META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団素描・「鹿島順一劇団」・《座長の絶唱「瞼の母」は、三分間の名舞台》
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2022-11-29

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《座長の絶唱「瞼の母」は、三分間の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年12月公演・行田温泉茂美の湯〉                                    芝居の外題は、昼の部「源太時雨」、夜の部「雪月花・大江戸無情」。この劇団にしては「やや大味」の出来栄えで、特筆する内容はなかったが、夜の部・舞踊ショーで、座長・鹿島順一の歌唱「瞼の母」を見聞できたことは、「望外の幸せ」であった。(それだけで私は満足する)「瞼の母」は、大衆芸術(芝居、映画、浪曲、歌謡曲)の定番で、私自身、生後五カ月で母親と死別していることもあり、ことのほか興味をそそられる作物である。大衆演劇の芝居(歌唱)では、若葉しげる、大川竜之助、春川ふじお、森川凜太郎の舞台、浪曲では、伊丹秀子、二葉百合子、中村富士夫、歌謡曲では杉良太郎、島津亜矢、中村美津子のCDを見聞(視聴)しているが、いずれも鹿島順一の歌唱(その声音・風情・景色)には及ばない。一時間の芝居、三十分の浪曲よりも、鹿島順一の、たった三分間の歌唱の方に軍配が上がるのはなぜだろうか。鹿島順一の「実力」だといえば、それまでの話だが、私の勝手な想像によれば、彼の生育史は、主人公・番場の忠太郎のそれに酷似しており、その心情を容易に共感できる境遇にあった、いつでも忠太郎に「なりきれる」からではないか。かくいう私自身も、忠太郎の心情は、素直に「共感できる」。ただし、いくら瞼を閉じても母親の姿は現れないが・・・。共感できるのは、つねに「何かが欠けている」という喪失感、それを埋め合わせようとして「腰が落ち着かない」不安定感、「こんなヤクザに誰がしたんでぃ」という「やり場のない憤り」と怨念、三十を過ぎても母親を慕おうとする「甘ったれ」根性、未熟なまま大人になってしまった「申し訳なさ」と悔恨、等々だが、鹿島順一の「歌唱」「モノローグ」(セリフ回し)の中には、それらのすべてが「万華鏡」のように「美しく」「艶やかに」散りばめられているのだ。彼の歌唱を聴いた観客は、異口同音に「座長の歌は、よかったね」「アア、よかった。たいしたもんだ」と納得(満足)する。鹿島順一の「生育史」が〈波乱に満ちた半生〉であったことは『演劇グラフ・2007年2月号・vol.68』の巻頭特集(座長インタビュー)を読めば明らかである。「(座長の初舞台はいつ頃ですか?)初舞台は、おそらく3歳の時。芝居の外題は覚えていないんですが、人食いばばあが出てくる芝居で、猿の役で出たのを覚えています。その人食いばばあ役をしていた座員さんというのが、僕の育ての親です。(初代とは一緒に暮らしてはなかったんですか?)僕ら、四人兄弟(上二人は姉、次女は故・近江龍子、長兄・松丸家弁太郎)は、それぞれ母親が違っていて歳も離れていました。みんな別々に育てられ、僕は、和歌山県でその座員さんに中学まで育てられました。(いつ頃、初代が実の父親である事を知ったんですか?)小学6年の時に、育ての親から初代が実の父親で役者をしていると聞かされました。親父とは、それまでも正月やクリスマスに会っていて、小遣いをもらったりはしていました。心のどこかで実の父親だとわかっていたと思います。だけど、一緒に暮らしていなかったので実感はありませんでした。(座長が再び舞台に立つきっかけというのは?)中学の時、僕はどまくれて(九州弁で、不良になって)、仲間とつるんで悪い事ばかりしていたのを、見かねた初代がこれではいかんと九州の劇団に預けたんです」以上は、〈波乱に満ちた半生〉の一部(はじまり)だが、彼の話の中に「母親」は(前にも後にも)いっさい登場しない。再び、私の勝手な想像によれば、(私同様)「話したくても、ネタがない」か、あるいは「話したくない」「話せない事情がある」か、いずれにせよ、「何かが欠けている」(しかも最も大切なものが・・・)という喪失感が、どことない「寂しさ」を漂わせている。その「寂しさ(寂寥感・孤独感)こそが、「瞼の母」の眼目でなければならない。まさに鹿島順一の「魅力」とは、その「寂しさ」に他ならず、彼自身の心象世界の中には、番場の忠太郎を描出するための天賦の条件が」おのずと備わっているということであろう。      
 昼の部、歌謡ショーでの座長の話、「関西の座長大会出演のため、こちらの舞台を休みましたが、なんと、私がいなかった二日間、昼・夜とも「大入り」だったそうで、こんなことなら帰ってこなければよかった・・・」その寂しそうな風情が絶品であった。だが「人気」と「実力」は相関しない。今や、その実力において「鹿島順一劇団」は他の劇団に「大きく水をあけている」ことは間違いない。ちなみに、この劇場、昼より夜の部の客の数は「減る」かもしれないが、反応(拍手・掛け声・盛り上がり)は昼以上、いわゆる「目利き」ばかりが集まってくる。客との「呼吸」もピッタリで、舞台の景色は一変、「しっくり」と落ち着いた雰囲気の中で、至芸の数々を心ゆくまで堪能できるという趣向である。



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