META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 花の歌謡絵巻・二葉百合子引退・《昭和は遠くなりにけり》
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2023-03-16

花の歌謡絵巻・二葉百合子引退・《昭和は遠くなりにけり》

歌手・二葉百合子(78歳)が引退を表明した。昨今、すでに賞味期限が切れているのに、なおも舞台に執着し続ける芸能人が多い中で、「元気な今だからこそ、上げた幕を下ろすことを決心しました」「声の出るうちに辞めると自分に言い聞かせてきました」(「東京新聞3月18日朝刊・14面〈二葉百合子 来年三月引退「恵まれた芸人人生」〉)といった心がけは、なんとも潔く「お見事」と言う他はない。同記事には〈三歳で浪曲師として初舞台を踏んだ二葉は歌謡浪曲のジャンルを確立させ、「岸壁の母」のヒットで1976年のNHK紅白歌合戦に出場〉とあり、二葉といえば「岸壁の母」といったイメージが強いようだが、私は肯かない。「岸壁の母」は、もともと歌手・菊地章子の作物で、二葉はそれをリカバーしたに過ぎない。菊地の芸風といえば、戦前は「清純・純情派」、戦後は「星の流れに」での「闇市派」、それを踏まえて、「岸壁の母」へと辿り着く。その変遷は、日本人中流階級の凋落を象徴しているようで、どこかインテリの郷愁を誘う品格が感じられた。一方、二葉の芸風はあくまでも「浪曲師」、大衆・庶民派の空気がただよい、芸者、ヤクザ、相撲取り等々、どちらかと言えばアウトロー気味の描出がお似合い、中流階級の風情とは一線を画している。抑留された息子を待ち続ける堅気の母親よりは、旅籠宿の女房を離縁され、息子を捨てて「水商売」、出世して料亭の女将におさまった「瞼の母」の方が適っていることは間違いないところであろう。事実、二葉が確立した歌謡浪曲のジャンルの中で、屈指の名作は「瞼の母」「一本刀土俵入り」であると私は確信する。彼女の歌謡浪曲は、あくまでも浪曲の中に挿入された歌謡曲を際だたせることが眼目である。浪曲の内容は「語り」「セリフ回し」「名調子」(歌唱)で構成されるのが常道だが、件の二作物を聴けば「一目瞭然」。例えば「瞼の母」は冒頭、「瞼瞼とじれば 会えてたものを せめてひと目と 故郷をすてた あすはいずこへ 飛ぶのやら 月の峠で アアおっ母さん 泣くは番場の忠太郎」という歌唱で始まり、幕切れは再び「一人 一人ぼっちと 泣いたりするか 俺にゃいるんだ 瞼の母が 孝行息子で 手を引いて お連れしますぜ アア おっ母さん 旅のからすであの世まで」という名調子で終わる。また、例えば「一本刀土俵入り」では、中盤の名場面で「山と積まれた お宝さえも 人の情にゃ 代えられぬ 何で忘れよ 櫛かんざしにこもる心を 受けて茂兵衛は こらえ泣き」という歌謡曲(作詩・藤間哲郎、作曲・桜田誠一)を挿入、終章で再び「逢えて嬉しい 瞼の人は つらい連れ持つ 女房雁 飛んで行かんせ どの空なりと これがやくざの せめて白刃の 仁義沙汰」と唄って締めくくる。すなわち、二葉百合子の歌謡浪曲は、挿入された「歌謡曲」のために「語られて」いるのだ、と私は思う。さればこそ、「語り」と「セリフ回し」の風情が、その「歌唱」と響き合い、絶妙のコントラストで、物語の景色を描出するといった「至芸」が実現するのである。これまでに「瞼の母」では、伊丹秀子、天津羽衣、中村富士夫、「一本刀土俵入り」では春日井梅鶯、三門柳の作物を聴き比べたが、いずれもが「語り」「セリフ回し」が中心の構成で、「歌唱不足」の物足りなさは否めない。それもそのはず。彼らは浪曲師、二葉百合子は歌手と呼ばれる所以であろう。それにしても、私が敬愛する歌手・二葉あき子も高齢、加えて二葉百合子も引退となれば、ますます「昭和は遠くなりにけり」というところか・・・。(2010.3.18)



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