META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 検証・掘り出し番組・《ETV特集「山谷ドヤ街・男たちの死》(NHK)
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2023-02-17

検証・掘り出し番組・《ETV特集「山谷ドヤ街・男たちの死》(NHK)

 午後10時から「ETV特集」(NHK)視聴。新聞では〈東京・山谷ホスピス最後を生きる▽孤独な高齢者が迎える安らかな死▽笑顔と涙・ふれあいの日々〉(東京新聞)と紹介されていた。山谷のドヤ街で生きてきた「男たち」が高齢化し、孤独な晩年を送っている。その様子を見聞した一人の男(閉じこもり、鬱症状の経験者)が「明日は我が身」と感じて設立した施設・「希望の家」での人間模様が描かれていた。そこは、孤独な高齢者にとって終焉の地、入所者のほとんどが病を抱え、死と向かい合っている。いわば「死ぬための家」とでもいえようか。施設のスタッフは、安らかな死を遂げさせようと、できるだけ本人の希望に沿ったケアを心がけている。当然のことながら、余計な延命治療、余計な介護は行わない。体力が衰え、食欲もなくなり、自然に衰弱死する方法を支援しているのだと思う。そのプロセスが克明に描出されていたが、天国へ旅立つ「男たち」が、山谷のドヤ街といったイメージとは裏腹に、たいそう清潔、安楽な臨終を迎えている様子に感動した。昔から「せめて畳の上で死ね」とか「畳の上の往生は覚束なかろうぜ」とか言われるように、今でも、畳の上で死ぬことが極上の死とされているようだが、ドヤ街では、その反対に行き倒れ、野垂れ死に、孤独死、事故死といった「変死」が、通常の死とされているようである。いつ、どこで、どのような死に方をするにせよ、人間が動物であるかぎり、死は「動物として死ぬ」(呼吸が止まる)他はない。そのことが苦痛であるかどうか、本人でなければわからない。瀕死の男にむかって、看護師の女性(施設長の妻)が声をかけていた。「よくがんばったね、もうすぐ楽になるよ。もうすこしだよ。もうすこしで天国に行けるよ」、まさにその通り、「男たち」にとって死は生きる苦しみから解放される至福の世界への旅立ちでなければならない。このような(点滴、人工呼吸、心臓マッサージなどとは全く無縁な)自然死こそ、昔から行われてきた死に方であり、極上の死である、と私は思う。「変死」という通常の死もまた、動物として死ぬ自然死に近く、悪いとは言えないが、それを畳の上(ベットの上、布団の中)で往生できるなんて、「男たち」にとっては、夢のような物語ではなかろうか。戦場での生き地獄、極道の闇世界を生き抜いた男性は、「自分の人生を『黒』から『白』にぬり変えたい」という。動物として死ぬだけでなく、「人間として死ぬ」、かけがえのない証言として、ひときわ光彩を放っていた。(2008.11.2)



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