META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 検証・ガラクタ番組・《「こころのコンサート・コバケンとその仲間たちスペシャル2010」(NHK)》
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2023-02-14

検証・ガラクタ番組・《「こころのコンサート・コバケンとその仲間たちスペシャル2010」(NHK)》

 午後3時からNHK教育テレビ「こころのコンサート コバケンとその仲間たちスペシャル2010」を観た。〈指揮者・小林研一郎の新たな挑戦は、障害のある人もない人も、音楽に夢を抱く人々がともに演奏するコンサート。「どんな音を目指せばよいのか?」最初はコバケンもメンバーも悩んだ。しかし、しだいに楽団が心を通わせ、一つの「小宇宙」を作り上げていく。楽団の結成から演奏会までをメンバーの心の交流を交えて追う音楽ドキュメント〉(「ハートネット 番組案内・http://www.nhk.or.jp/heartnet/program/index.html)だそうである。指揮者・小林研一郎氏の「新たな挑戦」は、素晴らしい意図・取り組みであり脱帽する。ただ、テレビ番組の内容にはいくつかの不満(物足りなさ)が残った。ドキュメントの柱として3人の障害者にスポットを当てたことは「常道」としてやむを得まい。しかし「どんな音を目指せばよいのか?」という最初の「悩み」が、どのように解消され、一つの「小宇宙」を作り上げることができたのか、判然としなかった。例えば、自閉症のヴァイオリン奏者、どうしても仲間との「呼吸」が合わない、そこでプロが手本を示すため、座る位置をずらして手本が見える場所に、といった工夫が効を奏した由。それだけの話だろうか。もともと音楽は「耳の世界」、それを視覚的な手段で補うことが「安易に」できるだろうか。また例えば、知的障害のクラリネット奏者、プロからの手ほどき(コミュニケーション)を母親が通訳していた。その様子を見ていたプロデューサー(指揮者の妻)が「本番では母親の助力は得られない。直接やりとりするように」とのアドバイス、その結果、双方にどのような「変化」が生じたのだろうか。新聞記事の紹介(東京新聞3月20日付け朝刊・テレビ番組表・13面)では〈指揮者・小林研一郎オーケストラ生まれる 障害のある人ない人がともに挑んだ大演奏会苦闘6カ月・・・汗と涙で心を紡いだ〉とも喧伝されている。その「苦闘」が描出されてこそ、ドキュメントであるはずなのに、あちこちに「安易な妥協」(制作態度)が感じられて、私には興ざめであった。普段は公園の清掃作業に従事しながら、時折、ボランティア「チンドン隊」の一員として母親とともに商店街を練り歩くクラリネット奏者の青年(37歳)が、客のリクエストに応じて奏でた一曲(「兄弟船」・それはサックスホーンであった)の方が、私には印象的であった。大切なことは、一方では流行歌、他方ではラフマニノフ、チャイコフスキーの作物を「奏でてしまう」青年の、(人間としての)「実力」を際立たせることであり、だからこそ、プロ集団だけでは描出できない「小宇宙」を創造することができたのではなかったか。指揮者・小林研一郎氏の「意図・眼目」は奈辺にあったのか。障害者の音楽的才能を発掘すること?、受け手から送り手に変容させること?、障害者に支援の手を差し伸べること?、脚光を当てること?、「生きる喜び」を与えること?等などといった(番組製作者連中の)「上から目線」とは断じて無縁でなければならない。今や、彼にとって障害者の「存在」は必要不可欠、彼らと「共に」「小宇宙」を創出しなければ、彼の芸術は貫徹できない、といった信念に培われているからこそ尊いのである。お互いがお互いを「必要」と求め合える「感性」と「かかわり」(ハーモニー・響きあい)を彼は追求しているのだ、と私は思う。さればこそ彼は「悩んだ」はずである。だからこそ「苦闘」が6カ月も続いたのではなかったか。件の番組では、そうした「観点」が「全く」感じられず、その結果、演奏会当日の「映像」は「単調」で「月並み」な景色で終わってしまったことが悔やまれる。(2010.3.20)



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