META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 2022年05月16日
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2022-05-16

付録・洋画傑作選・《「晩秋」(監督・ゲーリー・デビッド・ゴールドバーグ・1989年・アメリカ》

午後1時30分からテレビ映画「晩秋」(1989年アメリカ)視聴。新聞の解説(東京新聞10月5日付け朝刊12面)によれば、〈89年アメリカ。ジャック・レモン。仕事優先の生活のために家族を失った男性が、年老いた父親のために仕事を捨て、家族との愛に生きる喜びをみいだしていく。ゲーリー・デビッド・ゴールドバーグ監督〉ということである。なるほど、そういう見方もあるのか、と妙に感心してしまった次第だが、私自身は、当然のことながら、名優・ジャック・レモンが演じる「年老いた父親」に焦点を当てて観たので、1960年代に「一世を風靡した」アメリカ版ホームドラマの「なれの果て」という感想をもったのだが・・・。登場人物は「年老いた父親」(多分78歳)と「その妻」、「その息子」(仕事優先の生活のために家族を失った男性)、「孫」(息子の息子・大学生)、「その娘」「娘の亭主」といった面々で、いずれも「まさにアメリカ人」然とした風情で、中高年のホームドラマであることに間違いはない。いくらかボケが始まった亭主(ジャック・レモン)を「一方的」に介護(コントロール)することに「生きがい」「張り合い」を感じている(ような)妻が「心臓発作」でダウン、父親を誰が介護するかが懸案となるが、とりあえず「仕事人間」の息子が(二、三日の休暇を取って)対応することに。妻の場合とは違い、息子の介護は「アバウト」で「いい加減」、何でも父親にやらせようとすることが「功を奏して」、みるみる父親の生活能力は回復、ボケも吹っ飛んだ様子、妻の心臓発作も回復して退院、めでたく快気祝いのパーティーで「第一景」は終演。しかし幸せはいつまでも続かない。今度は父親が血尿を催し「癌」の疑い、しかも彼は人一倍「癌恐怖症」ときている。息子は担当医に「くれぐれも癌告知をしないように」要請するが、そこは大病院、「患者の知る権利」を尊重して父親に告知してしまった。結果、父親には「分裂症状」が発生、幻視・幻聴、妄想が高じて意識不明の重篤状態・・・。息子は病院の「対応」に怒り心頭、自宅に連れ戻す。とはいえ今後は「お先真っ暗」、とりあえず、母(父の妻)を妹(父の娘)一家に預け、独り看病に専念しようと決意した。藁をも掴む思いで相談した(おそらく下町の)庶民病院は、ことのほか「温かく」、患者・家族の立場に立って「親身に」対応、父親は数日間で「意識回復」という奇跡的な展開に・・・。かくて無事退院、またまた快気祝いのパーティーで「第二景」は終演となった。でもドラマはまだ終わらない。父親、回復の「度が過ぎて」、誰が観ても「はしゃぎすぎの」「躁病」状態、「自分は十九歳に若返った」などと宣う始末、専門家(精神科医)の見立てによれば、五十年間に亘って「レディーファースト」を重んじ、妻のコントロールに従ってきた「枷」が外れてしまった、今こそ本来の「父親像」が現出したのです、それを否定すれば、またボケの世界に戻るだけでしょう、だと。今度は妻がついて行けない。「あんなお父さんの姿なんて見たくない」と息子に当たり散らす。まさに、「老夫婦」の葛藤、確執、軋轢が「無情にも露呈」といった景色で、鬼気迫る風情を感じることができた。(私自身は、不謹慎にも笑いが止まらなかったのだが・・・)息子と妻の「バトル」を見た父親、やむなく「躁状態」を解除して「第三景」も終演に・・・。いよいよ終幕の「第四景」は、父親の「癌再発」から「臨終」「葬式風景」といった展開で、観客は「やっとこさ」、典型的なアメリカ人の「死」を見送ることができるという按配であった。
 それにしても、「人間はそう簡単には死ねないものだ」「いくら生きようとしたところで、寿命には限界がある」「老いや死に臨んで、じたばたしてもはじまらない」といった条理は「万国共通」であることを、あらためて再確認するのに十分な「出来映え」の映画であった、と私は思う。(2009.10.5)



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