META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 付録・邦画凡作選・《「座頭市」(監督・北野武)》
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2023-03-02

付録・邦画凡作選・《「座頭市」(監督・北野武)》

 最近評判の「座頭市」という映画を見た。正直言って驚いた。何だ,これは,これが映画と言えるのか,というのが率直な感想である。世界的に高い評価を得て,ナントカ賞とやらを獲得したそうだが,そのことに一番びっくりしたのは,他ならぬ監督・北野武自身ではなかったか。
「映画とは,連続撮影したフィルムを映写機によってスクリーン上に投影し,一連の映像を生じさせるもの」という定義に従えば,「座頭市」はたしかに映画だ。しかし,映画はまた「現代の最も総合的な芸術・娯楽・教育・報道の手段」でもある。「座頭市」は,総合的な芸術という観点から見て(娯楽という観点から見ても),鑑賞に堪えられる作品ではなかった。「筋書きのないドラマ」という言葉があるが,「座頭市」は,まさに「筋書きのない場面」の寄せ集め・連続にすぎず,ドラマとは無縁の作物であった。登場人物の身辺情話,心理描写,長ぜりふ等は「冗長に過ぎる」という判断からか極度に省かれ,「鑑賞者が勝手に想像してくれ」という「まる投げ」の意図が「見え見え」であった。しかし,想像しようにもその手がかり(言語世界)が皆無なので,要するに「何がなんだか分からない」まま終末を迎えることになる。なるほど,視覚障害者・座頭市は強い。「見ればわかる」場面の連続だから,言葉(せりふ)は,劇画の吹き出し程度で十分だろう。ほとんど無表情の無言劇に近かった。外国人でも「見ればわかる」にちがいない。でも,全編を通して何が「分かった」のだろうか。目をつぶれば,「よく聞こえる」「鼻が利く」のはあたりまえだ。目が開いているから「見える」わけではないことくらいは誰でも知っている。
 劇画を意識した断続的なカットや俳優の「表情」,寄席芸(色物)の挿入,黒澤映画「用心棒」そのままの殺陣,終幕の群舞(タップダンス)等々・・・,北野武の演出は多種・多彩ではあったが,冗長に過ぎた。かつての日本映画には,寄席噺を曼陀羅のように織りこんで展開される「幕末太陽伝」(川島雄三監督・日活),忍者の行軍を鮮やかに洋舞化した「真田風雲録」(加藤泰監督・東映)といった傑作があったことを,ペダンチスト北野武が知らないはずがない。だからこそ,もともと「遊び」で作った「座頭市」などという代物がナントカ賞を贈られるなんて,「信じられない」というのが彼自身の偽らざる本音ではないだろうか。(2003.10.3)



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