META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団素描・「宝海劇団」・《若座長・宝海大空を筆頭に座員一同は「足踏み状態」》
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2023-08-20

劇団素描・「宝海劇団」・《若座長・宝海大空を筆頭に座員一同は「足踏み状態」》

【宝海劇団】(総座長・宝海竜也)〈平成25年8月公演・湯ぱらだいす佐倉〉
私がこの劇団の舞台を観たのは、ほぼ1年7月前(平成24年1月)、所も同じ、ここ「湯ぱら劇場」であった。芝居の外題は「清水港に来た男(?)」。清水港にやって来た追分三五郎(花形・宝海大地)と森の石松(若座長・宝海大空)が、次郎長(総座長・宝海竜也)の兄貴分・赤羽の藤造(座長・早乙女紫虎)の悪行〈銭湯亀の湯の娘・お花(宝海蘭丸)を拐かす〉を見咎めて救い出し、藤造を成敗、めでたく次郎長の子分になるという筋書きで、見所は、①三五郎と石松の兄弟仁義、②藤造の三枚目振り、②次郎長の侠気、といったあたりと思われるが、その出来映えは、昨年の「吉五郎懺悔」には遠く及ばなかった。なぜだろうか。私の独断と偏見によれば、その要因は偏に「座員の稽古不足」。芝居の真髄は、役者相互の「呼吸」「間の取り合い」にあると思われるが、今日の舞台は、その「間」が乱れがち、全体を引き締めるピリッとした緊張感が感じられなかった。言い換えれば、適材適所に配された一人一人の役者に「ここ一番!」という「迫真の演技」が見当たらない。さもありなん、今や若座長・宝海大空は時代の寵児、あちらこちらから引っ張りだこの状態では、しっかりと腰を据えた稽古など望むべくもない。かくて、彼自身を筆頭に、座員の面々も「足踏み状態」か、前回に比べて「大きな進歩」はなかった、と私は思う。当時、私は宝海大空について、〈彼はまだ弱冠16歳、にもかかわらず父・宝海竜也と「五分に渡り合って」母親との「親子名乗り」を遂げさせようとする。口跡といい、表情(目線)といい、姿といい、申し分なく、「ちゃらんぽらん」だった若造が、瞬時にして、兄思い母思いの青年に「変化」(へんげ)する様を、迫真の演技で描出する。なるほど、彼は今やマスコミの人気者、時代の寵児、「宝海劇団」に出演する機会も減りつつあるようだが、その人気は、確固とした「実力」によって培われたものであることを、心底から納得した次第である〉と綴った。また、(当時の)座長・宝海竜也について、〈座長・宝海竜也は、劇団ホームページ座員紹介の詳細で、「今、勉強していることは? 人の使い方」と記しているが、「宝海劇団」は文字通り「宝の(海ならぬ)山」で、人材に事欠かない。「人の使い方」イコール「人の活かし方」、それぞれが自信を持って、のびのびと自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にすれば、さらなる発展・成長が期待できる。そのことを念じつつ帰路に就いた次第である〉とも綴ったのだが・・・。残念ながら、この1年7月、「自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にしてきたとは思えない。「宝海劇団」の中から生まれた宝海大空という「宝」(逸材)はまだ「蕾」、それを大輪の花に開かせるのもまた「宝海劇団」の中でしかあり得ないと、私は確信している。しかし、本日の宝海大空は、芝居でも舞踊(女形の艶やかさは相変わらずであったが)でも、どこか精彩を欠き、(心身の)疲れが感じ取れた。彼本来の「思い切り」「歯切れよさ」、登場しただけで辺りをパッと輝かせる「冴え」(魅力)が感じられなかった。斯界の名曲「夢芝居」(詞曲・小椋桂、唄・梅澤富美男)でも、以下のように警告しているぞよ大空くん!「けいこ不足を 幕は待たない、恋はいつでも初舞台」。今しばらく、花が開くまで「宝海劇団」の中でがんばれ!、などと身勝手な想いを抱きつつ、帰路に就いたのであった。
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(2010/07/10)
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