梅太郎(矢頭右衛門七教兼)、尾上松緑(大野九郎兵衛)、大谷万六(勅使 玉虫七郎右衛門)、徳川良之助(勅使 近藤源八)、守本専一(勅使 藤井彦四郎)、荒尾静一(勅使 早川宗助)、高山久(勅使 田中清兵衛)、嵐冠三郎(豊田八太夫)、尾上延三郎(豊田庄助)、玉木悦子(浅野後室瑤泉院)、花岡百合子(戸田の局)、石川新水( 大石の室お陸)、マキノ智子(早水藤左衛門の娘千賀)、松浦築枝(浮橋太夫)、渡辺綾子(軽藻太夫)、住ノ江田鶴子(吉野太夫)、三保松子(女中お梶)、河上君江(吉良の侍女妙香)、水谷蘭子(そばやの姉お富)、岡島艶子(三平の新妻露野)、鈴木澄子(清水一角の姉)、大林梅子(吉良の間者お梅)、五十川鈴子(浮橋の引舟芳子)、都賀静子(浮橋の引舟田毎)、広田昴(百足屋与助)、玉木潤一郎(具足屋為五郎)、大岡怪童(研屋伝九郎)大国一郎(狂人荒物屋千五郎)・・・(嗚呼、記すのにくたびれてしまった!)
 
 まさに忠烈と言うよりは壮絶、文字通り錚々たるメンバーだが、特別の人物を除いて、彼ら一人一人を映像の中で識別することは困難であった。また当初のフィルムは消失しているので再編集後は登場しない人物もあるだろう。筋書き以上に、私の知る俳優が、どの役で、どの場面に登場するか、興味津々で鑑賞することができた。嵐長三郎(後の嵐寬壽郞)、片岡知恵蔵、月形龍之介、尾上松緑、山本礼三郎といった面々に注目する。松の廊下で、手負いの吉良上野介を罵倒する脇坂淡路守を演じた嵐寬壽郞、赤穂城内大評定での大野九郎兵衛・尾上松緑の姿はハッキリと確認できたが、片岡知恵蔵、月形龍之介、山本礼三郎は「どこでどうしているのやら」、ぼうとして見極められなかった。でも、それでよい。パズルのように何度でも観て「発見する」喜びが増えたのだから。
 一方、面白いことに、全く知らなかった俳優が忽然と現れた。大石主税を演じたマキノ正博(後のマキノ雅弘)である。主役の大石内蔵助と絡むので出番は多く、否が応でもその姿が印象に残るという仕掛け、なるほど、この映画をリメイクしたのは彼自身なのだから、(自分の出番を多くしたいという気持ちも察しられ)「さもありなん」と妙に納得してしまった次第である。
 いずれにせよ「実録」と銘打っているのだから、この物語は史実に近いかもしれない。(ただし、立花左近は架空の人物である)
 松の廊下で内匠頭が一人仲間はずれ、身の置き所もなく「これからどうすればいいか」、上野介に教えを乞う場面は真に迫っていた。以後、数多く作られた「忠臣蔵」映画の原点として貴重な役割を果たしていることは間違いない。
 さらに言えば、マキノ省三の映画は「あくまで芝居を映す」(1スジ 2ヌケ 3ドウサ)ことが基本、その伝統は1960年代の任侠映画「日本侠客伝」シリーズまで受け継がれていると、私は思う。
(2017.1.15)



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