META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 脱「テレビ」宣言・《テレビの功罪》
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2023-01-19

脱「テレビ」宣言・《テレビの功罪》

 この五十年の間にテレビが果たした役割は,日本の文化の主流を「活字文化」から「映像文化」に変換させたことであろう。「百聞は一見に如かず」という言葉があるように,テレビから流れる「映像」は一目瞭然であり,「活字」(文字言語)になじめない人々でも容易に親しむことができた。その結果,日本人は「情報」を共有することができ,それまで差があった「知識」の量や生活の形態が画一化したのである。今,世界各地や国内の津々浦々で起きている「出来事」を,私たちは「ほぼ同様に」知っている。衣食住等の「生活」に関する情報は均等・均質化され,日本人は「ほぼ同じ」衣服に身を包み,「ほぼ同じ」物を食べ,「ほぼ同じ」家屋や市街の中で暮らすようになったのである。それは正にテレビの功績であろう。
だが,「映像」という視覚情報に頼りすぎると,大きな弊害が生じることもたしかである。まず第一に,映像は人間の想像力を摩滅する。モノクロがカラー化し,画像が鮮明化すればするほど,私たちは自らの想像力を失い,より刺激的な映像を求めるようになるのである。第二に,映像は人間の集中持続力(精神的なスタミナ)を脆弱にする。音声は「空気の振動」であり始点から終点へという「時間」のなかで存在する。音楽であれ言語であれ一定時間集中持続しなければ,情報を鑑賞・理解できない。しかし,映像は「空間」のなかに存在するから,一瞬にして「感知」することができるのである。画面は,文章をたどり読みするように「追視」する面倒がない。その結果,文学の世界においても童話,民話,小説等に代わって,マンガ,アニメ,劇画等のジャンルが主役になろうとしている。
 第三に,映像は,人間の「錯覚」を増幅する。いわゆる「超常現象」(マジック)などはその極め付きであり,私たちはテレビ漬けになることによって,科学的な真理とは無縁の「迷信」を確信するようになるかもしれないのである。
 業界が例の「視聴率」の虚妄な数値を信じ,センセーショナル(扇情的)で低俗な「映像」を安易に売買,垂れ流し続けている限り,これらの弊害は拡大され,テレビは深刻な「罪過」を犯すことになるだろう。
やがて,日本はデジタルテレビの時代を迎えるという。その前に,テレビの功罪についてさらに詳細な検証をしておくことが大切だと,私は考える。(2004.4.1))



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