META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団素描・「劇団花車」・《姫勘九郎の「魅力」》
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2023-08-28

劇団素描・「劇団花車」・《姫勘九郎の「魅力」》

【劇団花車】(座長・姫京之助、姫錦之助)〈平成21年5月公演・小岩湯宴ランド〉  
 表看板に「姫勘九郎」の名があることを確かめて入館した。なぜなら、今日の観劇、「勘九郎の姿」を観ることが目的だったから・・・。この劇団、「劇団紹介」にもあるように「個性で魅せる大衆演劇界のサラブレッド劇団」、京之助は言わずもがな、錦之助、猿之助ともどもに「踊りのセンスは高く評価されている」。言い換えれば、みんなが努力家、精進の結果を「技」に結びつけている。そんな中で、(私の独断・偏見によれば)勘九郎は「やや異端」、どこか「力が抜けている」。他の役者が「完璧」を求めているのに、どこか「崩れた」「投げやりな」雰囲気、それが劇団全体の「緊張度」を緩和する、息抜きの効果を果たしているのだ、と私は思う。
 姫勘九郎の「実力」は、まだ「発展途上中」、それだけに「未知の可能性」が無尽蔵に秘められているようだ。京之助、錦之助、猿之助の「舞台」は、それぞれが「完璧な実力」の持ち主だけに、(次どうなるか、次どうするか)先が読める。だがしかし、勘九郎は違う。「今日はどうするだろうか、何かやってくれるのではないだろうか」「今までにない姿を見せてくれるのではないだろうか」といった期待感を、芝居や舞踊の「それぞれの場面で」もたせてくれる。そのことが勘九郎の「魅力」(個性)に他ならない。
 今日の舞台、芝居の外題は「三つの魂」。幼いとき離ればなれになったキリシタンの同胞(兄・京之助、弟・勘九郎、妹・猿之助)が、それぞれの過去を引きずりながら、兄は盗賊の頭、妹は堅気になった手下(錦之助)の女房、弟は兄を捕縛する十手持ちという立場で「再会」するという物語。およそ勘九郎には「似つかわしくない」役回りだが、健気にも最後まで「懸命に」演じ通した。そのことが「素晴らしい」のだと、私は思う。本音を言えば、末弟・右近が演じた「手下の悪役」の方をやりたかったかもしれないのに・・・。
 舞踊ショー、勘九郎の「舞踊」は、やはり「未完成」なだけに魅力的、他の面々とは「ひと味違った」空気が貴重である。それだけに、客に向かっての「拍手の請求」は絵にならない、客のほとんどが、えもいわれぬ「媚態」(ウインク)に酔いしれて(待ちこがれて)、金縛りに遭っていると思えばよいではないか、えっ?『勘九郎!』。
江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた (講談社プラスアルファ新書)江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた (講談社プラスアルファ新書)
(2009/09/18)
古川 愛哲

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