META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 寸評・「南條隆とスーパー兄弟」・《真実は一つ》とは?
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2018-04-14

寸評・「南條隆とスーパー兄弟」・《真実は一つ》とは?

 南條隆とスーパー兄弟が逮捕されてから1週間が過ぎた。劇団の興行は予定通り、空白になった3人の穴をゲスト陣が埋め、しかも初日は「ダブルの大入り」であった由、そのことを「御同慶の至り」と寿ぐか、「開いた口がふさがらない」と蔑むかは、個人の自由だが、裏情報(2チャンネル)によれば、容疑者の妻女であり(義)母でもある大路にしきが、舞台上から、「戦います」「真実は一つ」と訴えたそうである。ではいったい、その「真実」とは何だろうか。報道によれば、①容疑者3人が被害者に重傷を負わせたこと。②被害者が「退団したこと」は(まぎれもない)「事実」である。大路にしきは、まさかこの2点までも「真実ではない」とは言うまい。だとすれば、その「事実」(の因果関係)をどのように解釈するか、という点で「真実か否か」に分かれることになる。しかし、その「解釈」が表沙汰になることはないだろう。「それを言ってはおしまいだよ」という空気は斯界にとって「自家薬籠中」のものだから・・・。そこで「裏舞台」(2チャンネル)の出番となるのだが、私の独断と偏見により「邪推」すれば、事の発端は、(酒席での)(部外者にとっては)「他愛もない」、しかし当事者にとっては「許すべからざる」破戒行為ではなかったか。つまり、師匠の禁を破った、その結果、制裁が加えられた。大路にしきの言う「真実」とは、被害者が「師匠の禁を破ったこと」「反省もなく師匠に刃向かったこと」、したがって「非は被害者にある」ということかもしれない。因みに、師匠はどのようなことを禁じたか。部外者にとっては他愛もないこと「言わぬが花」というものであろう。(裏舞台では「アフター」「一気のみ」といった言葉が喧しく飛び交っているが、私は信じない)むしろ「真実」の核心は、以後の経過にある。被害者は、ケガの治療に専念(その費用を誰が払ったかは不明)、ほぼ1カ月後(4月から)「舞台復帰」できるまでに回復し、そのつもりになったのだが、結果は「二転三転」で退団となった。その「事実」をどのように解釈するか。つまり、被害者は4月、どうして「舞台復帰」しなかったか、あるいは、できなかったか、ということが問題だと、私は思う。その時点で被害者の「舞台復帰」が叶えられていたら、今回の一件は生じなかったかもしれないからである。
 加えて、大阪府警が事件後6カ月も「容疑者を泳がせていた」ことも「謎」、もしかして、大路にしきの訴える「真実」とは、その「謎」に関わる事柄か、「戦う」相手は警察か・・・?(2014.9.5)
真実  新聞が警察に跪いた日 (角川文庫)真実 新聞が警察に跪いた日 (角川文庫)
(2014/04/25)
高田 昌幸

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